強烈なヤギの臭い、相変わらず、この場所の臭いは何も変わってはいなかった。オスカーは珍しく一人でホッグズ・ヘッドに向かった。エストとチャーリーにはクィディッチ用具店に行ってから行くと言われたし、クラーナはふくろうの郵便局、レアとトンクスはどうも寮の友達と遊んでから来るとのことだったからだ。
ほこりがまるで土間の様に踏み固まれたホッグズ・ヘッドの中にオスカーは足を踏み入れた。相変わらず、顔を外に出したくない人たちが何人か、洗っているのか分からないグラスで多分オスカーが想像しない方が良いモノを飲んでいた。
「アバ……」
「何人だ? 何人できた?」
「えっと…… 全員で六人来ます」
「上に上がれ」
アバーフォースと名前を言い終わる前に、オスカーは前に二度くらい来た上の階へと案内された。暖炉と…… 女の子、アリアナの肖像画が置かれている部屋だ。
「先に置いとくぞ。無くなったら取りに来い」
「あ、アバーフォースさん。俺のところに贈られてきたバタービール……」
「そんなもんは知らん」
バタービールのビンを一ダースほど置くと、アバーフォースはそのまま下へと行ってしまった。多分、またあの洗ったことがあるのか分からないぼろ雑巾で、汚いグラスを拭きに戻ったのだろう。それにオスカーがお礼を言おうとしても、アバーフォースは贈ったことすら認めない気の様だった。
最近、みんなで集まることも少なくなっている気がオスカーはした。せっかくのホグズミード休暇なのに、オスカーは一人でバタービールのビンをあけて、レアから借りた本を広げていたし、それを見ているのは虚ろに笑っているアリアナだけだった。
こっちに笑いかけてはくるが、喋ろうとはしないアリアナを見て、オスカーはアバーフォースは一体どういう気分で彼女と一緒にいるのだろうと思った。レアをエストと呼び戻しに来た時の話が全部本当ならば…… 何かしっとりとした考えを巡らせようとしていたオスカーの集中を、下から聞こえてくるドタドタした足音が切らせた。
こういう騒がしさを運んでくるのは誰なのかをオスカーは良く知っていた。
「うわ。オスカー一人? 一人で飲んでるの? クラーナと一緒だったんじゃないの?」
「クラーナは何か家に手紙を出すって言って、ふくろうの郵便局に行ったぞ。時間かかるから先に行っててくれって言われたしな」
「クラーナってあほよね。毎回ホグズミードで時間作ってるのに……」
「時間?」
「オスカーはもっとバカだけど」
多分、何のことなのかをトンクスは喋る気が無いのだろうとオスカーは思った。だいたいこういう口調の時のトンクスはひたすらオスカーをバカにしてくるパターンだと知っていたからだ。
「エストとチャーリーはどうせクィディッチ用具店で、レアはまだあのちょっとレイブンクローなのにあほっぽい集団と一緒よね?」
「そのはずだな。あほっぽいって……」
「そうね。ちょっとそっちに座ってよ」
「え? ああ……」
部屋に置いてある一番大きいテーブルではなく、もう一つある小さな丸テーブルを挟んで座るようにトンクスはオスカーに言った。今日のトンクスの髪色はショッキングピンクではあったが、少し鮮やかさが無い気がオスカーはした。
「他の人がいない時にあんたに会うことはそんなに無いから言うけど……」
「なんだ? クリスマスにトンクスのシチューが飛んできて、俺のローブのしみになってた話か?」
「ぶっ飛ばすわよ。そうじゃなくて…… その…… えっと…… 呼び寄せ呪文でトランクごと私が落ちた時に…… その、あの後、私は何も言わなかったでしょ?」
オスカーはやっと何をトンクスが言いたいのか分かった。あの試合の後、トンクスがぶつぶつ言っていたのを聞いていたし、トンクスは見た目や言動ほど、そういうことを気にしないわけではないことも知っていた。
「あれは俺が呼び寄せ呪文を唱えたから……」
「違うわよ。トランクを奪うのはあの時では普通の事だし、それにあの時、私は何もできなかったし、オスカー以外誰も動けてなかった。オスカーが降りてこなかったらクラーナの言った通り、良くて聖マンゴ送りだったと思うわ」
やっぱり、気のせいでは無くて、ショッキングピンクがちょっと紫染みてきたのが見ているオスカーには分かった。そもそも、外で誰かと喋っている時にトンクスの髪色が変わるのは余りオスカーは見たことが無いのに、こうしてちゃんと喋る時は結構な頻度で変わっているのを見ている気がした。
「だから言っとくわ。助けてくれてありがとう。正直、キメラが迫ってきた時に何も考えれなかったし、オスカーが私に何かやれって言って、オスカーの背中でキメラが見えなくなってやっと動けたのよ。だから、冗談とか悪戯で言ってるんじゃなくて、ほんとに言ってるのよ」
トンクスがいきなり入ってきてから怒涛の勢いで話が進んでいたが、オスカーは何とかついていけていた。それに、オスカーはそんな風な言い方をしなくても、こういう事を冗談でトンクスがするはずがないことも知っていた。
「冗談だとは思わないし、それに…… まあ、ハッフルパフの寮でした話みたいになるけど…… トンクスが本当にちゃんと言ってるかどうかなんて、髪色を見たらわかるけどな」
「は? あ…… あんたねえ……」
自分の髪を慌てて触って、それからオスカーの方をトンクスは睨んだ。しかし、またため息をついて話し始めた。どうも今回は結構トンクスとしては色々考えることがあったのか、冗談もほとんど入れずに喋り続けるようだとオスカーは思った。
「その…… まだ同じ話なんだけど…… 劇の時の話で、クラーナが近い人がケガをしたらどうなるかとか、すぐ考えちゃうことなんてわかりきってたのよ。それこそオスカーと私は…… なのに、あんな怒らせちゃったし……」
「今のをクラーナに言ったら喜ぶと思うけどな」
「うっさいわよ。言うわけないし、それにクラーナはプライド高いからそんなの言ったら怒るに決まってるじゃないの」
オスカーはクラーナから、誰かが危険な事をするのが嫌だという気持ちが分かると、一度直接聞いていた。だから、トンクスが言っている事には…… 本当にそうなのだろうか? という疑問が湧いた。確かに、表ではそうやって怒るかもしれなかったが少なくとも…… だがオスカーもあまりクラーナがそれを聞いてどういう反応をするのかはシミュレーションできなかった。
「俺だったら嬉しいけどな」
「あのね、あんたは自分がだいぶ面白い性格してるってことを覚えた方がいいわ。私がニュート・スキャマンダーであんたを教科書に載せるんなら、危険度で×を五つ付けるもの。オスカー・ドロホフ。キメラも逃げる火を吐き、魔女、特に純血をつけ狙う。ホグワーツに生息。最大で住処の部屋数と同じ、三十の子供を持ち、繁殖力も旺盛」
「それ…… 二年生のクリスマスに言ってた話か。よく覚えてるな」
「あんたも良く覚えてるわね」
二年生のクリスマス、クラーナがセーターの悪戯に気付いてオスカーの部屋にやってきたり、エストが髪飾りの場所に気付いた日の前の日の話のはずだった。
「クリスマス…… ああ…… キメラをチャーリーと使った私が言えることじゃないんだけど…… オスカー、私がオスカーに寮で言ったこと覚えてる? ドーラって言うなっていう話じゃないわよ」
クリスマス? トンクスはいったい何からこの話題を持ち出したのか? オスカーはそっちも気になったが、問いの方も考えた。ほとんど考えないでもオスカーは思い出すことができた。去年のホグワーツ特急に乗った時から、それをずっと考えていたからだ。
「自分でしょって言ってたことか?」
「ほんとに何でも覚えてるんじゃないの? オスカー」
「いや、あれはどうでもいいことじゃなくて、俺が……」
「まあ、とにかく、キメラをぶっ放した私が言えることじゃないんだけど。オスカー、自分のこと考えなさいよ」
文字通り、オスカーの頭の中にクエスチョンマークが浮かんでいた。トンクスから見たオスカーの顔も疑問に満ちていた。オスカーはこの一年間、ずっと自分の事を考えていたはずだと考えていたからだ。
「俺は……」
「キメラも劇の件も、そうね、エストが落ちた時もそうだったけど、先に自分の事を考えた方がいいわよ。助けてもらったり、思われてる方は嬉しいかもしれないけど。それで先にオスカーがつぶれたら…… 多分、あんたが考えてるよりとんでもないことになるわよ」
トンクスの言う自分の事を考えるとは、オスカーが自分で思っているモノとは違うのか? オスカーはそれを考えていた。オスカーは自分が忘れていることが許せないから、自分について考えていると思っていたし、他の誰かが嫌な顔をしたり、辛い顔をするのが嫌だったし、それを座して待っている自分が嫌だったから行動すると思っていた。何か思い違いをしているのか? オスカーはそこが分からなかった。
「トンクスの言う自分の事を考えるって…… 俺には分からないって言うか…… 俺は結局、多分、トンクスが言ってるような事を自分の事だと思って動いてて……」
オスカーが喋り始めると、トンクスはいつかハッフルパフの寮でやった様に、オスカーに近づいてきて、今度は指では無くてグーでオスカーの心臓がある方、左胸に手を押し付けた。自分のモノではない誰かの感触がオスカーにも伝わった。二人は寮で倒れ込んだ時と同じくらい顔が近かった。
「正直、私はオスカーの事、分かるようで、分からないわ。でもこうやったら、あんたと私は別の人だってことくらいわかるわよね?」
「別の人……?」
確かに、こうして誰かの感触があれば、自分とは違う誰かだと認識することができるし、オスカーからするとトンクスが喋っている息遣いすら認識できる距離だった。
「だからオスカーと…… そうね、ニンファドーラは別の人間なわけ。私は私のために息をしてるし喋ってるわ。キメラが目の前に迫ってきて怖いのは私だし、なんとかしないといけないのは私なわけ。自分が辛い時に最初にどうにかしないといけないのは自分だってみんな思ってるわ。だって、自分の事を解決できないのに何もできないもの」
どうして今日のトンクスがこんなに真面目に喋っているのかはオスカーには分からなかった。キメラの事件がトンクスに効いているのだろうか? だが、オスカーには本当に真剣に喋っている事が分かっていた。そうでなければトンクスが自分で自分の名前を使わないだろうからだ。
「自分の事だけ考えろって言ってるわけじゃないわよ。でも自分の事を助けるべきじゃないの? それで自分だけで足りなかったら…… そうね、大体の人間は誰かにいいことされたらやり返すのよ。毎年やってるプレゼントと一緒でね」
「それは……」
オスカーは誰かに喋りたいが喋りたくなかった。灰色のレディや…… 尋ねはしなかったがスネイプ先生ならまだ喋れたかもしれなかったが、目の前のトンクスはオスカーが小さいころあったような事とは真逆の育ちをしているはずだった。
思い上がりかもしれなかったが、クラーナの事が新聞記事に載った時のトンクスの事を考えれば、エストと喧嘩をした時の様にトンクスに全部話してしまえば、どんな反応をするのかはきっとオスカーには分かっていた。それに、オスカーはエストやクラーナと同じで、トンクスにはそういう話と無縁でいて欲しかった。純血キラーだとか、部屋の数だけ子供が云々だとかそういう話をしていて欲しかった。
「私だからこんなんですんでるのよ? だいたい、どっかのプライドの高い二人がどっかの誰かさんの話を私に聞いてくるなんてよっぽどだと思うけどね。それに……」
トンクスはエストとクラーナの顔を順番にやって、顔を替えるごとに笑って見せた。別々の顔なのにトンクスが笑っているのと分かるのは不思議だった。
「この二人の顔がエライことになる前に私なら行動するわね。まあ決闘トーナメントの時にも、あんたじゃない二人に言ったけど、私で我慢しといてもいいわよ。今なら、一時間八ガリオンに負けとくわ」
「俺…… 俺は……」
オスカーが言いかけたところでドアが開いた。レアが半開きのドアから、こっちを目を丸くして見ていた。
「あっ…… す、すいません…… ボク…… ちょっと下で時間をつぶしてきます」
「ちょ、何なのよ!! レア!! 何もやましいことはしてないわよ!!」
「え? で、でも、クリスマスにオスカー先輩の部屋から手をつないで出てきたのはトンクス先輩で…… 今も二人であんな近づいて……」
「つないでないわよ!! 引っ張ってただけに決まってるでしょ!!」
「バタービールのビンは違うテーブルで空いてるのに全然減って無いし…… 何人か来るはずなのにわざわざ小さいテーブルで……」
「ちょっと、思考をやめなさいよ!! レイブンクローっぽいとこを発揮しなくてもいいわよ!!」
「でも…… 私で我慢してもいいわよって……」
「レアが思ってるような意味じゃないわよ!!」
オスカーはやっと学んだ。恐らく、トンクスとの物理的な距離が問題なのではないかと思ったのだ。ハッフルパフ寮、自分の部屋、そしてここ、全部トンクスとの距離が近づくと、こうしてトンクスが誰かと大騒ぎしていると思ったのだ。
「ぼ、ボクが思ってるような意味って何ですか?」
「な…… ちょっとオスカー、あんたいったいレアに何したのよ?」
「と、トンクス先輩…… ボクはトンクス先輩に聞いてます……」
「えええ…… ほんとにレアが何かおかしくない?」
やっぱり気のせいでは無くて、オスカーはレアがちょっと変わった気がした。初めて会った時や、劇の後に怒っていた時の様な性格が段々と普段の時でも出てきている気がしたのだ。
「トンクス、マッキノンのお姫様には気を付けないと吹っ飛ばされるぞ」
「お、オスカー先輩、その呼び方はやめてください!!」
「これ手遅れな奴じゃないの…… 私は責任取らないわ」
オスカーはとりあえず席を大きなテーブルに移動して、バタービールのビンをもう何本か開けた。もう湿っぽい話をしても仕方がないと思ったのだ。ただ、思わず色々言おうとしてしまった何かがオスカーの中で彷徨っていて、何か動かずにはいられなかった。
「それで…… ボクが思ってるような意味って……」
「ちょ…… オスカー、これ他の二人よりヤバイことになっても知らないわよ。私はほんとに何もしないわよ。ほら、レア、オスカーに聞きなさいよ」
「トンクス、ちゃんとレアには答えた方がいいぞ。全身金縛り呪文がレアは得意だからな」
「オスカー!! あんたねえ!!」
「オスカー先輩!!」
正直、オスカーは面白くなってきた。どうもトンクスとレアは面白い相性をしているようだったからだ。もしかしなくても、オスカー達のヒエラルキーに変化が起きそうではあった。
「飲みなさいよ。最初からレアには黙ってバタービールのビンを渡しとけば良かったのよ」
トンクスは面倒になったのか、新しく開けたバタービールのビンをグラスに入れずにレアに渡した。レアは自分に渡されたバタービールのビンを見て目を白黒させた。
「一気飲みしろって事ですか?」
「そうよ、ここにあるの全部飲んだらさっきのに答えてあげるわ」
「なるほど…… 分かりました」
「トンクス、やめろ。ほんとにやるぞ」
オスカーは知っていた。ほんとにやると言ったら、レアは本当にやり切ってしまうし、練習でアバーフォースが贈ってきたバタービールを消費していたのはほとんどレアだった。それもいくらバタービールはアルコールが弱いとは言っても、オスカーのカバンに入る分全部飲んでもレアは顔色一つ変わらないのだ。
「は? 何言ってるの…… ちょ、ちょっとレア」
「何ですか?」
「いつも…… あなた三本の箒でどんな風に飲んでるの?」
すでに二本のビンを空にしたレアは口についた泡を拭って、トンクスに答えた。
「友達にマダム・ロスメルタに見えない様にして貰ってから。グラスにエンゴージオをかけてます」
「ええ…… それってバタービール?」
もう一本を半分くらい空にしてから、また泡を拭って答えた。
「バタービールの時もありますけど…… 蜂蜜酒だったり…… あ、一回はなんか友達がカウンターに座ってた大人の魔法戦士に頼んで、ファイア・ウィスキーを買ってきて…… その魔法戦士がボクたちが肥大呪文をかけたファイア・ウィスキーを見て、一気飲みしたらおごるって言ったので、ボクがそれを飲みました」
「ちょっと、オスカー、こいつヤバいわ」
「こいつって……」
そうこう言っている間に、恐らく一人につき二本分で一ダースあったバタービールが、もう半分からになってしまった。
「レア、ストップ。ストップだ。これだとみんなの分が無くなるから」
「そ、そうよ。ストップしましょう」
「アバーフォースさんにボクがお金をだして貰ってきたらいいですか?」
「多分、あの人、レアから絶対にお金受け取らないぞ。俺もさっき、これまでのお礼言おうとしたら、そんなもん知らんって言われたし、多分このバタービールもそうだぞ」
「え……」
やっとレアがバタービールを飲むスピードが弱まった。すでに八本空になっていた。オスカーはクラーナとは別の意味でレアに何か飲ませる時は注意しないといけないと理解した。
「ちょっと…… レアとクラーナをこう、マンティコアとかキメラみたいに組み合わせれば、身長もお酒もちょうど良くなるんじゃないの?」
「私が何ですか? またあほなこと言ってるんでしょう? と言うかエストを止めるのを手伝って下さいよ」
「エスト?」
扉を開けたクラーナの後ろにはチャーリーもいたが、エストの姿はオスカーには見えなかった。
「そうなんだよ。エストが何か、ホッグズ・ヘッドを綺麗にするの!! って言ってるんだよね」
「ホッグズ・ヘッドを綺麗にですか?」
「確かに汚いし臭いわよね」
ちょっと、オスカーも急展開すぎて頭がついていかなかった。真剣なトンクスに、バタービールを湯水の様に飲み干すレアに、掃除を始めるエストと、オスカーが事前に考えていたホッグズ・ヘッドでのひと時とは全く違っていたからだ。
「とりあえず下に降りればいいのか?」
「そうした方がいいと思います…… 今さっき、なんかあのバーテンに綺麗にしていいよね? とか聞いてましたから」
「アバーフォースさんはフンとしか言ってなかったけどね。多分本気にしてないんだろうなあ」
「それヤバイやつじゃないの。レアと言い、ヤバイやつばっかりだわ」
「え? ボクヤバいんですか?」
リータ・スキータを目の前で逃した階段を降りて、オスカーは一階のバーまで降りてきた。何やらガシャ、ガシャやドン、ドンといったモノが動く音が聞こえていた。
「お前ら…… いったいあの娘は何がしたいんだ?」
「アバーフォースさん…… どういう状況なんですか?」
「わかるわけないだろう。とにかく、客をあっという間に叩き出して、机やグラスを端に退けおった」
一階のバーにはオスカーが来た時には数人の怪しい客がいたはずなのだが、今や誰もいなくなっていて、机や椅子は全部部屋の端の方へと積み上げられていた。バーの真ん中でエストが杖を振っている。
オスカーがエストに近づこうとすると身振りで止まれとエストが合図してくる。
「ちょっと床のこれをはがすからどいててね」
「床?」
またエストが杖を振ると、床に恐らく何百年という年月に渡って降り積もり、踏み固められて石の様になったほこりがボコボコと言う音を立てながら剥がれていった。
そして、何百年も見えなかったであろう石畳が下から現れた。また、今度は壁にはまっているまるで曇りガラスの様になった窓ガラスへと杖を振れば、外の光がホッグズ・ヘッドへと差し込むようになった。
「ちゃんとした魔法がいるのはこのくらいだと思うの」
「なんでそもそも掃除なんかしてるんだ? というか他の客はどうしたんだ?」
「だって汚いもん。他のお客さんはね、クラーナの叔父さんが今から来ますって言ったらあわてて出て行ったの」
「なんでそこでアラスター叔父さんの名前が……」
確かに、ダンブルドア先生の名前と同じくらい、その名前は薄暗い人たちにとって効果がありそうだった。少なくとも、オスカーはこんな所でしか飲めない人たちがマッドアイの魔法の眼を気にしながら飲めるとは思えなかった。
「でもまだ汚いけどどうするのよ? と言うかこれ床は石畳だったのね、てっきり土だと思ってたわ」
「こういうのは魔法使いよりくわしい人たちがいるの。オスカー、ペンスさんって呼べる?」
「え? ああ、ペンス」
エストに言われるままにオスカーはペンスを呼んだ。バチッと言う音と共にペンスが相変わらず完璧なお辞儀をして現れた。
「どうなされましたか? オスカーお坊ちゃま?」
「ああ、エストが……」
「オスカーお坊ちゃま、この様な不衛生な場所に出入りしてはなりません。このペンス……」
「ペンスさん、その為にオスカーに呼んでもらったの。ねえ、屋敷しもべってペンスさん以外もいるよね?」
一瞬でオスカーをここから連れ出すべく喋り始めたペンスをエストが遮った。オスカーはなるほどと思った。確かに、屋敷しもべ妖精以上に掃除が上手い生き物は存在しないだろうからだ。
「これは失礼いたしました。エストお嬢様。確かに我々の様な屋敷しもべは沢山おります」
「ホグワーツにはいっぱいいるよね?」
「はい、イギリスのどの屋敷よりもホグワーツには屋敷しもべが詰めております」
「じゃあ、その人たちを呼ぶことはできる?」
「申し訳ございません。エストお嬢様。ここはドロホフのお屋敷では無いので、わたくしめはオスカーお坊ちゃまのご命令でないと動けないのです」
「エストの言う通りにやってくれ」
「承りました。すぐに戻ってまいります」
ペンスはまた音を立てて消えた。確かに屋敷しもべがホグワーツに沢山いるというのは母親の記憶を見て、オスカーは思いだしていた。しかし、ペンスが屋敷の外ではオスカーの命令が無いと誰の命令も聞かないというのはオスカーにとって新しい事実だった。
「他の屋敷しもべを呼ぶんですか? エスト先輩?」
「だって一杯いた方が早く終わるでしょ?」
「本気でこのホッグズ・ヘッドを綺麗にする気なんですか?」
「まあでも、屋敷しもべが一ダースもいればあっという間に綺麗になっちゃうかもね」
アバーフォースは全く展開について行けない様で、諦めたのかカウンターの向こう側に引っ込んで、ぼろきれでグラスを拭いていた。
次の瞬間、まるで爆竹の様にバチっと言う音が連続でして、色んな服装、ベッドカバーやら、ティーバック、靴下なんていう良く分からないモノをまとった大量の屋敷しもべが現れた。オスカーはペンスが屋敷しもべとしてはかなり服装に気を使っている方なのだという事を初めて知った。
「つれて参りました。エストお嬢様。この屋敷しもべ達はあなた様の言う事なら喜んで聞くと言っております」
「なんか、エストって、肖像画とかゴーストとか、ホグワーツに住んでるモノから好かれてるわよね?」
「そうかな? 血みどろ男爵はそうかもしれないけど…… あのね。この建物を綺麗にして欲しいんだけどできる? ホグワーツの生徒とか先生も使うらしいし、あそこにいるアバーフォースさん、校長先生の弟さんにもOKは貰ったの」
果たしてアバーフォースが本当にエストが何をしようとしているのか分かってOKを出したのかは怪しかった。だが、屋敷しもべたちにとってもダンブルドア先生という名前は大きかったらしく、さらに屋敷しもべ達の姿勢が良くなった気がした。
「オスカーお坊ちゃま。このペンスも承ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいけど」
「ありがとうございます」
そこからはあっという間だった。恐らく長年の埃やタバコの煙などで真っ黒になっていた柱や壁などはあっという間に元の色を取り戻し、屋敷しもべ達はアバーフォースの傍にある食器やカウンターも輝くほどに磨き上げた。もうぼろきれはぼろきれでは無く、純白の布巾になっていたし、床の石畳には埃一つなく、つるつるで燭台の炎が反射して見えるくらいだった。
オスカーは魔法使いだったが、まさにこのホッグズ・ヘッドの変わりようは、魔法使いの卵からしても魔法の様だった。
「凄いなこれ」
「ヤギの臭いもどっかにいっちゃいました……」
「一匹欲しくなってきたわ。うちにも一匹必要って分かったもの」
「屋敷しもべは大きな屋敷じゃないと来ないんだよ。それに多分、トンクスの家より、僕の家の方が必要だろうなあ」
アバーフォースは周りを何度もキョロキョロと見回して挙動不審だった。恐らく、こんな状態のホッグズ・ヘッドなどアバーフォースでさえ見たことも無いのだろう。
しばらくすると、机や椅子が浮かび上がってもとあった位置に戻った。この状態のホッグズ・ヘッドならば、マダム・ロスメルタと立地条件という要素さえなければ、三本の箒といい勝負ができるのではないかとオスカーは思った。
「オスカーお坊ちゃま。エストお嬢様。上の階まで全て終わりました。しかし、オスカーお坊ちゃま、余り汚い場所に足を運ぶのはお控えください。オスカーお坊ちゃまは強力な魔法使いになられるかもしれませんが、世間には龍痘を始めとして、魔法使いに危険な病気も潜んでおります。ではまた何時でもお呼び下さい、このペンスいつでも呼び出しをお待ちしております」
ペンスはバチっという音と一緒に消えた。ホグワーツの屋敷しもべ達も先に帰った様だったので、ホッグズ・ヘッドはもうオスカー達六人とアバーフォース、アリアナの肖像画しか人はいないはずだった。
「はあ。あの屋敷しもべはほんとに筋金入りの屋敷しもべですよね。あそこまでいくと奴隷根性でも見るところがあります」
「ちょっと夏休みに代わって下さいって言ってきたら? オスカーお坊ちゃまのお世話ができるわよ。オスカーのローブからパンツまで洗い放題じゃない」
「ニンファドーラは脳みそをスコージファイして欲しいんですか? そうなんですよね?」
二人は相変わらずだったのでオスカーは安心した。キメラの騒動があって何か変わるかと思っていたが、何も変わらないようだったからだ。ちょうど二人が何故かお互いにスコージファイをかけ合っているその時、完璧に清潔感の漂うホッグズ・ヘッドの扉が開かれた。
全身、体の上から下まで分厚いベールに包まれている人物だ。服装からなんとか魔女だろうと言う事は分かる。確か、この魔女はオスカーが最初に入ってきた時もいたはずだった。随分と長身なその魔女は、そのまま綺麗になった壁や柱をべたべた触っているエストの方へと歩いていった。
「失礼。本当はアラスター・ムーディなど来ないのでしょう? それに、さっき貴方が机を動かしたせいで、私の万年筆が折れたのだけど。火蟹の宝石のついた」
何かトラブルかと思って、オスカーはあわててエストの方へと行ったが、エストはそのやたら分厚いベールをしたからのぞき込んで、どうも魔女の顔を見ている様だった。
「ウソなの。それにあなたは魔女じゃないの」
「何を……」
エストが杖を振るとそこにいたのは、ボロボロのマントを着た、酒臭さとタバコ臭さのする男だった。無精ひげに、ちゃんとした場所で髪を切っていないのか髪は不揃いでバラバラの赤茶色、そして何か犬の様な、悲し気な腫れぼったい眼が特徴的だった。
「フレッチャー、お前は出入り禁止のはずだ」
「フレッチャー? マンダンガス・フレッチャーなの?」
「ダング?」
「え? ボクも知ってます」
最初にアバーフォースとエストが、それに合わせてクラーナとレアが反応した。オスカーと同じ様に、チャーリーとトンクスは誰だか分からない様だった。
「おん……? 誰……? イライザ? いやそんなわけねえから…… 妹の方か……?」
「フレッチャー!! 聞いているのか? お前は十何年前からここは出入り禁止だ」
マンダンガス・フレッチャーと呼ばれた男はクラーナの顔を見ていたが、アバーフォースがマンダンガスの耳をおもっいっきり引っ張って耳元で叫んだ。
「痛てえ!! やーめろ、やめろ!! そっちの金髪は…… マーリン? そっちのは…… 眼がギデオン??」
「ありもしない万年筆でエストを揺すろうとしてたんですか? ダング? 私なら絶対にそういう相手にエストを選ばないですね。命が何個あっても足らないでしょう」
どうもこのマンダンガスという男は見ため通りに一筋縄ではいかない相手の様だったが、クラーナの言う通り、相手を間違えたらしい。
「ちょっと誰なのよ。説明しないとアバーフォースさんと、エストにちょっかいかけられて怒ってるオスカーがこの人をキメラのエサにしちゃうわよ」
「しないけどな」
「三人の知り合いなんだ?」
確かに説明してもらわないとオスカーともう二人には何が起こっているのかもわからなかった。
「多分、もう三人には言っていいと思うんだけど。不死鳥の騎士団って言う、死喰い人と戦ってた団体があって、エストのお父さんと叔父さん、クラーナのお姉さんと叔父さん、レアのお父さんとお母さん、それにアバーフォースさんとこのマンダンガス…… さんもメンバーなの。クラーナの叔父さんが前に写真を見せてたよね?」
「メンバーなのにここは出入り禁止なのね、この人」
「ボクのママはこの人が来た時は絶対会わせてくれなかったんです。何か教育に悪いって言って」
なるほど、不死鳥の騎士団と聞いて、オスカーは闇祓いやホグワーツ教員と言った、規律や理念に燃えた人間たちが集まっているモノかと思っていたが、どうも全員がそうでは無かったようだった。
「おい、アブ、いいかげん俺を離してくれよぅ」
「黙れ!! 馴れ馴れしくするんじゃない!!」
「でも、なんかバーも綺麗になってるしよぅ。それにイライザの妹が……」
「アバーフォースさん。ちょっとこの人と喋ってもいいですか?」
レアがそう言うとやっとアバーフォースはマンダンガスを離した。離すと同時にさっきピカピカになった石畳に思いっきり鼻をぶつけていた。
「くそ、痛てえ。なんだってこんな……」
「ダング、そこに座ったらどうですか?」
オスカー達は何故か突然の来訪者のマンダンガス・フレッチャーと机を囲むことになった。アバーフォースはオスカー達には無言でバタービールを出し、マンダンガスからは無言で小銭をひったくった後、ほとんどのグラスは磨き上げられたはずなのに、どうやったのか汚いグラスを持ってきてマンダンガスに出した。
「お前たち、こいつはならず者だ。気をつけろ。兄がこいつの事を何と言ってもな」
「何もしねえよぅ。いくら俺でもイライザの妹には何もしねぇ」
一体、ダンブルドア先生やクラーナの姉とこの男の間に何があったのかはオスカーも興味がそそられたが、それはかなり聞きにくそうな話だった。
「あ、マンダンガスさん? ボク、レア・マッキノンです。多分会ったことは無いんですけど……」
「うんにゃ…… その髪色と顔で分かる」
「エストは、エストレヤ・プルウェットなの」
「眼で分かる。ちげえねえ」
何と言うか、今までオスカーがほとんど会ったことのないタイプの人間だった。この目の前のマンダンガス・フレッチャーと言う男は。
「私はニンファドーラ・トンクス」
「僕はチャールズ・ウィーズリー」
「ウィーズリーの方はあー、見たらわかる」
オスカーは自分も自己紹介をしようとしたが、クラーナの質問に遮られた。
「ダングはまだ不死鳥の騎士団なんですか? というか不死鳥の騎士団ってまだ活動してるんですか?」
「騎士団? ああ、まだ…… 最近、ダンブルドアが時々なんか連絡をよこしてたよぅ…… なんかマグルの新聞がどうとかで…… でもそれくらいで、今は最低限しか繋がりはねぇ……」
ダンブルドアが何か連絡をよこした? 不死鳥の騎士団に? オスカーは少しそれが気になった。マンダンガスはポケットからパイプを出して吸おうとしたが、アバーフォースに取り上げられた。
「連絡って、あの守護霊のやつですか?」
「そうだ…… あー、ダンブルドアが発明した」
守護霊を使った連絡? そんな方法があるのだろうか? オスカーはそれも気になった。どうも、オスカーが聞いたことのない情報をこのマンダンガスと言う男が持っているらしかった。
「あ、オスカーの自己紹介を止めてましたか?」
「俺が自己紹介してもしかたないけどな。ああ、俺はオスカー・ドロホフだけど……」
マンダンガスはオスカーの顔を見て、何か思いだすように長い赤茶色の髪をかいた。
「あんた…… うン、ドロホフ? ああ、あんたの親父の方は…… おっかさんは気の毒だったな」
「どういう意味だ?」
オスカーは思わず口が頭よりも先に出た。
「うんにゃ…… どういう意味っちゅうと…… あんたのおっかさんは、死喰い人と騎士団と…… 闇祓いの三つ巴に巻き込まれたけぇ…… あの時、俺もあんたの親父も、イライザもいたから覚えてンだ」
オスカーの頭の中に、まるで真っ白い紙に黒いインクを垂らしたように、何かが広がって行った気がした。
自分は母親がどうやって死んだのかを聞かされていないし、それを例えば、キングズリーに聞こうとはしなかった。もちろん、その前に衝撃的な事件があって、加えてのショックだったのでオスカー自身がそれに耐えれなかったのかもしれなかった。
だが、オスカーの中にあったのはもっと違う疑念だった。簡単な話、母親の話を誰かに聞かなかったのではなく。誰かによってそれも消されているのではないのか? ただ、オスカーが母について知っているのは、戦争のごたごたに巻き込まれて死んだという事だけだ。それでオスカーは疑問に思わなかった。
「えーと、オスカー? あんた聞いてるンか?」
「オスカー、聞いてますか?」
「オスカー、ねえちょっと聞いてるの?」
そうではなくて、自分が取り戻そうとしている記憶そのモノに関わっているのではないのか? だから思いだせないのではないのか?
一度、落とされた何かが、じわじわと広がっていった。自分はいったい何を忘れている?
未成年の飲酒は日本では許されません。また、一気飲みは論外な上、近年ではアルコールハラスメントとされます。
アルコール、その他、元気爆発薬等を服用後の箒の使用は謹んでください。