人生の価値とは、所詮その程度の物。   作:兎一号

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第六話 愛の痕跡

 クタクタになる、という疲労が溜まった状態を身を以て感じている午後9時過ぎ。あれから街の雑貨屋などをより、森鴎外とエリスと3人で早めの夕食を終え、ホテルへと帰った。しかし、牧師様が帰って来られるのは夜遅く。

 

 

 流石は、牧師様。全く素晴らしい働きぶりである。

 

 

 

「牧師様、遅いわね。」

「会食というのもあるみたいだからね。仕方ないよ。」

 

 エリスと二人ベッドに腰掛けながら私達はそんな会話をしている。森鴎外はそんな私達を喜色満面を浮かべて見ている。

 

 私はエリスと話しながら森鴎外について考えてみた。今日一日いてわかった事といえば、彼はエリスにぞっこんらしい。エリスは可愛らしい少女だ。そんなエリスを喜ばせようと森鴎外は必死だった。

 

 そして彼には女の子を着飾りたいらしい。沢山の洋服をエリスに合わせてはどれもこれもいいと言う。親バカと言えばそうなのだろうけれど、それでも行き過ぎていると私は思う。

 

 

 親など、まともにいた事のない私の見解だけれど。

 

 

「今日は楽しかったかい?」

 

 私は少し複雑な心境で頷いた。楽しい、と言うのは一体どんな感情なのか。私にはその意味を知っていない。

 

「そうかい、それは良かったよ。」

 

 満足げな表情を浮かべている。

 

「そう言えば、アンデルセンは昔、君と妻と一緒に首都に行ったことを手紙に書いていたね。人が多くてイライラしたと書いてあったよ。彼女は彼を諫めるのは大変だったと。」

 

 懐かしむように、遠くを眺めるような視線で森鴎外は語った。私は彼の昔話を聞いていた。父の話を一通りし、満足したのだろうか。彼は話題を変えた。

 

「ところで、アヌンツィアータちゃん。君は父親が異能力者であった事は知っているね?」

「うん、知ってるよ。」

「それがどんな能力かは知っているのかい?」

 

 どんな能力、と尋ねられても困る。父親とその事については何も話していなかったから。

 

「いいえ、何も聞いてない。オウガイは何か知っているの?」

「私も詳しくはしないんだよ。何せ、アンデルセンは人に自分を知られることを極端に嫌う節があったからね。私と彼が友人になれたのも奇跡の様なものなんだよ。」

 

 男と男の友情は熱いと聞くが、我が父・ハンス・クリスチャン・アンデルセンと森鴎外。そのどちらも熱血的な友情を築ける様な人間ではないと私は感じていた。

 

 私が見た森鴎外は打算的で、アンデルセンは感情的な人間だった。こう聞くとわが父、アンデルセンはとても女性的な心を持っていた様に思える。それはつまり、男女内に出来上がる友情の様な形だったと言う事なのだろうか?

 

 ここでは、男女間の友情が芽生える事の有無は問わないでおこう。自分の父親と目の前の男のあれこれなど想像しただけで吐き気がする。私の父親は通常なら40歳ほどだったと言うが、私の知っている父親は老人の姿だ。

 

 私は溜息を付かずにはいられなかった。そして自身の想像力に始めて嫌気がさした。

 

「どうしたんだい? いきなり青い顔をして。どこか具合でも悪いのかい?」

 

 少し俯きがちな私を心配そうに森鴎外は尋ねてきた。

 

「大丈夫。多分、少し考え事をしていただけだから。」

「考え事かい?」

「そう、考え事。そうしたら、嫌な事想像しちゃっただけ。」

「何を考えていたんだい?」

 

 と、興味ありげに森鴎外は尋ねたくる。

 

「オウガイとお父さんはどうやってお友達になったのかな?って。」

「それがどうして嫌な想像に繋がったのか気になるところだけれど…。私とアンデルセンが出会ったのは共通の友人を通じて、だよ。君のお母さんだ。」

 

 私は始めて母親という存在を示された。

 

「私に、お母さんがいたの?」

 

 そういうと森鴎外は驚いた様に目を見開いてからとても面白い冗談を聞いたと言った風に笑い出した。

 

「それは、当然だよ。医学的にちゃんとそういう事になってる。私は産婦人科医ではないけれどそれ位はきちんと知っているよ。」

 

 私は疑わしい目で彼を見た。誰も私の母について話さないから。

 

「名前はジェニー。オペラ歌手をしていたんだ。彼女の声はとても評判が良かったんだよ?」

「オペラ?上からシャンデリアが落ちてくるの?」

「それは、オペラ座の怪人かな?まぁ、それだよ。」

 

 オペラを見たことがないため、あくまでも想像だ。劇場という場所で役を演じるのがオペラ。セリフではなく歌で感情を表現すると言った点が普通の劇とは違う。

 

「アンデルセンは元々オペラ作家をしていたからね。」

 

 森鴎外は私の知らない家族の事を沢山話し始めた。父と母は10歳以上の年の差があったとか、母は病気で声が出なくなったとか。一般的な欧米人らしい金色の髪に、青い瞳をしていたとか。

 

「そう言えば、最初はジェニーの事ではなく、ルチアの事を母親と勘違いしていたみたいだね。ジェニーはそれに酷くショックを受けていたのを覚えているよ。」

「ルチア?」

 

 新しく出てきた名前に私は首を傾げた。ルチアという名前を聞いて一番最初に思いつくのは、『シラクサのルチア』だ。私の生まれたデンマークでは勿論、北欧で崇拝されている数少ない聖人の一人だった。異教徒たちの迫害にあい、両目を抉り出されたが奇跡的に彼女は物を見ることができたという女性。

 

 

 とある作家が書いた、とある本で、難破にあった主人公の船に乗っていた乗組員が『尊きルチア、助け給え』と言うと、主人公たちは奇跡的にその生を救われた。そこで主人公は一人の少女に出会う。盲目の少女に。

 

 

「あぁ、アンデルセンは自身の異能力にそう名前をつけていた。君と同じ白い髪の女性だよ。盲目の女性だった。私のエリスと同じさ。」

「エリスと、同じ?エリスはオウガイの異能力なの?」

「うん、そうだよ。」

 

 私は隣座っているエリスに目を向けた。そして、彼女から願望が流れてこない事に納得がいった。彼女は最初から何かを望める様な存在ではなかった。ただ、年の近い少女がある意味で友達になれないと言うことがわかり、少し寂しいと思った。

 

 しかし、可笑しい。森鴎外の話が本当だったとして、私が冬に生まれたというのはどういう事なのだろうか?

 

「私は二年前の冬に生まれたんじゃないの?」

「それは、どうして?」

「お父さんがそう言ってたの。」

 

 森鴎外は難しい顔で考え始めた。エリスは隣で私たちの話を聞いているだけ。少しつまらなさそうだけれど、空気を読んでいるのか何も話さない。

 

「二年前の冬と言うと、丁度ジェニーが亡くなった頃だね。ルチアなら何か知っているのかもしれないけれど…。悪いね、力になってあげられそうにない。」

「ううん、いいの。私にはお父さんとお母さんとルチアっていう家族がいたって事がわかったから。」

 

 森鴎外の腕に巻かれた銀色の腕時計をちらりと盗み見るともう夜10時を回ろうとしていた。時間を知るとなおさら眠気が襲ってきた。我慢しきれなかった欠伸を手で隠した。そんな私の様子を見た森鴎外は何が面白いのか笑みを浮かべている。

 

「あぁ、もうこんな時間か。良い子は寝る時間だね。」

 

 なんてありきたりなセリフを言うものだから、私はクスクスと笑みを浮かべた。

 

「今日だけは、悪い子じゃダメ?」

 

 なんて悪戯心で小首を傾げながら尋ねてみた。基本、目の前の男は私のような幼い少女には弱い。

 

「駄目だよ。明日はグルントヴィ牧師について教会に行くそうじゃないか。寝坊をするとおいて行かれてしまうよ。」

「牧師様は置いていかないわ。叩き起こすだけよ。」

「それでも、朝からたたき起こされるのは嫌だろう?」

「いやではないけれど、牧師様に迷惑をかけるわけにはいかないかぁ…。」

 

 ベッドの上に置いてあった枕を抱えて顔を埋めた。

 

「オウガイは帰らないの?」

「ん?そうだね、牧師が帰ってくるまではここにいるよ。」

 

 私はふぅん、と生返事を返した。私はベッドから立ち上がった。そしてスーツケースの中から歯ブラシと歯磨き粉、そしてコップを取り出した。私はその足で洗面台に向かいシャカシャカと歯を磨き恥じえた。森鴎外たちのいる方から何やら話し声が聞こえたが、私はそれを気にすることなく歯を磨いた。口に水を含み、それを吐き出す。そしてベッドのある部屋に戻ると森鴎外は難しい表情を浮かべてベッドの脇のラジオに耳を傾けていた。

 

 私にはラジオから流れている声は音でしかなく、そこに何かの意味を見出す事が出来なかった。

 

「なんて言っているの?」

 

 私は先ほどの位置に座るとエリスに尋ねた。

 

「一か月前、集団殺人事件があったの。学校内で一年生、6歳児のクラスでそのクラスメイト全員が死んでいるのが見つかったそうなの。40人近いの子供たちがなくなったみたい。」

「それは、どうして…?」

「それは調査中みたいよ。事件が早く解決して欲しいわ。」

 

 40人という幼い命が絶たれたという。二人はとても悲しそうな顔をしていた。私はじっとラジオから流れている異国語の音に耳を傾けた。しかし、私の心が傾くことはなかった。

 

 

 

 

 ひどく疲れた体を引き摺りながら牧師は自身のホテルの部屋へと戻ってきた。しかし、表情からはそんな事を何一つ察せない。そういう風に悟らせない事にはいい加減慣れてしまった。心のうちを隠す事にはすっかり慣れてしまった。

 

「あぁ、お疲れのようですね。」

 

 だからこそ、目の前の医師の言葉はただの社交辞令だ。朝から夜まで働いた。疲れていない者などいない。ただ、それだけの事だ。

 

「これは、森医師(せんせい)。いえ、そのようなことはありません。とても充実した一日でした。彼女の様子はどうでしたか?」

 

 ホテルに帰ってきたニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィは人当たりのいい笑みを浮かべ、そう森鴎外に告げた。椅子に腰かけ、音を最小にしてテレビを見ていた森鴎外は帰ってきた牧師に笑みを浮かべた。牧師は彼の横を過ぎ、少し大きい目の真っ黒なダレスバッグをサイドテーブルの上に置き、そして彼らの方を向いた。ベッドの上には、二人抱きしめあって寝ている少女が二人いる。真っ白な髪を真っ白なシーツの上に散りばめて、もう一人の金色の髪の少女を抱きしめて眠っている。

 

「とてもいい子でしたよ。エリスちゃんともすぐに仲良くなっていましたし。」

「この子と話せる同年代の子は、滅多に会えませんからね。本当に私は貴方方と出会う機会を下さった神に感謝します。」

 

 その言葉を森鴎外は笑顔で受け取った。牧師だって理解している。目の前の男の中に神など存在していないことくらい。しかし、牧師にはその言葉しか口に出すことはできなかった。それが宗教に身を置くということだ。

 

「ん…。」

 

 アヌンツィアータに抱き着き、抱き着かれていたもう一人の少女、エリスという名の少女がうっすらと目を開けた。眠たそうに眼をこすり、少しだけ体を起こした。エリスの上に置かれていた腕が力なくシーツの上に落ちた。

 

「リンタロウ…?」

「あぁ、ごめんね、エリスちゃん。起こしてしまったかい? でも丁度良い。帰るよ、エリスちゃん。」

 

 エリスは眠たい目をこすり、少し呆けた瞳で森鴎外のほうを見た。

 

「えぇ、帰るの?」

「うん、帰るよ。」

 

 エリスはベッドの上で寝ているアヌンツィアータのほうを見た。よほど楽しい夢を見ているのか、その表情はとても楽しげで、とても幸せそうだった。小さな手で小さな頭を数回撫でた後、ベッドの上からエリスは体をどけた。

 

 牧師は部屋から出ていく二人を笑顔で見送ると、スヤスヤと可愛らしい寝息を立てている少女のほうを見た。エリスがいなくなったことで不自然に開いてしまったベッドの空間が少し寂しげだった。牧師はシーツをアヌンツィアータの肩まで掛けなおした。

 

「アンデルセン、貴方の娘はとても健やかに育っていますよ。」

 

 牧師は気難しい彼のことを思い出した。牧師にとってハンス・クリスチャン・アンデルセンという男は人生の分岐点を作り上げた男だった。彼がいなければ、牧師は知らず知らずのうちに罪を重ねていたことだろう。

 

 だからこそ、彼の忘れ形見である彼女をどうしても幸せにしてやりたいと思うのだ。しかし、自身が幸せだと感じるものと、他人の幸せとは全く別物だ。

 

 目の前の少女の現実が、亡霊(ゴースト)であるように。

 

 アンデルセンに残された現実が少女ただ一人であるように。

 

 少女の現実は歪んでいる。アンデルセンが言うには、その歪みを正すのは恋だという。しかし、牧師には目の前の少女が恋ができるとは思っていなかった。彼女にとって人間は愛すべき対象だ。決して恋で身を焦がす対象ではない。

 

「いつか、貴女自身を変えてくれる人間が現れればよいのですが。」

 

 牧師は何処かでその存在を彼女より8歳年上の青年にそれを期待していた。しかし、それは叶わない願いとなってしまった。牧師は未だに彼女に伝えていない真実に瞳を閉じて開きかけた口を無理矢理に閉じた。

 

 真っ暗になった視界の中で自身の夢を語り、そしてどこか諦めた様に下を向いた未だ幼さを残した表情の青年。自身の置かれている立場をしっかりと理解してしまった青年だった。

 

「戦争など…。本当に嫌になりますね。」

 

 人が死んでしまうのは当たり前だ。それでも空を見上げ、神の御許に行ってしまった人間にもう一度会いたいと思ってしまうのは、思ってしまうのは罪深い事なのだろうか。

 

 牧師はそっと瞳を開き、サイドテーブルに置かれた銀色のロザリオに目を向ける。真っ赤なコラールが十字架の中心に埋め込まれている。牧師自身、普段手にしないそれを手に取った。手に取ればわかる。思っていたよりもずっしりとした重みが感じられる。

 

 この十字架が鉄ではなく、銀で出来ていることがよくわかる。牧師はカトリックではない為、その性質について詳しく他の者と議論した事は無い。しかし、ロザリオを装飾している玉の数、位置にはそれぞれの意味があるという。

 

 牧師はロザリオを強く握った。

 

「ああ、イエズスよ、我らの罪を許し給え。我らを地獄の火より守り給え。また、すべての霊魂、特に主の御憐れみをもっとも必要とする霊魂を天国に導き給え。」

 

 そう祈った後、自らの行動に嘲笑を浮かべた。そして心のうちで自らを『節操なしめ』と罵った後、ロザリオを元の場所に戻した。

 

 牧師は窓の外の景色に目を向けた。頼りない街灯が道路を照らしている。そこを走る車は疎らで、歩いている人間なんていない。牧師はカーテンを閉めて着替えをもってユニットバスへ向かった。




お疲れ様でした。

正月だぁ、と思っていたらもうすぐ2月だというのだから嫌になります。

兎一号自身がキリスト教徒では無いので、いつも色んなことを調べています。


この小説の中で何度か出てきたのですが、一応再確認という事で書いておきます。

プロテスタントのキリスト教徒は、ロザリオを持つ事はありません。理由は色々あるみたいです。

一つとして、ロザリオというのはネックレスではなく数珠です。ロザリオについている珠の個数は聖母崇拝の時に『アヴェ・マリア』と唱える回数を数える為にあります。

しかし、プロテスタントのキリスト教徒は聖母崇拝や聖人崇拝を拒否する宗派が多い為、ロザリオが必要なかった。という理由があるみたいです。
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