妖精の軌跡first【完結】   作:LINDBERG

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子猫は神速と共に

ふぅ……。やれやれ、やっと終わった。

 

室内の片付けを終えたフィーは、着替えを済ませたデュバリィと向かい合わせにソファーに座り、紅茶の準備をしてくれているマスターを待っていた。

マスターが破壊したテラスの柵は、流石にどうにもならないので。取り敢えずフロストエッジで氷付けにして、体裁だけは整えておいた。天気は良いが、今日1日位は大丈夫だろう。

スイートルームなんだから、部屋の装飾素材は、全部ゼムリアストーン製にしとけよ。と無茶な指摘を思い浮かべるフィー。

もっとも、仮にゼムリアストーン製の柵でも、マスターなら、いとも容易く粉砕していたかも知れないが……。

 

ふと、向かいに座るデュバリィの様子を伺う。

彼女は、先程駅で紛失した服と、全く同じ格好に着替えていた。

 

妙に落ち着きが無く、忙しげに視線をパントリーの方へと向けていた。唇をギュッと噛みしめ、全身を小刻みに震わせている。

 

?、……風呂上がりで喉乾いたから、早くお茶が欲しいのかな?

 

フィーは単純にそう思った。

 

 

 

「ご苦労様です、クラウゼル。デュバリィも色々とお疲れ様でした」

マスターがティーセットを乗せたトレイを持って、パントリーから姿を見せた。

「お茶の用意など久しぶりの事なので、お口に合えば良いのですが……」

そう言いながらも、洗練された所作でカップを配ってくれる。

「も、申し訳ございません!マスター!!」

急にデュバリィが床にひれ伏し、頭がめり込む程にゴリゴリと擦り付けながら懺悔を始めた。

「マスターにこの様な些事をさせてしまうなど、鉄機隊筆頭としてあるまじき事!かくなる上は、そこに居る無礼な小娘と共に、腹を切り裂いてお詫びする所存でございます!!」

デュバリィの言葉には、断固たる決意が伴っていた。

 

いやいや、何でワタシまで腹切りしなきゃいけねーんだよ?

 

迷惑にも程があるぞ、といった顔を向けるフィー。

「顔を上げなさいデュバリィ。その様に血生臭いお茶会は、レンだけで十分です」

「で、ですが!」

「それとも、淑女の嗜みに疎い私では、お茶の一つも淹れられないという事ですか?」

優しげな微笑みを浮かべたマスターが、デュバリィを諌める。

「め、滅相もございません!」

デュバリィが再び頭を擦り付ける。

「さぁ、冷めてしまう前に召し上がりなさい」

「ま、ま、マスタあぁぁぁぁ!!!」

顔中の穴から体液を噴出させたデュバリィが、感激の雄叫びを上げる。

 

はぁ、男前だね、マスター……。そりゃ、命懸けで仕えたいと思うわ。

 

少しだけデュバリィの気持ちを理解したフィーは、彼女達の様子を横目に見やりながら「いただきまーす」とカップを手に取った。

「こ、小娘ぇぇ!!何を普通に飲もうとしていやがります!?もっと全身から感謝を表現しやがれですわ!!」

 

……お茶位、ゆっくり飲ませろ。

 

「デュバリィ、何度も言いますが客人に対して失礼ですよ。控えなさい」

「ですが……」

「さぁ、そんな事より、貴女も遠慮なくお飲みなさい」

「ま、マスタぁぁぁ……。ありがたき幸せですわ……」

最大限の感謝を身体全体で表しながら、恐る恐るカップに手を伸ばすデュバリィ。

「こ、これがマスターのお茶。何と神々しい……、黄金色に輝いてますわ!」

 

……いや、お茶って大体そんな色だから。

 

「すぅー……、はぁ。何と清々しい……、芳醇なフルーツの様な香りがしますわ!」

 

……いや、お茶って大体そんな香りだから。

 

「このデュバリィ!今この場で果てようとも、何の悔いもありませんわ!!」

 

……早よ飲め。

 

目を細めながら、カップに口を付けるフィー。

 

「味は如何ですか?クラウゼル」

マスターが優しげな視線をフィーへと送る。だがそれとは裏腹に、言葉の端に若干の不安が感じられた。自分が淹れたお茶を、どう評価されるのかが気になる様子だ。

「ん……」

フィーはゆっくりと口の中で、お茶の風味を味わう。

「んー……、ちょっとだけ味わいが薄いかも。もう少し蒸らした方が好きかな?……でも色合いは綺麗に出てると思う」

普段からスーパーメイドが淹れてくれるお茶を飲んでいるため、フィーはお茶に関してかなり舌が肥えていた。

「お湯も沸騰したやつじゃなくて、少しだけ冷ました方がもっと深みが出るよ」

「成る程……、なかなか難しいのですね」

マスターはちょっとだけ肩を落とした。

「小娘ぇぇ!!何を生意気に抜かしていやがります!!我がマスターに意見するなど、1兆年早いですわ!!!」

「ん、別に美味しくないって言ってるワケじゃ無いよ。こうした方がもっと良くなる、って言ってるだけ」

「なっ!!?」

「人が出してくれたモノをただ美味しいって言うのは、感想でも何でもないでしょ?良いトコ悪いトコをちゃんと言わないのは、作ってくれた人に対して失礼だと思うけど?」

「うっ……」

あまりの正論にぐぅの音も出ないデュバリィ。

 

「2人とも、その辺で……」

マスターが笑みを浮かべながら場を窘める。

「デュバリィ、私は美味しいと飲んでくれればそれで十分です。クラウゼル、忌憚の無い意見痛み入ります」

そう言いながら優雅な所作で、自分が淹れたお茶に口を付ける。

「……ですが、確かにもう少し深みが欲しい所ですね」

カップをソーサーに戻しながら、小さく呟く。

「ふむ。やはり淑女たる者、闘争ばかりにかまけていては、いけない様ですね……」

微笑みを崩さぬまま、スッと目を伏せた。

 

ホント、綺麗な人だな……。

 

フィーは素直にそう思った。そして、ちょっとだけデュバリィを羨ましいと思った。更にほんのちょっとだけ、サラとマスターをトレードしてくれないかな?と思った。

 

 

 

「では、本題に入りましょうか」

不意に、マスターの碧い瞳がフィーを捕らえた。

こうして改めて対峙すると、内臓を鷲掴みにされたかのような、凄まじい威圧感を感じる。気を抜いていたら、プレッシャーだけで気を失いそうだ。

 

「デュバリィから聞いているとは思いますが、先日貴女が奪い取ったカジノ店は、私共の結社と懇意にしている組織が運営する店でした」

「ん……、回りくどい話は良いよ。要は金蔓をダメにした、責任を取れって事でしょ?」

「……ふっ、話が早くて助かります」

「あの店自体は、もうワタシの手持ちじゃ無いし、手にした経緯がどうとかは、言うだけムダだよね?」

「ええ、貴女が店を奪った、という一点だけが問題です。因みに、ブルブランには相応の罰として、当分の謹慎を言い渡しています。……本人は全くと言って良い程、懲りてはいなさそうでしたが」

「ん、迷惑だから、もうワタシには付きまとわないでって、伝えてくれる?」

「了解しました。言うだけ無駄かもしれませんが……」

 

ん、……そかもね。

 

うんざりした顔を浮かべ、一口お茶を啜る。

 

「貴女には、以前デュバリィを助けて頂いた恩もあります。私個人の意見としては、不問にしたい所なのですが。今後の計画に於ける資金繰りと、組織としての総意がある以上、私にはどうする事もできません」

「で、具体的にはワタシにどうして欲しいの?」

「……単刀直入に言います」

マスターがフィーに向き直る。

「クラウゼル、我等の同士となりませんか?」

「え?」

「貴女が我等の仲間に加わると決断するならば、今回の件は水に流しましょう」

「!!」

「先日の幹部会で話し合いましたが、西風の妖精が結社に加わる事に、異議を唱える者は居ませんでした。貴女なら、執行者待遇で迎え入れる用意があります」

「……マジで?」

「それに、これは決して、貴女にとっても悪い話ではありません」

「?……、どういう意味?」

「貴女が以前属していた西風の旅団……。半年程前に解散してから、一人も行方が分からないそうですね?」

「ん……」

「探しているそうですが、アテはあるのですか?」

「!……」

思わず返答に困る。

「貴女の過去をエサにする様で心苦しいのですが。結社の情報網を駆使すれば、貴女が昔の仲間と再会する確率も、グッと高まるでしょう」

「……」

 

成る程ね、そう来たか……。

 

腕を組んで考える。

 

確かにマスターの言う通り、ワタシには西風の皆を探す術が無い。大陸中の酒場とカジノを転々としていれば、いつかバッタリ、何て事もあるかも知れないが、あまりにも非効率的だ。

よっぽどクレアに頼み込んで、情報局のファイルでも見せて貰おうかとも思ったものだが、流石に無理だろう。

 

マスターの提案はフィーにとって、余りにも魅力的な渡りに舟だった。

 

「確かに我々の組織は犯罪に組していますが、何の大義も無く行っているワケではありません。全ては、大いなる盟主の導きに従っているだけです」

 

盟主?……何だか凄そうな名前が出て来た。

 

「それに、こう言っては何ですが……、元猟兵の貴女には、むしろ馴染みやすい場所かも知れません」

「ん、……そかもね」

「それと、クラウゼル。貴女の事を少しだけ調べさせて貰いましたが……」

マスターが1枚の紙を取り出し、素早く視線を走らせてから、やや顔をしかめた。

「これには士官学院に入学してからの、貴女の情報が書かれてあるのですが……。運び屋の真似事に始まり、憲兵隊及び領邦軍への襲撃、テロ行為、リベールの王族に対する傷害、未成年の飲酒、違法賭博行為、道交法違反、法聖省への襲撃未遂、その他諸々……。ふむ……」

マスターが視線をフィーに戻し。

「……なかなか派手にヤッている様ですね」

呆れ顔を浮かべた。

「……ん、まぁ、ね」

身に覚えが有る事から無い事まで、言われ放題のフィー。

 

はぁ、どうやって調べたかは知らないけど……。ま、確かに色々ヤッてはいるかな?

 

思わず苦笑いを浮かべる。

 

「もし、これらが全て公表され、逮捕という事にでもなったとしたら……。執行猶予無しの懲役120年、といった所でしょうか?」

「ん……、まぁ……、ね」

懲役120年の執行猶予期間がどの位かは、この際置いておく。

 

「それと!先程わたくしを辱しめた罪も加わりますわ!!」

ここまで大人しく控えていたデュバリィが、思わず口を挟んだ。

「……詳しくは知りませんが、その件に関しては私の一存で不問とします」

「そ、そんな……」

マスターの鶴の一声に、ガックリと肩を落とすデュバリィ。

 

「我々結社は、帝国政府の高官とも懇意にしています。そちらに働き掛ければ、ここに書いてある全てを揉み消す事も可能ですが」

「……」

「どうですか?」

「ん……」

考え込む素振りを見せるフィー。

 

自分が犯したという罪(本人に自覚は皆無)に関してはともかく、結社の情報網とやらは相当なモノらしい。

これならホントに、西風の皆を見つけられるかも……。

 

「待遇面も良いですよ。社会保障は有りませんが、年2回の社員旅行、危険ミッションに於ける特別手当て、積み立て年金、住宅ローン支援、独身者の結婚支援、他にも特典が盛り沢山です」

 

……何だか、ワタシよりも、サラに勧めたい職場だな。

 

「さぁ、どうです?」

遣り手のヘッドハンターばりに、好条件を提示していくマスター。

 

「うーーーーん~~~~………………………」

フィーは、人生で初めてとも言える程の熟考の末に。

「ん、決めた。ヤらない」

ほんの紙一重で、何とか誘惑を断ち切った。

 

「……やはり、犯罪組織には手を貸せないという事ですか?」

「ん、そこは別に問題無いんだけど……」

士官学院生とは思えない台詞の後に、フィーは真正面から碧い瞳を見つめた。

「アンタ達の組織に加わると、Ⅶ組の皆とお別れしなきゃならなくなりそうだから……。それは絶対イヤ」

「学生を続けながら執行者として活動しても、一向に構いませんよ」

「ん、皆に隠し事するのはダメ。そんな事しちゃったら、自分が嫌いになりそうだし」

 

「西風の捜索はどうするのですか?」

「んー……、それは自分の力で何とかするよ。そんなに焦ってもいないしね」

「ふふ、昔の仲間よりも今の仲間、という事ですか?」

「モチロン西風の皆も大事だよ、Ⅶ組の皆に負けない位。でも……」

翡翠の瞳を大きく見開き、力強くマスターを見つめる。

「今のワタシは『西風の妖精』じゃなくて、『Ⅶ組のフィー・クラウゼル』だから。……だから、西風の皆を探すのも、妖精としてじゃなくて、フィー・クラウゼルとして探したい。それと、その紙に書いてある犯罪記録は……、ま、何とかなるでしょ。多分……」

 

ま、有難い事に、大半はクレアが揉み消してくれたらしいしね。

 

「ふっ……貴女の最終的な目標は、現状を維持しながらも過去と向き合う。そんな所ですか?」

「そんなに難しい事は考えてないよ。ワタシはただ……」

フィーはちょっとだけ言い難そうにしながらも。

「皆で一緒に、ゴハンが食べられたら良いな、って思ってるだけ……」

躊躇いがちにそう呟いた。

「ふふふ、成る程……。納得しました」

マスターは、少しだけ残念そうな微笑みを浮かべながら、ソファーの背もたれに身体を預けた。

 

「ゴメンね、マスター。折角誘ってくれたのに」

「謝る必要はありません。こちらこそ、無理を言ってすみませんでした」

「でも、ワタシなんかが結社ってトコに入っても、大した力にはなんないと思うんだけど?」

「自分を過小評価してはいけませんよ、クラウゼル。以前帝都の街道で少し見ただけですが、貴女は戦闘のノビシロは勿論、勝負度胸、決断力、状況の見極め、全てにおいて並み外れたモノを備えています」

「ん、さんくす……」

「そして何より、貴女には対峙する人間を虜にする様な、不思議な魅力を持ち合わせています。……そうでなければ、如何に不調法であろうと、私が仮面を外して素顔を見せる事は、無かったでしょう」

「ん、……さんくす」

思わず、フィーの頬が紅く染まる。美人さんに褒められるのは、無条件で嬉しいものだ。

 

その様子をデュバリィは、眼から破壊光線を発射しそうな程、羨ましそうに見つめていた。

 

「ふっ……、さて、では話を戻しましょうか」

紅茶を一口飲んでから、フィーに向き直るマスター。

「貴女がこちらの提案を断る可能性は、まぁ、ある程度は予測していました。そこで代替案ですが……」

マスターが足下から、ボストンバッグを取り出す。

「一つ、簡単な仕事を頼まれてくれますか?」

「仕事?」

 

何だか、嫌な予感。

 

「この鞄は、以前貴女とデュバリィが、私に届けてくれた物です。覚えていますか?」

「ん、覚えてる」

「これをクロスベルまで運んで欲しいのですが、如何でしょう?」

「クロスベル?」

思わず目を細める。

 

クロスベル自治州。帝国と共和国とに挟まれ、互いが利権を主張し合う大陸随一のホットスポット。行政、治安、共に最悪だが、革命的とも言える導力技術の進歩と、豊富な資源等で、バブル並に景気が良いらしい。

確か今日は、エレボニアの代表とクロスベルの市長とで、経済会談を行っている筈だ。

 

「待ち合わせ時間は今日の正午、場所は中央広場のカフェレストラン『ヴァンセット』の2F席、移動手段として操縦士付きの飛行艇を用意しています」

 

オイオイ、随分準備が良いな。……完全に私が入社するの、断ると思ってやがったな。

 

ついつい目が細くなる。

 

「それ程難しい仕事ではないとは思いますが、何か質問はありますか?」

「ん、……それは、結社の仕事って事?」

「はい、我が盟主から承った仕事です」

 

……盟主さん、ね。

 

「ブツを渡す相手はダレ?」

「計画漏洩を防ぐため、相手の情報はありません。時間と場所の指定だけで、取引する流れになっています」

「危険度は?」

「ほぼ無いと思って貰って結構です、盟主からはそう聞いています」

「危険の無い簡単な仕事を、わざわざワタシに任せる理由は?」

「特にありません。強いて挙げれば、こちらの都合上の問題とでも言いましょうか」

 

……ふーん。

 

「どうしますか?」

「ん、ヤる」

「……随分迷いの無い決断ですが、良いのですか?」

「ゴネてもしょうがないしね。それより、この仕事を済ませたら、カジノの件はチャラで良いんだよね?」

「ええ、鋼の聖女の名に誓い、約束します」

「ん、ならOK」

フィーはソファーから立ち上がると、ボストンバッグに手を伸ばす。

「中身は見ちゃダメだよね?」

「はい、絶対に開けてはいけません」

「ん、了解」

鞄を持ち上げて重さを確認する。

 

前に持った時よりも少し重いかな?中身は変わってるっぽいね。

 

入念にブツの状態を確認するフィー。マスターは暫くの間、その様子を観察してから。

「……デュバリィ、クラウゼルに付き添ってあげなさい」

唐突にデュバリィへと命じた。

「へ?わたくしが?」

デュバリィは目を白黒とさせている。

「簡単なミッションではありますが、見届け役は必要でしょう。面倒とは思いますが、お願いします」

「お、お言葉ですがマスター!見届け役など、何もわたくしが出張らずとも、下級戦闘員にでも任せれば!?」

「デュバリィ、お願いします」

「……はい」

肩を落としながらも、マスターの命には潔く従うデュバリィ。

「では経費として、これを渡しておきます」

マスターが懐から1万ミラを取り出し、デュバリィに手渡す。

「あ、ありがとうございます!マスター!」

目を輝かせながら、両手で恭しく受け取る。

「あまり無駄遣いしてはいけませんよ」

「勿論、心得ておりますわ!」

デュバリィは元気良く返事をすると、紙幣を裸のままで、スカートのポケットへと捩じ込んだ。

マスターがやれやれといった表情を浮かべる。

 

 

 

「んじゃ、行ってくる」

フィーが鞄を肩に担ぐ。

「では、行って参ります。マスター」

デュバリィが畏まった所作で、丁寧に頭を下げる。

「2人共、宜しくお願いします」

マスターはそんな2人を、微笑ましい様子で見送ってくれる。

「飛行艇は、アノール川沿いの林の中に留まっています。周囲に魔獣避けは施していますが、注意して下さい」

「畏まりましたわ」

「……それとクラウゼル」

「ん?」

「次は、もう少しゆっくりとお話をしましょうか。それまでに私も、お茶の入れ方を練習しておきますので」

「ん、らじゃ。またね」

2人は階段を下りて、ホテルのエントランスへ向かっていく。去り際にマスターから、再び懐かしい匂いを感じ取った。

 

……ああ、解った。……あの匂いだ。

 

フィーはスッと瞳を閉じた。

 

半年前までは、ワタシも当然の様に嗅いでた匂い。血と鋼鉄と砂埃の匂い。ワタシが育った場所の匂い。

 

目を開いて少しだけ後ろを振り返る。既に扉は閉まり、マスターの姿は無かった。

 

生と死が、身体の奥底にまで染み付いちゃってるんだね……。マスター。

 

目を細めながら扉を見つめた。

 

「どうかしやがりましたか?」

デュバリィが立ち止まり、不思議そうにフィーを見つめた。

「ん?うんん、別に……」

フィーはデュバリィにそう返事を返すと、視線を前に戻し、もう振り返る事はなかった。

 

「そうだ、これを返しておきますわ」

デュバリィが駅で拝借したフィーの上着を手渡す。

「ん」

素早く上着に袖を通し、胸元のリボンを付け直すフィー。

「何だか随分と重たい制服ですが、何か改造でもしていやがるのかですわ?」

「ん?……ま、ちょこっとね」

フィーが思わせ振りにニヤリと笑う。

「貴女……ホントに学生らしくない小娘ですわね。……それと、もう一つ聞いておきたいのですが」

「?」

「先程のテラスですが、マスターと2人っきりで何を話していたですわ?」

「ん……。それは……、乙女同士の秘密」

「な?何ですの、それは!?」

「乙女同士の話って言ったら、一つしか無いでしょ」

「???……。美味しい食べ物の話ですの?」

「……」

「な!?何ですか!!その、人を憐れむような視線は!!」

「ん、いや、……何か『残念』だなって」

「わざわざ残念を強調するんじゃねぇですわ!!!」

デュバリィが場所も考えずに、大声で喚き散らす。その様子をホテルの支配人が、あからさまに迷惑な様子でジロリと睨む。

 

ま、残念と言えば、ワタシもマスターも、十分に残念かな?

 

思わず苦笑いを浮かべた。

 

「んじゃ、行こっか」

少しだけ自嘲する様に笑いながら、ホテルを後にした。

 

ちょっとだけ残念な子猫と、かなり残念な神速は、魔都と呼ばれる東の街へと向かう。

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