オスカーが感じたのは違和感だった。
余りにも記憶ははっきりとしていて、これまでオスカーが見てきたどの記憶よりも明確に世界が映像と音声で縁どられていたのだ。
そして、オスカーが覚悟していた、レアの思考や想いというモノが全く感じられなかった。ただただ、その記憶の世界がオスカーの五感を通して感じれられた。
髪の長いレアは奇妙な行動を彼女の家の前でしていた。家の近くには境界を示す申し訳なさげな石垣が見えるのだが、その石垣のギリギリまで色んなモノを飛ばしてはギリギリでコントロールして自分の方へ戻しているのだ。
いつか見た箒のおもちゃ、石ころ、その辺を飛んでいたであろう蜂、本、色んなモノを自分で投げつけたり、魔法で飛ばしたりしながら石垣を飛び越えるギリギリで自分の手元に何度も戻している。
退屈そうな顔をしながらそれを延々と繰り返すレアをしばらく見て、オスカーはやっと何をやっているのかに気付いた。
「レア!! なんでまた家から出ているの!! それはやめなさいって言っているでしょう!!」
これは保護呪文の及ぶギリギリまで色んなモノを飛ばしているのだ。恐らく、石垣の外側からは石垣の中が見えず、また入れない様に呪文がかけられているはずで、レアは外に出れない当てつけにこんなことを繰り返しているのだろうとオスカーは思った。
マーリンの怒鳴り声を聞いても、レアは全く反省する素振りも見せず、逆にマーリンの方を睨みつけていた。
「だって、ここにいないとパパが帰ってきても分からないし、今日はハリーへのプレゼントを渡すために誰か来るんじゃないの?」
「とにかく、家の中に入りなさい。それにその遊びは絶対にしてはダメ」
何かへの当てつけもあったようだが、レアは父親の帰りや外からの便りをいち早く受け取るために家の領域の内側とは言え、外にいる様だった。
オスカーには家の中で知っている人にしか会えず、ほとんど外に出ることができないレアの気分はなんとなく分かった。オスカー自身が物心ついた時から、家の中と呪文のかかった森の中でしか世界も人も知らなかったからだ。
家族の誰かが外出してしまった時に姿現しで戻ってくる玄関の傍で待っていたり、暖炉飛行で帰ると言っていたので、何時間も広間の暖炉の前でペンスと一緒に待っていたりとオスカーには似たような経験があった。
そして、お土産を持って帰ってきたり、何より外の話をして貰いたかったのだ。家の中しか知らない人間にとって、家族や新聞、ラジオから伝わってくる世界こそが彼や彼女の世界の全てであることは間違いが無かった。
「なんで? あの石垣の内側ならここでボクが例のあの人の名前を言ったって、バンシー妖怪と大声大会をしたって分からないんじゃないの?」
「いいから早く入りなさい!!」
「だからなんで!? 何で何にも説明してくれないの?」
マーリンの一辺倒な命令にはレアは全く納得しそうに無かった。記憶のレアを見れば分かることだったが、この年の子供にしては驚くほど考えることができているし、その辺のオスカーの同級生よりもよっぽど賢そうに見えた。
恐らく、普通の大人相手に話すよりも論理的に筋だって説明しなければ彼女を納得させることは難しそうだった。
「家に入ったら説明するわ。とにかく家に入りなさい。入らなかったら、誰が来ても部屋に入れっぱなしよ」
マーリンが最後通牒の様にそう言うと、レアは眉間にしわを寄せ、唇を噛むような顔、文字通り拗ねた顔をして家の中に入った。
「コロポータス!! 扉よくっつけ!!」
マーリンはレアが家に入ったのを確認して扉に呪文を唱えた。グチャっという音がして扉が閉まる。この呪文を唱えることで同時に鍵も閉まるという事をオスカーは知っていた。
家の中にはすでに誰かを迎える準備ができていて、五人分の食事がもう用意されていた。壁にかかった時計はお昼前の時間を示していた。
「ほら、もうパパやそれにジェームズ達の誰か二人が来るって連絡があったのよ。レアに手伝って貰おうと思ったのに…… レア、どうしてそんなにすぐ部屋から居なくなるの? どれだけ心配するか……」
「説明は? なんで外に出ちゃいけないの?」
レアは全くマーリンの言い分はお構いなしだった。彼女にとっては納得できる理由があるのかどうかが一番の重要事項であるようだった。マーリンはそれを聞いて、さっきの拗ねたレアそっくりの顔をした。
「家全体には魔法がかかって……」
マーリンが話始めると同時に家の外からバチっという誰かが姿現しでやってきた特有の音がした。
「帰ってきた!!」
レアはいきなり立ち上がって、さっきマーリンが呪文を使って閉めた扉を、扉に向けて手首を捻る動作と前に向かって押すような動作だけで開けてしまった。
「レア!! やめなさい!!」
「なんだ? もうレアを部屋から呼んでるのか?」
ドアの外にいたのは恐らくレアの父親だった。オスカーはレアの父親を初めて見たが、レアの髪の色が一体誰から貰ったモノなのかは一目見ただけで分かった。
オスカーは内心、死喰い人達の襲撃が始まったのかと思ってしまったので、体こそ今の記憶の中では無いものの、安心から一息ついた。
「ハリーへのプレゼントは? 他の人は一緒じゃないの?」
「レアはまた外で遊んでたのよ。ちょっと目を離しただけですぐにこれよ」
「今日くらいはいいんじゃないか? それなら、ピーターとシリウスがもう来る予定らしいから、外で待っておくか? あとハリーへのプレゼントはまだ秘密だ」
父親は持っていた小包を杖で家の中へと放り込むと、二人を連れて外に出た。外にはさっきレアが遊んでいた小さな庭に椅子が数客とテーブルがあった。
「どこに行ってたの? まだ開いてるお店がある?」
「ダイアゴン横丁の店はほとんど閉まっている。漏れ鍋は閑古鳥が鳴いているし、まだやってるのはグリンゴッツとオリバンダーの店くらいだろう。今はホグズミードの方が安全だ」
「安全じゃないと困るわ。あそこは休日になればホグワーツの生徒で溢れかえるのに」
「じゃあプレゼントを買ったのはホグズミード? ハニーデュークス?」
オスカーの聞き違いでなければさっきからレアは延々と質問をし続けていた。しかし、父親の方は特に変わったことも無いと言う顔をしていたし、マーリンの方もちょっとあきれ顔ではあったが、そんなに変わったモノを見る目はしていなかった。つまり、いつもこうだったのだろうとオスカーは思った。
「そうだよ。行ったのはホグズミードだ。あそこはホグワーツも近いし、ダンブルドアの傍では死喰い人も表立って活動できない。それに面白い話を聞いたな……」
「面白い話?」
「ホッグズ・ヘッドでダンブルドアと誰かが喋っているのを盗み聞きしたのはセブルス・スネイ……」
「ニコ!! レアの前でそういう話はやめて!!」
「おっと。ごめん」
「なんで? セブルス・スネイプって誰? 死喰い人? 騎士団?」
その名前にオスカーは驚いた。昨日見た記憶の中で出てきた名前と一緒だったからだ。オスカーの記憶の中ではスネイプがヴォルデモートに何かを言ったせいで機嫌が悪くなったと言っていたはずだった。いったいダンブルドアは誰と何を喋っていて、スネイプは何を聞いたのか? オスカーの中で疑問が一つ増えた。
「この話は終わり、なんでも質問ばかりはダメ」
「ママの言う通りだな、これをレアに買ってきたんだ」
「え?」
レアの父親、ニコはポケットからレアの髪色と同じ髪留めを取り出して、レアにではなくマーリンに渡した。
「ほら、ママがホグワーツの時にずっとしてた髪型と同じにレアもして貰えるぞ」
「髪型? どうでもいいし、変えたら何か変わる?」
「せっかく綺麗な髪色なのに、あの頃の私と同じ髪型にしたら逆に目立ってしまうわ。どうせ、ホグズミードに行ったから思いついたんでしょう……」
マーリンはそう言いながらも、レアの髪を束ねて後ろの方で髪留めで留めた。髪留めのサイズよりも明らかに大量の髪の毛を束ねていたので何か魔法がかかっているのだろう。レアもマーリンも全く同意を示していないのに、嫌な顔どころか少し笑顔でされるまま、するままだった。
しばらくすると、後ろから束ねられた髪の毛が見える以外はオスカーの知っているレアに近い姿になった。
「ほら、これでホグワーツの頃のママにそっくりになった」
「そっくりになっても、まだホグワーツには行けないし……」
「ホグワーツに行きたいなら、もっとお行儀良くしないとダメ。入学を知らせるふくろうも来なくなってしまうわ」
またレアは拗ねた顔でマーリンの方を見た。レアからすれば、この狭い空間の中で唯一外に出れると思っているのがホグワーツの話なのだから、そんな顔も当たり前なのかもしれなかった。
「行儀が良くなくても、魔法を使えるし。三年生で覚える呪文ももう覚えたのに……」
「また勝手に杖を持ちだして練習してたのね……」
「ちょっとくらいならいいだろう。ホグワーツに入ったら家ではレアの魔法を見ることはできないし…… パパも小さい頃にそんなには使えなかった。ほら、何かやってみてくれ」
ニコが笑顔でそう言うと、レアの顔もニコと同じ様に笑顔になった。
オスカーは三人の言動を聞いて、笑顔になるべきはずなのに焦燥感が隠せなかった。ホッグズ・ヘッドにレアを取り戻しに行った時に彼女は何と言っていたのかを思いだしたからだ。『パパに外で見せようなんて思わなかったら』レアはそう言って泣いていた。
レアは前に出て、さっきと同じ様に色んなモノを操って飛ばして見たり、マーリンとニコが座っている方に向けて、腕を大きく開いた後そのまま閉じて両手を合わした。そうすると二人の椅子が動いて優しくぶつかった。
三人共笑顔だった。一羽の雀が庭のテーブルの上にやってきたので、レアは手の上で見えないお手玉で遊ぶ様な動作をした。そうすれば雀は羽ばたいていないのに、トランポリンの上で跳ねているように上下に弾んだ。
「雀……? マーリン!! レアを連れて家に入れ!!」
笑顔だったニコは突然顔色を変えて、叫んだ。オスカーは何が起こっているのかを考えた。恐らく…… 保護呪文が無くなっているのだ。動物も人間も例外なく、保護呪文を唱えていれば家を認識できないし、入れないはずだった。そうでなければ、家がある近くにドラゴンやキメラを放り込めば保護呪文の意味など無くなってしまう。
ニコは杖を取って、石垣の外を見た。そこにはオスカーの見覚えのある黒いマントとマスクをつけた人間たちが一ダースは揃っていた。
「なんだ? マッキノン、もう少し自慢の娘さんの魔法を我々にも見せてくれないのか?」
先頭の男が仮面を取らずに言った。オスカーにはそれが誰なのか仮面越しからでも分かった。アントニン・ドロホフ、オスカーの父親に間違いが無かった。
「ポーン、ポーンと雀が可愛かったじゃないか? ちいちゃな、ちいちゃなレアちゃんを同じ様にポーン、ポーンと打ちあげたら、可愛いだろうねえ」
ドロホフの隣で女が仮面とフードを取った。その声も姿もオスカーの良く知っている人物、トンクス先生にそっくりだった。にもかかわらず、その声には隠しきれない残酷な響きが乗せられていた。ベラトリックス・レストレンジ、ロングボトム夫妻を拷問した魔法使いだ。
「こっちに杖を向けてるって時は殺る気があるってことだろう? マッキノン。いいなあ、子供がいるとやりがいができていけねえ。ボーンズの時は子供がいたから楽しかったぞ? さあ楽しませてくれよ。もう姿くらましはできないんだからな」
さらにその隣の男も仮面を外した。ロジエールに間違い無かった。ロジエールの言葉に死喰い人達が酷薄な高笑いをあげた。全員、これから始まる戦いと残酷な見世物に酔っぱらっているようだった。
「俺はお前の家を見つけるのは苦労したんだ。なあニコ?」
「トラバース……」
最後に一人が進み出て、家の敷地の中まで入った。その瞬間にベルが鳴っているような警報音が響いた。恐らく、家の中に誰かが入ったら分かるように呪文がかけられていたのだ。
「お前には学生時代から世話になっていたからな。可愛い女の子じゃないか。羨ましい」
家の中に入ったトラバースに続いて、ロジエールと数人が続けて入ってきた。他の死喰い人達は後ろから杖を構えている。
マーリンはレアを自分の後ろにやって、じりじりと家の入り口へと近づいており、ニコはトラバースと杖を向け合っていた。
「お嬢ちゃん? お嬢ちゃんが外にみんなを連れ出してくれたのかな? ありがとうって言わないとな」
トラバースがそう言った瞬間にレアは押し出す様に手を動かした、それだけでとっさに杖を振ったロジエール以外の敷地内に入った死喰い人達が家の外まで吹き飛ばされた。
「おお、いいぞ。レアちゃん。このトラバースとか言うのは口と頭は回るが、へっぴり腰で有名なんだ。もっとやった方が楽しみがいがある」
ロジエールがいかにも楽しそうにレアに声をかけた。その後ろで吹き飛ばされたトラバースが杖をレアに向けて振った。何の呪文かは分からなかったが、その呪文はレアをかばおうとしたニコの杖腕で無い方の腕に当たり、それにレアの後ろから束ねている髪の毛にも当たった。
ニコの腕とさっき留めたばかりのレアの髪はそれだけで千切れ飛んだ。血がマーリンの体とレアの顔にかかった。
「ニコ!!」
「今だ!! 行け!!」
恐らく、ニコが盾の呪文を唱えてロジエールが一瞬動けなくなった。その瞬間にマーリンは杖で扉を開けて、家の中へとレアを連れて入ったのだ。
「鬼ごっこか…… いいなあ。まあトラバース、俺はこんな手負いには興味ないからやれよ」
「黙れ!! ロジエール!! 俺が全員やる!!」
しかし、ニコが呪文をロジエールとトラバースに唱えようとした瞬間に後ろの死喰い人達から呪文が突き刺さった。ニコは杖ごと家の中へと吹き飛ばされた。
「パパ!!」
「レア、いいから二階へ行くのよ!!」
マーリンはレアを連れて、二階への階段を上り始めた。後ろからトラバースが呪文を唱える声が聞こえる。それは最悪の呪文だった。
「アバダケダブラ!!」
オスカーにはレアの視点からしか見えなかったが、緑色の光が階段の下から漏れてくるのが見えた。そして、レアを抱えているマーリンの体が震えているのも分かった。
「マーリン!! 無駄だぞ!! そのキャビネット棚が繋がっている場所は分かっているんだからなあ!!」
下から、トラバースが吠えた。マーリンの顔がさらに青くなったが、同時に何かを決意した顔にもなった。
「レア、よく聞いて、説明するのは一回だけよ」
レアは無言で頷いた。下からトラバースとロジエールが上がってきている音がしていた。マーリンがドアを魔法で閉めたが、破られるのは時間の問題だった。
「このキャビネット棚はどこかに繋がっているけど、どっちかを壊せば途中のどこかでひっかかるの。聞いて、レア。どこかで誰かを待つのよ。貴方が見つかるまで隠れているの」
足音はもうそこまで迫っていた。アロホモラが効かないのか、強引に爆破呪文で破ろうとしているトラバースの声が聞こえる。マーリンがキャビネット棚のドアを開けた。
「ママも一緒に……」
「誰かが壊さないとダメなの。レア。パパもママも貴方を愛しているわ」
「ママ!! 嫌、嫌、嫌、嫌だ!!」
マーリンがレアをキャビネット棚に入れるのとドアが吹き飛んだのは同時だった。オスカーが練習で何度も見ていたのとそっくりな眼がレアを通してオスカーを見つめていた。レアの視点からはキャビネット棚が閉められるのと同時に光が消えた。
「やだ!! 開けて、嫌だ!!」
暗い中で呪文と怒号が飛び交っているのが聞こえる。そして、誰かが倒れる音と恐らくトラバースのモノであろう勝ち誇った声が聞こえるのだ。
しかし、レアにあるのはオスカーから見えるのは暗闇だけだった。外の音は聞こえるのに暗闇だけだった。
死喰い人達の声が聞こえる。相当な数の人間がマッキノンの家を荒らしているようで、足音と何かを話し合う声が聞こえるのだ。しかし、レアにあるのはただ光の無い暗闇だけだった。
「じゃあ、ガキを取り逃がしたってことなのか? ちゃんと調べたのか? キャビネット棚の先を?」
「そうだ。キャビネット棚からは誰も出てきていない。先には暖炉もポートキーも無かったはずだ」
「マーリンが壊しやがったからだ…… あのガキは飛ばされる途中でどこかに引っかかったに違い無い…… クソ!!」
トラバースが何かを蹴り飛ばす音が聞こえた。それは木や石と言った家や家具の材料を蹴り飛ばした音では無かった。
「両方殺しちまったのが悪いだろう。先に母親か父親を捕まえときゃ逃げられずにすんだんだ」
「うるさいぞ。ロジエール!!」
「おうおう。お前がそんなに感情的なのは珍しいな。なんだ? 今蹴り飛ばした死体と何かあったのか?」
「黙れ!!」
さらに新しい足音が増えた様だった。レアの感性は何も見えないせいか、耳だけが研ぎ澄まされている様だった。
「可愛い。可愛いレアちゃんを逃がしたのかい? ご主人様が何とおっしゃるか……」
「ベラトリックス、何をしに来たんだ?」
「簡単な事さ、トラバース。すぐにキャビネット棚を壊したってことはこの近くにいるんじゃないのかい? どこか見えないところで震えているに違い無いんじゃないのかねえ?」
ベラトリックスの言葉にレアの体が震えた。
「そうか…… そういうことか……」
「簡単だな。お前がせっかく髪の毛を切ってあげたんだから。代わりのモノをつけてあげるって言えば出てくるだろう」
「そうだよ。ロジエール。聞こえてるかな? ちっちゃな、ちっちゃな、ベイビー・レアちゃん? 出ておいで。レアちゃんの髪の毛に合わせる綺麗な髪が一杯あるよ。どっちの色も選び放題だ。キャハハハハハ!!」
記憶だと分かっているのに、オスカーはレアの感覚では無く、自分自身の感覚として鳥肌が立ち、嫌な汗が背中を流れているのが分かった。そして、何より余りのおぞましさと理不尽に対する怒りが自分自身の中で駆け巡っているのが分かった。
それから何度も死喰い人達の怒号や家を呪文で破壊しているのか、凄まじい破壊音、そしてメラメラと何かが燃える音がレアの耳を通して聞こえていた。
しかし、結局死喰い人達はレアを発見することはできなかったようであり、いつしかその音も遠くに消えていった。
音も感覚も光も全てが遠くに行くに従って、違う事が起こりつつあった。
開心術を開始して、記憶に入ってからオスカーはただ記憶だけをありのまま見ていた。レアの心の動きや感情が伝わってくることは無かった。
しかし、今は違った。もはやそれはオスカーからしてなんと例えれば良いのか分からなかった。何も聞こえない暗闇の中で、オスカーは激しい感情の嵐の中にいた。それはオスカーが知っている嵐だとかそういうレベルのモノでは無かった。
感情が起こっている時にその感情を溜める水槽の様なモノがあるとして、それは今や完全に満杯であり、にもかかわらず、新しい感情が湯水の様に噴き出して一杯の器の中をさらに満たし続け、内側から凄まじい圧力で押し続けていた。
オスカー自身の頭の中も、レアから伝わってくる感情で頭の中が一杯になり、爆発しそうだった。
『あの時、外に出てなければ』『姿現しの音と同時に外にでなければ』『ママの言う事を聞いておけば』『トラバースに魔法をかけなければ』『ママの手を掴んで一緒に入っていれば』
あの時ああすれば良かったというレアの後悔と自責の念が延々と伝わってくるのだ。そしてそれらはレアの頭の中を荒れ狂った後に違う感情を引き起こし、また頭の中、心の中を満たして、抜き身の刀の様にズタズタに引き裂いていた。
『ママの言う事をいつも聞いていれば』『魔法なんてホグワーツに入ってからで良かった』『ボクのせいじゃない、違う!! ボクのせいだ……』『まだパパやママが死んだって見たわけじゃない、でもロジエールはそう言った、それに緑の光を見た』『認めないなんて、ボクのせいじゃないなんて、思っちゃいけない』『嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!』
行先の無い感情が、何度も何度も行先を求めて荒れ狂って、傷つけて、そして新しい感情を引き起こし続けた。その過程でオスカーからしても、もはや自分自身というモノが一度バラバラに引き裂かれている様だった。何も聞こえない暗闇の中で、自分という存在だけがある中で、今ある状況を何とか受け入れようとして、かみ砕いて認識できるようにしようとしたが、それは余りにも受け入れられない状況であり、変えられない状況に耐えるために、心と頭がそれに合わせようとして、何度も組みなおし、形を変える過程で、それは今や形が無いほどバラバラになっていた。
『外に出なければ警報が鳴る呪文があったから助かった』『ボクが外に出てたせいで二人は死んだ』『外に出たくないと思っていれば二人は助かった』『ボクのせいで二人は死んだ』『ボクが魔法を見せたいなんて思わなかったら、構って欲しいなんて、褒めて欲しいなんて思わなかったら二人は助かった』『ボクのせいで二人は死んだ』『最初から魔法なんて、魔法の力なんてなければ二人は助かった』『意味がない、意味がない、要らない、信じられない、こんな力意味がない、二人はもう会えない、褒めて貰えない、力があってもコントロールできても意味がない、こんなモノいらない!! 最初からなければ良かった!!』
レアの中を駆け巡っていく感情に合わせて、周りが震えていた。いったいレアがどこにいるのかはオスカーにも分からなかったし、レア自身にも分からなかったが、レアの力が周りに渦巻いて、レアを含めて周りの全てを攻撃し、破壊しようとしているようだった。
オスカーはやっとレアと会った時にどうして魔法をコントロールできなかったのかが分かった。
もちろん、ホッグズ・ヘッドでの一件で何故そうなったのかは聞いていた。しかし、今やっと記憶を見て、レアから伝わってくる、きっとレアが感じたり、考えたりしたモノのほんの一部を感じただけでどうしてそうなったのかがやっと正しく分かったのだ。
もう時間の感覚が分からないほど、レアは暗闇の中で何かに感情や力を向けることができずにあがいて、もがいて、バラバラにズタズタになっていた。
すると誰かの声が聞こえた。
「シリウス!! いつ死喰い人が戻ってくるか分からない!! いったん戻ろう!!」
「ピーターの言う通り、シリウス。ここは応援を呼ぶべきだ。私たち三人だけでは……」
「見なかったのか!! 壊された居間に食器が何個あったと思う!! 五つだ!! 誰の分だと思ってる!! ニコとマーリンとレアは三人家族だ!!」
恐らく、ピーター、リーマス、シリウス・ブラックの三人だった。感情を抑えられない吠える様なシリウスの声が響いていた。物音からして、三人はレアを探している様だった。
「まずはニコとマーリンの体は回収できたんだから、もう一度ダンブルドアかムーディか誰かを連れて来る……」
「違う!! 俺たちはもっと早く来るべきだった!! お前と俺がもっと早く来るべきだった!!」
「シリウス、落ち着かないとダメだ。それに姿をくらますキャビネット棚があったんだからレアは無事かもしれない」
レアは三人の声を聞いても何も反応しなかった。ただ、彼女の中ではいまだに感情が暴れ続けていて、それが際限の無いエネルギーとして、辺りを震わし、破壊し続けていた。
「だからだ!! キャビネット棚はぶっ壊されていた!! それならレアはまだ近くにいるかもしれない!! あれは壊れていれば行先までいけない!!」
「そうかもしれないが、向こうにたどり着いてるかもしれないだろう? 今のシリウスは冷静じゃない」
「冷静なわけないだろう!! レアはまだホグワーツにも行って無いんだぞ!! リーマス、俺だってあんな風に家に閉じ込められるのが嫌だったんだ!! それなのに…… なんでこんな年でこんな目に遭わないといけないんだ!! 俺たちは何もできないって言うのか!! クソっ、クソっ!!」
シリウス・ブラックの自分自身を責める声が響いていた。オスカーには分からなかった。これが自分でレアやレアの家族、ポッター家を裏切って売り渡した男の態度なのだろうか? 演技としてやっているのだとすれば、この声だけでも怒りが伝わってくる声の主は恐るべき男だった。
「シリウス…… あれは……?」
「何だピーター!! 黒い…… 何だあれ?」
「ピーター、シリウス、多分触れない方が…… 魔力の暴走かもしれない……」
レアの周りで巻き起こている破壊の渦はどんどん抑えが利かなくなっている様だった。もはや、レアの周りを取り囲んでいた木や土や泥は力で巻き上げられて、吹き飛びつつあった。そして、レア自身も黒い霧の様なモノの中で、体が現れたり、消えたりしていた。
「あんなことが起こるのか?」
「確か、闇の魔術に対する防衛術の関連で読んだことがある。昔、マグルが魔法使いを迫害してた頃に、魔法を否定するように教えられて、力がコントロールできなくなって暴走する子供がいたと」
「じゃあ、あれはレアだってことか? あの子が魔法を否定だって? そんな……」
レアは恐らく何も見てはいなかった。ただ、行き場の無い感情に従って、黒い力が周りに渦巻いて時折近くにあるモノを巻き上げたり、バラバラに引き裂いているだけだった。それは全く収まる気配が無かった。
「レア!! 聞こえるか!! 俺だ!! シリウス・ブラックだ!! リーマスやピーターもいる!!」
「シリウス、近づかない方がいい」
「あぶない!!」
レアが目を開いたためにオスカーはやっと外が見えた。シリウスは黒いもやに攻撃されているにも関わらず、杖も使わずにレアに近づこうとしていた。
「ダメだシリウス。一度レアを眠らせるべきだ」
「俺に攻撃しろって言うのか!! 俺たちは大人なんだぞ!!」
「シリウス、危険すぎる」
最初にピーターが、次にリーマスがレアに杖を向けた。シリウス・ブラックは杖を向けようとしなかった。赤い光線が視線に広がって、記憶が終わった。
オスカーはやっと鏡の裏側に戻ってきた。燭台の炎が優しく通路を照らしている。自身もフラフラだったのでオスカーは一度椅子に座ったが、レアの方はクッションに座り込んで手で顔を覆っていた。
何をレアにすれば良いのか、オスカーは考えた。自分が閉心術の訓練をした時、クラーナは自分に何をした? 今、どうすればいい? いったい何をすればいいのか?
はっきり言って、オスカーが考えて、想定したよりもよほどレアの記憶は酷かった。いったい何をレアに言えばいいのか? レアは悪くないと言えばいいのか? 可哀想だと言えばいいのか? それは余りにもレアにとって失礼だとしかオスカーには思えなかった。
あれだけの事を自分自身で正面から受け止めようとしているのだ。その結果、受け止めきれずに力が暴走していたのだ。そんな相手に一体誰が可哀想だと言えるのか? オスカーには言えなかった。
しかし、何を言うにしろオスカーはレアの近くへと行くことにした。さっきのシリウス・ブラックでは無いが、とにかく物理的にしろ、心理的にしろレアとの距離を詰めたかった。
頭はさっきの記憶に引き続いて何かでパンパンになっている感じがしたが、何度も何度もバラバラになった様なレアの感性が伝わってきた後にただ座ったり、立ったりしてはいられなかった。何か言わないと目の前で荒い息を吐いているレアが文字通り、細切れになってそのまま消えてしまいそうな気がしたのだ。
「レア、大丈夫か?」
「……るせないんです」
レアは膝をついて、顔を手で覆って、青い顔に荒い息で震えながらずっと何かをぶつぶつと言っていた。
「レア、何を言ってるんだ?」
「許せないんです。許せないんです。すぐに言い訳を考える自分が、逃げ道を考える自分が」
オスカーはレアと同じ目線まで顔を持っていくためにクッションに座った。唇を嚙みしめて、青い顔をしているのも、涙が流れているのもレアの小さい手では隠せていなかった。
「他に何が許せないんだ?」
「魔法が使えなくなったことも、前みたいな喋り方や、考え方や、自分をコントロールできないことも、それが全部あの時の事が原因だって思ってることが許せない」
信じられないほど強いとしかオスカーには思えなかった。エストやクラーナやトンクス、アバーフォースにモリー、オスカーにはどうしてそういう行動や考え方ができるのか分からないほど強いと思える人に何人か会ってきた。
その中でも、今、オスカーの目の前で震えている金髪の女の子はことさらに強く見えた。
「まだ何かあるのか?」
「何回思いだしても、誰かが裏切ったせいだとか、状況が悪かったとか、いくらでも…… いくらでも言い訳が思いつくのが!! 許せない!! 助けてくれたみんなも、親戚のみんなも、ハグリッド、アバーフォースさん、寮のみんな、エスト先輩、オスカー先輩…… みんなに助けて貰ってるのに、ずっと、ずっと考えても、考えてもどうにもできないのが許せない……」
オスカーはレアに訳知り顔で閉心術について喋っていたのが情けなくなった。少なくともオスカーは会ったことのある誰よりも、目の前のレアほど自分自身の事を理解しようとしている人間を知らなかった。彼女は自分に起こったことを飲み込んで、解決するために、前に進もうとするために、自分自身にできる限り自分や自分に起こったことを考えて、把握してなんとかしようとしているのだ。
やっと顔から手を外したレアはとめどなく泣いていた。
「今だって、こうなるって、分かってたのに!! こうなるって、分かってたのにオスカー先輩に甘えて、最初に言い訳して、結局何もできてない!!」
泣いているのに、オスカーにはやっぱり目の前のレアが強く見えた。こうなると分かっていて、同じことをできる人間が何人いると言うのか。オスカー自身も記憶を取り戻すことを、一番近くにいるエストや、記憶を見たことのあるクラーナ、トンクスやチャーリーに言うことができていないのだ。
心の中が血みどろになる程、もがいて苦しんで、それでもやろうと思える人間が弱いはずが無かった。
「やっぱり、ボクに閉心術なんて……」
「レアは閉心術に向いてる」
「え?」
やっとレアはオスカーの眼を見た。レアに向けて喋っていると、まるでオスカーは自分自身に言い聞かせている気がいつからかしていたのだ。
「やる前に言っただろ、閉心術には自分の事を客観的に見れるモノが必要だって」
「それをボクはできてないから……」
「できてるだろ、今見た記憶がレアをどんな時でもこれは正しいことなのかって、思い直させているんだろ」
「でも…… でも…… そのせいでいつも、いつも……」
そうきっとレアは自分がどうしてこういう気持ちになるのかをいつも理解しようとしていたはずなのだ。理解しようとしてバラバラになってしまうほどに。
「先に許せないって思うんだろ? あんな事をした自分を信じることなんてできないって、だから理解してるはずの気持ちを理解できないと思ってしまうんだろ? 冷静な自分の方が信じられないんだ。だから結局、感情が出てくるんだ」
「そ、それは……」
「レアは自分で思っているより、自分の事を分かってるよ。俺なんかよりよっぽど分かってる。なんで自分がこう思うのかを頭で理解してるんだ。でも、レアはその自分の頭を信じられないんだ。それで最後には感情が溢れてくる」
「だって、だって、また失敗する。取り返しがつかなくなる…… 考えて、操らないといけないのに…… ボクの考えは間違ってる……」
オスカーも同じだったはずだった。閉心術の練習をした時に、何かの感情で最初から自分を満たしてコントロールすることができなかったのは、感情よりも、自分の考えや理性の方が信用ならないと思っていたのだ。だって、自分がまず最初にコントロールできるのは自分の考えのはずだった。それで、失敗した時も考えて行動していたはずなのに、取り返しのつかない大失敗をした。だから信用できなかった。でも、理性を信用して感情と両立できるようになったはずだった。それはほんの少しですぐに感情が勝る様な状態かもしれないが、少なくとも前よりもできる様になったはずだった。どうしてそれができたのか、オスカーは知っていた。
「間違えばいいだろ、そうしないと何が間違ってるか分からない」
「それが分からない!! ボクの考えが間違ってるって一体どうやって分かるって言うんだ!!」
「俺が言えばいいだろ? 客観的に見て、その感情で大丈夫かどうか確かめてから行動できるようになるのが閉心術なんだったら、俺がレアが合ってるかどうか見るよ。初めはそれでできてるか、間違ってるか見るよ。そうしたら分からないか?」
レアは眼を大きく開けて、口を少し開いたままでオスカーの方を見た。レアにとって完全に予想外の言葉だったようだった。
「そうしたら、ちょっとずつでも自分のこと許せるように、自分の考えが合ってると思えるようになるんじゃないのか? あんなことをやった自分の考えや理性でも、本当に大事な時は自分の感情を抑えることや、逆に表すことができる様になるって思えないか?」
「でも、そんな、だって、ボクにそんな価値が……」
「あるだろ、無いならさっき自分で言ってた人もそうだし、俺もレアを助けないだろ」
「だって…… だって……」
最初は誰も自分を信じられないのだ。もし最初から自分の事を信じられる人がいるのなら、その人はきっと誰も最初から最後まで信じられない人なのだろう。
だから誰かに信じて貰えないと、自分の事を信じることができない。オスカーもそれを知っていた。そして誰かにそれをすることがどういう事なのかも。
「俺もレアを見てるから、レアも俺を見ていてくれ。レアより俺の方がよっぽど信じられないんだから」
「そんな…… 先輩は……」
レアはしばらくクッションに座り込んで動かなかった。オスカーもクッションに同じく座って考えていた。今の話は考えとか自分の頭の中の話だった。でも体も頭も心も含めた全体の話になれば別の話になるのだろうと思った。
実際、閉心術のコツを掴んだとしても、自分自身が正しいと思うことなどできるのだろうか? さっき記憶で出てきた死喰い人達、父親、ロジエール、ベラトリックス、トラバースといった人間たちも、間違いなく閉心術を使えるはずだった。彼らはきっと自分が正しいと理解しているのだ、思い込んでいるのだ、感情でも理性でもその両方で。それが誰かにとって正しいことでないはずでも。
「オスカー先輩」
「どうする?」
「もう一回やって下さい」
「分かった」
オスカーはまたレアと向き合った。レアは今度はクッションの傍には立たなかった。ただただ真っすぐにオスカーの方を見ていた。オスカーはもう何となく、レアの眼を見るだけで今何を考えているのか分かる気がした。閉心術とはきっと誰かを己から締め出す術では無く、誰かに己の考えてるモノを見せるモノだという事が段々とオスカーにも分かっていた。だから、老練な開心術の相手にも偽りの考えや心を見せることができるのだ。
「行くぞ!! レジリメンス!!」
開心術を使って、ちょっとオスカーは後悔した。全く以て、これまでの開心術の様にレアの記憶や心の中に入り込む感覚や、自分が意図してレアの感情を誘導することはできそうに無かった。その代わりにレアが見せたいモノを見せられている気がした。
ダイアゴン横丁、占い学の塔の最上階、叫びの屋敷、その次の日の空き教室、ハグリッドの小屋、ホッグズ・ヘッド、劇の練習をしたトランク、劇の舞台、ホグワーツ特急、ドロホフ邸、漏れ鍋、大広間、そして今いる場所。恐らく、レアは意図してオスカーと喋った場所を全てオスカーに見せていた。レアの考えは読めなかったが、明らかに意図してレアとオスカーが関連した場所を全部見せようとしていた。
その間、レアは倒れ込むこと無く、じっとオスカーの方を見ていた。逆にオスカーはレアに丸裸にされている気すらした。
「凄いな、これわざとやったんだろ?」
「ちょっと、オスカー先輩の事を考えてました」
「自分の顔を人の視点で見るのは恥ずかしいんだが」
「オスカー先輩、ここは鏡の裏なんです…… 」
してやったとばかりにオスカーに向かって笑うレアの顔は記憶の中のマーリンやニコにそっくりだった。
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