妖精の軌跡first【完結】   作:LINDBERG

35 / 43
子猫と苦労性の聖女

「……ん、着いたよ」

フィーが、向かいのシートで眠る、デュバリィの身体を揺さぶる。

「むにゃ、むにゃ……。うーん、もう、食べられませんわ……」

だらしなく涎を垂らしながら、スヤスヤと熟睡し続けるデュバリィ。起きる気配は微塵も感じられない。

トリスタ駅で列車に乗り込み、ボックスシートに腰を下ろした途端にデュバリィは眠りに落ち。そのまま一度も起きる事無く、列車はバリアハートに到着していた。

 

朝ご飯にどんぶり5杯も食べて、夢の中でまだ食べてるのか……。

 

心の中で、溜め息を吐く。

 

「ねぇ、起きてってば」

「……むふふ、……勿論ですわマスター。お望みとあらばこのデュバリィ、裸の付き合いでも何でもお供いたしますわ……」

ニヤニヤと口元を緩めながら、幸せそうな寝顔を浮かべている。

 

夢の中でマスターと食事に行って、帰りにスパにでも寄ったのか?

 

どうやら細かい設定の夢を見ているらしい。

 

……ったく、しょうがねぇな。

 

フィーはデュバリィの片足を掴むと、力任せにグイッと引っ張り、そのままズズズッとシートから身体を滑り落ろした。

 

「うっ……」

デュバリィは一瞬だけ顔をしかめるが、まだ眠りこけたままだ。

余程夢から覚めたく無いらしい。

 

ん、取り敢えず、早いとこ列車から降りなきゃね。

 

ズルズルとデュバリィを引き摺りながら、出口の方へと向かって行く。

バリアハートでの停車時間は5分程だ。貨物車両の連結を終えたら、レグラム方面へと向けて発車してしまう。

 

よいしょ、よいしょ……。小柄な割には結構重いな……、コイツ。

 

フィーは、引き摺っているデュバリィの様子を確認する事も無く、列車の通路をズンズン進んで行く。

 

デュバリィが着ている服は、下がショルダー付きの青いスカートで、上が白いブラウスだった。仰向け状態で引き摺られている為、スカートが大胆に捲れ上がり、下着が露になってしまう。

周囲に居る男性客の視線が一点に集まった。

が、前しか向いていないフィーが、それに気付く事は無い。

「う、ううう……」

デュバリィも、うなされるだけで、起きる気配は無い。

 

ズルズル、ズルズル……。

 

更に進んで行くと、バンザイの格好で引き摺られるデュバリィの身体から、スポッとスカートが抜けてしまい、下半身がパンツ1枚の状態になる。

男性客の熱い視線がこれでもかと集中する。

が、前しか向いていないフィーが、それに気付く事は無い。

「ん、んんん……」

デュバリィも起きる気配が無い。

 

ズルズル、ズルズル……。

 

更に進んで行くと、今度は上のブラウスが捲れ上がり、胸元が露になった。

男性客達が目に焼き付ける様に見つめている。

が、前しか向いていないフィーが、それに気付く事は無い。

「ううん……」

デュバリィも起きる気配が無い。むしろ、邪魔な衣類が脱げて、気持ち良さそうな寝顔を見せている。

 

ズルズル、ズルズル……。

 

更に進んで行くと、下着が上向きにグイッと引っ張られ、目のやり場に困る有り様になってしまう。

男性客達の呼吸が一様に荒くなり、全員が前屈みになった。

が、前しか向いていないフィーが、それに気付く事は無い。

「……ん、……あ、あっ……」

デュバリィの口から、甘い声が溢れ出すが、起きる事は無い。……何なら、さっきよりも気持ち良さそうだ。

 

ズルズル、ズルズル、ズルズル……。

 

「……あっ……あっ……あっ……ああ……、ま、マスタぁぁぁ……」

パンツが色々と食い込んで、どエライ事になり。列車内にデュバリィの何とも言えない声が、切なげに響き渡る。

男性客達の呼吸が更に荒くなる。そして何人かは大きく息を吐き出し、妙に眠たげな顔を浮かべていた。

 

……ふぅー、もうちょっとか。

 

通路を抜け、出入り口に到達したフィーが、額の汗を拭う。

その時、ホームに発車のベルが鳴り響いた。

 

ヤバっ!急がなきゃ。

 

力任せに足を引っ張り、デュバリィの身体を列車からホームに降ろした。

 

ゴンッ!!

「ぐあっ!!?」

 

降ろす際、段差の所で強かに頭を打ったデュバリィが、ようやく目を覚ます。

「な、何事ですの???」

敵の襲来に備える様に、姿勢を低くしながら、素早く周囲を見回す。

「って、へ???」

列車のシートで寝ていた筈が、目を覚ましたら急にホームのド真ん中に居るデュバリィ。目を白黒させて、現状の理解に努める。

「あ、起きた?おはよ」

フィーがチラッとだけ振り返る。

「……? わたくし、いつの間に列車から降りましたの??」

発車ベルが鳴り終わり、プシューと音を立てて列車の扉が締まった。

「ん、あんた全然起きないし、乗り過ごしそうだったから、無理矢理引っ張って外に出た」

「あ……」

バツが悪そうに目を反らすデュバリィ。

「……そ、その……、手間を掛けさせて悪かったですわね。列車に乗ると、つい……」

「ん、良いよ、気にしなくて。気持ちは解るし」

睡眠への欲求には、人一倍理解があるフィー。

「ふっ……、貴女の事を少し見直しましたわ、良い所もあるじゃないですの。ありがとうですわ」

「ん……、それほどでも……」

意外な感謝の言葉に、少し照れた様子を見せる。

「ん、場所はホテルだったよね?早く行こうか」

感情を悟られない様に、背を向けたまま先を行こうとする。

「ええ、では、参るとしましょう……。……?」

一歩足を踏み出した瞬間、デュバリィは妙な違和感を感じた。

 

?、何だか、随分身軽というか、下がスースーするというか……。

 

そこで初めて、自分の格好を見つめた。

「……!????」

状況の理解に数秒を要した後。

「ぎ!!ぎぃゃああああああ!!!!??」

デュバリィの絶叫がこだました。

「な、な、な、何ですの!?このハレンチな格好は!?!?!?」

思わずその場にしゃがみこむ。

「な、何故わたくしは、こんな場所でパンツ丸出しですわ!??す、スカートは何処に行ったですわ!!?」

フィーが振り返りその様子を不思議そうに見つめる。

「?、最初から、そんな感じじゃなかったっけ?」

「そんな訳ねーだろでやがります!!貴女!!寝ていたわたくしに、一体何をしやがったですわ!!?」

「ん、特に何も……。あ、もしかしたら床を引き摺った時に、脱げたのかもね」

「ひ、引き摺った?」

デュバリィが背後の列車へと振り返る。既に乗り口の扉は閉まり、ゆっくりと動き出すところだった。

「あっ!?」

窓越しに乗客席を視認すると、何人かの男共が、脱げ落ちたスカートを引っ張り合っていた。「これは今日から我が家の家宝にする!」とでも言わんばかりの様子だ。

デュバリィが咄嗟に手を伸ばすが、勿論どうにもなる訳が無い。彼女のお気に入りだったスカートは、あっという間にレグラムへと向けて旅立っていった。

「あ、あ……」

目の前から去って行く列車を見送りながら、デュバリィは力無くその場に崩れ落ちた。

「な、な、何でこんな事に……」

自分が大切に守り続けてきたモノを、汚された気がした。思わず瞳が潤む。

「も、もう、お嫁に行けませんわ……。お、お母様……、ま、マスタぁぁぁぁ……」

「ん、パンツは履いてんだし、特に問題無いでしょ?」

フィーは無表情のままその様子を見つめていた。

「大ありですわ!!どんな恥女でも、パンツ位は履いてますわ!!?」

「涼しげで良いじゃん。いっその事パンツも脱いじゃったら?」

「止めやがれですわ!!R15の作品内でそんなの許される訳ねぇだろですわ!!」

怒りと羞恥で顔が真っ赤に染まる。

「はい、はい。解ったから……、ん」

フィーが上着を脱いで手渡す。

「取り敢えず、これでも巻いとけば?」

奪い取る様に上着をひっ掴むと、手早くそれを腰に巻き付ける。大きなリボンがアクセントになって、見た目にはそれ程不自然では無いが、片側がスリットの様に大きく開いて、太腿が露になっている。更に隠しきれないパンツの一部が、チラチラと横から覗いていた。

「……ぶっちゃけ、さっきよりエロいね」

素直な感想を口にするフィー。

「うるさいですわ!!誰のせいでこうなったと思っていやがります!?」

「?……ダレ?」

「……もう、良いですわ」

諦めた様に肩を落とすデュバリィ。

「元を辿れば、わたくしが眠ってしまったのが悪いんですし……。ですが!この先もう2度と、貴女の前で油断は致しませんわ!!」

デュバリィがフィーに向けて、ビシッと人差し指を突き付ける。

「ん、頑張って」

フィーは適当に聞き流すと、デュバリィに背を向けて駅舎の方へと歩き出した。

「!!……ふっ……」

デュバリィは無言で天を仰ぐと、自嘲する様に力無く嗤った。瞳から大きな雫が一筋溢れ落ち、頬を濡らしていく。

「ふふふっ……、ふふふふふっ……」

謎の笑みを湛えながら、デュバリィは前を歩く少女の背を追った。

何故だか無性に、鉄機隊の仲間達に会いたかった。

 

 

 

 

 

公都バリアハート ホテル エスメラルダ

 

「こちらの部屋ですわ」

デュバリィに連れて来られたのは、特別実習の時にお世話になった、バリアハートでも老舗のホテルだった。

部屋は最上級スイートルーム。実習の際にホテルのオーナーが進めてくれたのに、ユーシスが断った部屋だ。

 

スイートなんかに泊まる機会そうそう無いんだし、人の好意はありがたく受け取ろうよ。と思ったので、良く覚えている。

まさかこんな形で来る事になるとは思わなかったが。

 

「マスター、デュバリィです。客人をお連れしましたわ」

デュバリィが声を掛ける。先程までと違い、やや緊張を孕んだ声色だ。

 

「……お通ししなさい」

扉越しにくぐもった声が聞こえる。急に周囲の空気が重くまとわりつく様な、錯覚を覚えた。

 

「はい、失礼致します……」

チラリと目線を送り、フィーに入室を促す。絶対に失礼の無い様にと、並の人間なら失禁する程に鋭い視線を飛ばした。

「ん、お邪魔しまーす」

しかし、そんなプレッシャーにはお構い無しに、フィーは友人の部屋でも訪ねる様な気安さで、躊躇無く扉を開けた。

デュバリィの瞳にドス黒い炎が宿った。

 

「ようこそいらっしゃいました。フィー・クラウゼル」

部屋に入ると、相変わらず厳つい甲冑に身を包み、フルフェイスの仮面を着けたマスターが出迎えてくれた。

 

部屋の中で、暑苦しく無いのかな?

 

「ん、ども」

フィーもペコッと頭を下げて応じる。

「こ、小娘ぇ!!我がマスターに対して何ですの!その無礼な態度は!?」

間髪入れずデュバリィが怒りを露にする。

「マスターの御前では!頭を地べたに擦り付けながら、己の罪を悔い改めるのが常識ですわ!!!」

 

……いや、知らねーよ。そんな常識……。

 

「さあ!さっさと這いつくばって、星の数程もあるであろう、貴女の大罪を告白なさい!!さもないと煉獄送り確定ですわよ!!」

 

……そんなに沢山は無いよ。……多分。

 

「デュバリィ、客人に対して失礼ですよ」

「で、ですが、マスター!」

「それよりも。昨日の午後にここを発ってから、何故これ程まで時間が掛かったかは……。まぁ、良しとします、いつもの事ですので」

 

いつもなんだ……。

 

「スカート代わりに、腰に上着を巻いているのも……。まぁ、良しとします、いつもの事ですので」

 

それも、いつもの事なんだ……。

 

「ですが、貴女の手に付いたシンナーの匂いは看過出来ません」

 

え?シンナー臭?全然気付かなかった……。どんな嗅覚してんだよマスター……。

っていうか、一番気になるのがそこなのかよ。

 

「身体の汚れを落として、着替えを済ませていらっしゃい」

「で、ですが!マスターをこの失礼な小娘と2人きりにする訳には……」

「デュバリィ、余計な気遣いは無用です。さぁ、早く浴室へ」

「……、畏まりましたわ」

肩を落としながら、その場を後にしようとするデュバリィ。

「ん、失礼云々を言ったら、客前で素顔も見せないアンタもどうかと思うけど?」

フィーが何の悪意も無く、マスターに対して爆弾を投下した。

「~っ!!!?こっ!!」

青筋を立てたデュバリィから、この上無い程の殺気が迸る。前に突き出した右手から黄金の光が溢れ出し、主の命に応じる様に冷たく輝く大剣が姿を現した。

「小娘ぇ!!!!!」

大上段に振りかぶった大剣を、フィーに向かって繰り出す。

「止めなさい」

口調を変える事無く、マスターがデュバリィを諌める。その声は優しげではあったが、万民を平伏させるかの様な断固とした響きがあった。

条件反射の様に、デュバリィが振り下ろした大剣を、ピタリと止めた。

「で、ですが!!」

「デュバリィ」

静かに浴室を指差すマスター。

「~っ。……はい」

デュバリィはフィーを激しく睨み付けながらも、渋々といった様子でマスターの言に従い、部屋を後にした。

 

「失礼を……」

頷く様に軽く頭を下げ、マスターが謝罪の意を表す。

「何分、武以外の事には疎いもので。……ですが、確かに貴女の言う通りですね……」

フルフェイスの兜に手を掛け、ゆっくりと仮面を取り外した。

 

!!、へぇー……。

 

思わず感嘆を上げるフィー。

 

流れる様な黄金の髪、優しげだが何処か愁いを帯びた碧い瞳、儚げな微笑を湛えた口元。無意識に聖女という言葉を思い浮かべた。

 

オイオイ、美人さん過ぎるだろマスター!あの厳つい甲冑からして、てっきり『ちょっとアレ』な感じの女かと思ってた。

 

デュバリィが聞いたら、瞬時に八つ裂きにされるであろう感想を思い浮かべるフィー。

 

「自己紹介がまだでしたね、蛇の使徒第七柱、アリアンロードと申す者です。見知りおきをフィー・クラウゼル、いえ、シルフィードとお呼びしましょうか?」

「ん、どっちでも。ワタシはアリアンロードって呼べば良いの?」

「ふふ、お好きな様に」

「ん、じゃ、呼びやすいからマスターで良い?」

「ええ、構いませんよ。立ち話も何ですし、お掛け下さい。……いえ、天気も良いですし、テラスに出ましょうか?」

「ん、らじゃ」

2人は並んでテラスに向かった。

 

 

 

 

 

外に出ると、翡翠の公都と呼ばれる、美しい街並みが目に入った。

美しいだけで、心遣いも気遣いも感じられ無い街。一部の貴族の為に沢山の平民が虐げられ、それが当たり前だとされる街。そして、それが貴族として、当然の権利だとされている街。

クラスメイトの父親を悪く言いたくは無いが、フィーはアルバレア公爵が嫌いだった。いや、嫌いというのとは少し違う。自分には全く理解出来ないモノに対して妄執する人間に、言い様の無い嫌悪感を持っていた。

 

「あまり、この街は、好きでは無い様ですね」

日の光に照らされたマスターが、優しげな微笑を見せていた。

「ん。そだね……」

「貴女の様な人には、あまり馴染まない場所でしょうからね」

「ん、だろうね……」

チラリと横目でマスターを見つめる。こうして横に居ると、古い絵画から出てきた人みたいに思えた。

相変わらず背筋が凍り付く様なプレッシャーを感じる。だが同時に、何となく懐かしい匂いも感じた。

 

?……何だろ、この感覚?

 

「……。本題に入る前に、少しお話しませんか?」

「え?」

「貴女が通っている士官学院に、少し興味がありまして」

「……ん、イイよ」

「学校は楽しいですか」

「楽しいよ。皆良くしてくれるし」

「ふふふ、良き仲間に恵まれた様ですね」

「ん、まあね」

「好きな男子等は居るのですか?」

「え?……」

意外な質問が来た。

「んー……、そこは……乙女の秘密で」

「ふふふ、その様子だと居るみたいですね?」

「ん、……良く解んないんだよね、そういうの」

「おや?貴女位の歳の娘なら。色恋の話以外に興味が無くても、おかしくないと聞きましたが?」

 

誰に聞いたんだよ……。

 

「んー……。気になるヤツは、居るには居るんだけどね……。それが、どうしようもないヤローでさ」

「あら」

「こっちがそれとなくサイン出しても、アホみたいな返事して来やがるし。お節介焼きで、お人好しで、女たらしで、ボイン男爵で……。でも、いざとなると、身体を張ってワタシの事守ってくれたりして……」

「……」

「だいたいあのアホは、相手がダレでも見境無く手を貸したりするからなぁ。無理なモノは無理って言わないと、イイように使われるだけなのにさ。後で手伝うハメになる、こっちの身にもなれってんだよ」

「……」

「不器用なクセに、何でもかんでも自分でやろうとして……。ったく、何の為にワタシ達が居ると思ってんだか? そのくせ、急に髪の毛を真っ白にしてポン刀振り回したりするし。何でワタシが、脇腹からダラダラ血流しながら、それを止めなきゃなんないんだっつーの」

「……」

「ったく、あの朴念仁は……」

「ふっ……、うふふっ……」

もう堪えきれないというように、マスターが笑みを見せた。

「?……」

「ふふふ……。失礼、つい我慢が出来なくて……」

「面白かった?」

「ええ、とても。貴女がどれだけその人の事を大切に思っているか、良く解りました」

「……そ、そかな?」

「ええ。……少し羨ましいですね。それと、懐かしくも思いました」

「懐かしい?」

「……もう、随分昔の話ですが。私にも貴方と同じ様に、大切な仲間達が居まして」

「……」

「その中の1人が、貴女が今話してくれた方と、そっくりだったもので」

「そう、なんだ……」

 

はぁ、手間の掛かる男ってのは、どこにでも居るんだな。……リィンの遠い親戚かな?

 

思わず目を細めるフィー。

 

「自分の事より、周りの事ばかりを気にして。背負えもしない物まで、何でもかんでも自分の懐に抱え込んで……」

マスターがテラスの柵に手を掛け、遠くの空を見つめる。

「支えがいがある、と言えば、聞こえは良いですが……。振り回される私達にすれば、たまったものじゃないと言うか」

口調とは裏腹に、その声は優しさと愛しさに溢れていた。

「ですが……、誰よりも他人の事を大切に考えていて……」

愉しそうに話を続ける。

「……そのくせ、私の気持ちには全く気付かない朴念仁で……」

不意に、マスターが手を掛けているテラスの柵から、ピシッという乾いた音が響き渡った。

「朴念仁で、女たらしで、朴念仁で、女性の胸が好きで、とにかく朴念仁で……」

テラスの柵にビキビキッとヒビが入っていく。

 

どんだけ朴念仁なんだよ……。

 

「何より!私が髪型を変えた時など!!」

全身から黄金のオーラが、凄まじい勢いで吹き上がる。

次の瞬間、無意識に力を込めた柵が、粉々に砕け散った。

「あ、あら?……」

思わずやっちゃった、といった顔を見せるマスター。

「……ご、ごほん。古いホテルですから、老朽化が進んでいた様ですね」

少しだけ肩を竦めながら、はにかむ様に笑って見せる。

 

「……お互い、苦労してるね」

フィーは苦笑いを浮かべながら、その様子をしみじみと見つめた。

「……ええ、本当に」

2人は顔を見合わせると、少しだけ口元を緩めた。

 

 

 

「な、何事ですの!?今の音は!!」

デュバリィが生まれたままの姿で。大剣を振りかぶりながら、バスルームから飛び出して来た。

素顔を晒して何故かテラスの柵を破壊するマスターと、ニヤつきながらその様子を見つめるフィーの姿が眼に入る。

「こ、小娘ぇ!!我がマスターに、何をしていやがります!!」

水飛沫を撒き散らしながら、フィーに詰め寄る。

 

「……デュバリィ、余計な気遣いは無用と申した筈です。……それと」

マスターがスッと、デュバリィの背後の床を指差す。そこはビショビショに濡れて、水溜まりになっていた。

「あっ……」

思わずシュンと小さくなるデュバリィ。

「ふぅ、いつもの事なので、口煩くは言いません。取り敢えず身体を拭いて、着替えて来なさい」

有無を言わさぬ様に、バスルームを指差す。

「……は、はい……」

デュバリィは大剣で身体を隠しながら、そそくさとバスルームへと戻って行った。

後にはビショビショに濡れた、床だけが残されていた。

 

「ん……、苦労してるね」

「……ええ、……本当に」

2人は顔を見合わせると、互いに可笑しそうに笑った。

 

「んじゃ、ワタシが後片付けするから、マスターはお茶でも入れてくれる?」

「ふふふ、解りました。では、お茶を飲みながら本題を話すと致しましょうか?」

「ん、らじゃ」

フィーは勝手知ったる自分の部屋の様に、クローゼットの引き出しからタオルを取り出して床を拭き始め。マスターはパントリーに足を進め、お茶の準備を始めた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。