一日遅れてしまって申し訳ありません。
第一話 待ち合わせ場所
心地よい春の風が吹き抜けた。すっかり忘れてしまっていたアスファルトの固さを思い出しながら、俺は始めて訪れた日本と言う国を楽しんでいた。
戦争が終わって二年目の4月初旬。俺はヨコハマの大きな公園に咲く桜を見上げた。
「行こう、マリア。」
すっかり定着したマリアと言う本名。何故彼女がマリアと呼ばれる事を嫌がったのか、俺は知らない。彼女がその事について話すことはなかった。いや、ただ聞かなかっただけなのかもしれない。俺達にとって恐ろしい事は、彼女がいなくなってしまう事だ。
機嫌を損ねない様に、と。そんな事を考えている。
「これは地図だ。」
大きな本の表紙には、日本列島が描かれている。そしてそのヨコハマのページに、バツ印が描かれている。
「今からここに向かう。俺達がいるのは、この公園だ。」
地図の上を指でなぞる。それを彼女はじっと見つめる。真剣な表情で見つめる地図を彼女に渡した。
「案内してくれるか?」
「はい、分かりました。」
地図をしばらく見つめた後、彼女は歩き出した。俺はそれにただついて行った。
歩く彼女について行く。偶には観光も良いか、と横浜の街中を歩いた。小綺麗な服を着た人が町の中を歩いている。俺は本通りから外れた道に入った。金色の髪と言うのは何だかんだで、この国ではとても目立つ。外国人の人もいるらしいが、それでもやはり髪の黒い人が多い。だからこそ、少しだけ物珍しい物を見るように視線を向けてしまう。
「よう、兄ちゃん。」
明らかに柄の悪い青年が話しかけてきた。日本語を習って半年。何とか日常会話が出来るようになった俺に一体何を聞こうと言うのか。スラム街のようなあまり治安の良くなさそうなその場所で話しかけてきた青年。小柄で痩せている。身長が190㎝程まで伸びてしまった俺は青年たちを見下ろした。
「こんな路地裏で何やってんだ?」
「ここは観光するにはちっとばかし、悪いところだぜ?」
さて、ニヤニヤと笑みを浮かべながら彼らが何を言っているのかあまりわからないが、恐らくはここはお前のような奴のいる場所じゃない、と言われているのだろう。縄張り意識、のようなものなのか。日本にギャングがあるのか知らないが、恐らくはカラーギャングのようなものなのだろう。
子供というのは、どうも目立つ事がしたくてダメだ。
「ゴメンナサイ。ワタシ、ニホンゴワカンナイ。」
と、適当にあしらっておくことにした。向かってくるなら腕の一本追ってしまえばいい。そうしたら、この場は逃げられる。そんな事を考えていた。視線を感じた。振り返るとそこには一緒に日本に来ていたマリアが立っていた。彼女も牧師様の地獄のレッスンを何故か受けていたのだが、何故隠れているのか。彼女の姿は、彼女がそう望まない限り、誰にも見られないと言うのに。
「アァ、ソレジャア、オレイクネ。」
会話につていはある程度申し分ないのだが、どうにも発音が上手くない。自己嫌悪をしていると、一人の男が向かって来ていた。それもそうだろう。行き成り後ろを向いて何処かに行こうとしているカモを放って置くなんてしないだろう。
最近の若いのは勇気があるのだな、とそんな事を思う。それか無謀であるだけなのか。身長差が20㎝以上ある人間対して向かってくるんだもんな。向かってくる彼らの腕を掴み、捻じ伏せる。その時、パキッと少し重い音がした。心の中で申し訳ないと思いながら俺は彼らを宙に投げた。男達は体を地面に叩きつけられ、目を回していた。
「今どこに居るんだ?」
俺は彼女に尋ねた。カツカツとブーツが音を立ててこちらに向かってくる。地図を開き、彼女はそれと睨めっこしながらこちらに向かってくる。そして俺の方を見て首を傾げる。
「多分、ここ?」
「……。」
首を傾げて地図を指さす少女、俺はがっくりと肩を落とした。外と言う特殊な環境にさらされない彼女にとって地図と言う物でさえ目新しい物だった。だからこそ、彼女に地図を渡しモリオウガイという医者の元へ案内してもらっていたはずだったのだ。しかし、彼女にとって地図は物珍しい模様の描かれた紙でしかなかったようだ。
もう少し地図について説明しておくべきだったか。
何かに抉られた様なこの場所の中核に立っている俺達。小さく溜息を吐き出し、取り敢えずこの場所の上まで登ろうと思った。少なくともここでは無い、もう少し治安の良い場所の警察官に尋ねよう。ここに居る奴らは決して好意的には答えてくれないだろう。
取り敢えず、空港にでも戻ろう。そこで道を聞こう。今度はもう一枚地図を貰って俺がマリアを連れて行こう。
「行こう。」
「何処に行くの?」
「一端戻ろう。俺達の居場所が分からないのは困るからな。」
「そうね、分かる場所まで戻りましょう。」
彼女に何も言わずついて来た俺も問題だった。彼女のだけを責めることは出来ない。だが、少しかこの状況に危機感を持ってもらわなければ困る。
「これが地図だって教えたよな。」
「ええ、聞きました。」
「印だって付いてるだろ?」
「ええ、付いてますよ。でも、印が動かないんですもの。これ、どれ程の縮尺で書かれているのですか?」
彼女の言葉に俺は膝をつきかけた。中途半端な知識が逆に俺たちを迷わせたようだ。
「その印は動かない。」
「え? でも、ヨーゼフが最近の地図は目的地まで案内をしてくれると言っていました。」
「その地図は動かないんだ。」
最近の知識はもっぱら彼のよる物だった。元々外と交流する気の無い彼らにとっては、外の技術がどれ程進んでいるのかなんて興味の無い事柄なのだろう。それでも、マリアは外に魅かれるお年頃らしい。ヨーゼフから外の事をよく聞いていた。一度だけ飛行機で日本に訪れたらしいが、その時も外の景色にべったりだったと牧師様は語っていた。
今回の事に牧師様もついて行く気だったようだけれど、予定が合わずお留守番だ。
がっくりと肩を落とすマリアは地図を閉じて、俺にただついて来た。
「それにしても、ローエンを説得するのは大変でしたね。」
ただ歩く事に飽きたのか、そう話題を振ってきた。ローエンと言うのは俺の父親の名前だ。熊を彷彿とさせるその容姿から子供達の間では、グリズリーと呼ばれている。
本人は嫌がっているけれど。
厳つい顔に髭の濃さ見相まってそう見えてしまうのだ。
そのローエンは最後まで俺が日本に行くのを反対していた。彼が日本行きに反対していた理由はまあ想像できるのだが。それでも恐ろしいほど喧嘩をした。誰かとここまで向き合ったのは、初めてかもしれない。今回も、前回も。ただ、仲直りと言う物が出来たのか、納得させられたのか、と問われれば俺にはわからない。何故か、分からないのだ。そう言う経験が無いから。
「怒っているのですか?」
何について、とはいなかった。ただ俺を見上げる青紫色の瞳に多少の罪悪感を感じながら、俺は首を横に振った。申し訳なさが残る。
「いや、怒ってないさ。本来、こう言うもんなんだろ、親子って。俺らにゃ、正しい親子関係なんて分からない。」
「そう、ですか…。」
「それにしても、案外日本も治安の悪い所なんだな。」
先程の青年たちを見て俺はそう感想を告げた。俺の言葉に彼女もそうですね、と答えた。
「恐らく、牙を奪われる機会がなかったからじゃないでしょうか。」
戦争に参加していたとはいえ、戦勝国となったこの国はやり直す機会を失った。振り返る暇を無くし、ただ歩き続けるしかなくなったのだ。過去の悲惨さなど、目もくれず。
「戦いの為に牙を研いだ。でも、それを披露する機会に恵まれなかった犬は高ぶった感情を抑える術を持ちえない。」
最近、思う事がある。マリアの事についてだ。戦争に行く前の彼女は、人として生きていた。透明になっても彼女は人間への憧れを捨てる事は無かった。それがどうだろうか、帰ってきてから彼女は自分が
「犬は猫と違って群れる生き物ですからね。集まって、同調して。」
俺にはその言葉にまだ憧れがある様に聞こえた。集まって、同調したいとそう願って欲しいと言う、身勝手な願望だったのかもしれない。
表に戻ってきた。俺は改めて辺りを観察する。昼間ではあるが、平日という事もあるのだろうか。紳士服を中年の男性が良く目に着く。
前回、俺は学生生活を謳歌する事は無かった。そんな余裕はなかったし、それが一番だとも思わなかった。今回だって目的はそれじゃない。楽しむ事についてそこまで興味が無いのだ。損な性格なのだろう。
「待ち合わせ場所は、確か大学病院だったか?」
「うん、そうだよ。学会? があるから、そこで待ち合わせって言ってた。」
「目印は相変わらず動かないか?」
そう尋ねると少しムスッとした表情でこちらを見上げる。その様子に笑みを浮かべると、彼女は更に不機嫌になる。
「動きませんよ。」
明らかに不機嫌な声音で返って来る返事。来た道をきちんと戻れば、あの桜の咲く公園へと戻ってきた。彼女はやはりそこがお気に入りの様だ。桃色の花をじっと見つめる。元の位置にさえ戻れば、迷う事は無い。
「マリア、地図を見せてくれ。」
「はい、どうぞ。」
地図をさっと確認し、彼女を急かす。何時までも桜を見ていたそうな彼女だが、そう言っていられないのだ。森鴎外との約束の時間は大分迫っていた。途中の寄り道が何より長かったからだ。俺達は先ほど使わなかったバスを使い、その大学病院へと向かった。バスと言う物を始めて乗った彼女は大はしゃぎだ。誰にも見えず、誰にも聞こえないからこそ、彼女は踊る様にその小さな箱を満喫していた。一番後ろの席で、その様子を見ていた。
戦争に行く前から切られていないだろう髪を靡かせて、彼女は笑っていた。
「楽しそうだなぁ。」
「ねぇ、アンタ! 人様の迷惑になるようなことしちゃダメだよ。」
バス停でバスが一時停止し、乗り込んでくる乗客の一番最後。あろうことか、
俺はため息をついた。バスのフロントガラスにべったりと張り付いたマリアに話しかける少女。少し悪い事をした気になってしまう。奇異なものを見るような視線が彼女に送られている。仕方ないのだ。彼女は外に自身を見ることの出来る人間などいないように振舞う。
滅多にいない訳だが。
欧州の水兵を彷彿とさせる服を着ている彼女。あれは所謂セーラー服という奴なのだろう。日本では学校の制服として用いられる事があると牧師様が言っていた。膝丈まであるスカートをヒラヒラさせながら彼女はマリアの腕を掴もうと手を伸ばした。停車したままのバスの中、俺は彼女の手を引いた。
「え、ちょっと!」
一番後ろの席に座っていた俺は、そのまま少女と一緒に着席する。
「何するんだい!」
「ダメデス。」
「何が、」
「カノジョハゴーストデス。ミンナ、ミエナイ。」
恐らく正しいと思われる日本語で彼女に話した。そうすると彼女は少しだけ冷静になったらしい誰も彼もがこちらをチラチラと見るが、彼女の方を見る事は無い。そこに誰もいないように、皆がそう振舞っている。
「知り合い、なの?」
「シ……?」
「えっと、フレンド?」
フレンド、その言葉について暫く考えた。そして日本語では無く、英語だという事が分かればその先は早かった。
「アア。」
ただ、俺達の関係が友人であるかどうか、と聞かれれば違うと答えるだろう。でも、俺には彼女に友人以外に伝える言葉を知らない。伝えるつもりも無い。一期一会とは言うが、もう会う事が無いだろう人間に何かを伝える事も無いだろう。
しかし、俺はきっと日本語が達者であったならこの少女に一言伝えただろう。
「運が無いな。」
実際、このバスに乗り合わせた人間は運が無い。このバスは誰が何というと大学病院に向かう。どんな方法を用いられるかなんて、俺に知るすべはない。況してや、その状況を作り上げるだろう彼女だって分かっていないだろう。彼女の異能力はそう言う物では無いから。
それにしても、マリアはもう少し貨幣の価値を知るべきだと思う。彼女にとって貨幣とは、外と同じ様に物を回すためのお遊びのような物なのだ。実際、あの村に貨幣がある意味は皆無に等しい。外で一度生きた経験のある俺達は良いが、あの村で生まれ育ったマリアにとっては外との価値観の違いを知らなすぎる。
ズシンッとバスは大きく揺れる。バスの中央には、どうしてこのタイミングで落ちて来るのか、と言いたくなるような物が突き刺さっている。
赤みが掛かった色に塗装されたH型の鉄骨が突き刺さり、疑似的なブレーキの役割を果たした。さて一体どれほどの高さから落ちてくれば、バスの天井と床を突き抜けて地面に刺さるのだろうか。そしていきなりかかった摩擦によって乗客の体宙に浮く。
俺は咄嗟に隣に座っていた少女の手を掴み座席の下に隠れた。この後起きるであろうアトラクションに溜息を吐きたい気分だ。
運転手の判断がいけなかった。運転手の後方で起こった事を確認する前に彼は咄嗟にブレーキとハンドルを切ったのだ。お蔭様で不安定な鉄骨を中心に慣性の法則が働いた。バスの中はミキサーの中身の様に色々な物が遠心力に引っ張られる。
しかし、鉄骨がバスの重量を支えられる筈も無く4分の3回転で折れてしまった。そうなれば、回転力に身を任せバスは歩道に突っ込む。電柱をなぎ倒し、街路樹をへし折る。そして工事現場に突っ込んで、漸くバスは止まる。油の臭いが辺り漂う。
横転したバスの中で体を起す。自分の腕の中にいる少女に目をむければ、目を回していた。
「大丈夫ですか? それにしても、凄かったですね!」
こんな人がダラダラと血を流している状況で飛び跳ねていられるのはお前位だよ。
口にこそ出さなかった物の、いい加減約束だった遊園地に連れて行ってやらなければと思う。
そしてやはり彼女は、お金の価値と言う物を理解していない。バス一台に乗っていた乗客への補償金、電柱に街路樹、道路の補修費。その他諸々をこの事故を起こすきっかけとなった建設会社は支払わなければならなくなるだろう。総金額を考えただけで頭が痛くなる。事故で済ませられる程、被害者の感情は穏やかでは無いだろう。
「大丈夫ですか!?」
外から掛けられた声に俺はその方を見る。緑がかった作業服を着た人がこちらを見降ろしたいる。バスが止まった事で防衛態勢に入っていた人達が痛い、痛いと言い始める。女の甲高い泣き叫ぶ声に少女は目を覚ます。
ただ、これで終わりでは無いだろう。大学病院に運ばれるほどの大怪我を恐らく負わされるのだろう。
「今、救急車呼んでるんで!」
マリアはずっと、バスの後方を見ていた。まさか、と思った。しかし、それを確かめるより前に俺は少女の体を強く抱きしめた。背中に感じた激しい痛みを回避する為に、意識は底無しの沼に沈められた。
炎の中にただ一人立っているマリアは羨ましそうに人間を見ていた。
モリオウガイに頼もう。
二度と待ち合わせ場所に病院を指定しないでほしい、と。
命の保証があるとはいえ、こんな体験は懲り懲りだ。
お疲れ様でした。
まずは、UAが5000を突破してました。
ありがとうございます。
漸く、村人の一人がヨコハマに住む事になりました。
これで原作キャラと出会う確率がグンっとあがりました。
兎は嬉しい限りです。