ドロホフ君とゆかいな仲間たち   作:ピューリタン

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ゴドリックの谷

 ドロホフ邸と同じで、大きな古い洋館は夏だというのに少し涼しいくらいだった。

 オスカーはミュリエルおばさんに捕まることなく、エストの手引きでプルウェット邸に来ていたのだ。単に今日行くはずのバチルダ・バグショットあてに、手紙を送る予定だったのをエストが忘れていただけなのだが。

 

「出る前に気づいて良かったかも」

「今日送って間に合うのか?」

「いつでも来ていいって手紙には書いてあったんだけど、何かボケてて、だれがだれかわかんなくなるから手紙を当日に送って欲しいって書いてあったの」

 

 バチルダ・バグショットはダンブルドア先生やミュリエルおばさんよりも年上なのだから、多少ボケていてもおかしくはないかもしれなかった。

 ただ、オスカーからすれば、そのままゴドリックの谷に行くと思っていたのに、エストの部屋に向かっていることの方が問題だった。

 昨日のダイアゴン横丁で再確認したが、やっぱりオスカーはおかしかった。少し顔を見なかっただけなのに、もう四年も一緒にいたはずのエストの体を目が追いかけているし、どう考えてもおかしかった。

 

「オスカーはベッドに座ってて、あれ? 便箋どこにやったのかな……」

「分かった」

 

 エストの部屋はオスカーの思った通りの部屋だった。本棚に入りきらない本や羊皮紙が色んな場所に置かれていた。机、ベッド、窓の棧、床、ベッドと壁の間まで、オスカーからすればどれがどれなのか分からないが、多分彼女に聞けばどれがどんな内容なのか答えてくれるはずなのだ。

 学校のトランクは開きっぱなしで、大鍋や箒がそこから飛び出していた。その近くの壁にはエストのお気に入りのクィディッチチーム、チャドリー・キャノンズのリーグ成績が表示されるカレンダーがある。相変わらず、リーグ最下位を彷徨っているのがわかる。

 手紙を書いているエストの机には、いくつか写真立てがあり、ウィーズリー家や、オスカーやクラーナの様なホグワーツの知り合い、それにオスカーが見たことのある彼女の父親や叔父の写真があった。

 オスカーはさっきまでの入り辛さとは別の理由でこの部屋にいたくなくなってきた。

 

「今日はミュリエルおばさんはいないのか?」

「何か、別のウィーズリー家の結婚式があるとか言ってたの。赤毛だからどれも同じだけどねとか笑ってたかも」

「エストは行かないのか?」

「そういう場所に大叔母さんと行くと変な服を着せようとするから行かないの。でも、チャーリーはただでごちそうが食べれるから行くとか夏休み前に言ってたかも」

 

 エストの写真立てには、オスカーの見覚えの無い女性の写真があった。恐らく、若いころのウィーズリーおばさんやプルウェットの兄弟に見える三人と一緒に写っているその女性は、あんまりエストには似ていなかった。

 

「窓開けても…… 羊皮紙が飛ぶからダメか」

「別にいいよ。魔法がかかってるから飛ばないはずだもん。それにフレーキを呼ばないとダメかも」

「フレーキ?」

「ミュリエルおばさんがダイアゴン横丁のペットショップでいちゃもん付けて安く買ってきたの」

 

 フレーキ、ふくろうの名前だろうか? オスカーはとにかく窓を開けることに決めた。何より…… この部屋に入ってからずっと感じてはいたことだが、この部屋はエストの匂いで一杯なのだ。エストが暮らしている部屋なのだから当たり前なのだが。

 窓を開くと勢いよく風が入り込んで来た。扉が開けっ放しなので、風が良く通った。エストが指笛を吹くと大きな鳥が窓の棧に止まった。

 鷲だろうか? オスカーは鷲と鷹の区別はつかなかったが、レイブンクローの紋章でよく見る姿によく似ていた。フレーキはオスカーを相当警戒している様に見えた。これは珍しいことだった。オスカーは大抵の動物に警戒感を抱かれないからだ。

 しかし、一年生の時のルーンスプールを思い出して納得した。自分の主人の傍に知らない人間がいるから警戒しているのだろう。

 

「バチルダに届けてね? 帰ってきたらネズミか何かあげるの」

 

 手紙を足に括り付けてもらったフレーキは、オスカーの方を睨んで、手紙の付いた方の足をオスカーの方に突き出した。まるでお前とは違ってエストから仕事を貰った俺は偉いとでも言いたげだった。オスカーはこの動物が好きになれそうだと思った。フレーキからすれば別かもしれないが。

 フレーキはそのまま窓から飛び立って、あっという間に点になった。オスカー達が行くまでに手紙が届いているか心配する必要は無さそうだった。

 オスカーがベッドから立ち上がる前に、ボフっと言う音を立てて、エストが隣に座ってきた。二人分の重みでベッドが沈み込んだ。オスカーはこれはダメだと思った。トンクスのせいでベッドにいい記憶は無かったし、ただでさえ、エストの部屋はオレンジの様な柑橘系の匂いで一杯だったのに、エストが隣に来ればなおさらだった。

 

「ねえ、ちょっと蘇りの石を見てもいい?」

「いいけど……」

 

 オスカーが答える前から、エストの手が伸びていた。オスカーが胸にかけていたペンダントをエストが取り出そうとして、エストの手がオスカーの鎖骨辺りに触れた、距離が近かったし、自分の指より柔らかいであろう感触や、鎖や指輪と言った自分の体より冷たいモノが体の上を動く感覚がオスカーにはダメだった。

 

「やっぱり書いてあるよね、ぼう、まる、さんかく、ちゃんと書いてあるの」

「死の秘宝?」

「そう。凄いよね、人間がやったこととか作ったものは人間がどうにかできるのは当たり前だけど、自然はそうじゃないもん」

 

 確かに、この石は本当に凄い魔法の道具なのだ。それこそ、オスカーが持っていることがおかしいくらいのモノだった。魔法省とかで管理された方がよっぽど相応しいだろう。

 

「こう言うのがほんとにあると、何でもっと正しく伝わらないんだろうって思うよね? 多分、作った人がちゃんと伝えてたら色んな事に使えるはずなのに」

「伝わらない?」

「そうでしょ? 魔法も道具も作った人一人で終わったら、それで終わりだもん」

 

 両手で蘇りの石を色んな方向へ傾けながらエストは満足そうにしていた。オスカーはエストのこう言う顔もダメだった。もう一つの問題が解けた時の様な顔もダメだったが、どうも最近のオスカーからすれば前よりもっとダメになっている気がした。

 

「じゃあ、ゴドリックの谷に行こう? 蘇りの石をほんとに持って、イグノタスの墓を見に行った人なんてエスト達が初めてかも…… あ、エストって言っちゃった」

「何かダメなのか?」

「今年はふくろうがあるでしょ? それにもっと先になると、面接? とかもあるから、授業中はあんまり、エストはエストって言わないけど、時々出るから、普段も私? にしようかなって」

「そうなのか……」

 

 オスカーはなんだか寂しい気がしないでも無かった。エストが自分の事をエストだと言うのには、エストが自分を自分自身だと主張している証の様な気がしたからだ。

 トンクスがトンクスと呼んで欲しいのと似たものをそこに感じていた。思えば、エストとトンクスはだいぶ性格こそ違うが、あまりモノを片付ける事をやろうとしなかったり、話が時々すっ飛んで行ってしまったり、なんだかんだ自分を主張している所は、方向こそ違うが似ているのかもしれなかった。

 

「オスカーはどう思う? 私の方がいい? エストの方がいい?」

「え? どうだろ……」

 

 どうなのだろうか? オスカーからすれば、寂しい気もしたが、エストが自分からやろうとしているならそれでいいのではないかと思った。

 

「やりたい様にすればいいと思うけどな。その方が俺もやりやすいし」

「じゃあ時々混ぜていくね。私、私、私…… うーん…… エスト、エスト、エスト……」

 

 何やらうんうんエストが言っていたが、オスカーはベッドの上で距離が近いことの方が問題だった。うんうん言っている暇は無かった。

 

「ゴドリックの谷に行くんじゃないのか?」

「そう、そうなの。ポッター家の跡地? にも行きたいし、お墓も行かないといけないから、さっさと出た方がいいかも」

「準備は大丈夫なのか?」

「さっき万年インクとかはポシェットに全部突っ込んだから大丈夫?」

「俺に聞かれても分からないぞ」

 

 なぜ書いたら当分、それこそ数年から数十年は落ちない万年インクがゴドリックの谷に必要なのかはオスカーの知るところでは無かった。

 

「じゃ、行こう? 夏休みにこういうお出かけは初めてかも?」

「煙突飛行で行くんだろ?」

「それはちょっと違うかも」

「は?」

 

 オスカーはてっきり暖炉飛行で行くのだと思っていた。しかし、エストは屋敷の外にオスカーを連れて行って、そのまま門の外、屋敷の外側までオスカーを連れ出した。

 

「ね? 魔法省は未成年が魔法を使ったら分かるけど、それは誰が使ったのか分からないって知ってた?」

「どういうことだ?」

「未成年には臭いって呼ばれてる魔法がかかってるんだけど、それは未成年の傍で魔法が使われたことしか分からないの。だから、大人の魔法使いが未成年の傍で魔法を使っても、屋敷しもべさんが魔法を使っても同じように判断されるの。だからね、魔法使いのお家がいっぱいあったり、魔女が一杯いる村で使っても魔法省はわかんないの」

「じゃあ俺たちが使ってもわからないってことか?」

「うん。だからね?」

 

 エストがいきなりオスカーの腕を取ったので、オスカーはビクッとした。エストは珍しいモノを見るような目でオスカーの方を見てきて、もう一度、オスカーの腕を取った。

 

「姿現ししよ?」

「は?」

 

 次の瞬間、バチッと言う音がして、オスカーの視界がゆがみ、まるで筋肉や骨や体のすべてが体の内側にある、存在しないパイプの中に押し込まれる様な感覚があった。

 気づけばプルウェット邸は姿を消して、背後には田園風景が、目の前にはドロホフ邸の傍と似たような田舎の村があった。

 

「ほらね? ゴドリックの谷は魔法使いが沢山住んでるし、エストの家の傍で魔法を使っても、大人の魔法使いがいるって分かってるから、バレようがないの。杖を調べられたらバレちゃうけど」

「そうなのか」

 

 では、自分の周りに魔法使いがいない人、つまり、マグル生まれの人でもない限り、その魔法は余り効果が無いのではないかとオスカーは思ったが、エストが姿現しの時に取った腕をそのままにオスカーを引っ張るのでそれどころでは無かった。

 

「これに書きたかったの」

「これって……」

 

 二人の目の前に現れたのは、蔦に覆われて、敷地の中は雑草が生え放題の家だった。二階の一室の部分だけが中から爆発でもあったかの様に吹き飛んでいた。オスカーにも分かった、ここは歴史が変わった場所なのだ。

 エストが万年インクを浸した羽ペンを持って立っている前には、木でできた立ち看板があり、こう書かれている。

『1981年10月31日、この場所でリリーとジェームズ・ポッターが命を落とした。』

『息子のハリーは「死の呪い」を受けて生き残った唯一の魔法使いである。』

『マグルの目には見えないこの家は、ポッター家の記念碑として、さらに家族を引き裂いた暴力を忘れないために、廃墟のまま保存されている。』

 

 金色で書かれた文字の上に、幾重にも渡って魔法使いたちの落書きがされている。ハリーへの感謝やヴォルデモートの時代の終わりを喜ぶ書き込み、自分たちの名前やイニシャルを書いたもの、この場所や出来事を忘れないと書かれた書き込みもあった。

 普通、落書きとはフィルチが嫌っていたり、ホグワーツでバレれば処罰されるように悪いモノのはずだったが、ここにある書き込みは暖かいモノに感じられた。

 オスカーは思った。ハリー・ポッターはこれを読んだことがあるのだろうかと。

 

「ほらオスカーも書いて」

「分かった」

「ほらここね」

 

 右下の部分にエストがすでに書き込んでいた。『何かあったら何でも連絡してきてね 1988年8月3日 エストレヤ・プルウェット』と書かれている。エストが示している場所には、明らかに自分の名前くらいしか書けるスペースが無かった。なのでオスカーはエストの名前の下に自分の名前を書いた。

 

「これも書いといたら、もうちょっと死の秘宝の話が広まるかな?」

 

 エストはオスカーとエストの名前の左側に蘇りの石に刻まれている例のマークを書いていた。ちょっとした冗談なのだろう。

 マークを書き終わった途端にエストはさっきと同じようにオスカーの腕を取って、歩き始めた。

 

「ほら、あの教会にイグノタスのお墓があるはずなの」

「わかった、別に俺は逃げやしないから」

「ほんとに? でも、なんかオスカー夏休みの前からみんなの事避けてない?」

 

 エストはオスカーの方を振り返りもせずに言ったが、オスカーの方はビクッとしそうなのを我慢するだけで精一杯だった。

 

「避けてないと思うけどな……」

「ほんとにほんと? 別に開心術を使ってるわけじゃないのに、オスカー目を合わせてくれなくなってない?」

 

 エストが振り返ってオスカーの目を見た。腕を組んでいるせいで、エストがいきなり止まって振り返れば一気に距離が詰まった。しかしオスカーは自分でも認める通り、おかしかったがそもそも何がおかしいか分からないので、エストにも相談しようが無かった。

 じっと見てくるエストの目をオスカーはなんとかそらさずに見ることができた。むしろ、目だけに視線を集中した方が楽かもしれなかったが、今度は視点を集中したら集中したで、視覚以外の感覚が明確になってきてどうにもオスカーはむずがゆかった。

 

「やっぱり、何かおかしいと思うんだけど……」

「そんなこと言われてもな……」

「レアとポリジュース薬をやったから、中身も女の子になっちゃったとか?」

「おかしいだろ。それだとレアは中身が男になってるだろ」

「うーん、でもなんかレアはモノをはっきり言うようになってるし、結構あってるかも」

「それは何か、昔の性格が戻ってるとかそう言うのだろ」

 

 エストはぶつぶつ言っていたが、それよりやっぱり距離が問題だった。すぐそばにいるというだけでオスカーには大ダメージだった。腕を組んで相手の体に触れているというだけでもさらに痛恨のダメージだった。オスカーはもう自分が分からなかった。

 昨日、クラーナが話していた、三年生の時のクリスマスの様になればどうなってしまうのか、二年前の時の様に自分から誰かに抱き着くなどできるのか? と言うか、みんなこんな感じなのだろうか? 疑問に思ったがオスカーには誰とそんな話をすればいいのか分からなかった。

 

「惚れ薬でオスカーの方がおかしくなっちゃったとか?」

「おかしくってなんなんだ」

 

 やっと教会に向けて歩き出したが、エストは腕を離してはくれなかった。オスカーはクラーナやエストに気づかれたのなら、他の二人やチャーリーにすら気づかれそうだと思ったし、エストやクラーナの言う通り、どこかにこうなった原因があるはずだった。二人はペンスを除けばオスカーと一番付き合いが長かったから、推測はもしかすれば自分より正しいかもしれないのだ。

 

「うーん。でも、レアと何かあっても、オスカーがなんかよそよそしくなる理由にはならないかも」

「よそよそしくって何なんだ」

「何か借りてきたふくろうみたい。フレーキも最初そんな感じだったかも」

「動物に例えられてもな」

「うーん…… すごく大げさに言うと、仲良くなるのを怖がってるみたい?? でも、オスカーはそう言うのをあんまり気にしないよね。一年生の時のオスカーが近いかもしれないけど、何か違う気がするし……」

 

 仲良くなるのを怖がっている? 確かにルーンスプールの一件があった時はそんな感じだったかもしれなかった。自分がいることで、エストや周りがけがをするのが怖かったのだ。しかし、今は違うのは確かだったし、エストが言っている、そういうのを気にしないとは、クラーナが言っていた、恥ずかしいことを普通に言うみたいなことなのだろうか? オスカーはオスカーなりに考えてみたが良く分からなかった。

 

「お墓いっぱいあるんだね? 手分けして探す?」

「そうしよう」

 

 教会裏についてエストがそう言った。オスカーからすると願ってもいない提案だった。やっとオスカーはエストの腕から逃れることができたのだ。夏の昼間だったのに加えて、エストに腕を奪われていたせいで、オスカーは変な汗をかいていた。

 墓地にはホグワーツで見たことがある名前がいくつもあった。アボットの様な有名な純血の一族の名前がいくつも見つかった。その中で、ひときわオスカーの目を引く名前があった。

 

「エスト」

「イグノタスのお墓見つかった?」

「いや…… ちょっと来てくれ」

 

 オスカーが見つけた墓の名前には見覚えのある名字が書いてあった。それに多分墓に刻まれた年代から考えても合っているだろう。

 

「確かに…… ミュリエルおばさんが先生は家族でここに住んでたって言ってたかも」

「オーキデウス!! 花よ!!」

 

 オスカーは杖から出した花を墓に供えた。墓にはケンドラ・ダンブルドア、そして娘のアリアナと書かれている。それに杖で掘ったのか自分の手で掘ったのかは分からなかったが、何かの書物からの引用文らしきものが刻まれていた。

 

『なんじの財宝のある所には、なんじの心もあるべし』

 

「お花だすのいいかも…… ダンブルドア先生のお母さんと妹さんだよね? お父さんはいないのかな? それに…… これ魔法使いの格言とかじゃないかも」

「違うのか?」

「聞いたことないし…… ダンブルドア先生って、半純血でしょ? マグルの偉い言葉とか知っててもおかしくないと思うし……」

 

 半純血、昨日のおじいさんの話がオスカーの脳裏に蘇った。そして、アバーフォースの話もだ。アバーフォースの話が本当なら、ここに眠っているアリアナはマグルによって傷つけられたはずだった。そしてアリアナが亡くなった時にはダンブルドア先生とアバーフォースしかいなかったはずなのだ。つまり、二人のどちらかがマグルの言葉を墓石に刻んだのだろう。アリアナとケンドラの眠る場所に。

 

「なんじのたからのあるところには、なんじのこころもあるべし…… どういう意味かな? 大切なものがある場所にあなたの心もありますよ? うーん…… だから大切なものは大切なところに置きましょう? それとも宝がある場所に心があるから、すごいモノを宝にしましょう?? わかんないかも」

「宝? 死の秘宝の話か?」

「流石に関係ないと思うけど……」

 

 オスカーも考えていた。ダンブルドア先生は蘇りの石で失敗したと言っていた。先生もこの石を求めていたことがあるはずだった。宝とは何を指しているのだろうか? 死の秘宝? それとも…… 墓に書かれていたと言うことは多分、ダンブルドア先生は何が宝だったのかを分かったのだろう。だからこの石が欲しかったのだろうとオスカーは思ったのだ。

 

「さあ? でもアバーフォースさんやダンブルドア先生がここに眠ってる人を大事にしてるのは確かだろ」

「それはそうだと思うけど…… うーん……」

 

 こういう会話をしている時や、目の前のエストが何かについて考えている時は、これまでと同じように喋ることができた。オスカーは流石にどうして自分がこうなったのかを真剣に考えた方がいいと思い始めていた。なぜなら、このままだとホグワーツでの生活はおろか、夏休みすら乗り越えられるか怪しかったからだ。

 この思考状態のエストに何を話しかけても大した答えが返ってこないことをオスカーは知っていたので、他の墓を見て回ることにした。すると、さっきみた名前がこの墓地にもあった。二人の名前の下にはさっきの墓と同じように、言葉が刻まれている。

 

『最後の敵なる死もまた亡ぼされん』

「いやはてのてきなるしもまたほろぼされん? オスカーちょっと歩くのが早いかも…… あ、そうだ……」

 

 さっきまでうんうん言っていたはずのエストの声が後ろから聞こえて、振り返ればエストが杖を振るのが見え、ジェームズとリリーの墓は花で一杯になった。オスカーはさっきの墓にあった言葉よりも、こっちの言葉の方が気になった。

 

「これって死喰い人のよく言う……」

「これって死喰い人が言ってるのに……」

 

 二人は同じタイミングで同じことを言ったので、思わず互いの目を合わせて笑った。こういうことなら一年生の時と同じような関係でいられる気がオスカーはした。

 

「多分、死喰い人が言ってるのとはちょっと違うよね?」

「違うって?」

「さっきエストの部屋でお話してたけど、魔法とか技術とかは伝わらないと意味無いよねって話してたでしょ?」

「してたな」

 

 オスカーは今さっき一年生の時と同じようにいれそうだと思ったというのに、こういう得意げな顔を見ると、そういう気持ちは何処かに飛んでいく気がした。

 

「それが人間と動物さんが違うところだよね? お魚や鳥さんは、人間とおんなじ様に子供を残せるけど、でも子供のお魚は教えられなくても泳げるよね? 鳥さんも教えられなくても飛べるの。人間も教えられなくても、歩いたり、食べたりはできるの。でも、人間はもっと色んな事を教えれるでしょ?」

「魔法とかそういうことか?」

「うん。もっと色々、だって人間は私が…… エストが今こんなこと考えてるなってわかるし、認識できるよね? だから言葉にして誰かに伝えれるし、こうやって石に刻んだり、羊皮紙に書いたりできるの。だからその人がいなくなっても、動物と違って、その人のことがちょっとだけわかるでしょ? 頭の中の事を全部出すことはできないけど、動物よりずっと色んな事を残せるもん」

 

 それは、オスカーの胸元にある石と、たった今、目の前に眠ってる二人が眠る原因を作った人物との関係で、一番オスカーが思っていた事かもしれなかった。彼には人間と動物を違えるその何かが一番必要だったかもしれなかった。

 

「でも、やっぱりハリーがかわいそうかも」

「ハリー・ポッターが?」

「だって、ハリーは大きくなったらなんでお母さんやお父さんがいないのって絶対思うと思うもん」

 

 それはどうなのだろうか? オスカーやレアは今は父親や母親がいないも同然だが、物心が着くまでは少なくとも一緒にいたのだ。クラーナは姉と叔父しかいなかったはずだし、目の前のエストは父と叔父だけのはずだった。ハリー・ポッターがどこで何をしているのかは分からないが、彼は両方いないのだ。そういう時、何を考えるのだろうか。

 

「なんで…… 例の……  ヴォルデモートがいなくなったのか分かんないけど。ハリーのお父さんやお母さんがそれのために死んじゃってたら、すっごいことで、ハリーのためだけど、でも、それってすっごいハリーの事を縛っちゃうでしょ? ハリーがいい子だったら…… いい子だと思うけど、そうならずっとそれが強くなるかも、だって、ここの二人はハリーに色々残して伝えれるけど、ハリーはそれは出来ないもん。ちょっとズルいよね?」

「死んだ人には何も伝えれないってことか」

「だから、人間がすごいんだし、こういう言葉に意味があるんだと思うけど。でも、ちょっとすごいから、その…… 逆にハリーは大変かも」

 

 それは事実だったし、エストが言った様な事実があるからこそ。夏休み前に起こったことにはこれ以上ないくらいの価値があるに違い無かった。もしかしたらあれはオスカーの頭の中だけの出来事だったのかもしれなかったが。

 さっきの話をこともなげにエストは言っていたが、ハリーが将来どう考えるかなどオスカーは考えもしなかった。これも育ったときに母親がいないエストだから考えられるのか? クラーナも同じように考えるのだろうか? 

 オスカーが考えていると、エストは何かを見つけたのか、オスカーの手を握ってそのまま引っ張って行った。オスカーはこういう話の後だと、この夏休み悩んでいる様な状態に自分がなっていない事が分かった。

 エストに連れられるままに墓地を歩けば、この墓地にある墓の中でも一番古いのではないかと言う墓が見つかった。何百年もの風雨に晒されて、形も色も大きく変わっていたが、確かに石と同じマークがあった。名前もほとんど擦り切れて読めなかったが、イグノタスという名前が分かっていればおぼろげながらその文字の輪郭がわかる。

 繋いでいる手が湿っぽかった。それは暑いわけでも、オスカーが緊張しているわけでも無かった。繋いでいる相手が緊張しているのか、気分が高ぶっているから湿っぽいのだろうとオスカーは思った。

 

「イグノタスがここに住んでたのも、ダンブルドア先生たちやポッターの人達がここに住んでたのも偶然じゃないかも、おとぎ話の石を持ってここに来てるのも偶然じゃないかも」

「そう思ってるならそうなんじゃないか?」

 

 

 そう言った後で、エストの顔を見てオスカーは不味いと思った。さっきはエストは言いたいことを言っているだけなのに、オスカーはまずいとは思わなかった。今と一体何が違うと言うのか? こうなると手を繋いでいるのも、イグノタスの墓の方を見ずに真っ直ぐオスカーの方を見てくる、こういう話をする時に光って見える紅い眼やまつげがダメだった。

 

「三人兄弟のお話は好きなの」

「チャーリーの次くらいには知ってる」

「死じゃなくてもいいけど、自然とか人間がどうにもならないものに立ち向かっていくのがすごいと思わない?」

「どうにもならないもの?」

「そうでしょ? 昔は病気を治す方法も、傷を治す方法もわかんなかったもん。まず立ち向かおうって思うのがすごいよね」

「そりゃそうだけど……」

 

 オスカーはあんまりエストに集中すると不味い気がしていたので、話の内容に集中しようとした。多分、三人兄弟の話に合わせて喋ろうとしているのではないだろうか?

 

「でも、一人じゃどうにもならないでしょ? だから、他の人とか自分の後の人に出来たこととか出来なかったことを伝えたりすればいいし、やろうと思えば、本の中とかから、昔の人がどんなこと考えてたか読むことができるでしょ? そうしたら一人でやるよりずっと色々できるはずなの」

「蘇りの石のこと言ってるのか?」

 

 さっきの立ち向かう話が杖の話であるのなら、今度の話は二人目、蘇りの石の話のことなのだろう。まだ、談話室で話を聞いた時よりもわかりやすいとオスカーは思った。

 

「そう。でも、どうにもならないものに立ち向かおうと思って、いろんな人とか、過去とか未来の人と頑張っても、すぐにはどうにも出来ないから、頑張り続けましょうって言ってると思ってるの。どれも、やりすぎたり、手段が目的になってたらダメかもしれないけど、ちゃんとやればすごいいいことかなって」

「それはそうだな、やり続けるのは難しいけど」

 

 オスカーが一番気になるのはそこだった。誰かが何かをする時に、一体どこから溢れるエネルギーが湧いてくるのだろうか? オスカー自身も何かをやらないといけないと思ったり、したいと思う時、それはどこから湧いてくるのか? オスカーが思うのは、それは自分達を縛っているモノから生まれている気もした。

 

「だから、とりあえずバチルダに会いに行かない? もしかしたら、ダンブルドア先生よりいろんな事を知ってるかもしれないもん」

「魔法史を書いてる人だから知ってるだろうな」

 

 オスカーは気の利いた返しなど返せなかった。エストと談話室や色んな場所でこういう話をするのはオスカーは好きだったが、いつも理解しようと努めるのが精一杯で、彼女が伝えようとしている事をどれくらい理解できているのか分からなかったし、何より、何を返せているのか分からなかった。彼女がさっき言った死人には何も返せないのと同じく、オスカーも何も返せていない気がした。

 何より、どうしてエストはオスカーにこういう話をしてくるのだろうか? 自分以外にもこんな話をするのだろうか? クラーナが言った様にそれは彼女にとって大事なのか? 誰かにこうして自分と話している事は言いにくいことなのか? オスカーは段々と自分が感じていることも、考えていることも複雑になっていて、自分でもよく分からなくなってきていた。

 

 

 

 

「ああ、エストレヤ? セントレアだね? よく来たね。お前さんの鷲は賢かったよ」

「エストレヤなの。バチルダさん。オスカーも連れてだけど大丈夫だよね?」

「若いもんはいくらいてもいいよ。昔は色んな魔法使いが来てくれたんだけどね、戦争が始まった後はみんな来なくなっちまったよ」

 

 バチルダ・バグショットの家は本と本と本で一杯だった。バチルダについて、二人は本だらけの家の中を進む。古くなった羊皮紙やインクの匂い。それに老人特有の匂いがしていた。

 ただ、家自体はどこか埃っぽくオスカーは感じたが、不潔なわけでも無かったし、暖炉や家の中にたくさん置かれている蝋燭が魔法の炎をともしていて、カーテンが閉め切られて日の光が入らないはずなのに部屋は明るかった。真夏の閉め切った家で火を焚いているのに暑くないのがオスカーは不思議だったし、いつも暑くてうだりそうな占い学の教室にもこの部屋にかかっている魔法が必要だと思った。

 ひじ掛け椅子に座ったバチルダは、オスカーとエストにソファーに座る様に言った。

 

「それで…… えぇ…… エストレア? セントレア? は何を聞きにきたんだったかね?」

「エストレヤなの。それだと、エストとレアの名前が混ざってめんどくさいの」

 

 やっぱり、彼女はボケているのか何なのか、あまり頭ははっきりしていない様にオスカーにも感じられた。

 

「ああ、それでセントレアは何を聞きにきたんだったかね?」

「もうセントレアでいいの。エストが聞きたいのは、マーリンでも誰でも良いけど、そういうえらい魔法使いとか魔女って何か一緒のとこがあるのかなって、聞きたかったんだけど」

 

 エストの言葉を聴くと、それまで半分濁っていたバチルダの目が少し澄んだ気がオスカーはした。次にでたバチルダの口調にはさっきよりも力が感じられた。

 

「セントレヤ、それであんたは歴史に出てくる事実を聞きたいのかい? それとも私の考えを聞きたいのかい?」

「え? どっちもかも、どっちも聞きたいけど……」

 

 エストは困った顔でオスカーの方を向いた。バチルダの目はまたさっきの濁りが酷くなっている気がした。オスカーは魔法薬でも使わない限り、そう長いあいだ、バチルダからちゃんとした情報を貰うのは難しいのではないかと思った。エストがオスカーの耳元でささやいた。

 

「どうしたらいいと思う?」

「どっちかに絞った方がいいと思うけどな、多分、長い時間聞くのはバチルダさんの体力的に良くないと思うし……」

「じゃあ、バチルダさん、バチルダさんの見解? を聞きたいかも」

「そう…… メントレア、聞きたいなら私は教えるが、勘違いはしてはいけないよ」

 

 オスカーは思った。このバチルダ・バグショットの濁った目の向こう側に、ダンブルドア先生がするような、もしかすれば、先生よりも鋭敏な知性の光がある気がしていた。

 

「私たちは、歴史の事実を拾いあげる。事実から歴史の意味を知ろうとするね…… それはほとんど間違っている。レントレア…… あんたも思うだろう? その時代の魔法使いたちはこう考えていたから、こうする必要があってこれをやった。こうしないといけなかったから行動して、その結果として歴史が生まれたってね。それは間違ってるんだよ。歴史の糸はもっと複雑で単純に紡がれているんだ」

 

 オスカーとエストはお互いに顔を見合わせた。さっきまでボケているような、違う場所を見ているような視線と喋り方だったと言うのに、彼女の言葉は論理と確信に満ちていたからだ。

 

「それで…… エストレア? どこまで話した……?」

「歴史をみんなは勝手に色んな意味があるって思ってるけど、もっと複雑か単純なんだよってとこまで?」

「ああ…… エントレア…… もし、歴史やそれを作っている人を読み解きたいなら、本当の事実だけをその目で見ないといけない。わしらの目は歪んでいるんだよ。本当の事実を事実として見れる人間はほとんどいないんだ。人の顔を画家が描くだろう? その時、人の顔は線と色と明るさとして見ないといけない。そうしないと、線と色と明るさじゃなく、例えばセントレアの横に座ってる男の子の顔に見えるのさ、そうなると絵は描けない。そうしないように、歴史も人も本当の事実だけを見ないといけない」

 

 どう言う事なのだろうか? オスカーはエストがほとんど暴走している時の会話や、伝える気がほとんどない時のトンクスの話と同じくらい、バチルダの話が理解できなかった。そもそも彼女が一体どれくらい正気で話しているのか、判断がつかなかった。

 

「確かに、そう思ってるからこうだってみんな思ってるかも、それでバチルダさんは凄い魔法使いや魔女はどんな風な考え方とかしてると思ってるの?」

「セントレア…… 歴史と人を読み解くなら……」

「バチルダさん、そこはさっき話したの。それで凄い魔女や魔法使いはどんな風な考え方とかをして凄いことをやったと思ってるの?」

 

 オスカーは果たして、エストが聞きたいと思っていることをバチルダが答える事は難しいのではないかと思った。虫食いだらけの巨大な辞書から情報を抜き出すのは、いかにエストでも難しいとオスカーは思うのだ。

 

「エストレア、人間は動物の種類や薬草の種類の様に分けることはできないんだ…… ホグワーツには人間を分けるための道具があるだろう?」

「組み分け帽子のこと?」

「そう…… はるか昔からある優れた魔法だが…… エントレア、あの魔法は優れているが完璧ではないだろう?」

「それはそうかもしれないけど……」

 

 エストはバチルダに何を聞きたいのだろうか? オスカーにもそれは疑問だった。彼女は新しいことをバチルダに聞きたいのだろうか? それとも彼女自身が考えている事を裏付ける様な事を聞きたいのだろうか?

 

「優れた魔法使いや魔女がどうしてそうなったのか、魔法力があったのか、おつむが良かったのか、それとも時代がそうさせたのか、色んな魔法使いがそれを考えても、共通することは見つからないんだよ。わしもそう思う。優れた魔法使い特有の考え方や性格も無いだろう」

「じゃあ何にも分からないってこと?」

 

 エストが困った様にそう言うと、バチルダはさっきまで開いていた少し白く濁った眼を閉じて、しばらく喋らなかった。オスカーはバチルダが寝てしまったのかと一瞬思ったが、何かを思い出している顔にも見えた。

 

「バチルダさ……」

「昔を思い出すけどね。昔、この谷にセントレアが聞きたいような、光る若者が二人いたよ」

 

 エストが言いかけたがバチルダはまた喋り始めた。目は開いてはいなかった。

 

「その若者二人は谷を出て行った後に色んな事をした。だからわしも考えていた。あの若者二人は他の若者と何が違ったのかとね」

 

 若者が二人、バチルダは明らかに自分で会ったことのある人物について話していた。バチルダ・バグショットはダンブルドア先生より年上だったが、それでも歴史に名前が残る様な人物、それも魔法史を魔法使いの歴史を書き続けている人物がそう思う人物。そんなに選択肢は多くは無かった。

 

「わしが優れた魔法使いや魔女に共通するものがあるんなら。それは色んな激しさだと思ってるけどね」

「激しさ?」

 

 激しさ? オスカーにもそれは分からなかった。何を指しているのだろうか? 

 

「自分は誰かにはなれないからね。自分の事を比べるのは難しい。自分がどれくらい感覚や考えを持ってるのかは分からない。ましてやそれがどれくらい違っていて激しいのかなんて分からないね」

「自分?」

「わしは色んな事を知りたかったからね。魔法界について色んな事を書いた。それは知りたいって言うのが他の人より激しかったのさ。多分セントレア、あんたにもわしはこれに関しては負けてないと思うよ」

 

 知りたいと思うことが激しいと言うことなのだろうか? 他の人よりも、知りたいと思う感覚や考えが強いと言うことなのか? オスカーには何となく、いつものエストや、記憶の中の「なんで?」ばかりを言っていたレアの顔が浮かんできた。

 

「エントレアたちの傍にもいないかい? 嬉しいことや悲しいことを自分より激しく感じてそうな人間を? 他の人のそう言った変化を早く読み取る人間を」

 

 どうだろうか、オスカーは三年生の時のトンクスが何となく頭に浮かんできた。彼女は劇をやるときに誰より楽しそうだったし、他の誰かに何か起こった時に他の人より早く反応していた気がした。

 

「色んな激しさがあるだろうけど、一番強烈なのは単純に感情だろうね。もちろん、歴史の中の人物も誇張はあるだろうけど、激しい感情を持ってたのは本当だろう」

 

 感情? どういうことだろうか? 何に対する感情なのか。

 

「セントレア達の年くらいに一回目の悩みが来るんじゃないかい? 自分が矛盾してるのがおかしいと思ったり、世の中が矛盾してるのがおかしいと思ったり、大事な物が重なって考えられなくなったりね、そう言った事を激しく感じる人もいるだろう? 感じたり考えたりする強さは人によって違うのさ、絶対に皆同じじゃない」

 

 それは誰だろうか? オスカーは自分自身も含めて、色んな人の顔が浮かんできた。自分とは全く違う人が、自分と違う考え方で悩んでいたりしていたのを知っていた。周りの同年代の人間も、父親や母親の様なオスカーよりずっと年上の人間も、ダンブルドア先生の様な人でさえだ。

 

「色んな人が歴史の中に現れて消えていくけど、その人たちが残した変えようのない事実が、その時生きてた人の強烈な感情をしめしてると思うね。そういう事実を残せる人間は、他の人より、自分や世界を知っているものさね」

 

 それを聞いて、オスカーの脳裏に最初に出てきたのは、ずっと石の中にいた人物だった。彼は色んなモノを知らなかったかもしれなかったが、もしかすれば他の人よりずっと魔法界の色んなモノが見えていたのではないのだろうか?

 オスカーは覚えていた。彼がホグワーツにいる間感じていただろう感情を。どうして世の中はこうじゃないのだろう? どうしてこれが許されるのだろう? こうすれば上手くいくのにどうしてしないのか? どうしてこの人たちは頑張らないのだろう? それは明らかに邪悪では無くて、公正で真摯に感じられたのだ。いま思い返せば、それはどこか空恐ろしさがあった。

 

「もし自分の中にそれがあるんなら、大事にすることだね、エストレヤ。それに負けなければ、もっと世界と自分を歪まずに見れるはずだよ……」

 

 バチルダがほとんど眠った様にそれを言うのを聞いて、思わずオスカーはエストの方を見た。エストは口を真一文字にして、バチルダの開いていない目を見ていた。オスカーは思った。負けるとはどういうことなのか。もし、負けたのなら、自分やエストはどうなるのだろうか?

 

「バチルダさん寝ちゃったの?」

 

 エストがそう言っても、バチルダは寝息を立てるだけだった。オスカーはまだバチルダが言ったことを考えていた。自分は最近何に戸惑っているのだろう? バチルダが言っていた事は何かのヒントの様な気もした。

 

「起こさない様にした方がいいかもな」

「そうかも。ちょっとこれ置いていこうかな」

「なんだそれ」

「百味ビーンズ」

 

 オスカーは思った。唐辛子やタバスコなんかの味が出てしまったら。もう魔法史の改訂版は出版されない様になってしまうのではないだろうか? エストはお礼らしき手紙をササっと書いて百味ビーンズと一緒に、棚の上にある沢山の写真立ての近くに置いた。写真立てには色んな人物が映っていたが、やけに顔立ちが良く、左右の目の色が違う様に見える少年にオスカーは少し目をとめた。

 二人はお互いに黙ったまま、バチルダの家を出て、ゴドリックの谷を歩き始めた。外の太陽は夏のせいもあって、まだ沈むには時間があったし、星が見えるには時間がかかりそうだった。

 エストは来た時の様にオスカーに喋りかけてはこなかったし、腕を組もうと言ってくることも無かった、オスカーは隣を歩くエストを見ながら、今日姿現しをした場所に向かっていた。多分、オスカーがちゃんとその方向へ歩かないとエストは適当な場所にでもついてきそうだった。真剣に考えている時、彼女に言葉が届かないことをオスカーは知っていた。

 

「ねえ、オスカー」

「なんだ? そろそろ姿現しした場所だけど……」

「オスカーは自分は人とちょっと違うと思う? 自分の事」

 

 それはどうなのだろう? さっき言っていたバチルダの話にもあったが、それはそんな簡単には分からないのではないだろうか? ただ、自分が他の人とは違う経験をしていることくらい、オスカーは分かっていた。

 

「まあ、ちょっと違う経験とかはしてるかもな、もしかしたら考え方も人と違うかもな。エストとかトンクスみたいなのも近くにいるし」

「じゃあトンクスは他の人と違う?」

 

 どういう意味なのだろう? トンクスが他の人と違うことを言えばいいのか? そもそもエストは何を意図してそう言ったのだろう。

 

「そんなに色んな人と喋ったわけじゃないからアレだけど、人とは違うことを言うのはそうだろ。七変化だし」

「七変化だから人と違うと思うの?」

「そうじゃないだろ。七変化だから考えるって言うか…… 言っていいのか分からないけど、例えば俺の父親が死喰い人だから人と違うことを考えるし、トンクスだったら、叔父さんと叔母さんがそうだからそういうこと考えるだろうし、人と違ってるから違うんじゃなくて…… なんか上手く説明できないな」

 

 エストが不思議そうな顔をしているとオスカーは思った。それに何故か夏休みにエストと喋ってから、やたらエストとの比較にトンクスが出てきている気がした。エストがエスト呼びをやめようかななどと言ったせいかもしれなかった。

 

「じゃあ…… オスカーから見て、エ…… 私は他の人と違ってると思う?」

「違ってるだろ。モノの見方とか、何かするときの雰囲気とか、三年生の時のクリスマスに言ったような……」

 

 そこまで言って、オスカーはちょっと不味いと思った。エストは首を少し傾けてこっちを見ていたが、オスカーはどうもやっぱり自分がおかしい気がした。これまでならもっと何も考えずに色々言えたはずだった。オスカーは自分が誰より、エストが他の人と違うことを知っていると思ってるのだ。それが今どうして言えないのだろう?

 

「だから…… 分かるだろ?」

「分かんないかも」

 

 なぜかエストは距離を詰めてきて、姿くらましするときと同じく、腕を組んで来た。オスカーはますます追い詰められている気がした。

 

「ねえ、オスカーはわ…… エストのこと、他の人と違うと思う?」

「違うと思う」

「何がどう違うと思う?」

 

 オスカーはこの問いが、さっきまで聞いてきた内容と違う意味を孕んでいる気がした。

 

「全部」

「全部って何?」

「だから色々……」

「もっと特定して聞いた方がいい? エストとモリーおばさんだと何が違うの?」

「年齢」

「やっぱりオスカーなんかおかしいかも」

 

 腕を組める距離でエストがオスカーの目を覗き込んだ。閉心術を使えるはずのオスカーは、多分、開心術とは違う理由で心は乱されていた。

 

「ねえ、じゃあクラーナとエストで何が違うと思う?」

「杖の大きさ」

「レアとエストで何が違うと思う?」

「髪の長さ」

「トンクスとエストで何が違うと思う?」

「ドジかそうじゃないか」

 

 オスカーはどうすればこの場から逃げれるのかを考えていた。しかし、どう考えて逃げれなかった。ただ、どうすればエストからの質問攻めを止めれるのかくらいは分かっていた。分かっているのと実行できるのかは全く別の問題だった。

 

「ねえ、ほんとにオスカーおかしくなっちゃったの? 前のオスカーと今のオスカーで何が違うの?」

「何も変わってないだろ」

 

 それは明らかに嘘だった。明らかにオスカーは去年や一昨年と同じような言動や行動ができなくなっていたし、そもそもこういう状態でちゃんとした考えはできない気がした。

 

「オスカーはいつからおかしくなったの?」

「だからおかしくなってないって」

 

 これは明らかに不味いとオスカーにも分かっていた。自分でも変わった理由を見つけれていないのに、その理由をエストやクラーナや他の人に先に見つけられるのは不味いと分かっていた。なぜ先に見つけられると不味いのかはオスカーにも分からなかった。

 

「でも決闘トーナメントの時とかまでは普通のオスカーだったよね……?」

「いやだから、普通のオスカーなんだけどな」

「レダクトとボンバーダくらいは違うと思うけど……」

 

 本当にこの会話を止めないといけない。オスカーはそう思った。それにこんな夏の日に密着されるのも不味かった。エストの思考を止めるにはかなりのインパクトが必要なことをオスカーは知っていた。

 

「エスト、俺がおかしいのはどうでもいいけど、エストが他の人と違ってることくらい知ってるから」

「え?」

 

 オスカーは選択した。このままエストに長々と捕まって、自分の事を考え続けられるのと、一瞬我慢するのとどっちに分があるのかを比べて選択したのだ。

 オスカーは目を閉じて、息もしない様にして、プルウェット邸の門を頭に思い浮かべた。視覚も嗅覚も無くなれば、触覚に神経が集中するのは仕方なかったが、少しだけだと体に言い聞かせた。

 

「聞かれれば答えるけど、聞かなくても、人とは違うことを感じて考えてるって、他の人より知ってるから」

「オスカー?」

 

 できるだけ自分の体に引き付けないように、オスカーは両手でエストの肩に手を回した。さっきのイグノタスの墓でのエストの手の様に、オスカーは手に汗をかいていることがわかった。エストはオスカーと違って、オスカーの体が触れてもビクッと体を震わせる様な事も無かった。

 

「他の人とは違うし、俺もエストの事を他の人と違うって思ってるから。だから、その…… とくべ……」

 

 クリスマスと同じような事を言おうとして、途中でオスカーは怖くなってきた。別にエストが拒絶しているわけでもないのに、そして言い切る前に向こうから思いっきり抱き着かれてしまってオスカーは何も考えれなくなった。息を止めようとしたはずだが、喋っていたせいで空気を吸い込んでしまい、オレンジの様な香りがした。

 感触をできるだけ遮断しようとしながら、オスカーは姿くらましした。オスカーは姿くらましした後の事を考えていなかった。どうしてクラーナとエストが喧嘩することになったのか、どうして朝までオスカーが動けなかったのかを忘れていた。

 オスカーの夏休みはまだ始まったばかりだった。夏休みがこれまでのどれより長くなりそうな事をオスカーは完全に理解しつつあった。





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