帝都ヘイムダル 総合病院
エリオットから教えて貰った病院は、すぐに見つける事が出来た。
外来受付の終了間際に診察を申し込んだフィーとリィンは、待合ロビーで順番を待っていた。
ふぁぁ……眠くなってきた、まだかな?
欠伸を噛み殺しながら、呼び出しを待つ。
隣に座るリィンは行儀良くソファーに腰掛け、相変わらずキョトンとした顔を浮かべていた。
ホントに大人しいというか、礼儀正しいというか、静かな子供だ(見た目はいつものリィンだが……)
っていうか、今にして思えば病院の付き添いとかは、サラの役目なんじゃねーのか?
委員長に乗せられてここまで来ちゃったけど、そもそも何でワタシが?
ふと思い付き、財布を確認する。2,000ミラとちょっとしか無い。
病院なんて初めて来たから、幾ら掛かるのか解んないや。……足りるのかな?
隣に座るリィンを見る。
微かに視線が空中を泳いでいた、不安な時や落ち着かない時に出るリィンの癖だ。
ああ……、やっぱ、子供なんだな……。
7歳の子供が、何も解らないまま病院に連れて来られるなど、恐怖以外の何物でもないだろう。
フィーはそっと、リィンの手を握った。
「心配しないで良いよ、ワタシが付いてるから」
出来るだけ優しい口調で囁く。
「……うん、ありがとう、お姉ちゃん」
リィンはフィーの手を握り返すと、躊躇いがちに少しだけ笑った。
ま、良いか。リィンには色々世話になってるし、この位は、ね。……支払いはサラのツケにして貰おっと。
リィンの笑みに応える様に、フィーも少しだけ笑って見せた。
「リィン・シュバルツァーさん、お待たせ致しました」
看護師さんがリィンの名前を呼ぶ。
「ん、行こっか」
「うん」
2人は手を繋いだまま、診察室へと移動した。
「健忘症、ね……」
眼鏡を掛けた医者が、渋い顔をでカルテを見つめる。
リィンは大人しく椅子に座って診察を受け、フィーはその後ろから様子を見ていた。窓の外では小鳥が囀ずっている。
「……取り敢えず精神安定剤を処方しますから、2~3日それで様子を見ましょうか?……はい、それじゃあ、お大事に」
医者はロクに診もせずに、診察を終えようとする。面倒な患者には、サッサと引き取って貰おうというのが見え見えだ。
ざけんなよヤブ医者!安定剤で記憶が戻るわきゃねーだろ!
フィーが怒りを露にする。
ここは姉(?)として、一丁ガツンと言ってやらなくては。
「ん、薬なんかより、ちゃんとした心療をして欲しいんだけど?」
「……ふっ、……あのねぇ、お嬢ちゃん」
医者が鼻で笑って見せる「これだから子供は……」と言わんばかりだ。
「人間の脳っていうのは、君が考えているよりもずっと複雑なんだ。そんな簡単に言って貰っちゃあ困るな」
いちいちカチンと来る言い回しで医者が応じる。フィーは何となく教頭を思い出した。
「そんな事は解ってるよ、そこを何とかするのが医者なんじゃないの?」
「ふっ……、お嬢ちゃん。医者を錬金術師か何かと勘違いしているようだね?医学は一朝一夕には進歩しないんだよ」
再び鼻で笑われる、思わず腰の双銃剣に手が伸びそうになった。
……にゃろー、肋骨の隙間に一発グサッといってやろうか?
物騒な考えを巡らせる。
はぁ、こりゃダメだ……、どっか他の病院に行こう。
リィンの肩に手を掛ける。
「リィン、もう行こっか。……このお医者さんは治してくれないってさ」
出来るだけ意地悪く言ってやる。
「他の所に行ってみよ。それに、明日にはベアトリクスも帰って来るし、大丈夫だよ」
「べ、ベアトリクス???」
突然態度の悪い医者の声が裏返った。
「ベアトリクスって、もしかして、死人返しの?」
「ん?そだよ」
「……え、えーっと、君達は、まさか?」
「?、トールズの生徒だけど?」
Ⅶ組の赤い制服は、ヘイムダルではそれほど認知されていないらしい。……まさか、ただの制服マニアとでも思われていたのか?
「何故それを早く言わないんだ!さぁ、口を開けて」
医者が舌圧子を手に取り、ちゃんとした診察を開始する。軍関係だけではなく、医学会でもベアトリクスは有名人だ。
……長い物には巻かれろ、か。
フィーは乾いた視線で見つめた。
「Dr.ベアトリクスには、宜しく伝えてくれたまえ」
医者はリィンを診察しながら、爽やかな笑顔をフィーに向ける。
……ま、ちゃんと診て貰えるなら何でも良いか。
生温かい視線で応えてやる。
数十分後
「うーん……」
医者が頭を抱えている。
各種検査、心療術、催眠療法、祈祷……、色々試すがリィンの記憶が戻る気配は無い。
ふぁー……、やっぱ他の病院に連れてった方が良かったかな?
フィーが欠伸を噛み殺す。
「……仕方ない、アレを試してみるか」
医者の眼鏡がキラリと光る。
アレ?
「少し待っていてくれ、すぐに戻るよ」
医者は何かを取りに出て行った。
数分後
ヘルメット型の装置を手に、医者が戻って来た。
「これはルーレ工科大で、新しく作られた医療機器でね。黒耀石と銀耀石を共鳴させる事によって、被験者に過去の記憶を見せる装置なんだ」
黒と銀……、成る程ね、時と幻を科学的に融合させるワケか。
「まだ認可は降りていない機器なんだけど……、どうだい、使ってみるかい?」
……降りてねーのかよ。
「ん、どうするリィン?無理しなくても良いよ?」
フィーは少し渋い表情を見せながらも、当事者のリィンに最後の判断を任せる。
リィンは少しだけ考える素振りを見せた後。
「……お願いします、先生」
躊躇いながらも、そう医者に告げた。
「良し、そうこなくちゃ!大丈夫だよ、これさえ使えば、もう2度と思い出したくもない、嫌~な記憶まで、余すところなく甦るからね!」
医者は生き生きとした顔をしている。
……そんなの思い出したい奴が何処に居んだよ?っていうか、何の目的でそんなの作ったんだ?
腕を組んで首を捻るフィー。
「それじゃあ始めようか。少し時間が掛かるから、お嬢ちゃんは廊下で待ってて貰えるかな?」
「ん、らじゃ」
フィーはリィンの肩に再度手を置いた。
「じゃ、後でね。……何かあったらワタシを呼んで」
「うん、ありがとう、お姉ちゃん」
「ふっ、心配ご無用さ。だからDr.ベアトリクスには宜しく頼むよ」
医者が再度爽やかな笑顔を向けて来る、……憎めない性格らしい。
フィーは診察室を後にした。
自販機で購入したジュースを飲みながら、廊下のベンチに座って治療が終わるのを待つ。
診察時間の終わりが近いせいか、廊下に人の姿は疎らで、1人で時間を持て余していた。
病院特有の消毒液の匂いが鼻を付く。
どの位時間掛かるんだろ?
飲み干したジュースの紙コップを、ゴミ箱に向かってシュートする。惜しくもゴミ箱の縁に引っ掛かり、紙コップは床を転がった。
忌々しそうに紙コップを拾い上げると、わざわざ元の位置に戻ってから、再度シュートする。今度は綺麗に決まった。
リィンの過去、か……。
ふと考えを巡らせる。
そういえば、リィンは男爵家に拾われるまでの記憶も無いとか言ってたっけ。その辺りの事も都合良く思い出せるのかな?
……っていうか、万が一このまんま記憶戻らなかったらどうしよ?一応ユミルの家族の事は覚えてるみたいだし、それ程深刻に考えなくても良いかな?……エリゼからは、メチャクチャ責められそうな気もするけど。
それにしても、血の繋がってないブラコンの妹と、シスコンの兄貴が揃ってて、妹の片想いってのも珍しいな。……どういう幼少期を過ごしたらそうなるんだ?
あ、でも、途中からエリゼとは距離感が出来たとか言ってたっけ?
そう考えると、8歳位から再教育して、真っ当な人間に育て直すのもアリかな?
……もしもの時はエリゼにそう言ってみよ。
「うーん……」
背伸びをして肩の凝りをほぐす、待っているだけ、というのも思いの外疲れる。
ふぁー、……何か眠くなってきた。
不意に睡魔が襲って来た。
瞼が重くなり、うつらうつらと舟を漕ぎ始める。徐々に意識が薄れ始め、抗い難い睡眠への誘惑にフィーはあっさりと敗北した。
ベンチに横になって、「スースー」と寝息を立て始める。
フィーは忘れていた。
何故シスコンの兄とブラコンの妹に、距離感が出来てしまったのかを……。
「ジャアアアアアア!!!!」
突然院内に、雄叫びの様な咆哮が響き渡る。
!!?、……な、なんだ?
寝惚け眼を擦りながら起き上がり、辺りの様子を窺う。
廊下に変化は無い、だがリィンが居る診察室から、異様な気配を感じ取った。
オイオイ、何だこのヤバい感じ!?まさか、こんな街中に魔獣でも入り込んだか??
素早く診察室まで近寄り、扉に手を掛けた。
その時、ふと脳裏にある考えが過る。
思い出したくない記憶も甦らせる?リィンの思い出したくない記憶って言ったら……。
それに、こんなヤバそうな気配、寝ててもワタシならもっと早く気付く筈。それが出来無かったって事は……、この中に居る奴は、突然この場に現れたって事か??
……
……
……
……え?って事は?
覚悟を決めてから、扉を開いた。
……やっぱりか。
白銀の髪に真紅の眼、赤黒く禍々しいオーラ。変わり果てたリィンの姿がそこにあった。
……参ったね。
目を細めてその光景を見つめる。
リィンが被っていた筈のヘルメット型装置は、粉々に砕かれ床に散乱していた。
「な、な、何が起こった???」
眼鏡の医者が慌てふためいている。
「ジャアアア!!」
マグマの様に赤い瞳が医者を捉えた。
「な、何だ、襲ってくるつもりか??……ふっ」
医者は白衣を脱ぎ捨て、半身になって構える。
えっ?
目を丸くしてその様子を見つめるフィー。脳裏には、いつぞやのキャバクラでの出来事が蘇っていた。
「士官学院生とはいえ、学生如きがあまり調子に乗らないで貰おうか!」
医者の眼鏡がキラリと光り、口元に不敵な笑みを浮かべる。
「ふふふっ、弓道初段!空手1級!書道2級!華道3級!珠算2級!合気道4級!えーっと、それから……」
「……滅ビヨ」
リィンが無造作に腕を振って、医者を張り飛ばす。
「べふぉ!!?」
壁に叩き付けられ、医者はズルズルと床に崩れ落ちた。
……ま、そうだろね。
取り敢えず気の毒な視線を送ってやる。
「ジャアアアア!!」
獲物に止めを刺すべく、リィンが医者に飛び掛かる。
!!、っと。
フィーが倒れた医者の前に立ちはだかり、リィンの突進を阻む。
……が。
!!?、え!?
身構えていたにも関わらず、フィーの方が簡単に弾き飛ばされた。
ま、マジかよ!!?
吹き飛ばされながらも何とか態勢を立て直し、リィンに相対する。
……力比べじゃ話にならないか。
リィンの注意が医者からフィーへと移る。禍々しいオーラが全身から立ち上っていた。
「う、ううっ……」
医者は苦悶の表情で喘いでいるが、どうやら無事らしい。
「……そのまま、聞いて」
フィーが声を落として医者に話し掛ける。
「ワタシが引き受けるから、あんたはそのまま動かないで」
医者は無言のまま、首を縦に振った。
「……それと、諸々の支払いはトールズ士官学院の、サラ・バレスタイン宛でヨロシク」
それだけ告げると、リィンに対して鋭い視線を向ける。
「ジャアアア!!」
咆哮と共にリィンがフィーに飛び掛かる。
!!、速ぇ!!
間一髪、身体を捻って避ける。
パワーもスピードもいつものリィンと段違いだ、油断してたらマジでヤられる。
軽くステップを踏みながらリィンに対して向き直る。対するリィンは、腰の太刀に手を伸ばしていた。
!??、オイオイ!こんな所で抜くつもりかよ!?
横目で窓の外を確認する、人の気配は無い。
……ちょっと散歩に出ようか、リィン。
フィーは素早く動き出すと、窓ガラスをブチ破って外へと飛び出した。続いてリィンが、釣られる様にその後を追いかける。
診察室には、痛みと恥辱に喘ぎ続ける医者の姿と、バラバラになった医療機器が残されていた。
帝都の裏路地を駆け抜けるフィー。すぐ後ろから、ドス黒い気配が追いかけて来るのが感じられる。
ん、しっかり付いて来てるね。
これだけ解り易い気配だと、わざわざ後ろを振り返る必要も無い。
さて、どうしよっか?
出来るだけ人気の無い方へと走りながら思案する。
クレアに連絡してみるか?……いや、ダメだ、こんな状態のリィンを人目に晒す訳にはいかない。
Ⅶ組の皆を呼ぼうにも、トリスタからここまで1時間弱は掛かる。……流石に逃げ切れないだろう。
リィン相手じゃヤッちゃう訳にもいかないし、そもそもまともにヤリ合って勝てるかどうかも怪しい。
……打つ手無しか。
苦笑いを浮かべる。
その時、不意に背後から強烈な殺気を感じ取った。
!?、何だ??
振り向くと、リィンが納刀状態で構えを取っている。
!!!、げ!あれは!??
急制御から急転回。
八葉一刀流、疾風。リィンの得意技だ。
「ジャアアアアア!!!」
視認すら出来ない程の、高速の体捌きと抜刀術がフィーを襲う。
テメェ!記憶無ぇんじゃねーのかよ!?
朝のラウラの言葉を思い出す「頭が覚えていなくとも、身体が覚えていよう……」
……成る程、納得。
何とか身体を捻って、剣閃から身を逸らそうと試みる、……が。
くっ!!?
左の脇腹を太刀が掠め取っていく。
ちぃ……。
鮮血が吹き出し、火傷にも似た激痛に襲われる。
にゃろー……、一流剣士の剣撃は、切られた事にすら気付かせ無い、とか聞いた事あるけど、滅茶苦茶痛ぇじゃねーか!?
……リィンは初伝だからしょうがないのか?
閃光弾を取り出そうとポーチに手を伸ばす。が、対峙するリィンは既に追撃の構えを取っていた。
ち、ちょっとは休ませろよ……。
額に汗を浮かべながら目を細める。
太刀を使った抜刀術の特徴と言えば、鞘走りから体捌きに連動させたスピードだが、それ以上に厄介なのはその構えだ。発動の際に自身の身体で太刀を隠している為、抜刀の瞬間まで剣筋を読む事が出来ない。
如何にフィーが素早く動けようとも、上中下段、何処に飛んで来るか解らない、高速の斬撃を避けるのは至難の業だ。
しかも今のリィンはいつものリィンでは無い、呼吸を読んで間を計るのすら一苦労だ。
再び疾風が繰り出される。
ちっ、何処だ?何処を狙ってくる?
それに合わせてフィーも集中力を高める、脇腹が酷く痛むが、無理矢理に意識の外へ追いやる。
もう一発腹に来るか?それとも首を落としに来るか?もしくは意表を突いて足元か?
一瞬で考えを巡らせる。
「ジャアアアアアア!!!」
咆哮と共にリィンが飛び掛かって来た。
ちっ、抜刀よりも先にこっちが動かないとヤられる!……こうなったら。
フィーは覚悟を決めて身を屈めた。
……長年の勘。
屈んだフィーのすぐ真上を、斬撃が掠めていった。
ら、ラッキー……。
運良く凌いだに過ぎない。展開を変えなければ、ヤられるのは時間の問題だ。
素早く周囲を確認しながら、打開策を探る。
ふと道路脇を見ると、民家でも何でもない所に、鉄の扉が在るのが見えた。
あれは!?……一か八か!
素早く飛び付くと、願いを込めてそれを引いた。
扉を開けた先には、薄暗い地下水路への通路が続いている。
予想通り!
フィーは躊躇なく地下道へと飛び込む、間髪入れずにリィンがその後に続く。
取り敢えずこれで、周りの目を気にする必要は無くなったけど、……痛てて。
暗い通路を走りながら考えを巡らせる、脇腹からは血が滴り続ける、一度距離を取って応急処置をしたいところだ。
リィンの気配は、ピッタリと真後ろにくっ付いて離れない。
スピードで振り切るのは無理だ、しかも、いつまた八葉の剣技が飛んで来るか解らないから、絶えず気を使わなくちゃならない。……正直しんどい。……腹も痛い。
何か利用出来る物はないかと、辺りの様子を窺う。すると、前方から魔獣の気配を感じ取った。
暗がりの奥に目を凝らすと、ワニの様な姿の大型魔獣が数頭群れを成している。
グレートワッシャー。帝都での実習の際に手配魔獣として討伐した奴だ。しかも目の前に居る奴らは、あの時戦った奴よりも遥かにデカイ、14~5アージュはありそうだ。
ちぃ、このクソ忙しい時に限って。……ん?
ふと、背後から殺気が立ち上るのを感じ取った。
……ヤバい、またアレ(疾風)が来る。
前方の魔獣の群れもフィーの血の匂いに感付いたのか、大口を開けて襲って来ている。
完全に挟まれた。
……ちょっと、ピンチかな。
思わず苦笑いを浮かべながら天を仰ぐフィー。その時、天井に水道管が配置されているのに気付いた。
!!
「ジャアアアアアア!!!」
咆哮と共にリィンが太刀を抜く。
行くしかないか。
ポーチからワイヤーフックを取り出し、水道管に向かって投げ付けると、振り子の要領で高く飛び上がる。
そのまま前方の大口を開けた魔獣の群れを飛び越え、1回転しながら華麗に着地を決めて見せた。
ふふん、成功。
後ろを振り返ると、疾風が不発に終わったリィンが、魔獣の群れに飲み込まれていくのが見えた、……が。
「滅ビヨ……」
白銀の太刀を振り回して、片っ端から魔獣を討ち取っている。実習の際は5人がかりで何とか倒した相手だったが、今のリィンには物の数にも入らないらしい。
……洒落にならん。
一度距離を取る為、フィーは素早くその場を後にする。
背後からは魔獣達の断末魔と、鬼の咆哮が響き続けていた。
「痛ちち……」
暗い地下道の一区画で、上半身裸同然になるフィー。
脇腹の裂傷をホチキスで無理矢理塞ぎ、ティアラを発動させて応急処置を済ます。肉が裂かれただけで、内臓までは達して無かったのは幸いだった。
取り敢えずコレでいいかな……。
シャツを着直して上着を羽織る。
……後で防刃仕様の制服に改造しよ。
胸元にリボンを着けて身嗜みを整える。
さてと、どうしたもんか……。
暗がりで腕を組む。
はっきり言って今のリィンは想像以上だ、マトモにヤり合ってちゃ話にならない。……何か策を考えないと。
水路を適当に走って来たので詳しい現在地は解らないが、恐らくマーテル公園の地下辺りか。ドローメやフロッグといった魔獣がウロウロしてはいるが、こちらを襲って来る事は無かった。
ARCUSを確認すると、地下だからか通信圏外の表示になっている。
はぁ、これじゃ応援も呼べないか……。地下に入ったのはマズッたかな?でも、街中で今のリィンを暴れさせる訳にもいかないし。
溜め息を吐く。
不穏な鬼の気配が、徐々にこちらへ近付いて来るのが感じられた。
……そういやリィンは、ワタシが気配を消してても、何となく解るとか言ってたな。
……ちっ、厄介な朴念仁め。
思わず苦笑いを浮かべる。
早く元に戻ってよ、リィン……。
これまでのリィンとの思い出が、走馬灯のように頭に浮かんだ。
……
……
……
……ん、あれ?変だな?
……何でだろ?
……
……
……
……殺意しか沸いて来ないや。
アドレナリンが過剰分泌され、脇腹の痛みが消し飛ぶ。全身の隅々にまで、ドス黒いエネルギーが行き渡る。瞳孔が完全に開いて、空気中の細やかな粒子までがハッキリと視認出来る。頭が今までに無くクリアになり、脳細胞が余す所無く活性化しているのが解る。
今なら、鬼でも聖女でも皇帝でも、簡単に捻り潰せそうな気がした。
ふふふっ……、そうだ、忘れてた。
フィーは口元に凄絶な笑みを浮かべながら、周囲の様子とポーチの中身を確認すると、更にニヤリと口元を歪めた。
打たれ強いのが、リィンの良いところだった。
全身からは凄まじい勢いでオーラが立ち上っている。
その様子を目撃した周辺の魔獣達は、我先にと逃げ出し、壁際で小さくなって震えていた。
何体かはピクリとも動かずに、死んだ振りをしている。
不穏な気配が、更に近付いて来るのを感じ取る。
翡翠の瞳に炎を宿し、口元に不適な笑みを浮かべた子猫は、獲物の到着を静かに待った。