機動戦士ガンダム虹の軌跡   作:シルヴァ・バレト

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フィア・アッシュベリー

6年ぶりに目覚めた彼女は、再び世界と向き合う覚悟を決める。

そして…夫との別れ

彼女は、この世界で何を想うのか


外伝:Episode of Fear

 夢を見ていた。

 

 時には悲しい夢もあった。大切な人の命が消えていく夢……。

 

 手を伸ばしても、届かない。

 

 大切な人を救うことすらできずに見つめるだけ。

 

 支えなければならない場所が沢山あったのに―私は……

 

 だが、それでも彼らは乗り越え、辿り着いた。

 

 私が最後に見た夢、いや、目覚める前に見えた景色は、宇宙で輝いている虹。

 

 クロノードやカカサ、ムゲンたちがその虹を静かに見つめている姿。

 

 そんな景色が見えたんだ。

 

 

 

 夢から現実へ引き戻されていく。

 

 ゆっくりと目を開くと、そこは病室だった。

 

 窓のほうを見ると、外の広場で遊ぶ子供たちの姿が見える。

 

 大きく深呼吸し、頬をつねってみる。

 

「っ……」

 

 痛かった。つまり、現実……なのか。

 

 本当に目が覚めたのか。

 

 丁度、私の様子を見ようと医師が部屋に入ってきた時のことだった。

 

 医師と目が合う。

 

 医師は目をパチパチとさせ、少し驚いている様子だった。

 

 それから首を横に振った後

 

「フィアさん、わかりますか?」

 

「………」

 

 声を出そうとしても、出ない。

 

 仕方ないので小さく頷いて見せた。

 

 すると医師は

 

「それは良かった!まさか目が覚めるなんて思いませんでしたよ!さっそくご家族の方に連絡をしますね!」

 

 そう言って、ニコニコと笑いながら医師は病室を後にした。

 

 私自身、本当に自分が目を覚ますとは思ってもみなかった。

 

 本当はまだ眠っていて、これは夢なのかもしれない。

 

 でも、つねった頬は痛かった。

 

 私は……どれくらい眠っていたのだろう。

 

 テーブルの小さいカレンダーを見ると、【U.C.0093.3.14】と書いてあった。

 

 6年もの間眠り続けていたのか。どうりで医師が随分と驚いたわけだ。

 

 カレンダーの横に置いてある古ぼけた写真を手に取る。

 

 エゥーゴに全員が集まった時の写真だ。

 

 皆元気にしているだろうか。

 

 ……いなくなったりしていないだろうか。

 

 しばらくして、病室の前が騒がしくなった。その中には聞いたことのある声も混ざっていて、すぐに誰だか理解することが出来た。

 

 それから扉が開く音の後、こちらへと向かってくる足音。

 

 革靴独特の足音、一歩一歩の足取りが緊張でうまく動いていない。

 

 こういう時、変に緊張する奴を、私は()()()()()()()()

 

「……この足音は……。…ああ、随分と懐かしい。やっぱりお前が一番最初に来てくれると思っていたよ、クロノード」

 

 振り向くと、彼は驚くわけでもなく、私の顔を見るや否や抱きしめてきた。

 

 少しだけ…驚いたぞ。

 

「……随分と大胆だな、クロノード。ふふ、私は嬉しいよ」

 

 驚き以上に、嬉しかった。また、クロノードに抱きしめてもらえるなんて思いもしなかったから。

 

「お前に、お前に会えることを……何度夢見たことか…!やっと…やっと会えた!フィア!!!」

 

 クロノードは泣きそうな声で言った。でも…それは私も同じ。会いたかった。

 

「ああ……私も会いたかった。お前に抱きしめてもらいたかった。……久しいな、クロノード」

 

 お互いに顔を見合う。彼は、どこか疲れたような顔をしていて、なんというか……【()()()()()()()()()()()】ような雰囲気を感じた。

 

 会いに来てくれたのはクロノードだけでは無かった。

 

 クロノードが扉を開くと、彼がよく履いていた靴の音。

 

 …そうか、彼も来てくれたのか。

 

「あ………あ……!」

 

 まるで幽霊でも見ているかのような声を上げるその主は、どれほど私との再会を望んでくれたのだろう。

 

「……おや、その声は」

 

 短めに切り揃えた黒髪に、決意を秘めた瞳、かつて私の胸を借りて泣いた青年とは思えないほど成長している。

 

 私は、彼に微笑みながら

 

「…ムゲン」

 

 すると、ムゲンはゆっくりと口を開く。

 

「…フィア……さん……」

 

 ムゲンは私の近くへと寄ると笑って見せる。

 

 そんな彼の頭にゆっくりと手を乗せ、撫でながら

 

「見えたぞ、宇宙に輝く虹が。……お前は最高の弟だ。…ありがとう、ムゲン」

 

 夢の中からでも伝わった、温かい光。

 

 これが、人の意志ならば、私は信じたい。

 

 いいや、信じさせてくれたのは、今目の前にいる青年。

 

「……どういたしまして、姉さん!」

 

 涙を流しながら、ムゲンは笑った。

 

 あの約束から6年。ここにいる彼らは、どれほど辛い思いをしてきたのか。

 

 私は、そんな彼らに何をしてあげられる?

 

 ムゲンは涙を拭いて、後ろのほうに手招きをする。

 

 そして、ムゲンの前へ少女が歩いてくる。

 

「ルナちゃん、やっと、やっと君に会わせてあげられる…。君のお母さんを」

 

【ルナ】その名を、忘れた日は無い。そうか……もう9才か。随分寂しい思いをさせただろう。

 

「さあルナ、覚えているか?ルナの母さんだ」

 

 クロノードは微笑みながらルナに問いかける。

 

 ルナは大きく頷いて

 

「うん!!ママだ!!!」

 

 私はルナを抱きしめた。

 

「ああ……ルナ……!こんなに大きくなったんだな…。こんなに……こんなにも…!!私は嬉しいよ」

 

 嬉しかった、何事もなく成長してくれていることが、こんなにも嬉しい事なんて思わなかった。

 

 親として、してあげられなかったことが沢山あるからこそ、余計にそう思えた。

 

 もう…絶対に一人にしないから。

 

 お母さんが、守るから。

 

 ルナは幸せそうな顔で目を瞑っている。

 

 そんな我が子を見ているだけで、嬉しさが込み上げてくる。

 

 黒い髪で、目元がクロノードそっくりな細い目。そうか、クロノードに似たか。てっきり私に似てくれるかと思ったが。

 

 それから数日後、私は晴れて病院を退院し、家へと帰れることになった。

 

 

 

 家は病院の近くで、いつでもお見舞いに行けるようにとカカサとクロノードで借りたそうだ。

 

 ……本当に、彼らには迷惑をかけっぱなしだな。

 

 これからは返していかないといけない。

 

 そう思っていた矢先の事。

 

 カカサに呼び出され、その話を聞いた時、世界が止まった。

 

「……な、なんて……言った…?」

 

 カカサは俯きながら、もう一度言う。

 

「クロノードには……もう時間が無い。…強化人間にされた時の副作用で」

 

「………そん…な……」

 

 やっと目が覚めたのに、やっと……会えたのに……。

 

「…俺にも……どうしようもないんだ。…本当だったら、記憶も無くなったまま、彼は……」

 

「そう、なのか……」

 

「ああ。……あの虹は、本当に奇跡を起こしたんだ。クロノードの記憶を戻し、フィアを目覚めさせた」

 

「……私に…出来る事は無いのか」

 

「それは、俺には分からない。……でも、その中で最善を選んでいくしかない……。彼のために、どうするべきかを選ばないといけない」

 

「…悲しい…事だな。せっかく皆元通りになったはずなのに」

 

 カカサは静かに首を横に振り

 

「全部が全部元通りにはなっちゃいない。悲しいけど、()()()()()()()()

 

「そう、だな……。どうして、こんな道しか進めなかったんだろうな」

 

「それが……俺たちが決めた道だから。アイツについていくと決めたあの日から、俺はアイツのために戦った。それは今でも変わらない」

 

「友として、最善を尽くすだけだ」

 

「……そう、か…」

 

 彼の言葉を受け止めるには、さすがに時間が掛かった。

 

 クロノードが死ぬ。その事実を受け入れるなんて…出来るわけがない。

 

 彼は……受け止めているのだろうか。

 

 苦しくないのだろうか。

 

 私に……私に何が出来る…?

 

 

 家に帰宅した時には、既に外は暗く、辺りを真っ黒に染め上げた夜が訪れていた。

 

 見るものすべてが真新しいというわけではないが、6年ぶりに目覚めて、色々なところを回っていたから随分と時間が掛かってしまった。

 

 家の扉を開くと、美味しそうな料理の匂いが鼻をくすぐった。

 

 まさか、クロノードが……?

 

 考え込んでいると、クロノードが肩を竦めながら

 

「…俺じゃないさ。作ったのは、ルナだ」

 

「何……ルナは料理まで…?」

 

「ああ。……リナから教わったそうだ。まったく、見ないうちにどんどん成長していくんだな……」

 

 本当は私が教えてあげなければならないはずだったのに、ルナには何一つ親としてしてあげられていない。

 

 ……でも、それでも嬉しかった。

 

 あの子がこんなにも成長していることが。

 

「あ、ママ!おかえりっ!」

 

 ルナは私をみつけると、ニコニコと笑いながら大きく手を振る。返すように私も小さく手を振った。

 

 サイズぴったりの赤いエプロンを付けて、頬にちょっとだけ料理がひっついている。

 

「ただいま、ルナ。…いい匂いだ、何を作ったんだ?」

 

「えっとね!もうすぐできるから、座って待っててね!それからのお楽しみ!」

 

 そう言ってルナは再びキッチンへと姿を消す。

 

 言われた通り私たちはテーブルに腰かけて、彼女の料理を待つ事にした。

 

 …手伝っても良かったが、彼女が頑張っている姿を、応援するだけでもいいと思えたから、今回は一人でやらせてみた。

 

 私が教えられることも、あの子に教えていかなければな。

 

「…本当に、見ないうちに逞しくなったものだ……」

 

 クロノードが呟く。私は小さく笑った後

 

「…子供の成長は、早いものだな」

 

 そうして、お互いに顔を見合い笑った。

 

「できたよー!」

 

 ルナが料理が乗ったお皿をもってキッチンから出てくる。

 

 テーブルに置かれた料理は、()()()()だった。

 

 それを見たクロノードは、おぉ、と声を上げる。

 

「どうした?クロノード」

 

「…いいや。懐かしいな、オムレツなんて、ルナに食べさせた時ぶりだ」

 

 するとルナは目をキラキラとさせながら言った。

 

「そうだよ!パパが作ってくれたオムレツが美味しかったから、私、リナからオムレツの作り方教えてもらったの!パパとママにオムレツを食べさせたくて!」

 

「………」

 

 クロノードは黙ってルナを抱き上げ、頭を撫でる。

 

「凄いぞ、ルナ。良くできたな!」

 

 その表情は、クロノードという男の顔ではなく、間違いなくルナの父親の顔。

 

「えへへ!皆で食べよー!」

 

 ルナはクロノードの手からするりと抜け、椅子に座ってナイフとフォークを持った。

 

「食べようか、クロノード」

 

「ああ」

 

 こうして、6年ぶりに家族だけの夕食の時間が訪れた。

 

 ルナの話や、クロノードから聞いた今までの話、他愛のない話もした。

 

 幸せだった。

 

 こうしてルナとクロノードと共にまた話すことが出来て、夕食を食べることが出来ることが。

 

 これだけを、この幸せのためなら、他に何もいらない。

 

 そう思えるほどに。

 

 

 

 外に出ると、綺麗な三日月。それを眺めるクロノードの姿。

 

 この光景を見るのも何度目になるだろうか。

 

 クロノードにバレないようにひっそりと横に並ぶ。

 

 いくらなんでも集中しすぎだ。…まあ、そういうところも嫌いじゃないけれど。

 

「……綺麗だ」

 

 彼は無意識で言ったのだろう。少しからかってみようかな。そう思って私は口を開く。

 

「おや、それは私に言っているのか?」

 

「うおっ!?フィア!?」

 

 とても驚いているクロノード。やはりこういうところは可愛くて仕方がない。

 

「ふふ、お前は相変わらず可愛いな。…でも確かに……この空は綺麗だな」

 

 夜空を静かに見守る三日月。全てを優しく抱く母のような、月は平等に私たちを照らす。

 

 沈黙は、苦とは思わなかった。

 

 彼がそばにいるだけで、何もいらない。

 

 私は……

 

「なあ、クロノード」

 

「なんだ?」

 

「……ルナも随分と成長したな…。お前も、ムゲンも、成長した。……私は嬉しいよ」

 

「何を言うんだ、俺はもう限界さ…。だから、せめてルナといれるだけいてあげたい」

 

()()】彼の口から言われると、余計に悲しくなる。事実を……受け入れなければ。

 

「………カカサから聞いた。副作用だったか……」

 

「ああ。強化人間という存在の宿命さ。……でも、後悔も、悲しさもない。ムゲンと決着をつけられた。それに……」

 

「俺の存在を記憶し続けてくれる人たちがいる事を知ったから」

 

 その微笑みは、純粋だった。……だが、クロノードを失った私はどうすればいい?

 

「……悲しい…ものだな…。愛する人が死んでしまうというのに、何もしてあげられないなんて」

 

「いいや、フィアは俺に沢山の事をしてくれた。それに、俺を愛してくれたじゃないか。それで…いいんだよ」

 

「……クロノード…」

 

「時代は嫌でも進んでいく。…けれど、それを乗り越えて生きていくしかないんだ。フィア、どうかルナを頼む」

 

「…ああ。分かっているとも」

 

 その瞳は、決意。……死への。こんな悲しい決意があるものか。

 

 私は目を覆い上を向く。涙を…堪えなければ。泣いたら……ダメなんだ。

 

 するとクロノードは突然、私を抱きしめてきた。

 

「く、クロノード!?…なにを……」

 

「悲しい時くらい、俺がいるんだから頼ったらいいんだ。そうだろ?」

 

 驚き以上に、悲しさが込み上げてきて。涙が零れてくる。

 

 そうやって優しくしてくれる私の大切な夫はもうすぐ……。

 

「……クロノード……。うっ……うぅ…!!死なないでくれ……。私は……やっとお前の所へ帰ってこれたのに…」

 

「お前が居なくなるなんて嫌だ……!私を……一人にしないでくれ……」

 

 情けない。クロノードが苦しんでいるのに何もしてあげられなかったなんて。

 

「……俺だって、お前と離れるのは辛いさ。けれど、仕方がないじゃないか。……今は少しでもフィアを抱きしめていたい……そうすれば、君を感じれるから」

 

「…あぁ…!」

 

 人の痛みなんか、分かりはしない。

 

 私は、クロノードになってあげることはできないから。

 

 でも、それでも……愛する人を支えたい。

 

 側にいるだけで、それだけでも……。

 

 せめて、私にしかできない事を。

 

 月は平等に世界を照らす。

 

 悲しみも、喜びも、ただ静かに見守る。

 

 

 

 一目見た時、まるで天国にでもいるんじゃないかと錯覚した。

 

 野原一面に咲く花は、風に揺られ楽しそうに踊り、時折笑っているようにも見える。

 

 今日はここでムゲンの娘であるアウロラの誕生日パーティーを開くことになった。

 

 アウロラはどっちかというとリナに似ている。きっと将来美人になるだろう。

 

 アウロラとルナは、この草原を楽しそうに走り回っている。それを幸せそうに眺めるムゲンとクロノード。

 

 カカサは近くで仰向けになって昼寝をしていた。

 

 私とリナで昼食の弁当を広げる。

 

「美味しそうですね」

 

 穏やかなその声は、ムゲンをどれほど救ってきたのだろうか。

 

「…そうだな。美味しそうだ」

 

 朝早くから起きて準備をしたおかげか、いつも以上に美味しそうに見える料理の数々。

 

 これだけあれば、皆満足してくれるだろう。

 

「あの、フィアさん」

 

 リナが真剣な表情で私を見つめる。

 

「どうした…?」

 

「…あなたは、クロノードさんを…恨んだりとかって…あるんですか?」

 

 彼女らしからぬその言葉、私は数拍開けた後口を開く。

 

「……覚えてはいないが、たぶん無いだろうな」

 

「そう、ですか……」

 

 俯くリナ。私は軽く頭を撫でてやる。

 

「フィアさん……?」

 

「まったく、お前もムゲンに似てきたな。顔に出てるぞ」

 

「あ………」

 

「私はクロノードを恨んだことは無い。だが、仮に恨んだとしても、きっと別れる事は無いさ」

 

「どうして………」

 

 うーん、と唸った後私は言葉を続ける。

 

「恨む以上に、クロノードを愛しているからだ」

 

「クロノードさんを……」

 

 小さく頷き言葉を続けた。

 

「人間、人を恨むっていう時がある。それが、兄弟でも、家族でもそうだろう。けど、それで殺してやる、なんて思わないはずだ。少なくとも私は思わない」

 

「だって、それが人間じゃないか。相手が恨まれる行動をしたとしても、もしかしたら私自身も恨まれているかもしれない。そう思えば、私は仕方のない事だと思うんだ」

 

「……リナ、人には、良い所と悪い所がある。その二つを知り、お互いに妥協して共生していくこと、それは難しいよ。…難しいが、やっていかなければならない」

 

「人は、一人では生きていけないから」

 

「ええ……。でも……私はムゲンを許せない。…やっぱり、許せないんです」

 

 私は頷きながら彼女の言葉を聞く。

 

「トクナガさんが彼の手で殺された。戦争だから仕方がないって、きっと言う人がいますよ。けど、戦争だから、大切な人が死んで当たり前なんですか……」

 

「だから……私は……。せめて、ムゲンが彼を殺しさえしなければ、私はもっと楽に……」

 

「リナ」

 

 私はリナの言葉を遮るように肩に手を置き言った。

 

「許さなくてもいい、許す必要もない。だが一つだけ覚えていてほしい」

 

「私はその場所にいなかったから、なんて声をかけてあげればいいかは分からない。だけれど、それはきっとムゲンにしか出来なかったんだと思うよ」

 

「……そんな…」

 

「お前を責めるつもりはない。きっと、それなら自分でとお前は思うだろう。ムゲンは、お前だけにはトクナガを殺してほしくなかったんだと思うんだ」

 

「…そんな…勝手ですよ…」

 

「ああ。勝手でもあるが、お前への気遣いだとも思えるよ」

 

「わたしへの……?」

 

 泣きそうなリナの頬を優しく撫で、言葉を続ける。

 

「ああ、お前はムゲンの光だ。そんな光を、ムゲンは汚したくなかったんだろう。…背負う覚悟、とでも言うのだろうか。私には今の彼からそう感じたよ」

 

 今の彼は、もう私では手の届かないほど大きな背中に見えた。

 

 きっと、背負うものの大きさ、数が増えているから。それだけ、沢山のモノを引き継いで生きているからなんだろう。

 

 そう、だからこそ

 

「お前に恨まれてでも、自らの手を汚したんだと思う」

 

「………」

 

「ムゲンを庇うつもりはない。でも、きっとそれだけだったんだ」

 

「そんな理由で……。それだったら、本当にバカですよね…あの人は…」

 

 瞳から零れる涙を拭きながら笑うリナ。

 

「本当にバカなんだから………私が支えなきゃ…」

 

 私は頷いて微笑んで見せる。

 

「そうさ、ムゲンの心を癒すことが出来るのはリナだけだ。何故なら、お前はアイツの妻だから、いいや、アイツを一番理解しているからだ」

 

「……はい!」

 

 

 

 神がいるとするのなら、それはあまりにも非情だ。

 

 クロノードは…もういない。

 

 動かなくなった夫の手を掴みながら、泣く事しか…出来なかった。

 

「クロノード………。あぁ……!!!くっ……うぅ……!!!」

 

 私を愛してくれた人が、大切な人が消えた。

 

「………疲れたんだよな、クロノード」

 

 眠るように佇むその男性の顔は、穏やかだった。

 

 この世に後悔なんてない。そんな顔。

 

 大切な人と、かけがえのない友人たちに見送られて、何一つ悲しくなかったと。

 

「そんなの……!お前の勝手じゃないか…!私は…!お前が居ない世界でどうすればいいんだよ!!」

 

「私のほうこそ、お前が居なければ何もできないんだ……弱い……女なんだよ……。クロノード……」

 

 何が、何がルナを頼むだ。

 

 当然じゃないか、お前に似た娘を……お前の娘を守らないわけない。

 

「最期まで……他人の心配ばかりして……。本当に……お前はバカな奴だよ……」

 

 

 

 クロノードの死から数日後。

 

 私は軍人であることを辞め、日払いの仕事をこなす日々が続いていた。

 

 お金はそれほどではないが、軍人でない生活というのもまた面白いもので、不思議と苦ではなかった。

 

 家に帰ると、料理のいい匂いが鼻をくすぐる。

 

「あ!ママ…じゃなくてお母さん、お帰り!」

 

「ああ。ただいま」

 

 荷物を地面に置いて椅子に腰かけながら言う。

 

「今日は、どんなものを作っているんだ?お母さんも手伝う?」

 

 するとルナは首を横に振って

 

「これは私だけで作る!お母さんは座って待ってて!」

 

「…そうか。分かったよ」

 

 静かに待っていると

 

『…本当に、見ないうちに逞しくなったものだ……』

 

 その声に思わず立ち上がる。

 

「クロノード…!?」

 

 しかし、どこを見てもその姿は無かった。

 

「どうしたの?」

 

 ルナの声ではっとして、首を横に振る。

 

「いいや、何でもない」

 

「ふーん…。まあいいや、出来たよ!」

 

 テーブルに置かれたオムレツ。それは、()()()()()()()()()()()()()()

 

「……これは…」

 

「オムレツ!ルナ、これ大好きなんだ!お父さんとお母さんが美味しそうに食べてくれたオムレツが!」

 

 ルナは幸せそうに笑い、椅子に腰かけてナイフとフォークを持った。

 

「……そうか。じゃあ、食べようか」

 

「うん!」

 

 ナイフでオムレツを切って、一口。

 

 美味しいだけでなく、その……何かで胸が詰まる。

 

 その様子を見てルナは首を傾げながら

 

「どうしたの…?オムレツ美味しくなかった……?」

 

「あ、いや……違うんだ。なんだか、胸が苦しくてな。……な、なんで…だろうな……一口食べるたびに……涙が止まらないんだよ」

 

『美味しいな、これ』

 

 そう言う夫の姿が、見えた気がして。

 

「…お母さん」

 

「な、なんだ……?」

 

 涙を拭きながら聞き返すと、ルナはニッコリと笑って

 

「泣いていいんだよ、悲しい時は。それでね、泣いた後、笑えるなら、泣いたっていいってムゲンが言ってた」

 

「………」

 

 きっと、誰かに言ってほしかったんだ。そんな言葉を。

 

 そうすれば、きっと楽になったんだ。

 

 まさか娘から言われるとは思わなかったが、だが……嬉しかった。

 

 クロノードに会いたい。

 

 その気持ちが涙となって流れていく。

 

 すると、ルナは椅子を立ち上がり、私の側へ来ると、私を抱きしめてくれた。

 

「ぎゅーってするとね、皆悲しいのも分かち合えるんだって、リナは言ってたよ。…私もつらい時、アウロラとぎゅーってするんだ!」

 

「……ああ……!!」

 

 私はルナを抱きしめ返し、涙を流した。

 

 

 

 その墓の場所は、かつて戦場で互いに敵同士であった男との【始まりの場所】だという。

 

 それを知るものは、いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 私達は忘れてはならない。

 

 彼らが戦い、そして消えていった命の事を。

 

 誰かが見届ける事で、人は、人というものを残していける。

 

 それが…人間だ。

 

「クロノード」

 

 墓に問いかける。返ってこない事を知っていても、私は言う。

 

「……私は、あの子を守って見せる。……お前とは違う形で守って見せるから……」

 

「見ていてくれ」

 

 背を向け、歩き出そうとした時

 

「ああ、見ているさ。お前も、ルナも」

 

「…っ!クロノー………」

 

 振り返るが、そこには誰もいない。

 

 ただ、その声だけが耳から離れない。

 

 神がいるのなら、一つだけ言いたいことがある。

 

 

 少しだけ、世界と向き合う覚悟が出来た、と。

 

 

外伝 完


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