[0084年6月 イギリス ロンドン・ヒースロー基地]
晴れ渡る空の下、ミデア輸送機からクラノは降りた。
イギリスの夏は寒い、なんて話を聞いたことがあったが、そんな事は無い。
腕時計に内蔵されている温度計を見ると、まだ春であるにも関わらず、針は三十を指し示していた。
コロニー落としによって、地球の気温や天候が乱れた影響だろうか。
ハミルトン基地で貰った指令書には、ロンドン基地の第三下士官室に行くようにと書かれていたが、指令書に基地の地図は同封されていなかった。
仕方が無いと内心で呟くと、適当な連邦兵を見つけて声をかける。
声を掛けた連邦兵の襟元には曹長の階級章、胸元にはウィングマーク(モビルスーツパイロット徽章)が付けられていた。
「すまない。道を尋ねたいのだが」
「見かけない顔、ティターンズか?」
「ここに赴任してきたばかりなんだ。第三下士官室はどこにある?」
「そこの扉から入って階段を登って二階に上がったら左正面にある扉だ」
「ありがとう、助かる」
「お前さん、モビルスーツに乗るんだろう?」
連邦兵はクラノのウィングマークを見てか、話を続けた。
「ティターンズのパイロットなら、それらしい格好をしないとな」
クラノの襟を直すふりをしながら、胸ポケットにチョコレートを忍ばせる。
「おい……」
「パイロットってのは頭を使うもんだろ? 糖分を確保して損は無い筈だ」
「どういうつもりだ?」
「それじゃ、俺は仕事があるから。お互い頑張ろうぜ、エリートさん」
手を振りながら何処かへと歩いていく。
クラノは追うか悩んだが、ロンドン基地に居るのなら、あの連邦兵と会う機会もあるだろうと考え、下士官室へ向かう事を優先した。
下士官室には、ティターンズの制服を着た男が2人、対面する形で椅子に座っている。
部屋に掛けられたアナログ時計からカチ、コチと時を刻む音が鳴っていた。
「失礼します」
小さく音を立てながら無機質な扉が開き、下士官室にクラノが入る。
「揃ったか。両少尉は椅子に座ったままでいい」
そう言いながら立ち上がる男の襟には、地球連邦軍大尉の階級章が付けられていた。
クラノは、大尉に対面する形で椅子に腰をかける。
ちらりと隣を見れば、スペイン系の顔立ちをした青年。
彼の襟には、クラノと同じ少尉の階級が付けられている。
同じ階級の人間がいたことにクラノは内心で安堵した。
「諸君ら二人に来てもらったのは他でも無い、新編されたティターンズのモビルスーツ部隊の一員として諸君らが選ばれたからだ」
大尉が「選ばれた」と口にした時、隣に座っている少尉の口元が緩む。
エリート部隊の一員として選ばれて喜ばない人間はいないだろう。
「自己紹介が遅れたな。私はラダー・クラット大尉だ。この部隊の指揮を任されている」
落ち着いた声でラダーは自己紹介を済ませる。
ラダーは壮年の男だ。筋肉質な体つきで、誰が見ても軍人だと分かる程に、軍人らしい雰囲気を漂わせている。
自己紹介を済ませたラダーは、クラノの隣に座る少尉へと目線を向ける。
目線に気づいた少尉は、椅子から立つと、自己紹介を始めた。
「自分はレイエス・ミンヴィル少尉です。士官学校を卒業して、そのままティターンズに入隊出来た事を光栄に思います」
レイエスの声が微かに声が上ずった。
士官学校を卒業したばかりということは、ここにいる三人の中で一番若いということで、緊張を隠そうとしているように見えた。
レイエスが座ると、今度はクラノが立ち上がる。
「マサシ・クラノ少尉です。つい先日までハミルトン基地で復興に尽力していました」
日誌で知識を得たとはいっても、クラノが軍に所属していたことはない。
下手な行動をして怪しまれないように、手短に挨拶を済ませた。
「これから我々はラダー隊としてジオン残党の掃討を中心とした任務にあたる。その為にも――」
ラダーが話を始めようとした所で部屋に付けられたスピーカーから、けたたましいサイレンが鳴り響く。
《サウサンプトン基地にジオン残党と思われるモビルスーツ数機が出現。ラダー小隊はただちに支援および鎮圧に向かってください》
「どうやら奴らも我が隊の設立を祝福してくれるようだな」
「ジオンの残党共が、ですか?」
レイエスが問いかける。
「この地球圏の平穏を乱す輩を掃討するのが我々ティターンズだ」
静かだが自信に満ちた声でラダーは返す。
ティターンズが正義であると確信している声だ。
一年戦争が終わった今、地球圏でテロ行為を行うジオン残党は間違いなく悪であり、その鎮圧を行っているティターンズが正義であることは確かだ。
少なくとも今は。
「急いでパイロットスーツに着替えろ。着替えたら格納庫に向かうぞ」
「了解です」
二人の少尉の返事が被る。意図していなくても出来てしまうのは、全くの偶然であった。
敬礼を済ませると、三人は急いで更衣室へと向かった。