我慢出来ずに続けて投稿しました。
彼女に最初に会ったのは、夏の夜。マリア様が住んでいる、なんて昔母親が言っていた物だから酷く気になって家の前を散策していた時だった。
家の窓は全て木で打ち付けられ、一切の光が入らないようになっている。そんな不自然を極めた平屋の家にマリア様は住んでいるらしい。
「ここか?」
「あぁ、そうだ。」
若気の至りだった。幽霊屋敷と名高いその家を前に俺を含めて三人が立っていた。事前の調べで中で人が生活している事は分かっていた。そしてそれが誰なのかを突き止めようなんて話になったのだ。
家の呼び鈴を鳴らした。するとすぐにドアが開いた。出てきたのは真っ白な髪に目を閉じた女性。時代錯誤も甚だしい黒いゴシックドレスを着た女だった。
「あの人のお友達、ではないわね。奥様の?まさか、何も聞いてないわ。だったら、マリア?あの子は外に出ない…。坊や達、何の用かしら?」
ブツブツと無機質な表情で呟いた後、機械のような女は視線をこちらに向けた。
「マリアに会いに来たんだ。」
彼がそう言うと不機嫌な表情を浮かべて、女は「帰りなさい。」とだけ告げて扉を閉めた。そんな風にあしらわれると人の探究心というのは火がつくものだ。
次の日、性懲りも無くまた家の周りをグルグルと徘徊していた。しかし、何故かその女に見つかった。何故分かったのか分からないが、いきなり玄関のドアが開いたかと思うと箒を持った女性が俺たちを追いかけ回した。
音を鳴らして空気を切る箒は竹で出来ていて、彼らは必死になって逃げ出した。
そんな事が一週間も続けば、人は諦め始める。好奇心は猫をも殺すと言うように、女は到頭玄関先の氷を割る鶴嘴を振り回し始めた。流石に身の危険を感じた俺達は暫くその家に寄り付かなくなった。
ある夏の日の事だった。彼は珍しく夜の森を歩いていた。夜の森であの女の小さい姿を見たと言う話を聞いたからだ。他の奴らはもう関わりたくないと首を縦に振らなかった為、彼だけがその森の中を歩いていた。
確かにいた。真っ白な髪の少女だ。ぱちくりと一つ、瞬きをした。彼と目が合って少女は初めて人間を見た、と言ったような驚き方をしてパタパタと走りながら木の裏に隠れた。
小さな手は木を掴み、ちょこんと顔を出す。そして顔を隠したり、出たりと忙しい少女だった。彼には目の前の少女がとてもではないがあの女と同じには見えなかった。
「なぁ。お前、誰だ?」
「だれ?あ、自己紹介!私は、マリア。マリア・アヌンツィアータ・アンデルセン!」
初めて自己紹介をしたのだろうか。気の裏に隠れていた少女は楽しそうに笑みを浮かべながらそう言った。
マリア・アヌンツィアータ・アンデルセン。アンデルセンは
北欧では珍しいカトリックの家の子なのだろうか。
カトリックは名前とは別に洗礼名と言う物がある。ちなみにプロテスタントには洗礼名は無く、生来の名前がそれにあたる。しかし、それでも可笑しいのだ。
「貴方は?」
「アントニオだ。アントニオ・ラスムセン。」
アンデルセンがそうである様に、ラスムセンと言う名字もよくある物だった。
「アントニオ!わぁ、良い名前ね。マリアにアントニオ!ふふふ。自分の名前が良いかもって思ったのは初めてよ。」
「何でだ?」
「私の誕生日、3月25日なの。」
彼女の言葉で彼はマリア・アヌンツィアータと言う名前が付けられた理由を知った。そして苦笑いを浮かべた。確かにそんな理由で名前を付けて欲しくはないなと心の中で思い、なんて慰めようかと頭の片隅で考えた。マリアは必死にこちらを見上げながら尋ねた。
「アントニオはこんな所で、こんな時間に何しているの?」
「ただの散歩だ。お前は?」
「マリア!」
お前と言われたのが余程気に入らなかったのだろう。ぷくりと頬を膨らませて彼女はこちらを見上げている。そんな年相応の反応に笑みを浮かべて、目線を合わせるようにしゃがんだ。
「マリアは、何をしてるんだ?」
「マリアはね、かくれんぼだよ。」
「かくれんぼ?」
「そう。マリアはね、ルチアを探しているの。」
ルチア。そんな名前の女はこの村にはいなかった。ならば、何かの動物でも買っているのだろうか。そんな事を考えて彼は自身の下らない思考を否定した。人間の遊びに付き合えるような動物は存在しない。犬だって出来て追いかけっこだ。かくれんぼなんて出来やしない。
「でもね、ルチアは隠れるの上手なの。マリアにはね、荷が重いんだよ。」
「難しい言葉知ってるんだな。」
たどたどしい口調で言う彼女は年齢に見合わない言葉を呟いた。大きな月が空に浮かび上がり、風が音を立てて新緑の葉を揺らす。病的に白い目の前の少女が月明かりに照らされる。そんな少女は一瞬して体を傾けた。聞きなれた破裂音が彼女の腹部の皮膚をねじ切り空洞を作る。
ドサっと音を立てて彼女の体は地面に崩れ落ちる。
気が付けば、夏の景色は冬の景色に変わる。倒れた少女からあふれ出す血液。気が付けば自身が握っている猟銃。温かな血液は体から零れだし、そこから微かに湯気がたっている。持っていた銃からは自身がそれを撃った事を思い知れと言わんばかりに煙が一つ揺らめいている。嗅ぎなれてしまっていた硝煙の臭い。動物の体からあふれ出す血の臭い。嗅ぎなれていたはずの臭いが酷く、吐き気のするものへと変わった。
そんな景色がふと暗くなった。人の手が彼の目を塞いだのだ。
「忘れるな。誰も彼もがこの事を忘れて。神がお前を赦してこの事を忘れてしまっても…。
怒気を含んだその声に彼は何処か安息を得た。許さる事は無い。その苦渋を舐め続ける事が罰を与えられなかった彼の償いだった。
いや、償いになどなっていない事を彼は知った。
「俺はそんな事の為に一緒に居られるのは嫌だね。」
先程、彼はその言葉を聞いた。場面はかわり、目の前には彼の隊長。先ほどの食堂だ。隊長は、不快だと言わんばかりの表情で彼を見下ろしている。
「何故ですか?私は彼女の全てを奪ったのです。家族も、時間も、何もかもを。」
彼は訴えた。テーブルを叩き、立ち上がる。
「そう思うのなら、もう関わってやるな。お前は、その子に罰せられるのを望んでいるようだが…。10歳の少女にそんなことをさせるな。そんな幼い子に人殺しの罪を背負わせるつもりか。」
彼はきっと酷い顔をしていた事だろう。上司の顔が酷く歪む。
「お前が銃を撃てない理由は分かった。間違いは誰にでもあるもんだ。だがな、それを隠す事は裏切りだ。お前は彼女に落胆してほしいようだが…。彼女はきっと貴女を赦すでしょうね。」
上司はいつの間にかあの時の女になっていた。
「ルチア、か…?」
「ふふ、自己紹介をするのは初めてだったかしら。私はハンス・クリスチャン・アンデルセンの異能力よって作られた、異能力生命体、のような物。」
優雅にふわりとスカートの端を掴み、お辞儀をする女。20代前半で黒い小さな帽子をちょこんと頭に乗せ、そこから垂れるレースがとじられた右目を隠す。マリアと同じ髪色のそれは長く、立っている食堂の床に広がる。170㎝あるかないかの身長の彼女はヒールを履いている為、さらに大きく見える。
「今はマリアが私を生かし続けている。」
彼女は椅子を引いて彼の前に座った。二コリを笑みを浮かべる女は確かに昔箒を振り回していた女と同一人物だ。
「そして貴方を生かし続けている。」
「どういう、意味だ?」
「マリアはきちんと貴方に罰を与えているという話よ。まぁ、座りなさい。」
彼女の言葉に彼は大人しく従った。彼女は何処から出したか分からない生クリームのたっぷり乗ったイチゴパフェにスプーンを刺し、それを掬い食べた。30センチ程あるグラスの中にはたっぷりの甘味が詰まっていて彼女はそれを食べる。
「貴方はマリアから生を奪った。これから生きる時間を奪った。そしてその事が、アンデルセンという家に悲劇を起こした。」
マリアの母がどうして居なくなってしまったのか、マリアの父がどうしてあんなに年をとっていたのか。
彼は泣きそうな顔で少女と同じ顔の女を見詰める。
「だから、マリアは貴女が不運なだけの事故で死んでしまわない様に私を貴方の中に埋め込んだ。私はね、お前が死んでしまわない様に守るのが役目んだよ。お前は死ねない。自殺なんてもってのほかだ。お前はお前自身の罪悪感に苛まれながらその一生を静かに終える。それが、お前に与えられた罰だよ。と、認識していればいいんじゃないかしら。」
「……。」
「神は赦すだけ。許さないのは人間だもの。貴方がどれ程望もうと私達には、貴方を裁く術を持ってないの。だから、勝手に背負って、勝手に傷つけ。」
彼女はパクパクとパフェを食べながら軽い口調で話す。興味の無い事柄だと言わんばかりに、笑みを浮かべて何処か楽しげに話した。だけれど、彼は何処か感じていた。
「済まなかった。」
そう言うと今度は彼女が眉を顰めて、苦しそうな顔をした。今となっては、全てを思いだした今となっては…。
「お前は、自己紹介を間違っているよ。」
「なら、何処が違うのか教えて欲しいわ。」
「《恋に溺れ、現実に苦悩し、愛に狂え》だったか?アンタは、
彼女は、空になったグラスの中にスプーンを放った。それから笑みを浮かべる。先程の様なものでは無い。ただ、何かを懐かしむ様な笑みだった。
「あの人は、物語の中を生きている人だった。あの人にとって現実は動かない絵画のように退屈だったのでしょうね。」
「俺は、そうは見えなかったけどな。俺があの人と話した時間はとても少ない物だ。でも、あの人は…。自分を愛さない代わりに、他人を深く愛していたと思うよ。」
「ムカつくわ。私よりあの人の事を理解しているとでも言いたいの?」
「まさか、俺みたいなのが完璧に他人を理解出来るわけがない。」
誰もが他人の中に他人を作り、押し付け合っているこの世界。初対面で作り上げられた第一印象を完全に払拭することがまずないこの世界で、自分を知ることさえ難しいのだ。人はどんな時でも着飾り、見栄を張る物だから。
「俺は、生きる事を願われたんだな。」
「えぇ、貴方は生きて貴方の幸せを掴む事を願われた。貴方は?」
彼女は見え無い瞳を開いて問いかけた。真っ暗な深淵がこちらを見詰めている。深淵を覗いていないのに、そちらから覗いてこられたらどう対処すればよいのだろうか。彼はそんな理不尽な状況に苦笑いを浮かべた。
「貴方には、何か願い事は無いの?」
「俺か?無いな。」
彼は少し思案した後、首を横に降る。
「無いの?一つも?」
「あぁ、夢はある。でも、願いは無いな。」
彼は立ち上がった。その顔はマリアと会っている時の様な楽しそうな、未来に希望を持っている表情だった。
「なぁ、俺は医者になりたい。それがどうしてか、すっかり忘れてた。最初は動物の死に際を見て、どうしようもなく怖くなったから。動物の医者になりたいのかと思った。でも、俺は人間の医者になりたかったんだ。」
先天性色素欠乏症。あれは遺伝子の突然変異によって起こる物だ。決して、治る事無い病気。夜の世界しか生きられないその身を持って生まれた。そしてその病弱な生命を、彼は一度手に掛けた。
「それが、君の本当の幸せかい?良く考えると良い。それが幸せだと思わなければならないと、そう思って隣にいられる人間の気持ちを。ねぇ、アントニオ。本当に大切なのはね、その感情にしがみ付く事じゃない。その感情が自分にとってどれほど大切なのか、だよ。君は自由にしていい。そう願われたのだから。」
ただ、そうだね。君達はもう、普通の関係を築けないんだろうね。
小さく呟いたその言葉が心臓を撃ち抜かれたように、血液を凍りつかせる。殺された方と殺した方。殺された方はその事を忘れてしまっているが、殺した方はその事を酷く悔いている。もしかしたら、隊長の言った通りにもう会わない方が良いのかもしれない。
肥大した自我が他人の為と言い、誠実心を怠惰が喰らい尽くす。
「生き辛い、世の中だ。」
酷い夢を見た。否、酷くはない。ただ、穏やかでは無い夢だった。心労が溜まったような感覚だ。酷く疲れた体は起き上がることを拒絶する。
寝汗でぐっしょりと濡れたシャツを掴む。吐き出す息は全てため息となり、約90%が真空で出来ている気体の中に混ざり合う。
「大丈夫か?」
隣から聞こえてきた声に、俺はその方を向いた。珍しく朝から瞳をしっかりと開いたベルナルドがこちらを見ている。
「あぁ、何ともない。ただ、夢見が悪かっただけだ。」
「そうか、珍しく寝言言ってたぞ。」
「悪かったな、起こして。」
「いや、いい。恥ずかしい話、あんまり寝るような気分じゃなくてな。ずっと起きてたんだ。」
そうか、と少し弱々しい声で返事を返した。
「お前、寝てろよ。今日は俺が起こしてやるよ。」
「それは、何とも頼りない。」
「お前なぁ…。」
「でも、大丈夫だよ。俺ももう寝れるような気分じゃない。」
勢いをつけて起き上がり、白んだ空が窓から見えた。
「私は赦さない、か。」
「どうした?」
「何でもない。」
着替えを持って脱衣所に入る。そして鏡に映る自分の顔をなぞる。ルチアは赦さないと言った。それもそうだろうと、アントニオは思った。ルチアはきっとハンス・クリスチャン・アンデルセンに恋して、愛して、現実を見ていたのだろう。
「全く、人間よりも人間らしい。そんで俺達は人間不合格、か。とんだお笑い種だ。」
お疲れ様でした。
24話目にして漸く主人公の本名発覚。
長い。長かった。でもこれで心置きなく、マリアと呼べます。
今回の話はキリスト教の知識がなくては少し理解しにくい場面があったのでその補足をします。
※今回から主人公の事をマリアと言います。
まず、マリアが自身の名前を好きでは無いと言っていた理由についてですが、誕生日の3月25日と言うのは聖母マリアが天使ガブリエルから受胎告知を受けた日です。
『マリア・アヌンツィアータ』と言うのは『お告げのマリア様』と言う意味があります。
これを分かりやすく日本人感覚で例えると
キラキラネームではありませんが、子供としてはもう少しなかったの?と言いたくなる感じですね。
マリアとアントニオの名前の関係についてです。
基本的に欧州、キリスト教徒の名付けと言うのは聖人の名前や聖書に出て来る人物の名前を付けるようです。
小説ですでに登場した(本名は名乗ってませんが)フョードル・ドストエフスキーのフョードルとは、ロシア正教会の聖人フョードル1世から取られていると思われます。
アントニオの名前の由来は、聖人パドヴァのアントニオで絵画では幼子のキリストを抱いた姿がしばしば描かれます。
キリストを生んだマリアとキリストを抱き上げているアントニオ。
二人の名前にはこんな背景があります。