踏ん切りがオスカーはつかなかった。簡単な話、話してくれるかは分からなかったが、スクリムジョール先生に聞けば闇祓いに関する話をしてくれるのではないかと思っていたのだ、しかし、その踏ん切りがつかなかったのだ。
キングズリーに手紙を送るでも、クラーナを通してマッドアイに連絡を取るでも良かったかもしれなかったが、オスカーはそのどれも行動に移せてはいなかった。
「見てましたか? オスカー先輩? 今、結構動かせました!!」
「バタービールどころか机ごと吹っ飛んでいったな」
オスカーの内心の停滞とは対照的に、レアの練習の結果は目覚ましいモノだった。小さく複雑な動作はまだレアにも出来ていなかったが、彼女はすでに杖を無しでも、相当な質量のモノを動かすことができていた。
「もう一回やります。見てて下さい」
「分かった」
吹っ飛んでいった机、バタービールのビン、椅子がレアが手をかざすだけでゆっくりと元の形に戻った。このままいけばレアが記憶の中の様に、器用に色んなモノを動かせるようになるのは時間の問題にオスカーには思えた。
「よし!! やった!!」
「凄いな、いつだったかの朝と比べると別人みたいだな」
「いつだったか? ですか?」
オスカーが今のレアを見て、思いだしたのは必要の部屋での一件があって、医務室で寝た次の日の事だった。あの時のレアはウィンガーディアム・レヴィオーサーで羽ペンすら上手に浮かせれなかったのだ。
「ほら、羽ペンを浮かそうとしてただろ」
「あ…… あの時は……」
「あの時みたいに…… 今は杖なし魔法だから、レアに俺の杖…… じゃないな、手を持ってもらうくらいしかないな」
「えっ!! て、て…… 手ですか?」
レアはわたわたしていたが、オスカーはそれを見ながらも、自分がすぐに自分の記憶の事を考えようとしてる事に気付いていた。さっきのレアとの練習から連想して、いつの間にかクラーナとやった開心術について考えていたし、最近、何を考えてもそれに思考が向かっている気がしたのだ。
その点、決闘トーナメントという当面のやることがあると言うのは、何とか、違うモノに意識を向けれると言うところで良かったのだが、レアとの閉心術の練習が終わって、緊張感が少し無くなると、やっぱり、記憶について考えてしまうのだ。
「ぼ、ボクは構わないですけど……」
「それか、俺はまだ練習に時間かかる気がするから、何かレアに決勝でもっと戦術とかそう言うのを考えて貰った方がいいかもな」
「戦術? ですか?」
「ああ、流石にキメラとか、生ける屍の水薬の霧とかはやりすぎだけど、箒とか目くらまし呪文みたいなのなら大丈夫だろ」
もし、決勝がエストとクラーナが相手なら、いくらオスカーに多少決闘の覚えがあったり、レアがワンドレス・マジックをモノにしたとしても、正面から戦うのは相当厳しい戦いになるに違い無かった。
「分かりました。考えてみます」
「うん。俺も考えてみるし、決勝で当たるかもしれない人以外なら誰かに聞いてみてもいいかもな」
チャーリーやトンクスに聞くのだって反則ではないだろうし、スリザリンやレイブンクローの先輩や同級生に聞くのも選択肢としてはあるはずだった。
「そろそろ、昼飯を食べて準決勝見に行くか。俺たちは何もしないだろうけど」
「そうですね。まだ医務室で六人くらいがずっと寝てて起きて来ないそうなので……」
生ける屍の水薬の被害にあった生徒達は段々とホグワーツの生活に復帰し始めていたが、最初の方に水薬を吸ってしまった数人、特に試合を行っていた四人は未だに医務室のベッドの上だった。
それにその水薬の事故やキメラが使われたことを見て、先生方の人員を増やすため、決闘トーナメントの日は全日、授業を取りやめにしている様だったのだ。
「まあビルが相手だし、エストとクラーナもそんなに一筋縄ではいかないだろ」
「あ、あんまり先輩方の苦戦を願うのは良くないんですけど。ちょっと消耗して貰わないと困ります」
二年生の時にエストが決闘していたのを見ていた時のオスカーの心境からすれば、随分と色々考えている事は変わっているに違い無かったし、それがオスカーにとってどういう意味なのか、オスカーには分かっていなかった。
「じゃあ、オスカー行ってくるね? あ、これ賭けの割符? なの。もしエスト達が勝ったらグリフィンドールの人に貰いにいってくれる?」
「分かった。じゃあ二人共、キメラに遭ったらちゃんと逃げてくれ」
「その時はケトルバーン先生をキメラと一緒にトランクに入れて鍵をかけますよ」
「頑張ってくれ」
二人を見送って、オスカーは席についた。今回はレイブンクローの生徒が出席しないせいか、オスカーの座っている側のスタンドにはスリザリンとレイブンクロー学生が陣取っていた。簡単な話、レアしかもうレイブンクロー生がいないからなのだろう。
オスカーが席に着くと、ジェマが何故かホグワーツ特急で一緒にいた二人と一緒にオスカーの方へと近づいてきた。
「オスカー先輩。試合の後にエスト先輩に飲み物を渡して欲しいんですけど。いいですか?」
「俺がか?」
「そうです。オスカー先輩じゃないとダメですね。できれば玄関ホールあたりで渡したいんですけど」
何故か後ろのパーシーとウッドは心配そうな顔をしていた。オスカーからすれば、グリフィンドールの二人とジェマが未だに一緒にいるのは意外だった。
「バタービールか何かか? 別にいいけど…… パーシーとウッドだったか? ジェマと仲がいいのか?」
「ウィーズリーはがり勉だけど頭はいいですし、ウッドは箒の事しか頭に無いですけど、体力はあるので協力して貰ってるんです」
ジェマがそう言うとグリフィンドールの二人はあからさまに嫌そうな顔をした。何かジェマに弱みでも握られているのだろうか? オスカーはちょっと心配になった。
「パーシー、ウッド。なんかジェマで困ってたら俺かエストに言えばなんとかなるぞ」
「困るってなんですか? このウィーズリーは、これまではエスト先輩に尻尾を振ってたのに、今はムーディ先輩に尻尾を振ってる奴だからどうにもならないですよ」
「尻尾を振ってるって……」
「俺は箒を教えて貰いたいだけなので大丈夫です」
箒を教える? チャーリーにでも教えて貰うのだろうか? オスカーはいまいちウッドが言っていることは理解できなかった。
「じゃあ、私たちはちょっと試合の間抜けるので、先輩の応援をお願いします」
「分かったけど……? 試合見ないのか?」
「ちょっと用事があるので」
一年生三人はあっという間にオスカーの目の前から姿を消した。オスカーは少し、パーシーが心配そうな顔をしていたのが気になったが、思えば、夏休みの間もずっと心配そうな顔をしていたのを思い出したので、思い過ごしだと思ったし、それに一年生では危険な魔法や魔法薬を使えるわけが無いので、大変な事にはならないだろうと思ったのだ。
「あれ? エスト達もういっちゃったの? てか、いまパースがいたわよね?」
「ウッドもいたね、コンパートメントにいた三人だよね?」
「一年生ですか? スリザリンとグリフィンドールなのに仲がいいんですね、あの三人」
「エストとクラーナはもう行ったし、ジェマたちはエストに飲み物を渡してくれとか言ってたな、まあ多分、先生方が今はここにしかいないから、ちょっと抜け出して、飲み物でも買いに行ったんじゃないのか?」
そう、この決闘トーナメントの時間は管理人のフィルチやハグリッドも含めて、先生方全員がここに集まっているのだ。だから何か先生の目を盗んでやるには格好の時間だった。
「流石オスカー、ほんと悪い事には察しが良いわよね。私も何かこの隙に、フィルチの管理人室に悪魔の罠とかマンドラゴラとか置いとけば良かったわ」
「退学になっても俺は知らないからな」
「多分、フィルチだと対応できないから最悪死んじゃうよ」
「うーん…… ボクもフォローはしないです……」
オスカーは思った。やっぱり、トンクスは反省していないのではないだろうか? 魔法使いにキメラをぶつけるのと、魔法を使えないフィルチに悪魔の罠をぶつけるのでは大して変わらない気がした。
「まあ流石に昨日の今日でやったりしないわよ。この前のホグズミードでゾンコに行ったから、その商品辺りで手を打っておくわ」
「というか、どうも誰かが何かやって犯人が分からないと、フィルチが俺のせいにしてる気がするんだよな」
「あれも段々と酷くなってるよね」
「ピーブズがオスカー先輩とエスト先輩の言う事を聞くからじゃないですか?」
レアの視点は確かに鋭い考察かもしれなかった。フィルチが恐らくホグワーツで一番嫌いなピーブズがオスカーには何もしてこないのだ。それも元々フィルチにオスカーはトンクスの助力もあって嫌われていた、つまり、色々とオスカーのせいではないはずなのに嫌われる要素が増えていっているのだ。
「なるほど? それもだいたい俺のせいじゃ無くないか?」
「いいじゃない。私より校内でフィルチに嫌われてるのはオスカーとピーブズくらいよ。ホグワーツの出入りチェックもオスカーがいると私には見向きもしないもの」
「相当だよね。オスカーがいると確かに他の人のチェックは緩いんだけどね」
「あ、そろそろ始まりそうです」
ステージを挟んで両側にエストとクラーナのペア、ビルとハッフルパフの監督生のペアが立っている。スクリムジョール先生がまた開始の合図をする。
「今回のステージはここだ」
ステージがまた変化する。今度のステージは何やら煌びやかだった。真ん中には黄金の色をした噴水がある。魔法使いに魔女、ケンタウルス、小鬼、しもべ妖精、吸血鬼やトロールと言った魔法界に関連する生き物たちが像になってその噴水の中に鎮座している。
噴水の他には周りを囲うように大量の暖炉が設置されていたが、その他には目立ったモノは何も無かった。両組みのペアは噴水のあるフロアに繋がる階段に立っていて、お互いの姿も噴水の向こう側ではあるが見える様だった。
オスカーはこの光景には強烈に見覚えがあった。
「何か綺麗なステージじゃないの」
「あれ? これって魔法界の同胞の泉なんじゃ?」
「そうだよね、これって魔法省に煙突飛行で行くと最初に見える噴水だよ」
そう。レアとチャーリーの言う通り、このステージは恐らく魔法省の一部のはずだった。オスカーもその場所を覚えていた。このフロアは煙突飛行の暖炉があるのに加えて、他のフロアとも繋がっているはずなのだ。
「それでは、準決勝を始める。これまでのルールを順守して行うように、では、始め!!」
両方のペアが噴水に向けて動きだした。変身術を使うのなら、それをかける対象が重要なので、その選択は間違っていないはずだった。
オスカーは試合の展開よりも、自分の記憶に頭を動かしていた。オスカーは間違いなくこの噴水を何度か見たことがあった。そう、地下牢の様な尋問や裁判をするための場所にここから連れて行かれたことがあったはずなのだ。
「ほんと、冗談みたいな魔女よね、エストって」
「嘘…… 凄い」
「うーん。エストに魔法生物分類だとXを五つつけないといけないよね」
トンクス言う通り、オスカーが二度見しないといけない光景が広がっていた。泉の水がエストの魔法に捕らえられて、球体となってステージの上に浮いていた。観客席からはこれまでにないくらいのどよめきが湧いていた。
「流石にエストでも余裕の顔でできるわけじゃないのね、あれ」
「俺の万眼鏡…… いつの間に……」
「ほら返すわよ」
万眼鏡で見れば、どうも、エストの方も相当集中しないと上空に浮かんでいる水を保つことはできない様で、かなり顔をしかめて杖と手を空中にやって維持している様だった。
「今のエストなら攻撃し放題だよね?」
「あんなのが空中にあったら、ボクなら近づくのも嫌だ……」
ビルのペアはレアと同じ様に感じたのか、水球が浮かんでいる噴水に近づくのを止め、噴水越しにエストに呪文を唱えようとしていたが、全てクラーナが弾き飛ばしているようだった。
「大技をエストがやって、クラーナが守りかとどめをやってるんだよな。いっつも」
「そういやそうね、本を鳥に変えてぶつけてた時も、川を凍らせた時もそんな感じね」
レアの嫌な予感はあたったようで、水球はまた形を変えて、幾本もの水流になって空中を通り、ビルのペアに向かって行った。
「何をどうやったらあれができるのかな?」
「先生でもできるんでしょうか? マクゴナガル先生とかフリットウィック先生なら?」
水流は最短距離で相手のペアに向かっているようで、ビルたちが動けばそれに合わせて向きを変えた。
ビルが噴水の銅像の一つに魔法をかければ、それが動きだした。ハッフルパフの監督生に水流が迫っていたが、その銅像、恐らく魔女の銅像が水流を受け止めた。
水流は銅像に当たったと思えばその銅像を凍り付かせて動けなくし、そのままハッフルパフの監督生に向かった。監督生はそれを見てあわてて走り出した。
「ちょ、ちょっと何なのよアレ。どうやったら止まるのよ」
「操ってるエストを止めないとダメなんじゃないか? それにあれを防いでもそもそも一本じゃないしな」
そう、近づいていた水流は一本だけだったが、今や十本近い水流がビルのペアに迫っていた。ビルは今度はケンタウルスの像に魔法をかけ、ケンタウルスの像は動き出したかと思えば、隣の魔法使いの像の顔をもぎ取った。
そしてその顔をフルスイングで放り投げ、上空で水流を生み出している水球の中へ入った。ビルがその水球に向けて魔法をかけると、水球は文字通り爆発した。
水が四方に飛ばされて、ほとんど水蒸気になった様だったが、オスカー達の席の方でもひんやりとした感覚があり、ローブも少し湿ったようだった。また観客席からは歓声があがり、グリフィンドール生が集まっている向こう側ではビルの名前をコールにして呼んでいるようだった。
「ボンバーダかコンフリンゴを唱えてから投げたんでしょうか?」
「あの水の線みたいのなのも、上の球が無くなったら消えちゃったね」
動けるようになった魔女の像とケンタウルスの像を従えて、ビルと監督生が噴水を回り込み、クラーナとエストの方へと向かった。
しかし、それは悪手だったとしか言いようが無かった。オスカーがビルなら絶対にまず泉には近づかないか、使えない様に破壊したはずだったからだ。変身術でエストに挑む様な事をオスカーなら絶対にしなかった。
「やっぱり反則よね、エストは出場禁止にするべきじゃない? あんなの、普通の蜘蛛にまざってアクロマンチュラが出てくるようなもんよ。普通の生徒とエストだとそれくらい違うじゃないの」
「ぜ、全部動かせるんですか…… あんな魔法を使った後に……」
「オスカー、決勝ではキメラを使ってもいいんじゃないかな? ドラゴンでもいいかもね」
ビルの魔法がかかっていない像が全て動き出した。トロールや巨人と言った大きな図体を持つ物から、小鬼やレプラコーン、屋敷しもべと言った小さい物まで全て動き出したのだ。
さらに問題なのは恐らく水から作り出したであろう、氷でできた槍や斧の様なもの、それに加えて弓矢や礫の様な飛び道具まで像たちは持っている事だった。
「ちょっと今からエスト達に賭けてこようかしら、悪いわねオスカー」
「ここにエスト達に賭けた分の割符ならあるけどな」
「エストが買ってたやつだよね? これ、エスト達とオスカー達の分両方なんだね」
「うわ。トーナメントの開始時からこんなに賭けてたんですか? 今日の分も買ってあるんだ」
オスカー達が賭け事の話をしている間にもステージ上では戦闘が続いていた。ビルたちのペアも像を呪文で吹き飛ばしたりして応戦していたが、何より数に押されていた。すでに魔女とケンタウルスの像は粉々に破壊されていたし、大量の像の後ろからクラーナが呪文を投げかけていた。
「まあ、とにかく呪文をかけられるモノが無い場所で戦わないとダメだな。ビルでもあれは厳しいだろうし」
「あんなの無理です。あの状態でクラーナ先輩と決闘なんでできない……」
「正面からでもやりたくないのにね」
「まあそうなるように二人は動いてるんだよね、エストが状況を操って、クラーナが確実に潰しにいってるみたいだし、さっきオスカーが言ってた通りだと思うよ。多分、考えてやってるんだと思う」
粉々になった像はまた姿を変えて、黄金の槍や剣になった。残っている像たちが氷の武器に代わってそれを使い始めた。新しい武器はなにやら呪文を弾く効果までついているらしく、何回か呪文を唱えないと壊れそうに無かった。オスカーから見ても、もはや趨勢は決している様に見えた。
「ああ、やられちゃったわね。最強のウィーズリーでも勝てなかったわ」
「最強のウィーズリーは多分ママだけどね」
像に詰められて、クラーナの呪文をなんとか凌いでいたビルだったが、監督生が失神呪文を受けた直後に、しもべ妖精の像がビルの杖を吹き飛ばした。ほとんど危なげもなく、エストとクラーナはトーナメントを勝ち上がってしまった。
「掛け金と飲み物を貰ってくる」
「飲み物? さっきジェマと話してたやつ?」
「そうだな、なんか玄関ホールで渡すとか言ってたから行ってくる。二人が先に来たらお疲れ様だって言っといてくれ」
「分かったよ」
「分かりました」
スクリムジョール先生のそこまでという声が聞こえている中、オスカーはグリフィンドール生が集まっている側の観客席へと向かった。今日は緑色のセーターを着ていたので、グリフィンドール生たちの視線は結構な数がオスカーの方へと集まっていた。しかし、どちらにしろグリフィンドール生が決勝戦に行くことは試合前から決まっていたので、彼らはオスカーの存在を無視できるほどには上機嫌な様にオスカーには見えた。
逆にハッフルパフの方の観客席は決勝戦に行けなかったため、静まりかえっているようだった。
賭けを行っている生徒達の所には色んな色のローブを着ている生徒が集まっていたため、すぐに場所は分かった。オスカーはちょっとグリフィンドール生の胴元に嫌な顔をされた。その理由はすぐに分かった。どうもエストは相当な掛け金をトーナメントの最初から賭けていたらしく、それはオスカー達が出場する試合全部に賭かっており、初期の倍率なので相当高い額が戻ってきたのだ。
オスカーの財布には多分、チャーリーが見たらおかしくなりそうな額が入っていた。少なくとも今年、ウィーズリー家の金庫で見た額の十倍はありそうだった。
今日は一試合なので、すでに出入口は大広間から出ようとする生徒達でごった返しており、オスカーは何人かに吹っ飛ばされそうになりながらなんとか玄関ホールまで出た。余りの人の出入りにオスカーは戻るのが少し億劫だった。
「あ、オスカー先輩、これです」
「ああ、なんだこれ? 蜂蜜酒か?」
すでに待っていたジェマに、オスカーはいつかクラーナが飲んでいた様なタルをイメージしたグラスを渡された。
「ちゃんとエスト先輩に渡してくださいね? じゃあちょっと先輩呼んできます」
「俺が行けばいいんじゃないのか? あと試合結果は聞かないのか?」
「そんなのやる前から分かってます。それにダメです。ここにいてください。それでちゃんと渡してください」
「わ、分かった」
ジェマの剣幕に押されて、グラスを渡されたオスカーは言う通りに玄関ホールに突っ立っていた。パーシーとウッドは何かオスカーの方に謝る様な動作をすると、ジェマについて大広間へと消えていった。
どうもオスカーは釈然としなかった。三本の箒に三人は行ったのかと思っていたが、それだとどうも時間が少なすぎる気がしたのだ。
蜂蜜の黄金色をしたグラスの中身を見て、オスカーは匂ってみた。蜂蜜の甘い匂いでほとんどアルコールの匂いはほとんどせず、いつかオスカーが飲み損ねた蜂蜜酒に違い無かった。しかし、どうも、どこかで匂った様な香りが代わる代わるにした。
リンゴの様な香り、オレンジの様な香り、ミントの様な香り、甘いお菓子の様な香り、それにカモミールの様な香りがした気がした。
全部、どこかで香った気がするのにオスカーは思いだせなかった。それに少なくとも毒の様な香りでは無かった。もちろん、無臭やいい匂いのする毒もあるはずなのでそれで判断することはできなかったが。
「ちょっとそれ蜂蜜酒じゃないの? クラーナが持ってたやつよね?」
「ああ、多分そうだけど」
まばらに人が玄関ホールの方へと出てきていたが、ほとんどの生徒は玄関ホールでは無く、城の各寮の方へと戻っている様だった。そのまばらな生徒の中にトンクスがいた。オスカーは前の時の三本の箒で、トンクスがクラーナの蜂蜜酒を飲めなかったことを知っていた。
「ちょっと味見させてくれない? 補充呪文を使うからばれないわよ」
「ジェマにまた俺が怒られるだろ」
これはめんどくさい事になったとオスカーは思った。こういう状態のトンクスはだいたいめんどくさいとオスカーはもう四年間で十分に学んでいた。それに相当準備をしてこの蜂蜜酒を用意したジェマの事を考えると、エスト以外の人にこれを渡せばそっちもめんどくさい事になると分かっていたからだ。
「クラーナ、オスカーがエストにだけ蜂蜜酒を準備したらしいわよ。クラーナにはお子様用のかぼちゃジュースらしいわ」
「クラーナ?」
オスカーがトンクスの言葉につられて振り返ると、その瞬間にトンクスがグラスをひったくった。案の定、そこにはクラーナはおらず、オスカーがトンクスの方を見た時にはすでに蜂蜜酒を飲まれていた。
「美味しいわね。ほら、補充呪文で補充した…… わ……」
「ジェマに何言われるか分からないからやめろって言ったのに…… トンクス?」
確かに蜂蜜酒は補充されていて、そのグラスの中身は満タンだった。しかし、トンクスの表情が明らかにおかしかった。いつも意味の分からないことを言って、表情もクラーナの次くらいにコロコロと変わるトンクスだったが、こんなに気の抜けた顔をオスカーは見たことが無かった。
「オスカー、オスカー、あのね……」
「トンクス? おい、どうした?」
何かを言いだせなくて詰まっているような表情だった。ますます、オスカーは分からなくなった。さっきまでのテンションやいつものトンクスの事を考えれば、こんな表情をすることは無いはずだった。
「オスカー先輩、ボクちょっと抜けてきたんですけど…… レイブンクローの先輩が……」
「オスカー、私、我慢できないわ。好きよ。オスカー、愛してるわ」
「はあ!? ど、どうした??」
「ええ!! と、トンクス先輩??」
今度のトンクスの顔は真っ青で髪の毛まで真っ青だった。それなのにオスカーにはトンクスの言葉が良く分からなかった。多分、冗談でもトンクスは言いそうに無い事を言ってきたからだ。
「だから、好きなのよ。どうしてもオスカーの事を考えてしまうの」
「トンクス?? お、おい、ほんとにどうしたんだ?」
「や、やっぱり、エスト先輩やクラーナ先輩よりトンクス先輩の方が……」
今度は顔も頭も真っ赤になっていた、まるでマグルの使っている信号の様にトンクスの髪色と顔色は変化していた。オスカーの方も頭がおかしくなりそうだった。
「私、オスカーのこと愛していると思うわ。身長だって、普通の人よりあるし、性格とちょっと違って明るい赤っぽい髪も、明るい眼もギャップが合って素敵よ、もちろん性格だって、一番素敵よ」
「ほんとに…… 何か飲ん…… おい、惚れ薬か? まさか…… そういうことか!! レア!!」
「は、はい!? な、なんですか? じゃ、邪魔なら……」
「これをもって、スネイプ先生のとこに行ってくれ、トンクスが惚れ薬を飲んだって言って、解毒薬を貰ってきてくれ」
「ほ、惚れ薬?? わ、わかりました」
簡単な話だった。今渡したグラスの蜂蜜酒に惚れ薬が、それもオスカー自身を好きになる様な惚れ薬が入っていたに違い無かった。
レアはオスカーが渡したグラスを受け取るなり、走って行った。それを見てトンクスは顔が真っ青になった。
「オスカー、レアがいいの?」
「なんだって? とにかく、人がいない場所にいくぞ」
「嫌よ。ねえ、レアの姿がいいの?」
「レアの姿?」
「そうよ。金髪がいいの? それとも金色の眼? 女の子なのに結構身長が高いのがいいの?」
「おい、どうし……」
トンクスはオスカーの目の前でレアの姿に変わった。ショートカットに目の覚める様な金髪、金色の眼、確かにトンクスやエストより高い身長、それにローブも杖を振ってレイブンクローの青い色に変えたようだった。
「トンクス?」
「この姿がいいのよね? 口調も…… ボク、オスカー先輩のこと好きです」
そう言うなり、トンクスはレアの姿でオスカーに抱き着いてきた。さっき匂ったお菓子の様な甘い香りがオスカーはした気がした。
「おい、トンクス、やめろ、戻れ」
「どうして? レアがいいんじゃないの? 私…… ボク、オスカー先輩が望むんなら、どんな姿にだってなります」
「え、え、オスカーとレア? な、何をしてるんですか?」
オスカーはもう本当に頭が痛くなってきた。後ろにいるのが誰なのかは振り向かないでも分かった。玄関ホールは余り人通りが無いようだったが、クラーナもレアと同じ様にオスカーに会いに来たようだった。
「オスカー先輩。好きです。いつも誰かの事を考えているところが好きなんです」
「あ、あ…… 私、その……」
レアの姿で抱き着いて延々と好き好きと言ってくるトンクスの相手をしながら、後ろのクラーナの相手をするのはオスカーにはできそうに無かった。チラッとクラーナの方を見れば何故か顔をさっきのトンクスと同じくらい真っ青にしていた。
「クラーナ!! これはレアじゃなくて、トンクスなんだ」
「と、トンクス?? で、でも、トンクスでも言ってることは……」
「オスカー先輩、クラーナ先輩じゃなくてボクを見てください」
もう大惨事だった。オスカーは杖でトンクスを失神させようかと考えたが、勝手に飲んだとは言え、トンクスは被害者には違い無かった。トンクスはクラーナの方を向いていたオスカーの首を無理やり自分の方へと向けた。
「惚れ薬だ!! トンクスは惚れ薬を飲んだんだよ。早くスネイプ先生に解毒薬を持ってきて貰ってくれ!! 早く、クラーナ!! 頼む!!」
「惚れ薬?? わ、わかりました」
「オスカー先輩、こっちを見て下さい。他の誰かじゃなくて、ボクの方を見て喋って下さい」
トンクスの方を向けば、またトンクスの顔色は真っ青になっていた。クラーナと同じくらい真っ青だ。オスカーは自分の顔色まで真っ青になっていく気がした。
「クラーナがいいの? オスカー? やっぱり、クラーナがいいのよね?」
「おい、トンクス? 俺の言葉が聞こえてるのか?」
「聞こえてるわよ!! クラーナがいいんでしょう? 二年生の時だって、オスカーから抱き着いてたのも覚えてるもの!!」
「二年生の時??」
レアの口調は書き消えて、トンクスの口調が戻ってきたが、顔色は真っ青で瞳からは涙まで流れていた。
「小さい所がいいの? 強気な所? 誰にも頼ろうとしないところ? 黒い眼? ダークグレーの髪?」
「トンクス? まさか、また……」
オスカーの嫌な予感の通りにトンクスはクラーナに変身した。ダークグレーの髪に真っ黒い瞳、小さい身長、グリフィンドールのローブ、間違いなくクラーナの姿だ。
「だから変身するのはやめろって」
「なんで? オスカーが好きな姿になるわ。オスカー、私、オスカーの好きな姿になりますよ?」
「声もやめろって」
「何でですか? ダメなんですか? 私、オスカーのこと好きです。私じゃダメですか?」
またクラーナの姿でトンクスは抱き着いてきた。相変わらず、匂いこそ同じだったが、トンクス、レア、クラーナと抱き着かれると感触が違うことは嫌でも伝わってきて、オスカーはその感触やら、体温などでちょっと参ってしまいそうだった。
「オスカー、ジェマが言ってた蜂蜜酒……」
「愛してます。好きです。だって、オスカーは誰かの事、自分が傷ついても、どんな障害があっても守ろうするじゃないですか。私、オスカーのそう言うところが本当に好きなんです」
「俺はそんなんじゃないし、とにかくやめろって…… エスト??」
本当にオスカーは頭がおかしくなりそうだった。これはオスカーの感じたことのないストレスだった。一年生の頃にグリフィンドール生に追われたりしていた時だって、これほどに精神的には追い詰められていなかった。
「オスカー、クラーナと何してるの? ねえ?」
「オスカー、愛してます。私の方を見てください。私はオスカーの事をずっと見てます」
エストが来ると同時に、クラーナの顔をしたトンクスがまた真っ青になった。それに加えて、感情の色がのっていないエストの声もオスカーは聞くのが嫌だった。エストの方を見れば、ほとんど無表情でこっちを見ていた。
「エスト、惚れ薬だ」
「オスカー、エストじゃなくてこっちを見てください。私はエストよりあなたの事を見てるし、考えてるし、好きなんです」
「なんなの!! 二人で決勝が終わるまでは……」
「エスト!! 惚れ薬だ!! トンクスが惚れ薬を飲んだんだよ!! 早くスネイプ先生を連れてきてくれ!! いいから早く!!」
「惚れ薬?? トンクス?? それトンクス?? わ、分かったの」
次に何が起こるのかは流石にオスカーでも分かった。案の定、クラーナの顔をしたトンクスの顔は真っ青になっていた。
「おい、トンクス、エストに変身するのはやめ……」
「オスカーはやっぱりエストがいいんじゃないの!! ずっと一緒にいるし、なんなのよ!! 最初にホグワーツであったのもエストだし!! 何を考えるのもエストが第一だし!! そんなのずるいわ!!」
「と、トンクス?? お、落ち着け……」
「エストのどこがいいのよ!! 黒くて長い髪? 紅い眼? 一番私たちの中でスタイルがいい所? 頭や成績が良くて魔法が得意な所?」
エストの特徴を列挙しながらトンクスはエストの姿に変わっていった。それもずっと泣きながら変身するのだ。オスカーはそれを見て、どんどん自分の頭がおかしくなってきている気がした。
「ほら、エストの姿になったわよ。オスカー、エストの方を見て欲しいの。ねえ、オスカー? こっちを向いて?」
「もうやめろって、姿を変えても仕方ないだろ」
「エストじゃダメなの? オスカー? エスト、オスカーのこと、好きなの。愛してる。ホグワーツ特急で初めて会った時から好きなの。みんなに優しいし、みんなの事考えてるし、自分が傷ついても誰かの事考えれる、オスカーが好きなの」
「ほんとにやめろって……」
エストの姿でまたトンクスは抱き着いてきて、オスカーはトンクスが言っている事や、伝わってくる感触、色んなモノでどんどん自分がおかしくなっているのが分かった。
「オスカー先輩…… あ、上手く行き……」
「ジェマ!! お前…… いいから早くスネイプ先生を連れてこい!! これはエストじゃなくてトンクスだ。惚れ薬が入ってたのは分かってる!!」
「え?」
「とっとと連れてこい!! 早くしろ!!」
「わか、わかりました」
オスカーはいつ出したかもわからないくらい大声でジェマに言った。抱き着いていたエストの姿のトンクスも声でビクッと震えた様だった。ジェマは言われるままに大広間の方へと走り去っていた。
「オスカー? 今度はジェマがいいの? エスト、オスカーが望むなら、誰の姿にもなるよ?」
「ならないでいい」
「なんで? 私の姿じゃ、オスカーは満足できないんじゃないの?」
「トンクス、元の姿に戻れ」
「何でよ…… あんたが望む姿になるって言ってるじゃない!!」
後ろで人の声が段々聞こえてきた気がしたが、オスカーはもう色々どうでも良かったし、何よりこれ以上色んな姿で色んな事を言われるのも限界に近かった。ジェマに変身というより、これ以上誰かの姿になられるのが嫌だった。
「トンクス、誰の姿にもなる必要は無い」
「何でよ? だって、私のままじゃダメなんじゃないの? エスト並みに頭やスタイルがいいわけでも、クラーナみたいに小さくて可愛いわけでも、レアみたいな綺麗な色やパーツをしてるわけじゃないわ」
「オスカー先輩…… スネイプ先生はもう来ます」
「オスカー、惚れ薬の解毒薬も出来ましたよ」
「スネイプ先生はすぐに来るって言ってたの」
後ろで声がしたが、正直、オスカーには何も聞こえていなかった。オスカーはエストの顔でしゃっくりを上げて泣いているトンクスの肩を持って言った。
「トンクスには一番、トンクスの顔が似合ってるよ。一番、トンクスの顔が良い。バカやったり、クラーナに悪戯したり、くだらない事を言ってる時の顔が好きだ。だから変身する必要は無い。他の人の顔になる必要は無い。一番、元の顔が好きだから」
オスカーは奇妙な沈黙が流れた気がした。その沈黙を最初に破ったのはトンクスだった。元のトンクスの姿に戻って、髪色はいつかオスカーがハッフルパフの寮で見た時の様に真っ赤だった。トンクスはそのままオスカーにキスをした後、抱き着いて押し倒した。
「うれしい!! すごく嬉しいわ!! オスカー!!」
変身することを止めることにはオスカーは成功したが、オスカーは色んな人の顔でキスされたり、抱き着かれたりで正直なところ結構限界寸前だった。
トンクスはオスカーが見たことがないほど晴れやかな顔で、オスカーの上に馬乗りになっていた。
「ねえ? オスカー? オスカーは子供は何人欲しいの?」
「は? は? こ、子供?」
オスカーはさっきにも増して、トンクスがもっと大変なことをしそうな気がし始めていた。
「そう、私もオスカーも兄弟はいないでしょ? でもチャーリーの家族を見ていると兄弟は一杯いた方が楽しそうだと思わない?」
身の危険をオスカーは感じ始めた。今のトンクスは人前だろうが何だろうが全く気にしないと容易に予想できたからだ。
「オスカーの家は一杯部屋があるし、子供はいくらいても大丈夫よね?」
「では、ミス・トンクス、お祝いの気付け薬だ。一杯やりたまえ」
「へ? スネイプ先生? いただきます?」
いつの間にかスネイプ先生が隣に来て、心底嫌そうな顔でトンクスに何かが入ったゴブレットを差し出していた。
トンクスはそれを受け取ってためらうことなく飲み干した。すると、だんだんポヤっとしていた眼に光が戻ってきて、それと一緒に顔がどんどん赤くなり、もともと赤かった髪の毛がさらに赤くなった。
最後には倒れたままだったオスカーのお腹あたりに頭が落ちる様にうつぶせに倒れた。オスカーはトンクスが何かをぶつぶつ言っているのが聞えた。
「一番…… 一番……」
「ミスター・ドロホフ、後始末はしっかりするように」
スネイプ先生はオスカーとトンクスの方を顔をぴくぴくさせながら、一瞥するとそのままどこかに行ってしまった。状況が馬鹿馬鹿しすぎて耐えられないようだった。
トンクスはスネイプ先生が出ていった後もしばらくオスカーの上から動かなかった。他の人間も二人に喋りかけてこなかった。
「トンクス、どいてくれないか。もう限界なんだ」
「限界…… 私の方が…… 限界に決まってるじゃない!!」
顔はおろか、髪から多分足まで真っ赤にしてトンクスがオスカーの上で叫んだ。
「トンクス? まさか、さっきの全部覚えてるのか?」
「覚えてるのかじゃないわよ!! 覚えてるわよ!! 私が言ったことも!! あんたが言ったことも!! 全部覚えてるわよ!!」
耳が壊れそうなくらいな大声でトンクスは叫んでいた。ハッフルパフの寮で見た時よりも深刻な事が起こっているとオスカーは思わざるを得なかった。
「ほんとに…… ほんとに…… もう、どうなっても知らないから!! この!! この!! ああ、もう!! どうしろって言うのよ!! 知らないから!!」
「トンクス? まだ惚れ薬……」
「切れてるわよ!! もう効果がないから!! もうわかんないわよ!! あああああ!! もう知らないから!!」
トンクスはそう叫んでどこかへ走り去ってしまった。オスカーももう何をしたらいいのか分からなかった。とにかく、どこか静かな所で、自分を取り戻したかった。
それに、人が何人もいたはずなのに静かな自分の後ろが怖かった。