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「コピー終わりました」
教育棟の研究室で講義に使うための資料を人数分コピーし終え、隣接する教授の部屋へと持って言った。
講義が一般教養科目のため、100部を超える資料を運ぶのは結構骨が折れる。
「お疲れ様」
大学2年生にも関わらず、ゼミ生としてこの研究室に出入りしているのは、とある事情から教授と繋がりがあったからだ。
「PDFにしませんか?講義資料」
「それでもいいのだけどね。やっぱり紙をめくって調べたり、そこに書き込んだりする経験は重要だと思うの」
「そういうもんですか」
「ちゃんと目で見て、耳で聞いて、口で話して、手で調べる。今の人は面倒臭がるけど、きっとそういう体験の方が、人間は成長するんじゃないかしらね」
もとより最短の作業で成果を出したがる俺とは真逆の考えで、だからこそ俺はここにいるのだが。
「そうだ、この間来ていた雪ノ下さんだっけ?今日は来ないの?」
「来たら迷惑ではありませんか?」
先日、ゼミの終わりを見計らったように雪ノ下が研究室に来た。
お手製だというクッキーなんかを持ってきて、若葉ちゃんがお世話になっています、なんて言うもんだから、ちょっとした騒ぎに。
「まさか、とってもいい子だと思うけど?美人だし。佐倉君も隅に置けないわね」
「そういう関係じゃないことは先生なら分かるでしょうに…」
「まぁそうだけどね、いいと思うわよ、私は」
そう言って教授は部屋の隅に目をやった。
☆
「若葉ちゃん帰ろー」
ゼミが終わって、缶コーヒーを片手に西門を出ようとすると、雪ノ下が待っていた。
「帰る方向別だろ…」
「いいじゃない、駅まで」
「はぁ…」
最近はもうこの女の扱い?にも慣れてきて、大して迷惑じゃなさそうなら希望通りにしている。
俺はどうかしてしまったのかもしれない。
「なんかおじさんくさい」
「何が」
「その缶コーヒーと猫背とため息」
「仕方ないだろ、疲れた」
「華の大学生が疲れたとか言わない」
「お前は疲れなさそうだよな」
「私だって色々疲れてるよ」
雪ノ下は自虐気味に笑う。その顔はちょっとした違和感があった。
「まぁ、あれだけ人と関わってればな…俺だったら1日持たずに逃亡する自信ある」
「若葉ちゃんは関わらなさすぎ」
確かに、夏休み中に雪ノ下に出会わなければ、こんなに人と話すことはなかっただろう。
出会えてよかったと素直に言いたくはないが。
「若葉ちゃんは今日の夕飯決まってる?」
「カレー」
今日から3日間はカレー三昧の予定だ。
飽きないためにも、毎日少しずつ具材とスパイスを投入していくのがコツだ。
「食べたいー」
「嫌だ」
上流階級の雪ノ下の口に、様々工夫しているとはいえ、あくまで庶民の域を出ない俺のカレーが合うとは思えない。そもそも家に入れたくない。
「ケチ」
「貧乏学生だからな」
「一口だけ」
「やだ」
「カツ買ってあげるから、ほら二人でカツカレー食べようよ!」
非常に魅力的かつ卑怯な手を使ってくる。
「無言はオーケーと取るよ」
「今度な」
「食べさせてくれないと、今度は指輪して研究室行くから」
「シャレにならないからやめてくれ」
どうせさりげなく見せびらかしながら、時折さすったりするんだろ。
「分かったよ…、すぐ帰れよ」
カツと社会的な評判に負けた。俺は日本人だから、世間様は重要だよな。
ということで、半ば脅迫に近い形で、魔王の襲来を許してしまった。
「なんか一人暮らしにしては広くない?」
「まぁな…」
大学から一駅という立地でワンルームだが、広さは10畳ほどある。
前に借りていた奴から契約を引き継ぐ形で借り、大家とも知り合いだったため、家賃は少し安めになっている。
「というか、物少なすぎじゃない?」
「欲しいものがないんだよ」
俺の部屋には勉強用のデスクの上にノートパソコンが一つ、テレビはなく、少し大きめのソファーとベッドが置いてあり、本棚があるだけだ。
掃除機やら何やらはクローゼットにしまってあるため、殺風景この上ない。
部屋をチラチラ見ている雪ノ下、どうやら何かを探しているようだが、どうせロクなものじゃないだろう。
「エロ本ならないぞ」
「クローゼットの中とかは?」
「興味ない」
真顔で言うと、雪ノ下はうへぇ…と顔をしかめた。
「それはそれで不健全…私にも靡かないし、ひょっとしてホ…」
「違うからな」
まだ何か探したそうな雪ノ下の肩を掴んでソファーに座らせると、俺はキッチンに立った。
「実は眠いだろお前。寝てろ」
校門前で見た時から何となく勘付いていたが、普段より少し厚めのメイクでクマを隠しているらしいし、動きが微妙に遅い。
雪ノ下は驚いた顔をした後、遠慮もなくベッドに飛び込みやがった。
「おい」
「ねていいんでしょー?」
「もういいや、できたら呼ぶから」
「(どうして気づいちゃうかなぁ…)」
耳はいいから、聞こえてるからな。
☆Side 陽乃
どれくらい眠っていただろう。
普段とは違うベッド、違う香り…ダメだこれは変態っぽい。
普段なら昼寝なんて滅多にしないのに、彼といるとどうにも緩んでしまう自分がいる。
私に媚びてこないから?
ちょっと違う気もする、はっきりとは分からないけれど、彼といる時の私は雪ノ下陽乃とは違う誰かになったような感じ。
初めはからかうだけのオモチャだったのになぁ。
大人しそうな見た目と可愛らしい名前の割に口が悪いし、話すのが下手なわけでないのに人と話したがらないし、たまにすごく大人に見えると思ったら、ご飯で釣られるし。
家の力を使えば、彼の過去も知ることができるはずなのに、私は出会ってから一度もそれをしていない。
あくまで自分が見て、話した彼のことしか知らない。
佐倉若葉。あなたは一体誰なのかな。
「起きてんだろ」
わざとらしく寝返りを打つと、若葉ちゃんは目ざとくそれを見つけて声をかけてきた。
「ほんとよく分かるね」
こんなに私の所作に敏感な人はいない、もっとも彼の場合誰に対しても気づいているのかもしれないが。
「お前は分かりやすいんだよ」
そんな事を言われたのは初めてだ。
人前に出るときは完璧な雪ノ下陽乃になれる自信はあるし(強化外骨格なんて不名誉なアダ名をつけてきた男の子もいるが)、彼の前でも気は抜いているが、そこまでわざとらしく振舞ったことはない。
なぜだから面白くて、私は笑ってしまった。
「化粧もとらずにうつ伏せで寝やがって」
「私の香りで嬉しいでしょ?」
「はっ」
こら、ゴミを見るような目で見ない。私でも傷つくんだぞ。
「ひどいなぁ…」
「お前も二十歳超えるんだから寝るときは化粧落とさないと、お肌の曲がり角を曲がるぞ」
「失礼な心配!」
私は肌荒れとは無縁だ、ちゃんと手入れもしているし、この先も大丈夫……だよね。
「飯できたから、手洗ってこいよ」
いつのまにか床に置かれたテーブルには美味しそうなカツカレーが並んでいた。