キチガイが行くクトゥルフ   作:名枕(ナマクラ)

5 / 10
沼男は誰だ?-最終回

「……あっさり終わったんだが」

 

 

 

 戦闘はすぐさま終わっていた。

 

 安藤が護身用に持っていたスタンガンを食らってナイアはそのまま意識を失ったのだ。

 

 あれだけの大言を吐いておきながら自らの手番に回る事もなくこのザマである。

 

 守谷教授に至っては一番最初に行動できたくせに煙草を吸っていたくらいだ。

 

 

 

 こうして戦闘は終わったが、しかし事態はまだ終わらない。何せこの場にいたのは沙耶一行とナイアだけではないのだ。

 

 その場にいた配送業者の人たちがこの一連の戦闘を見てざわついている。いきなり依頼主が第三者に失神させられたのだ。まともな精神なら警戒するのも当然である。実際現状の一行は通り魔とさして違いはない。

 

 どうやって言いくるめ、もとい説得するか……そう悩んでいた安藤と守谷教授だったが、しかしそれに関しては思わぬ方向から解決する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、この人私の行方を眩ましてた姉なんで」

 

 

 

 

 

 

 

「「!?」」

 

 

 

 ハーマイオニーが放ったこの一言は、配達業者だけでなく守谷教授や友人である安藤すらも驚愕に包んだ。

 

 それを知ってか知らずか、ハーマイオニーはさらに言葉を続ける。

 

「病院から抜け出した後行方がわからなくなってたんです。何なら警察呼んでもらってもいいですよ」

 

 安藤は一瞬ブラフかとも思ったが、もし本当ならハーマイオニーがいきなり暴走した事にも納得がいく。

 

 要は姉への心配……というか怒りで何も考えずに飛び出したというだけなのだろう。

 

 ……それにしても似てない。本当に姉妹なのだろうか……やはりブラフなのでは……? 安藤はそう思わざるをえなかった。

 

 それはさておき、ハーマイオニーの説明を聞いた配送業者たちは、それならまあ問題ないか……と判断して、依頼主の身内の指示のもと作業を終了・撤収していった。

 

「まさか彼女が君の身内だったとはね……ブラフとかじゃないよね?」

 

「嘘じゃないわよ。こいつの名前はナイアなんかじゃなくて、綾崎アスミス松子。正真正銘、血の繋がった姉妹よ」

 

 ハーマイオニーによると、ナイアこと綾崎アスミス松子は何年か前に急に「私は『ナイ何とか(ハーマイオニーがよく覚えていない)』の化身なんです!」とか頭のおかしなことを言い出したので、家族会議の結果精神病院に入院させることになったらしいが、いつのまにか病院を抜け出してそのまま行方不明になっていたのだとか。

 

「まさかこんな所で見つかるなんて……」

 

「……一体どうやったらこうも顔に差がある姉妹が生まれるんだ……?」

 

「はっ倒すぞショタ」

 

 なお安藤はまさかの姉妹関係にショックから抜け出せずにいた。

 

「……とりあえず。彼女が目覚める前に念のために拘束しておかないかね?」

 

「なら配達業者から紐でももらえないか交渉してみるか」

 

 守谷教授の提案に対してそう考えた安藤だったが、迅速な撤収作業によって既にこの場に配達業者はいなくなっていた。

 

 仕方ないので上着を使って気を失っているナイアの両手を縛り上げて、そのまま沙耶の変形した腕で持ち上げられて車に放り込まれた。

 

「さて、彼女が起きないとフミノリに関して聞けないわけだけど、まずはここから移動しようか。どこに向かう?」

 

「一先ずこっちの事務所か、フミノリ氏の住居だな……」

 

「江戸川もいるし、匂坂宅でいいんじゃない?」

 

「そうだな。では運転は代わってやる。精々久方ぶりの姉妹の再会を顔面偏差値の差とともに噛み締めるといい」

 

 そう言った安藤の顔面に右ストレートが突き刺さった。

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 安藤が運転する車内、廃ビルから出発して少し経ったくらいの頃に気絶していたナイアこと綾崎アスミス松子が目を覚ました。

 

「……はっ!? こ、ここは……!?」

 

 目を覚ましたアスミスは自身を取り巻く状況を把握すべく周囲を見渡す。

 

 まずここは車の中で、自分は後部座席の真ん中の席に手足を縛られた状態で座らされている。

 

 車の前にある助手席に約束をしておきながら時間を前倒しにした守谷教授が、運転席には戦闘の時にスタンガンを押し付けてきたショタがいた。……子供が運転してるのはいいのか、と思いながらも状況把握を続ける。

 

 そして両隣には、怒りの形相の妹、ハーマイオニーと『沙耶』の出来損ないである筋力お化けの人外が鎮座していた。

 

 一通りの状況を把握したアスミスの口から出てきた言葉は次のものであった。

 

「――――やべぇ、犯られる!?」

 

 ……状況把握を完了させた後の第一声がこれである。

 

 この一言で安藤に「こいつ、エロゲ脳だな」と断定された。

 

「……目が覚めたようなので早速、色々と聞かせてもらうぞ、くっ殺娘」

 

「くっ殺娘!?」

 

 安藤からのまさかの呼び方に驚くアスミスだったが、隣からの殺意に驚いている暇もなくなってしまった。

 

「――――フミノリはどこ?」

 

「あの場所にはいないようだったが、どこにいるんだ?答えた方が身のためだぞ」

 

 真横からまさに生殺与奪の権利を握られている沙耶の質問に、アスミスは渋々ではあるが安藤達が思っていたよりもすんなり口を開いた。

 

「……フミノリさんなら滞在先のホテルにいます」

 

「すんなり口を割るんだな」

 

「まあ私負けましたし、それに無駄にひどい目に合いたいわけじゃないですしね」

 

「では今からそのホテルに――――」

 

「向かって」

 

「どこのホテルだ?」

 

「えっと……」

 

 沙耶の要望もあり、進路を匂坂宅からフミノリの滞在するというホテルへと変更する。

 

「そういえば君たちは沙耶君を捕まえてどうしたかったんだい? 彼女を君は出来損ないだと言っていたけど」

 

「確かにコイツは出来損ないですが、外見だけなら今までの中でも一番近いですし、自力でこの姿まで変貌する事ができた個体でもあります。なのでこれを素体に利用する事で、完璧な沙耶を作り出す……というのが文則さんの目的です」

 

 つまりアスミスに引き渡したとしても行き着く先は文則の所であったという事だ。

 

 その場合には沙耶はおそらくは何らかの方法で拘束はされていただろうが、その場合でも依頼達成と言っていいのだろうか……などと思いながらも、安藤は依頼とは別で個人的に知りたい事に関して質問をする事にした。

 

「話は変わるが、町に溢れているらしいスワンプマンを消す方法はあるのか?」

 

 その質問にアスミスは先程よりも若干顔を顰めながらしながらも答えた。

 

「まあ、ありますけど……おすすめしませんよ」

 

「ひとまず話せ」

 

 安藤のその横柄な言い方に引っかかる所があったのか、少し間があったがアスミスは説明を始めた。

 

「……結論から言えば、全てのスワンプマンの核とも言える『母体』を殺せば、スワンプマンは消えます」

 

「つまり、スワンプマンを消そうとするとそこの肉塊ロリータも死ぬ事になるのか」

 

「多分、私は大丈夫だと思う。前まで声が聞こえてたけど、最近は聞こえなくなったから」

 

 そんなものなのかと思いながら、安藤はその沙耶の言葉にそうか、と相槌を打った。

 

 この言葉を信じるのならば、つまり他のスワンプマンが死んだとしてもこの沙耶に何の影響もないという事だ。

 

 ……一瞬、母体を殺そうとすれば死にたくないであろう沙耶と敵対して縊り殺されるのではと思ってしまった安藤は安堵の息を吐いた。

 

「母体を殺す事自体はやろうと思えば誰でもできます。けど、結果として大惨事になるでしょうね」

 

「大惨事?」

 

「この町にいる人間の中にどれだけのスワンプマンがいるか、わかりますか?」

 

 アスミスの問いに、そのすぐ隣に座っているハーマイオニーが首をかしげながら答える。

 

「血の池事件は騒がれてるけど、事件自体はそこまで数が多くないから判、明してないかもしれないのも入れても精々十件強くらい……?」

 

「はっ、そんなもので済むと思ってる辺り、どれだけ頭お花畑なのか…………あの、すいません頭を掴まないで……アタタっ!? 痛い痛いッ!? や、やめっ、ヤメてくだしアーーーッ!?」

 

 ハーマイオニーの答えを鼻で嗤うアスミスに、ハーマイオニーは無言で頭部を鷲掴みしてギリギリと締め上げていく。

 

 しかしハーマイオニーの考えもあながち間違いではないはずだが……そう考えた安藤と守谷教授は、ふと、ある事に気付いた。

 

「……ああ、そうか。血の池事件はあくまで捕食が下手な個体によるもの。つまり捕食が上手い個体であれば血の池事件すら起きないのか」

 

「さらに言えば、スワンプマンの増え方自体、一人増えれば次は二人増え、その次は四人、八人と、ネズミ講みたいに倍々に爆発的に増えていくんだったか……なら十件程度で収まるはずがないネ」

 

「いたたぁ…………まあ、おそらく今となっては町の人間の半数はスワンプマンになっているでしょう」

 

 この、アスミスが口にした町の半数という数字も正確な統計を取ったわけではないだろうが、それが大げさであるとは決して切り捨てられなかった。

 

 それだけ被害者が出ていたとしても、その事に誰も気付けない。何せその被害者は全てスワンプマンに成り代わられ、スワンプマン本人もそれに気付いていないのだから、露見するはずがない。

 

「そして母体を殺せば全てのスワンプマンも死んでしまいます。つまり、それだけの人が一斉に溶けて消えてしまうわけです。そうなれば町中パニックになるでしょうね。ここにいる人たち以外はスワンプマンの事なんてこれっぽっちも知らないんですから」

 

 スワンプマン云々を除いても、急に人がいなくなるという事はそこから連鎖的に何らかの事故が起こる可能性も十分すぎるほどにある。

 

 例えばバスや電車の運転手がいきなり溶けていなくなれば、運転手がいない状態で走り続ける事になり、事故へとつながりかねない。それを抜きにしてもいきなり目の前の人間が溶けてしまう光景をみれば、トラウマになったとしても不思議ではない。事前に何かをした所で、パニックは避けられないだろう。

 

 それでもやるんですか?というアスミスからの質問に対して安藤の返答は簡潔だった。

 

「当然だ。要はそれだけ町に突如食われる危険が転がっているという事ではないか。やらない理由はない」

 

 もしも母体を殺せばスワンプマンは全て死滅して町の人間の半数ほどがいなくなって町が機能しなくなりパニックに陥る。しかし、このまま放置すればいずれ人類は全てスワンプマンに成り代わられる。

 

 それは、安藤にとって認められるはずがなかった。

 

「……で、貴様がフミノリ氏に協力していた理由はなんだ? まさか惚れたどうこうという話でもなかろう」

 

 そして、この文則に外法知識を与えた魔術師だというハーマイオニーの姉が、文則に手を貸した理由が何なのか。たとえスワンプマンの件を解決しても、さらなる命の危機が訪れるのなら意味がないのだから、それを知りたいと思うのは当然の事である。

 

 もしかすると、スワンプマン以上に何か危険なものを生み出すための実験か、人身御供にしようとしているのではないか。

 

 そう危惧した安藤は、答えないにしてもその反応でその真意を探りたいと思って、その質問を投げかけたのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスミスは、顔を赤らめていた。まるで、秘めたる想いを暴かれたかのように。

 

 

 

「わ、私と文則さんの馴れ初めを聞きたいんですか? し、仕方ないですねー!初めて出会ったのは私のハンカチを文則さんが拾ってくれた事なんですけどね! その時の文則さんったら――――」

 

「…………」

 

 

 

 目的のホテルに着くまでの間、アスミスの惚気話と沙耶から発せられる無言の重圧が車内を支配していた。

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 文則のいるホテルまでやってきた一行は、アスミスの案内の下、文則の部屋の前まで辿り着いた。

 

 そしてアスミスがドアをノックすると、ドアが開いて中から文則が現れた。

 

「……ナイアか。予定より早いがどうした?」

 

「えーっとですね……」

 

「失礼、初めまして。貴方が匂坂文則さんでお間違いないでしょうか」

 

「……誰だ、お前は?」

 

「私は探偵の安藤と申します。今回は彼女の依頼で貴方の居場所を捜査させていただきました」

 

 アスミスとの会話を途切れさせた安藤の自己紹介とここに来た経緯を聞いた文則はその横にいた沙耶を一瞥する。

 

 沙耶はというと緊張をしているのか、口を真一文字に閉じて手は服の裾を握っていた。それでも、期待に満ちた目で文則を見つめていた。

 

「……そうか。依頼が終わったんなら早く帰るといい」

 

 しかし文則は安藤に対してそれだけ言い捨てると、沙耶に何かを言う事もなく、その隣に立っていた守谷へと向き合った。

 

「ああ、守谷教授。面倒事を押し付けて申し訳なかった。謝罪もしたいし、よければ中へどうぞ。……ナイア、ソイツを連れて準備をしておいてくれ」

 

 そんな文則の様子をみて守谷はアスミスの行動を片手で制して、口を挟んだ。

 

「おいおい、私よりも招く相手がいるんじゃないのか? 君の妻の沙耶君がいるんだぞ。私よりもまずは彼女を中に入れてやるべきじゃないかね?」

 

「沙耶? ソイツが? はは、冗談はよしてください。ソイツは沙耶じゃない。沙耶であるものか」

 

「ふむ、私にはどう見ても彼女が沙耶君であるようにしか見えないが……」

 

「違うさ。その証明も簡単だ。おいお前」

 

「――――!」

 

「俺と沙耶の行きつけだったレストランの名前を憶えているか? 沙耶が好きな料理は何だったか? ああ、出掛けた時に俺がよく沙耶に注意されていた事もあったよな? 何だったか、答えられるか?」

 

「………………っ」

 

 文則の質問に沙耶は口を開かなかった。いや、開くことができなかった。沙耶は文則の質問の答えを一つとして持ち合わせていなかったからだ。

 

「答えられないのか? お前が沙耶だったら簡単に答えられるだろうことだろう? こんなことも答えられないコイツが、沙耶であるものか。俺との思い出もない。ただ何の根拠もなく俺を好きだというコイツが、俺の愛した沙耶であるものか!」

 

 激昂する文則に、沙耶は俯き、何かを堪えるように服の裾をぎゅっと握りしめる。

 

 

 

 そんな文則の様子を見て、守谷教授は何かに納得したかのように

 

 

 

「今の君の言葉で理解したよ。はっきり言ってやろう、文則君――――君に完璧な沙耶君は作れない」

 

「―――――――」

 

 守谷の言葉に文則は絶句する。その表情は憤怒とも、驚愕とも、困惑とも、何とでも読み取れるようなものだったが、守谷は自身がそう思った理由を語っていく事にした。

 

「それは何故か。簡単だ。どれだけ完成度が高くなろうが、君自身が絶対に納得しないからだ。君の知っている沙耶君でなければ君は満足せず、そして君の知らない沙耶君の要素を組み込めない君では、絶対に君の納得のいく沙耶君は作り出せない」

 

 いくら愛し合おうとも互いに知らない部分がある以上、他人を完璧に再現する事などできはしない。

 

 おそらく文則の知る沙耶の側面を全て再現できたとしても、文則の知らない部分を再現できない以上その沙耶も文則の理想になり得ない。

 

「では君はどうするべきなのか。その答えも至って簡単だ。君はこう考えれば良かったんだよ――――俺の嫁が記憶喪失になったから俺好みに染め直せるってネ」

 

 

 

 

 

「――――違う。違うんだよ守谷教授。そうじゃないんだ」

 

 

 

 

 

 ああ、守谷の考えも正しいのだろう。この沙耶で妥協して、新たな思い出を作っていくのも一つの正解なのだろう。だが、もしそのように結論付けてしまえば、文則は一つの疑念を抱かざるをえない。

 

「もし、ソイツを沙耶だと認めてしまったら……今まで失敗作だって処分してきたアレは、一体何だったんだ?」

 

 失敗作と聞いて守谷の脳裏に思い浮かんだのは、匂坂宅の二階の壁にこびりつき、ひたすらに文則の名を呼び続ける肉塊たち。

 

 あれも、きっと沙耶の失敗作だったのだろう。そして、ここにいる沙耶も、元はあのような肉塊だったらしい。

 

「もし、失敗作だったソイツが沙耶なのだとしたら、他の失敗作は? アイツらも、沙耶だったってことになってしまうじゃないか」

 

 あれは失敗作だから処分した。これは記憶喪失になった沙耶だから……などと果たして本当に言えるのか?

 

 元々同じようなものだったのに、片方はかつての姿になったから認めて、他は姿が変わらないから出来損ないの失敗作だ……と話して本当に言えるのか?

 

 少なくとも、文則にはできなかった(、、、、、、)

 

「だったら、認められるわけないじゃないか……! もし、ソイツを沙耶だって認めてしまったら、俺は沙耶を、あいつを、数えきれないほど殺してきたことになるんだよ!」

 

 肉塊へと変じてしまったモノを失敗作と口にしながら、心の中ではあれが沙耶ではないと否定し切ることも出来ず、愛する者を手にかけたかもしれない事実に怯え、それを否定するために自身の理想に届かないモノをより強く失敗作と切り捨て、ついには妥協など出来なくなってしまった。

 

 少しでも妥協してしまえば、今まで殺してきた失敗作もまた『沙耶』であったのだと認めるようなものだから。

 

「だからこそ俺は、完璧な沙耶を生き返らせるまで、諦めるわけにはいかないんだよ! 今まで殺してきたアイツラのためにも!」

 

 狂気に染まった研究をしている文則は、どうしようもなく正気を保っていた。

 

 愛ゆえに狂気に走った男は、その愛ゆえに狂い切る事が出来なかったのだ。

 

 

 

 その文則の様子を見ていた沙耶は、悲痛な表情を浮かべて何か声を掛けようとして、しかし何かを言う事はなく、そのまま静かに足を進める。

 

 その姿は、自らの望みを叶えるようとするものではなく、まるで今から自らの身を捧げようとしているようにも見えて……

 

「――――お前は、負けを認めるのか?」

 

「……負け?」

 

 それをただ見送る事を良しとできなかった安藤は、気付けば口を開いていた。

 

「お前は今しようとしている事は、自分が昔の女に勝てないと認めるような行為だろう」

 

「――――」

 

「諦めていいのか? 捨てられても肉塊から今の姿になって、どうしてもフミノリ氏に会いたかったんだろう? 自分がフミノリの妻なんだと、会いたいと、好きなんだと、その一念でここまで来たんだろう? それなのに、お前は昔の女に勝てないと認めてしまうのか? そんな都合のいい女になっていいのか?」

 

 一度は失敗作だと打ち捨てられた身でありながら『愛する人に会いたい』という願いによって、姿を変え、ここまで辿り着いたというのに、その愛する者が昔の女に会いたいからその身を犠牲にするなど、安藤にとっては馬鹿げているとしか思えなかった。

 

 本来であれば、当事者でない安藤にとって関係ない事ではあり、口を挟む理由もない。

 

 しかしそれでも何故口を挟んだのかと聞かれれば、『第三者のいざこざを見るのは愉しいが、しかし、この諦念からの献身はきっとつまらない』、とでも答えるのだろう。

 

「認めろよ。お前はかつての沙耶とは別人だ。その上で昔の女を超える気概を見せろよ。このままだと、お前は負けを認めた事に……」

 

 

 

 

 

「――――違うよ」

 

 

 

 

 

 その安藤の言葉を、沙耶は静かに、そして安らかな声色で遮った。

 

 

 

「確かにフミノリの求める『沙耶』は私じゃないのかも知れない。フミノリの言う失敗作や出来損ないなのかも知れない。けど、私は『沙耶』だから」

 

 そう言って沙耶は、何か大事なものを抱えるように胸の前で両手を握りしめ、何かを噛み締めるようにその目を瞑り、言葉を続ける。

 

「確かに『沙耶』としての記憶はほとんどないけど……でも、それでも覚えてる事だってある。偽物の体だとしてもこれだけは本物だって言える」

 

 

 

 ――――フミノリを好きって気持ちとフミノリが恥ずかしそうにプロポーズをしてくれた時の記憶だけは、忘れる事のない本物だから

 

 

 

 そう言い切った沙耶は、とても爽やかな笑顔を浮かべていた。

 

 決して激情や勢いで語ったわけではない。本心からそう思っているのだろうという事がすぐに理解できた。

 

「……そうか、なら好きにするといいさ。『沙耶』」

 

 その表情を見た安藤は、もう沙耶を引き留めることはしなかった。

 

 諦めたからではない。呆れたからではない。

 

 その答えが、安藤にとって納得できる答えだったからだ。

 

 

 

 

 

 同じくその言葉を聞いていた文則の目から光る物が流れるのが見えた気がした。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 陽が傾き始めた頃、ホテルの中から出てきたのは、沙耶と文則を除いた四人であった。

 

 

 

 沙耶は文則と共にいる事を選び、ナイアことアスミスはハーマイオニーに捕まったままなので、ハーマイオニーと共にホテルから出てきて、ホテルに残る選択肢を与えられなかった。このまま連れて帰られて家族会議にかけられ、再び病院に閉じ込められるのかもしれないが、それは家族間での問題である。

 

 今は大人しいが隙を見て逃げようとするかもしれないと思った守谷教授はアスミスに声を掛ける。

 

「妹に心配をかけるのもほどほどにするといい。やりたい事があるにしても家族と連絡くらいはとるべきだよ」

 

「あ、はい……」

 

 そう諭すように守谷教授はアスミスの頭にポンと手を乗せるが、アスミスは何か嫌なモノを我慢するかのような様子に、年頃の女性は難しいものだなぁと、少しだけショックを受けていた。

 

 

 

 さて、文則の居場所を突き止め沙耶を送り届けた以上、一行の依頼・目的は達成という事になる。

 

 つまりは、ここに居続ける目的もなくなったという事だ。

 

 安藤はスワンプマンを消すためにアスミスの案内の下、母体の場所に向かい、ハーマイオニーはアスミスを逃がさないために同行することになったが、スワンプマンをそこまで危険視していない守谷とはここで別れることになった。

 

「では私はこれで帰るとするよ。また何かあれば会おう」

 

「ああ。ではな、痴呆教授」

 

 徒歩で帰る事にした守谷教授を見送った後、安藤達はアスミスの案内の下、車でスワンプマンの母体がいる場所へと向かう。

 

 

 

 

 

 その場所は、例の廃ビルの最上階であった。

 

 

 

 

 

 アスミスが先導する形で階段を上り、最上階である殺風景な部屋の中に、裸の女がそこにいた。

 

 

 

 その女は、安藤達が部屋に入ってきても何も反応せず、ただ虚空を見つめていた。まるで、安藤達を見えていないどころか、彼女に意思などないかのようにも感じた。

 

「あれが母体とやらか、くっ殺娘」

 

「その呼び方辞めてもらえません? ……そうです。あれが母体です。あれを殺せばスワンプマンは全て溶けて死滅します。母体には特殊な能力どころか生存のための意志もありませんので非力な人間でも何の問題なく殺せるでしょう」

 

「そうか」

 

「……本当にやるんですか? 町中がパニックになりますよ?」

 

「当然だ。俺は常に死に晒され続ける日常など御免被る」

 

 アスミスの警告を聞きながらも決意は変わらず、安藤はその足をスワンプマンの母体の目の前まで進ませる。

 

「……それに、死んだのに死んだと認識されない奴らも不憫だしな」

 

 そうポツリと呟いた安藤は、目の前にいる母体の首に両手を添え、そのまま力を込めていく。

 

 母体は息を吸おうとしているのか、口をパクパクと開閉させるが、しかし安藤の手を解こうとはしない。

 

 さらに手に力を込めて、首を絞める。酸素を取り込めず、その目が見開かれていく。それでも、母体は何もしない。

 

 

 

 

 

 そして、ついに母体の身体から力が抜けて、息絶えた――――

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 それは、なんの前触れもなく、唐突に起きた。

 

 

 

 

 

 

 

 町ですれ違うどこにでもいるような赤の他人が、溶けた。

 

 

 

 職場で切磋琢磨して競い合っていた同僚が、溶けた。

 

 

 

 さっきまで楽しく隣で話していた友達が、溶けた。

 

 

 

 楽しく一緒にバカ騒ぎをしていた仲間が、溶けた。

 

 

 

 長い時間を共に過ごしてきた無二の親友が、溶けた。

 

 

 

 今まさに口付けを交わそうとしていた恋人が、溶けた。

 

 

 

 仲良く手を繋いで家に帰ろうとしていた親子が、溶けた。

 

 

 

 性別、年齢、性格、体格、素行、地位……など、一切の境なく、多くの人間が、何の前触れもなく溶けた。

 

 

 

 町中で溶けなかった人間の悲鳴が鳴り響く。阿鼻叫喚の騒ぎとなる。

 

 

 

 

 

 ――――隣人が、同僚が、友達が、他人が、仲間が、親友が、恋人が、家族が――――

 

 

 

 

 

 消えていく。溶けていく。

 

 

 

 跡に残るのはその人が身に付けていた服や持ち物、そして血とかつては筋肉や脂肪だったであろう液状化した肉だけだった。

 

 

 

 人間が溶けたという事実を目の当たりにして、パニックになった溶けなかった者たちの脳裏に、考えたくもない様々な疑問が浮かび上がってくる。

 

 

 

 これは何だ? 災害か? テロか? 神罰か? 世界の終わりか? 毒物か? 未知の病原体か? ウィルスか? あるいは兵器なのか? 溶けた者と溶けていない者の差は? 無差別なのか? 何かの共通点があるのか? これに対する対応策は? これから溶ける可能性は? 溶けた者が元に戻る可能性は?

 

 

 

 

 

 ――――わからない。何もかもわからない。わかることは、ただ人が溶けたという事実だけだった――――

 

 

 

 

 

 

 

 そんな地獄と化した町中を歩いていた守谷教授の身体にも、変化が起こった。

 

 

 

 皮膚が溶け、靴の中にドロッとした液体のような物が溜まり、姿勢が、視界が、思考が、崩れ始めた。

 

 

 

「ああ、そうか……私は……」

 

 

 

 最後に己が何者だったのかを悟った守谷教授は、そのまま溶けていなくなった――――――――

 

 





以上でクトゥルフ神話TRPG『沼男は誰だ?』のリプレイは完結となります。


色々と疑問点などあるかと思いますので、登場人物紹介にその辺りの疑問への回答を加えてまた次話に投稿したいと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。