β Ewigkeit:Fragments   作:影次

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ベイ中尉、誕生日おめでとう!
中尉の誕生日は7月10日であって今は7月11日の1時だけど、まだ10日の25時だと言い張る。
つまり、私は間に合った。
クリスマスもバレンタインもあらゆるイベントをスルーし特に執筆時間を合わせるとかそんなことはなかった私だけど、ツイッターでベイ中尉の誕生日が卿であることを知って頑張ったんだ!
故にこのchapter10は、ベイ中尉に捧げるよ!


chapter10

 すべての施術は終了した。

 もう、後戻りはできない。

 魂は分かたれた、分かれた意思が今どうなっているのか、僕自身にさえ分からない。

 今尚この身を蝕むものが狂気であるのなら、分かつ魂の側は僕のままなのだろうか。

 全てはその時を待ち望むしかないのだろうか。

 

 まあ、どうでもいいかそんなこと。

 とかく、長らく時間を費やしてきた第一、第二計画は終了した。

 鈴ちゃんも用無しだ、契約を履行するとしよう。

 これで彼女はお役御免、仲良しごっこもここまでここまで。

 お疲れ様でした、っと。

 彼女もまあ思いの外暴れないでくれたのでこちらとしても助かった。

 ま、悪い取引じゃなかったしね?

 この件については僕は嘘も悪意もなかったし、こんなサービス滅多にないぜ。

 

 時間も折り返し地点だ、ここからはクリストフのことを考えたい。

 バビロンだのマレウスだの知的を気取った迂闊な連中に割いてる時間はあまりない。

 しかし、手札が足りない。

 有利でも不利でも何でもいい、状況を動かす一手が欲しい。

 もし自分で動くのであれば、それこそ残り十年に差し掛かった時頃でないと。

 結局最後の最後は天の時、ということなのか。

 勤労勤勉な僕にとっては何とも悲しい話だ。

 

 しかし、確信がある。

 そう、天命は我にあり。

 でなければ僕のようなものがここにあるはずがない。

 僕がヴァルターと共にこの世界にあること、それこそが天意である。

 そうなんだろう?

 親愛なる副首領閣下、メルクリウス。

 我らが父祖よ、そういうことなんだろう?

 だから、僕らは――

 

 

『お前は誰だ?』わたしはだれ

『どこから来た?』このせかいじゃない

『今どこにいる?』ここはなに

『行き先は?』みちなんてない

 

 

秘匿文書:アルフレート・レポート7

 

 

 

 

 ヴァルター曰く、暗示迷彩というものは完全に姿を消しているわけではないらしい。

 一際強力なものならそういったことも可能らしいが、先輩はスクーターで道路を走行している都合上、他の運転手に認識して貰う必要がある。

 だから、姿は見えどそれに違和感を抱かない、そういった形式であるはず、とのこと。

 なので基本的な調査で姿と行き先は確認できる、そう助言を貰った。

 試しに聞き込みをしてみた所、それなりに時間はかかったが目撃証言が取れた。

 マリィを連れて、スクーターが走っていったという方角の先に向かう。

 場所が場所だ、この方角を進むなら、用がありそうな施設など限られている。

「レン、この先には何があるの?」

「ん? ああ、この先はな……」

 外からこの街にやってきた俺には馴染みのない場所だ。

 しかしここで育ったという先輩にとっては思い出のある場所だろう。

「幼稚園さ」

「ヨウチエン? そこはどんな場所なの?」

「えーっとな、小さい子供を預ける場所……って言うと保育園になるか。子供が集まって遊ぶ場所……って言うと公園になるな。そうだな……三歳から六歳頃のちっちゃな子供が通う、学校みたいなものだよ」

「子供の学校……!」

 学校と聞いて目を輝かせるマリィ。

 俺のことを話すようになってから、マリィの興味を一際惹いたのが学校だ。

 自分も通ってみたいと、花のような笑顔で彼女はそう言う。

 出会った頃の無垢さはそのままに、心を育んでいっている。

 それが何を意味するのか、誰の意図かなんてことは無粋だろう。

 彼女の笑顔に応えたいと、改めて思う。

「……ん?」

 大分歩き、目的地に近づいてきた。

 しかし幼稚園はまだもう少し先なのだが、道の先に何やら人だかりが見える。

 背の高い人はいない、小さな子どもたちが、これまた大きいとは言えない女性の周りで賑やかにしているようだ。

 近づいて、その声を聞いてみる。

「レッちゃんあねきー、学校はいいの?」

「学校は吹っ飛んで休校になったから大丈夫だよ」

 子どもたちは女性に気安く話しかける。

 女性も気安くそれに応える。

「なんでふっとんじゃうの?」

「校長の日頃の行いじゃないかな」

「じゃあ、今日はいっぱい遊んでくれる?」

 馴染みの人物、といったところだろう。

 見知らぬ誰かであれば不審者として通報される世の中だが、そういうことはない。

 今どきは中々ない、しかし幸福な日常がそこにある。

「元気だね君たち。じゃあちょっと聞いてみよう。今日も元気いっぱいだよーって人―」

「「「はーい!」」」

「今日は普通かなー? って人―」

「「はーい」」

 

 

「しんどい辛い。何もしたくない、って人」

 

 

「…………」

「…………」

 レッちゃん姉貴がくわっと目を見開き、その場は沈黙に包まれた。

「…………」

「…………」

 沈黙。

「…………」

「……ふっ、お姉さんだけか……」

「いや何やってんですか氷室先輩。リアルうらみちお兄さんはやめろって言ったでしょトラウマになるから」

 そりゃあ声をかけざるを得ないだろう。

 あの人はこの街の子どもたちをどうしたいんだ。

 呆れ声でその名を呼ぶと、子どもたちを大困惑の波の中に沈めたその女性はおっとりゆっくりとこちらに振り向いて。

「やあ藤井君。ところでその女との関係は? 正妻を差し置いて浮気かな」

「あの、ほんと勘弁して下さい。そのネタもう二度ネタなんですよ」

「ウワキ?」

「すまんマリィ、ちょっと俺の中に戻ってて」

 相変わらずの茫洋とした透き通った目でこちらを見つめてくるのだった。

 

 

 

 

「そっか、遊佐君が」

 改めて、先の幼稚園の園内前の階段までやってきた。

 子どもたちが広場で駆け回ってるのを眺めながら。

 俺は階段に座り、先輩はスクーターに腰掛けて。

 自然と、ポツポツ近況を語り始める。

 色々なことがありすぎたここ数日のことを。

「先輩の方に、連絡とかありませんか」

「残念だけど、着信履歴には君の番号しかないね」

「電話出てくださいよ……」

 先輩は幼稚園をぼんやりと見たまま黙りこくる。

 その視線の先に何があるのか。

 同じ方向を見てみても特に何か注目すべきものはない。

 けれど、先輩はそれを見ている、俺に見えない何かがあるかのように。

「先輩。貴方は何をしようとしているんですか」

 立ち上がり、問う。

 この人がここぞという時に起こした行動に、意味がないはずがない。

 既にあいつらから聞いた、ゾーネンキントという出自。

 スワスチカの贄とかいうふざけた役割を押し付けられた人。

 もし、彼女が抗っているのなら、俺は。

「俺は、先輩を守りたい」

「嬉しいけど、余計なお世話だよ」

 けど、俺の願いはあっさりと切り捨てられた。

「藤井君はあの連中と戦わないといけないんでしょ。そんな中私に付き合う余裕なんてないんじゃないかな」

「手伝いますよ、そりゃいくらでもとは言えないけど。先輩の力になれるなら」

「うん、ごめん。無理なんだ」

 いらない、でもなく、断る、でもなく。

 無理、と彼女は言う。

 スクーターの座席から飛び降り、そのハンドルを撫で付けた。

「私の目的はね。探しものなんだ」

「探しもの?」

「うん。そして、多分その探しものは、私にしか見つけられない」

「どういうことですか」

「私に残されたものだから。きっと、私にしか見れないものなんだと思う」

 もう一度幼稚園を一瞥し、階段の下まで視線をやり、首を傾げる。

 何かを思い出そうとするように、先輩はこの場所に何かを見ている。

「もの、って言い方は正確じゃないかな。かといって人、って言い方も正しいかどうか。私もそれがどういうものなのか、古い記憶から探してる最中なんだ」

「記憶……?」

 それは、探してるものが何なのかも分からない、ということだろうか。

 しかし先輩は、その探しものは存在していると確信している。

「何なんですか、先輩の探してるものって」

「…………」

 先輩は僅かに迷うような、言い淀むような、言葉を選ぶような素振りを見せて。

「小さい頃、私の兄代わりだった人。多分、神父様とリザと、同じ人」

 首元からロケットを取り出し開く。

 それをこちらに見せてくる。

 そこにあった写真には、今よりずっと小さい先輩と、それに隣り合ってどこかシニカルに笑う銀髪紅眼の少年の姿があった。

「アル……アルフレート・ナウヨックスが私に残した何か。私はそれを探しているんだよ」

 

 

 

 

「はい? ナウヨックス少佐についてですか?」

「ああ、聞かせて欲しい」

 結局、先輩は電話くらいは出るからとやんわりこちらの申し出を断り行ってしまった。

 ボトムレスピットのVIPルーム……司狼が失踪してからもなんとなく拠点として使い続けているそこで、改めて尋ねる。

 俺の知っていることは戦うにあたって知っておくべきことばかりで、奴ら個人については知らないことがまだ多い。

 問うたところで答えが返ってくるとは限らないが。

 ベアトリスは若干困ったように頭を掻く。

「んー……貴方からその名前が出てくるとは思いませんでしたね」

「先輩のことで、ちょっとな」

 先輩の探しものについて。

 力になれないとしても、その由来を知っておくべきだと思った。

 そう言うと、ベアトリスは納得したように頷く。

「ああ……一時期保護役をしてましたもんね。そうですね、彼についてある程度語ることはできるのですが。私としてもあの男については大分測りかねていまして」

 ベアトリスがヴァルターを見やる。

 ヴァルターがそれに反応し視線を上げた。

「彼についてはヴァルターさんのほうが詳しいでしょ。親友でしたし」

「親友? こいつが?」

「否定はしないが、氷室玲愛の守役だった時の話はお前のほうが詳しいと思うぞ。俺は直接見ていたわけじゃないしな」

 まあいい、とこちらを見て、ヴァルターは語り始める。

「アルフレート・ヘルムート・ナウヨックス。表の歴史でもそれなりに名は通っているだろう。グライヴィッツ事件……第二次世界大戦の発端となるポーランド侵攻の引き金を引いた作戦の指揮官を勤めた男だ。人間だった頃から俺と共にハイドリヒの下で働いていた。優秀な諜報員であり、工作員であり、戦闘員でもある。小柄な姿に騙されがちだけどな」

 まあ、それはあまり重要なことではないか。

 そう言って同時に、引き出しから何か資料を取り出す。

 それは確か、司狼と本城が大枚はたいて集めたという情報に彼が補足したもの。

 そのうちの一枚をテーブルに置く。

 十三人の団員の中頃、六番目の位置を指差して。

「聖槍十三騎士団黒円卓第六位代行。それがあいつの席にして役割だ」

「六位代行? 六位って確か……」

「そう、ゾーネンキントの席だ。あいつの役割はゾーネンキントの不在時は六位として、ゾーネンキントの在位時は戦う力を持たないゾーネンキントを守護する護衛役だった。六番目の席の背中に立つ懐剣。それがあいつだ」

 写真の顔をまじまじと見る。

 つまり、幼い頃の先輩を護衛していた男。

 兄代わりと言っていたし、きっと神父と同様かなり近い位置で。

 しかし、この男はもういないらしい。

「つまり……こいつは外敵から先輩を守るために死んだ?」

 あの魔人たちと同様の存在を殺せるような敵がその当時いたのかどうかは疑問だが、立ち位置からしてそういう流れが一番しっくり来る。

 そう言うと、ベアトリスもヴァルターも眉間に皺を寄せる。

「いや。それが、逆だ」

「逆?」

「アルフレートは裏切った。敵対勢力の侵攻を煽り、その間隙をついて幼いゾーネンキント、氷室玲愛を拉致。当時未だ熟してなかったスワスチカを無理やりこじ開け何かをしようと企て、クリストフに粛清されたらしい」

「はあ!?」

 斜め上の回答だった。

 守るどころか危害を加えてるじゃねえか、どういうことだ。

「アルフレートは、そうだな。人間だった頃から享楽的なやつだった。危険に際し体面上は愚痴を漏らしながらも常に騒ぎとスリルを求めた。あいつと会ったのはハイドリヒのスカウトを受けてSD……情報局に務め出した頃。互いに全く違うタイプの人間だったが、不思議と反発せずに互いにない部分を補うように俺とあいつは友になった」

 その時を思い起こすように、ヴァルターは語る。

「まあ、下衆だよ。他人を踏み躙ることも、騙すことも、平然とどころか楽しんでやる。しかし一方で、その内面に踏み込む程付き合いの長いやつには寛容というか、義理堅いところもある」

「後者の部分に関してはヴァルターさんも似た所ありますよねえ」

 その言い草と様子に、不思議と司狼を思い出す。

 どこまでも合わない、気に食わない、迷惑なあいつ。

 腐れ縁と呼ぶのが相応しいその関係に似ている気がした。

「……事実、あいつが黒円卓入りした要因の半分は、俺にある。今となっては、結局の所俺達二人とも既にメルクリウスに目をつけられて、そうなるよう采配されていたんだろうが。それでも、あいつはただ騒乱を楽しむためだけに魔人の一員となったわけじゃない」

 どうにも言い逃れできないクソ野郎であることは事実のようだが、ヴァルターはその存在を擁護するかのようだった。

 友人と、その男をそう呼ぶ様子に虚偽は見当たらない。

「裏切った理由を知ってるのか」

「すまんそれは知らない」

 ヴァルターはベアトリスを見る。

 ベアトリスもすまし顔で頭を振った。

「俺にも分からないんだ。あいつは俺達が黒円卓を裏切ることを知った上で匿っていたし、その上で黒円卓に戦力を供給していた。最後にどちらにつくのか、それをはっきりさせないまま」

「典型的な蝙蝠野郎じゃねえか」

「ええ、まったくもってその通り」

 ベアトリスが同意し、その先を続ける。

「しかしですね。あの男はそもそも魔人である以前に、人類屈指の諜報員なんですよ。詰まる所、敵を作らない技能に異様なほど長けている。その技能は圧倒的力で世界を蹂躙する魔人にとっては不要なものであり、ほとんどの団員が慢心とともにそれを捨てたものでもある」

 つまりそれは、力ではなく言葉で人を制する技術。

 人間と魔人とで唯一差異のない力。

 エイヴィヒカイトなんて埒外の力を得た後も、そいつはそれを怠らなかった。

「元々そういう工作が好きで趣味にしていたやつだからな。その部分は余り変わらなかった。メルクリウスから『すべてを裏切り続ける』なんて業を贈られたにも拘わらずそもそもの始末を免れていたのは伊達じゃない」

「今になって思えばうまい具合に皆の興味を惹くよう立ち回っていましたね。しかも殺されたとしても『ルフラン』がある。あれほど全方位に厄介で、同時にどうしようもない存在もいなかった」

 概ね武力派ではなく知能派、それも結構な評価を受け危険視されていた男らしい。

 しかし、話を聞いてもその真意はまだ読めない。

「先輩とは、どうだったんだ。あの人、結構親しげにそいつのことを話してたけど」

 友好的だったのか、友好を装っていたのか。

 先輩にとってどういう存在だったのか、そいつは先輩をどう思い、何を思って裏切ったのか。

「そこは……俺は見てないから何とも言えない。ベアトリス、頼んだ」

「そう、ですね。私としては、当時のナウヨックス少佐はかなり甲斐甲斐しく彼女の世話を焼いていたと思います。これは先代のゾーネンキント、イザークにも当てはまることなんですが。彼、結構子供好きですよね。しかし、それを抜きにしても」

「抜きにしても?」

「彼は彼女に対し特別な何かを見ていたように思えます。賭けるような、縋るような。これ、多分間違ってないと思います。彼がヴァルターさんを見ているときの感じに近いものがあった」

「それは……生贄としての価値とかではなく?」

「どうでしょう。あの人に黄金にかける願いとかあったとは思えませんが。でも、黄金錬成を利用してなにか別のことを企むとかは……うーん、うーん」

 ベアトリスもヴァルターも腕を組み唸り始める。

 しばし、一通り唸って。

「無理だな。あいつの考えてることを見通そうとか不可能」

「無理ですね。あの人の思考回路とか異次元の彼方なんで」

「マジかよ……」

 アテが完全に潰えた。

 比較的交流の深そうな二人でさえこれならもうこれ以上は期待できないだろう。

「しかし、これだけは言える。気を付けておけ。確実に何か起こるだろうよ」

「ですね。それは間違いない」

 それは間違いなくいい意味で、ではない。

 一悶着、という意味以外ないだろう。

 前途は多難らしい。

「さて」

 ヴァルターが立ち上がる。

 手元にあった紅茶を飲み干し、シャツの上に軍服を着込む。

「そろそろ行ってくる」

「見回りですか? 分担はどうします」

 ベアトリスが尋ねると、ヴァルターは何でもない顔をして、

「タワーに行ってくる。戦う約束があるからな」

 今宵、またスワスチカが一つ開くだろう。

 そんなことを澄まし顔のまま言い放った。

「おい待て、それって……!」

「ベイですか、ベイですね。一緒に行きます、袋叩きにしましょう」

 そう、一々律儀に決闘を気取る必要はない。

 むしろ慢心のまま、あるいは功績争いで単独行をしてくるなら三人で囲ってしまえばいい。

 しかし、ヴァルターはやんわりと掌をこちらに向けてくる。

「二人は別のスワスチカに行ってくれ」

「またですか!? どうして」

「空いたスワスチカももう四つだ。そろそろ『誰か』でてこないとも限らない」

「……! それは……」

 その言葉に、ベアトリスが息を呑んだ。

「ベアトリス、お前の『電池』はそっちに取っておけ。バビロンとの戦いであわや切るかどうかって所だったんだろ。俺は、ハイドリヒと戦う前に『三叉槍』(トリシューラ)を使い切っても問題ない。露払いは俺の仕事」

「…………」

「だから、今日はお前ら二人揃って教会あたりを張りに行ってくれ。頼めるか」

「……はい」

 ヴァルターの頼みにベアトリスは険しいような、悲しいような、そんな表情で頷いた。

「おい、いいのかよ」

「…………」

 ベアトリスは答えない。

 ヴァルターは出ていく前に、こちらを振り返って。

「二人共、気を付けてな」

 微かに笑みを浮かべて、姿を消した。

 その姿を、ベアトリスは何も言わず、何も言えず見送って。

「……辛いなあ」

 暫くして、そんなことを呟いた。

「昔はただ合理的なばっかりだったあの人が、心にも訴えるようになって。こんな時、思い知らされる。あの人は誰かを本当の意味で理解できないから。ああやって、遠くから支えようとする。分かってても、覚悟してても、やっぱりこういう時が辛い。何よりも辛いのが、私自身があの人に甘えて、結局優先順位を変えられないこと」

 それはきっと誰に向けたものでもない言葉だろう。

 けれど、誰に向けたものでもないのなら、『誰か』に向けた言葉ということでもある。

 なら、この場にいる誰かというのは、一人しかいない。

 首に巻いた瞳の色と同じ色のマフラーに口元を埋めながら、ベアトリスがこちらを向く。

「準備、しましょうか。道すがらちょっと話したいことがあります。聞いてくれますか」

 

 

 

 

「ええ、無論。黄金に誓って、今宵は貴方の夜であることを保証しましょう」

 

「雲隠れしたマレウスも、貴方と今敵対するのは非常に不本意だとの旨を頂いています。先日のことは事故だった、と」

 

「貴方を遮るものはない。何なら聖櫃が安定した今二つを一気に開けても構わない」

 

「シェレンベルク卿との約定を存分に果たし、キルヒアイゼン卿をも討ち、ツァラトゥストラさえ血に染めることを、貴方は許されている。行うことができる」

 

「ハイドリヒ卿も天上より祝福されるでしょう。良い夜を、ベイ中尉」

 

 ヴァレリアは受話器を切り、鬱蒼と笑った。

 

 

「さようなら、ベイ中尉」

 

 

 

 

 数式領域展開

 数式領域構築

 数式領域顕現

 

 

 数式領域の維持を開始

 制限時間内に目標を破壊せよ

 お前の願いは果たされる

 

 

 

 瞬間、世界は改変された。

 絢爛な高層タワーであるはずの場所は、世界の彼方に追いやられて。

 男は世界を見失い、そして、その存在を知覚する。

 闇夜を背景に、怒りを糧に歓喜の声を上げる吸血鬼の姿を。

数式領域(クラッキングフィールド)を展開した。俺の願いは黄金の君に捧ぐ闘争。よぉ、待たせたな。そんで、待ってたぜ」

 巨大な歯車が音を立てる。

 中央に、機械柱、その周囲を取り巻く空中に浮かぶ幾つもの柱。

 機械床が金属音を立て、構築されていく、戦闘用の疑似領域。

 数式領域、世界の隙間に形作られた、歪みの地。

 空間ならざる世界、世界ならざる世界。

 本来ならば、黄金の輝きを持つもののみを招き入れる狭間。

 渇望無き、支柱無き空白の創造。

 その空白を掌握したものが染め上げる、無色の世界。

 時計の男が齎した、黄金に忠誠を誓う者共への、力の欠片。

「我が魂の黄金にかけて、クロイツ式《回路》の起動を開始する! 現在時刻を記録しろ、大時計!」

 時計だった。

 中央に突き立った機械柱が変形して、禍々しい時計塔となる。

 チク・タク、チク・タク。

 それは誘いの音、眠りでは何かに、人を無意識に誘う音。

 世界の果てで響く音、誰かが、どこかで嘲笑う音。

「聖槍十三騎士団黒円卓第四位、ヴィルヘルム・エーレンブルグ。今や血闘の領域を、我が血染めの森が吸い尽くす……名乗れよ、戦の作法だぜ」

「聖槍十三騎士団黒円卓第十位、ヴァルター・シェレンベルク。黄金にかけるものは願いにあらず。ただそれを砕くもの」

 再戦の誓いは果たされる。

 今宵こそ、彼らを阻むものはなく、阻むものを引き連れもしない。

 唯一人、ヴィルヘルムとヴァルターは向かい合う。

「黄金を侮辱する狂気の輩、黄金の爪牙たるカズィクル・ベイが破壊する」

「黄金に目が眩む狂気の輩、シェイドウィルダーが消し去ろう」

「くは、くはは、やっぱてめえとは合わねえ。だがそれがいい。合わなくともなんだかんだノリがいいからな。律儀にタイマン張りに来たのもよ」

「そりゃあ、お前。お前ごとき、俺以外の誰が必要なんだ?」

「はぁッ、その挑発も懐かしいねえ! あのクリスマスを思い出す」

 幻視する、過日の戦乙女と共に銃を構えていた男がいた。

 幻視する、燃え盛る荒れ地の中白貌の外道がいた。

 男もまた、あの日外道が取り逃がした存在の一人だった。

 あの日の続きがそこにある。

 人間でなくなろうと、数十年の時を越えようと。

 因縁をつけるのは当人の意思であれば。

「いい敵だよ、お前は。何が何でも戦いに来てくれるやつってのはよ。ハイドリヒ卿が城に登ってから、そういう戦いは全くと言っていいほど無かった……」

 強かった、強すぎた。

 現世にあった魔人の中で、この男だけが過剰なまでに修羅を信奉し、それ故に裏切るもの、恐れるものたちとは合わなかった。

 その企みを歯牙にもかけず、時が来るまでに仲間の背を討つ不忠は行わず。

 それ故に、飢えも乾きも誰より大きい。

 それはあるいは劣化なのかも知れない、摩耗なのかも知れない。

 だが、それがどうしたというのか。

 戦いの果てに狂うことの何が悪いのか。

 故にヴィルヘルムは躊躇わない。

 あらゆるものを切り捨てて、戦うためだけの存在となることを躊躇わない。

「試しなんざいらねえよな?」

「さっさと来いよ、互いに顔なんざ半世紀前からとっくに見飽きてるだろう」

「違いねえ。見過ぎたのさ。だってよ」

 夜を抱くように、ヴィルヘルムが両腕を開く。

 夜を貫くように、ヴァルターが右腕を掲げる。

 それは先日の焼き増しであり、そして今度は途切れることのない開戦の号砲。

 

 

「お前はあの日、俺に殺されてるはずだったんだよ!」

「お前はあの日、死んでおくべきだったんだ」

 

 

 言葉とともに鮮血の杭が生え、漆黒の剣が現れる。

 それより先は、極限の世界だった。

 

 

『かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか』

 

『あなたは素晴らしい 掛け値なしに素晴らしい しかしそれは誰も知らず また誰も気付かない』

 

『幼い私は まだあなたを知らなかった』

 

『いったい私は誰なのだろう いったいどうして 私はあなたの許に来たのだろう』

 

『もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい』

 

『何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても 決して忘れはしないだろうから』

 

『ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ』

 

『死骸を晒せ』

 

『何かが訪れ 何かが起こった 私はあなたに問いを投げたい』

 

『本当にこれでよいのか 私は何か過ちを犯していないか』

 

『恋人よ 私はあなただけを見 あなただけを感じよう』

 

『私の愛で朽ちるあなたを 私だけが知っているから』

 

『ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ』

 

 

 ヴィルヘルムが謳う。

 天上の月は満月に、その空を血色に染めていく。

 鮮血の根が地に張り付き、赤々とした森を生み出す。

 そして、覇道によって空と土が吸血鬼の領土となる。

 

 

胸に深く我が支配する 憤ろしき夢を秘め(お前は誰だ?)

 

燃え立つ槍と猛る馬もて(どこから) 我が赴くは死の曠野(来た?)

 

幽鬼と影の騎士として() 我が呼ばれしは死の試合(どこにいる?)

 

世の常の旅にしあらね(行き) 遥けき世界の果てを行く(先は?)

 

 

 対して、ヴァルターが謳う。

 纏う黒は宝石の如く、透き通る先に決して見通せぬ漆黒と化す。

 霞のごとく、世界を満たすはずの力が三つの刃というかたちを得ていく。

 そして、求道によって抑えきれぬはずの漆黒が己のうちに縛り付けられる。

 

 

創造(ブリアー)――死森の(ローゼン・カヴァリエ・)薔薇騎士(シュヴァルツヴァルド)

 

創造(ブリアー)――黒銀王冠・宙別つ三叉槍(シェイドウィルド・トリシューラ)

 

 互いのそれがかたちとなった瞬間、既に激突は始まっていた。

 空から、地面から、際限なく湧き出しその命を狙う杭。

 しかし放たれる杭は届かない。

 砕かれるのだ、獲物に食らいつく蛇のごとく、曲線を描きそれを阻むものがある。

 それは茨。

 漆黒の剣、黒薔薇の剣から生み出される、あるいはヴァルターの体から直接伸びて、彼の周囲を網の如く囲い、盾となる。

「はッ、相変わらず防いでばかりが趣味かよ」

「呼ばなくても襲ってくるお前相手には丁度いいだろ」

「ああ、嬲られるのが好みなら思う存分嬲ってやらあ!」

 しかし、それだけではない。

 ヴィルヘルムにとって四方八方から生み出す杭はあくまでおまけに過ぎない。

 目を瞑っていてもできる芸当というものだ。

 この夜の真骨頂は吸血の世界。

 この世界の内側にいる敵から力を奪い取り、己のものとする

 そして何より、その力を集積した肉弾戦。

 彼の腕から直接放たれる暴威は、十把一絡げに放たれる杭の威力の比ではない。

「オラァ、行くぜェ!!!」

 爆風、爆音、いわんや、トバルカインに匹敵するほどのパワー。

 それが、立ち塞がる茨の守りを知ったことではないと直進してくる。

 ヴァルターは茨の網を張り、それを阻もうとする。

「おっ、らああああああ!!!」

「……ち、暴力脳め」

 だが、止まらない。

 茨は確かにヴィルヘルムの腕と足に絡まりその動きを阻む。

 しかしヴィルヘルムは力任せにその拘束を引きずり、茨を放つ起点であるヴァルターを引きずることによって徐々に直進する。

「どうした? 力比べが嫌なら逃げてみろや護衛役」

「既に茨の棘は刺さっている。拒絶の黒を身の内に取り込めば取り込むほど、お前の命は破滅に向かって行く。逃げるのはそっちじゃないのか」

「はっ。どうだろうなあ。まあお前も退くつもりがないなら、綱引きしながらお喋りでもするか」

 互いに、察するものがあった。

 起源も、在り方も、この二人は全く異なる。

 しかし事属性において、二人の力は似たものがあった。

 それが、今の拮抗を生み出している。

「てめえ、俺の夜が殆ど効いてねえな。それどころか活性化してやがる。やっぱお前の力の根源も闇だったってわけだ」

「ああ、その通り。俺にお前の創造は効かないよ。だが、それだと妙な話だ」

「ドレインできる対象がいねえのに、俺が元気過ぎるって話だろ。あるんだよなあ」

 ヴィルヘルムが靴で地面を叩く。

 その所作に、ヴァルターが絡繰りを察した。

「……現象数式領域(クラッキング・フィールド)

「ご名答。なんでもこのフィールドとやらはよ、世界のどこでもない空白、無の世界を召喚して俺らのエイヴィヒカイトに接続、その使用権限を与えるって話らしいじゃねえか。使い手によって色を変える、無色の空間エネルギー。使い道は持ったやつによって違うだろうけどよ。例えばバビロンはみみっちい設定やら何やらして、カインを操作するための意識領域の拡張に使ってたっけな。だが……」

「吸精の能力を使って、フィールドの持つエネルギーを急速に供給しているのか」

「おうよ。俺がこの場所に望む使い道なんざ決まってるよな。力だ。ただ俺という夜を動かす力であればいい。俺の創造の力を使えば、フィールドから一気に力を持ってこれる」

 その結果がこれだ。

 湧き出す力のまま、茨の棘からの干渉すら跳ね除け、ヴィルヘルムはその腕を伸ばす。

 今も引き合いに負け足が浮くのを堪えているヴァルターに向けて。

「今の俺の贅力は黒円卓最強だ。その賢しげな茨でずいぶん持たしているがよ、そのままじゃお前、死ぬぜ」

「どうだかな。お前の手が届く前にことが起こらなければな」

 この会話の間隙にも、そこらじゅうから生まれる杭がヴァルターを狙っている。

 ヴァルターが追加で生み出した茨がヴィルヘルムの肉を削ごうと飛来する。

 互いに隙きが生じれば致命打となる攻撃の嵐を間一髪で避けながら茨を引き合う。

 そして、その均衡が崩れる。

「!」

 茨が、緩んだ。

 ヴィルヘルムを拘束していた茨が緩み、彼の体から生やされた杭によって宙に浮く。

 その瞬間、ヴィルヘルムは自由になった。

「はッ、いいぜ、行ってやるよ!」

 ヴィルヘルムが突貫する。

 その隙きが自らの呼び寄せたものではない、偽りの急所であると知りながら。

 体重の移動、視線のブレの無さ。

 そして拘束を解いた瞬間剣を構えるヴァルターの姿に、ヴィルヘルムは間違いなくそれがカウンター狙いであることを本能で察する。

 しかし、それでも動く。

 反撃結構、誘いごと食い千切り破壊する。

「ずぉッ、らああああああああああああああああああ!!!」

 内燃する魂に領域から供給される力を掛け算したヴィルヘルムの力は隕石にすら迫る。

 その星の如き腕がヴァルターの半身を削ごうと迫る。

「ッ!」

 その威力、その威圧。

 しかしヴァルターは足を引かない。

 直撃すれば死ぬ、そのようなまやかしに惑わされず、ただただそれが迫る瞬間を待つ。

 そして、交差するその瞬間。

 まさに奇跡のような瞬間を剣で合わせる。

「しぃいいいッ!!!」

 体の自由を奪うほどの爆風も漆黒の剣で切り裂き、一歩踏み出す。

 耳の横を拳が通過する。

 通過した腕から杭が生える。

 前方へ跳躍し攻撃を回避する。

 まさに、刹那のうちに何百もの死が襲い来る攻防だった。

 そう、どちらにとっても。

「…………」

 交差が終わり、互いに背中を向け距離が開く。

 跳躍したヴァルターは風に咳き込みつつ茨を支えに着地し。

「…………やるじゃねえか」

 すれ違いざまに右腕を肩から斬り飛ばされたヴィルヘルムは、しかし次の瞬間腕を元通りに再生させる。

 軽傷、重傷など話にもならないような再生能力。

 あるいは、致命傷すらもどうか。

 ヴィルヘルムが攻撃にのみ力を割り振っているのは、これ故でもある。

 吸血鬼に由来する再生能力。

 これにより、ヴィルヘルムはいくらでも身を切り捨てた突撃を可能とする。

「黒の剣能、拒絶の力すら超える再生能力。見ない間にますますバケモノになったな、ベイ」

「これもフィールドの恩恵でね。俺が意識せずとも魂を燃やしてるだけで勝手に負傷を修復するようになってんのよ」

「首を飛ばす程度では足りないか」

「さあ? そこまでやってくれるやつがいねえから分かんねえな。全身塵にでもしてみるか? まあできるならの話だけどな。できるのか? お前ごときによ」

 その挑発に、ヴァルターは応えない。

 ただ剣を構えるのを見て、ヴィルヘルムが鼻を鳴らし若干不快げに顔を歪める。

「なあおい、そのみみっちい茨と剣で延々と削り合いでもしようってか」

「…………」

「お前、まだ舐めてるのか? 創造、なんだろ? 使えよ、なあ、その『背中の刃』」

 それをヴィルヘルムは見る。

 戦闘が始まってからヴァルターの背に浮かんだまま微動だにしない、三つの巨大な刃。

 宝石を切り抜いたが如き、漆黒の水が流れるが如き刃を。

「てめえの創造の力がなんだか知らねえがよ。これ見よがしに武器呼んどいて、出し惜しみはねえだろ。やめろよ、萎えるんだよ、わざわざ呼びつけてきたんだからよ……おい、それとも俺がキレるのを待ってんのか? そうなのか?」

 ヴィルヘルムの口調が早まり、声のトーンが上がっていく。

 冷水をかけられたように一時的に冷静に、しかし暴走する寸前、といった具合だ。

 それを見て、その言葉を聞いて。

 ヴァルターがおもむろに、口を開く。

「俺の創造は」

「あん?」

「それ単体では、威力を持ったものじゃない。俺は創造位階に達したことで、一切力を増していない。むしろ、逆だ。俺は俺としてお前たちと戦うために、この創造を得た」

「……なんだそりゃ」

 訝しむヴィルヘルムを前に、ヴァルターが続ける。

「それは例えるなら、大海の如き鋼の空から、刃をくり抜き柄を嵌め込む。そういうことなんだよ。これは俺が元々持ち合わせていただけの力を拘束し、使役できるようにしているだけ。……これだけ言うとハイドリヒに似てるような気がしてすごい嫌なんだけどな」

 きぃん、と耳鳴りがした。

 鋼同士を打ち合うような響き。

 ヴィルヘルムはそれを耳にして、呼吸を止める。

 何だ、これは何だ?

 創造位階特有の思考暴走の最中にあって。

 不可解、ただその感情が、ヴィルヘルムの動きを止める。

 その視線は音の発生源、ヴァルターの背の三枚の刃に向けたまま。

「俺を構成する要素。一つは俺の魂。二つは俺の力の根源、大いなる黒の王の欠片。三つは契約した聖遺物、聖なる釘を溶かし象ったくろがねの王冠。最後に、この肉体を流れる水銀の血」

「何をごちゃごちゃ言ってやがる。水銀の血だと?」

「同じさ。形成段階で使っていた力とな。だからお前は、俺に対して最初は何かしら変わった部分を感じてなかったんだろう。だって、あのときに比べてただ俺は『安定した』だけなんだから」

 今になってようやく警戒しているのがその証拠。

 そう、ヴァルターは数式を解くようにそれを説く。

 それがヴィルヘルムは不快で、振り抜いた右腕から杭を放つ。

 放った杭は茨に阻まれるでもなく、剣に切り裂かれるでもなく。

 ヴァルターの適当に振るった左腕が、音速を超えた杭を粉砕した。

「俺の創造は我が魂、水銀の血潮、そして聖なる王冠の三相を以て交差する封印の槍。三叉の槍が俺に接触するあらゆる力を封印し、削り取り、使役する。時間ごとの限度量はあるけどな」

 ベイは、何かが奪われるのを知覚した。

 投げた杭を砕いたヴァルターの左手が赤い光をぼんやりと放つ。

 光はやがて小さな球形に圧縮され、その手の中に収まった。

「他者に突き刺せば他者の力を制約するが。平時、この鎖は俺の魂に融合する黒の王の力を制し、その末端を使役するためのものだ。削り取り蓄積した力を三叉槍の刃のうちに限界まで溜め込み、かたちをなす。かたちをなした刃は宇宙の闇すら切り裂き拒絶する漆黒の刃となる」

 ヴィルヘルムは幻視する。

 半世紀前、消し飛ばしたはずの存在の影を。

 闇をうそぶき、自身の贄となるはずだった少女を奪い去ろうとした男を思い出して。

「おい」

「これを作成するのは骨が折れる。それに限度数は三。この戦いの間じゃ補充は効かない」

「俺の前で」

「だがまあ……いいか。一応取っておこうかと思ってたけど、お前、強いし」

「その不愉快な気配を」

「普段通り戦ってたら日が昇りそうだ。ベアトリスの方も気になるしな」

「チラつかせるんじゃ、ねええええええええええええ!!!」

 咆哮が空間を震わせた。

 持てる力を直進のみに費やした突撃。

 あかあかと瞳を怒りに染め、歯を噛み砕き、目障りなそれを跡形もなく消し飛ばしてしまおうと、ヴィルヘルムは魂を燃焼させ疾走する。

 しかし刹那でしかないはずのその時間の中、ヴィルヘルムはそこにたどり着かない。

 

「カズィクル・ベイ。お前の声は届かない」

 

 ヴァルターが、三枚の刃のうちの一つをヴィルヘルムに向けて。

 まるで、その瞬間が切り取られたように。

 時間も、空間も、因果も超えて、漆黒の三叉槍が来る。

 結末は唯一つ、逃れ得ぬ闇を体現するかのように。

 その刃に、嘲笑う何かが映し出される。

 冷静に、冷淡に敵を見つめるヴァルターの代わりに、その何かが口を歪めている。

 それは侮蔑、それは諦観、それは憎しみ、それは悪。

 悪なるものを象徴する概念。

 かつてこの世界の闇、メトシェラすら喰らい、己の喚起の呼び水としたものが。

 それが、敢えてその幻影を纏い自身を挑発したことに、ヴィルヘルムは意識すら許されない無意識のうちにそれを理解し。

 

 

「残 念 だ っ た な !」

 

 

 あの敵たる男に全く似合わない演劇の大台詞のような叫びを最後に。

 その肉体と魂の繋がりを粉微塵に粉砕された。

 

 

 

 

 歩いているうちに、自ずと話は切り出された。

 そういえば、私が戦う本当の理由、詳しくは説明してませんでしたよね、と。

 わざとらしく、ベアトリスは口にする。

「ある人を、連れ戻しに来たんですよ」

 修羅道に落ちてしまったあの人を。

 あの人を、救うために。

 それがベアトリスにとって、何年経とうと変わることのない初心。

「本当に、頑固者で。強くて、厳しくて、憧れて。けれどよりによってそんな頑固な人が、あの黄金の輝きに魅入られてしまって」

 きっともう、帰ってくることはない。

 何度そう思ったことか。

 腕を引いても、足を掴んでも、言葉を尽くしても。

 光に焦がれて炎に身を投じてしまう。

 分かっている、分かっているのだ。

 きっと、もう命と命でぶつかり合うしかなくて。

 それでも、目を覚ますことはないのだろう。

 それでも、それでも。

「けど、私は何もしなかった。できなかった。だから、すべてを尽くしたい」

 その決意を、ベルリンが燃える前にできていれば。

 けれどそれは時の足りないもしもでしかない。

「ヴァルターさんは、私がそれを何よりも優先し、そのために負担を押し付けることを受け入れて。むしろ率先して引き受けようとして。それが嬉しいやら、悲しいやら。いえ、情けないんでしょうね。私は全部分かった上で、これを優先してるんですから」

 たはは、とバツが悪そうに頬を掻く。

 長い時間を過ごした、積み重ね、思い起こした後悔は数えられるものではない。

 しかし、瞳のうちの輝きは、今更陰ることはない。

「だから……生きて帰ろうと思うんです。あの人を相手に、精一杯思いの丈をぶちまけて、当然のように怒り狂って砲を向けられて。それでも、私は生きて勝つ。勝って、その後もあの人の、先輩の、お兄さんの力になる。そう決めたんです」

 目標を終着点にではなく、その先を見つめて。

 すべてをなげうつ覚悟はそのままに、その全てを抱えたまま持って帰ると。

 それは蓮も共感するものだった。

「そりゃそうだろ。勝ったところで、日常が戻ってこなければ意味がない。皆が生きてなければ意味がない。犠牲になろうとか、そんなこと、生きて帰ること以上に思ったことはない。当たり前だろ、死んだら終わりなんだ」

 全ては生きてこそ。

 当然のように返す蓮に、ベアトリスはニカッと笑みを浮かべる。

「はは、いいですね。その思いが果たして常人ならざる狂気だとしても、ジメジメしてた頃の私よりよっぽどいい。生きて帰る、それにどれほどの罪がありますか。私はヴァルターさんが死にかけるまでそれを思い出せなかった」

「けど、思い出したんだろ」

「ええ、思い出した。そして今私はここにいる」

 ベアトリスが前を向く。

 蓮も前を向く。

 そこは敷地の前である門。

 その先に神の家があることを示す門。

 今となっては、おぞましき獣の信奉者の住処であったと知れた場所。

 今ここに、あの神父はいるのかいないのか。

「私は、救いに来たんです」

 しかし、現れるのは神父ではない。

 陽炎のように揺らめく熱がある。

 空間を砕き現れる何かがある。

 何万もの魂が彼方の城から押し寄せてくる。

 肌に感じる熱を、ベアトリスと蓮は知覚して。

 そこに現れる『誰か』を、ベアトリスは見て。

 そこに現れる『誰か』も、ベアトリスを見る。

 

 

「貴方を救いに来たんですよ。ヴィッテンブルグ少佐」

 

「相変わらず貴様の戯言は意味を解釈するのも面倒だが。ああ、それを待っていた。待っていたぞ、キルヒアイゼン。我が戦乙女」

 

 

 ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼンは悲しげに笑い。

 エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグは愉快げに笑った。

 

 

 




お誕生日おめでとうベイ中尉!

プレゼントはスワスチカ経由ヴァルハラ行きのチケットだよ!

絶句するほど嬉しいんだね、分かるよ!

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