ドロホフ君とゆかいな仲間たち   作:ピューリタン

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ちょっと読みにくいかも……



姿をくらますキャビネット棚

 オスカーは忍びの地図を見ながらホグワーツの二階へと進んでいた。今学期になって何度か聞いた名前がそこにはあった。

 本来その名前はこの時間、校庭にある劇のステージ前になければならないはずだった。劇を再開するにあたって、その内容がふさわしいモノかどうか審査するためにホグワーツに来ていたはずだったからだ。

 ほとんど走りながらその名前の元へ進んでいるオスカーのローブの中で、逆転時計が何度も胸にぶつかっていた。

 オスカーの名前がそこに近づいてもその名前が動かないことから、オスカーは少なくとも気づかれていないと考えた。その代わりに忍びの地図のあちこちにオスカーのよく知っている名前と、しらない名前が現れては消えてを繰り返していた。忍びの地図の特性とホグワーツでは魔法使いが消えたりできないことを考えるとそれはおかしな現象だった。

 二階のその場所、黒いキャビネット棚の傍に男が立っていた。オスカーはその男を知っていた。ヴォルデモート卿の腹心の一人と思われていたにも関わらずアズカバンに投獄されなかった男、今も魔法界に強力な力を保ち、ダンブルドア先生や恐らく魔法大臣ですら無視することのできない男だった。

 ルシウス・マルフォイは油断なく杖を構え、何か手鏡のようなものを時折見ながら周りを見回していた。

 

 

 

 

 

 

 ハグリッドが禁じられた森の木を幾本か切り倒して造ったステージの上には、すでに豊かな幸運の泉のセットがたたずんでいた。

 観衆たちが待ちわびる中、ステージの上が魔法で暗転した。外は真昼だったにも関わらず、ステージの上を暗くするのは恐るべき魔法には違いなかった。暗闇の隙間から昼の太陽の光が漏れており、夜明け前のような明るさだった。

 どこからかナレーター、語り部の声が聞こえてきた。

 

「魔法の園の丘の上、高い壁に囲まれて、強い魔法に守られた『豊かな幸運の泉』がありました」

 

 舞台の中央にあった泉が高くせり上がり、いっそう高く水を吹き上げた。そしてその周りを石垣のようなものが取り囲んだ。

 

「一年にたった一度だけ、夜明けから日没の間に不幸な者が一人だけその泉を浴びることができます。その泉を浴びれば永遠に幸福になれるのです」

 

 上手、客席から見て右側から三人の魔女が歩いてきた。それと同時に魔法で造られた幻影らしき沢山の人影が現れた。

 

「王国中からあらゆる人々が集まりました。老若男女問わず、魔法が使える使えないを問わず、皆が自分こそが泉を浴びることができるように願い、夜が明ける前に集まったのです」

 

 沢山の人影が薄くなり、舞台の下手、客席から見て左側にいた三人の魔女がピンポイントに照らされた。

 

「重い苦しみを抱えた三人の魔女がその端っこで出会いました。夜明けを待ちながらお互いの悲しみを語り合っていたのです」

 

 三人の魔女の一人、金髪の魔女が一層照らされた。演出なのか、緊張からなのかどこか顔色が悪かった。

 

「最初の魔女はアシャと言いました。彼女はどんな癒者にも治せない病気にかかっていたので、泉が病気を治し、救ってくれることを望んでいました」

 

 次に黒髪の魔女が照らされた。彼女は三人の中で一人だけ杖を持っていなかった。

 

「二番目の魔女はアルシーダと言いました。彼女は悪い魔法使いに杖も家も奪われました。なので、泉が貧しく力のない自分を救ってくれることを望んでいました」

 

 最後に少し身長の小さいダークグレーの髪の魔女が照らされた。彼女はどこか痛々しい顔をしているようだった。

 

「三番目の魔女はアマータと言いました。彼女は愛した男に捨てられてしまいました。なので、心の傷を泉が癒して救ってくれることを望んでいました」

 

 三人の魔女はお互いに杖を、アルシーダは持っていなかったので手を掲げるように上げた。天に何かを誓うようだった。

 

「魔女たちはお互いに憐れみ合い、もし誰かが泉にまみえる機会を与えられたなら、力を合わせてたどり着こうと誓い合いました」

 

 ステージの上の暗闇が少し晴れ、今度はオレンジ色の光が現れた。そして、壁に穴が開きそこからツタが現れてステージの上でのたくった。

 人影の幻影を突き抜け、一番目の魔女、アシャにからみついた。アシャはアルシーダの手首を持ち、アルシーダはアマータのローブをつかんだ。

 いつの間にかステージの上に馬に乗った騎士がいた。アマータはそのどこかさえない騎士のさえない鎧に服をひっかけ、三人の魔女とさえない騎士は壁の向こう側へと飲み込まれていった。舞台は再び暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス・マルフォイは現れたオスカーの姿を見て、一瞬目を見張った。そして何かに悪態をついた様だった。

 

「マルフォイさん、あなたは理事でしょう。舞台に行かなくていいんですか? ドージ先生はあなたが舞台の審査の為にわざわざいらっしゃると言っていました」

「ドロホフの息子…… 確かオスカーだったか? 君はどうなのかね? 穢れた血の騎士の役ではなかったかな? 劇はもう始まっているはずだが?」

 

 マルフォイはオスカーを油断なく見つめた。オスカーはマルフォイの顔に何一つ感情を読み取ることはできなかった。

 

「俺は魔法使いです。同時に二か所に存在することくらいできます」

 

 オスカーの言葉をマルフォイは理解しようとしているようだった。マルフォイの視線がオスカーの首元の金色の鎖で止まった。

 

「三年生…… なるほど…… 君はそういうことか…… 全部知ってからここに来ていると言うわけか」

 

 そう言うなりマルフォイはオスカーに杖を上げて赤い光線を打ち込んだ。オスカーはそれを杖を振るだけではじき飛ばした。マルフォイはそれを見て驚きを隠せないようだった。オスカーを見る目にさらに油断がなくなった。

 

「あなたの主人よりもあなたの方が気が短い」

「私に主人はいない」

 

 オスカーは考えていた。なぜこの場所でなければなかったのか、どうしてマルフォイはこの場所を選んだ? これからマルフォイが事を起こすにしろ、この場所で待たなければいけなかった理由は何なのか考えなければならなかった。それを解決しなければここに来た意味がないはずなのだ。

 

「どうやって見張りを突破した?」

「俺はあなたの見張りが何なのかは知らない。だけど俺の家の屋敷しもべは優秀だ」

 

 オスカーがそう言うとマルフォイは少し感心した顔になった。

 

「ほう…… しかし、勇敢なのはいいことだがなぜ一人できたのかな?」

「あなたは油断しないし狡猾な人だ。俺の父親と違ってアズカバンに放り込まれなかったのは偶然じゃない。ちょっとでもダンブルドア先生や他の先生方に動きがあれば何もしなかったはずだ」

 

 前の戦争において一線級で戦っていたはずなのに破滅していないというのは恐るべきことだった。前の戦争はどちらの側についたに関わらずあらゆるものを奪っていった。オスカーはそれを嫌というほど知っていた。

 

「つまり私をおびき出すために先生方に伝えなかったというわけだ。逆転時計を使ってまでそれとは…… 君は忘却呪文の恐ろしさを知らないわけではあるまい? 成長しても、時を越えても、何も過去から学ばなかったようだな!!」

 

 マルフォイはそう言い放つと本気でオスカーに呪文を向けてきた。オスカーはそれを盾の呪文でいなしながら相手の動きを見ていた。

 二人は杖を向け合い、呪文を放ち合いながら動いていた。二人が避けたり弾き飛ばした呪文が部屋の四方に散った。オスカーは気付いた。マルフォイは明らかに黒色のキャビネット棚に呪文が当たらないように動いていた。

 

「そのキャビネット棚か」

 

 オスカーは杖の動きを変えた。鞭を振るように杖を振った。ほとんど紫色の炎が鞭の様にうなってキャビネット棚に襲い掛かろうとしたが、マルフォイは杖を振ってキャビネット棚を吹き飛ばした。

 

「その呪文…… その年で使いこなすとは…… 偉大なオーラーの素質どころではないようだ」

 

 オスカーはマルフォイに杖を向け直した。オスカーは思った。何をすればいいのかはっきりしたと。キャビネット棚にどういう能力があるのか分からなかったが、少なくとも破壊すればいいはずだった。そしてキャビネット棚が髪飾りよりも破壊しにくいとは考えにくかった。

 

 

 

 

 

 

 

「泉の水を浴びれるのは! 幸福になれるのはたった一人なのに! 三人でも多いのにもう一人なんて!!」

 

 アシャとアルシーダはさえない騎士を連れてきてしまったアマータにそう言った。さえない騎士が照らされて語り部の声が響いた。

 

「このさえない騎士は壁の外ではラックレス卿、不運の騎士と呼ばれていました。そして騎士は自分を連れてきた三人が魔女だと気付きました。馬に乗った試合でも、剣の決闘でも優れているわけではない自分が恐るべき魔法を使う魔女に勝てるはずがないと思いました」

 

 ラックレス卿は三人の魔女に言った。

 

「魔法も使えぬ自分ではあなた方に勝ち目はない、自分はおとなしく身を引き、壁の外に戻りましょう」

 

 ラックレス卿がそう言うと今度はアマータが照らされた。アマータは酷く怒っているように見えた。

 

「意気地なし!! 騎士よ、剣を抜くのです!! そして私たちを助け、幸運の泉へ導くのです!!」

 

 また舞台が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 呪文の応酬を続けながら、オスカーは少し撃ち負けていると考えた。マルフォイはオスカーの呪文からキャビネット棚を守りつつ、オスカーと渡りあっていた。

 ヴォルデモート卿の時のような絶望的な差をオスカーは感じていなかったが、それでも一人では不利だと、技量で負けているとオスカーは感じていた。

 一、二回、オスカーのローブがマルフォイの呪文で焼け焦げ、他にもほほに呪文がかすり、そこから血が流れていた。

 

「確かにその年で私と渡り合うとは感嘆するべき技量だ。しかし、だからこそ惜しい」

「何が惜しいっていうんだ」

 

 隣にクラーナがいれば勝てる戦いだ。オスカーはそう思ったが今のオスカーは一人で、クラーナは舞台の上のはずだった。

 再びオスカーは炎でキャビネット棚を狙ったが、マルフォイは傍にあった机をオスカーの方へ動かしたので、オスカーはそれを避けるために動かざるを得なかった。

 

「分からないのか? 過ぎたる力は他人を傷つけるということだ。我々純血の力あるものはそれを自覚しなければならない」

 

 オスカーはマルフォイの言葉を黙って聞いていた。決定的な隙を見つけなければならなかった。オスカーは魔法使いの決闘が一瞬で決まることを知っていた。

 

「君はそれを一番分かっているだろう? オスカー・ドロホフ。我々が穢れた血の者たちを傷つけているのだ。奴らと我々を分けると言うのは、結局のところ、奴らを守っているということなのだ」

 

 杖をオスカーは強く握りしめた。オスカーはマルフォイの言葉を認めるわけにいかなかった。穢れた血という言葉を認めるわけにはいかなかった。近づくことで傷つくことを恐れるわけにはいかなかった。それを証明しなければいかなかった。目の前の男にそれを伝えなければいけなかった。オスカーはその為にこの場に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 光を遮っていた魔法が解かれ、舞台上は明るかったが、実際の太陽とは別の太陽とおぼしき光の玉が舞台上にはあった。

舞台の上には魔法界でもほとんど見ることのないような不可思議な植物が生い茂っていた。四人はその中に一本だけある道を進んでいるようだった。

 そして舞台の奥に見える泉のふもとらしい場所にたどりついた。

 しかし、そのふもとには巨大な白い怪物が丸まっていた。良く見るとただ巨大化させて色を白に変えたアッシュワインダーだとわかったはずだが、客席から見る分には十分に怪物だった。

 その白い怪物、いも虫が口を開くと語り部の声が響いた。

 

「苦しみの証を支払っていけ」

 

 ラックレス卿が剣を抜き、怪物に挑んだが剣は折れてしまった。アルシーダは石を投げつけ、アシャとアマータが呪文の光線をぶつけたがいも虫はびくともしなかった。実際にはいも虫の手前でなんらかの呪文がそれら全てを弾いているようだった。

 舞台にあった光の玉はより高く、ちょうど舞台の真上まで上がった。語り部の声が響いた。

 

「太陽が沈むまでに泉につかなければならないにも関わらず、怪物を退治できないので、アシャは泣き出してしまいました」

 

 アシャがその場に座り込んで泣き出すと、いも虫が動き出した。真っ白いアッシュワインダーは何らかの呪文で操られているのか、アシャの顔に舌を押し付けた。

 すると、その怪物はそのまま下手へと消えていった。語り部の声が響いた。

 

「苦しみの証とは涙のことだったのです」

 

 

 

 

 

 

 

「俺の前でたとえ誰であっても穢れた血と言うことは許さない」

 

 オスカーはキャビネット棚ではなく、明確にマルフォイを狙って炎を繰り出した。オスカーはその呪文を人に向けたことはなかった。しかし、今、それが必要だった。

 マルフォイはそれを避けるため天井をシャンデリアごと落下させた。炎は軌道を変えられ受けながされた。ほこりで視界が狭まった。

 

「ほう? なら純血の血なら流してもいいのかな? ああ、君の周りが純血の娘ばかりなのは傷つけてもいいと考えているからかね?」

「あなたはなぜここまでして劇を邪魔するんだ? リスクしかないはずだ」

 

 マルフォイとの会話を続ける必要があった。あと少しだった。

 

「君は忘れてしまっているのかもしれないが、普通純血の者は純血を守れと育てられる。何故なら血が人を繋ぎ、魔法を守っているからだ」

「半純血だろうとスクイブだろうとマグルだろうと血がつながれば一緒じゃないのか?」

 

 オスカーの言葉を聞いてマルフォイは笑った。

 

「違う。唾棄すべき考え方だ。特別な血を守らなければならない、価値あるものを守るから価値が生まれているのだ」

「俺には価値があるように思えない」

 

 オスカーの本心だった。少なくとも自分自身や目の前の男が彼女やトンクスより価値がある人間だと思えなかった。

 

「そうだな、君の様に忘れてしまっているのなら仕方ないのかもしれないな」

 

 マルフォイの後ろに人影が音もなく現れた。

 

「あなたの主人から学んだことが一つだけある」

「ほう? まああれだけのことがあって学ばないのならどうしようもないだろう」

 

 そうオスカーは学んだのだ。決して一人でいてはならないということを。

 

「闇の魔術に対抗する術は一つだけだ」

「心外だな、私は君に闇の魔術を使っていない。むしろ使っているのは君の方だ」

 

 ホグワーツでは出会っただけで不運だと思えるものが浮かんでいた。

 

「一人で戦わないことだ」

 

 ピーブズは持っていたバタービールの瓶で思いっきりマルフォイを殴りつけた。マルフォイは態勢を崩して、床に倒れ伏した。

 その隙をオスカーは逃さなかった。紅い光線がマルフォイを確実に射抜いた。飛んでくる杖をオスカーはキャッチした。それを見たピーブズはオスカーに一礼して消えていった。

 武装解除呪文で吹き飛ばされたマルフォイはオスカーの方を睨んでいた。しかし、オスカーの方を見てニヤリと笑った。

 

「時間切れだ」

 

 マルフォイがそう言うとキャビネット棚の扉が蝶番がこすれる音を立てながら開き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 今度は舞台が実際に下手から上手に向かって傾いていて、四人は一生懸命にその坂を上っているようだった。しかし、どういうからくりなのか彼らが実際に進んでいるように見えるにも関わらず、客席からは全く進んでいないように見えていた。語り部の声が聞こえた。

 

「四人は泉へ続く坂を登り始めましたが、この坂はいくら登っても進めない坂でした。坂には文字が書かれていました。努力の成果を支払っていけと」

 

 舞台にまるで何かを焼き付けたような文字が浮かび上がった。努力の成果を支払っていけとおどろおどろしい文字で書かれていた。

 四人はまた坂を進んでいるようだったが、一向に進むことはできず段々とペースが落ちて行った。その中でアルシーダだけがペースを落とさなかった。そして他の三人を励ますのだった。

 

「みんな、頑張るの、くじけたらダメなの」

 

 また語り部の声が響いた。

 

「アルシーダの額から汗が落ちました」

 

 実際にアルシーダの額から輝く水のようなものが落ちた。するとその汗のようなものの輝きが文字の方へと向かい、焼き印のような文字はまるで溶けるように消えていった。

 

「努力の成果とは汗のことだったのです」

 

 文字が消えた坂を四人は進み、舞台の上手へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

「いくら君がその年で無言呪文をマスターしているほど優秀だったとしても、そいつはどうしようもないぞ」

 

 息も絶え絶えにマルフォイがそう言った。キャビネット棚が開いた。中から何かゼイゼイと何かを吸い込む音が聞こえた。

 オスカーはキャビネット棚から何が出てくるのか分かった。ぞっとするような冷気がオスカーの体を襲っていた。ローブを皮膚を通り抜けて、肉に骨に、そして心が冷たくなっていった。

 黒い頭巾をかぶった影だった。頭巾からはまるで水中で腐ったような手が突き出ていた。それはオスカーに思い出させていた。声が聞こえる。オスカーを呼ぶ声が聞こえる。高笑いと一緒に声が聞こえる。オスカーが今感じている冷たさと反対のことを誰かが叫んでいた。

 吸魂鬼、オスカーはその存在を知っていた。そしてそれを撃退するための呪文を知っていた。しかし、オスカーの体はどんどん冷たくなっていった。声が高笑いがどんどん大きくなっていく。

 

「君の記憶はごちそうだろう。そいつらにとっては幸運なわけだ」

 

 マルフォイの声が遠くで聞こえた。オスカーは幸運という言葉を耳で拾った。心のどこかで怒りが湧いていた。決して幸福でない気持ちだった。ずっとオスカーは怒りを感じていた。

 どうして幸運で、幸福ではないのだろう? どうして一緒にいたいだけなのに、一緒に楽しみたいだけなのに誰かを傷つけてしまうのだろう? きっとお互いに想っているだけなのに不幸になるのだろう? どうしてそれを見るだけで、そう想っている人が傷ついているのを見るだけでどうしようもないほど怒りが湧いてくるのだろう? どうして彼女と一緒にいたかっただけなのに不幸になったのだろう? 理不尽に対する怒りが心に満ちていた。声が遠くに消えていった。高笑いが消えていった。ただ怒りが決して幸福ではない怒りが満ちていた。

 

 オスカーはそれを見た。ただ幸福を吸い込むだけの抜け殻だった。この世にあってはならないものだった。この世にある最も穢れたものだった。まさにオスカーが怒っているものを具現化したものだった。

 それを倒すには幸福が必要だった。一番幸せな記憶が必要だった。オスカーには分かっていた。最悪の記憶があるから幸福なのだ。心の中にずっとあるから、今が幸福なのだ。

 どうしてレアを説得したアバーフォースとエストがあんなに強く見えたのか、どうしてエストを傷つけそうで怖かったのか、どうしてクラーナが隣にいてあんなに安心したのか、オスカーは分かっていた。どうしてみんなのことを考えていたトンクスが報われないと許せないのか分かっていた。全部含めて幸福なのだった。

 

「エクスペクトパトローナム!! 守護霊よ来たれ!!」

 

 吸魂鬼にそれは飛んで行った。明確な形を持ったそれが、眩く輝く銀色の羽をはばたかして、吸魂鬼にぶつかった。吸魂鬼はキャビネット棚の中へと消えていった。

 銀色に輝いている以外は大きさも形も一緒だった。森の中で数えきれないくらい飛んでいたのと一緒だった。銀色のトンボがオスカーの指にとまって、煙の様に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 遂に舞台の上手には泉の姿があった。しかし、四人のいる下手と泉の間には大きな川が実際に舞台の奥から手前に流れていた。

 ラックレス卿は持っていた盾を浮かして川を渡ろうとしたが、そのまま沈んでしまい、三人の魔女に助けられた。三人の魔女は川を魔法で飛び越えようとしたが、なぜか川のそばまで来ると透明な壁があるかの様に進まなかった。

 語り部の声が響いた。

 

「川の底には文字がありました。過去の宝を支払っていけ、そう書かれていました」

 

 また前回と同じ焼き印の様な文字が川底に現れた。四人は集まり、お互いに頭をなにやらひねっているようだった。

 

「四人は言葉の意味を考えました。そしてアマータにはその意味が分かりました。アマータは幸せだったころの記憶を取り出しました」

 

 アマータが川の前にでて、杖を振った。白く輝く八本足のそれが、巨大な蜘蛛が川の底へと消えていった。文字も蜘蛛と一緒に消えていった。

 文字と白い輝きが消えると川に石のようなものが浮かびあがってきた。四人はその石を足場にして川を渡った。語り部の声が響いた。

 

「過去の宝とは幸福な記憶だったのです」

 

 

 

 

 

 

 

 杖を失い、吸魂鬼を撃退されたマルフォイは今の自分の状況が信じられないという顔だった。

 オスカーはマルフォイに言いたいことがあった。オスカーはそれだけの為にここに来ていた。

 

「今やっている劇はあなたの姪が提案したんだ」

「私の家族は息子と妻だけだ」

「あなたは…… あなたはそう思っているわけだ」

 

 オスカーの杖から紫とも赤ともとれない炎が噴き出した。マルフォイのシルバーブロンドの髪の先が燃えて無くなった。その炎はキャビネット棚に叩きつけられた。キャビネット棚は衝撃で真っ二つになり、煌々と燃え盛っていた。

 

「あなたはスリザリン生だ」

 

 恐怖に染まったマルフォイの目を真っ直ぐに見つめてオスカーは言った。マルフォイとのやり取りで色んな感情がオスカーの中で生まれては消えていったが、今はただ怒りが心を燃やし尽くしているようだった。

 

「スリザリン生なら身内を大事にするべきじゃないのか?」

 

 マルフォイの杖を投げ捨てて、オスカーはそこから去った。木の焼ける臭いの中で、やるせなさだけが燃えカスの様に残っている。オスカーはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 泉は目の前にあり、美しい木々や花々に囲まれて光っていた。また舞台は少し暗くなり、茜色の光がどこからか舞台を照らしていた。

 しかし、すぐそこに泉があるにも関わらず、アシャが倒れた。三人がアシャを引っ張って、泉へと連れて行こうとしたがアシャはこう言った。

 

「苦しいんです…… 触らないでください……」

 

 アルシーダが周りの草花を摘み始め、ラックレス卿の水筒を奪い取り、草花と一緒にアシャの口に流し込んだ。

 するとアシャはさっきまでの苦しみがなかった様に立ち上がった。

 

「治りました!!」

 

 アシャは他の三人に言った。

 

「私は泉はいりません。アルシーダに浴びさせましょう」

 

 しかし、アルシーダはアシャの言葉も聞かず、薬草を集めていた。

 

「この病が治せるんなら、私はいくらでもお金を稼げるの! アマータに浴びせればいいの!」

 

 それを聞いてラックレス卿は一礼し、アマータを泉へと促した。しかしアマータは首を振った。語り部の声が響いた。

 

「アマータはすでに幸せだったのです。幸運の記憶を断ち切ることができただけで十分に幸せだったのです」

 

 アマータがラックレス卿に言った。

 

「どうぞ、あなたが浴びてください。騎士道を尽くしたあなたが浴びるべきなのです」

 

 ラックレス卿はそれを聞いて、ほとんど暗闇につつまれつつある舞台の中で、泉へと進んでいった。しょぼくれた鎧の音を響かせながら。

 『豊かな幸運の泉』を浴びたラックレス卿は実際に光輝いているように照らされて三人の魔女のもとへ戻ってきた。

 舞台はまた照らされていて、最初にあった沢山の人影の幻影が現れていた。語り部の声が響いた。

 

「ラックレス卿はさびた鎧のままアマータに言いました」

 

 ラックレス卿とアマータが強く照らされた。

 

「自分がこれまで見た、どの女性よりもやさしく美しいアマータの足元にひざまずいて言いました」

 

 ラックレス卿はアマータの足元に片膝をついて、手を差し出した。

 

「どうか貴方の手を、貴方の心を私にください」

 

 アマータはラックレス卿の手をとって立ち上がらせた。語り部の声が響いた。

 

「ラックレス卿はアマータに結婚を申し込んだのです。そしてアマータも自分の手と心をゆだねるにふさわしい騎士の手をとったのです」

 

 ラックレス卿はアマータの手で立ち上がると真っすぐにアマータの方を見た。アマータは言葉と手の余韻をかみしめるような表情で目をつぶっていた。

 ラックレス卿はアマータにキスをした。

 

 


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