秘宝伝   作:雪宮春夏

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 あけましておめでとうございます!!
 雪宮春夏です。
 今年もよろしくお願いします。


 それと同時に一つお詫びをば。

 今回時系列上の関係により、本編未登場の人物が何人か登場しております。
 ……単にこちらの執筆速度が間に合わなかったということもありますが。


 



番外編
新年


「よしっ!完成よ!!」

 突如後方から聞こえた声に振り向くと、相棒の少女が顔を真っ黒にして座り込んでいた。

 

 新年初日にやる精神統一の一貫なのだ、と言い張る相棒が出した情報源は、なるほど信用できる相手だった。その言い分は信じよう。だが……。

「……セツ。今日は新年初日だったか?」

「あ……あと3日もすれば新年よ」

 答えた彼女も自分の非は自覚しているのだろう。言い募る声は小さい。

「で……でも、何事も早くて悪いってことは無いんじゃ……無いわよね?」

 言い募りかけたセツの言葉はその相棒、嵐の一睨みによって勢いを無くした。

 ここは血で血を洗い繁栄する犯罪都市、死血街(デス・ブラッド)。その地に住まう中でこの2人はかなりの実力者と言われている。最も今の状況を見てそれに納得するものは少ないだろうが。

 黄土色の髪に赤を基調とした服装の少女、セツは正座の状態で向かいにいる少年を恐る恐る伺っている。心なしかいつもは不敵に輝く青い瞳にも強い輝きがない。向かいに座る少年、嵐は一見は常と変わらなく見えるだろう。青を基調とした服を纏い、黄緑色の髪は顔にかからないように緩く縛っている。裏でも珍しいオリーブ色の瞳は常と変わらず冷静な……いや。

(冷淡……ううん。冷酷……っ!!)

 流石のセツも殺気がこもる鋭い視線に物理的な痛みを感じつつあった。

 もともと悪いのはセツだ。それは彼女もわかっている。今日は年の瀬も近いと言うことでアジトの片付けをしていたところであった。しかし、片付けの最中でセツが以前所用で買ったのだろう墨と筆を見つけてしまったのが運のつき。

 嘗て嵐の相棒であった自称「死血街(デス・ブラッド)一の魔術師」たるある少年から事前に情報を得ていた新年に行う恒例行事即ち「書き初め」とやらをやってみたくなり。

「気づけば掃除を忘れて熱中していた、と……」

 一見してわかる現状を言い纏めた嵐の視線はセツを通り越し、どこか遠くへ向けられている。ため息さえ出ない分、無言の威力は抜群だった。

「ご……ごめんなさい……っ」

 セツとしては只々謝るしかない。

 ……見渡すまでもなく、周囲には墨の汚れと書き損じの紙で潸々たる有様だった。

「……それにしても」

 怒られ縮こまるセツを一瞥して、嵐はセツが「書いた」という書を手にとる。

 長い付き合いの中で、彼女が作業の途中で別の物に手をつける、という悪癖に関しては最早矯正を諦めていた。

 仕事に支障を来す訳でもないそれは、言うなれば彼女の優先順位の問題である。この手の作業に関しても、紆余曲折を経て、最後には上手くいくのだからいつまでも怒るだけ無駄というものである。

「……なんで最初の四文字以外が全て平仮名なんだ?」

 そのためこぼれたのは彼女に対しての不満ではなく、率直な書に関する感想……もとい疑問だった……が。

「……え?」

 それに対して、嵐の予想とは外れ、セツがキョトンと目を丸くして。

「何か、変かしら?」

 その言葉で彼は理解した。非常に残念なことに、セツはその疑問の核心まで理解できなかったのだと。

 訳が分からないとデカデカと書いてあるであろうセツの顔を咄嗟に直視できず、嵐はただ彼女の常識と、自身の常識との差異にため息を漏らした。

 それは何かを話すより雄弁に、セツにダメージを与えていたのだが、本人はそれを知るよしは無い。

 

 

「別に変ではないんじゃない?」

 セツの持ち込んだ作品を横目に見ながら、シュグイはグツグツと煮える鍋に意識を集中していた。

「だったらなんで嵐はあんな顔してたのよ!?」

 そう叫んだ少女に対して式神の視線は完全に鍋に注がれている。

 その様子は一目で、彼がこの話題にまるで興味を示していないことが見て取れたが、セツは気にすること無く話し続ける。

「確かに途中で掃除をほったらかしたのは悪かったと思ってるわよ。だからって……あんな返し方ないと思わない!? あれなら罵詈雑言言われた方がマシよ!! 精神的にっ!!」

 目の前の円卓を力一杯叩きながら力説するセツに背を向けながら、彼はやれやれと肩を竦める。

「彼の性格上、罵詈雑言は無理だと思うよ? 堪忍袋の緒が切れるとしても、あの子は静かに怒るタイプじゃないか」

 やや方向性のズレた合いの手に構うことなく、セツは体にたまる鬱憤を放出するように獣のような唸り声を上げている。

 それに肩を竦めながらも手を止めず、視線も必要以上に鍋から離さないシュグイに、漸く苛立ちを治めたセツが好奇の視線を投げていた。

「そう言えば何しての? さっきから。夕飯にしては早すぎない?」

 覗き込むと、それは表の中華専門店等で見られる円柱型の厚底中華鍋。そこでグツグツと煮込まれているのは。

「大豆?」

「違うよ。これは小豆。シャンのリクエストなんだ」

 軽口調で答えるシュグイに、自然とセツは眉根を寄せる。

 小豆なんぞ煮込んで何に使うのかと、雄弁にその顔が語っていたのだろう。

 それに笑って、シュグイは説明を入れた。

「これを更に細かく潰して水気を切って餡子にするんだよ。あんこ餅とかお汁粉とか、いくらあっても足りなくなるからね」

 その忙しさを想像しながらも楽しそうに笑うシュグイの顔は、完全に主婦の顔だった。

 

「そう言えば、シャンはどうしたのよ? 珍しく一人で仕事に行ってるの?」

 シュグイの邪魔をするのも悪いと、円卓に戻ってきたセツは、その上で蜜柑を頬張るビンティに問いかける。

 チラリと、シャンに使役される使い魔はこちらに目を向けるが、セツの方はまだこの場から動く気は無いらしく、円卓の上にある蜜柑の一つに手を出した。

 図らずも大掃除をすっぽかす事になってしまったことでばつが悪いとは言え、一応師走の忙しさに急かされているこの家に我が物顔で居座る気満々の彼女の、ある種厚顔無恥さに呆れれば良いのか怒れば良いのか思案したのは一瞬、放置することを導き出したビンティは丸まっていた姿から僅かに顔だけを上げて、彼女の問いに答えた。

「シャンなら少し出ているだけですよ。軽い仕事をするとかで。表まで足を伸ばしています。この季節は表も浮き足だっていますからね。こちらとしてもやりやすい」

「帰りに細々としたもの、買ってくるって言っていたものね~」

 最後は表の人々を鼻で笑うように軽い口調で纏めたビンティに、シュグイが合いの手を入れる。

 彼らの口ぶりからすると、年末には帰ってくるようだ。

「まぁ、途中で興味を惹かれたからとか言って、高額の魔術書とか買わないかと、少しばかり心配ですけどね」

 どことなく柔らかい口調で呟くビンティに、恒例の彼の説教時間を知っているシュグイも苦笑する。

 そんな彼らの様子に居心地の悪さを感じて、セツは早々に立ち上がった。

「あれ? ……もう行くの?」

 きょとんとこちらを見るシュグイは、今し方、自分達が他者が間に入りがたい、親密な空気を醸し出していた事自体に気付いていない様だった。

 そんな彼らに曖昧な笑みを残して、セツはその場を後にする。

(でも……まだ帰りにくいわよねぇ……)

 

「書き初め……お前が?」

「ちょっと待ちなさいよ! 『私が?』って、どういう意味?!」

「えっ!? 似合わねぇって意味じゃないか?」

 疑問だけを放ったリィーユの言葉を目敏く拾い、眉をしかめるセツに、バカ正直にというべきか、目を丸くして核心を突いてしまった茶狐が、セツから鋭い突きの一撃を、凶器の鍵爪をもって、送られていた。

「……っぅぅ、何すんだよっ!?」

 常人なら即死であるだろう脳天への一撃を、涙混じりの言葉だけで済ます茶狐は、流石は式神と言うべきだろう。

「それはこっちのセリフよ!」

 最も、セツも分かっていてやっているのであるが。

「まぁたしかに、前半四文字だけ漢字、後半七文字平仮名じゃあ、バランスとしては悪そうだな」

 スパッと、話題を変えたリィーユだが、変わったその話題こそが、セツが聞きたかった物であった。

「……じゃあ嵐は、私のバランス感覚の酷さに怒ったってこと?」

 たちまち眉を八の字にのせて、しおらしく沈んだセツの変わり身の早さに、まだ付き合いの浅い二人は目を丸くしながらも、セツが早々と出したその結論には首を傾げる。

「いや……それ怒るほどのことか?」

「……だよなぁ、あいつもどこか抜けている奴だし、お前との付き合いもかなりの長さになるんだろう? 呆れはしても怒りはしないと思うけどなぁ」

「呆れって……そんなぁ……」

 二人が放った自覚の無い攻撃に、今度こそセツは地に沈んだ。

 

「大体……なんで態々後半平仮名にしてんだよ? 全部漢字にすれば八文字で、文字数としてもバランスは取りやすかったはずだろう?」

 地に沈んだセツを眺めながら、徐に呟いたリィーユの言葉は、茶狐には酷く納得できるものだった。

 しかしその言葉に、セツは不満そうに唇を尖らせる。

「だって……後半の四文字の漢字って、画数は多いし、細かいし……筆だと潰れて滅茶苦茶になっちゃうじゃない」

 暫しの無言。その理由は、セツには知る由も無いことだが、二人が……とりわけリィーユが「人形」としてつくられる以前にいた世界で、日常的に筆を使っていた世界にいたことが一番に上げられる。

 彼らにとって筆という文房具は、現在使っている鉛筆やペンなどより、余程慣れ親しんだ物であったが故に、セツのその視点は予想外だったのだ。

 つまり、彼らはセツがその漢字を書かない理由を……彼女とは異なる理由で解釈してしまっていた。

「……あぁ、成る程。つまり()()()()()()書けるわけだな」

「良かった……その漢字が書けないほど、学がないわけではなかったんだな」

 そしておそらく……その解釈はセツ当人からしてみれば、とんでもない侮辱であることは、想像に難しくない。

 

 おかしな所で凝り性である、と言うのは、昔から親しい相手から言われている事であった。

 それは時には褒め言葉で有り、時には苦言ともなるが、今の嵐には関係の無いことであるので割愛しようと思う。

 とにかく嵐は、凝ろうとすれば、とことん凝るのである。

 そんな嵐がセツのその作品を見て、最初に抱いたのは何だったのか、彼にも分からない。何せ、彼の視点からすれば、不満な部分がありすぎたのだ。

 新年にやるはずの行事を、三日も早めたということしかり。

 全体の書式を統一せずに……前半部分を漢字、後半部分をかな文字と、おかしな形で記すことしかり。

何より……。

(精神統一の一貫と言うのならば、一人でやることがそもそも間違いだろう)

 そう。

 嵐が一番に不満を覚えているのはそれであった。

(それを新年にやることで精神統一を計れる、それが効能ならば、新年前にやるのは意味がない。精神を安定させる効能があるのなら……この先の事まで考えるならば常日頃から落ち着きのないシャンにも引き続き受けさせるべきだろうし)

 シャンからすれば、それはあくまで彼の故郷に伝わっていただけの慣習で有り、セツに至っては少しでも彼の怒りを緩和する為の最もらしい言い訳でもあったのだが……嵐はそれを全て未知の知識として受け入れ……試してみようと思ってしまった。

 そしてその先で嵐が直面した問題は……そもそも、己もセツも書き初めとやらに使われる道具一式、その扱いをほとんど知らないという、避けられない事実であった。

 仮にこの問題に直面したのがセツであるならば、仕方ないの一言を置いて、見よう見まねで済まそうとしただろう。

 しかし、何事にも綿密さを求める嵐にはそれはできなかった。

(まずは道具を一式……最低でも二人分揃えることと……後は出来るならば師が欲しいな)

 常と変わらぬ無表情の下で、訥々と考えを練りながら目的の店に辿り着いた嵐は。

「………?」

「……珍しいな。こんな所で会うとは」

 何故か、イズナとかち合っていた。

 

 

 死血街では数少ない医療従事者とも呼べるイズナ……薬草師と呼ばれる彼女が彼の店に来た理由は、この店の扱う薬包紙が表でも数少ない上級のものだったからだ。

 勿論、表でもかなりの値となるそれは、裏ではそれ以上の値段となるが、イズナはことこのような出費には妥協することはない。

 値に妥協して、粗悪品を掴まされれば、結果として損をするのは己である。

 それをイズナは他でもない、経験として知っている。

 それ故に、イズナは小さな薬包紙一つとっても、それが薬に対する物ならば値段に糸目はつけないのだ。その分当然、かかる費用もそれなりの値段にはなるが。

(それ込みでの料金設定だからな。死角は無い)

 内心で独りごちながら、軽い足取りでいつもの道を向かったイズナだが、肝心の薬局の前で見知った顔と鉢合わせた。

「……珍しいな。こんな所で会うとは」

 思わず漏れ出た本音に、その当人……嵐は二、三度目を瞬かせた。

 

 恐る恐ると開いた扉の向こうには、無人の場所特有の、冷え切った空気が充満していた。

(よかった……のかな? 嵐がいないのは……)

 畏れていた相棒の不在を知ったセツの心情は複雑である。

 師走の忙しい時期に満足に予定していた掃除もせずに遊んで……いたわけでは無いが、全く関係性の無い書き初めをやり始めていたのだ。

 嵐の目線からすれば、サボっていたと取られていても仕方がない。

 彼の無言の責めと溜息に耐えきれずに、結果として謝罪の一つも無しに、住処を飛びだしていた。

 どのような感情も比較的冷めやすい嵐の怒りがまだ持続しているとは思わないが、こちらは罪悪感がある分、どうしても帰りづらくはあった。

 しかし、それでこれでは、セツからすれば拍子抜けも良いところだ。

 対面の覚悟をしていた分、肩すかしを決められたと言って良い。

(それに……これって単に怒られることが無くなったって、言われるよりは、先延ばしにされただけって言う感じだし……)

 結局、変わる事は無いだろう己のすべき事を思い浮かべて、セツは己を鼓舞するかのように大きく頷いた。

(……いや! 私に自罰趣味はないけれど……)

 目覚めが悪いと言うものだ。セツは己に言い聞かせるように頻りに頷く。

 己の非を認めるのは何も悪いことではない。

 特に嵐との関係は、これからも長い時間続くことは間違いないのだから尚更だ。

 こんな小さな事で溝を作るのは馬鹿げているし、これからやろうとしているのは円滑な作業をするためには必要なことだった。

 二度、三度と呼吸を繰り返しながら、それを頭の中で反芻していたセツは、注意力が散漫だったと言わざるを得ない。

 背後からの奇襲に気付かなかったのだから相当だ。

「……遅かったな。なにしてたんだ? お前」

「よぅ。邪魔してたぞ?」

 そう、背後……セツが閉めたドアを開けて入ってきた二人は、それぞれ汚れかけた布巾を手にしており、その頭は埃から髪を守るためのものか手拭いを巻いており、口元は覆われ、上半身にはピッタリめのエプロン。

 どう考えても掃除中の格好である。

「え? ……何してんの? あんたら」

 いみじくも、つい数十分前、会ってばかりの二人である。

 住処の場所は教えた覚えは無いが、そこはイズナあたりにでも聞いたのだろう。

 しかし、セツと嵐の拠点の場所を態々二人がそのような装備で、清掃している意図が分からない。

 まさかと思うが、女将さんのあの「お通し」攻撃と同じく、押し売りで後払いでも巻き上げようという魂胆だろうか。

 自然と警戒の目を向けてしまうセツに対して、リィーユと茶狐も、彼女の懸念に気付いたのだろう。

 肩を竦めながらも、彼女の懸念を払うべく、それぞれ口を開くが……。

「確かにイズナの命令でもあるが、そもそものこの話の発案は嵐だぞ? 俺達はその代わりに来ただけだ」

「まぁ何がどうしてそうなったのかは知らないけれどな。嵐の奴、イズナと一緒に、墨と毛筆自作するつもりだぞ?」

 

「「お前、嵐に一体どういう説明したんだ?」」

 

 その説明こそが、セツを混乱に落とすには十分であったことは、言うまでもない。

 

 

 

 新年が明けてからでないと嵐は帰還しない。

 それを聞いた際のセツの意気消沈ぶりは、伝えただけのこちらが申し訳なく思うほどであった。……最も、その理由を聞くまではの話だが。

「お前なぁ……」

 呆れた様子を隠しもしないでリィーユは吐息を零す。

 彼がとるには珍しい態度は、無意識下でセツの精神へと、大きなダメージを与えていた。

「……だって、折角の新年なのよ? 年に一度の楽しみなのにぃ……!」

「正月料理なんて食べようと思えばいつでも食べられるだろうか……」

 沈むセツを元気づけようとした茶狐が、言い聞かせるように続けた言葉。しかしそれは、今の彼女には全くの逆効果だったようだ。

「正月に食べないと……意味ないのよ! おせち料理はぁっ……!!」

 ズガンと、殺気まで上乗せされていただろう重い一撃を、咄嗟の判断で回避した己自身に、茶狐は称賛を与えたくなった。彼の身代わりとなって、今し方まで彼が立っていた場所の……丁度真後ろの壁に綺麗に開けられた風穴 を見ながらリィーユは恐れ戦いた。

「おせち料理に必死すぎだろ……!?」

 最もそこには、呆れの色も多く含んであったが。

 

 

 セツはフラフラと、街の中を一人あてもなく歩いていた。

 心肺そうに顔を見合わせながらも、彼らの一存だけで新年……いや時期を問わずに、己の作り主である彼女が、資金を支払って所有物とした食料。それをたとえ見知っている彼女の知古だと言うセツが相手であっても彼女の許可なく渡すわけにはいかなかったし、使用するなど以ての外である。

 結果としては何も出来ないから変わることの出来ない彼らは、心配そうな視線をセツへ向けながらも、大掃除だけはしっかりと行った。

 因みにその間、嵐が帰ってこない事から食べられなくなった正月料理へと衝撃なのか、セツは魂が抜けてしまったのかと思うほどの虚脱状態となっており、全く使い物にならなかった。

 そんな状態で迎えた大晦日。

 賑わう街とは対照的などんよりとした雰囲気を纏ながら、力ない足取りでセツは人混みの中を彷徨っていた。

 確たる目的地が有る訳では無い。

 それでも住処から出てきたのは人恋しかったからかもしれない。セツ自身の矜持の高さから、決して人に打ち明けるつもりはないが。

 三食の食事が取れないわけでは無いのだ。

 所持金も十分にある。

 こと、おせち料理だけならば、表の物を買うなりよそから盗むなり、得る方法はあるだろう。

(たかがおせち料理じゃ無いわよ……!)

 唇をかみ締めながら、セツは闇雲に足を踏み出した。

 おせち料理……正確には、セツが欲したそれは、相棒である嵐と二人で過ごす、正月の時間であったのだ。

 無論、正直にセツが嵐と二人で過ごす時間を求めたことなどない。

 ただ新年の、それもおせち料理を口実とすれば、自然と嵐と二人っきりで過ごせるのが、彼と組んでからの年末年始の流れであったのだ。

 しかし慣習とも呼べたその時間は今年……年が明ければ来年だが、この一連の騒動によって、見事消失してしまっていた。

 嵐当人がこの地にいないのだから、致し方ないと言えよう。

 しかしそれを諦観だけで済ませられるほど、年末年始のこの時間に対するセツの執着は甘くはなかった。

 元々はセツがシャンに聞いた覚えのあった「書き初め」とやらを、一人で勝手にやり始めたのが原因なのだが、そんなことは今のセツには馬耳東風と言えよう。

(そうよ……元はと言えば、シャンが私に書き初めなんて教えるから悪いんじゃない……!)

 端から見れば八つ当たりであろう結論に大まじめに行き着いたセツの行動は、途轍もなく早かった。

「見てなさいよ……!!」

 その先の言葉を知る者は、今はまだいない。

 

 

 その男は、明らかに浮かれた様子で久しぶりに出歩くその地を闊歩していた。

 犯罪都市と言われる死血街(デス・ブラッド)であっても、新年というのは常に無い活気を生むと言うことだ。

 最も、その地に住むすべての人々の表情が一様に明るいと言うわけでは無い。

 生活にゆとりがある者や、ゆとりが出来そうな者、また、一時的とはいえ、大金が入った者などは、雰囲気は柔らかくなるし、顔は綻ぶが、それとは逆に、余裕が無いものはめをぎらつかせるか、表情は翳り、勢いが無くなる。

 表情が翳り、勢いがなくなる者は良いが……この場合の良いというのは、己には彼らの事情は関係が無い故の無関心でもあるのだが、ここでは割愛する。問題となるのは、目をぎらつかせている者だ。

 このような者達の場合、今の男のように、一目で羽振りが良い、勝ち組であると分かる者の寝首を狙い、臨時な大金を得るという形で勝ち組へ転身しようとする者が多い為に、有り体に言えば、良いカモになるのである。

 むろん、シャンとて、それなりに長い期間死血街(デス・ブラッド)に住まう人間である以上、その危険性は十分に分かっている。

 そして、そんな無頼者を黙らせるだけの実力も当然持っているからこそ、一定の警戒を緩めないながらも、吞気に歩いていられるのである。

 そんな常とは異なる、しかし、変わることのない筈の彼の日常を崩す魔の手は、意外な人物の形でやってこようとしていた。

「……ん?」

 ビリリッと、感じたのは肌に突き刺さるかのように鋭さを秘めた視線。

 チラリと周囲を目線だけで見渡した警戒に、あからさますぎるそれの相手は直ぐに見つかった。

「……セツ?」

 忙しなく動いているはずの人々の中でも、いっそ不気味に感じられる程に開いた不自然な空隙。

 遠目にはいつもどおりの彼女に感じられなくもないが、この都市で培ってきた己の直感は鋭く警鐘を鳴らす。

 彼女の方は顔をあげることも、いつものように気安く話しかける事もなく、一歩、一歩と、地を踏みしめるように歩を進める。

 不自然すぎる空隙を、作りながらこちらへ近付く彼女の姿は、どこか異様で、シャンの直感が鳴らす警鐘は、ますます強さを増していく。

(追い詰められる……!)

 無意識に後退ったその瞬間、セツの視線がはっきりとこちらに向けられたのを自覚した。

 咄嗟に臆したこと。後に振り返れば、これこそが、シャンの敗因であった。

 掴まれた手首。薄らと笑う顔はどこか作り物のような違和感があり、それがより恐怖を助長させた。

「久しぶりね。シャン……本当に」

 仕事の時にみせる顔とはまた、違う。

 ハイライトのなくした青の瞳は、不気味を通り越して最早恐怖さえ感じさせた。

「……あいたかったわ」

 目元を僅かに緩ませるだけの笑み。

 言葉の中に僅かに含ませる何かにシャンの直感はこう告げた。

(……あ。なんか終わった)

 その結果が明るみに出るのは、それから数日後の事である。

 

 

 

 新たな年となって2日が過ぎた本日、年末から続いたセツの騒動の顛末を聞いた茶孤は、現在腹を抱えて大笑いしていた。

「笑い事じゃありませんよ……こちらとしては」

 向かい合うビンティの声は気怠げに沈んでいる。

 嵐が帰ってくる予定の今日までの二日間、誇張無しに己の領域に入り浸られた方からすれば、確かに厄災以外のなにものでもないだろう。

 しかも、確かに始めの切欠の発端が彼等の主だとしても、そもそもそれに興味を持たせる悪手を放ったのはセツ本人なのだから、今回のことは半分以上八つ当たりの領域に近いのだ。

「まぁ、今回の件は誘ったイズナも反省してるんだぜ? 嵐の暴走を上手い具合に利用したって負い目があるからな。でなきゃ場所代無料で提供してくれないだろうし」

「でもこれ、参加人数に件の双子が加わっている時点で結局我々が面倒を見ると言うことになっているのでは? 上手くベビーシッターに使われているようにしか感じないんですけど」

 納得がいかないと、口元を歪めるビンティが怒っているのは、イズナとセツ、おそらく双方に関してだろう。

(そんで、目の前で良いように転がされている主人のことも、その不甲斐なさに腹正しいって感じなのかね)

 そんなご立腹な使い魔を横目に、同じ立場に近いだろう自分はしかし、かける言葉を見つけられなかった。

 まぁ、仕方ないだろう。

 己達の立場こそ似ているが、その主人であるリィーユとシャンではその立場はまるで違う。

 イズナに隷属する立場であるリィーユを主人としている茶孤は良くも悪くも諦観の姿勢が身についている。

 最も、絶対に譲ることの出来ない一線は今も譲るつもりはないのでそれほど苦行とは感じてない。

 一方のシャンは組織に属すことのない自由人だ。

 基本的に自分達に必要のないことは全くしない。

 そんな主人を糧として生まれてくるのだから、当然、それぞれの性質が異なっているのは当たり前だ。

 お人好しと言っても良いシャンのそんな性質を理解した上で苦笑一つで今回の出来事を許容出来てしまえるシュイグイの方がどちらかと言えば異端なのかもしれない。

(……いや、単に付き合いの長さから諦めざる得なかっただけかもしれないけど)

 話題の彼女が一度懐に入り込めた人間には基本遠慮がないことは見ていれば自然と分かる。

 逆に懐に入れるまで酷く用心深いからこそ、あれほどの若年でありながら指折りの存在としてこの都市で一目おかれているのだろうが。

(……まぁ、若年と言う意味ではこいつの主人も大概だよなぁ)

 連鎖反応を起こすかのように彼が思い浮かべたのは今も幼子が拗ねているようにそっぽを向くビンティの主だ。

 年だけを見れば彼女たちよりも幼い姿に、近頃の表はどういう状態なんだと頭を抱えたのはここだけの話である。

「お前ら、大した接点も無いのに随分仲良くなったんだな?」

 そうしている内に、件の双子の支度が出来たのか、奥の方からリィーユが出てきた。

 女性の支度は時間がかかる……と言っても、女性であるのは双子の片割れだけなのだが、そうでなくても今回使用する一連の道具を準備するのに一役買ったのは彼らで間違いないため、誰も不満など言えるわけがない。

「……それにしても双子はともかく、何故貴方まで着物なんですか?」

「ん? ……駄目だったのか?」

 問いかけに問いかけで返してきた子どもの真意を掴めず、己の傍らにいる彼の式神に目線で尋ねる。

 しかし、当てにした式神本人すらもこちらの意図が掴めないのか首を傾げる始末。

「……いえ、そうでは無く。わざわざ着物に着替える意味が何かあるのかと思いまして」

「え? ……いや、新年最初の集まりってなったら、着替えねぇ?」

「……深く考えなくて良いぞ? 単なる習慣見てぇなもんだ」

 訳に察しがついているのであろう彼の式神が苦笑で済ませたので、そういうものかと追求を緩める。

 そんなとりとめの無い会話をしている間に他の面々も用意が調ったのか、次々とこの一室に集まり始めていた。

「リィーユちゃん。見て見て? 似合う?」

 クルリとその場で一回転する少女……珠奈に、笑顔で肯定するが、その様子はどこかおざなりだ。

 おそらくそのやりとりは既に何度か繰り返された後なのだろうと伺える。

 明るい朱色に白い花をあしらった着物は振袖の一種なのだろう。紺色の帯とのバランスを合わせた二色の小物にも、彼女はご満悦のようだ。

「似合って……る?」

 自信満々に問いかけた片割れに対して、もう一方はどこか気後れするふうに目線を下げている。

 対応するリィーユもこの二人の違いには既に慣れた様子で、片割れ……秋斗と目線を合わせ、和やかな笑みで頷いてやる。

「手慣れてますねぇ」

 どこか含みを持たせるかのようなビンティのそれはそうだろうと、含みもなく茶孤は言い切った。

「……あいつがここで()()()()()()()()()もう結構たっているからな……」

 珠奈や秋斗、イズナと過ごした時間は、セツや嵐、シャン達がこの都市で過ごした年月に比べたらまだまだ少ないものだろう。

 それでも一つの家族として過ごしてきた分、自然と彼らとの接し方は手慣れてくると言うものだ。

 己も気にしないままに過ぎ去ってしまった年月に自嘲を浮かべた茶孤の意識は、耳に届いた軽快な足音によってこちら側に引き戻された。

「おまたせ!」

 弾んだ声を響かせたのは今回の一件で、様々な所に被害をあげた本人、セツ。その後ろから相変わらずのマイペースさで歩いてきたのはその相棒の嵐……だが。

「……なんでお前らまで着物なんだ?」

 思わず問いかけた茶孤は頭の中で僅かな予感を感じて思わず目線を宙に投げる。

 その姿に気づかないまま、セツは何気ない様子で彼の問いかけに答えていた。

「何でって、イズナが貸してくれたのよ? 私と嵐の二人分、昨年は色々とあったからって、珍しいわよね?」

 脳天気に言い放つ他意など考えてもいない様子なセツにリィーユはつい額を抑えて瞑目する。茶孤に至ってはくらりと目眩にも似た立ち眩みを感じそうになった。……実際は感じない痛みではあるが、それでも覚えたのである。

(……代償がそれって、どう考えても釣り合わないだろ!)

(……こいつら、ぼったくられてる事に気づかないで、今までどうやってこの都市で生きてきたんだ!?)

 二人同時に思ったそれは、サラリと彼らの会話に割りこんだ嵐の言葉で、直ぐさま霧散することとなった。

「ところで……やらないのか?」

 過ぎたことは関心がないと……興味すら抑も抱いていないのだろうと分かる言葉に、考えるだけ無駄かと、二人は一気に脱力したのだ。

(……だいたい騙されてようが何しようが、あの二人がそれで納得しているのなら、わざわざ教えて引っかき回す事でも無いだろうしな)

 まず相手がイズナなのだから、ぼったくられる以上の危険は……生命に関わるような物はないだろう。

 彼らとこちらは敵対関係ではないのだから尚更だ。

(……それに、それ相応の信頼がなければ、イズナが秋斗と珠奈をこいつらに預けることは元からないだろうし)

 納得したまま思考を打ち切り、辺りに目を向けると、そもそもの今回の騒動の発端であるシャンが、書き初めに使われる用紙を広げているところだった。

「……で? お前ら何て書くんだ?」

 墨をするシュグイを視界に捕らえながら、聞いたセツの言葉に、茶孤とリィーユが顔を見合わせたのは完全な余談だろう。

 結局、書いた言葉自体は先日と何一つ変わらなかったと言う事実だけを、ここへ述べておこう。

 

 

 

 

 

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