バトルメインです。
わからない所は脳内補完お願いします。
風が吹いていた。
時刻は深夜二時を回ったばかり。草木も眠る丑三つ時。ガスで曇った夜空には、おぼろげな月が不気味に輝いている。
ビル街の、中でも一際高い建物の上から見下ろす下界が全く違った世界に見えた。
時折見える人影は小さく、遙か遠くに見える車のライトの動きも随分と細かい。
普段自分が暮らしているはずの人の世の、何と矮小でせせこましい事か。
神様とやらの見ている世界は案外こんな物なのかもしれないと、彼はふと思った。
『作戦開始まで3分きりましたよー』
装着したヘッドセットから聞こえる声が、彼を現実に引き戻す。
あいにくと神様でも何でも無い彼は、せいぜいせせこましく働くしかない。所詮人には石ころをパンに変える事も、水をワインに変える事も出来はしないのだから。
冷たい夜風に身を震わせて、冷たくなりかけた手で握っては開いてを繰り返す。ついでに指先を一舐め、風は悪くないようだった。
「了解」
短く通信機に声をかけて、大急ぎで足下に置いておいた荷物の封を解く。木材の良い香りが身の回りに満ちるのが分かった。
しかし、荷物の中身はそんな香りとは関係なく物騒な代物である。
そこに横たわるのは、大型のクロスボウだった。
それも、その辺で売っているようなちゃちな玩具などではなく、狩猟等に使われる本格的な物のように見える。ただし、それにしては所々おかしな点が散見された。
まず第一に、鉄と木とで組み上げられた本体だが、その表面には幾つもの細やかな彫刻が彫り込まれている。それはそれで確かに見事ではあるのだが、ただの武器にはいささか過ぎた物だった。
そして、次にその弓である。本来ならば金属が使われて然るべきそれは、木目も鮮やかな木材が使われていた。
「手早く組み上げないとな、っと!」
収納するにあたり外されていたであろうパーツを事も無げに組み上げていく彼のその様は、まだ十代を脱してもいない少年の在り方としてはひどく不自然であった。
弦を整え、矢筒を背負い、最後にスコープを覗くまでにかかった時間は2分にも満たない。
自身の腕前を誇るかのように満足げに頷き、
「 」
口の中で何事かを唱える。
それは神代の祝詞に似ていた。
ごく短い詠唱が終わったとき、クロスボウが纏う空気が明らかに別の物に変わる。それは
ただの武器のものではない。由緒ある神社の空気に似た、畏れと威厳に満ちたものだった。
樹齢数百年を超す神木より削り出した弓を加工して作り上げたクロスボウが、少年の奉じた祝詞に反応したのだ。
ぴん、と。
鋭く弦を弾く音が夜に響く。それは周囲を包み込む夜気をたやすく切り裂いた。今まで感じていた風の冷たさが、身の内に燻る邪念がその一鳴りで消し飛ぶ感覚をおぼえながら、彼はポケットから取り出したスマートフォンを操作し、アプリを呼び出す。
先日、装備課が作成し正式に採用されたばかりのアプリ……通称『デジタル指南盤』である。しかし、彼が今使うのはそれを更に発展させたものだった。
『カウント始めます!作戦開始まで、10……9……』
オペレーターの少女の声を聞きながら、彼は画面を操作し、必要な数値を打ち込んでいく。
やがて全ての数値が揃った時、発光するディスプレイに彼の求める情報が提示される。
『0』
カウントが終了と同時に彼は背の矢筒より抜き出した矢をクロスボウにつがえる。これもただの矢ではない。古来より破邪の力を持つと言われる桃の木から作り出し、一定の行程を経た破魔矢である。
スコープを覗く。
アプリが表示した方位、距離、魔力量。それら全てが示す位置に、確かにそれはいた。
「 !」
先ほどよりも長く、そして複雑な祝詞が彼の口から発せられた。それと同時に引き金が限界まで引き絞られる。指先が、矢の放たれる確かな力強い感触を彼に伝えてきた。
目標までは直線距離で凡そ700m。
距離自体は別に驚く程のものではない。古くからある弓矢であっても射程距離は1kmを越えるものだってあるのだ。しかしそれはその間に障害物がないことが前提である。
ビルや街路樹、街灯、それら全ての障害物を瞬時に見極め、間を縫って一直線に矢を飛ばしてみせた彼の技量には凄まじいものがあった。
矢の先で、目標は未だ動く気配を見せない。
ーとった!
そう思った。
矢が対象の頭蓋を打ち貫く姿を幻視して、勝利を確信した。
しかしその刹那、彼の目に飛び込んできた映像はそうはならなかった。
「え……?」
対象は先ほどの位置から僅かも動かず、未だ健在であった。
スコープ越しに目を凝らしてみれば、相手の額をぶち抜いた筈の矢は、彼の後方の地面に突き刺さっている。先ほどの矢の射線、地面に突き断つ角度から見ても、狙いを外したとは考えられない。
微かに首を傾けて矢を避けたのだと、そう気付いたのは、数瞬遅れてのことだった。
「!」
目が、あった。
そんなはずはない。こちらは魔術で強化したスコープ越しに見ているというのに、素の視力でこちらを捉えられるはずがない。
それなのに、スコープから見える彼は確かにこちらを鋭い瞳で睨みつけていた。
少年である。
今、クロスボウを構えたまま愕然とする彼と殆ど同年代だろう。夜の闇より深い黒の髪と瞳が印象的だった。
纏った黒いコートをはためかせて、黒髪の少年が駆け出した。
その時には既に彼も次の矢を放つべく引き金に指をかけていた。既に矢は装填されている。
たとえ驚愕に震えようとも、体は次になすべき動きを的確にこなしてくれていた。
二の矢を放つ。
だが、当たらない。元よりこの手の武器は動体射撃には適していないのだ。
険しい表情を浮かべながらも、彼は慎重に矢筒から矢を引き出す。
次は三本同時に装填し、射出する。同時に放たれたそれは、しかしそれぞれが別のタイミングで放たれたかの如く、一本ずつが走り回る対象を狙って別々の場所に着弾する。
跳んで跳ねて、走る。
あまり見ばえの良い避け方ではない。しかし黒髪の少年は、音もなく迫る矢を躱しながら、確実に射手に向かって接近して来ていた。
「 」
祝詞をあげながら、彼は少しも焦りを見せてはいなかった。
まだ、焦る時ではない。矢の数は十分にある。距離もこちらの方が圧倒的に有利だ。そして何より、相手はきっちりこちらの攻撃を回避している。
避けるということは、当たれば死ぬということだ。
相手の動きは既に分かりかけている。後は予測の精度を上げていくだけで全て終わる。
何も心配する必要は、ない。
「流石に、逃げるよな……」
彼の考えている事を読んだのか、黒髪の少年の姿が建物の影に消えた。どれだけスコープを覗こうとも見つからない所を見るに、隠れて矢をやり過ごすつもりらしい。
だが、そんな試みは無力だ。
「ほいっと!」
再びアプリを操作する。
今度は画面一杯に地図が表示された。GPSデータが伝える青い点は彼が今いるこのビルの真上。そして、もう一つの忙しなく動き回る点は……
「ちっ……!」
画面を覗き込んで、思わず顔をしかめた。
建物の影に隠れ、時にはこちらの監視の目をかいくぐり、標的は少しずつではあるがこちらに迫りつつあった。
既に敵影を示す光点は彼の足下……ビルの真下で明滅を繰り返している。
ー登ってくる!
ボウガンを屋上に通じる扉に向ける。
ここまで来るためには階段を上がり、この扉をくぐるより他に手段はない。それは確認済みだ。
照準を扉に合わせたまま、数分がたった。向こう側から硬い靴音が近づいてくるのが分かる。階段を駆け上がる嵐のような音だった。
派手な破壊音を立てて鉄扉が吹き飛んだ。
「ちっ!」
飛んできた鉄扉を避けて、背中の矢筒から矢を抜き撃ちに投擲する。
敵の影が宙に舞った。コートを翻し、月夜に浮かぶその姿は魔鳥と見間違えんばかりの凄まじいものだった。
ーそこだ!
相手が上に逃れたのは好機だった。ボウガンの引き金を引く。
空中で攻撃を躱す事は至難を極める。せいぜいが身を捩るか関節を曲げる位の動きしか出来はしない。
その程度で避けられるような生ぬるい一射ではない。
「ひゅっ……!」
黒髪の少年の口から笛の音にも似た呼気があがった。
ばさり、と。
コートが翻り、その身に突き立つ寸前の矢を絡めて弾き飛ばした。
ほんの刹那の出来事であった。
「くっ……ぅぅっ!!」
彼の背中を恐怖が突き抜けた。
抑えられないその感情にまかせるままに、彼はその場を転がって逃げ出す。
瞬間、今の今まで彼が立っていた場所に黒髪の少年の踵が落ちてきた。反応が遅れていれば頭を割られていたかもしれない。
転がりながら新たに矢を装填し、クロスボウを少年に向ける。
引き金を引くよりも早く、少年の脚が伸びて手首を蹴飛ばされた。
続く二撃目の前蹴りが胸元を襲った。避ける暇はなかった。寸前で後方に飛んで威力を殺す。
間もなく衝撃が突き抜けた。
失いかけた意識をぎりぎりの一線でどうにか保つ。まともに食らっていたのなら肋骨の二、三本は持っていかれたかもしれない。
状況は非常にまずい。
今の動きを見ても、格闘戦は明らかに不利だ。かといってここから遠距離戦に移ろうにも、そんな時間を与えてはくれないだろう。
どうする?
考えている間にも相手の猛攻は続く。連続して繰り出される蹴りと拳打を今はどうにか避けられているが、もうそれも保たない。あと少しでも息が上がれば一瞬で決着がついてしまう。
ー考えろ
思考を巡らせる。
こちらにも一つだけ武器はある。不幸中の幸いか、先ほど手首を蹴飛ばされてもクロスボウを手放してはいなかった。それにはまだ矢が込められたままだ。
僅かでも距離が開けば、微かでも隙があれば即座に攻撃に移る事は出来る。
ただし一度だけだ。ただの一度の反撃を外せば、後はもう勝機などない。
ただの一度をどうやって必殺にするか。
「扮ッ!」
裂帛の気合いと共に、少年の右脚が跳ね上がった。
避けきれない。顎をかすった。
衝撃が脳を揺らし、五感が乱れる。
もう迷っている暇はなかった。よろけながら後ろに数歩退く。
「!?」
屋上の端から身を踊らせた。
最後に、少年の黒い瞳と目が合った。
「くっそ、が!」
宙を舞ったのは一瞬。重力にとらわれ自由落下を始めてすぐに、彼は思いきり左手を伸ばす。
指先が窓の冊子に引っかかった。
無我夢中で握りしめた。指先から肩に至るまで、全ての骨格と筋肉が余さず軋みを上げる。
耐えきった。ここで本当に落ちる訳にはいかなかった。
片手で全体重を支え、片手でクロスボウを構える。そう長く続けられる体勢ではない。
相手が屋上から覗き込んだ瞬間が勝負だ。
「 ! 、 」
小さく、口の中で祝詞を奉じる。
どう足掻こうとも次が最後になる。今出し得る全てをかけるより他に選択肢はなかった。
見上げる夜空に浮かぶ三日月が、一瞬陰った。
相手が翻したコートが、夜空を遮ったのだ。
それが最後のチャンスだった。
「……、聞こしめせと、畏み、畏みも申す!!」
祝詞の最後の一文を奉じる。ありったけの魔力を込めて、クロスボウの引き金を引いた。
「天羽々矢!!」
日本神話に曰く、葦原中国を平定すべく高天原より使わされた天若彦に授けられた矢。
それは神使さえも射抜き、なおも高天原まで届く神の矢である。
その名を冠した一撃は、月を隠す影を見事に撃ち貫き、やがて夜空に吸い込まれる。
打ち抜かれた相手は力なく宙に浮かび、やがてばらばらに千切れて重力に囚われる。
「な!?」
吹き抜けたビル風に乗って飛んでいくその破片を見て、彼は驚愕に声を隠せなかった。
撃ち貫かれたのも、ばらばらに千切れたのも、敵対者の体ではなかった。
目の前で風に踊るそれは、黒髪の少年が身に纏っていたコートの残骸-それだけだった。
-仕損じた……
そう思った時だった。
張り詰めていた気が抜けたのか、それとも一気に膨大な魔力を使った事が原因か。
「しまっ、」
体を支えていた片腕の力が緩み、バランスを崩す。そこから立ち直る余裕はなかった。
後は自由落下に任せるまま、その身を高度数十メートルから躍らせるより他にない。
それを瞬時に理解してしまい、彼は視界が真っ白に染まるのを知覚した。
終わった。
やがて来る衝撃を覚悟した。
「ぐぁっ!?」
間もなく、予想していたよりも遙かに早いタイミングで衝撃は訪れた。
ただし、それは思っていたような全身を打ちのめす痛みではない。先ほどまで伸ばしていた左手を中心に、体を思い切り引っ張られたような痛みだった。
「詰めが甘すぎる」
錆を含んだ低い声が頭に響く。
恐る恐る目を開くと、視界に飛び込んで来たのはついさっきまで対峙していた黒髪の少年の姿だった。
少年の伸ばした右手が、自分の腕を掴んで落下を食い止めているのだと、気付くのにそう時間はかからなかった。
おそらく屋上に固定されているのであろう細いワイヤーを左手で掴み、空いた右手で自分を支え助ける姿は、つかの間の殺し合いを演じた相手とは思えなかった。
「よろけて落下する演技は悪くなかった。だが、最後の最後で詰めが甘すぎる。目を合わせたのは失敗だ」
無表情のまま、感情を一切感じさせない無機質で機械的な声で、少年は告げる。
「あれは諦めてない奴の目だ」
また、目があった。
少年の死んだような目に、自分の顔が写っている。彼の目に自分はどん風に見えているのか、ふと気になってしまった。
だが、今はそれよりも、
「うっす……あの、説教は凄く嬉しいんですけど、ちっと……」
「何だ?」
「この姿勢もいい加減辛いんで、場所変えませんか?」
「しかし、驚いた。容赦なくとは言われたが、まさか初撃から頭をつぶしに来るとは、な」
ワイヤーを手繰って戻ってきた屋上、二人は向かい合わせで立って言葉を交える。少年の背は彼よりも幾分低いので、見下ろすような形になっていた。
「人のドタマ、踵落としでかち割ろうとした人の言うセリフっすか?」
軽口で応じるが、正直なところ笑い事ではなかった。
自分が殺しにかかったのと同様に、相手もまた殺しにきていたのは明白で、少しでも気を抜けば命のない戦いだったのだから。
「……で、俺は落第ですか」
「いや、及第点。試験は合格だ」
彼の質問に、少年は間髪いれずにそう答えた。
「実力は十分だ。試験だと分かっていなかったら、来ると分かっていなかったら初撃は恐らくオレでも躱しきるのは不可能だろう。後数年……下手をすれば1年で今のオレと並ぶ可能性さえある」
試験。
そう、これはあくまでただの試験に過ぎない。彼も、目の前の少年も同じ組織に属するいわば同僚のようなものなのだ。
それが殺し合いじみた戦いをもって試験と平然と言ってのける。
そういう世界に属するのが二人の在り方だった。
「いきなり殺しにくる思い切りのよさは評価出来る。オレを殺せば名が売れるとでも考えたか?……その野心も悪くない」
ちくり、と胸が痛んだ。
あの瞬間、別段、そんなつもりで矢を放った訳ではない。しかし、そんな気持ちが本当になかったと言えば嘘になる。
少年の言葉は、真っ直ぐな黒い瞳は彼の本心をえぐった。
「……それに、これはオレの個人的な考えだがな。最後まで諦めねぇやり方は悪かねぇ」
個人的な、と言う彼の口調は、今までの機械的なそれよりも幾分人間味を帯びていた。こちらが素なのかもしれなかった。
ふと、彼が微笑んだような気がして、目を疑った。
「以上を踏まえて、昇任試験は合格だ。おめでとう、これで晴れて上位構成員の仲間入りだ。もっとも、上がる給料と仕事の危険度は釣り合っていないがな。せいぜい早死にしないようにあがけ」
「望むところっすよ。おかげさんでバイト掛け持ち生活ともおさらば出来る。やるだけやってみるだけっす」
ふん、と。鼻で笑って、少年は踵を返すと、そのまま何も言わずに自身が蹴破った扉をくぐった。
その姿が暗闇に融けて消えるのを見届けて、彼はその場に崩れ落ちた。
仰向けに、寝転がって空を見上げる。夜が明け始めて、真っ黒だった空は深い青を湛えていた。
「……割と洒落になってねー、つーの」
対峙してみての感想だった。
それは少年の技量に対するものか、はたまたあんな相手がゴロゴロいる世界に足を踏み入れてしまった事に対するものか、判断は付かなかった。
……恐らく両方なのだろう。
そう結論づけて、彼は空に手を伸ばす。けれど、どれだけ人が手を伸ばした所でそこから何かをつかみ取る事は出来ない。
悔し紛れに、広げた手を握りしめ拳を作る。
「さて、と。これから忙しくなるぞー……」
天に拳を突き上げて、彼は一人笑みをうかべる。
その顔を、登り始めたばかりの太陽がそっと見守っていた。
ごめんなさい!