オスカーはどこにいるのか分からなかった。しばらくは自分が存在するのかどうかすら分からなかった。静寂を聞いていた気がしたが、そもそも自分がいないのに静寂を聞けるはずが無かったのかもしれなかった。
しかし、オスカーはどこかに横たわっていたし、何かが自分の下にあって、体がそれを感じているという事実はオスカーが存在すると言う事を示していた。
自分の存在が明確になるに従って、段々、自分の周りに何があって、自分がどうなっているのかが分かってきた。
周りには何も無い白いモヤが漂っているだけだったし、少なくとも最初、オスカーは何も着ていなかった。
起き上がって周りを見るのと同時に、いつの間にかいつも寮や自宅で着ていたペンスが用意した服を身にまとっていた。
オスカーは最初、どこにいるのかと考えていた。服が一人でに出てくるのを見て、必要の部屋やそれに類する場所にいるのかと思ったのだ。
ただ、周りを何度も見渡すにつれて、自分の着ている服と、杖を持っていないと言う事実を思い出すと、段々、世界が明確になっていった。
後ろにあるのは人生の十年間のほとんどを過ごした家で、目の前にあるのは森へと続く小さな小道だった。
小さな小道を歩けば、段々と世界がさらに明確になっていく。決闘トーナメントの時の虫のさえずりや生き物の鳴き声が聞こえない森では無かった。
歩けば、目の前をトンボが通り過ぎて行ったし、ウサギが目の前を横切ったり、オスカーが木に近づけば小鳥がどこかへ飛んで行ったりした。
歩く度に地面にある落ち葉や枝を踏む感触と折れる音がする。間違いなく、ここは家の庭にある森だと言う認識が、さらに明確に世界を創り出していた。
しばらく歩けば、オスカーは自分が子供の頃に遊びで作っていた、小屋の真似事の様な木や枝を寄せ集めて作ったモノが見えて来たのが分かった。
いつか、何度も足を踏み入れていたせいなのか、足が勝手にそこへ動いたのかもしれなかった。
大きな切り株を中心にギリギリ雨を防げるくらいのレベルの小屋の中には、ドロホフ邸から持ち出した、古いホグワーツの教科書が何冊かと、糖蜜パイや蛙チョコレートと言った魔法界のお菓子と、オスカーがつい最近思いだした様な、魔法界よりも手の込んだお菓子が何個か散らばっていた。
小屋を出て、オスカーはどこに行けばいいのかは分かった。
ここから出るにはどうしたらいいのかはそれだけで分かった気がした。
外へ出れる様になってからも、一度も行こうとしなかった場所に行かなければならなかった。この夏休み、何度も森に出ても、一度も行こうとしなかった場所に行かないといけなかった。
どう言う理屈なのか、オスカーには分からなかった。
本当はダンブルドアと一緒に指輪を探しに来たはずだった。
オスカーがいたのは、こんな日の差し込む森では無く、トンボが飛び交う森では無く、オスカーの良く知っている森では無く、もっと陰鬱として、良からぬモノが潜んでいるような森だったはずなのだ。
それでも、どこに行けばいいのかは分かった。森の外れで、庭の外れ、自分が行ける一番外側、そこに行かないといけないことは分かっていた。
だから、その森の外れにある、小道の中の平べったい石の上で誰が座っているのかくらいは分かっていた。
「てっきり、真っすぐここまでくると思ってたんだけど……」
「君は死んだはずだ」
目を何度閉じて開いても見えるものは一緒だった。
「あれかな? 君はあんまり女の子ばかりと仲良くなるものだから、私に会うのが気まずくなったのかな?」
「君は死んだはずだ」
何故か、オスカーと同じ年頃の風貌だったし、青色のホグワーツのローブを着ていたが、オスカーが見間違うはずは無かった。
「これもちょっと意外かな? 君は私がレイブンクローに組み分けされると思っていたわけだ」
「君は死んだはずだ」
ローブを引っ張ったり、訝しい眼で見たりして動いていた。銀色の髪が揺れていた。喋っていた。
「なんだいオスカー? 壊れちゃったのかい? うちのテレビみたいに斜めから……」
「君は死んだ!!」
この森に入った時から分かっていたのに、オスカーには受け入れられなかった。どう見ても、目の前の彼女は動いて、笑って、喋って、息をしているのだ。
「せっかく久しぶりに会ったのに、そんなに大声……」
「君は死んだ!! 死んだ!! 僕が殺した!!」
「オスカー、君は今は俺ってみんなに言っていたんじゃないのかい?」
「僕が殺した!! 君は死んだ!! 絶対に死んだ!!」
オスカーが大声を出しても、彼女は困ったように笑うだけだった。
「それは重要な問題なのかい? オスカー?」
「君は死んだ……」
「取りあえず、今は喋ってるじゃないか」
「君は死んだんだ……」
それがあり得なかった。絶対にオスカーは彼女を殺したのだ。全部覚えていた。彼女があげる声も、ヴォルデモートと父親の力も、杖から伝わってくる体の感触も、服が肉が焼ける臭いも。
「ちょっと喋ろうじゃないか、今なら、君はお母さんから聞いた話じゃない、ホグワーツの話ができるんだろう?」
「君は死んだ……」
目の前で誰がどう見ても動いて、話していると言うのに、オスカーには受け入れ難かった。何より、受け入れてしまえば、自分の中にある何かが外れてしまいそうだった。
「ダンブルドア。一体何が起こったというのです?」
「わしが愚かだったのじゃ……」
スネイプがダンブルドアに尋ねる中、ダンブルドアは青い顔で銀の道具を寝かされているオスカーの傍へと持っていった。
「フォークス、見張りをしてくれるかの? セブルス、あの指輪の呪いはオスカーには広がっておらんのじゃろう?」
「それは…… そうでしょう。恐らく指にはめることが呪いのトリガーになっていたはずです。しかし彼は触れたのでしょう? どの程度の影響があるのかは……」
ダンブルドアがフォークスに言うと、不死鳥は炎に包まれ、その姿を消した。スネイプの自信無さげな声が響いた。
「直接は触れてはおらぬ。触れた時には透明マントを被っておったはずじゃ」
「指輪にかけられていたのは異常に強力な呪いです。その透明マントがどうやってつくられたのかは存じませんが、ただの布やデミガイズの革で造られたものなど……」
「セブルス、このマントは普通の透明マントではない……」
半分、懇願するような声でダンブルドアが呟いた。オスカーの傍に運ばれた銀の道具はひとりでに動き出して、何かのリズムに乗ってチリンチリンと鳴っていた。そして、天辺にある小さな管から薄緑色の煙がタバコや煙管の様に上がっていた。
ダンブルドアは未だに青い顔でその煙の様子を見た。煙は段々と渦を巻いて、恐らく蛇の様な何かと、小さい複数の飛んでいる何かが煙の中で戦っているように見えた。
「なんともはや……」
「ダンブルドア、一体、何をしていたと言うのです? そもそも、貴方がついていながらこの様な……」
「わしは愚かだったのじゃ。セブルス。一世紀近く生きても、何も変わらなかったという事じゃ」
ダンブルドアの要領の得ない回答にスネイプは嘆息した。校長室にスネイプが呼ばれてから、何度同じ質問をしても、ダンブルドアから得られる回答が毎回要領を得ないモノだったからだ。
「なぜ、彼を連れて行ったのです? そもそも彼は未成年で学生でしょう」
「月並みな言葉で言えば、違う道が開けたと思うた。いずれやらねばならぬ事を先にできると思うたのじゃ」
「一体何の話を……」
スネイプがさらに質問しようとしていたところで、フォークスが炎を上げてダンブルドアの傍に現れた。
「このホグワーツでは隠し事はできないようじゃ。セブルス」
「今はガーゴイル像が入り口をふさいでいるのではないのですか?」
「わしよりもあの像が従いたくなる人間がおると言う事じゃろう」
螺旋階段を上がって、数人が校長室に入ってきた。大人の男が一人、少年が一人、少女が四人。肖像画達も入ってきた六人も、元からいた二人も何も喋らなかった。
「オスカー、教えてくれないのかい?」
「何を教えるって言うんだ? 君は死んだはずだ」
オスカーには分かっていた。自分には話す資格すらないはずだった。喋っている事があり得ないのだ。喋れたとしても、喋ることなど許されないはずなのだ。
「何って、色々あるじゃないか? 君はあれから色んな人に会ったり、色んな人と喋ったり、色んな事を考えたり、色んな事をしたんだろう?」
「君は死んだ。それを聞いてどうするって言うんだ?」
また困った顔をして彼女はオスカーに笑いかけた。
「どうって、聞きたいからだよ。君は昔も話してくれたじゃないか。その時は、お母さんやお父さんやペンスさんから聞いた事を私に話してくれたんだろう? でも、今度は君の話をできるんだろう?」
「君は死んだんだ。僕の話を君が聞いていいはずが無い」
「私が聞きたいって言ってるんだよ。オスカー」
オスカーは喋ってはいけない気がした。こうしてこの場所に、彼女の前に立っているだけで、何かが壊れてしまいそうだったからだ。
「何を喋ればいいって言うんだ」
「君の喋りたい事って言いたいけど…… ここは指定した方がいいのかな? そうだな…… じゃあ、今、君がいる寮の事を話してくれないかい? ほら、昔も寮が四つあるって紹介してくれただろう? 実際入ってどうだった?」
話してはいけない。オスカーは思っていた。いつもずっとどこかでセーブしているはずの何かが漏れ出してしまいそうだったからだ。
「スリザリンの話って事なのか?」
「そうだよ。他の寮とは仲が悪いんだろう?」
「仲は悪いよ。でも、その分寮の中では仲は良いんだ。他の寮なら見捨てそうな人でもスリザリン生は助けようとする」
「それって、そう言う人たちは自分がどうなってるか分からないってことじゃないのかい? 見捨てられたり、怒られないとわからないんじゃないかって思うんだけど?」
「そう言う人もいるけど、そう言う人たちだから見捨てないんだろ」
言ってはいけない。言えば、自分の中でずっと貯め置いていたものが流れ出てしまいそうなのだ。
「じゃあ、授業の話をしてくれないか? 君は色んな授業を受けてるだろう? 成績も結構いいみたいじゃないか」
「授業って何の授業なんだ」
「ほら、変身術とか、呪文学とか、魔法薬学とか色々あるだろう? ああ、君は闇の魔術に対する防衛術ではトップを取ったことがあるんじゃなかった?」
「闇の魔術に対する防衛術は…… 先生によって教え方が全然違う。でも、言ってることはみんな同じかもしれない」
「同じって何がだい?」
「みんな協力しろって言う。それと…… あんまりこっちは言わないけど…… 多分、相手がやってくることを理解しろって言ってると思う」
「相手って、闇の魔術? でも、それは危ない事なんじゃないのかい?」
「理解できないモノには対処できないだろ。生物でも魔法使いでも魔法でも、怖いからって知ろうとしなければ何もできない」
伝えてはいけない。もしかしたら、何度か表面に出てしまった事があるかもしれなかった。それでも、自分の中で燻っている何かは外に出すわけにいかなかった。
「そうだな…… 色んな先生がいるんだろう? 校長先生に…… 他にも授業ごとに色んな先生がいるって言ってたじゃないか」
「そりゃいっぱいいるよ」
「ほら、君の寮にも先生がいるんだろ? どんな人?」
「スネイプ先生? 魔法薬学の先生で、全然笑わないし、グリフィンドールが大嫌いでスリザリンをえこひいきする先生だな」
「それじゃあいい所は全く無いみたいじゃないか」
「一番若い先生だし…… 実際、魔法薬学に関しては凄い。それにダンブルドア先生に信頼されていると思う。マクゴナガル先生と同じくらい信頼されていると思う」
「マクゴナガル先生はどうなんだい?」
「厳しいけど、クィディッチ以外は寮に分け隔てなく教えてくれる。本当に勉強したいって言えば、本当に応援してくれるし」
彼女はオスカーの話をずっと笑顔で聞いていた。オスカーは話す度にあることを思っては考えが止まりそうになっていた。そして、言葉を話す度に、ホグワーツの事を話す度に、その事が頭に浮かんでは、言葉に出そうになっては止めていた。
「一番大事なことを聞こうかな? 君の周りの人の話をしてくれないか? どんな人かってことだよ」
「誰の事だよ」
「うーん…… なら出会ったのが遅い順から喋ってくれるかい?」
「会ったのが……」
「ほら、最近トイレで抱き着かれてたんじゃ?」
「レアのことか」
「そう、金髪のショートカットの女の子のことだよ」
「どうって言われても…… 言い方は難しいけど……」
「難しいけど?」
「凄く強いと思う」
「女の子に強いって何かおかしくないかい?」
「でも、それしか僕には言いようが無い。これまであった人の中で一番強いと思う」
「強いって心がってことだよね? どうしてだい?」
「正面から見ようとしてるから。本当は考えない方が楽だけど、多分、性格とか頭の良さとかがそうさせないんだと思う。見れば見る程、ばらばらになって傷つくのに見ようとしてたから」
「本当はそれが彼女の良い所のはずなのに、それが逆に自分を傷つけてたってことかい?」
「そうかもな」
そもそも、オスカーはホグワーツに入ってから、何度そう言った考えが出てきては消えていったのか分からなかった。今学期の始まりまでは、段々とそれが浮かんでくることが少なくなっていると思っていた。そう思ったとしても、そう考えたとしても、出会ったり喋った人の事を考えて、無意識の海の中にそれを放り込んでいたのかもしれなかった。
「じゃあ、ほら、あの変身するのが得意な子はどうなんだい? 惚れ薬はちょっと可哀想だったけどね」
「トンクスか……」
「そうだよ。名前を呼ばれるのが嫌いな子」
「優しくて、誠実だと思う」
「いつも悪戯したりしてるのに?」
「ああ、でも、三年生の時に良く分かったけど、自分の感情にも、誰かの感情にもすごく素直だ」
「誰かの感情に素直?」
「誰かが苦しんでいるとか、誰かが嫌な目に遭っている時にそれが嫌だって思えるのは凄いことだろ」
「でもそれは多かれ少なかれ、君や私も誰だってそうなんじゃないのかい?」
「でも、自分が入っちゃうだろ。助けようって気持ちに入っちゃうだろ。誰かを助けてその人が笑っているから嬉しいとか、助けて貰って、そう思われて嬉しいなんて、それだけで嬉しいなんて、きっと僕には思えない」
「ダンブルドア、どういう状況なのかね? そもそも、ガーゴイル像は合言葉を言っても扉を開けない気だったようだが……」
スクリムジョールの言葉が銀の道具が出す蒸気の音しかしない校長室に響き渡った。鋭い眼でベッドに寝かされたオスカーと、一気に何十歳も老け込んだ様なダンブルドアを見ていた。
「ルーファス…… わしが間違えたのじゃ……」
「オスカーはダンブルドア先生とどこかに行くかもしれないって言ってたはずです……」
「どこに行ってたかなんて、今はどうでもいいと思うの」
「そうです。先輩はどういう状態なんですか?」
矢継ぎ早にダンブルドアとスネイプに対して質問が飛んだ。ここにいるほとんどの人間がどのような状況なのか理解できていなかったからだ。
ダンブルドアが銀の道具と同じテーブルに置いてある、黒い石に線と丸と三角が刻まれた金の指輪を指し示した。
「原因はあれじゃ。しかし、今、オスカーがどういう状態なのかについて、わしは正確に伝える術と知識を持ってはおらぬ」
エストとレアが指輪の傍に、クラーナがオスカーの傍へ行って、残りの三人はまだ動かなかった。
「良く分からないけど、危険な状態ってことよね?」
「そうじゃなきゃ、僕たちが気付くはずが無いし、このカードが赤くはならないよね」
二人はカエルチョコレートのカードとほとんど同じデザインのカードを取り出した。いつかとった写真の中にはオスカーがおらず、名前の文字も赤くなっていた。
「これは何なの? ダンブルドア先生? 死の秘宝のマーク?」
「それは…… 回答は二つあるじゃろう。一つはエストレヤ、君やレアが二年前に触れたモノと同じモノと言う答えじゃ」
「なら、これをぶっ壊せばボクやエスト先輩の時みたいに解決するんじゃ……」
「もう一つはなんなの?」
「恐らく…… この指輪…… いや、はめ込まれている石はおとぎ話の中にある、蘇りの石そのものだと言う事じゃ」
また沈黙が校長室を支配した。誰もがダンブルドアの言っている事を理解しようとしているはずだったが、歴代の校長達も含めて、しばらく誰も発言しなかった。
「そんなモノは存在しないの。おとぎ話の魔法は不可能なの。死者は戻ってこない」
「この石を使っても、死者を戻すことは恐らくできないのであろう。仮初の形での……」
「そもそも、これが本物の石だって言う証拠もないの。死の秘宝はニワトコの杖以外、どれも歴史に現れたことは無いはずなの」
「エストレヤ、わしは本物の透明マントを見たことも触ったこともあるのじゃ。その透明マントはイグノタスの子孫に受け継がれてきた。そして、他の透明マントと違い、手入れの必要も無く、呪文に対する耐性もあるモノじゃった」
ダンブルドアが近くの椅子に置かれている銀色の透明マントを指した。エストは彼女の人生の中でめったにしない様な、信じられないと言う顔をした。
「そして、その指輪…… 石は…… カドマスの子孫として知られる一族の家にあったモノじゃ」
「もし、これが本当に…… 本物の石だったとして、何が起こっているの? 先生の言う通りならあれは、蘇りの石で、例の…… ヴォルデモートの分霊箱って言う事? でも、分霊箱は二年前の時に破壊されたはずなの」
分霊箱と言う名前が出ると、ダンブルドア、スクリムジョール、スネイプの視線がエストへと向かった。
「ダンブルドア、その手の魔法の知識を貴方は厳重に扱っていたはずだが」
「図書館には無かったけど、お家にはあったの。深い闇の秘術にはバジリスクと一緒で、ギリシャの腐ったハーポが作ったって書いてあったの。問題なのは、一個オスカーが壊したはずなのになんでまだあるのかって言う事なの」
「ダンブルドア、一体何の話をしているのかね。説明が必要だ」
もう一度、全員の視線がダンブルドアに集まった。ダンブルドアは相変わらず、自信を失い、何十歳も年を取った様な顔付きであったが、それでも、説明せねばならない状況になると、その頭を上げた。
「ドラゴン好きな男の子の事も聞いておこうかな?」
「チャーリー? チャーリーは魔法生物の話題とクィディッチの話題以外なら、一番周りが見えているだろ」
「そうなのかい? と言うか、君は男の友人が少なすぎないかと思うんだけど?」
「チャーリーは、上にビルがいるし、下には一杯兄弟がいるから、なんだかんだ色んな事を見てるよ。スリザリンの寮では普通に話すやつはいるから別にいいだろ」
「色んな事を見ているって、それはそれで難しいことじゃないのかい?」
「チャーリーはちゃんと自分のやりたい事や、なりたい事と、自分の周りを見れてるだろ。その難しい事をちゃんとやってる」
「そのせいで君は面白がられているんだろうけどね」
段々とオスカーは自分の口が軽くなっているのを感じていた。そして、周りの人の事を喋る度に、自分の中の波が、時々、溢れて、言葉になってしまいそうだった。
「なら続けてグリフィンドールの女の子の事を教えてくれるかい?」
「いつまでやればいいんだ」
「彼女を含めてあと二人だろう? 君がいつも喋っているメンバーじゃないか」
「何を話せって言うんだ」
「だから君が思っていることをだよ」
「だから…… クラーナについて喋って何の意味があるんだ」
「さっきも言ったけど、私が聞きたいからだよ。それでどうなんだい?」
「どうって…… グリフィンドールだからかもしれないけど、やっぱり勇気があるよ」
「そうなのかい? 何と言うか、彼女は強気でストレートな性格に見えるけれど、余り自分の思っている事を直接言うタイプでは無いって、君も思っているんじゃないのかい?」
「どういう意味なんだ?」
「勇気があれば、言いにくい事でも直接言えるんじゃないのかい?」
「それは…… 自分がそれを言えばどうなるか分かってるんだろ。分かってない奴は言えるだろ。自分の行動がどういう結果になるのか、分かってない奴は行動できるよ。でも、自分がそれをできるって思ってて、それがどういう結果になるか分かってる奴が行動するのは、信じられないくらい勇気がいることだろ」
ホグワーツに入って、オスカーは何を考えていたのか。授業でみんなと一緒に勉強するたびに、クィディッチの試合を見るたびに、ハグリッドの小屋でロックケーキを頑張って食べるたびに、図書館で宿題をするたびに、ホグズミードで遊ぶたびに、行きと帰りのホグワーツ特急に乗るたびに。
「そうか…… うん。分かったよ。じゃあ、最初に出会った女の子の話をしてくれないか?」
「最初に……」
「オスカー、ホグワーツ特急で君のコンパートメントに最初に入ってきた女の子の事だよ」
「分かってるよ」
「君は彼女が列車に乗るのも見てたじゃないか」
「そうだよ…… エストは…… 見てるものが違う」
「また難しい事を言うよね。それはどういう意味なんだい? オスカーの言葉で教えて欲しい」
「エストは何にでも意味があると思ってる。エストはスリザリンで純血でシーカーで人より魔法が使える。それも全部意味があると思ってる」
「その意味があるってどういう意味?」
「どれか一つの言葉とか意味でも、色んなモノが重なって、関わってできているってエストは思ってる」
「ふーん。それが…… 彼女がそう思っていると何かいい事があるのかな?」
「何かエストが行動する時のその行動の重さとかやる気とかそう言うのが他の人とは違ってる」
「そんなに違うのかい? 君や他の人たちも彼女ほどでは無いかもしれないけど、十分に優秀なんだろう?」
「違う。エストはそう思ってやってるから、僕たちが一緒の事をしても、全然違うモノを見て、経験してる。僕やクラーナが呪文を覚えたとか、魔法薬学で魔法薬を作ったと言うのと、エストがそれをやったでは全然違う。違うモノを同じ時間で手に入れてる」
「じゃあそれが彼女の良い所なのかい?」
「そうかもしれない。一緒にいるだけで、いつもと違う目線でモノを見れる。同じモノから違うモノを見れる。意味がないと思っていた事に意味ができる……」
オスカーがそこまで言うと、彼女はうんうんと満足そうに頷いていた。もう一度、オスカーが見ても、ゴーストの様に透き通っておらず、目も鼻も口も動いていて、この場所がいつかの森の中でなく、ホグワーツの広場や図書館や湖の傍だったのなら、まるで違和感の無く喋ることができたのかもしれなかった。
「わしに言えるのは、十中八九、あの石はヴォルデモートのわしの知るかぎり二つ目の分霊箱であるという事、そして、オスカーが分霊箱と蘇りの石に囚われていると言う事じゃ」
「ハーポだって二つの分霊箱を作ろうなんてしなかったはずなの」
「ヴォルデモートはそれをやったのじゃろう」
「だから、その分霊箱なら、レアが言っていたみたいに壊せば終わりなんじゃないんですか?」
ベッドに寝かされているオスカーの横にいたクラーナが言うと、ダンブルドアが難しい顔で顔を横に振った。
「どういう状況なのかわしにも分からぬし、これほど強力で類を見ない魔法具の効果が重なったことは歴史上一度もないであろう」
「どういうことですか? ダンブルドア先生」
ダンブルドアが顔を横に振った時点で、その場にいた生徒達の顔は明らかに険しくなった。ダンブルドアの顔を真剣に見ているレアと、何度も指輪とオスカーの顔で視線を行き来しているエスト、じっと苦しそうな顔をしているオスカーを見ているクラーナ、そんなみんなを見ている二人がいた。
「もし、分霊箱がオスカーに憑りついておるのなら分霊箱を壊せば良い。しかし……」
「しかし、なんなんですか?」
「オスカーが指輪の中にいるって言うことなの?」
「わしの見立てでは…… そう言うことじゃ。じゃから、今のわしには指輪を破壊することができぬ」
みんなの視点が金の指輪に集まったが、指輪が動くわけでは無かったし、ダンブルドアとエストの会話が果たしてみんなに理解されているのかは怪しかった。
「魔法使いが侵してはならぬ、第一の法則、それを体現した道具が重なってしもうておるのじゃ」
「でも、人が作ったモノなの。それで、ダンブルドア先生は今世紀で一番偉大な魔法使いなの」
反論を許さないと言う強い口調で喋りながら、エストがダンブルドアを真っすぐに見つめたが、ダンブルドアからはいつも生徒に見せる様な、柔和な笑顔も、醸し出す余裕も、溢れる様なエネルギーも感じられなかった。
「君は何がしたくて僕の前にいるんだ?」
「何って? そりゃ君と喋りたかったからだろう? 君が私と喋りたくないのなら謝らないといけないけれど」
「喋りたかった」
「ならオッケーじゃないか」
「オッケーじゃない」
オスカーはやっと彼女を見て喋っていた。喋りたい事がもっと沢山あったはずだった。それをずっとどこかで感じていたはずだった。
「ほら、何を喋りたかったんだい? さっきまでは結局私がリードしていたじゃないか」
「色々……」
「色々じゃわからな……」
「九と四分の三番線に行った時から……」
「え? 九と四分の三番線ってホグワーツ特急が出るところだろ?」
「九と四分の三番線にキングズリーに連れて行ってもらう前も」
「前? オスカー…… ちょっと……」
「ペンスに手伝ってもらってトランクに荷物を詰めてる時も」
「オスカー……」
「ホグワーツの入学許可証が届いた時から……」
何重にも幾重にも漏れ出さない様に、考えない様にしてきたつもりだったのに、一瞬でそれらが流されていった気がオスカーはした。頭の中が熱くて重くてどうしようも無くなっていた。歯を食いしばっても、唇を噛んでも、もう駄目だった。
「君と一緒に…… 教科書やいるモノのリストを読んでるはずだった。ダイアゴン横丁だって、オリバンダーの店も、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店も、グリンゴッツ銀行も全部一緒に行くと思ってた。ホグワーツ特急も一緒に乗るはずだった。ホグワーツ特急で最初に喋るのは君のはずだった。ハグリッドの船に一緒に乗るのも、組み分け帽子を待っている間に喋る相手だって、絶対君のはずだった!!」
「そん……」
「そんなこと考えちゃいけないって!! 絶対ダメだって分かっててもそう思ってた…… 比べれるはずないのに、そんな事をして許されるわけないのに、エストやクラーナや他の誰かと喋ったり、勉強したり、何か食べたりするときに、他の誰かじゃ無くて、君が隣に座って、今喋ってるみたいな喋り方で、僕に何を言うんだろうって、考えてたんだ!! 分かってるんだ。そんな事しちゃいけないって、分かってるんだよ!! 分かってるんだ……」
「オスカー……」
もう、オスカーには前がほとんど見えていなかった。耳が聞こえているのかどうかも怪しかった。誰かに話すことなど絶対にできなかった。そんな事は許されなかった。
「さっきも喋ったけど、ホグワーツ寮は四つあるんだ。多分、君はレイブンクローだったと思う。なんと無くだけど、ちょっと頭でっかちだけど、色んな知識を持ってて、喋ってみると面白いやつが多いんだ」
「そうだろうね」
「授業も面白いんだ。魔法薬学はスネイプ先生は意地悪だけど、本当に色んな魔法薬を学べる、体を変えることも、声を変えることも、眠らせることも、真実を喋らせることもいろんな事ができる魔法薬ができるんだ。変身術は厳しくて難しいけど、魔法の中で一番色んな事ができる、だからエストが一番好きな授業なんだ。闇の魔術に対する防衛術は先生が変わるけど、一番実践的な事を習える、だからクラーナが一番好きな授業なんだ。他にも薬草学とか呪文学とか…… 多分、君の性格なら数占いが一番好きになると思う……」
「そうかもしれない」
「ホグワーツには色んな場所があって、君が好きになりそうなのは…… 色んな偉大な魔法使いの肖像画があって、喋ることのできる大階段とか、魔法界で一番色んな本が置いてある図書館とか、静かで涼しい黒い湖のほとりとか……」
「きっとそうだろう」
「面白い人ばっかりなんだ…… ハグリッドは体は大きいけど凄く優しくて、小屋の中は暖かいし…… すぐに話が飛ぶエストも、強気なのにからかわれるクラーナも、魔法生物の話しかしないチャーリーも、冗談しか言わないトンクスも、最近鋭い事ばっかり言うレアも、僕と仲良くなれるんだから、君も仲良くなれると思う……」
「そうだね…… 楽しくて面白そうだった」
泣いたのはいつ以来なのか、オスカーは覚えてはいなかった。彼女の顔がいつの間にか目の前にあった。いつか、カバンを直して興奮していた時の彼女の様に、オスカーの肩に両手を置いて、正面からオスカーを見ていた。
「オスカー、分かってるだろう? そんなに君と長く喋れるわけじゃないことも」
「嫌だ」
「オスカー」
「絶対嫌だ。だって、君はここにいて、喋ってるじゃないか、感触も、匂いも、全部あるんだ」
「オスカー、分かってるだろう? 君は自分が思っているよりも頭は良いんだ」
「なんで、なんで、なんでダメなんだ!! 一緒に列車に乗って、組み分け帽子を被るだけだった。大広間で何か食べたり、授業を受けたり、三本の箒でバタービールを飲むだけなのに…… それだけでいいのに、それだけで十分なのに!!」
そんな事は言うことも、考えることも許されない事くらい、オスカーには分かっていた。誰かと比べようが無い事くらい分かっていた。どうしてそれが許されないのかくらい分かっていた。自分が原因なのだ。
「僕は君に会うべきじゃ無かった」
「そんなことは無いだろう」
「会うべきじゃ無かった、今も、昔も会うべきじゃ無かった」
「オスカー、なんでそんな事を言うんだい?」
「君と一緒にホグワーツに行きたいなんて言って、今、君がどう思うかくらい、僕だって分かるはずだった」
「それは本当かい?」
「分かってるんだ。こんな風な事言うのは僕のせいなんだ。君がそうしたいとか、聞きたいと思っているわけじゃないんだ。僕が聞いて欲しかったんだ」
「何を聞いて欲しいんだい?」
「君と一緒にホグワーツに行きたかった。ホグワーツの事を喋りたかった。家族のことを喋ったみたいに、みんなの事を聞いて欲しかった。そんなの、君が楽しいわけじゃないのに、僕が聞いて欲しかっただけなんだ」
オスカーが泣いているように、彼女も泣いていた。オスカーには分かっていた。ここにいていいはずがない事も、喋れば喋る程、どうしようもない事だって分かっていた。
「ここにいちゃいけないんだ。分かってるんだ」
「オスカー、それが喋りたかったことなのかい?」
言いたいことも喋りたいことも、それはお互いのためになって初めて意味があることくらい、オスカーは知っていた。一方通行では意味がない事くらい知っていた。
「分かってるよ。僕は…… 俺は…… 君に会いたかった!! ずっと会いたかった!! 謝りたかった…… 許してもらいたかった…… でも、それは君のためじゃ無いんだ。分かってるんだ。俺は俺が許してもらいたかったから、君に会いたかったんだ。だから…… 会うべきじゃ無かった。会っても君にとって良いことなんて無かったはずなんだ……」
「オスカー……」
体の距離が近づいて、銀色の髪がオスカーの顔に何度か当たった。アモルテンシアの入った鍋やいつかの蜂蜜酒で香ったのと同じ、リンゴの様な香りが体を包んだ。
「分かってるんだ。これが現実じゃ無くて、頭とか心の中でのことだってことくらい」
「オスカー、それと現実と何が違うって言うんだい? むしろ大事なのはそっちじゃないのかい? ねえ、オスカー。できるなら、君を私が許す様に、君も君を許してあげて欲しい」
「そんなのダメだ。絶対ダメだ、そんなことあっちゃいけないんだ」
「そうしたら、君が色んな人の話を聞いて、私に喋ってくれたのと同じ様に、君が誰かを許すことができるんじゃないかな? そうしたら、その誰かはまたその人や、違う人を許してあげれるだろう? それが一番意味があることなんじゃないかな?」
「なんで…… どうして…… 君だけがそうなるんだ…… 嫌なんだ…… 君が死んだって認めるのも、自分を許すのも嫌なんだ……」
明確だった森や平べったい石や、虫や生き物の声が消えていった。誰かの心臓の音や息遣いが、体の熱が段々遠くに、小さくなっていく気がした。
「オスカー、会えて私は良かったと思ってるよ。今も最初にあった時もそう思ってる。だから、許すから、許してあげてね。それに、君よりもっとバラバラになってしまった人を、ここから出してあげて欲しい」
「ごめん、ごめん、ごめん……」
「だから、オスカー。最後に名前だけ呼んで欲しい。それだけでいいから」
「シラ、会えて嬉しかった」
完全に自分では無い体の熱が消えてしまった。オスカーのイメージではない、誰かの世界が周りに広がりつつあった。
虫や鳥の声が消えて、冷たい雪が街中に降り積もっていた。
オスカーの体を冬の外気が襲っていた。
しかし、不思議と体は全く冷たく無かった。いつの間にか、いつもホグワーツでする格好になっていた。
一度、バラバラになって、色んな人の手を借りて、何とか形だけは張り合わして、元の形の様に見える様になった何か。それでもひび割れて欠けた場所だらけのそれが、信じられないほど熱く熱く熱されて、欠けている場所やひび割れが全く無い様に、新しい鋳型からでたばかりの様に、元の形になっていった気がした。
取り戻したそれから、体へと、熱されたその一部が漏れ出している様で、寒くて冷たくて救いようが無い世界の中でも、オスカーは全く寒く無かった。
いつの間にか手にあった杖は、これまで感じた事が無いほど体になじんでいた。まるで体にもう一本の腕が生えた様だった。
オスカーの目の前にある鉄門の中には、高い鉄柵に囲まれた石造りの建物があった。
それが何の建物なのかオスカーは知っていたし、そこに誰がいるのかも分かっていた。どうやってここから出ればいいのかも、オスカーは何となく分かっていた。
バラバラになった、この石に相応しくない誰かをここから出さなければいけなかった。