人生の価値とは、所詮その程度の物。   作:兎一号

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終話 狂気に溺れる

「今日はどんな話をしてくれるのかしら?」

 

 決して大きくない部屋の中で机を挟んで男女が座っていた。女性は男性の持った厚い本を見て楽しそうに微笑みながら尋ねた。頬杖をついて、男の顔を見上げていた。男の方はムスッとした顔で、女を見下ろしていた。いや、この男の表情筋が壊れている事を女は知っていた。ムスッとしていてもこの男は自分と過ごすこの時間を大切にしている事を女は知っていた。

 

「みにくいアヒルの子。」

「みにくいアヒルの子?あらあら、それは何とも、可愛らしいお話を持って来てくれたのね。」

 

 男が手にしていたのはその顔に見合わない童謡だった。女は男が一体どんな気持ちでこの話を持ってきたのか分からなかった。だが、それを推し量ろうとしていた。

 

 男は生まれた時から特別だった。特別不幸だった。それこそ、この本の中に出て来る白鳥のように不運で不幸な男だった。女はそんな男を生まれた時から見てきた。

 

 女は男が発する声に耳を澄ませ、その言葉を頭の中でよく齟齬した。話を終え、男は本を閉じた。

 

「この話を聞いて、お前はどう思った。」

「どう?どうもこうも、良かったんじゃない?仲間のもとに帰れたのだから。本当の仲間に出会えたのだもの。それは幸せな事でしょう。」

 

 幸せ、か。と、男は女の言葉を復唱した。男は酷く詰まらないと言った表情で頬杖を付き、珈琲碗(コーヒーカップ)に口を付けた。男の表情に女は分からず首を傾げる。

 

「ならば、俺はお前と出会えたことは、幸せな事なのだろうな。」

 

 その言葉に女は何と返事を返そうか、思案していた。暫くその場は沈黙が支配した。男は目を瞑り、女は口を噤んだ。女が小さく息を吸った。その音で男は瞑っていた目を開いた。

 

「それは、どうかしらね。貴方の幸せも不幸せも、全て私が支配している。それは、幸せな事?」

 

 女の言葉に、男は少し呆けた。それから男は腹を抱えて笑った。その様子を見て女は面白くないと言った表情を浮かべた。頬を思いっきり膨らませ、男を見上げた。

 

「今日は随分と、笑わせてくれる。お前が、俺を支配している?バカを言うな。俺を支配しているのは俺だ。そしてお前を支配しているのは俺だ。だから、俺の幸せも不幸せも、俺が支配している。」

 

 その言葉を聞いた女はクスクスと笑みを浮かべ、男にぐっと近づいた。普段ならはしたないと怒られるのだが、今の男はそんな事は言わなかった。机に脚を乗せ、額をピッタリとくっ付け、男の頬を撫でた。

 

「だからこそ、お前の答えは気に喰わん。」

「ん?ちょっと。」

 

 男は立ち上がり女の顎を掴み、顔を上げさせた。男の目には女の顔が映っている。それはとても美しい女だった。その女の表情は発した言葉と違い、無表情だった。人形のような端正な顔立ちをした女は男の顔を見る。女は恐らく絶世の美女と言っても過言では無いだろう。一方で男は、決して綺麗な顔つきをしていなかった。

 

「お前は願いを言わん。心からの本心も言わん。俺は、お前の心が知りたい。」

 

 真剣な声で告げる男の声に女は少しふざけた様子で笑みを浮かべた。

 

「ふふふ、それは可笑しい。私に心などありはしない。私は貴方が異能で作り出したただのお喋り相手なのだから。思考できる頭があり、それを話す口がある。感情と言う物に対しての知識はあれど、理解は出来ない。」

「お前に感情を付与すると一体どんな風になるんだろうな?」

 

 男は女の頬を撫でて、ピッタリと額をくっ付けた。

 

「お勧めはしない。私は貴方の異能そのもの。異能に異能を付与することは、とても危険な事だわ。私は貴方を失うくらいなら、私を壊すわ。」

「それは困るな。お前が壊れれば、誰も俺を見つけられなくなる。」

「えぇ、困るでしょう。だから、ずっとここにいましょう。ずっと二人で。この場所で死ぬの。」

 

 女は男にピッタリとくっ付いた。女は男の体に手を這わせて撫で下ろした。

 

―――あぁ、でも。そうね。きっと白鳥は…。

 

 女が最後につぶやいた言葉を男は生涯、忘れなかった。忘れられなかった。

 

 男はその言葉にその女の愛を知った。自身の異能力で作り上げた人形でしかなく、その表情も思考も全てが作りものであるはずなのに。

 

 女の言葉には確かに女の愛があり、思いが詰まっていた。

 

「―――。」

 

 名を呼ばれた女はとても幸せそうに微笑んだ。

 

「なあに?ハンス。」

 

 名を呼ばれた男は少し気恥ずかしそうに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハンスは夢を見ていた。それは遠い昔の懐かしい夢だった。今はもう会う事の出来ない女性との夢だった。異能で作り上げた人ならざる人の形を模した道具。

 

 昔、何処かの誰かが言っていた。道具に人の心など詰め込むべきでは無いと。人では無いが故にその心はあまりに純情で、浮き彫りになる自らの心に不純さを感じずにはいられなくなる。そうなれば、人はもうその心の虜となる。そしてその純情を穢したくてたまらなくなるという。そして、なにより人はその純情な心に報いてやることは出来ない、と。

 

「年は取りたくないものだ。」

 

 気怠い体を起し、ハンスは窓から外を眺めた。彼女を殺したのは丁度こんな綺麗な青空の日だった。異能であるが為に、彼女から血が噴き出す事は無かった。それでも、彼女の傷口から漏れだす青白い夥しい文字の羅列がハンスの目には今でも残っている。痛みなんて感じる事の出来ない彼女は刺さっている物に気を止めることなく、ハンスからの暴力を受け取った。そんな彼女の最後は、何も残さなかった。

 

 だからこそ、彼は思った。あんなに綺麗な彼女の中身が何も残らないのだから、人間は最後にとんでもない物を残していくのだろう。とても醜い物を残していくに決まっている。そしてそんな物が詰まった自分をハンスは誰より嫌った。

 

 いつもの様に子供がハンスの元を訪れる。真っ白な髪に青紫色の瞳を持った少女。最近は青いアリスバンドを付けて来る。不幸をその身に詰め込んだような少女だった。ドジで間抜けで平和ボケした少女が、今日もハンスの元を訪れた。もし、自分が昔人殺しをしたのだと告げると、目の前の少女は一体どんな反応をするのだろうか。そんなハンスの内心など知る由もなく、少女は微笑むのだった。台所に立って、今日の朝食を作る少女の姿を見てハンスは無意識に口から言葉がこぼれだした。

 

「お前は、幸せか?」

 

 突然と質問に少女は首を傾げた。

 

「人生は、辛くはないか?」

 

 その質問に少女はクスクスと笑みを浮かべた。全く馬鹿らしい質問だと言わんばかりに少女は笑い続けた。

 

「人生は、辛くはないわ。」

「人生は、憎くはないか?」

 

 少女は未だにクスクスと笑っていたが、ハンスの真剣な表情から笑うのを止め持っていた包丁を俎板の上に置いた。

 

「人生は、辛くも無いし、憎くも無いわ。」

「何故だ?お前には親はいない。心配してくれる人間はいない。その身は一切、幸せなど知らぬ身だろう。なのになぜ、世界を疎まない?世界を恨まない?」

「いいえ、それは間違いだよ。おじいさん。私は幸せを知ってるし、不幸せも知ってる。ただ、今の人生で不幸せが多いだけ。それに、こうやって誰かと会話できることも食事を取る事も、幸せでしょ?」

 

 少女の言葉をハンスは鼻で笑った。

 

「なんと安っぽい幸せだ。」

「安い物が、価値のない物じゃない。高い物が、価値のある物じゃない。需要と供給が一致して初めて物には価値があるのです。」

「最近知った事をひけらかすのは止めておいた方が良いぞ。浅慮なお前には、早すぎるというものだ。それにその言葉は使用用途を間違っている。」

 

 そう言うと少女は頬を大きく膨らませて老人を見上げていた。その仕草は―――にそっくりだと思った。何時までもそうしていても仕方ないと言った様子の少女は、諦めたかのように溜息を付いて肩を落とした。そしてまな板に向き直ると野菜を切り始めた。今日の朝はどうやら、三明治(サンドウィッチ)の様だ。

 

 野菜を切っている少女の手が止まった。

 

「そう言えば、おじいさんの名前ってなんていうの?」

 

 その問いは突然だった。ハンスは好奇心に塗れた少女の瞳をじっと見つめた。

 

「ハンスだ。娘、お前の名前は何という?」

 

 少女がここに来てもう2週間以上だったが、初めての自己紹介だった。少女は微笑みながら自身の名を告げた。

 

「さぁ、何だったかしら。」

 

 そして『そうか』と呟いた。それしか、ハンスには言えなかった。

 

 

 

 夜遅く、ハンスは一人、ある場所を目指していた。

 

 

 最後に外に出たのは何日ぶりだろうか。あの少女が尋ねてきたから、外出する理由が無くなった。

 

 

 久方ぶりの外出だった。ハンスはとある場所に向かっていた。ハンス自身に信仰心と言う物は一切なかったが、それでも良くしてもらっている恩がある。ハンスは近くの村の牧師の元へ向かった。礼拝堂のある小さな教会だった。そこにはハンスと付き合いの長い牧師がいる。礼拝堂のドアを開けるとそこには数人の信者が祈りを捧げていた。今は戦時中。親族の誰かでも、戦争に出ているのだろう。そんな事を勝手に想像し、ハンスは礼拝堂の奥へと入って行った。十字架を掲げた壁の横にある扉。その扉を開け、地下へと降りていった。そしてその地下には、複数の扉があった。奥から歩いて来たお目当ての男。

 

 生真面目な性格で、服装に一切の乱れはない。目当ての男は、ハンスの姿を見ると意外だ、と言った表情を浮かべ、それから彼は腕を組んでハンスを見た。

 

「これは、珍しい男が尋ねてきた。一体何があったのかな?」

 

 少しお道化た口調で話しかけて来るのは、彼がハンスに対して気を許している証拠だった。ハンスは正直この男の軽さが少し気に入らなかった。それに面倒だとも思っていた。年の差と言うのもあるのだろう。見た目の姿が70程になるハンスには、40歳程の目の前の牧師は些か若すぎた。

 

「少し、話がある。」

 

 ハンスの言葉に牧師は手に持っていた聖書を落としかけた。そんな場面を上にいる修道女(シスター)に見られた暁には酷く責められることだろう。しかし、ここは普段修道女(シスター)は忌避して通ろうとはしない。この道の奥には罪人の処刑に使われた部屋があり、殺された罪人はこの奥に仕舞われている。修道女(シスター)はこのご時世に幽霊など信じているのだろうか。

 

 

 全く信じられない。いや、それほど信仰心があるからこそ、彼女達は修道女(シスター)になれたのか。

 

 

「分かりました。」

 

 牧師は来た道を引き返し、奥の部屋へと向かって行った。一つの部屋の扉を開けた。黒魔術にでも手を出しているのではないかと思うような、禍々しい部屋。その中に、ハンスと牧師は入って行った。

 

「それで、人間嫌いの貴方がこんな街中に出てくるなんて…。明日、空爆が降ってこない事を祈るばかりですよ。」

「口の減らない奴だ。最後の願いを決めただけだ。」

 

 ハンスの言葉に牧師はヘラヘラとした表情を消した。

 

「聞きましょう。」

 

 ハンスの言葉に牧師は目を見開いた。何か言おうとしたが、それは言葉にはならなかった。空気だけが彼の口から漏れ出す。彼は一度口を閉じ、意を決しまた口を開いた。

 

「貴方は、あの子をどうするつもりなのですか?」

「簡単な事だ。単純な事だ。私はあの子の幸せを何より願っている。私は()()の願いが成就することを何よりも願っている。」

「あなたは本当に、このことが()()の願いだと思っているのですか?この事があの子を幸せにすると思っているのですか?」

 

 納得がいかないという牧師の言葉にハンスは鼻で笑った。

 

「なぁ、牧師よ。お前はみにくいアヒルの子、という童謡を知っているか?」

 

 ハンスの突然の問いに牧師は眉をひそめた。机に置かれた燭台の光がチラチラと揺れる。

 

「えぇ、知っていますよ。」

「なぁ、牧師よ。お前はみにくいアヒルが、幸せであったと思うか?」

 

「なぁ、牧師よ。自身の本当の姿を知った白鳥は幸せであったと思うか?」

 

 牧師は暫く黙って考えた。

 

「自身の本当の姿を知ることは大切なことです。何者であるのかを正しく理解する。だからこそ、人は前を向いて歩いていけるのです。」

 

 その言葉を聞いて老人は首を横に振った。

 

「なぁ、牧師よ。お前は腐っても牧師であったようだ。いやはや、お前達の信仰心は恐れ入る。いいか、本当の姿を知ることが幸せか?それをいつ、白鳥が望んだ?そんなどうでも良い物を、白鳥は欲したか?白鳥は、な。どんなに醜くてもかまわなかったんだ。白鳥は探していたんだよ。」

「白鳥は、何を探していたというのですか?」

 

 その言葉を聞いて、ハンスは口元に笑みを浮かべた。その笑みはとても穏やかで、牧師は目の前の老人にもそんな感情が残っているのだと不思議に思った。不思議に思い、そして彼女への愛の深さを知った。そして牧師はハンスの言葉に大きく目を見開いた。

 

「白鳥が何より欲したのは、本当の仲間ではない。白鳥が何より望んだのは、自身がアヒルであるという証拠だ。では、みにくいアヒルは、親の元を離れ、沢山の動物たちと会った。それは何故か分かるか?」

「…。」

「白鳥が出会ったどの生物とも自身姿が違えば、自身はただのみにくいだけだった、と。そう言う証明になるからだ。」

「しかし、みにくいアヒルの子は白鳥だった。」

 

 全く悲しい事だよ。と、ハンスは溜息を付きながら肘を付いた。

 

「貴方は、あの子をみにくいアヒルの子にでも仕立て上げるつもりですか?」

「仕立て上げるというのは間違いだよ、牧師。あの子はみにくいアヒルの、子。そうだろう。」

 

 ハンスの言葉に牧師は目を細めた。

 

「あの子は私の幸福を対価に生まれてきた、生命だ。」

「あの子は人間です。それは対価を支払った貴方が一番良く理解しているでしょう。あの子を彼女と重ねてみるのはやめなさい。これ以上あの子を孤独にするのはやめなさい。あの子の人生は、あの子の物です。」

 

 牧師の言葉にハンスは笑みを浮かべた。

 

「なぁ、牧師よ。恋と愛の違いを知っているか?」

「恋と、愛の違い…?恋とは、自己満足。愛とは、自己犠牲、でしょうか。」

「そうか、牧師。お前はそう考えるか。」

「なら、貴方はどう考えるのですか?」

 

―――恋と愛の違い?そんな物は簡単よ。

 

―――恋とは、溺れるもの。

―――愛とは、狂うもの。

 

「恋と愛の違いは、そこに狂気があるかないかだよ。」

 

「私は、とっくの昔に狂ってしまった。()()のへの愛に、私は狂ったのだ。」

 

 ハンスは彩られたあの頃のことを思い出し酔いしれていた。あの美しい自身の異能がこの世界に色を与えていたあの時代を。

 

()()は独りでいることを薬から毒にした。牧師よ、私は中毒患者だ。この禁断症状に耐えるのはとても堪える。」

 

 笑いながら話すハンスの言葉を牧師は黙って聞いた。牧師は、ハンスの言う彼女に会ったことはない。それでも、牧師は思った。

 

 これが、彼にとっての幸福であるのだろう、と。

 

「ハンス・クリスチャン・アンデルセン。貴方はこれで後悔はないのですね?」

「後悔などない。私は、白鳥を何よりも愛している。」

「そうですか。では、さようなら。」

「あぁ、さようならだ。」

 

 ハンスはそういうと、牧師の部屋から出て行った。

 




お疲れ様でした。
どうも兎一号です。
パッパッと進めましたが、これで第一章は終わりです。

原作より十六年前、戦時中という事で
当然戦争を経験していない兎一号には少し書き辛い時代でした。

戦時中はまだ続きますが、頑張ります。
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