人生の価値とは、所詮その程度の物。   作:兎一号

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第二話 白衣の男

 朝、騒がしい音で目が覚めた。その音は相変わらず私にしか聞こえておらず、その騒がしさから耳をふさいだ。それでも聞こえてくるものは聞こえてくる訳で。わたしは諦めたようにため息を吐き出した。それからもぞもぞと布団から這い出て、私はユニットバスへと向かった。

 

 最近はこの体にも慣れてきて、触りたい時、触りたくない時、といった感じに触れる事を選べるようになった。亡霊(ゴースト)の私はポルターガイストに一歩ずつ近づいたというわけだ。体を洗うという行為でさえ、私には不必要な行為なのだが。牧師様は身嗜みにひどくこだわる人だから。私の体を流れていく水さえ、私にはもったいない物なのに、と。人間らしい事は一々心に響いて痛む。

 

 誰もが牧師様を生真面目だと評価するけれど、その生真面目を実行するのも大変だと思う。プロテスタントは徹底した禁欲主義だ。そう言うところがある意味で牧師様をそうさせているのかもしれない。彼は疲れないのだろうか。

 

 体を何にも触れられなくすると、身体についていた水滴は全て落ちていく。髪を乾かす手間がいらないと言うのは少し楽でいい。

 

 私はカーテンを開けた。騒がしく私の耳元で囁き続ける音が聞こえてくるけれど、それでもその声を一つ一つ受け入れていく。

 

 ロザリオを持って手を合わせる。そして朝日の前に膝をつく。

 

 

 あぁ、神よ。尊き我らの父よ。

 

 今日も誰かが泣いています。腹が空いたと泣いております。

 

 今日も誰かが嘆いています。誰にも愛されないと嘆いております。

 

 今日も誰かが悔やんでいます。失ってしまったものを思い悔やんでおります。

 

 どうか、神よ。彼らの苦痛を私の苦痛に。

 

 どうか、神よ。私の幸福を彼らの幸福に。

 

「あぁ、神よ。尊き我らが父よ、彼らを救い給え。」

 

 

 ピリッと左手に痛みが走る。左の5本の指先から血が流れだした。私は顔を顰めて右手で左腕を押さえる。じりじりと痛みが左腕に広がっていく。

 

「っ…、はぁ。」

 

 今日はいつもより聞こえてくる声が多いからだろうか。いつもより痛い。

 

 部屋の絨毯に額を擦り付けて必死に声をかみ殺した。力一杯掴んでしまったためか右手の爪が左腕に食い込んでいる。しかし、そんな痛みは痛みとして処理されない。それほど、今回の苦痛は私の神経を犯していた。ビリビリと這い上がってくる痛みに涙が浮かんでくる。

 

「アヌンツィアータ!?」

 

 その焦ったような声はどこか遠くの出来事のように聞こえた。

 

 

 

 

「目が覚めましたか?」

 

 心配そうに私を覗き込んでくる牧師様。その隣には見たことのない男が立っていた。白い丈の長い服を着ている東洋人らしい顔つきの男だ。

 

「鎮痛剤を打ったから少し体が怠いかもしれないけれど、どうだい?体は痛くないかい?」

 

 そう言われた時、体から確かに痛みが消えている事を感じた。

 

 

 はっきり言って、余計なことをしやがって。と目の前の男を怒鳴りつけたい気分だった。

 

 

 しかし、そんな事が出来るような体の調子ではなかった。左腕は思うように動かない。ちらりとその方を見れば、真っ白な包帯が手の先まで綺麗に巻かれている。

 

 

  私の前にいる男に目を向けた。一人の男とその奥には少女が一人見えた。。男のほうは30代前半、少女の方は10代前半。しかし、私は年の差的に親子に見えなくもない組み合わせの男女をひどく警戒していた。

 

 私は亡霊(ゴースト)となってから何故かは分からないが、人の願いが聞こえてくるようになった。それが一体どれ位の範囲から聞こえてきているのか分からないが、それでも慣れない内は耳を塞ぎたくなるほど、私の心をかき乱した。いや、今も搔き乱されている事に変わりはない。

 

 その特異な特技のせいで目の前の男性の願望も漏れなく聞こえてきていた。

 

 

 はっきり言おう。この男、絶対いつか犯罪を犯すと確信した。

 

 

 私に微笑みかけている裏でこの男は『私が欲しい』と思っているのだ。ここまで熱血的に求められたのは初めてだ。初めてだからこそ、この目の前の男の必死さが気持ち悪かった。

 

 あぁ、きっと私のこの力が欲しいんだ。

 

 そしてもう一人の少女、彼女からは何も漏れて来る事はなかった。それはつまりこの少女には願望がないということ。何一つ望まないなんて、そんな欲のない人間がいるわけがない。ましてやそれが自分と同年代の少女ならなおのこと。だからこそ、私は目の前の少女も男も信用できなかった。

 

「アヌンツィアータ、彼は森鴎外殿。君の父親の友人だ。」

「牧師様の友人ではないのですか?」

 

 だろうと思った。どう考えてもこの森鴎外と言う男は牧師様の友人にはなれなさそうだ。自分の父と友人と言われても、『はい、そうですか。』と素直に頷きたくない。

 

 ベッドから起き上がり私は森鴎外から少し距離とった。牧師様の後ろから私より60㎝近く身長の高い男性を見上げた。

 

 

 大体、日本人のくせに身長が高すぎる。日本人というのは小柄な人間が多いのではなかったのか?

 

 

「え、えぇ。そうですね。」

 

 牧師様の後ろから出てこようとしない私を不審に思った牧師様は森鴎外のほうを見た。にっこりと笑って森鴎外は手を振っている。

 

「アヌンツィアータ、デス。ヨロシク、オ…、ネガイ、シマス。」

 

 極力宜しくしたくないと思った。宜しくすると最後絡め取られそうな気がして仕方がなかった。彼と目を合わせない様に俯きがちに言った。

 

 

 あぁ、視線が痛い。

 あぁ、思考が痛い。

 

 

 この森鴎外と言う男に引っ付いているあの少女は自身の貞操の危機と言う物を感じていないのだろうか。

 

「あぁ、この子はエリスって言うんだ。可愛いだろう。」

 

 未だ、牧師様の後ろから出てこようとしない私に森鴎外はその少女を紹介した。しかし、これ以上牧師様を困らせるのは申し訳ない。私はじりじりと森鴎外と言う男に近付いて行った。

 

 未だ信用されていない事を残念の思ったのか苦笑いを浮かべる森鴎外を見上げた。大変なことを願うものより、何も願わない方が安全だと、私はエリスと呼ばれた少女後ろに隠れた。

 

「アヌンツィアータ、良い子にしているのですよ。」

「はい、牧師様。」

 

 良い子にしているので、早く帰ってきて下さい。私の精神が持つうちに。

 

 決して口には出さなかったが、そう祈った。なんなら、牧師様の講演会が中止になってもいいとも思った。それ程、私はこの森鴎外と言う男に対して不信感を抱かずにはいられなかった。

 

 牧師様がホテルを出て行ったのを見送った後、私と何を思っているのか分から無い少女と思っている事を口に出来ない男が残された。この三人の中で一番真面な人間は誰かと問われれば、人間では無いにしても真っ先に手を上げたくなる。

 

 急いで寝巻きから普段着に着替えて牧師様のお見送りをした。

 ホテルの前に立ち、私たちもこれから暇を潰すためにお出かけをするらしい。

 

「アヌンツィアータちゃん、これからどこ行こうか?」

 

 なんて尋ねて来る森鴎外。この男、意外にも語学が堪能の様で流暢な丁抹(デンマーク)語を話したのだ。

 

「何処って言われても…。私、外国は初めてだから。」

 

 牧師様について回る物だと思っていたから行きたい所なんて考えていなかった。私は唯、外国と言う地に立ったと言う事実だけで十分、幸福だと思っていたから。

 

「それじゃあ、取り敢えず街の中を見て回ろうか。何か興味のある物が見つかるかもしれないからね。」

 

 興味のある物、か。森鴎外の提案に何か言う理由も無く、私は素直に頷いた。宿屋を出て外に向かい、私達はヨコハマの街を歩いた。私のいた村とは違い、現代的で、車もよく通る。人にぶつかる心配も無く歩く私に森鴎外は手を差し出した。

 

「迷子になったら困るからね。」

 

 と言う言葉さえ、この男が言うととても胡散臭い。それは私が彼の願望を常に聞いてしまっているからだ。しかし、ここで断っても何かと面倒だと思った。次に変な要求をされる前に手を繋いでしまおうと思った。差し出された手の袖を私は掴んだ。手を握るのは嫌だった。そんな人間臭いことをしたくはなかった。誰かと一緒という時点で、私の心を蝕んでいるというのに。私の行動に森鴎外は少し驚いた表情を浮かべたが、それでもそんな私を受け入れた。

 

「アヌンツィアータの住んでる所はどんな所なの?」

「えっと、森に囲まれてて、こことは違って煉瓦造りの家ばかり。それに、住んでる人も100人もいないから本当に静かな村だよ。」

 

 私は辺りを見渡しながらエリスと言う少女の問いに答えた。

 

「ふぅん、本当に小さな村なのね。」

「えっと、エリスお姉さんはヨコハマ生まれなの?」

「うーん、まぁ、そんな所かしら。」

 

 私より身長が高いので一応お姉さんと呼んだが、実際彼女は幾つなのだろうか。気になって尋ねてみると、少し曖昧な返事が返ってきた。私ならこんな騒がしい街、長くいられる気がしない。昨日は疲れていたから直ぐに眠れたが、今日は眠れるだろうか。

 

「所で、アヌンツィアータちゃん。朝食は済ませたかい?」

「私、ご飯は食べないから。」

「それはまた、どうして?」

「どうしてって、私は亡霊(ゴースト)だもの。亡霊(ゴースト)は食事なんてしないでしょう?」

 

 と言うと、森鴎外は困った表情を浮かべた。

 

「お腹が空いたりとかは無いのかい?」

「ぜんぜん。食べれないって訳じゃないけど、でも、お金勿体ないから。たぶん1年くらいは食べてない。」

 

 そう言うと森鴎外は少し考え込む様に口元に手を当てた。私が首を傾げながら彼を見上げると私に微笑みかけた。私はその顔を見て、顔を背けた。私は繋いで方の手をぎゅっと握りしめた。

 

 

 誰かが私を見て、私に微笑みかける。

 

 

 それは、亡霊(ゴースト)となった私が手に入れてはいけない幸福だった。それはありきたりな日常的な、人間が手にすべき幸福だから。

 

「それで、リンタロウ。どこに行くの?」

「そうだね、アヌンツィアータちゃんにはヨコハマを楽しんでもらいたいからね。」

 

 

 リンタロウ?

 彼の名前は森鴎外だと聞いていた筈なのだが。

 聞き間違えただろうか。

 

 私は森鴎外の袖をくいっと引っ張った。それで歩いていた森鴎外は足を止めて、私の方を見る。

 

「何かな?」

「貴方はリンタロウなの?」

「あぁ、私の愛称みたいなものだよ。アヌンツィアータちゃんもそう呼んでくれていいんだよ。」

 

 さり気なく進められてしまった。私はまた彼から視線を背けた。その時、私と同じように誰かと手をつないで歩いている。親子だろうか。楽しそうに男を見上げる少年。

 

「それで、どこに行くの?」

「あぁ、お買い物に行こうか。」

 

 お買い物、という言葉にエリスは苦い表情を浮かべた。私は首をかしげて彼らの会話を聞いていた。

 

 大きなショッピングモールについてからは片っ端から洋服店を回った。森鴎外は次々と私に洋服を着せていった。赤い服、青い服、黄色い服…。どれもこれも私にはもったいない服だった。こんなきれいな洋服は私ではなく、着る服に困っているこの世の誰かに恵まれるべきだ。だって、私には必要のないものだから。私は成長することもなければ、元々着ていた服を汚す事も無い。

 

「楽しくないかい?」

 

 浮かない私の表情を見て、森鴎外は尋ねた。私を見上げる彼の視線から目を背けた。

 

「こんな服は、私ではなくもっと恵まれない人に与えられるべきだと思う。私には、過ぎたものだから。」

「君は女の子だろう。女の子は可愛くしているべきだよ。」

「私は亡霊(ゴースト)だよ。たまたま、恰好が女の子なだけかもしれない。」

 

 そういった私に森鴎外は納得がいかないといった表情を浮かべた。

 

「君はどうして、そんなに自分を否定するんだい?」

「否定はしてない。私は、事実を言ってるだけ。」

 

 いや、確かに私は私を否定している。拒絶している。でも、私を最初に拒絶したのは世界のほうだ。いらないのなら、いっその事、誰にも見えなくしてほしかった。

 

 中途半端な優しさはとても苦しい。

 

 目の前の男のように、気まぐれを私に振りまくのなら。

 

 いっその事、ここで彼にキスをして人魚姫のように泡になって消えてしまっても良い、とさえ思った。

 

「ねぇ、オウガイ。」

 

 私はそう言って彼の服の袖を引っ張った。

 

「何かな?」

「遊びましょう?オウガイが鬼。私が隠れるから。場所はこの建物の中ね。時間は、どうしようかな…。あの時計が12時になったらね。」

 

 

―――見付けてみせて。

 

 

 彼の耳元でそう囁いた。彼の驚いた顔が少しだけしてやったりと思った。そして私は床をすり抜けて落ちていった。

 

 

私はきっと森鴎外を試していた。本当に私を欲しいと思ってくれているのなら、私を必死で探してくれるはずだと。

 

 私は私を探してくれる人に飢えていた。私を見つけてくれる人に飢えていた。

 

 我ながらわがままだと思う。

 

 彼が、森鴎外が、私を欲しいと言うのなら私を上げてもいいと思ってしまう。

 

 

 一階まで下ると私は適当な場所へ足を向けた。




お疲れ様でした。

実際の森鴎外は、恐らくデンマーク語は話せないと思います。
わかりませんが…。

エリスと普通に会話していますが、一応、エリスもきちんとデンマーク語を話しています。

デンマーク語が話せる森鴎外の異能力だもの、デンマーク語くらい話せるよね!

と、言った感じで書いてます。
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