戦艦大和は、誰もが一度は聞いたことのある名前だろう。日本の国力を傾注して建造された巨大な戦艦は、大東亜戦中において輝かしい戦果を上げた。帰還のたび毎に艦長以下幕僚等がこの神社に特別参拝していたという記録もある。
そのため大和神社には、戦艦大和と巡洋艦
鳥居から本殿まで続く参道の長さは戦艦大和と同じ長さであり、道幅は戦艦大和の4分の1である。
私は境内にある戦艦大和の資料室にいた。資料室内には、大中小の大和の模型が展示されている。大きいものだと乗組員まで再現されており、製作者のこだわりを感じる。
15分ぐらい見ていたが、そろそろ移動しなければ今日の予定が狂ってしまうので、もう少し見ていたい気持ちを抑えながら、私は大和神社を後にした。
次に私が向かうのは、
私は自転車でひたすら国道169号線を南に下った。JR桜井線の線路を越え、イオン桜井店を通過し、近鉄大阪線の線路をくぐり、ようやく「阿部」という交差点で右に曲がった。
「阿部」と聞いて一瞬とある男性の姿が頭の中に浮かんだが、すぐに消え去った。ホモに用はない。
交差点の辺りは、線路の北側とは違い、飲食店などが立ち並んでいた。
しばらく直進し、ガソリンスタンドの角を左に曲がると、景色は一気に変わった。
建物が見当たらない。一面が畑で、どこからか何かを焼いている臭いがする。平坦だった道が急に坂道に変わる。キツい…。自転車でこの坂はキッツい…!
それもそのはず、私が越えようとしていたのはただの坂ではなかったのだ。気づいたのは後になってからだが、そもそも坂ではなかった。
標高自体はさほど高くないが、大阪の
このことを後日、カルデアの職員に話したところ、からかい混じりに、
「さっすが立花ちゃん、俺達にできないことを平然とやってのける。そこに痺れる憧れるぅ〜!」
と、言われてしまった。
とにかく、この山を自転車で越えるのは正直言って、オルレアンやセプテムで1日中歩くよりも辛かった。
やっと下り坂になると、一気に足の力が抜けた。
「もう…、漕げないよぉ…」
息を切らしながら私は独り言をつぶやいた。
道がようやく平坦になると、私は再び足を忙しく動かした。
あぜ道を抜け、広い道路に出た。飛鳥寺はもうすぐそこだった。
昔ながらの建造物が並ぶ密集地帯の一角に、飛鳥寺はあった。
規模は小さく控えめだが鐘があり、つくことができる。
ゴーンという音が響く。煩悩がこれで消えるのか。とある英雄王のサーヴァントなら、
「貴様自身の頭で鐘をついてみろ。煩悩が(他の記憶と共に)消えるぞ」
とか言いそうだ。
飛鳥寺を出発し、次に向かったのは
飛鳥寺からすぐのところにあり、建物内はとても広く、奈良時代の文化や生活を中心に展示があり、とても興味深かった。時間がなかったので、あまり見れなかったが、また時間があるときに来たいな。
万葉文化館から自転車を漕いで、
駅前の駐輪場で自転車を返し、駅の中に入った。時間は13時05分を過ぎたばかりだった。
私の乗る予定の列車は、13時24分発の特急
一段落ついてふぅ、とベンチに腰を下ろすと、私のおなかがぐぅぅ〜と鳴った。
「おなかすいたなぁ〜」
気づけば
すると、柿の葉寿司が目に入った。迷わず私はそれを買った。
私はホームで列車が来るのを待った。隣のホームから、列車の接近を知らせる放送が流れている。普段なら聞き流しているが、聞き流せなかった。
しばらくして入線してきたのは、見たことないブルーの車両だった。
「青の
ちょうど私のいるホームにも、乗る予定の列車が入線してきた。
2つの列車はきれいに並んだ。青の車体と黄色の車体。見れただけでも、感動のあまり私の目頭は熱くなった。
私は列車に乗り込み、座席についた。しばらくして、発車した。青の交響曲は大阪
どうも、魂魄せんむです。
今回はここで文体のことを1つお話しましょう。
皆さんは私の文章を見てどのように感じましたか?大体の人は「堅苦しい」だとか「古くさい」と思ったかもしれません。自分でもうすうす思ってます。
では、なぜこんな文章になってしまったのか?私はもともと本を読むのは好きでした。特にミステリーが好きで、小学生のときから西村京太郎さんの作品を読んでました。そうなんです。私の小説のルーツは西村京太郎なんです。なので、影響された私はこのような昔ながらの文章になっているのです。
最近は少しずつですが、ラノベを読んだりして、みなさんが「読みやすい」と思えるような文章づくりを日々研究しています。
でも、この作品ではあまり文章づくりは変えたくないですね。ほら、統一感は大切でしょ?
では、今回はここまで。次回をお楽しみに〜。