人生の価値とは、所詮その程度の物。   作:兎一号

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第七話 夢現

「っ!?」

 

 飛び起きる、というのは本当に飛び跳ねるように起きるのだと私は知った。

 

 嫌な夢だった。とてつもなく、嫌な夢だった。

 

 額に手を当てて、初めて自身の指先が恐ろしいほどに冷え切っているのが分かった。真冬なのではと思ってしまうほど、冷え切った指を首筋に当てる。酷く汗をかいて熱っぽい体。吐き出される息は震えていた。

 

 律儀に肩までかけてあった布団は私が起きた事で、足元まで下がっている。大きな窓の方へ視線を向けると外はまだ薄暗く、カーテンから漏れている光はとても淡い。隣では静かに寝息を立てている牧師様がいる。息を落ち着けるように数回深呼吸をした後、布団に体を沈めた。大きく吐き出した息の空虚な音は、私の心の中の鬱蒼とした思い気持ちと共に吐き出された。

 

 再び眠りに入ろうと思ったが、何故か眠気は襲って来ない。

 

 あれは本当に夢だったのだろうか。妙にリアルなんて言葉では収まり切らない。ただの現実の様だった。掴んでいた腕の感触も、鼓膜を震わせたあの音も、何もかもが夢と言う一言で片づけてはいけないような気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  私は現在、足が棒になると言うものを体験した。まるで私の足に筋肉があり、そこに乳酸が溜まっているような。まるで人間のようで私の機嫌は少し悪かった。

 

 それを顔に出さないように必死にこらえていた私の内心など知るよしもない牧師様は相変わらずの爽やかな笑顔で朝の挨拶をしていた。

 

「おはようございます、アヌンツィアータ。」

「おはようございます、牧師様。」

 

 相変わらず、私の左腕には仰々しく包帯が巻かれている。巻き直したのは私なのだけれど。

 

 牧師様の本日のご予定は、お昼まで講義があり、その後はヨコハマの修道院に行くらしい。

 

 昼間の講義は兎も角、午後の修道院には私を連れて行ってくれるそうだ。なので、今日は昨日とは違い森鴎外とどこかへお出かけはしない。

 

 と、言うか昨日以外彼に会う予定は無いらしい。次に会えるとするならば、それは帰りの空港だそうだ。

 

 生まれたての小鹿のように足がプルプルと小さく震える。着替えを済ませ、今日の予定にある大学へと向かう。

 

 すべてが日本語で話されいてる空間の中で私は静かに空を見上げた。今日は昨日と同じく、とてもよく晴れた日だった。よく晴れているのに日本はとても蒸し暑い。コンクリートの建物群の中でひときは異色な講堂と書かれたレンガの建物に牧師様は案内された。

 

 私は講堂内に沢山置かれた椅子の一つに腰かけた。多くの人たちが牧師様の話を聞こうと集まったらしい。

 

 こうしてさっぱりわからない日本語の講義は始まった。私はある意味でこの時のために持ってきたのではないだろうかと思ってしまう本を開いた。誰にも聞こえない音で、ぺらりと頁がめくられる。牧師様が一番見え辛い席に座っていた私の視線の先に影が差した。薄暗くなってしまった紙の文字。私は視線をあげ影の原因に目を向けた。そこには中年を少し過ぎたであろう男性が立っていた。

 

『済まないが、ここ良いかね。』

 

 その男性の視線は確かに私をとらえていた。しっかりと私という存在がその瞳の中にいる事が私にもよく見えた。指さされた私の隣の席に目を向けて、私は首を傾げた。

 

「ここに座りたいの?」

 

 私の言葉に男は数回瞬きをした後、今度は日本語ではなく英語で「ここ、良いかね?」と、尋ねてきた。私は彼の言葉を何とか聞き取り、小さく頷いた。それから、私は隣に誰かがいるという落ち着かない雰囲気の中本を読んだ。時々隣の男の動向を確認して、視線を本に戻す。

 

 ふと、私は顔を上げた。そんな事をしていると気がつけば講演は終わっていた。私は小さく溜息をついた。

 

「気を乱してしまったみたいじゃな。」

 

 彼は私が落ち着かないでいる事に対してそういった。私は視線を彷徨わせ、それから男の口元辺りを見た。決して目を合わせないように。

 

「隣に誰かいるのは慣れてない、だけ。」

 

 私の不出来な英語が男に伝わったかは分からない。日本語で何かを呟いた。

 

「お前さんは、この大学の生徒ではないな。」

「そうだよ、牧師様の付き人みたいなもの。そういう貴方もここの人じゃないよね。」

 

 講演が終わり、誰もが席を立ち自らのやるべきことのためにこの講堂を出ようとしている。そんな中、この男は未だに席を立とうとしない。居たたまれなくなった私は腰を上げた。本を大事に抱き抱え、男の前を通ってその場から逃走した。

 

 講堂の外の壁に腰を預け、私は空を見上げた。やはり、真っ青な空はとても美しい。何も感じることはなかったが、きっと歩く人たちはその肌に突き刺さる紫外線に熱を感じていることだろう。

 

 

 それが少し羨ましい。

 しかし、私にとってそれは()()()()

 

 

 私は疎らに出てくる人を横目で見送り、私は未だ出てこない牧師様を待った。前を向けば7階建て程のひときは大きな建物がある。その建物の玄関の自動ドアに映らない自分の姿に、心の中で安堵している自分がいた。講堂と書かれた青錆びた文字の横に、本来いる筈の存在が映し出される事は無い。

 

 手を天に翳しても決して太陽が眩しいとは思わない。しかし、私の足元には影が出来る事は無い。私自身がまるで透けているようだ。

 

―――ニャウ。

 

 普通の猫だった。白と黒と橙色の斑模様のその猫は私を見上げていた。私は猫と視線を合わせるように膝を折った。じっと猫を見降ろしていると猫は目を逸らし、別な方を向いた。

 

「お前から話しかけてきたのに、全く嫌ね。」

 

 猫の喉に手を当てて掻いてやると猫は喉を鳴らして喜んだ。余程気に入ったのか私の足に自分の頭を擦りつける。丁抹(デンマーク)にだって野良猫くらいいるのだが、何分あちらの猫は野性的だ。森の中で生きているからなのだろうか。あまり人に靡かない。

 

『猫、か。』

 

 聞きなれない日本語を話したのは先ほどの初老の男だった。私が彼を見上げていると彼もまたこちらを見降ろしていた。

 

「随分とお前に懐いているらしい。」

「そう、見える?」

 

 何故か、私の姿を見ることの出来る猫は初老の男から見ると懐いているらしい。懐いているというよりは自分を可愛がってくれる都合の良い人間を見つけたと言った方が良いだろう。あわよくば餌をくれそうな人間を見つけた。そんな物だろう。

 

「猫は好きか?」

「……、犬よりは好き。」

「犬は苦手か?」

「……、あの人懐っこさが苦手。それに、猫は気儘だから。私も気儘で居られる。」

 

 私の言葉に老人は私を見詰めた後、何を思ったのか大きく笑った。私はその老人の表情を見て、今とても面白くないと言った表情を浮かべている事だろう。

 

「お前は猫みたいな人間だな。」

 

 男との言葉に私は首を傾げた。未だ私の周りをウロウロしている猫に構いながら男の話を聞いた。

 

「猫、みたいな?」

「あぁ、気儘で、気まぐれで、何より対人関係が苦手と見える。」

 

 好きで対人関係が苦手なのでは無いと言おうかと思った。ただ、普通の人間と同じ生活をしていないからそう見えるだけなのだと。

 

「何だ、気を悪くしたか?」

「悪くは、してない。」

「悪いではないか。」

 

 私の周りをうろついていた猫は私の不機嫌な表情を察したのか私の気を引こうと鳴き始めた。その猫の目論見通り私の意識は離れつつあった猫に引き戻された。

 

「ん、ごめんね。私、ご飯は持ってないの。」

 

 物欲しそうになく猫に私はそう告げた。私は老人を見上げた。

 

「ん?あぁ、私も餌は持っていない。私の知っている男なら猫の餌くらい持っているのだがな。」

 

 

 猫の餌を持ち歩く位、猫が好きなのか。それともその餌で猫をつって闇魔術の生贄として捕まえるのだろうか。

 

 

 私は、私自身の妄想で顔を青くした。勝手な妄想で評価が地の底まで落ちていきそうなその男に多少申し訳なく思いながらも、極悪非道な表情を浮かべる妄想上の男を酷く嫌った。

 

 百面相する私を見て男は「どうした?」と尋ねてきた。私は「何でもない」と首を振った。何も知らないその男の事を自分の妄想で悪く思ってしまっているなんて伝えた所でどうしようもないだろう。私がその猫の餌を持ち歩いている男に会うまでは。

 

「三毛猫ですか。彼女がお世話になったようで。行きますよ、アヌンツィアータ。」

 

 と、今度は聞きなれた丁抹(デンマーク)語。顔を上げると牧師様が出て来られていた。

 

「私行くわ。じゃあね、おじさん。」

「あぁ、またな。」

 

 私は彼に会う予定はないのになぁ、と思いながら小さく男に手を振った。猫は何故か私の後ろに付いて来る。私は猫の頭を撫でた。

 

「ごめんね、お前を連れてはいけないの。良く生きるんだよ。」

 

 私はそう言って猫から駆け足で離れた。振り返ると猫はこちらの方をじっと見ている。少しの罪悪感を感じながら私はもう後ろは振り返るまいと必死に牧師様の服の裾を掴んで前を向いて歩いた。

 

「アヌンツィアータ、言ったでしょう。この国では、何も救えないのだと。」

「そんなはつもりは、無かったんです。」

 

 そう、呟くように告げてから私は自分の発言に後悔をした。それは何とも無責任な言葉だった。

 

「いえ、すみません。今のは忘れて下さい。」

「えぇ、そう言う事にしましょう。」

 

 罪悪感を感じながら私はタクシーに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 日本では、キリスト教というものはあまり信仰されていないらしい。欧羅巴(ヨーロッパ)生まれの私からしたら驚きの事実である。そして何より日本には信仰の自由というものが保証されており、家は仏教なのにキリスト系の学校に通うことに何の蟠りもないのだそうだ。その話を聞いたとき、私はとてもではないが信じられなかった。

 

 欧羅巴(ヨーロッパ)では、プロテスタントとカトリックの確執は色濃く残っており、カトリックの家の子がプロテスタント系の学校に進めばそれはそれは、白い目で見られるのだ。

 

 そして何より日本の教会は、少なくとも私の住んでいる丁抹(デンマーク)の教会と比べて、規模が小さい。そして他宗教と混じり合った経験のある日本の教会は、どこか閉鎖的で歪に感じられてしまう。

 

 私が訪れている教会では礼拝が行われている。日本の教会にどこか慣れない私は教会裏の墓地に足を踏み入れた。日本では教会の裏に墓地があることは少ないのだそうだ。というか、まず無いとの事だ。大陸にある欧羅巴(ヨーロッパ)とは違い、日本は島国だ。国の領土は限られている。何より町中に教会を建てる事の多い日本では、町の中に墓があることは嫌だろう。

 

 

 まぁ、日本は基本的に土葬ではなく、火葬らしいからリビングデッドなんてものの心配はしなくていいところは魅力的だ。

 

 

 小さな石板に誰かの名前と生きた年月が書かれている。その石板の前には桃色の紙で包まれた白百合。石板の年月を見ると、その人はとても若くして亡くなっていた。いや、若いというよりは幼い、と言った方が正しい。

 

「貴女は、幸せね。こんなにも早く、魂が肉体から抜け出し神の御許へ行けたのだから。」

 

 いいなぁ、なんて言ってしまえたら私は幸せだったのかもしれない。しかし、私はその言葉を口にしなかった。出来なかった。

 

 教会が罪と定める七つの大罪。その大罪を生み出すのはいつも嫉妬が原因なのだ。だからこそ、嫉妬は一番重い罪だ。人はいつまでも原罪に捕らわれた罪人だ。

 

 我楽多で出来上がっているはずのこの世界からの離脱する事は、簡単なはずなのだ。それなのに未練があるのか知らないが、いつまでもここに立っている自分がとても恨めしい。

 

「あぁ、神よ。どうか、正しい生き方を教えてください。」

 

 しかし、こんな時だけ神は何もしてくれない。それは当然のことなのだ。神様というのは所詮、その人間の妄想ですかないのだ。その人間の知りえない答えなど最初から彼らは持っていない。

 

『――――…。』

 

 私は聞こえた幼い声のほうを見た。100㎝あるか無いかの小柄な少女が私を見上げていた。日本人らしい射干玉の髪を一つに結い白いリボンで飾っている。綺麗に切りそろえられている前髪を弄りながらこちらを見上げている。

 

 昨日会った父の友人を何処か彷彿とさせる鮮血のような真赤の瞳。しかし、その瞳の中には純情な興味心しか感じられなかった。あの男、森鴎外のような打算的な願望はどこにも感じられなかった。

 

 

 なんて、可哀想な願いだろうか

 

 

 

『―――、――――。』

 

 彼女の声は小さく、掠れている。まるで何年も話していないようだった。私の機嫌を伺うように視線を上げ下げしながら、何かを私に話しかけていた。

 

 風に揺れた木の葉の小さな音にさえかき消されてしまう彼女の声。私はポケットの中に手を入れた。すると昨日ホテルに置いてあった菓子の中にあった飴が一つ入っていた。絵柄かして恐らく葡萄味のそれを少女の方へ差し出した。

 

 少女は数回瞬きをした後、恐る恐る私の手の上にある飴を手に取った。包み紙に包まれたそれを空にかざしてみたりした後、嬉しそうにピョンピョンと飛び回った。

 

 年相応の反応を見て私は先ほどまでの荒んでいた心が少しだけ癒された。その少女は大切そうに飴を黒猫の形をした鞄の中にしまった。長袖の水兵さんの様なワンピースを着ちている少女。その生地を見て安物で無い事は見て取れた。

 

 年相応の行動から目の前の少女は私のことを見る事が出来ているらしい。私は目線を合わせるようにひざを折ると、少女は恥ずかしそうに黒猫のカバンで自身の顔を隠した。そしてこちらを伺うようにチラチラと顔を出しては引っ込める。

 

『貴方何処から来たの?』

 

 と、一縷の望み込めて英語で話しかけてみた。しかし、その望みはやはり叶う事無く少女は首を傾げた。私は小さくため息を吐き出すと、小さな体を大きくぴくりと揺らした。

 

 私は自身を指さした。

 

「アヌンツィアータ。」

『あ…?』

「ア、ヌ、ン、ツィ、ア、-、タ。」

『あ、ん、ち、あ、-、た…?』

 

 

 所々間違っている。どうしたものか、と私は口元に手を当てて少し考えた。

 

「アータ。」

『あーた?』

 

 アヌンツィアータは、お告げという意味の言葉だ。私の名前には愛称というものは存在しない。元々、名前に使われるような単語では無いからだ。

 

 私が頷けば、少女はとても嬉しそうに微笑んだ。

 

『アータ。』

 

 私が勝手に作った愛称で私のことを呼び続ける少女。愛称を呼ばれる度に頷けば、さらに嬉しそうにまた私の名前を呼ぶ。

 

 私は少女に指をさした。少女は不思議そうに首を傾げた。自身の方を指さして『アータ』と言った後、少女の方を指さした。

 

『まり。』

「マリ。」

 

 名前を呼べば少女はこの世の幸福がそこにあるといった表情をした。少女は人差し指を立てた。私はその意味を考えた。少女はうずうずと何かを待ちわびるように私の顔を見ている。

 

「マリ。」

 

 名前を呼んであげれば少女は嬉しそうに飛び跳ね、もう一回と人差し指を立てるのだった。そのあどけなさに私は笑みを浮かべた。




お疲れ様でした。

二月に入ると期末テストが私を襲います。

勉強しなければ、と思いながら

今日もパソコンに向かってしまいます。

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