リィン少年は混乱していた。
自分の身体が何一つとして言う事を聞かず、目に映る全ての物を破壊し尽くそうと、勝手に動いている。
戦意が無く、逃げようとしている魔獣まで切り伏せてしまう始末だ。
止まって!もうやめて!
何とか自我を保ち、主導権を奪い返そうと試みる。だが自分の中に巣食う、『恐ろしい何か』は、リィンの意思を無視して、勝手に身体を動かしている。
憎しみと怨嗟を吐き出しながら、目に映る全てを破壊しようとするソレは、リィンの心をも支配して、肉体の全て乗っ取ろうとしていた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
あの時……、ユミルの山奥でエリゼを助けたあの時も、自分の意思とは無関係に身体が動き出し、気が付いた時には目の前に魔獣の死骸が横たわっていた。
血に濡れた手で、怯えるエリゼの頭を撫でようとすると、エリゼは身を竦めて身体を震わせていた。瞳には恐怖が色濃く見て取れ、まるで、恐ろしい化物を見つめている様に感じられた。
あの時のエリゼの目、あれは……、とても家族に対する目には見えなかった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
このままじゃ、またあの時と同じ様な事が起きてしまう。あの銀髪のお姉ちゃんを沢山傷付けてしまう。
今の自分は記憶が無いらしい。
それでも今日1日を共に過ごして、彼女達が自分を大切にしてくれた事だけは理解出来る。そして自分自身も、今日出会った全ての人達を、とても大事に思っている事も解った。
頭が覚えていなくても、心の奥底の魂が結び付いている様な感覚。今の自分を形作るモノの中で、一番大切な人達。
かけがえの無い自分の仲間達……。
もしも……、もしも僕の手で、あのお姉ちゃんを……。
右手に持った太刀の感触が伝わる。妖しい銀の光を放つそれが、とても恐ろしい物に感じられた。
しかし、自分の意思に反して身体は歩みを止めず、真っ直ぐにお姉ちゃんの元へと向かっている。
リィンは、何とか自分の身体の主導権を奪い返そうと、もがき続ける。
最悪の場合は自分の胸に、右手に持った太刀を突き刺す事も厭わないつもりだった。
だが、自分の中に巣食う何かがそれを許してくれない。ドス黒く、おぞましく、でも何故か悲しい気持ちにさせる何かは、目に映る全てを滅ぼそうと歩みを進めている。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
どうする事も出来ない、何も出来ない自分が情けなくなってくる。
リィンは薄暗い地下道を歩み続けた。
自分の意思に反して進んで行くと、不意に視界が開けて広い空間が現れた。
20アージュ四方の空間に、窪地の様に低くなった床。水道管のパイプが、両壁に張り巡らされている。
空間の奥には上り階段が在り、見上げると小さな人影が見えた。
お姉ちゃん!?逃げて!!
リィン少年が声になら無い叫びを上げる。
「ジャアアアア!!!」
しかし、自分の中の恐ろしいモノは、リィンの感情を無視し、咆哮を上げながら人影に襲い掛かった。
やめて!お願いだからやめてよ!!
リィンは懇願するが、それは聞き届けられそうも無い。
恐怖に押し潰されそうになりながら、リィンは銀髪の人影を見つめた。
……?
気のせいだろうか?口元に笑みが浮かんでいる様に見える。更に周囲の空気が歪んでいる様に感じられた。
翡翠色の瞳に激しい炎が見て取れ、まるで、言う事を聞かない弟に、腹を立てた姉が怒りの業火を叩き付ける前触れの様に思えた。
???、お、お姉ちゃん?
「……イグニッション」
階段の上の人影が小さく何かを呟くと、両壁の水道管が爆発し、リィンが居る窪地に大量の水が瞬時に流れ込んで来た。
お、お、お姉ちゃん!?!?
リィンは突然の激しい水流に飲み込まれると、身動きを取る事も出来ずに、大きな渦の中に巻き込まれる。
がぼっ、がぼっ……、お、お姉ちゃん……。
意図せず多量の水を飲み込み、溺れて意識が遠退いていくリィン。
その時少しだけ記憶が戻った。
あのお姉ちゃんは……、絶対に怒らせちゃダメな人だった……。
そのままリィン少年の意識は水流と共に押し流され、深い闇の底へと沈んで行った。
階段上に陣取ったフィーは、リィンが溺れて沈んでいく様子を見つめていた。
まだ物足りないよね?
リィンを待ち構える間に手早く作成しておいた、閃光弾に爆薬をブレンドした危険極まりない爆発物を手に取る。
はい、プレゼントだよ。
流れ込む水の勢いで渦巻きが出来ている所に、お手製の爆弾を投下する。着水と同時に巨大な水柱が立ち上がった。
いっぱい作ったからまだあるよ、はい。
更に爆弾を投下する。その度に水柱が立ち上ぼり、地下道全体に衝撃が響き渡った。
投下の合間にARCUSを駆動させて、ラグナヴォルテクスを発動する。紫の電撃が水面に迸り、周囲が閃光に照らされる。
物陰に隠れている魔獣達は、恐怖に震えながらその様子を見つめていた。親子らしきドローメなど、子供の目に当たる部分を触手で覆い隠して、見えなくしている。
爆撃は数分にも渡って続き、そして静寂が広がった。
リィンの気配は完全に無くなっている、……普通に考えれば生き残っている可能性は万に一つだ。
しかし、フィーは油断なく水面に視線を走らせながら、ポーチからワイヤーフックを取り出すと、片手で投げ縄の様にクルクルと回して構えを取った。
……
……
……
……ん、来る。
不意に水面に波紋が広がる。
「ジャアアアアアア!!」
雄叫びと共に白髪の鬼が姿を現せた。
ほいっと。
フィーはワイヤーフックを投げ付け、水面にせり出したリィンの上半身に巻き付ける。
「ジャアア!??」
死地を脱した直後に、上半身を拘束された鬼が驚きの表情を見せる。
魚釣りするだけじゃなくって、たまには釣られる方の身にもなってみなよ。
フィーは力任せにワイヤーを引っ張ると、近くの壁にリィンを思い切り叩き付けた。
「じゃ、ジャアアア!??」
苦しげに顔を歪める鬼。そこに素早く近付くと、胸ぐらを掴んで引き起こし、赤く染まった瞳を間近に見つめた。
「リィン!聞こえる!!?」
大声で叫ぶ。
「リィン!!」
赤い鬼の瞳が、こちらを見つめていた。
「……滅ビヨ」
抑揚の無い冷たく低い声が、まるで命令するように告げる。
「あんたには……」
フィーは一度大きく上体を反らすと。
「言ってないよ!!」
思い切りリィンの額目掛けて頭を打ち付けた。
「ジャアアア!?!?」
痛みと驚きに咆哮を上げる。
「起きろ!リィン・シュバルツァー!!」
フィーは続けざまに、リィンの額に頭突きを繰り返す。
「起きろって言ってんだよ!朴念仁!!」
地下道に鈍い音が響き渡る。
遠巻きに様子を窺っている魔獣達は、恐怖のあまりにプルプルと震えていた。何体かは恐ろしさの余り、涙目になっている。
「ホ、滅ビヨ……」
「女たらし!!シスコン!!」
思い付く限りの溜まりに溜まった悪態を吐き出しながら、頭をガンガンと打ち付ける。断続的な破壊音が響き渡った。
「ホ、滅ビ……」
「出しゃばり!!マッチポンプ!!」
更に気合いを込めて強烈な頭突きをブチ込む。
「ボイン男爵!!胸が無くて……」
上体を最大限まで後ろに反らす。
「悪かったな!!!!」
最後に全身全霊の力を振り絞って、額を打ち付けた。
「滅……、ビ……、ル……」
不意にリィンの禍々しいオーラが消えて無くなった。白髪が黒髪へと戻っていき、赤い瞳もいつもの紫水色へと変化していく。
リィンは崩れ落ちる様に倒れると、力無くその場に横たわった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
フィーは荒い息遣いのまま、その様子を見つめていた。胸の内を全てさらけ出したせいか、爽やかな顔を浮かべている。
目の前にはいつものリィンが横たわっていた。
額がバックリと割れ、夥しく出血し、色々と真っ赤に染まってはいるが、生きてはいる様だ。
「……リィン?」
躊躇いがちに声を掛けると、リィンの目がうっすらと開いた。
「……ん、……ふ、フィー?」
いつものリィンがそこに居た。
「……あれ?……ここは?」
「ん、ヘイムダルの地下道。……気分はどう?」
「……ああ、……何だか、靄が晴れたみたいにスッキリしてるよ」
「ん、そか」
まぁ、頭からそんだけ血流せば、スッキリするだろね。
「……ところで、俺は何でこんな所で、ビショ濡れになって縛られてるんだ?」
「ん、えっと……」
ワイヤーを回収しながら、これまでの経緯をかい摘まんで説明してやる。
自分に都合が悪い部分は、勿論秘密だ。
「……そうか、……そんな事が」
拘束を解かれたリィンが、申し訳無さそうに肩を竦める。
「何も覚えて無いの?」
「うーん……、何か、怖い夢を見てたのは覚えてるな」
「怖い夢?」
「ああ、俺が海で溺れてるところを、飛行艇から空爆されて、更に頭目掛けて隕石が何発も落ちてくる夢だった……」
「ふーん……、随分へヴィーな夢だね」
他人事の様な感想を漏らす。
フィーが自分の行いを省みる事は絶対に無い。
「んじゃ、帰ろっか。動ける?」
「ああ、大丈夫そうだ……」
リィンはフラフラしながらも何とか立ち上がる。
頭からの出血は止まっている様子だが、顔面が真っ赤に染まっていた。
……まぁ、制服も赤いし、そんなに不自然じゃないかな。……なんか面白そうだし。
フィーは、リィンが自分で気付くまで、黙っている事に決めた。
2人は並んで歩き出すと、出口を目指した。流石にもう手を繋ぐ事はしなかった。
フィーはちょっとだけ肩を落としたが、すぐに気を取り直す。
またの機会に、期待すれば良いか……。
2人は離れずに、出口へ向かって歩き続けた。
恐ろしい人間達が居なくなった後、暗がりから這い出した魔獣達は口々に「怖かったね」「何なのあのヤバい人達」等と話し合いながら元の生活に戻っていた。
彼(彼女?)達全員が思った。
あの人達……、もう来ないで欲しいな。
地下道を後にした2人は、ヘイムダルの街を歩いていた。既に日が落ちて、夜の雰囲気が漂っている。
街に出てすぐ、自分の顔を見た人達が片っ端から逃げ出すのを、不思議そうに見つめるリィン。
それをニヤニヤしながら見物したフィーは、満足そうな顔を浮かべてから、アクアブリードを駆動して豪快に顔を洗ってやった。
「もっと早く教えてくれよ……」
強烈な水流で血糊を洗い落とされたリィンが、情けない声を出す。
「ん、ゴメン。……ついね」
「……つい、ってなんだ?」
リィンが目を細める、その様子をフィーは悪びれる風もなく眺めていた。
「はぁ、まったく……。ん?」
溜め息を吐きながらも、不審気な目をフィーに向ける。
「フィー、どうかしたのか?」
「ん、何が?」
「いや、何となく顔色が悪いように見えるんだが……」
「……」
……ったく、こんな時だけ勘が良いんだよな、この男は。
「気のせいじゃない?暗がりだから、そう見えるだけだよ、きっと」
「そうか?」
「ん、全然問題無し」
「……ならいいけど」
……はぁ、……そろそろ限界だな。
「あっ、そだ。ワタシはちょっと買い物して来るから、リィンは先に帰ってて」
「買い物?なら俺も付き合うよ」
「ん、1人で大丈夫……」
「遠慮しなくて良いぞ、荷物持ち位ならするし」
「じゃ、一緒に行く?」
「ああ、因みに何を買うんだ?」
「ん、女の子の日用品……」
「……」
「どうする、付いてくる?」
「え、遠慮しておきます……」
そのままリィンは、遅くならない様にとだけフィーに告げると、1人でトラム乗り場へと向かって行った。
フィーはリィンの姿が見えなくなるまでその様子を見送ると、壁に背を付けてその場にヘタリ込んだ。
ふぅ……、ちょっと無理したかな……。
人目も気にせず制服を捲り上げて、脇腹の状態を確認する。
シャツが真っ赤に染まっていた。
傷が開いちゃったな……。
やれやれといった顔を浮かべると、ARCUSを取り出して通信モードを立ち上げた。
……
……
……。
「……あ、クレア?フィーだけど。ちょっと怪我しちゃってさ、助けてくれないかな?」
!?
……
……!
「ん、大した事は無いよ。ちょっと脇腹が裂けて、腸〈はらわた〉が飛び出しかかってるだけ」
!!!?
……
……!!
「らじゃ、んじゃ、ここで待ってるね」
通信を切ってARCUSをポーチにしまう。
……良かった、わざわざ迎えに来てくれるらしい。流石クレア大尉、どっかの紫電教官とは違うね。
安心すると眠気が襲って来た。
ふぁー……、ちょっとだけ寝よっかな。
日暮れの街、帰宅する人達、楽しそうに笑う学生、手を繋いで歩く親子。
一歩間違ったら、今日のこの時間は訪れ無かったかもしれない。……それも、自分の大切な仲間の手によってだ。
今日は何とかなったけど、あの男はいつかとんでもない事をやってしまうかもしれない。
……ま、その時はその時か。
何かあったらワタシ達が止めれば良い、仲間がやらかした事の責任はⅦ組全員の責任だ。
それに、リィン如きが何をした所で、ワタシ達の手に負えない事は無いだろう。
だから、大丈夫。
腹を裂かれようが、手足を切り落とされようが、絶対に何とかしてやる。
だから……、大丈……夫。
抗い難い睡眠への誘惑に敗北し、道端にも関わらずフィーは瞳を閉じる。
遠くから憲兵隊車両のサイレンが聴こえてきた。
子猫は安心したように寝息を立て始めると、可愛らしい寝顔を見せた。
数日後 トールズ士官学院 昼休み
サラは教官室でコーヒーを飲みながらゆっくりと寛いでいた。
書類の作成も終わり、今日の仕事は午後の授業を残すのみとなっている。久しぶりに早く帰って、ゆっくり飲もうかな、などと夜の計画を考えていた。
「お疲れ様です、サラ教官」
そこにメアリー教官が笑顔で近付いて来る。
「お疲れ様です、メアリー教官」
「お手紙が届けられていましたので、お持ちしましたよ」
「あら、わざわざスミマセン、ありがとうございます」
1通の封筒を受け取る。
「いえいえ、とんでもないです。こちらこそ、ご休憩中にすみませんでした。では、失礼しますね」
優雅に挨拶を済ませ、メアリー教官は立ち去っていった。
ふぅ、アタシも少しは見習った方が良いのかしら?
その様子を見ながら、溜め息を吐きながらサラは思う。優雅や可憐といった言葉とは、無縁の人生を歩んで来たのは確かだ。
まっ、人には人の持ち味があるからね。
サラは大きなバストをポヨンと揺らしながら、そう結論する。余計な無理はしないのが、楽しく生きる為のコツだ。
手に持った封筒を見つめる。
宛名に『ヘイムダル総合病院』と書かれていた。
総合病院?
ふと、先日のリィンが記憶喪失になった出来事を思い出した。
確かその次の日に、「病院に行ったんだけど、ミラが足り無かったから、サラのツケにしといた。ヨロシク」とかフィーが言ってた気がする。
ま、可愛い教え子の為だし、ちょっと位はしょうがないかな。
苦笑いを浮かべながら封筒を開けて、中身を確認する。いくら高くても5,000ミラ位だろう、と思っていた。
請求書と書かれた白い紙に病院の認印、更に次の様に書かれてある。
医療機器破損につき 5,000,000ミラ
……ちょっとちょっと、5万ミラなんて随分な額じゃない。何やらかしたのよあの子達?
呆れた様子で、もう一度紙面を見つめ直す。
……
……
……?
一、十、百、千、万、十万……。
!!!!
サラはおもむろに立ち上がると、教官室に設置されている校内放送のマイクを手にした。
「リィン・シュバルツァー!!フィー・クラウゼル!!今すぐ校庭に出て来なさい!!!!」
その後、サラの特別訓練という名の制裁をうけたリィンとフィーは、2人仲良く保健室送りとなって、結局ベアトリクス先生のお世話になった。