人生の価値とは、所詮その程度の物。   作:兎一号

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第二章 彼は幼女趣味の危ないお医者様だった。
第一話 初旅行


 戦争は終結しました。と、言っても未だあちらこちらで煙っている部分はあり、本当の意味で戦争終結にはまだまだ時間が掛かりそうなのは否定できない。

 

 私は見慣れない景色の中、肺一杯に空気を吸いこんだ。いつものあの自然に囲まれた場所とは違い、そこはとても深呼吸するのに向いている土地とは言いがいた場所だった。

 

 私は晴天の空を見上げた。晴天、と言ってももう夕方。あと30分もすれば日は完全に沈み、夜の帳が下りるだろう。ここは私の生まれ育った丁抹(デンマーク)ではない。ここは日本。牧師の用事に荷物持ちとして連れてこられた私は、初めての外国に心を浮足立たせていた。丁抹(デンマーク)とは違い、そこはレンガ造りの建物では無く混凝土(コンクリート)作りの縦に長い建物が多いようだ。

 

 こう言う文化の違いと言う物は心が躍る。

 

「アヌンツィアータ、日本と言えど戦争をしてたことに変わりはありません。基本的に治安が良いとされていますが、それでも気を付けるに越したことはありません。」

「はい、牧師様。」

「特に貴女は、迷子になればほぼ確実に見つけてあげられませんからね。」

 

 一般人の目に留まらない私を見つけられるのは特別な人間だけ。そんな特別な人間がこの町にいくらいるかわからないが、私を探してくれるとは限らない。私を探してくれるとは思えない。だからこそ、私は大人しく宿屋で待っているしかないのだ。

 

 私は手に持っていた本をぎゅっと抱きしめた。

 

「それから、ここは外国です。この前のように人間を拾ってきても介抱することは出来ませんよ。」

 

 この前のように、というのは約一年半前のことだ。密偵がこの村の近くに潜んでいるかもしれないなんて噂が、村中に蔓延していたときの事だ。お父さんが住んでいたあの掘っ立て小屋のような場所で4人の人間が倒れてた。その中の一人が生きていた。その一人、青年を助けたのだ。介抱し、青年は何処かへ消えてしまったが、牧師様が言うには彼とは二度とかかわってはいけないそうだ。

 

 

 碌な事ならない。

 

 

 牧師様は苦虫を噛み潰したように表情を歪めて言った。あんなに嫌悪感を丸出しにした牧師様をみたのは初めてだったからとても驚いた。それと同時に人間というのはこういう裏と表を持っているのだな、と再確認した。

 

「他国には他国の事情があるんです。」

「はい、牧師様。」

 

 素直な私の言葉に満足したのか、牧師様は私の頭の上に手を置いて私の髪を撫でた。空港を出て、車に乗った私たち。私は窓ガラスに張り付いて、流れる景色に感動していた。

 

 飛行機というものに乗る時も同じように窓にべったりと張り付いて動こうとしない私の事を苦笑いをして牧師様は見つめていた。

 

 しかし、やはり車は飛行機に比べると感動が半減してしまう。目の前を次々と過ぎていく人や電柱に目が回ってしまうそうになるが、やはり広大な海を上から見下ろすというのは経験できないと思っていたから。

 

「お客さん、外国人の方だよね。旅行かい?」

「えぇ、そんな処です。」

「しかし、なんで横浜なんだい?」

「私は聖職者ですが、学者でもあるんですよ。ですから、大学での講義を頼まれましてね。」

 

 私は日本語が全く分からない。日本に来る前に牧師様が私に日本語を叩き込んでくれた。それでもそんなものは付け焼刃にもなっていない。英語のほうがまだ得意だ。だから、彼らの会話は何が何やらさっぱりだ。

 

 だからこそ、私はこの日本と言う地で迷子になると丁抹(デンマーク)に帰る事はほぼ不可能になってしまうのだ。私は他人の目に留まらないから飛行機代などは全くかからないのだが、それでも帰るのに何年掛かるかわからない。

 

 

 私は帰らなくてはいけないのだ。あの村でアントニオの帰りを待たなければならない。

 

 

 そんな私の心には一抹の不安があった。アントニオからの手紙が戦争終結後から途絶えているのだ。何事も後始末が大変というから、手紙を書く暇もないほど忙しいのかもしれない。それとも、私の事を忘れてしまったのだろうか。

 

 

 私は首を左右に大きく振り、その考えを振り払った。そんな事はあり得ない。これまではきちんと手紙が届いていたのだ。ただ、忙しいだけだ。

 

 

「はい、お客さん。ここだよ。」

 

 車は大きな建物の前で止まった。荷物持ちであるはずの私に荷物を持たせることはなく、宿屋の中に入っていく。私はその後ろを少し駆け足気味に牧師様の後を追った。日本人なのに、きちっとスーツを着た人たちがその建物の中にはいた。日本人は皆、着物という伝統服を着ているものだと思っていた。

 

 でも、そうだよね。私の村でさえ、伝統服を着ている人間はまずいない。最近はそういうのが普通になってきていたのだろう。

 

 部屋につくと、二つのベッドにまず目が行った。ベッドに向かって駆けていった。

 

「わーい。」

 

 ピョーン、と私はベッドに飛び込んだ。

 

「端ないですよ、アヌンツィアータ。」

「ご、ごめんなさい、牧師様。でも、こんなフカフカのベッドは初めてです。」

 

 言い訳だとわかっていてもこのフワフワとした感触の掛け布団を抱き締めずにはいられなかった。

 

 この布団のフカフカ魔力のせいだろうか。体が妙に重く、ベッドから体を起こすのがすごく億劫になってしまう。

 

 次第に瞳が重たく、目の前が暗くなっていく。私の頭の上にフワッと何かが乗った。ゆっくりとそれは頭の上で動く。

 

「お父、さん。」

 

 私の言葉に手は一瞬動揺を見せたが、それでも私の頭を撫で続けた。意識はゆっくりと闇の底に落ちて行った。

 

 

 

 寝てしまった少女の姿を見て牧師は小さくため息を吐き出した。もともと子供は嫌いではないし、お節介と言われれば何も言えない。実際、目の前の少女の父親が生きていた頃、少女の病状を聞きにたびに大層ウザがられた。

 

 そんな思い出さえ、彼と一緒にいた少女は覚えていない。

 

 牧師は着ていた修道服の第一ボタンを外した。そして椅子に腰掛けた。牧師は一人の男を待っていた。その男が信用出来るか、牧師には分からなかった。ただ、少女の父親、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが手紙のやり取りをする珍しい人物だった。

 

 牧師は、聖職者としての顔も持ち合わせていたが、学者としての顔も持っていた。来日したのも学者としてだ。学者として日本に来ている牧師は態々アヌンツィアータを連れて来る理由はないのだ。それでもアヌンツィアータを連れて来たのはその男に会えば彼女の考え方が少しは変わると思ったからだった。

 

 牧師はアヌンツィアータの偏った思考を危惧していた。

 

 自己犠牲が義務だと思っている人間は、いつか恐ろしい事を平然とやってのけてしまう。彼女の父親が娘の為に身を犠牲にするのが親の務めだと思い、娘を呪ったように。こういうのはこの家族の血液に刻まれたものなのだろうと思いながら、娘である彼女には自由に生きてほしいと思っていた。白鳥が鳥かごに自身の体を押し込んでその狭さから自らを傷つけている。

 

 

 なんと傷ましいことだ。

 

 

 自身は亡霊(ゴースト)だから、決して死ぬことはない、と。

 

 こんな事をしていてはこの少女の体が壊れてしまう。彼女は、決して亡霊(ゴースト)ではないのだから。

 

 

 牧師は眉を顰め、一年半前の事を思い出していた。アヌンツィアータが拾ってきた青年。結局、名を名乗る事は無かったが、あれとは今後一生、もう二度と関わり合いたくない者だ。あれは、人間を破滅させるのが上手い人間だ。

 

 そんな思い出に浸っているとコンコンと、丁寧なノック音が牧師の耳に届いた。牧師はドアに近付き、覗き窓からノック音の犯人を見た。

 

 牧師は犯人を確認するとドアを開けた。

 

「はじめまして、N•F•S•グルントヴィです。」

「はじめまして、森鴎外です。」

 

 牧師、ニコライ・フレデリク・セブェリン・グルントヴィは目の前の男を見た。自身よりは一回りほど若い男。日本人にしては高身長で、医師をしていると聞いていたがそんな風には見えない。なんというか、冴えない感じがにじみ出ている。

 

 グルントヴィ牧師は目の前の医師、森鴎外と直接的な面識はなかった。面識があったのはアンデルセンの方だった。どこでどう知り合ったのかは知らないが、彼の家の物の整理を行っているとき、森鴎外からの手紙を見つけた。流れるように書かれた達筆な字を見たからこそ、その字を書いたのが目の前の彼だとは到底思えない、というのがグルントヴィ牧師の素直な感想だった。

 

 軽い握手を交わした後、グルントヴィ牧師は森鴎外を部屋の中に招き入れた。

 

「彼女が、アンデルセンの娘の…。ずいぶん大きくなりましたね。」

「えぇ、そうです。今年で10歳ですからね。」

 

 布団を抱き込んで寝ている少女を森鴎外にグルントヴィ牧師は紹介をした。穏やかに寝息を立てて寝ている少女をじっと見つめる森鴎外。グルントヴィ牧師は横目で見つめながら、備え付けの紅茶をいれた。

 

 戦時中に月一で手紙を送りあっている仲の人間がいるならば、自分ではなく森鴎外に自身の娘を預けてもいいのではないか、と。結局、最後は自分に娘を託したわけでが其処までの経緯がわからない。

 

「グルントヴィさんの事は、アンデルセンから聞いていますよ。」

 

 アンデルセンが自分のことを他人に話していたなんて驚きだ。彼とは仲がいいほうだと思っていたが、しかし他人に紹介されるほどだとは思っていなかった。それほど、彼は娘のために行動していたということだろうが…。

 

「私も森医師(せんせい)のことは、よく聞いていますよ。とても腕のいいお医者様だとか。」

「いえ、結局私は彼女の病気に何をしてあげられる訳でもなかったからね。」

「治療法も確立していない病です。アンデルセンはあなたに感謝していましたよ。戦時中に態々、イタリアから訪ねてきてくれた貴方に。」

 

 この医師は本当に何を考えていたのだろうか。そういった意味でこの医師にグルントヴィ牧師は不信感を抱いていた。

 

「私は明日からヨコハマの大学を回って講演会がありまして、その間彼女を預かってもらいたいんです。少女にはあまり興味のない内容でしょう。それに折角村から出てきたんです。普段感じられない物を感じてほしいんです。」

 

 視線を真っ白な髪の少女の方を見た。少女の服の下からはちらほらと包帯が見て取れる。

 

「彼女は、父親の、アンデルセンの言葉を信じています。わかってはいるんです。そうしていないと彼女は生きてはいけない。しかし、本当にそれが正しいとは思えないのです。」

「アンデルセンの手紙にあったが、しかし、本当に実行するとは…。」

 

 眉を顰めて意外だと言わんばかりの声で、森鴎外はつぶやいた。

 

「森医師(せんせい)は、異能力者だと伺っていますが。」

「え、えぇ。そうですよ。」

「良ければ、異能力のことを話してあげて下さい。残念ながら、私は異能力者ではないので。そう言った事は当人同士での方が理解が深まるでしょう。」

 

 残念ながら牧師は伊能力者ではない。そう言った特別な才能というものに恵まれた人間ではなかった。だけれど、アンデルセンの事を知っていると決して彼らの事を羨ましいとは思えなかった。

 

 

 普通の人間は特別を求め、特別な人間は普通を求める。

 

 

 自身が身を置いている宗教もその一種のようなものだ。神という特別な存在を求める。そして特別な神が人間を作り出したように。この世界ができた時から定められた摂理。

 

「明日、朝9時にこのホテルを出ます。それまでに来ていただければ彼女に貴女を紹介できます。流石に見知らぬ土地で見知らぬ男性に会うというのは普段人間と接触する機会のない彼女にはひどく精神的に疲れることでしょうから。」

「明日の9時ですね。わかりました。」

「すみません。病院の方も色々とあるでしょうが。」

「いえ、大丈夫ですよ。明日は定休日です。最近はここも大分を落ち着きを取り戻してきましたからね。」

 

 

―――落ち着きを取り戻してきた。

 

 

 日本も戦争の余波を受けた、とうい事か。

 

「そう言えば、牧師殿も気を付けて下さいね。日本にも非合法組織と言うもは存在します。巷ではポート・マフィアと言われています。」

「そうですか、日本にマフィアが…。」

 

 悲し事だ。明るい表の道路を外れれば途端に人殺しが横行するかもしれない、なんてそんな事を考えながらこの街を歩かなければならなくなってしまった事が、非常に残念だ。

 

 いや、もしかしたら自身は綺麗な所だけを見ていたのかもしれない。綺麗なところだけ、見ていたいのかもしれない。

 

 どこの国でも港町が荒れるのは仕方のない事なのだろうか。グルントヴィ牧師は締め切ったカーテンの向う側の景色を想像しながら、愁いた表情を浮かべた。

 

「では、また明日。」

「えぇ、また明日。」

 

 森鴎外は部屋から去って行った。グルントヴィ牧師は彼が一口も口を付けなかった紅茶を見て眉を顰めた。自分の分の紅茶を飲み干し、森鴎外のティーカップの中身を洗面台に流した。

 

 そして自身が明日行う講演の準備を始めた。




お疲れさまでした。

実際の森鴎外とアンデルセンは会った事はないし、手紙をやり取りもしていないです。

アンデルセンの『即興詩人』のドイツ語翻訳を日本語に翻訳したのが森鴎外です。

森鴎外は医者ですから、ドイツ語には堪能だったのでしょうね。

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