孤児院にいるのが誰なのかオスカーには分かっていた。
こんなに寒くて、誰もいない世界に誰がいるのかは良く分かっていた。
いつかの記憶と同じ様に孤児院の一室に向かう。
その部屋にはぼろ箪笥に椅子とベッドが一つずつある。オスカーは絶対にそうだと言う確信があった。
自分が見た世界と同じ様に、この世界はそう言う世界のはずだった。
扉を開ける。想像したのと全く同じ部屋には、ベッドに一人少年が座っている。年はオスカーよりも一、二歳ほど上に見える。
男のオスカーから見ても整っていると分かるその少年は、オスカーが記憶の中で見た時よりも目が怪しい光を灯している様に見えた。
「アントニン?」
「残念ながら俺はそんな名前じゃない」
「まあそうだろうな。ダンブルドアが年を取っていたし、だいたいアントニンをダンブルドアが連れてくる意味が分からない」
トム・リドルはオスカーの方を見た。二年前のエストと同じ様に明らかにオスカーの中身を見定めようとしている目だった。
「トム・リドル。俺はオスカー・ドロホフだ」
「ああ、ご丁寧にどうも、オスカー。ダンブルドアがわざわざこの指輪を探しに来ていると言う事は、僕はダンブルドアがそれほど警戒する程度には偉大な魔法使いになったらしいな」
リドルの手には、オスカーが現実世界で最後に見たのと同じ、黒い石の付いた金の指輪がはめられていた。
オスカーの視線が指輪に行ったのを見たのか、リドルはオスカーを見てニヤリと笑った。
「そしてオスカー、君は何故か君の方からこの指輪の中に入って来たと言うわけだ」
「俺がここにいるのは偶然じゃない」
そう言うとリドルの顔が真顔に戻った。オスカーの言葉の意味を考えているように見える。しかし、しばらくその顔をした後にまたニヤリと言う顔に戻る。笑みだと言うのにオスカーには全くいいモノとしてそれが感じられなかった。
「外の世界でダンブルドアがどれくらい狼狽していたのか見せた方がいいか? オスカー? 一、二度しか外を見ていないが、僕が見たことが無いほどダンブルドアは意気消沈しているようだ。何せ、自分だけではどうにもならないと思って、何人か人間を校長室に集めてるくらいだからな」
「ダンブルドア先生が間違えたのは事実だ。だからと言って俺がここにいるのは偶然じゃないって言っているんだ。分かるか? トム・リドル?」
またリドルの顔が真顔に戻った。オスカーは自分があったことのあるトム・リドル。つまり、本物のヴォルデモートとエストに憑りついていたトム・リドルよりも、目の前のトム・リドルは若く、分かり易いと思った。
「それで? 君に何ができるって言うんだ? オスカー? 僕は確かに君のことは知らないが、この場所で僕をどうにかできるって言うのか?」
「ここから出るのは簡単だ。君を消滅させるか、君の指輪を破壊するか、君がここにいるのをやめるのかのどれかだろ?」
それを聞くと、リドルは甲高い高笑いをあげた。オスカーが言っている事がおかしくてたまらない様だった。
「オスカー、冗談はよした方がいい。君が僕を消滅させる? この指輪を破壊する? ましてや僕が僕を創り出したことを後悔するだって?」
「そう言うことだ。リドル」
また高笑いをリドルはあげた。いつの間にかリドルの服はマグルのそれでは無く、オスカーと同じスリザリンのローブになっていた。
ローブについている監督生のバッジから、リドルの年齢が五年生以上で七年生ではないことが分かる。そして手には杖が握られていた。
「オスカー? 君は四年生か三年生なのか? ダンブルドアが連れてくるくらいだから優秀ではあるんだろう。でも、僕を消滅させるだって? 僕が誰なのか知っているのか?」
「知ってるよ、トム・リドル。君は俺のいる時代では最悪の闇の魔法使いとして知られている」
そうオスカーが言うと、今度は明らかにリドルは機嫌が良くなった様だった。それどころか頬は上気して赤くなってさえいた。
「当然だ。僕は……」
「スリザリンの末裔だって言いたいのか? リドル?」
オスカーが途中で遮ると少し気分がそがれた様だったが、また話始めた。オスカーは自分の周りの友人よりも、目の前の男の子を怒らせるのは簡単に見えた。
「そうだ。僕はサラザール・スリザリンの末裔だ。学生中に秘密のへ……」
「そうだよな、俺たちのスリザリン寮を作った魔法使いの末裔は、森の中のボロ小屋とマグルの孤児院に住んでたわけだろ?」
今度は完全にリドルの話が止まった。少し切れ込んだ様になっている瞳孔がオスカーを真っ直ぐにとらえていた。
「オスカー、君は僕の話を聞く気が無いみたいだな。せっかくの後輩だし、アントニンとも関係がありそうな君だから話してやってるのに」
「それは俺を殺したり乗っ取る前提で話してるからだろ? リドル? 俺はこれでも結構君のことを知っているんだ」
「オスカーが泣いてるの初めて見たの」
「私もです……」
ベッドの両端に座っているエストとクラーナが呟いた。確かに眠っているはずのオスカーのまぶたの間から涙がこぼれ落ちていた。
「それでダンブルドア。さっきミス・プルウェットが言った様に、ここにある指輪がいくら強力な品物だったとしても、人が創ったモノには違いない。何か……」
「ルーファス、わしには予想しかできぬ」
「ボクが予想するよりもダンブルドア先生が予想する方がよっぽど信じられると思います。これから…… どうなるんですか?」
やはり、ダンブルドアは校長室の誰がどう見ても、いつもの状態ではない様に見えた。いつもより老け込んで見えたし、自分自身に失望している様だった。
「単純に考えるなら…… どちらかがオスカーの体を借りて出てくるのであろう」
「どっちかって…… もし、オスカーじゃなくて…… 違う方が出てきたらどうするのよ」
「指輪を壊せばいいんじゃ……」
「もし、エストがヴォルデモートなら、オスカーの体を人質に取ると思うの」
今度はエストの方へみんなの視線が集まった。彼女は一ミリも笑っていなかったし、クィディッチの試合前や本当に怒っている時と同じ様な、人の肌を刺すようなピリピリとしたエネルギーが出ている様だった。
「人質ってそんな……」
「いくらヴォルデモートが出てきたとしても、オスカーの体で、ダンブルドア先生やスクリムジョール先生をまとめて相手にするなんて不可能なの。ここはホグワーツで外に出る手段は限られているし、指輪の中のヴォルデモートからすれば、勝算が少しでもあるのはそれくらいだと思うの」
「だから…… 人質って何をするって言うんだ!?」
「普通に考えれば、自分を殺したり、手を出せばオスカーが死ぬって言うと思うの」
大声をあげたレアは信じられないモノを見る目でエストの顔を見て、その後、順番にスネイプ、スクリムジョール、ダンブルドアの顔を見て、誰も否定しないのを見ると歯を食いしばる様な顔をした。
目の前の少年をオスカーは怒らせなければいけないと思っていた。学生時代にずっと被ってきたであろうマスクを外さねばならなかった。
「オスカー、何度も言うが君は敬意を……」
「ああ、尊敬してるよリドル。君にはカッコいい名前があるんだしな? フラグレート!!」
オスカーは焼き印の呪文で空中に文字を作った。リドルはそれを黙って見ている。
「ヴォルデモート? カッコいい名前だよな? リドル?」
「オスカー、君が知っているくらいには僕の考えた名前……」
「今気づいたんだが、君の名前のアナグラムなんだよな。死の飛翔なんていかした名前だよな?」
空中に浮いた焼き印が動いて、ヴォルデモートを示す文字列から、リドルの本名、トム・マールヴォロ・リドルに変わった。
「それで、リドル。君は自分がどうやって死んだのか知ってるのか? いや、残りカスみたいな君がここにいるわけだから、色んな場所に中々取れない大鍋の汚れみたいに残っているんだろうけど」
「オスカー、何度も……」
「君は赤ん坊に負けたんだ。魔法界ではみんな知ってる。死の飛翔なんて名乗ってたこわーい魔法使いは一歳の赤ん坊に負けて姿を消したんだよ。リドル」
オスカーが喋りながら手を振るだけで焼き印のリドルの本名を消すと、リドルのオスカーを見る目が段々と本気になっているようだった。眼が充血しているように赤かった。それに杖を握る手もさっきよりも明らかに力が込められていた。
「オスカー、冗談もいい加減にした方がい……」
「冗談なんかじゃない。それに君みたいな残りカスに会うのも俺は初めてじゃない」
今度は明らかにリドルの顔付きが変わった。さっきまで単なる怒りだった認識が、明確にオスカーを警戒する相手としてとらえている様だった。
「君が分霊箱を見たことがあるだって?」
「リドル、君は俺が会ったことのあるどのリドルより若い。でも、きみより年寄りだったリドルは、俺が入れものごとぶっ壊した」
「嘘を言うな!! お前が僕の分霊箱を壊しただって? 僕より年下のお前が? そんなことは不可能だ」
凄まじい強制力のある叫びだったが、オスカーはまるで感じ無かった。自分の考えている通り、リドルは自分の能力に対する自信が凄まじかったし、それを怒らせるのは簡単だった。
「リドル、君はどうせその指輪みたいな魔法の道具が好きなんだろ? スリザリンの末裔の残りカスを入れるにふさわしいモノってわけだろ?」
「オスカー……」
「君は自分が創設者の末裔だから、あの四人の持ち物だったらなんでも欲しいわけだ。だからレイブンクローの髪飾りも欲しかったんだろ?」
「まさか、僕は髪飾りを手に入れたのか?」
「そうだ。君はヘレナをだましてアルバニアの森で髪飾りを手に入れた。それでホグワーツに隠した」
さっきまで怒り続けていたと言うのに、今度はまた恍惚とした表情にリドルはなりかけていた。いつかのクリスマスにエストが見せたような、二年目の最後にダンブルドアが感激していたのにも似た顔だった。オスカーは目の前の少年がそんな顔を邪悪な本性を持っていながらするのが許せなかった。
「だから俺は君の残りカスごとぶっ壊したってわけだ。リドル。二年前の話だ」
「ふざけるな!! 僕の分霊箱を十二か十三かそこらの子供が壊せるわけがないだろう!!」
やはり怒らせるのは簡単だった。いかに今世紀最悪の闇の魔法使いでも、目の前にいるのは学生時代のそれだったし、何十年も指輪に閉じ込められ、その精神は完全とは言えなかった。
それに、オスカーは自分の精神も体も杖も心も魂も、今はすべてをコントロールできている自信があった。
「リドル、君は髪飾りの意味もヘレナの話も何も理解できていなかった」
「あの弱い女が何だって言うんだ!! あいつは信じられないくらい恵まれた環境にいながら、自分以上のモノを、自分に相応しくないモノを手に入れようとした愚か者だった!!」
「リドル、お前にその指輪は相応しくない。何より、お前に一番必要で、唯一先祖から受け継げるかもしれなかったそれをお前は理解できていない」
「戯言を言うんじゃない!!」
「リドル、お前がよりにもよってそれに自分の一部を入れたのが間違いだった。今からそれを証明してやる」
「スネイプ先生、研究室でボクが言った事は全部謝ります。だから何か解決する方法を教えてください。スネイプ先生は闇の魔術に対する防衛術の先生に毎年志願しているって噂ですし、二年前もダンブルドア先生がホグワーツで一番闇の魔術に詳しいのはスネイプ先生だって言ってました。ボクが言った事を許してくれなくてもいいんです。先輩を助けてください」
「ミス・マッキノン…… 残念ながら我輩には……」
「ちょ…… ちょっとレア……」
もし、ヴォルデモートが出てきたのなら、オスカーを人質に取るだろうと言う話が終わった瞬間にレアがスネイプにそう言った。トンクスがレアを止めようとしたが、全く止まる気配がしなかった。スネイプの方は努めて感情を出さない顔を保っている様に見えた。
「スクリムジョール先生、先生は熟練の闇祓いで闇の魔術に対する防衛術の先生です。先生ならホグワーツの人は知らない様な、知識とか経験があるはずです。魔法省は魔法界の色んな人の代わりに闇の魔法使いと戦うことができる組織だって授業で言ってました。先生、助けてください」
「ミス・マッキノン、残念ながら私にも先例がない以上、明確な対策はだしかねる」
「レア、ちょっと聞いてるの? ほら、ちょっと落ち着きなさいって」
さっきまでの会話から、大人の三人が解決策を提示することができない事くらい、まだ子供である四人にも分かっているはずだった。中でもエストと同じくらい会話に参加していたレアに分からないはずが無かった。それでも、レアの手を取って落ち着かせようとしているトンクスの方を見向きもせずに今度はダンブルドアの傍まで行った。
「ダンブルドア先生、先生はエスト先輩が言ってたみたいに、今世紀で一番偉大な魔法使いです。ホグワーツの校長です。先生は二年前にボクやクラーナ先輩やオスカー先輩に言ってました。ホグワーツでは助けを求める者には、必ずそれが与えられるって。だから、助けてください。ボクじゃなくて、オスカー先輩を助けて下さい」
「レア…… すまぬ。今はわしにも見守ることしかできぬのじゃ」
「だから、レア、やめなさいってば。私たちが何か言っても、何か変わるわけじゃないじゃないの」
しぼり出すような声のダンブルドアからの返答をレアが聞いたのと同時に、トンクスが無理やりレアを引っ張って、校長室にあったソファーに座らそうとした。
「何もできないから、言ってるんじゃないか……」
「レア?」
トンクスと一緒にチャーリーがレアを座らそうとしたが、かたくなに彼女は座ろうとしなかった。オスカーやエストがホッグズ・ヘッドで見た時と同じくらい震えていたのに、涙は流れていなかった。オスカーが起きていて、彼女の顔を見ていたのなら、一番嫌いな顔だと言ったに違い無かった。
「だから…… ボクには何もできないから…… 言ってるって、言ってるんだ。助けることなんてできないし、他の強い人とか賢い人にすがることしかできないから……」
「レア、取りあえず座った方がいいよ」
「そうよ。そのうちけろっとした顔で起きるに決まってるじゃない。取りあえず座って待ちましょう」
「いっつも…… 闇の魔術に対する防衛術を習ったって、魔法省が威勢のいいことを言ったって、仲間に凄い魔法使いがいたって、誰も助けれないんだったら何も意味も無いんだ」
誰にそれが刺さっているのかは分からなかった。ただ、無理やり座らされて、震えながら自分の言葉に突き刺されている女の子よりも、それを聞いている何人かの方がそれが深く刺さっているはずだった。
赤色の閃光がリドルの杖から発されたが、バチッと言う音と一緒にオスカーの姿が消えた。リドルも同じく姿くらましを使って、オスカーを追いかける。
ダンブルドアが孤児院の院長と喋っていた広間に二人は移動していた。
「凄いじゃないか、ホグワーツでは君の歳で姿くらましを覚える機会なんてほとんど無いはずだろう?」
「リドル、俺は君と違って、何度も大人の魔法使いと姿くらましや姿現しを使う機会があったんだ」
また赤色の光線が幾本かオスカーに向かって飛んでいったが、全て弾き飛ばした。孤児院の擦り切れたカーペットが弾かれた光線を受けて燃えた。
オスカーも姿くらましを使うのは初めてだったが、今のオスカーにとって、失敗すると言う考えの方がナンセンスだった。杖も意識も魔法も完全にコントロールできていると言う自負が今のオスカーにはあった。
「君はどうしてこんな孤児院にいるのか聞いてもいいか? リドル?」
「君は僕について詳しいんじゃなかったのか? オスカー? 簡単な話だろ、僕が生まれたのはここだからだ」
「リドル、そうじゃないだろ? 君はこの指輪の中では場所を選べたはずだ。それこそ、俺や君が長い時間を過ごしているスリザリンの談話室や、君が髪飾りを隠すのに使った必要の部屋でも良かっただろう? それこそあのボロ小屋でもだ」
リドルはオスカーの必要の部屋と言う単語に反応したが、それよりもボロ小屋と言う単語に強く反応した。また真っ直ぐにリドルはオスカーの眼を見ようとする。しかし、オスカーは知っていた、この目の前の少年が人の眼は見ても、自分の眼は絶対に見させない人間であることを。
「何が言いたいんだ? オスカー?」
「簡単な話だろ? 君は自分で思っているんだ。自分に相応しい場所は、自分がいる場所は、自分の魂に相応しい場所はここだって」
無言の緑の閃光が数本炸裂した。孤児院の机や窓が緑色に照らされて、カーテンやカーペットが燃えたが、オスカーはそれを石造りの壁を変身させて全て避け切っていた。
「さっきヘレナに対して君は言っただろ。相応しくないモノを手に入れようとしたって。良く分かってるんじゃないか、君は自分に相応しいのがホグワーツじゃ無く、君の生まれた孤児院だってわかっていたんだろ?」
「お前、そんなに僕を怒らせたいのか?」
「ヘレナに相応しいのはホグワーツで、君に相応しいのはここだ。何より君が証明している」
「黙れ!!」
また呪文が炸裂して、今度は孤児院の床ごとリドルはオスカーを叩き潰そうとした。また姿くらましの音が聞こえて、暗い空の下の雪が積もった孤児院の屋上に二人は移動した。
「君がどうして純血にこだわるのか、俺はやっとわかってきた気がする」
「まだ戯言を繰り返すのか? オスカー?」
「君の名前はトム・リドルだ。俺は聖二十八族の苗字くらい知っている。シャックルボルト、プルウェット、ウィーズリー、ブラック…… リドルなんて面白い苗字は聞いた事が無い」
「それがどうしたんだ?」
「簡単だろ。今は聞かなくなったシャフィクとかゴーントみたいなのが君のどっちかの一族で、指輪があったボロ小屋に住んでたんだろ?」
「お前……」
「それでその一族とマグルが結婚して生まれたのがお前じゃないのか? リドル?」
「そんな証拠がどこにあるんだ?」
「簡単だ。一、リドルなんて名前は聞いた事が無い。二、君は俺のいる時代では頭がおかしいくらいの純血主義で知られている。三、君はその名前が嫌いだ」
今度は怒りで紅潮せず、何も感情を感じさせない様な顔でリドルがオスカーを見ていた。外の寒さのせいかもしれなかったが、病的なほど、その顔は白く見えた。
「オスカー? 何が言いたいんだ?」
「ちょっと考えればわかる。君は君を捨てたマグルが嫌いなんだ」
「だから何が言いたい?」
「君は純血も嫌いなんだろう? 自分より血が濃いのに、自分より無能な純血が嫌いなんだ」
「お前に何がわかる?」
「君は混血が生まれるのが怖いんだろ? 無能な純血と、嫌いなマグルが結婚して、自分みたいな境遇の人間が生まれるのも、同じくらい強い魔法使いが生まれるのが怖いんだろ? 違うか?」
「だから!! お前に何がわかる!!」
リドルが杖を振ると、足元の屋上の石畳が変形して、三本ほどの蛇の様になった。それぞれの蛇とリドルの緑色の光線がオスカーを狙ったが、ワンドレス・マジックで石造りの蛇を吹き飛ばし、杖で壁の様に変身させることで死の呪文を防いだ。
「僕についてお前が分かった様な口を聞くな」
「そうか? 俺が俺のことを分からない様に、君も君のことを分からないんじゃないのか?」
「ふざけるな、いい加減その減らず口を閉じろ」
「リドル、君はホグワーツで初めて受け入れて貰えたと思ったんだろ? でも、ホグワーツでも君は結局受け入れて貰えなかったんだろ?」
「だから、この僕に対して分かった様な口を聞くんじゃない!!」
「結局、オスカーが指輪の中で…… その…… ヴォルデモートに勝つことができれば戻ってくるんでしょうか?」
クラーナがオスカーが杖を持っている方の手に、自分の手をあてながら言った。ベッドを挟んで向こう側にいるエストが答える。
「多分、ダンブルドア先生の言うとおりならそうなんじゃないかな。勝つって言うのがどういうことを示しているのか、エストには分からないけど……」
「ダンブルドア先生? どうなのよ? あ…… どうなんですか?」
また指輪についた黒い石にずっと視線をやっていたダンブルドアが、トンクスの声を受けてやっと気付いた様だった。
「これもわしの想像にしかならぬが…… 一つはヴォルデモートを文字通り倒す事じゃ、もう一つはその指輪の中で指輪を破壊することじゃろう。わしが考え付く中で現実的なのはその二つじゃ」
「この指輪の中のヴォルデモートは何歳なの?」
「何歳ってどういう意味ですか?」
「魂を分けた時の年齢で出てくるはずなの。普通に考えたら、成人して何年もたったヴォルデモートだとダンブルドア先生しか太刀打ちできないの。でも……」
「若いときなら何とかなるかもしれないってことですよね?」
二人の会話を受けて、ダンブルドアが答えた。レアの顔にも少しだけ色が戻ってきたように見えた。
「恐らくじゃが、学生時代のはずじゃ。五年生から六年生くらいじゃろう」
「ならなんとかなるかもしれない…… ボクたちが入ることはできないんですか? ダンブルドア先生が入ればなんとかなるかもしれないのに」
確かに、それは大きな疑問だった。指輪の中にオスカーが入れるのならば、他の人物でも中に入れるのではないのかという事だった。
「それは余りにも危険すぎる。それに分霊箱の方が抵抗するじゃろう」
「なら…… 戦うって一体どうやって決まるんですか? 勝ち負けとか…… 実際に決闘するわけじゃないのに」
「それもわしには答えることができぬ」
「リドル、スリザリンは心地いい場所だよな?」
「喋るんじゃない。お前を叩き潰して、お前の体のままお前が知っている人間を潰して回ってやる」
「リドル、連れないことを言うなよ。君は俺が感じたのと同じ様にスリザリンに愛着を感じてたんだろ」
リドルの攻撃が怒りを誘えば誘うほど、単調で死の呪文の様な直接的な魔法になることがオスカーには分かっていた。本来のリドルの実力で変身術等を多用されればオスカーにほとんど勝率は無いはずだったが、自分より強い相手との戦闘経験と言う意味では、オスカーは唯一リドルに勝っていた。
「スリザリンは純血ってだけで仲間に入れてくれる。どんな人間でもな」
「お前に何がわかる」
「他の寮みたいに勇気とか誠実とか賢さとかが無くても、純血ってだけで少しは認めて貰えるんだ」
「だからどうした?」
「でもそれは俺たち自身を認めて貰ってるわけじゃない。最初からあるモノだからな。ああ、君にはそれも無かったか。いや? 途中で違うって気付いたのか?」
緑の光線は最早リドルの声にならない叫びの様だった。明らかにリドルはオスカーが言っていることに対して反応していた。こう言う人間が普段は冷静に見えても、信じられないくらいの熱やプライドを持っている事をオスカーは知っていた。
「君はスリザリンからも何も受け継げなかったんだ。トム・マールヴォロ・リドル。それにペベレルの家からも何一つ受け継げなかった」
「ふざけるな!! 僕以外に誰が蛇語を喋れる? スリザリンの残した秘密の部屋に僕以外誰が気付けた? 学生時代の魔法でダンブルドアを出し抜ける奴が他にいるのか? 必要の部屋の使い方を僕以外誰が知っていた!?」
「そう言う事だけがスリザリンの残したことだと本気で思ってるのか?」
オスカーが言っている事に対して、リドルは必死で考えている様だった。オスカーには何となくリドルの考え方は良く分かっていた。リドルは自分の事を特別だとずっと思っていたし、現に特別だったのだ。その血統も才能も頭脳も全てが特別だった。しかし、それが彼を一番追い詰めていて、魂を分けなければいけない状況にさせたに違い無かった。
「あれだろう? またお前らはこう言うんじゃないのか? 『愛』だって。ダンブルドアが僕の時代から言っている様にそう言う気なんじゃないのか?」
「それはある意味で合ってるだろうな。蛇語や純血主義やお前の魔法の才能は君を愛してたかもしれないけど。何も言ってはくれないだろ。ただ肯定するだけだ」
「何がだ。優れている。それだけで十分だろ。僕のことを一番良くホグワーツの環境は受け入れて理解していた。それに僕もお前やダンブルドアや他の学生や学生だったやつらよりも遥かにホグワーツの事を理解している」
「リドル、優れているってことは良いことだけじゃない。頭がよければ違うモノが見える。頭がよければ間違いも大きくなる。魔法が得意なら凄い魔法が使える。凄い魔法は間違えれば大惨事を引き起こす。そうじゃ無いのかリドル?」
「だから何が言いたい? お前がどう言おうと僕がスリザリンの後継者で、恐らくこの百年間で一番優秀なホグワーツの生徒であることは何も変わらない」
オスカーは酷くこのリドルと言う少年が悲しく見えた。あらゆる意味で自分や自分の仲間たちの敵であると言うのに、信じられないくらい目の前の少年が悲しく見えた。
オスカーがいつもホグワーツで過ごしていても、人と自分の考えや感じ方が違う事は少なからず感じることだった。しかし、エストやダンブルドアや目の前にいる少年にとって、それは耐えがたいほどの苦痛であるはずだった。
それも自分と言う感覚がまるで分からない中で、自分を理解してくれたり、導いてくれる人間がいない中で、それを感じると言うのは信じられないくらい孤独に感じるはずなのだ。
「リドル、いや、トム。スリザリンは心地いいだろ。君がスリザリンに選ばれて監督生をやっているのは当然だよな」
「当たり前だ。スリザリンの子孫で、世の中を動かすくらいの野心を持っていて、蛇語を喋れる僕がスリザリンじゃない理由がどこにある?」
「違うだろ、トム。君は自分自身が空っぽだからスリザリンに選ばれたんだろ。俺と一緒だ」
「ともかく、準備をすることは大切だろう。彼が起きた時にどうするのかが大切だと言う事だ」
「それは具体的にどういう意味ですか? スクリムジョール先生?」
「ミス・マッキノン、普通に考えれば、どちらが勝ったのか我々は知らねばならないし、もし…… 我々にとって好ましく無い方が勝ったのならば、早急に…… 言葉は悪いが鎮圧し、その指輪を破壊せねばならないだろう」
「オスカー先輩が戻ってきたのなら?」
「その場合は魔法薬による夢の無い睡眠が必要だ。こう言った事象が他にないために難しい所だが、体力を消耗するだろうことには違いないからだ」
こうして、時々、誰かが喋ることがあっても、校長室には重苦しい沈黙が基本的に満ちていた。時々、唸るような声を上げたりしているオスカー以外、他の音を出すのはフォークスが歩いたり、ダンブルドアを慰めようとしているのか、ダンブルドアの周りをウロチョロして、羽の音がするくらいだった。
「ダンブルドア先生、さっきの銀色の魔法の道具を使えばどっちが戻ってきたのかわかるんじゃないの?」
「そうじゃの…… エストレヤ、少し時間があれば分かるじゃろう」
「なら、それで行くしかないかも。その道具で判定している間に、オスカーじゃ無い方だったらその指輪をぶっ壊すの」
「指輪を破壊してもオスカー先輩が戻ってくるかどうかは……」
「心配しないでも戻ってきますよ。前だって、一回勝ったんですから……」
クラーナの消え入るような呟きに誰も反論はしなかったが誰も同意もしなかった。結局の所、現実世界にいるはずの八人には手出しをすることができない様だった。
「何が空っぽだって? オスカー?」
「君と俺が空っぽだってことだ」
「この僕が空っぽ? 学生時代に……」
「そうだ。特別功労賞を貰ったり、監督生だったり、スリザリンの末裔だったりする君は空っぽだって言ってるんだ。俺が純血なのと同じ様に、君は空っぽだ。だからスリザリンに選ばれた」
「意味が分からないな」
オスカーは指輪を破壊して現実に戻らないといけなかった。しかし、だからと言って、全力でこの目の前の少年を後悔させるのを諦めるわけにはいかなかった。さっきオスカーがして貰った様に、たとえ通じなかったとしても、オスカーはそうせねばならなかった。そうしないとオスカーはシラにも指輪を作って伝えてきた誰かにも顔向けができなかった。
「純血だってことは俺を肯定してくれる」
「お前にはそうなのかもな」
「君がスリザリンの末裔で蛇語が喋れるのは君を肯定してくれる」
「当然だろう」
「でもそれだけだ」
「それで何が足りない?」
それだけでは足りないことをオスカーは十分に知っていた。ホグワーツに入ってからの四年間で十分に思い知らされていた。
自分が比べ様が無いほど、真面目に生きて、勇敢で誠実で頭が良く狡猾でも、それと同じくらい、みんな自分自身のどこかに嫌だと思う部分があることを認識していたのだ。
「肯定だけだ。長所と短所、全部知らないと空っぽのままだ」
「そんなモノを知る必要は無かった」
「そうだよな、君は他の人に欠点を見せたく無かっただろうし、欠点を認めて貰った事もなかったんだろう?」
「だから、お前に僕の何がわかる」
「だから君は他の人の欠点を認めることができない。だから君は自分の欠点を認めることができないんだ。トム」
「お前が言うようなそれは存在しない。弱さをさらけ出すのは愚か者のやることだ。同情を誘ってそれだけしかできない。自分で生きることのできない、価値の無い人間のやることだ」
「本当にそうかトム? 君はそれができなかったから、何も無かったんだろ? 本当の自分は孤児院にいてホグワーツにはいなかった。君は純血では無く、混血で君の嫌いなマグルに捨てられた。トム、君は認めるべきだった」
「だから!! 黙れ!!」
もはやリドルの魔法は本当に直線的でオスカーは大して魔法を使わないでも避けることができた。ただ、それでもオスカーはこの目の前の少年に響くようなことを言える気がしなかった。本当に近くにいると言うのに、全く声がとどいていないのだ。
「トム。何度も言うが君にその指輪は相応しくない」
「この指輪がなんだと言うんだ」
「その指輪の意味を君が知らないことが、ここが孤児院だと言う事くらい、君の事を示している」
「ふざけるな」
「その指輪は死者と喋る指輪だ。君はそれを知っていたら絶対に魂をいれなかっただろう」
「何を言ってる。死者は蘇らない。どんな魔法を使ってもだ」
「君は死ぬのが嫌なんだろ?」
「当たり前だ。弱いから死ぬんだ。弱く無ければ死ななかった」
「君の母親がか?」
「黙れ」
オスカーはやっと少しだけリドルの心を引き出せた気がした。リドルにとって、自分を残して死んだ母と、自分を捨てて死んだ父は生きて行くうえで常にのしかかっているモノのはずだったからだ。そして彼はそれを誰にも見せようとはしないはずだった。
「だからトム、君は弱いモノと向き合ったり喋るのが嫌なんだろ」
「僕は弱くない。現にダンブルドアもお前も僕に脅かされている。お前が言うような消しカスみたいな魂に、ただの学生に過ぎない魂に」
「死者と向き合うのも、自分の弱い所に向き合うのも嫌なんだろ君は」
「戯言を言うな、お前の言葉は僕を酷くいらだたせる」
「事実だからだ。スリザリンが与えてくれた肯定がある間に、君は自分の弱い所や他人と向き合うべきだった」
「そんなことをスリザリンは望んでいなかった」
「本当にそうか? 他人と向き合えない君に何がわかる?」
トム・マールヴォロ・リドルが真っすぐにオスカーの方を見た。相変わらず、強固で誰も入れさせないと言う壁が彼の眼にはあった。人生の中で一度も他の人に入るのを許したことのない世界があった。
「トム、僕の眼を見ろ。君が見たく無いって言うなら見せてやる」
オスカーは知っていた。閉心術が心を閉じる為のモノだけではないことを。相手に見せたいものを見せる為のモノであることを。誰かを理解する時に、先ず自分が理解されないといけないことを知っていた。