キチガイが行くクトゥルフ   作:名枕(ナマクラ)

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1.沼男は誰だ?
沼男は誰だ?-1


 守谷明(モリヤアキラ)は杜或大学に務めるアラフィフの教授である。

 

 

 守谷教授はいつも通り今日の授業を終えた。普段であればそのまま部活に顔を出すか、研究の論文を書くか、飲みに行くか、思うが儘の気ままな夕方を過ごすのだが、今日は珍しく予定が入っていた。

 

 かつての同僚でありここ何年もの間連絡が取れていなかった友人である匂坂文則(サギサカフミノリ)から連絡があったのだ。

 

 連絡があった時、守谷教授はよく行く飲み屋に誘ったのだが、どうやら彼は外に出たくないらしく、友人の家で会う事となった。家の場所は以前と変わりないらしい。

 

「……流石に何の手土産もなしにというのは拙いかね」

 

 そう考えた守谷教授はまだ待ち合わせの時間まで余裕がある事もあり、友人宅への道のりの途中にあったケーキ店でお土産を買う事にした。

 

「ラッシャッセー!」

 

「モンブランを二つ」

 

「ォライォライ!」

 

「うむ、ありがとう」

 

「ザシター!」

 

 店員の対応に内心困惑しながらも目的の品を購入して店を早々に立ち去る守谷の脳裏に一つの人物が思い浮かぶ。それは自身が顧問をしている大学の水泳部にマネージャーとして所属している一人の男子医学部生である。する事為す事が突拍子もなく、正直未だに困惑を隠せずにいる。

 

 そこまで考えて、さすがに彼と一緒にするのは失礼だろうと思い直し、友人宅へと進める足を早めた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 そうして辿り着いたのは住宅街にある普通の一軒家。表札には『匂坂』の文字が刻まれていた。それを確認した守谷はインターフォンを押す。ピンポーンという電子音の後、少しの沈黙が流れ、ようやく声が聞こえてきた。

 

『……はい』

 

「守谷だ。お呼ばれされたから来たんだが、入ってもいいかな?」

 

『……鍵は空けてあります。悪いですが居間まで入ってきてください』

 

「わかったよ」

 

 

 言われた通り、守谷は鍵の開いた玄関から家の中に踏み入る。

 

 

 家の中は不可思議な空間であった。家という空間を作るにあたってどうしてもできてくる角という角、隅という隅に粘土のようなもので埋めて丸みを帯びさせていた。

 

「はて、彼は陶芸が趣味だったか……?」

 

 そんな疑問を抱きながらも守谷は玄関から角のない廊下を通って居間へと入る。

 

 そこには最後に会った時よりも若干……いやひどくやつれたように見える元同僚、匂坂文則がいた。

 

「お久しぶりです、守谷教授。お変わりないようで」

 

「そういう君は……少し痩せたかね。大体10年ぶりかな文則君。これお土産のモンブラン。よかったら食べてくれ」

 

「……! ……後でいただきます。悪いですが、冷蔵庫に入れてもらってもいいですか?」

 

「客人にさせる事かい? まあ構わないがね」

 

 守谷の買ってきたモンブランに一瞬文則が動揺したようにも見えたが、特にその事を指摘する事もなく冷蔵庫にモンブランを仕舞った後、文則に勧められるままにソファに座った。

 

「今日はわざわざ呼び出してすみません。今の俺が呼んで来てくれそうな人が守谷教授しか思い浮かばなかったもので」

 

「構わないよ。ところで君は陶芸でもやっていたかな? 部屋の角という角が粘土で埋められているが……?」

 

「……いえ、そういうわけではないです。別の理由がありまして……気にしないでもらえると」

 

「わかったよ……それで、話があるという事だったけどどういった話だい? 飲み屋で話すような事ではないみたいだけど」

 

 飲み屋などの人がいる場所ではなく自身の家というパーソナルスペースを指定した辺り、不特定多数の誰かに聞かせたい話ではないのだろうと守谷は考えていた。

 

「そうですね……とはいえ、そう多く話すことがあるというわけではないんです。今回お呼びしたのは利己的な理由なんでね」

 

「利己的?」

 

「ちょっと厄介なモノに目を付けられまして、やるべき事があるのに外に出る事も出来なくなりましてね」

 

「ふむ……」

 

 文則の言葉に守谷は考える。彼の話を聞く限り、彼は誰かに狙われているようだ。それが裏社会の住人なのか、それとも痴情のもつれから来るものなのか、詳しい事はわからない。だが、一教授でしかない自分にそれを解決できるとは思えなかった。もしかしたら第三者を挟めば解決するような案件なのかもしれないが……あるいは解決せずとも誰かに自身の心労を吐露したかっただけなのかもしれない。

 

 

 

 様々な推測が守谷の中で飛び交う中で、文則はこの場に守谷を呼び出した明確な理由を口にした。

 

 

 

「だから、守谷教授……俺の代わりになってください」

 

「……それは、どういう……?」

 

 

 守谷の疑問の声に対して返ってきたのは、聞き取れないほどの小声での独り言であった。

 

 何を言っているのか、聞き取ろうとした守谷の耳に入ってきたのは、聞き覚えのない彼の知っている言語にはないものである。

 

 その不気味な呪文はただ耳にしただけで守谷に言い様のない不快感が襲ってきた。

 

 そしてその小声が終わると、守谷の右手に痛みが走った。まるで焼き鏝を押し付けられているような痛みであった。

 

 その痛みが治まるとそこには円と線で模られた模様が浮かび上がっていた。それは見方によっては的のようにも見えた。

 

「本当に悪いと思ってますよ。恨んでくれても構いません。でもこうでもしなきゃ俺は何もできないんでね」

 

 その言葉と目から守谷は狂気のようなものを感じた。目的のためならどんなものでも犠牲にするような、そんな覚悟をだ。

 

 それだけ言うと文則はもう用は済んだとばかりに立ち上がり、居間から出て行こうとする。

 

「ま、待ってくれ、ちゃんと説明を……」

 

 わけのわからない状況に守谷は説明を求めて呼び止めようとするが、文則が応じる気配はない。

 

「ああそうだ。これは善意からの忠告ですが、命が惜しければこの家から出ない事です」

 

 押し付けた俺が言えることじゃないですが……最後にそう言い残して文則は去っていった。

 

 あまりの出来事に頭が働かなくなっていた守谷は、その姿を見送るしか出来なかった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 江戸川貞一(エドガワテイイチ)は杜或大学医学部に所属する6回生である。

 

 今日は高校時代からの旧友である友人と三人で遊びに行く予定であった。が、しかしその内の一人が急に仕事で来られなくなったため、現在もう一人の女友人である綾崎ハーマイオニー花子と二人きりであった。

 

 江戸川は怖れた。このままではハーマイオニーとのデートになってしまうと。彼の好きなタイプは幼女である。決してハーマイオニーのような巨体の顔面偏差値が低い女ではないのだ。

 

 別に江戸川は自身の容姿が優れているとは思っていない。身長は高いが筋力はなく、顔もイケメンどころかフツメンですらない。下の中か精々中の下くらいだろう。

 

 だが自身と同じくらいの身長と顔の女を、ロリコンである自身が好きになるかと言えば当然否である。

 

 なおハーマイオニーは現在飛行機の客室乗務員として働いているのだが、個人的によくその顔で採用されたなと思っているのは秘密である。

 

そんなわけで江戸川たちは本来であれば来るはずだったもう一人の職場へ突撃することにした。

 

 

 どこにでもあるような雑居ビルの一室に構えている探偵事務所。その中を扉からこっそり覗くと、そこにいたのは椅子に座ってジャンプを読んでいる一人の子供とも言える少年であった。

 

 その子供こそもう一人の友人である安藤善哉(アンドウゼンヤ)。子供のような体躯だが、同級生である。

 

 元々同じ大学に進学していたが、手伝いがてらバイトに通っていた親戚の探偵業に興味を持ち、大学を退学してバイト先への就職を選んだ。彼の言葉では「人のいざこざを第三者視点で見るのはとても愉しい」との事。名前に善とありながら中身は腐っているのはどうしてなのか、そして性別が女だったなら見た目はかわいい幼女になっていたのではないか、ロリは大好物だがショタは射程範囲外なだけに残念である、江戸川は内心思っていた。

 

 その腹いせに……というわけではないが、江戸川は安藤を驚かす事にした。まずは隠れて背後に忍び寄ろうとしたのだが……

 

「……何しに来た。邪魔だから帰れ木偶ども」

 

 すぐにバレた。友人相手この口の悪さとは改めてヒドイものだ。バレてしまったのでどうしようかと考えながら、考えが纏まる前に咄嗟に安藤に組付いた。

 

 組付きの技術は修得していなかったが、相手も素人だったためか綺麗に組み付く事に成功した。

 

調子に乗った江戸川はそのままガオガイガーのテーマを歌い出す。

 

「……何のつもりだ。邪魔だ、どけ木偶」

 

 だがやはり素人ゆえの技量のなさが出たのか、あっさりと抜け出されてしまった。

 

 抜け出された際に江戸川の口から変な声が漏れ出たが、このままこの位置に留まっていては安藤に毒を吐かれるのは目に見えていたので逃げるように距離を取った。

 

「せっかく美男美女が来たっていうのにこの探偵事務所は客にお茶も出さないの?」

 

「はっ、美男美女だろうが客でもない木偶どもに出す茶はない。というか貴様らが美男美女など冗談はその顔だけにしておけよ。さっさと帰って鏡でも見てろ」

 

 当たり前のように来客用のソファに座ってお茶を要求するハーマイオニーにそう返して安藤は毒を吐きながら再び椅子に座ってジャンプを読み始める。それに再び茶々を入れようとする江戸川。

 

 これがこのメンバーでの平常運転である。

 

 

 

 そんな日常を打ち破ったのは透き通るような声であった。

 

 

 

「――――ごめんください」

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 入ってきたのはまだ幼く見える美しい黒髪の少女であった。

 

 探偵事務所であるここに入ってきたという事はおそらく依頼にきた客であろう。ここの従業員である安藤としては相手をしなければならない。だがしかし他の二人を完全に放置するのも何をしでかすかわからないので怖い。一先ずそちらの様子を確認する事にした。

 

「ちょっと化粧するわ」

 

 いきなりそんな事を言って化粧をしだすハーマイオニーの突拍子もない行動は無視することにした。些末な事である。

 

 問題は何故か江戸川が咄嗟に彼女の背後に取り憑くように姿を隠していたことだ。

 

 相手に全く気付かれていないことに調子に乗ったのか、ポーズを取り出した。どうするべきか考えて――――触れれば面倒になることはわかりきっていたので無視して、依頼客であろう少女を案内することにした。

 

「何か御用ですか?」

 

「ここ、探偵事務所だよね? ちょっと頼みたい事があって……」

 

「はい、所長は所用で席を外していますので代わりに私が詳しい話を訊かせていただきます」

 

 

 彼女を席へと案内する。その背後に当然のようにピッタリ張り付くようについてくる江戸川。

 

 

「それで……えー、お名前を伺っても?」

 

「私は沙耶、だよ」

 

「今日はどういったご依頼で?」

 

「フミノリを探してほしいの」

 

「フミノリ……人探しですか?」

 

 問いかけに対して沙耶と名乗った女性は頷くことで肯定を示してくる。

 

「うん。匂坂文則。この辺りにいるのは間違いないの」

 

「ちなみに貴女とそのフミノリ氏のご関係を伺っても?」

 

「夫だよ」

 

 その言葉に安藤は内心驚く。見た目通りの年齢ではないと思っていたが、まさか既婚者だったとは予想外であった。もしかすると想定以上なのかもしれない。

 

 念のために沙耶の表情を窺ったが本当のような気もするが嘘かもしれない……現時点では相手の言葉を信じるしかなかった。

 

 なお、沙耶の背後に隠れている江戸川は服を脱ぎ捨てて上半身裸になっているが、完全に無視する事にした。

 

「詳しい経緯を伺ってもよろしいですか?」

 

 沙耶は黙ってしまう。どうやらあまり話したくないようだ。

 

「詳しい事がわからなければ調査に余計な時間がかかってしまうかもしれません」

 

少し脅しが入ってしまった気もするが、事実ではあるのだ。

 

それは困ると思ったのか、言いにくそうに沙耶は口を開いた。

 

「実は……私も暫くの間会ってないの。ようやくこの辺りにいるって情報を得られたから……」

 

「ではフミノリ氏の背格好や特徴を教えていただいても?写真があればありがたいのですが」

 

「写真ならあるよ」

 

 何か事情があるのかと推察しながら安藤が少しでも情報を得ようと質問すると、沙耶は一枚の写真を取り出した。その写真からはその男性が好青年であるように感じられた。

 

「今は何してるのかわかんないけど、前は大学の職員をしてたはずだよ」

 

成程……と安藤は考える。依頼人に怪しい所はあるが、依頼を受けない理由になる程のものではない。それにドロドロの人間関係が愉しめるかもしれない。そんな最低な考えを抱きながら、江戸川の頭のフケを上からかけられている沙耶に依頼を受ける事を伝える。

 

「依頼は受けさせていただきます。調査後、わかり次第連絡いたします」

 

「ありがとう! ちょっとでも早く会いたいから私も一緒に行ってもいいかな?」

 

 その言葉に安藤は内心顔をしかめたくなった。

 

 あまり一般人に知られたくない調査方法などもある中で依頼人に同行されるのは好ましくない。そもそもとして結婚相手の住居を知らないなど不審な点も多くあるため、裏取り調査もしたかった安藤としては、沙耶の同行は避けたかった。

 

 

 

「ちょっと江戸川!私が先に聞こうとしてたことを!」

 

 

 

 化粧をし終えて大人しくしていたと思っていたハーマイオニーのいきなりの発言に沙耶は首を傾げる。安藤もついに気でも狂ったかと思い、視線を向ける。ちなみに江戸川は半裸でポーズを取っているだけで一言も言葉を発していない。

 

「安藤に任せるわ」

 

 そして何事もなかったかのように発言するハーマイオニーに、いつもの事かと安藤は気にする事もなく話に戻る。沙耶も少し不思議そうにしながらも特に追及してこなかった。

 

「調査の過程で守秘義務が発生することもありますので、申し訳ありませんが、こちらの報告をお待ち下さい」

 

 依頼人の機嫌を損ねないようにやんわり断ろうとするが、それを聞いた沙耶は何やら不穏な雰囲気を帯びる。

 

「――――探してくれるって言ったのに……嘘吐き……!」

 

 ミシリ、という音を耳にした安藤はふと沙耶の手元を見ると、机が彼女の握っている手形に歪んでいくのが見えた。人の握力で簡単に歪むような素材で出来ていない机が変形している事実に、何か薄ら寒いものを感じる。逆らうとまずいのではないかという危機感を抱く。

 

 それを知ってか知らずか、本来部外者であるはずのハーマイオニーが口を開く。

 

「諦めなさい。さもないと後ろの変態を嗾けるわよ」

 

その言葉に沙耶は後ろに振り替える。振り返ってしまったその視線の先には顔を青くして脱ぎ捨てた服に手を伸ばしている半裸の江戸川の姿があった。

 

 

 

 目と目が合う。通常であれば、ここで響くのは少女の悲鳴であろう。しかしこの場にそれが響くことはなかった。

 

 

 

「――――ウォッラダッアアアイ!!!」

 

 

 

 

 

 響き渡ったのは男の奇声であった。

 

 

 

 

 

「アイッアイッ!アイイッー!」

 

 

 その勢いに任せるままに江戸川はチンパンジーを真似するような動きをして逃げていった。

 

 その予想外の出来事に思わず沙耶は呆けてしまった。

 

 そして江戸川の奇行に慣れてしまっている二人は特に動揺する事もなかった。

 

「ねえ安藤、このままこの人置いていかない?」

 

 ハーマイオニーの提案に安藤としてもそうしたいと思うが、そういうわけにもいかなかった。拠点である事務所に居座られると困るのはこちらである。さらに連絡先も聞いていない以上、調査完了後に報告する術がない。だからこそこのまま置いていくという手段が取れない安藤は沙耶に究極とも言える二択を迫ることにした。

 

「……いいでしょう。同行しても構いません。この変質者どもと同行できるのならば」

 

「……え、アレも来るの……?」

 

「来ますが?」

 

 かなり嫌そうな顔をして聞いてくる沙耶に対して安藤はイイ笑顔で即答する。

 

「………………仕方ない、アレは我慢する。よろしく探偵さん」

 

「こちらこそよろしく」

 

 凄まじい葛藤の末にどうやら嫌悪感の塊を我慢してでも沙耶は着いてくるようだ。そこまで嫌がられている事に驚愕する江戸川を見ながら、安藤は沙耶の同行よりも変質者の同行を赦してしまった事に、少し早まったかもしれないと早くも後悔し始めていた。

 

「それで、まずはどうするの?」

 

「闇雲に動いた所でどうにもならん。まずは身近な所で知ってる人間がいるか確認してみるさ」

 

 

 

 ハーマイオニーの言葉に安藤は携帯を取り出しながら答えたのだった。

 

 




不思議に思われた方もいるであろうハーマイオニーの突飛な言動に関してですが、今回のセッションはリアル友人とやってましたが、リアルで集まれずにライン上でやってました。
なので発言のタイミングがずれたり、行動把握に齟齬が出てきたりしていますが、その辺りを修正せずに、物語に組み込んでいます。


次回の更新は、11月21日の23時を予定しています。
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