「と、いうことで行ってくる」
死霊魔術師、獅子劫界離の突然の訪問から十数分後。俺は先ほどまとめた荷物を背負うと、自分の屋敷を後にし────
「少しお待ちください主人。何が"ということ"なのです。どこに行く気ですか?」
───ようとしたが、ガシリッと肩を掴まれ止められた。
俺は壊れたオモチャの如く、ギギギッと首を後ろに回すと、そこにいたのは一人の少女だった。
「す、すこし旅行にでもと」
「何を言っているのですか主人。冗談はその悪い目つきと、その悪い人相だけにしてください」
「おい、いつも言ってるが、俺って一応お前の主人だからなニア?」
「はい。ですのでちゃんと、妥協して主人と呼んでいるではありませんか穀潰し」
「いや、もはや原型すら留めてはいないほどの暴言だけど!?しかも、妥協って言いやがったな!?」
ミシミシとなる俺の肩を止めたのは、この家に住むもう一人の住人。
名をニア・ディルスフラン。
綺麗な長い銀髪と、真紅の瞳を持つ美少女で、俺が素の口調で話せる数少ない人物で、訳あってここで召使いの仕事をしている...のだが。
「失礼、つい本音が。それで、いったい何処に行く気なのですか?コミュ症。私以外にはあのような口調の癖に、私にだけ饒舌なコミュ症さん」
「コミュ症って、二回言いやがったな」
と、いうようにかなりの毒舌娘だ。
「何か間違ったことでも?」
「あーもう、それでいいや。いやなに、ちょっと日本にでも行こうかなって。仕事もひと段落して、自分へのご褒美にと────」
「それならご安心してください。こちらをどうぞ」
そう言われ渡されたのは、まとめられた数センチの紙の束。
そこには、この仕事をし始めてからよく見慣れた名前がいくつか並んでいたって、ちょっと待て。
「...おい、これ何?」
「予約リストですが?」
ですが?じゃないから。
「いや、俺仕事終わらしたよね?溜まりに
おかげで、この一週間まともに寝れたのは昨日のみ。それ以外はほとんど眠らずに作業していた。
故に、俺に仕事はもうないはず。
「はい。ですので仕事を取っておきました。先ほど、獅子劫様からもお仕事の依頼が────」
その時の俺の行動は、おそらく昔何処からともなく現れ、修行をつけてやると言ってきた白髭の爺さんから逃げるより速かったと思う。
引きつる笑顔のまま、俺の肩をガッチリ掴むニアの手を無理矢理振り払うと、扉に向かって走り出す。勿論、できる限りの身体強化の魔術もかけまくって。
だが、ニアも伊達に長年俺と一緒にいない。すぐさま俺を追いかけてき、何処から取り出した分からない銀製の槍を手に持ち、俺に向かって投擲────
「いや、待て待て待て!!?それ、俺が改造しまくってお前にやった槍だろうが!!当たったら死ぬから!」
「はい。ですので、その威力は主人が一番お分かりでしょう?まったく、相変わらず手先は器用ですね」
「んな軽口叩きながら殺しにかかるな馬鹿娘が!」
本当に、なんでこんな物騒な子になってしまったんだろう。昔は素直で愛らしい少女だったというのに。
その日トゥリファスの街に、一人の男の悲鳴がこだました。
そしてこの旅行が、この物語の運命を変える分岐点だった。
ここは日本。
時刻は夜。街の光が輝き出し、人がぞろぞろと建物から溢れ出る時間帯。
だが、そんな明かりに隠れるように存在する深く黒い影にて、私たちはそこにいた。
「おいねーちゃん、そんな格好してこんなところうろついてたら危ねぇぜ?俺たちがボディガードしてやるよ。そのガキも、見た所あんたのガキじゃねぇだろ?ほっといて俺たちについて来いよ」
私とこの子を壁に追いやり、周りを囲む数人の男。ニヤニヤと舐め回すような視線を私に向けてくるあたり、どうやらそういうことらしい。
「おかあさん、どうする?」
「そうねぇ、どうしましょう。ジャックはさっき食べたから、今はお腹がいっぱいでしょう?」
「うーん、すこしおなかいっぱいかな?」
「ダメよ?あまり食べ過ぎても体に良くないわ。それに、あまりここで目立つのも────」
「おいおいねーちゃん、無視すんなよ。え?しかもそのガキってマジであんたの子なの?ぜってぇ何か病気持ってんだろ!」
私を囲む頭の悪そうな男達はゲラゲラと笑いだす。
だがその時、私はすぐさま懐に入っていた銃を取り出すと、男の太もも向けて発砲した。
ドンッという音が鳴り、男はそっと自分の足を見、改めて自分が撃たれたと自覚すると、涙を流し倒れ込んだ。
「ッッッッッテェ!!?いてぇ!!?いてぇえよぉ!!?」
狭い路地裏で、器用に転げ回るその男。それを見て、先程まで笑っていた他の男達は恐怖に顔を染め、私をまるで化け物のように見る。
「私の事だけならまだしも、この子の事をそんな風にいうなんて。よっぽど命が惜しくないのかしらぁ?」
「おかあさん、わたしたちは大丈夫だよ?だから怒らないで?」
可愛い子。私の心配をしてくれるなんてね。
「大丈夫よ。安心してジャック。これくらい、おかあさんでも終わらせられるからね?」
ジャックにそう言うと、私は銃口を再び、転げ回る男の額に向ける。
それを見た男は、先程の馬鹿面はどこにいったのか、血が流れ出る足を抑えながら、涙と鼻水でグチャグチャになった顔をこちらに向けた。
「悪いわね。私たちもそろそろ行かないといけないの。それじゃあ───」
"さようなら"
そう引き金を引いたその時だった。
「そこまでだ」
もう一つ、私が放った発砲音よりも大きな音が鳴り響いた。
「ッ!?」
すぐさまジャックは、私を守るように両手に二本のナイフと、可愛らしいワンピース姿から、本来の黒ローブに姿を変える。
そしてそこに立っていたのは、この男達よりも断然若い一人の黒服の青年だった。
だがそれに映る二つの眼は、見たことがないくらい酷く濁っていた。
「そこまでにしろ。さもなくば威嚇じゃすまない」
「────」
その青年の右手に構えられているのは一丁の黒い拳銃。先程私が撃った銃弾がこの男に当たっていないところを見ると、信じられないが、おそらく銃弾に銃弾を当てたのだろう。
彼は威嚇といった。それほどの腕があっての威嚇。つまり、少なくとも普通の人間ではないのは、明らかだった。
「あら、物騒な物を持っているわね貴方。そんなもの、子供が持つものじゃないわよ?」
「それはこちらのセリフだ。それはアンタみたいな女性が持つものじゃない」
まるでこの世の終わりを見てきたような黒く塗りつぶされた瞳。全てを諦め、手放した事があるような悲しい瞳。まるで、この子に出会う前の私のようだ。
青年はその鋭い眼で、今だ尻もちをついたままの男たちに無言で"行け"と合図を送り、男達はその命令に従い、足を撃たれた男を抱え、路地の暗闇の紛れていった。
それと同時に、青年は銃を下ろした。
「...ふぅ、もう気はすんだだろう?次はもう少しマシなとこで撃て」
「貴方が邪魔しなかったら、もう少し気が済んだのだけどね」
「子供がいるんだ。あまり血を見せるべきじゃない。アンタも親なら分かれ」
「あら、貴方にはこの子と私が親子に見えるのかしら?」
その言葉を言って分かった。
ああ、私はこの子を馬鹿にした連中を逃した彼に苛立っているのだと。
だが、その青年はそんな事どうでもいいように、銃を服の下に隠していたホルスターに直した。
「見た目が似ているから親子じゃない。その子と、親がどれだけ愛し合っているかで、家族は決まる。血の繋がりが全てじゃない」
私は驚いた。
今の彼の言葉に嘘偽りは全くない。おそらく彼は、心の底からそう信じ、そう思っているのだろう。だが、何処か悲しそうなその目に、私は無意識に、前に立つジャックの頭を撫でていた。
「おかあさん?どうしたの?」
「ッ!!い、いえ。なんでもないわ。驚かせてごめんね?」
「ううん!おかあさんが頭をなでてくれたら、わたしたちは嬉しいよ!」
無邪気な笑顔を見せるジャックに、頬が緩む。青年もその様子を見て、少しだけ微笑んでいるような気がした。
「貴方、もしかして────」
家族はいないの?
そう聞きたかったが、口が思うように開いてくれなかった。
だが、何を言いたいか理解した彼は
「...まぁな。アンタを見てると羨ましいよ」
と、少し悲しそうに微笑んだ。
「...そう。ごめんなさいね?」
「何を謝る必要がある。気にしていない」
嘘だ。気にしていないのなら、そんな悲しそうな顔をする筈がないのだから。
そして青年は私に撫でられるジャックを見て少し笑う。
「さて、俺はそろそろ行くとしよう。次はもう少しマシな会い方を期待している」
「え、あ────」
その時、私は彼を止めようとしたんだろうか?
私の願いは【生きること】だった。それを叶えてくれたのがこの子。でも、彼のあの目はそういうものを諦めている目のように感じた。
だけど、救ってもらった私が、何も救われず、何からも救いを求めない彼になんて言葉をかけたらいい?
「────ッ!」
「ああ、そうだ」
「?」
「手のそれ、見つからないようにな。頑張れ」
彼はそれを最後に、この薄暗い路地を抜けていった。
いつの間にかナイフを直したジャックは、私の顔を見上げ、少しだけ悲しそうな顔をしていた。
「おかあさん、悲しそう」
「ッ!!そう、かしら?ごめんなさいね、不安にさせて」
「でも、あの人も悲しそうだった」
「そうね。きっと、私よりもずっと辛い事があったのかもしれないわね」
両親が死に、人生が転落し、愛していた人に殺されかけても、私にはまだこの子という救いがあった。私を必要としてくれる大切な存在がいた。
でも、彼はどうなんだ。
家族はおらず、あの歳であそこまで濁った目になるほどの人生を歩んで、それでもなお、先程の人間を助けた。助けを求められたわけでもないのに、おそらくたまたま通りかかっただけにも関わらず────
────自分は、誰にも助けて貰えないのにも関わらず。
「...ねぇ、ジャック。あなたは、おかあさんが好き?」
「?うん!大好きだよ!!」
「ええ。おかあさんも大好きよジャック。でもねジャック、子供にはもう一人のおかあさんがいるのは知ってる?」
「え!?そうなの!!?」
ジャックは初めて聞いたと驚き、"教えて教えて"と私に飛びついてくる。
「分かったから。それじゃあ教えるわね?その人はおかあさんって呼ぶんじゃなくてね────おとおさんって呼ぶのよ」
そしてその数分後、ホテルに泊まろうとした彼女たちは、再びその青年と出会うのだった。