人生の価値とは、所詮その程度の物。   作:兎一号

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第四話 誰かの不幸は誰かの幸福。

 その日、私が可笑しいと気付くのに時間はかからなかった。朝、目が覚めるとまずいつもと違ったのは、朝特有の骨身に堪えるような寒さが襲って来なかったという事だ。いつもなら、ベッドから出る事が嫌になるほどの寒さを今日は感じなかった。

 

 それからいつもの様に暖炉の火を起こした。その火の暖かさも何も感じなかった。私は家を飛び出した。

 

 別に必要な事では無い。ただ、子供達に追い掛け回される事は、少なくとも子供達の中では私と言う存在が認められてるということになる。ある意味で、私は依存しているのだと思う。

 

 しかし、どうだろうか。今日の子供達は私の横を素通りしていったのだ。

 

 私はそんな子供たちの後ろ姿を見詰めるしか出来なかった。名前も知らないあの子供達に、私は声をかけられなかった。何故か伸ばしてしまった手を私は下ろせずにいた。

 

 私は道の真ん中で、立ち呆けていた。こんなはずでは無かったと思った。いつもの様な日常が繰り広げられるはずだったのだ、と。私はいつまでも伸ばしていた手をそっと下ろした。目の前から男が歩いて来た。私に気付く様子は全くなく、仕方ないから私が道を譲った。

 

 こんな田舎の村だ。今は戦時中。車よりも一世紀前の馬車がまだ道路を走るような田舎の村だ。そんな村に今日という日に限って車が道路を通った。

 

 私の存在など運転手には見えていないように一切の減速なく、私の前に迫っていた。私はじっとそれを見つめていた。

 

「……!」

 

 誰かが私の名前を呼んだ気がした。しかし、車は私をすり抜けて走っていった。私の体に欠損はないし、着ている服にも何一つ傷は付いていなかった。体をペタペタと触ってみた。やはり、何も変わらなかった。

 

 私は恐ろしくなってその場から走り去った。そこでやはりおかしいと思った。誰一人、私にぶつかることなく私をすり抜けていった。衝撃は感じられず、圧迫感さえなかった。

 

 

 風を切って走っているのに体は寒さを感じない。それでも息は上がる。

 

 

 私は、家に帰った。でも、そこで可笑しいと気が付いた。私は、ドアを開けてない。ドアをすり抜けて、家の中に入った。私はどうやって家から出たのか、分からない。本当に気が動転していた。最早、正しい事なんて分からなかった。手を見詰めても、その手は透けている訳では無い。テーブルの上にあった老人から借りた本を掴もうとした。しかし、その手は空を掴んだ。

 

「なんで…。」

 

 口から出た言葉は疑問だった。そんな言葉は答えを持っている者にしか意味が無いというのに。

 

 思いっきり叩こうとした机。しかし、手はすり抜けて勢いそのままに振り下ろしただけになった手をじっと見つめるしかない。私は家から飛び出した。

 

 

 走って、走って、たどり着いたのはあの池だった。吐き出す息は白いのに、私はやはり寒さを感じない。

 

 

 私は着ていた外套(コート)を脱いだ。本当なら、氷点下を下回る今、普通の服だけで歩いれば寒くて寒くてたまらない筈なのにそんな辛さは一切感じない。

 

 履いていた靴を脱いだ。本当なら足が悴んで地面に立っている感覚さえなくなる筈なのに、私の足は確かに雪のじゃりじゃりとした感触をしっかりと感じ取っていた。

 

 やはり、この体は冷たさを感じることはなかった。膝から崩れ落ちて、私は雪の上に座った。そっと雪を掬い上げた。私の手に触れているのに、その体温で溶けることがない雪。その六角形の形を崩すことなく、私の手の上にあり続ける雪を、私は地面にたたきつけた。

 

 

 私はその日、とうとう世界から拒絶された。

 

 

 あぁ、誰か嘘だと言って。

 あぁ、誰か夢だと言って。

 

 

 とても心が苦しい。呼吸の仕方など忘れてしまったかのようだ。

 

 どうして?と、思考が一向に進まない。この状況を受け入れることを拒み続ける私の頭。頬を抓ってみると、どうしてかこればかりは痛かった。痛くて、痛くて、泣いてしまいそうだった。

 

 

―――人の中で独りで生きるよりは、独りの中で一人で生きた方が気が楽だ。

 

 

 私の中であの男がそう告げた。私はフラフラと歩き、水面を見詰めた。

 

 あぁ、こんなに苦しいのは、ここがきっと水の中なのだ。水の中で溺れているんだ。このままだと溺れ死んでしまう。早く、ここからでなければ。はやく、出なくては。

 

 

 私は素足で池の上に立った。私の体はすぐに水面を通過していった。昨日は気温が高めだったためか水面に張った氷は薄くなっていたらしい。

 

 あぁ、ほら。こちらの方が苦しくない。

 

 求めなければいけないはずの水面はだんだん遠ざかっていく。形式的に伸ばされた手はやはり何かをつかむ気力さえ残っていない。

 

 次第に沈んでいく私の体に重力という物理的現象は私を拒絶していないのだな、なんて見当はずれなことを考えていた。この前、池に落ちた時とは違い、今日は清々しいほどの晴天だった。キラキラと水面から降り注ぐ太陽の光がとても美しいと思った。

 

―――お前には、空の青が似合う。

 

 アントニオは私にそう言った。でも、私は、

 

 

 私は空のような青色が似合うと思った事は無い。

 私は水のような青色が似合うと思った事は無い。

 

 私に一番似合う色は白だと思っていた。自分が無い、個性が無い、白がお似合いだとそう思っていた。

 

 いや、それ白に失礼か。私はきっと空気のような透明がお似合いだ。

 

 

 私はただ、地に足をつけて歩き回ることしかできない人間でよかった。何一つ、特別なものなどいらなかった。

 

 あぁ、我らが父よ。

 

 私はもう、人間でいられないというのですか?

 私はもう、人ですらないというのですか?

 

 

 神よ、もしいらっしゃるのなら…。

 どうか、私の願いを聞いてください。

 私のことを疎むというのなら、貴方のその御心を尊重しましょう。

 私のことを認めないというのなら、貴方のその心情を察しましょう。

 

 もし、私の声が聞こえているのなら。

 まだ、私と言う物に振り分ける幸せが残っているのなら、その幸せを誰かに渡してください。

 

 その幸福で別の幸せでない誰かを幸せにしてあげてください。

 報われるべき努力に、どうかほんの少しでいいから。努力以上の幸福を齎して下さい。

 

 私はそれだけで幸せです。それだけで、私は幸福です。

 

 人は背負った不幸の分だけ、幸せになれる。

 

 だから、私の不幸せを、誰かの幸せに…。

 

 それこそが、私の幸せです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖誕祭(クリスマス)だった昨日とは違い、今日は穏やかな一日が始まると思っていた。昨日、牧師を訪ねてきた男のことなど、頭の片隅追いやられていた。

 

 しかし、穏やかで始まり穏やかで終わる筈だった日常は一人の青年が尋ねてきた事で一挙に崩れ去った。一人の青年が、一人の少女を抱えてきた。青年は血相を変え、牧師に詰め寄った。抱えられた少女を見るまでその存在が、頭の中からすっぽりと抜け落ちていたことに気が付いた。

 

「牧師様!もう、牧師様だけが頼りなのです!彼女は、此奴は、俺の腕の中にいますよね。俺は何も間違っていませんよね!?」

 

 救われたはずの少女より、救ったはずの青年の方が救ってくれと言わんばかりの形相で私に縋ってきた。この季節に海水浴に行ってきたようにアントニオの着る外套(コート)は水を吸ってグッショリしている。少女の方は、外套(コート)さえ羽織っておらず、靴もどこに置いてきたのか履いていない。

 

「えぇ、大丈夫。彼女は、あなたの腕の中にいますよ。アントニオ、治療は?」

「ちゃんとやりました。水も全部吐き出させたし、呼吸も落ち着いてる。大丈夫だと思います。」

「そうですか。さぁ、中に入りなさい。貴方も彼女も体を温めなければ風邪をひいてしまいます。」

 

 アントニオには軍人としての国からの招集命令が届いている。年が明ければ、彼は軍人としてこの村を離れなければならない。そんな中で風邪をひいてしまうわけにはいかない。彼らを自室に迎え入れ、そしてアントニオを暖炉の前まで誘導した。着ていた服を脱がし、彼に毛布を掛けてやる。

 

 さて、問題は彼女の方だ。10にも満たない少女とはいえ、女性は女性。神に仕えている身としては修道女(シスター)に頼むのがいいのだが、アントニオの様子から彼女は一般人には見つけてもらえない体質となったようだ。

 

 

 仕方がない。

 

 

 決心し、彼女の服を脱がせていく。彼女の体は新雪のように一切のくすみの無い白色の肌が顕わになっていく。

 

「此奴はどうして、誰にも見えなくなったんですか?」

 

 彼女の体をふいていた私に彼はそうたずねてきた。

 

「見えなくなったというのは、どういうことなのですか?」

「えっと、誰も、此奴のこと見えてない風だったんです。そりゃ、此奴のこと村の子供とかいじめてたみたいだけど…。今日は誰一人として、あいつに目を向けなかった。まるで、そこに何もいないみたいに。本当に見えてないみたいに。それに車が此奴を擦りぬけていったんです。」

「私には彼女の姿はきちんと見えていますからね。しかし、それは今日突然起こったこと、というならば何か原因があるはずです。昨日、聖誕祭(クリスマス)で彼女に何か変わった様子はありましたか?」

「いえ、特に…。俺にはわかりません。昨日は30分ほどしか一緒に居なかったから。」

 

 申し訳なさそうに俯いたアントニオを見て、もう一度彼女の方へ目を向けた。とりあえず、彼女の服は自分のを着せればよいか。

 

 

 全く、珍しくあの男が訪ねてきたかと思えばこれだ。本当に彼は狂っているのだろうな。

 

 

 聖誕祭(クリスマス)の日。珍しく訪ねてきた男は、珍しく『話がある』と言って一つの願いを語った。彼の人生の価値を語った。その価値は、その男にしか理解できないものだった。しかし、誰が止めようとあの男はこれを行っただろう。目の前の少女を不幸にしたことだろう。

 

「アントニオ、世の中には少なからず学問では到底証明不可能な現象が存在するんです。」

 

 牧師の言葉にアントニオは驚きの表情を隠せなかった。それから、彼はゆるゆると首を左右に振った。そして彼は立ち上がった。毛布をしっかりと掴んだまま、こちらに歩いてきた。

 

「牧師様は、此奴が、その学問では証明不可能な現象のせいで、こうなったと言いたいのですか?此奴は何一つ、悪いことをしていないのですよ?」

「アントニオ。これは天罰やらの類ではないのです。聖職者(私達)にだって、悪魔祓い(エクソシスト)にだって何もできやしない。」

 

 アントニオは言葉を失い、少女を見下ろした。牧師はまだ服を着せていない少女のために毛布を掛けた。少女の寝顔はあどけなく、決して苦痛に満ちてはいなかった。それでも、アントニオの言葉を思い出し牧師は彼女の苦痛を感じた。

 

「そんな…。治す方法とか、無いんですか?こいつ、折角助かったのに。」

「これは、例えるなら体質であり、個性です。彼女が彼女である以上、治る…、元に戻るということはないでしょう。絶対に。しかし、何か条件があるはずです。私と、貴方だけが彼女を見ることができる何かが。」

「それがわかれば、皆此奴を見れる…?」

「恐らくは。」

 

 牧師はそう言いながら、事実を言わなかった。牧師は知っていたのだ。彼女がどうして見えなくなったのかを。アントニオという青年は彼女が見えなくなった理由を絶対に納得しないとそう思っていたから。

 

 暖炉のチラチラと揺れる火に視線を向けた。牧師はあの男のことを思い出す。

 

 彼は彼女の不幸を望んだ。

 

 あの男の持論でいうならば、

 

 人は背負った不幸の分だけ、幸福になれる。だからこそ、人は不幸であるべきだ。最後に待っている幸福のために、人は生きればいい。なぜなら、人にとって幸福というのは死だけなのだから。

 

 だけれど、牧師は思う。そんなことはあの男の人生観でしかない。牧師が思うに、あの男は子供のころから成長していない。童心を忘れていない、と言ったら…。いや、それも全くフォローになっていないか。

 

 あの男は人に愛されなかったばかりに承認欲求がとても強い。あの男の人生は不幸で出来上がっている。だからこそ、あの持論を崩すことはないだろう。

 

 愛されたことのない男は、初めて自身だけを見る異能()を手に入れた。その女は決して男を愛することはなかったが、最初はそれでも良いと思っていた。思うことにしていた。しかし、男はそこで人間の欲深さを知った。

 

 牧師は男が殺した女を見たことがなかったが、それでもあの男の話を聞く限りその女の容姿は目の前の少女と酷似していた。白い髪も、青紫色の瞳も。

 

「此奴は、普通に出歩いて大丈夫なんですか?」

「と、言うと?」

「此奴、先天性なんとかって奴なんですよね。」

 

 彼が言いたいのは先天性色素欠乏症、アルビノなんて言ったりする。実際、彼女が父親と一緒に住んでいた時は、家から出た事が無かった。

 

「その事については、何ら問題はありません。彼女の病気の治療は済んでいます。」

「済んでいる?これって治る物なんですか?」

「治りませんよ、彼女の持病も治っている訳ではありません。誤魔化しているに過ぎない。」

「なら、どうして…。」

 

 アントニオの言葉に牧師は目を伏せた。そして彼女の父親が行った事を思い出した。

 

「アントニオ。幸福とは、不幸を背負って初めて手に入れられるものなのです。巷ではよく、幸福と不幸の量は同じだといいますが、それは当たり前の事なんです。不幸の量と同等の幸福を手に入れるのだから。」

「つまりどういう事なんですか?」

「彼女の持病を実質的に治すという幸福と誰にも認知されなくなる不幸。それが同じだけの重みなのか、私には分かりかねるのですが…。」

 

 牧師の言葉にアントニオは大きく目を見開いた。自身を包んでいた毛布を思わず落としてしまいそうになる。

 

「それは誰が…。いや、牧師様。彼女の父親は今どこに居るんですか?」

 

 アントニオの言葉は虚しく牧師の部屋の中に響いた。牧師は彼の言葉に答える事は無かった。

 

「此奴の両親は、何をしているんですか?」

 

 牧師は目を瞑り、ただ首を左右に振るだけだった。

 

「アントニオ。一つ覚えておくと良いでしょう。人一人の命を救うのに、それこそ人一人の命では足らない時もあるのですよ。」

 

 アントニオはその言葉に、今度こそ毛布を落とした。

 

「此奴は両親の事を何も覚えていないのは、どうしてですか?」

「アントニオ、あまり人の家庭事情に口を出すものではありませんよ。」

 

 その言葉にアントニオは口を閉ざした。

 

 しかし、アントニオは思った。これだけ彼女は、親に愛されていたのだと。

 

 それは、とても幸福で、とても不幸だ、と。

 




お疲れ様でした。

兎一号です。

書き溜めが少し増えてきたので、一日2話投稿をしてみました。

感想などお待ちしています。
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