聖マンゴ魔法疾患傷害病院
この夏で一番暑い日のちょうど正午近くだった。
広い通りには所狭しと店が並んでいて、ダイアゴン横丁とは違う賑わいがこの真夏の最中にはあったのだった。
「マグルの連中は良くこんな暑い中、買い物のために出てくる気になれますよね」
「それはそうだよな、煙突飛行で飛べるわけじゃないのに……」
外の暑さに二人の声にも元気が無かった。ただでさえうだるような暑さなのに、人込みの中ではそれが何倍にも感じられたからだ。
「あ、やっと見えてきました」
クラーナが指さす方をオスカーが見ると、マグルの建物の事を良く知らないオスカーでも、その建物だけが時代遅れなのが分かる、赤レンガ造りのビルが建っていた。
そもそもペンキや塗料が何年も塗られていない様に見える。一応一階部分に名前が書いてあり、『パージ・アンド・ダウズ商会』と書かれていた。
「ここですね…… 普通に人通りが多いですね……」
隣のウィーズリーおじさんが好きそうなマグルの電化製品を売る店には、夏休みだからなのか、オスカーやクラーナより小さい子供を連れた家族連れが沢山出入りしている。
ファミリーコンピュータかウォークマンなるモノのどちらかを買って欲しいと癇癪を起している子供を横目に、二人はショーウィンドウに喋りかけた。
「イライザ・ムーディに面会に来ました」
後ろの通りを走る二階建てのバスの音を聞きながら、二人は少なくとも数年は時代遅れであろう服を着たマネキンを見つめた。
マネキンは小さくうなずいて、継ぎ目だらけの手と腕で手招きした。
買い物で頭が一杯になっている家族連れを一瞥して、ショーウィンドウに足を踏み入れると、冷たい水の様な膜を突き抜ける感覚があり、少し人で込み合った受付の様な場所にでた。
「オスカー、場所は分かってますから受付には行かないです」
「分かった」
何本かネジが抜けていそうなグラグラする椅子に座って、魔法使いや魔女達は受付の順番を待っている。
順番を待つ人たちは十人十色な状態だった。文字通り顔の色がトンクスの髪の毛よりカラフルな人がいたり、なぜか首が百八十度回転している人がいたり、湯気の様なモノを体中の穴という穴から出している人がいたりと、ホッグズ・ヘッドよりも多彩な人種が集まっている様だった。
壁に肖像画が掛けられていて、オスカーとクラーナに手を振っていた。オスカーは見覚えがあると思い、肖像画の説明文を読むと、『ディリス・ダーウェント、聖マンゴの癒者、ホグワーツ魔法魔術学校校長』と書かれていた。クラーナは肖像画の隣にある扉を開けて、階段を登り始めた。
「姉さんの病棟は…… とりあえず、オスカーは六階の喫茶室で待っててくれますか? 病棟は身内しか入れなくなってますから」
「分かった。あと、ペンスが何か病院でいる物があるんなら、呼べば持ってくるって言ってたんだが……」
「大丈夫です。と言うか、お見舞いの品とかそう言うのは全部無駄になりますから……」
階段を登るクラーナの体がただでさえ小さいのに、いつもよりももっと小さく見えるのは、彼女が常日頃から出しているキビキビした元気さが、外の暑さだけではなく他の何かでなくなっているせいだとオスカーは思った。
両サイドに癒者達の肖像画がある階段を登りながらオスカーは階数を数えていた。さっき見た病院の案内だと、五階が解除不能性呪いと書かれていたのでオスカーはそこがクラーナの姉がいる場所だと考えていたのだ。
しかし、五階まで来てもクラーナはさらに階段を登ろうとした。
「クラーナ、五階じゃないのか?」
「え? ああ…… そうですね、先にオスカーを喫茶室に連れていきますよ。それに…… 私が行く場所は五階じゃなくて地下なんです。確かに五階は長期療養の病室ですから、あんまり間違ってはいないですけど」
オスカーはさっきからなんだかやり辛かった。そういう意図をして言っているわけではないはずなのに、何を言っても今のクラーナにプラスなことを言えている気がしなかったからだ。
六階の喫茶室はこの病院のほかの場所と同じように、見た目よりも実を取っている場所に見えた。いつかオスカーがトンクスと行った、ホグズミードの店のようにやたら装飾やフリフリしたモノがあるわけでは無かったし、病院にお見舞いに来た家族と入院している人が喋っていたり、癒者が何人か休憩していたりと言う感じだった。
「クラーナは何か飲むか? ファイアウィスキー以外ならおごるけど」
「夏休みは呪文が使えないから杖で殴りますよ。私は帰ってきた後でいいです。申し訳ないですけど、私が見舞いに行っている間、ここでちょっと待っててくれますか?」
「大人しく待ってるよ」
「じゃあ、ちょっと行ってきます……」
オスカーはやっとちょっと冗談を言えたと思ったが、やっぱりなんだかぎこちなかったし、明らかにクラーナはいつもと比べても元気がなかった。一人で出ていくクラーナを見ながら、病院でお見舞いをした後に合流しても良かったはずなのに、なぜクラーナは自分をここに連れて来たのだろうと考え始めようとした。
「兄ちゃん。今の女の子はガールフレンドか? え?」
オスカーが考え始めようとすると、隣のテーブルにいた少し禿げ上がった頭で小太りのおじいさんが話しかけてきた。ダンブルドア先生やドージ先生ほどの年齢では無いようで、六十か七十くらいだろうか?
「そういうのじゃ……」
「ただ女の子も自分も血が大事だ。まあ見た感じ、兄ちゃんも女の子もマグル生まれじゃないだろ?」
「それは…… そうですけど……」
出し抜けに生まれについて喋り始めるおじいさんを見て、オスカーは少し警戒感を持った。戦争の前ならまだしも、今のご時世にそう言うことをどこに聞いている人がいるかわからない場所で喋り始めたからだ。
「兄ちゃん。別にわしは一昔前に暴れてた奴らみたいにマグルをどうこうしようなんて思っているわけじゃないぞ。現にわしの嫁はマグルだった」
「そうなんですか……」
どれくらい目の前のおじいさんが本当のことを喋っているのかは分からなかったが、少なくとも、目を見た感じではうそを喋っている様には見えなかった。
「兄ちゃんはまだホグワーツだろ? 寮はどこだ?」
「スリザリンですけど……」
「ならええ、わしの娘もスリザリンだった。主席にはなれんかったが、イモリ試験でも何科目もO優を取って、わしと同じように魔法省に入ったわ」
少なくとも娘については本当の事を言っているとオスカーは思った。と言うか、単純にオスカーに自慢をするために喋りかけて来たのではないかと思ったのだ。
「わしは人の上に立って、部下や同僚のしょーもない事で煩わされるのが嫌だったから出世はできんかったが娘は違った。魔法省でもちゃんとキャリア街道を歩いとる」
「凄いですね」
エストやチャーリーも自分の話をし始めると人の話を聞かないが、この人も相当自分の言いたいことだけを喋るタイプの様だった。そして、娘が自慢だと思っているのは明らかに腹の底からそう思っているようにオスカーには見えた。
「兄ちゃんは魔法省に行ったことがあるか? 魔法省じゃあ窓に魔法がかかっていて、魔法で天気を決めるわけよ。わしはその天気を決めるのと、魔法省の床を磨くのが仕事だった。大臣室の床も磨いたことがあるぞ?」
「天気を……」
「わしのいた魔法ビル管理部が無ければ、魔法省なんてふくろうの糞まみれになった上で年中天気はハリケーンよ。わしの入ったころなんぞ、賃上げ要求のために毎日ハリケーンだったわ」
何がそんなに楽しいのか、目の前のおじいさんは笑いながらオスカーに喋っていた。それになぜか勝手にオスカーの分も蜂蜜酒を注文して勧めてきた。
「この蜂蜜酒も娘のおかげで飲めるわけよ。わしはもう少し大臣やエリート気取りのアホどものアホな争いや、しょーもない決めごとを見ときたかったが、娘にもう十分働いたと言われればしょうがないだろ? 今はこうやって、娘が送ってくれる金で余生を送っているわけよ」
「なるほど……」
さっきからオスカーはただうなずいたり、同意しているだけなのにおじいさんは楽しそうだった。話し相手が見つかったのが久しぶりだったのかどうなのか、とにかくおじいさんの語りは止まらなかった。
「ただな、だから生まれや血は大事なんだ。魔法省ではそいつがどんな家の出身かで色んな事が決まる。わしはモップがけをしながら色んな連中を見てきたから分かる。半分マグルだったらどうなると思う? わしは出世する気が無かったから関係ないが、娘は違うだろう。娘は魔法省に入って出世できる成績も能力もあったのに、スリザリンでは監督生や主席にはなれなかった。それと同じことが魔法省でもある」
オスカーは黙って聞いていた。目の前のおじいさんは悔しそうに見えた。それは何に対する悔しさなのか、オスカーには分からなかった。
「兄ちゃんもあの女の子もどうせいいとこの子だろう? ならそれはいいことだ。子供には自分の生まれなんてどうにもできん、なら一番いいモノを与えるべきだ。わしは娘に魔法力や頭は与えれたかもしれんが、そういうものは与えれんかった」
明らかにオスカーは目の前のおじいさんが言っていることに矛盾を感じるのに、それを言葉に出すことができなかった。
「兄ちゃんもあほらしいと思わんか? 頭も杖も上手く使える奴が、家や血に縛られて能力を発揮できない場所にいかされるなんてな。まあ、こんなことを考えるのは兄ちゃんからしたらずいぶん後になるかもしれん」
おじいさんは残っている蜂蜜酒を一気に飲み干した。酒を飲んだ後だったが、むしろおじいさんの目はさっきより鋭くなっている気がオスカーはした。
「こうやって誰かのお見舞いに来てる女の子について来とる。そういういいことができるように兄ちゃんも女の子も育てられたんなら、いいとこの生まれだってことよ。兄ちゃんはそれを大事にするこったな、一生ついて回るんだからな」
そう言うと、目の前のおじいさんは静かになった。オスカーはしばらくおじいさんが言ったことを考えていた。おじいさんが言っていることはどこか間違っている気がするのに上手く説明できなかったからだ。
「じゃあな、兄ちゃん。ちゃんと女の子は大事にしろよ。わしはそろそろお暇しないとダメみたいだ」
おじいさんは立ち上がり、オスカーの背中をバンバン叩いてから歩いて行ったが、喫茶室の入り口の方でちょっと厳しいお母さんの様な顔付きをした、癒者らしき人に捕まった様だった。
「アンブリッジさん!! せめて診察の時はお酒はやめましょうって言ったでしょう!!」
「そんなに怒るな。ほれ、女の子連れのお兄ちゃんにいい話をだな……」
「ダメです、通院の度に飲まれたのでは何のための病院なのか分かりません」
そのまま大声で喋りながらおじいさんは連行されていった。オスカーはそれを見ながら、さっきおじいさんが言っていたことを考えていた。どうなのだろうか? オスカーは自分自身に関わることとして、自分の家や生まれのことと、自分自身がやったことや自分の能力を分けて考えたことはほとんど無かった。
それは、去年思い出したことも含めて、自分の中でごちゃごちゃに絡み合っていて、離して考えることなど出来なかったからだ。しかし、今のおじいさんの娘や、自分以外の人間はどうなのだろうか?
「お兄さん、あんな爺さんなんか適当にあしらっとけばええのよ」
「そうそう、万年平職員でずっと魔法省のモップがけしてた人らしいのよ。あの人は誰かと喋るたびに娘の自慢しかしないんだから、それにあんまり娘さんの方もいい噂は聞かないわ」
「そうなんですか……」
おじいさんと同じくらいの老婦人二人組が、喫茶室から出ていく時にオスカーに声をかけていった。しかし、やっぱりさっき言われたことをオスカーは考えていた。自分も含めて、どれくらいの事が自分自身の能力で、自分自身で選んだことなのか? それは外から与えられたことがどれくらい入っているのだろうか? こうやってこれまで喋ったことのない人と少し喋るだけで、考えが少し変わりそうなのに、自分の考えだと言えることなどあるのだろうか?
ニコニコしながらおじいさんが勧めてきた蜂蜜酒は、クラーナが帰ってくるまで全く減っていなかった。
「ジョン、大丈夫ですから、オスカーを喫茶室に待たせてるだけですし、それにお金くらい持ってますから……」
「君は子供で、私は大人だ。君は知っているとは思うが、闇祓いの給料は安くは無い」
「いやだから、そういうのじゃないんです」
喫茶室の入り口からクラーナの声が聞こえた。短い髪の真面目そうな顔をした男とクラーナが入ってくるのが見える。男はスネイプ先生より少し年下くらいにオスカーには見えた。
「ああ、もう…… あ、オスカー、この人は……」
「闇祓いのジョン・ドーリッシュだ。オスカー・ドロホフ君、初めまして」
「ど、どうも……」
なぜか握手を求められたので、オスカーはドーリッシュと言う男と握手した。クラーナの方を見ると、額に手をあてて、呆れているのかなんなのか、とにかく困ってはいる様だった。
「これで、何か食べると良い。それに煙突飛行粉も置いておこう。じゃあ、二人ともちゃんと家まで帰る様に」
「分かりました。ジョン、ありがとうございます」
「礼を言う必要は無い。君の面倒を見るのは至極当然なことだ」
何枚かのガリオン金貨と煙突飛行粉が入った瓶を置いて、ジョンはそう言うと、ピシッとした背筋のまま喫茶室から出て行った。ペンスよりも姿勢がいいのではないかとオスカーは思った。クラーナは椅子にも座らずにまだ額に手をやっていた。
「なんか…… すごい真面目な人だな」
「そりゃそうですよ。イモリ試験は全部満点で、ホグワーツの主席だったらしいです」
「凄いなそれ」
オスカーには、どうもクラーナはあのドーリッシュと言う男が苦手な様に思えた。ただ、喫茶室に入る前の様な雰囲気がクラーナから無くなっていたので、その分は安心した。
「毎回、あんな感じなんです。真面目なのは良いんですけど、私の事は、その…… なんかホグワーツに入る前の子供かなんかだと思っているんですよ」
確かに身長だけ考えれば、ホグワーツに入る前のレアと今のクラーナはいい勝負かもしれないとオスカーは思ったが、流石に口には出さなかった。
「けど、なんで聖マンゴにいたんだ? 闇祓いなんだろ?」
「それは…… その、姉さんの部屋に入るのに一応闇祓いかパトロール隊の誰かを連れていく決まりなんです。叔父さんはもう局に席は無いですから、姉さんの同期のジョンが毎回来てくれるんです」
つまり、さっきのドーリッシュが言っていた、面倒を見るのは至極当然な事とは、彼が闇祓いだからと言うだけではないのだろうとオスカーは思った。闇祓いで同期だと言うことは多分ホグワーツでも同期だったはずだからだ。
「じゃああの人も…… 騎士団なのか?」
「違いますよ。騎士団と魔法省の両方に仕えられる様な器用な人じゃないです。姉さんは良く、真面目バカだとか、ダーク・クレスウィルがジョンよりバカだったせいで、真面目バカと一緒に主席になったとか言ってました」
一応、オスカーは騎士団の事を口に出す前に周りを見てから言った。しかし、ドーリッシュは生真面目で融通が利かないタイプだと言うことなのだろうか? オスカーは何となくチャーリーの弟、パーシーの顔が浮かんだ。去年思い出した記憶の中のクラーナの姉の性格を考えれば、水と油の様な関係になりそうな気もした。
「ほんとにバカってことじゃないですよ? 家や周りの期待に応えてるわけですから、すごい賢くて真面目なのは本当です。ただ、真面目過ぎるんです。ああ、もう早くダイアゴン横丁に行きましょうよオスカー。なんかジョンがお金置いていきましたし」
「なんか食べなくていいのか? あと蜂蜜酒全然飲んでないから別に飲んでもいいぞ」
「ダイアゴン横丁で適当に食べましょう。蜂蜜酒は貰えるんなら貰っておきます」
オスカーは言ったあとで少し不味いと思ったが、そのころにはもうクラーナが蜂蜜酒をごくごく飲んでいた。オスカーは思った。なぜ弱いのがわかっているのに一気に飲むのだろうかと。ドンとテーブルに空のグラスが置かれた。
「ほら、行きましょうオスカー」
「分かった、分かったから」
さっきの子供扱いで怒っているのか、何なのか、クラーナがオスカーの腕を取って立ち上がらせようとしたのでオスカーはびっくりした。とにもかくにも、クラーナがダイアゴン横丁に行きたいことは分かったが、結局どうして病院に自分が連れてこられたのかをオスカーは理解することは出来なかった。
ダイアゴン横丁に並ぶ店々のひさしの合間から夏のきつい日差しが差し込んでいた。ホグワーツにいる時期には感じることの無い暑さがオスカーを襲っていたが、オスカーはあまりそれは気にならなかった。
聖マンゴに行く前も二人で歩いていたというのに、その時はそんなに気にはならなかったのだが、今は何か違った。単純にクラーナの意識やオスカー自身の意識が別の場所に向いていたからかもしれなかった。
何より距離が近い気がした。ただでさえ暑くて、ホグワーツでは着ることが無いような薄着をして暑さを凌いでいるはずなのに、歩いているクラーナとの距離が近い気がしたのだ。いくら人が多い通りで、道を開けないといけないと言っても、明らかに近いとオスカーは感じていたが口には出さなかった。
「あそこ入りましょうよ。いっつも通るだけであんまり入ったことないんです」
「腹も減ったしな」
気のない言葉を返したせいなのか、クラーナに少し睨まれた気がオスカーはした。オスカーもダイアゴン横丁には幾つかカフェや軽食を出す店があることは知っていたが入ったことは無かった。家で食べるか、漏れ鍋で食べるかどちらかだったからだ。
外のテラスに座るとやっとクラーナと距離が離れて、オスカーは一息ついた。と思ったが、メニュー表が二つ、店の中から飛んできて、オスカーとクラーナの顔の前にメニューを示した。
「何なんですかこのメニュー、ほかのページを見せようとしないんですけど」
「こっちもそうなんだが」
「軽食です? それとも普通に食べますか?」
二人がメニューに戸惑っていると、後ろから不愛想な声がした。店員らしき人のちょっと不機嫌な顔が一瞬見えたが、またメニュー表がオスカーの視線を遮った。
「とりあえず、メニューを選びたいんでこのメニューを静かにさせてくれませんか?」
「軽食です? それともがっつりですか? 当店おススメのカップルランチメニューか、カップルコーヒーメニューのどちらになさいますか?」
「いや…… だから、とりあえずメニューを見たいって……」
「軽食です? それともおなか一杯食べられますか? 当店おススメのカップル様向けメニューをただいまご覧になられています。単品の注文よりもお得になっております」
「単品の価格を見ないとお得かどうか分からないんじゃ……」
「お得となっております。どちらになさいますか?」
「分かりました。ランチメニューでいいよなクラーナ?」
「いいですけ……」
「カップルランチメニューでよろしいですね?」
なぜかその時だけ、メニューが机に降りて動かなくなった。店員さんはかなり不機嫌な様だった。オスカーは何となく、このやり取りはこの店員さんがやりたくてやっているわけでは無いのだろうと目を見て思った。早く言えと言う意思が目から伝わってきた。
「それで」
「カップルランチメニューでよろしいですね?」
「いやだからそれで」
「カップルランチメニューでよろしいですね? お客様に言ってもらわないと料理を始める魔法のトリガーが動きません。カップルランチメニューでよろしいですね?」
「分かりました…… カップルランチメニューで」
「ありがとうございます。カップルランチメニュー一丁!! 追加のご注文はメニュー表をご覧ください」
オスカーは病院のおじいさんの相手をしたことや、やたらクラーナとの距離が近い事よりも疲れた気がした。
「何なんですかこの店、確かに普通に頼むより安いみたいですけど」
「もうなんか疲れたな。これからダイアゴン横丁で食べるときは、漏れ鍋かフォーテスキューのアイスにしよう」
「そうしましょう。一体何なんですか……」
メニュー表は勝手に机に置いてあった本立てに収まっていた。本立てにはメニューの他に何冊か本が置いてあって、そこにはオスカーが見るのも嫌になった週刊魔女も収まっていた。
「どうぞ。当店おススメのメニュー、カップルランチメニューのアイスティーになります。当店はカップル様向けのお店として、週刊魔女でも紹介されております」
「そうなんですか」
「はい。先ほどのメニュー表による対応は、週刊魔女にて先に当店の紹介を拝見いただいたカップル様のみの特別対応となっておりまして、特別にランチメニューの最後にパフェをご準備いたしております」
「特別対応」
「特別対応でございます」
「なるほど」
「では少々お待ちください」
店員さんの顔は先ほどよりも不機嫌では無くなっていた。言いたいことを言って気が済んだと言う感じにオスカーには見えた。クラーナの方を見ると疲れたのかテーブルに突っ伏していた。
オスカーは考えてみた。つまり、オスカーとクラーナのどちらかが週刊魔女を読んだせいでさっきのメニュー表による攻撃が発生したらしい。オスカーは三年生の最後に問題の週刊魔女を読んでから、一度もあの雑誌を読んだことが無かった。
ではクラーナが読んだのだろうか? 普通に考えれば、あの雑誌で一番被害を受けたのはクラーナなので、読むことはないと思えた。しかし、オスカーは知っていた。あの事件があった後、クラーナのもとには無料で週刊魔女が送られていていることを。それをグリフィンドールの暖炉の火を大きくするために使っていると何度か聞いたことがあったのだ。
クラーナはまだ突っ伏していた。ダークグレーの髪の間から見える肌が赤かった。この気温と、蜂蜜酒を飲んだ後に煙突飛行でグルグル回ったせいもあるかもしれなかった。流石のオスカーにもその二つの理由だけでここまで赤くなっているのではないことは分かった。
「クラーナ、アイスティーが来てるぞ」
「知ってます」
クラーナは顔を上げなかった。料理もまだ来そうに無かった。正直に言えば、夏休みに入る前と同じで、オスカーはあまりクラーナの顔をみて正面から色んな事を三年生や二年生の時の様に喋れる気がしなかった。去年までなら、クラーナとの距離を考えることなど無かったはずだった。だから、クラーナが顔を上げていない今なら聞きたいことも聞ける気がした。
「じゃあ顔を上げないでいいから、聞いてもいいか」
「なんですか」
「なんで俺を聖マンゴに連れて行ったんだ?」
クラーナは静かになった。オスカーは思った。こんなことを聞いたとトンクスに話したら、そういうのは聞くんじゃなくてあんたが考えることでしょと言われそうな気がしたし、エストに話せば、エストも同じ風に聞いたかもと言われる気がした。多分、レアはもっと直接的に聞いたのではないだろうか?
「ダイアゴン横丁で合流することもでき……」
「二年前のクリスマスの時覚えてますか?」
「クリスマス? トンクスじゃなくて、エストと取っ組み合いしてた時か?」
「そうです。あの時、聖マンゴに行ってからオスカーの家に行きました」
さっきまでと違って、クラーナの顔の赤さは引いている様に見えた。ただ顔は上げないまま喋っていた。ダイアゴン横丁で買い物をする魔女や魔法使いがテラスで喋っているオスカー達の横を何人も通り過ぎて行った。
「誰も闇祓いが空いてなくて、やっとイブの夜にジョンが来てくれて姉さんのとこに行ったんです。面会できるようになったのはあの年からでしたから、クリスマスくらい行きたかったんです」
オスカーは心の中で勝手にシミュレーションしたトンクスの言う通りかもしれないと思った。ただ、多分顔を上げた状態ではお互いに聞けなかった気もした。
「それで、家に帰った後に色んな事考えるじゃないですか、その…… トンクスに酷い事言った時みたいなことです。叔父さんはいなかったですし、寝れなくて、もうほとんど朝でしたけど、起きたら一人なのが嫌だったんです。あんな時間に行くべきじゃないってわかってたと思うんですけど」
あの時は、オスカーはエストと喧嘩をしていた事で頭が一杯だったのを覚えていた。だから、クラーナがどんな状態だったのかを気にする余裕が無かったと分かっていた。クラーナの目が三年生の夏休みの後と同じように疲れていた事しかオスカーには分からなかったのだ。
「あなたやエストやレアに言っちゃダメですけど、暖炉飛行で行ったら、オスカーとエストは一人じゃなかったでしょう? だからムカついたんです」
クラーナは顔を上げなかったが、どんな顔をしているかくらいオスカーには分かった。やっぱりオスカーが一番見るのが嫌いな顔をしているに違い無かった。自分の事が嫌いだという顔をしているに違いなかった。
「だから、私は一人で行きたく無かったんです。こうやって喋っちゃってますけど。オスカーと普通にダイアゴン横丁に来たかったですけど。その、病院で考えるようなことじゃなくて、エストがオスカーと談話室で喋ってたり、ときどきトンクスとバカ話をしているでしょう? そういうことを喋りたかったんです。最初から一人じゃなければ考えずに済むかなって思ってました」
つまり、オスカーはそれをクラーナに与えることができなかったと言うことなのだろうとオスカーは思った。なぜなら、まさに見舞いに行く前のクラーナの様子は正にそういうことを考えていたからだろうからだ。
「クラーナ、そろそろランチも来そうだし起きたらどうだ?」
「どうせまだ来てないんでしょう?」
そういいながら少し、クラーナが顔を上げた。オスカーは間髪入れずに言った。
「さっきの話はクラーナが家族は大事だって思ってるってことだろ? だから色々ムカついたり、いろいろ考えるってことだろ? もしかしたら……」
喋りながらオスカーは病院で喋ったおじいさんの事を思い出した。おじいさんはマグルの血が娘のキャリアや人生を縛っていると言っていた。それはクラーナにとっても同じではないだろうか? オスカーは同時にトンクスとクラーナが言い合いをしていた内容も思い出していた。
「いやもしかしたらじゃなくて、家族の事をちょっとでも嫌だって思いたくないのかって思うけど……」
クラーナが黒目だけを上げてオスカーの方を見ていた。ハッとしたような顔だった。オスカーは思った。去年の自分とは逆ではないのかと。自分は父親のいい場所を見つけるのが嫌だったのだ。
「そう思っているんなら大丈夫だろ。大事だと思いたいからそう考えるんだろ。それに誰でも良かったのに、俺を連れてってくれてありがとうな」
「違いますよ!! 誰でも良かったわけじゃ……」
オスカーは自分で喋りながら、クラーナの顔を見てちょっと不味いと思った。距離も近かったし、見上げる様にオスカーを見てくるクラーナとの構図もあった。夏休み前と同じで、やっぱりオスカーもおかしかった。簡単に言えば、まね妖怪と戦う前と一緒だった。
オスカーはさっきのさっきまで、クラーナの話を聞いて、頭がフル回転していたし、クラーナの声色やリズムから色んなモノを読み取って冷静に伝わる様に言葉を作ったはずだった。
それは今はどうなのだろう? 頭は明らかに動いていない気がした。色んなモノを読み取ろうとしていた、目や鼻や耳は違うモノを読み取って、頭では無い何かを動かそうとしているに違いなかった。
いつか匂ったことのあるミントの様な匂いがクラーナの髪からすることが分かった。目は多分、彼女の目や唇をとらえていた。耳はクラーナが自分のシャツを触って、それが肌と触れる音をとらえていた。テラス席でダイアゴン横丁の色んな音が聞こえ、夏の日差しが石畳に反射されているはずなのに、フィルターがかかった様に五感も考えや自分の感性も一つにフォーカスされていた。
オスカーは思わず顔を見れなくなった。
「一人で行くのがちょっと嫌だったのもありますけど。私は……」
「お待たせいたしました!! カップルランチメニューになります!!」
二人の前に美味しそうなスペアリブが何本かと、スイートコーンが置かれた。多分、グレート・フィーストだろう。スペアリブは焼き立てだったし、スイートコーンも蒸したばかりに見えた。それにグラスに汗をかいたバタービールは見るだけでのどが渇きそうだった。
「ご注文の品は以上になります。お食事後にサービスのパフェを提供いたしますので、お申しつけ下さい。ほかに何かご注文等がございますか?」
店員さんはニコニコだった。オスカーはクラーナの顔を見れそうになかったので、店員に十分だと伝えようとした。二人の声が同時に出た。
「「大丈夫です」」
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」
店員が去っても二人はしばらく料理に手を付けようとしなかったし、お互いの顔も見ようとしなかった。しばらくそうしていて、オスカーがバタービールに手を伸ばすと、テーブルの向こう側でクラーナがバタービールを一気飲みするのが見えた。
「なんか、オスカーおかしくないですか」
「なんかって何なんだ」
「いつもと違いますよ」
「そんなこと言われてもな」
お互いに目を合わせず、ランチを食べながら言い合ったがオスカーは少し怖くなった。どうも、自分の変調は外から見てもわかるくらいのモノらしいと言うことだった。そもそもオスカーは誰とごはんやお茶に行っても、誰かの顔を見れなくなることなどほとんど無かったはずだった。
自慢になるのかを置いておいても、ダンブルドア先生やスネイプ先生相手でも、顔を背けない自信がオスカーにはあった。それが夏休み前から四人が相手だとどうもこの体たらくなのだ。
「私も上手く言えないですけど…… その…… オスカーを馬鹿にしてるわけじゃないですけど、オスカーは普通言えないことを最初から最後まで堂々言うじゃないですか、時々」
「なんだそれ」
「だから、こっぱずかしいことをなんか恥ずかしげも無く言うってことです!!」
クラーナが結構な大声で言ったのでオスカーは目を見張った。オスカーは自分で考えてみたがどれがそれにあたるのかあんまり認識できなかった。
「そんなに言ってるか?」
「言ってますよ絶対。チャーリーのなけなしのガリオン金貨を賭けてもいいです」
「それはやめてやれよ」
チャーリーのガリオン金貨は、スネイプ先生がシャンプーをするのと同じくらい価値があるものだとオスカーには分かっていた。トンクスが整理整頓するのと同じくらいの価値なのだ。
「とにかくオスカーはおかしいですよ。またレアが中に入ってないですよね?」
「それはちょっと…… もうあんまりできそうにはないな」
「何ですかそれ、レアの髪の毛がいくら短いからって無くなったわけじゃないでしょう? むしろ最近伸びてる気がします」
「とにかく今はできないってことだ」
オスカーはもうポリジュース薬で女の子に変身するのはできそうになかった。エストの言う通りに変な癖がついてしまうかもしれなかった。冗談交じりに喋っている間にクラーナの方はオスカーと違って復調した様だった。クラーナの目ははっきりオスカーの目をとらえていた。
「じゃあ聞いてもいいですか? さっき私は答えましたから。そのオスカーのペンダントの中で…… 何かありましたか? オスカーが私に言える範囲でいいですから」
オスカーは押し黙った。さっき確かにクラーナは自分自身の事を喋ってくれたのだ。その結果オスカーは目を合わせられなくなったが、確かにクラーナにだけ喋らせるのはフェアではないかもしれなかった。だが、オスカーは自分がその時体験したことを上手く伝えれる気がしなかった。周りの誰にも、オスカーはそこであったことを話してはいなかった。
「正直、言っても信じてもらえると思えない」
「オスカーの言うことなら信じますよ」
「そう言うのじゃなくて、自分でも信じられないから……」
「例のあの人に会ったんじゃないんですか?」
またオスカーは押し黙った。彼に会ったのは確かだった。
「リドルにも会った。どうしてあんなに色んな人を集めることができたのか分かった気がした」
「例のあの人にも…… ですか?」
クラーナの目がオスカーをとらえていた。オスカーはさっきとは別の理由でクラーナの目を見ることができなかった。オスカーはやっとわかった。自分は喋りたくないのだ。
「ああ」
「言いたくないんですか? その、こういうこと聞くと卑怯ですけど、私以外なら喋れますか?」
オスカーはだんだんクラーナと喋って分かってきた。誰かに伝えるべきだったが、オスカーはあそこであった経験を誰にも喋りたくなかった。誰かに伝えるべきなのに。
「俺が一番会いたい人に会った。それで俺はクラーナにも…… 多分、ほかの誰にも喋りたくないんだと思う」
「どうしてですか?」
「喋りたくないから」
「なんでですか?」
オスカーはクラーナが強情だと思った。少し、怒りさえ沸いてきそうだった。どうしてそんなに強情になるのか分からなかった。
「なんでそんなに聞きたいんだ?」
「オスカーの事だからです、それでどうしてですか?」
オスカーの頭や心にはやはり怒りがあった。本当のところ、オスカーは怒っている自分に戸惑っていた。どうして怒っているのか分からなかったからだ。
「とにかく言いたくない」
「何でですか? こんな言い方するとやっぱり卑怯ですけど。私が信用できないですか?」
やっぱりオスカーは混乱していた。自分にとって嫌だった記憶を喋りたくないのは、自分の中で理解できたからだ。言うのは自分が見限られそうで怖いからだ。
なのに、自分にとっていい事だとわかっている記憶を喋りたくないのはどうしてなのか。オスカーはそれを誰かに喋りたくなかった。
「クラーナだけじゃなくて、他の人にも喋りたくない」
「その…… 怒らないで下さいよ、オスカー。大事なんですか?」
「大事?」
「だから大事だから喋りたくないんですか?」
ランチメニューをいつの間にかオスカーもクラーナも食べつくしていた。オスカーはやっぱりクラーナの目をみて喋れなかった。
「どういう……」
「私は、一年生の時の鏡の話とか、まね妖怪の話をオスカー以外と喋りたくないです。それと同じですか?」
ますます、オスカーは目をみて喋れなくなった。両方の意味や感情で目を見れなくなった気がした。
「それは……」
「カップルランチメニュー!! サービスのパフェになります!! ごゆっくりどうぞ!!」
また見計らったかのように店員さんがやってきて、食器を片付けると同時に大きなパフェが置かれた。パフェのスプーンはなぜか一つだった。
「ちょっと、スプーンをもう一つ下さい」
「カップルランチメニューですので」
「いや関係ないでしょう」
「カップルランチメニューですので、スプーンは一つです」
クラーナが店員さんを問い詰めたが、スプーンは一つだった。多分、絶対出さないだろうことがオスカーには分かった。店員さんは足早に去っていた。
「クラーナ、食べていいぞ。さっきの話は考えとくから……」
「別に忘れてもいいですよ。やっぱり、オスカーと一緒に病院に行ってよかったです。前よりちょっとオスカーの事がわかった気がします」
多分、オスカーはさっきクラーナがやったのと同じような、ハッとした顔をしていた。クラーナの方はパフェを食べようとしていたが、なぜかスプーンですくって口に運ぼうとしても、口から一定以上の距離を保ってそれ以上近づけれない様だった。腕とスプーンをプルプルさせながらクラーナが店員さんを呼びつけた。
「これスプーンに何か魔法がかかってるでしょう!!」
「はい、カップルランチメニューですので」
「食べれないじゃないですか!!」
「カップルランチメニューですので、お客様がされているような食べ方は想定されていません」
「はあ? どういう意味なんですか?」
困惑しているクラーナをよそに、オスカーはだいたい店員さんの言いたいことは分かった。それに最近の自分を考えると先手を取った方が有利な気がした。オスカーはクラーナの手からスプーンを取り上げた。
「え?」
「ほらこういうことだろ多分」
オスカーの手でクラーナの口元にスプーンを持っていけば、何の抵抗も感じられなかった。
「カップルランチメニューですので」
「もう二度とこの店には来ません……」
店員さんはニコニコして店の中へ消えていった。赤くなっているクラーナの顔をできるだけ見ないようにオスカーはスプーンを突き出していた。
だがどうもそれがよくなかった様だった。テーブルを挟むと距離があったので、オスカーはクラーナの隣から顔が見えないように、彼女の頭を見る形でスプーンを突き出していたが、髪からいつか匂ったミントの様な香りがしたし、何より視界が制限されているせいで、スプーンから伝わってくる感覚がより大きなモノになっている気がした。
やっぱりオスカーはどうも自分がおかしくなっているとしか思えなかった。本当に自分は閉心術を使えるようになったのか疑問だった。スプーンから伝わってくる、クラーナの口の動きすら、オスカーにはキマイラと同じくらいの×の数が必要な気がした。
何か喋らないと不味い気がオスカーはしてきた。
「なあ」
「何ですか……」
「やっぱり…… 週刊魔女で見たからここに入ったのか?」
元々赤かったクラーナの顔がもっと赤くなった気がした。クラーナはオスカーからスプーンを奪いとった。
「何なんですか!! やっぱりオスカーの事なんか分からないですよ!!」
「おいちょっと、歯…… 歯に当たってるから!!」
クラーナが凄い勢いですくってスプーンをオスカーの口に運ぶせいで、何度もオスカーの歯にスプーンが当たっていた。浮かれた気分で暑い夏にアイスを食べたのと歯に何度もスプーンが当たるせいで、オスカーの頭はキーンとした痛みに襲われていた。
アイスとスプーンの痛みに耐えるオスカーの夏休みは始まったばかりだった。
お久しぶりです。週一更新ができるかは、リアル生活と相談します。