オスカーはホグワーツに入学して初めて、学期の初めに大広間以外の場所に行くことになった。ふかふかのソファに腰かけて、オスカーといつもの五人は先生方の話を聞いていた。
恐らくマクゴナガル先生は入学者を読み上げるのに忙しくて来られなかったようだが、他の寮監は全員いて、ダンブルドア先生までいたのだった。もちろんここは校長室なのでダンブルドア先生がいるのは至極当然の事だった。
「わしはもうホグワーツの事を存命中のほとんどの人物より知っておると思っておったが、君たちは相変わらずわしの知らないことを見つけてしまうようじゃ」
「あの…… ダンブルドア先生、フリットウィック先生、まだ学期は始まっていないから…… 寮の点数を減点…… はない…… ですよね?」
さっきまでのフレッドとジョージ、それにウィーズリー夫妻を交えた事情聴取の中で、自分の一言が原因でどうやら車内販売の魔女を怒らせてしまったと認識したレアが恐る恐る言った。
なんだかオスカーはこの部屋であった二年生の時間が巻き戻っているようだと思った。
「そうじゃの。残念ながらまだ学期は始まっておらんから、レイブンクローのサファイアの数は増えも減りもしないじゃろう。ルビー、ダイヤモンド、エメラルドも同様じゃ。のう? フィリウス、ポモーナ、セブルス?」
「ダンブルドア、それはそうに違いないでしょう。しかし、こんな話を聞いたのはもう何十年ぶりなのか」
フリットウィック先生のキーキー声が響く。オスカーからはレアとチャーリーの影になっていて、フリットウィック先生の姿は小さすぎて見えなかった。
「確かに似たような話は聞いたことがあったの。じゃがここまで大事では無かった上、その時は車内販売のマダムが六人に増えることは無かったと記憶しておる。せいぜい縛り付けられた数名がキングズ・クロス駅に戻されかけたくらいじゃ。セブルス、君が学生の頃ではなかったかの?」
「記憶にありませんな」
セブルス・スネイプは相変わらずの鉄面皮だった。やっぱり髪の毛は洗ってない気がしたし、レアがいるからなのか、それとも喋りたくない話題なのか、いつもよりさらに口数が少ないとオスカーは思った。
「しかし…… まあそうじゃの。わしは結構な数の生徒を寮監の先生と一緒に監督生にしてきたわけじゃが……」
「トンクス、ダンブルドア先生があなたを監督生にとおっしゃってくれたんですよ」
「多分それはいくらダンブルドア先生でも間違えることがあるっていう、すごい珍しい例だと思うのよ。スプラウト先生?」
スプラウト先生は眉を上げて額に手を当てた。オスカーは思った。ダンブルドア先生とスプラウト先生の間で色んなやり取りがあったのではないかという事を。エストの邪推すらもしかしたら本当かもしれなかった。
「ニンファドーラ、わしはかなりの数の監督生や主席を任命したわけじゃが、正直なところわずかな期待に頼って失敗した例はいくつもある。特に……」
ダンブルドア先生はスネイプの方へ視線を移し、次にエストの方を見た。
「非常に勉学はできるがお騒がせな集団の内、比較的落ち着いている一人を監督生にした時じゃ。わしも学習する。もしかすれば逆の方が良かったのかもしれんとな」
「それ私にわずかな期待をかけてるってことよね? ダンブルドア先生? ここにいるメンバーを静かになんて私にはできないわよ? そうよねクラーナ?」
「トンクスが静かになればみんなが騒いでても相対的には静かになりますよ」
オスカーは先生陣と同じ部屋にいるのに意外と明るい話ができていると感じた。後ろの肖像画達も先生方とオスカー達の話に聞き入っている様だった。オスカーはそのうちの一人と目が合った。その肖像画は相変わらず気難しい顔をしていたが、同時に喋りたくて仕方が無いと言う顔をしていて、オスカーにはどうやって両方の顔を一つの顔で表現できるのかが分からなかった。
「ダンブルドア。そろそろ君は広間へ行かなければならないのではないのか?」
「フィニアス、忠告をすまぬ。ではそろそろ皆広間に行かねばならぬ時間じゃ。わしが行かぬと皆は夕飯が食べられぬ。そうなれば、わしは学期の初めのご馳走を用意できなかった初めての校長としてホグワーツの歴史に刻まれるじゃろう」
みんなが立ち上がってぞろぞろと校長室を出ようとした中、トンクスがオスカーの方へ来て言った。
「あのダンブルドア先生にも偉そうなやつ誰なのよ」
「トンクスの先祖だろ」
「何言ってるのよ? あんな愛想のない先祖いるわけないじゃない」
「娘。どういう意味だ?」
オスカーは去年この校長室でフィニアス・ナイジェラス・ブラックと喋っていたので、不機嫌な声を出しているものの、フィニアスは多分トンクスと喋りたいのだろうと考えた。
もしかすると、スリザリン生が身内好きなのではなく、このフィニアスの家系が身内好きなのかもしれないとオスカーは思った。
トンクスは肖像画の近くに書いてある校長の名前を見ながら喋った。
「オスカーがあなたを私の先祖だって言ってるのよ。えっと、フィニアス・ナイジェラス…… ブラック?? ブラック??」
「ブラックってシリウス・ブラックのブラックですか? トンクス先輩?」
「それ以外にブラックって何がいるのよ」
「シリウス・ブラックは私の曾々孫だ。私の弟の名前を付けられたのに、魔法界の裏切り者としてアズカバンに投獄されている。いまや私のころのブラック家は見る影も無い」
「ブラック家は日に日にブラックになってるってわけね」
トンクスのジョークはブラック過ぎて誰にも受けなかったようだった。特にフィニアスには全く受けていなかった。すでに先生方とクラーナ、チャーリーは螺旋階段を降りていた。
「娘。そう言うお前は何者だ? 見たところ我がスリザリン寮ではないようだが」
「ちょっとトンクス、ダンブルドア先生が下で待ってるの」
「そりゃそうよ。私はハッフルパフだもの。陰気なスリザリンなわけないじゃない。それに私は色んな意味でブラックなブラック家じゃないわ。ママがシリウス・ブラックの従妹なのはほんとだけどね」
「シグナスの孫か。誰の娘だ?」
「それおじいちゃんの名前よね? 初めて聞いたんだけど。ママの名前はアンドロメダだけど」
エストの忠告を無視して二人は感動の家族の再会をしていた。オスカーは性格こそ違うのに二人とも似たところがあるかもしれないと思った。妙な自分と周りに対する誠実さと、微妙にひねくれた性格が似ている気がしたのだ。
「ねえオスカー、ほんとにダンブルドア先生が待ってるの」
「分かった。おいトンクス、それにブラック教授……」
「マグルと駆け落ちした娘の子か」
「あ、そう言えば、ママがホグワーツで一番人望の無い校長が先祖にいるのよって言ってたの思い出したわ。ぜったいこのおじいちゃんじゃない。ねえレアもそう思うわよね?」
「え…… とりあえずお二人ともエスト先輩の話を聞いて下さい。そうじゃないと、話を聞かないところが二人ともそっくりだから……」
やっとトンクスは螺旋階段を降りて校長室から出た。しかし大広間へと向かう間もフィニアス・ナイジェラスはトンクスに引っ付いて肖像画を渡り歩きながらついて来た。
「娘。マグルの血が半分入っているとは言え、そのバッジを貰えるような働きをしているのだろう? ブラックの血は半分だけでも他のホグワーツ生より優秀という事だ」
「何言ってるわけ? こんなバッジ正直あんまり…… あ、嘘ですスプラウト先生、嬉しいです。だいたい何がブラックなのよ。今、ブラックなんて魔法界ではお尋ねものの名前じゃないの」
スプラウト先生の顔を伺いながらフィニアスの相手をすると言うのはオスカーには出来ない芸当だった。
「オスカー、トンクスはおじいさんと再会したの?」
「どうもそうらしい。気も合ってるみたいだ」
「合ってないわよ。ちょっとレア、どうにかしてくれない? ほら、ガドガン卿みたいな感じで」
「ガドガン卿をどうにかしたことないです」
以前はスリザリン生にからんでくるだけだとオスカーは思っていたのだが、やっぱりフィニアスからすれば自分の子孫の方が重要らしかった。外野が何を言おうとフィニアスはずっとトンクスだけに喋りかけていた。
「いいか。これ以上血を薄くしてはならないぞ。マグルの血が混じれば確実に魔法力は下がり、スクイブが生まれる可能性が上がる。可能なら出来るだけ優秀な純血と結ばれる必要がある」
「シリウス・ブラックに頼みなさいよ。なんで私がそんな心配しないといけないのよ」
「いい感じですね。トンクスが誰かに困らされているのを見るって。みんな私のことをこんな感じで見ているんでしょう?」
「まあそんな感じだな」
廊下を渡ろうと仕掛け階段を上ろうとフィニアス・ナイジェラスはずっとついて来る。オスカーもちょっとおかしくて笑ってしまいそうだった。フィニアスは生きていた頃でも、こんなに真剣に生徒に話しかけたことがあるのか疑問な性格なのだ。
「シグナスの孫。よく聞け、私の直系の一人はアズカバンで、もう一人の弟は前の戦争で死んだ。お前の叔母の一人はアズカバンで、母親はマグルと結婚して一族から絶縁、もう一人の叔母はきちんとした一族と結婚して出ていった。子供は男子が一人だけだ」
「そうみたいね。それで私のひいひいじいさまはみんなの前でそれを公表してくれたってわけね」
「ねえオスカー聞いた? じいさまだって」
「トンクスがあんな風に喋ってるの見ると面白いね」
エストとチャーリーにはトンクスのじいさま呼びが受けている様だった。たしかにオスカーも自分の一族の事をこんな風に友達の前で公表されるのはごめんだった。
「いいか。お前は私の一族の中で他の著名な一族の名を継ぐ必要性も無く、もうすぐ婚姻が可能な年齢になるわけだ」
「いやそんなこと言われても継がないわよ。だからアズカバンの二人にふくろうで後継ぎが必要って言えばいいじゃないの」
「昔から時々純血の一族でもマグルの血を入れる際もあった。マルフォイなどはそれを上手く隠してやっていた。お前も次はできるだけ純血で、狼人間や血に関連する呪いを持たない、優秀な魔法使いと婚姻しなければならない」
「だから知らないって言ってるじゃない!! 自分の子孫の面倒は子孫に見させなさいよ!!」
そう言うとトンクスはうんざりとばかりにダッシュで大広間に戻り始めた。フィニアスはそれについていこうとして、あわてて他の肖像に入り、新学期をワインで祝っていた修道士たちのテーブルを跳ね飛ばしながら追いかけていった。修道士たちからは抗議の声が上がっていたが、珍しく必死な元校長には聞こえていなさそうだった。
「こんな面白いのを見逃す手はありませんよ。ちょっと価値観が古すぎて理解出来ないですけど、あの校長は悪気があって言ってるわけじゃなさそうですし」
「そうだよね。多分、嫌がらせで喋ってるわけじゃなくて、ミュリエルおばさんみたいな感じなんだよね。これからはトンクスを静かにするときは、あのおじいさんを呼ばないと」
「ちょっとボクも続きを見たい……」
三人はいつもとは違って、本人は善意で言っているだろうフィニアスに困らされているトンクスが面白かったのか追いかけていってしまった。一方でエストはオスカーの横で不思議で複雑な顔をしていた。
「ねえ、オスカーも血が繋がってるのって重要だと思う?」
「さっきのブラック教授みたいにか?」
「そう。血が繋がってるとやっぱり特別なのかな?」
ホグワーツに入ってから一番見ているはずのエストの顔なのに、オスカーの知っているエストの顔では無かった。悲しんでも、喜んでもいない様にオスカーには見えた。
「特別なんじゃないか? 血が繋がってるかどうかって」
「じゃあ、オスカーは全然知らないけど血が繋がってる人と、いつも一緒にいるけど血が繋がってない人がいたら、どっちの方が大事だと思う?」
「流石に後者かもな。でも、前者が自分は知らなかったけど、本当は自分のお母さんとか子供だったなら言い切れないだろうけど」
「そうだよね……」
やっぱり不思議な顔をしているとオスカーは思った。それにどうしてエストがそんな話を気にするのかオスカーには分からなかった。エストは疑い様がないほど純血なのだ。それこそ、さっき話に上がったブラックと同じくらい純血のはずだったし、何よりエスト自身の魔法力がそれを如実に示していた。魔法界で強力な魔法力を示すというのは、それだけで純血の証明に近かった。もちろん、ダンブルドア先生やトム・リドルのような例外もいるかもしれなかったが。
「オスカー、エストレヤ。もう君たちの友人は大広間に入っておるようじゃ。君たちは監督生一年目じゃから一年生の誘導をしてもらわねばならぬ」
「はい。ダンブルドア先生」
「それとここで少し二人の時間を貰ってもいいかの?」
「私たちは大丈夫ですけど…… ダンブルドア先生の時間は大丈夫ですか?」
すでにみんなと先生方は大広間に入っている様だったが、ダンブルドア先生だけは広間で二人を待ってくれていたようだった。オスカーはダンブルドア先生が話があると言うのが気になった。ダンブルドア先生が直接話すということは、オスカーや生徒にとってかなりの意味がある。オスカーはこの四年間でそれを身に染みて知っていた。
「じゃから手短にじゃな。ホグワーツでわしは幾人も生徒を見てきた。そして時々、驚くほど目立つ生徒の集団がおる。目立つ理由は様々じゃが、大抵の場合、その集団は卒業してからも視線を集め続ける」
オスカーは思わずエストがホグワーツ特急で喋っていたことを、もうダンブルドア先生が知っているのではないかと思った。しかし、いくらダンブルドア先生とはいえみんなを開心術で見ようとするとは思えなかったし、仮にしたとしてもエストやクラーナや自分の前で堂々とチャーリーやトンクスに対して、そんなことをするとも思えなかった。
「今も名前を聞くような集団の原型が、すでにホグワーツで出来上がっていたことが何度もある。良い名前、悪い名前どちらもじゃ。君たちが知っているような歴史やピンズ先生が語る魔法史の数ページを埋めた集団も多くおる」
「ダンブルドア先生、それはえ…… 私達が例のあの人と死喰い人みたいになるって言ってるの?」
「エストレヤ、例のあの人ではなくヴォルデモートじゃ」
さっきの顔に比べればエストの顔は分かり易かった。エストは明確に怒っていた。対照的にダンブルドア先生の方はにこやかで涼しい顔だった。だというのに二人の青と紅い眼からは同じくらいのエネルギーが出ているとオスカーには感じられた。
「じゃあ。ヴォルデモートでもいいけど、ダンブルドア先生は私やオスカー、チャーリー、クラーナ、トンクス、レアの事をそういう風に思ってるの?」
「そうは言うておらぬ。じゃが、事実トム・リドルはホグワーツ始まって以来の秀才じゃったし……」
「ダンブルドア先生だってホグワーツ始まって以来の天才だったはずでしょ?」
「嬉しいことを言うてくれる。エストレヤが言うてくれればなおさらじゃ。しかし、もう少し話の続きをさせておくれ。わしが見てきた中でトム・リドルは間違いなく随一の学生じゃった。他の先生方もそう思っておった。トム・リドルがその取り巻きに与える影響力も含めてじゃ」
やっぱりまだエストは怒っている様に見えた。死喰い人やヴォルデモートと同列に扱われたことに怒っているのか、それとも前からダンブルドア先生に感じるところがあって怒っているのかはオスカーには分からなかった。
「わしはトム・リドルとその取り巻きと同じくらい、君たちの事を評価しておる。そしてトム・リドルと違うところは、君たちが君たちの誰かが危なければ、自分の身を賭すようなことでもするじゃろうと言うところじゃ。トム・リドルとその取り巻きにその様な関係は無かった」
「だから死喰い人とヴォルデモートより私たちの方が危ないってダンブルドア先生は言ってるの?」
「エスト、ダンブルドア先生に言いすぎだろ」
「オスカー、おかしいと思わない? ダンブルドア先生はオスカーが他の人の事を放っておけない性格なのを分かって、その石のところに連れて行ったんだよ? 今度はそういう事を私たち同士がするから危ないって言ってるの」
オスカーは思わずエストの眼から目が離せなくなった。目の前のエストが怒っているのは自分やみんなの為なのだ。その相手がダンブルドア先生でもエストには変わりないらしかった。オスカーはこういう時のエストの顔や雰囲気がいつもの可愛らしい印象では無くて、どちらかと言えば、綺麗とか美しいとかそういう雰囲気だと思った。
「エストレヤの言う通りじゃ。トム・リドルは人の不和や恐怖、怯え、憎しみを利用することに長けておった。それも恐ろしいことじゃが、それよりも信頼や忠節、献身に思いやり、月並みじゃが愛と言った誰かを思う心を利用する方が比較にならないほど恐ろしいのじゃ。わしはそれだけは他の人間よりよく知っておる。よく知っておるからと言って、実践出来ているとは真実薬を飲んでも言わないじゃろう」
もう広間では一年生の組み分けは終わってしまって、ダンブルドア先生の挨拶を待っているだろうというのに、ダンブルドア先生は二人の方を見て言った。
「わしが君たちホグワーツの学生に教えることが出来るのは、ほんの少しの魔法の知識とさっき言った事だけじゃ。わしはエストレヤが言った様に何度も失敗しておる。じゃから次に君たちが失敗しない様にそれを伝えることしか出来ぬ」
やっとエストの方は静かになったが、果たしてエストが何を考えているのかオスカーには読み取ることが出来なかった。ダンブルドア先生が言っている事に納得しているのか、それとも感情の色の見えなくなった紅い眼の奥でさっきと同じ怒りが燻っているのかオスカーには分からなかった。
「ホグワーツにお帰りと言うのはこのあと皆と一緒に君たちに言うことになるじゃろう。わしが言えるのはそう…… 期待しているという事じゃ」
「はい。ダンブルドア先生、そろそろ行った方が……」
「そうじゃの。ではまた一年間の始まりをご馳走で始めようかの」
大広間のドアを開けると広間の視線が三人に集中した。ダンブルドア先生は先生方のテーブルに、オスカーはすっかり静かになったエストを連れてスリザリン生のテーブルに向かった。相変わらず、血みどろ男爵の傍は誰も座っていなかったので二人はそこに座った。
近くに座っていた新入生らしいスリザリン生はオスカーの顔を見ると怯えた顔をした。オスカーは多分屋根が吹っ飛んだコンパートメントにいた新入生だろうと思った。
「組み分けはもう終わったみたいだな」
オスカーが話しかけてもエストは返さなかった。怒っているか何か考えているかどちらかに違いなかった。ただ、怒っているのなら視線はダンブルドア先生の方を向く気がしたので、オスカーは多分怒っているわけでは無いのだろうと判断した。
「少年、今年はやけに遅かったが何かあったのか?」
「ちょっとホグワーツ特急で色々あって、ダンブルドア先生の部屋に呼ばれてたけど、そんな心配するようなことは無かった」
「そうか……」
血みどろ男爵も静かになっているエストに話し辛いらしく、オスカーに話しかけながら横目でエストの方をチラチラ見ていた。
「ねえ。ダンブルドア先生もやっぱり悩むのかな」
「え? まあ…… そうじゃないか、ダンブルドア先生だって人間だし」
「さっき言ってたようなことで悩むのかな? ダンブルドア先生は頭がいいのに」
「頭がいい方が悩むんじゃないか? 血みどろ男爵?」
「少年、いきなり振られても分からないぞ」
「あ、男爵、今年もよろしくなの」
今気づいたとばかりに男爵にエストは挨拶した。オスカーはあまりエストが何を考えていたのかは分からなかった。ただ、頭がいいから悩むと答えたのは正しいと思っていた。ダンブルドア先生が普通の人なら、オスカーは去年あんなに苦悩にまみれたダンブルドア先生を校長室で見ることは無かったと思っていたのだ。
「それで何の話なのだ」
「頭いい人は悩むのかって話だよな? エスト?」
「そうだけど……」
「悩むのではないか? 私の時代で一番賢明だった偉大な魔女は誰よりも悩んでいた。むしろバカの方が悩むことは少ないだろう」
「賢ければ解決策も思いつくんじゃないのか?」
「少年、思いつくのと、行えるかは別の話だ」
血みどろ男爵はそう言っていた。確かに血みどろ男爵の姿を見れば思い付くのと実行するのでは大きな差があった。オスカーは血みどろ男爵みたいな行動は出来そうになかった。
男爵が言い終わったあたりで大広間が静かになった。ダンブルドア先生が椅子から立ち上がったからだ。
「今年はわしが遅れて申し訳ない。皆の腹の虫が拡声呪文を使ったかの様に聞こえてくるわけじゃが、少しだけ時間をもらいたい。新入生よ!! ようこそホグワーツへ!! そして古株の諸君は久しぶりじゃ」
大きな拍手が広間中を埋めた。ダンブルドア先生に対してはスリザリン生でも拍手をする。それだけダンブルドア先生が信頼されている証拠だった。
「わしが時間を押しているにも関わらず申し訳ないが、このまま学期の始まりの挨拶をさせておくれ。まず、一年生に連絡じゃが、校庭にある禁じられた森は立ち入り禁止じゃ。箒、めくらまし呪文、透明マント、どれを使っても立ち入り禁止じゃ。次に管理人のフィルチさんから三百九十九回目の連絡じゃが、授業の合間に廊下で魔法を使ってはならぬ。その他こまごまとした規則内容はフィルチさんの事務所に長いリストになって張られておる」
「オスカー、知らない人が二人いるね」
「そうだな」
先生のテーブルには二人知らない人が増えていた。ダンブルドア先生の話を聞きながら退屈そうに義足を杖で叩いて調子を確かめているケトルバーン先生の横に二人座っている。
「そして、今年は闇の魔術に対する防衛術にお二人の先生を迎えることになった」
生徒達の間にざわめきが広がった。一つの教科に二人の先生と言うのはホグワーツではほとんど見られないことだったからだ。魔法生物飼育学ではハグリッドがケトルバーン先生の仕事を手伝っていたので、似ているかもしれなかったが、他の授業ではほとんど見られなかった。
「あれかな? 一人だと呪いとかで辞めちゃうから、二人に増やせば分散されて辞めないとか?」
「そんなに単純なのか? というかほんとに呪いなんてかかってるのか?」
「ダーク・クレスウィル先生じゃ。魔法省ではゴブリン連絡室に勤務しておられる。ホグワーツでは隔週で闇の魔術に対する防衛術の理論を担当していただく」
グレーの髪に白い肌の賢そうな男が座りながら大広間のみんなに会釈した。多分、スネイプ先生より若いとオスカーは思った後で、クラーナから名前を聞いたことがあると思い出した。たしか、クラーナの姉や病院で会ったドーリッシュと同級生だと彼女が言っていたはずなのだ。
「隔週? 理論と実技で先生を分けるってことなのかな? それに若い先生だね」
「そうなんだろうな……」
「そしてもう一人、こちらも魔法省、魔法不適性使用取締局からドローレス・アンブリッジ先生じゃ。ホグワーツでは闇の魔術に対する防衛術の実技を隔週で担当していただくことになる」
かなりずんぐりした中年の女が椅子から立ち上がった。スプラウト先生やモリー・ウィーズリーはまだ健康的な太り方だったと彼女を見てオスカーは思った。次にトンクスのショッキングピンクは目には痛いが、まだ自分は好感を持っていたのだとアンブリッジを見てオスカーは思った。それくらい、何か不健康な太り方をして、センスの無いピンク色の服を着ている先生だとオスカーは感じたのだ。
「アンブリッジ先生から少しスピーチの時間を頂きたいと事前に連絡をもらっておる。ではアンブリッジ先生」
「校長先生、わたくしのような新任に歓迎のお言葉ありがとうございます。クレスウィルともども感謝しております」
「もっとなんか低い声かと思ったの。ほら、ガマガエルみたいな」
オスカーは思わず吹き出しそうになった。周りの何人かの新入生も同じ様だった。確かにアンブリッジの外見から想像出来る声というより、どちらかと言えば着ているピンクのひらひらした服から声が出ているような、まるで小さな女の子のような声なのだ。クラーナの外見でこの声色ならみんな納得しただろう。
「それにホグワーツに戻って来られたことに感激していますわ!! 皆さんの新学期にかける期待が浮かんでいる嬉しそうな顔!! すぐにお友達になれますわ!! もちろん、わたくしはクレスウィルと交代で来ますから、クレスウィルの週は少し寂しくなるかもしれませんが」
大広間の人間が嬉しそうかどうかは微妙なところだった。もし期待が浮かんでいるとしたら、それは早くディナーを食べたいと言う期待だったろう。
「あの人もホグワーツなんだね? どこの寮だったのかな?」
「なんと無くスリザリンっぽいな」
「男爵は知ってる?」
「我が寮の出身だ。学生の頃はたしかほとんど一人でいてあまり印象には残っていない」
印象に残っていない? オスカーは少なくとも今の外見と性格なら、クラーナやトンクスと同じくらい目立つのではないかと思った。それに魔法省でちゃんと働いているという事は、魔法や成績の方もかなりのモノだったはずなのだ。
少しざわめいていた広間に向かって、エヘン、エヘンと拡声呪文で大きくなっているだろう咳払いをアンブリッジは響かせた。
「それでは、去年のスクリムジョールに引き続き、魔法省から来ているという事で、少し皆様のお時間をお借りして、話させていただきます」
今度は落ち着いた声だった。ほとんど感情が見られないような声だ。オスカーは何となく、エストのいつもの声と授業中や目上の人に対する声の違いを思い出した。オスカーは自分が感じた通りなら、アンブリッジはスリザリンらしく自分の内側は見せたがらない人間なのではないかと思った。
「若い魔法族の教育は非常に重要である。我々は魔法省にしろ、ホグワーツにしろ、魔法界全体でそう考えてきました。みなさんが持っている才能を、慎重に教え導き、磨かねばならない。そして、古くから伝わる技を皆さんに教え伝えねばなりません。しかし、魔法界は大きな戦乱の中でいくつもに別れてしまいました。我々はもう一度結束し、皆さんに我々が、我々の祖先が積み重ね大成した魔法の技と知識の全てを伝えねばなりません。そして、それは教師と言う限られた天職を持つ者によってなされるのです」
アンブリッジは一息ついて、教師陣に挨拶した。ダンブルドア先生とクレスウェルはそれに返したが、他の先生方はそっぽを向いたままで、マクゴナガルに至っては眉をさらに固く結んだ。またアンブリッジはエヘン、エヘンと咳払いをした。
「ホグワーツの歴代校長、魔法省の指導要領担当部署、ふくろう試験、イモリ試験委員会、ホグワーツの教職員は常に変化する魔法界に合一するよう、新規の取り組みを模索し、導入してきました。失敗もあれば成功もありました。しかし、戦乱の後の魔法界には、さらに我々の団結がより重要性を持って求められます。魔法界の再統合に合わせて、教育システムはその現身の様に統合が求められるのです…… 伝統と革新……」
オスカーはさっきまでのエストとダンブルドア先生とのやり取りで疲れていたのもあって、アンブリッジの演説から注意が逸れていくのを自分で感じていた。
他のテーブルを見れば、トンクスはさっそく何かの悪戯を仕掛けているようで、変身で新入生のふりをして新入生に話しかけていた。新入生の姿なのに監督生のバッジを着けているのは気にならないのかとオスカーは思った。
レイブンクローのテーブルではクスクス笑い合っている女の子たちの真ん中でレアだけが真面目にアンブリッジの話を聞いていた。グリフィンドールではチャーリーがさっそく爆睡していて、クラーナは比較的真面目に話を聞いていそうだったが、近くで早速エストと双子の作った伸び耳とおとり爆弾の実演販売をジェイがしていて、そっちに気を取られている様だった。
隣のエストはレアと同じ様に真面目に話を聞いているように見えた。オスカーにはそれが意外だった。エストは中身の無い話は嫌いなのだ。虚飾にまみれた言葉や、無駄な表現を教科書や文章では嫌っていたし、そういう教科書からシンプルで強力な原理だけを抽出することこそ彼女の強みなのだ。オスカーは変身術や魔法薬の授業、そして最も顕著にその特性が表れた占い学の授業でその強みを十分に知っていた。だから意外だった。
「我々はもう一度、魔法界における魔法族の団結を確固たるものとして築き上げねばなりません。獣と人との境界を明確にし、二度と魔法族同士の戦乱が起こらぬように、我々の過ちを認め後世に伝えねばなりません。そのために魔法族内ではあらゆる垣根を乗り越えねばなりません。我々は魔法界という一つの船に乗っているのですから。いざ、前進しようではありませんか。団結し、垣根のない新しい時代へ」
「アンブリッジ先生、見事じゃ、まさに啓発的と言うほかない」
ダンブルドア先生とクレスウェル先生の拍手に合わせて、生徒たちと先生陣はまばらに拍手をした。オスカーは今の演説の中身はこれっぽちも理解出来ないと思った。難解な事で有名な変身術の難しい本よりよっぽど理解出来なかった。どう考えても、綺麗事を言っているだけに聞こえたからだ。
「それではみなを待たせてしまったのう。そうじゃ、遠慮はいらぬ。掻っ込むのじゃ」
アンブリッジの長い演説ではなく、こちらの合図こそ生徒達が待ち侘びていたものに違いなかった。ダンブルドア先生の号令と同時に、皿に七面鳥やオードブルが出揃い、ゴブレットはカボチャジュースで満たされた。生徒達のにぎやかな声が聞こえる。オスカーも食べようとして、隣のエストがまだフォークやスプーンに手を付けていない事に気付いた。
「食べないのか? スクランブルエッグもあるぞ?」
「食べるけど…… なんかモヤモヤするよね? さっきのアンブリッジ先生の話?」
そう言いながらエストは自分の皿に山盛りのスクランブルエッグを載せた。元から載っていたチップスはスクランブルエッグで見えなくなった。オスカーはどうしてエストがスクランブルエッグだけをこんなに食べるのか謎だった。ドラゴンの卵サイズで作っても、エストはスクランブルエッグなら食べきるのではないだろうかとオスカーは考えていた。
「そんなに謎なのか? 教科書とかの最初に書いている文章とかと一緒だろ。なんかカッコイイだけの言葉っていうか」
「ほんと? なんていうか、ダンブルドア先生の領域を魔法省が取り込むとか、そういう感じの宣言じゃないのかな…… ダンブルドア先生は賢いからそんなこと出来ないと思うけど。それにちょっと魔法族、魔法族って何度も言ってたのが気になるよね。獣と人とか言ってたし」
人と獣、オスカーはノクターン横丁の狼人間を思い出した。それにさっきの演説は何度も魔法族と出てきた気もした。ただ、オスカーはそんなに重要だと思えなかった。あのアンブリッジという先生が何を言ってもダンブルドア先生の上を行くとは思えないのだ。ファッジ大臣でも出来ないのだ。それより、オスカーはエストがスリザリン寮で蛇だからスクランブルエッグを沢山食べるのではないかというどうでもいい連想が頭に浮かんでいた。
「そんなに偉い人なのか? アンブリッジ先生って…… こういう魔法省の話はクラーナが必要だな」
「魔法省の話…… もしかして、魔法不適性使用取締局から来たって、あの先生、局長さんかも」
ならば結構な大物がホグワーツにやって来たという事なのか。そしてオスカーの頭の中はクラーナ、魔法省、アンブリッジという言葉でやっと繋がった。
「あの人のお父さんに俺会ったことあるな」
「アンブリッジ先生のお父さんに? オスカーが? どこで?」
「どこって…… 聖マンゴの喫茶室でなんか蜂蜜酒をおごって貰ったと思うんだけど」
「オスカー、聖マンゴに行ったの? 龍痘?」
「いや、死ぬだろ。ドージ先生じゃないんだから」
オスカーはお腹が一杯になって少し眠くなり、エストとぼんやりしながら喋り、周りを見回した。いつの間にか血みどろ男爵はいなくなっていて、スリザリンのテーブルから少し離れた場所でレイブンクローのテーブルを見ている様だった。
「いつ行ったの?」
「いつって……」
オスカーはその時になってやっとエストがオスカーの方を真っすぐ見ている事に気付いた。多分、今日で一番エストの視線を集めた自信がオスカーにはあった。
「いつ行ったの?」
「いや……」
「絶対クラーナとでしょ?」
「いや、まあそうだけど」
「夏休みでしょ?」
「そうだよ」
「あれでしょ。自分でクラーナって言って、アンブリッジ先生の名前と連想して思い出したんでしょ?」
どうもやっぱり閉心術の有用性は身近な人にはないのではないかとオスカーは思った。このままだとドラゴンの卵からトンクスのピンまで全部なし崩しにバレかねないのだ。
「エストの言う通りだよ」
「ふーん。オスカーは秘密が一杯あるんだね」
「無い。全然無い」
「ほんとに?」
グイッとエストが隣に詰めてきて、オスカーは思わずびくっとなりそうになった。ずっと一緒にいたはずなのに、エストの顔や体は随分変わったのかもしれなかった。七面鳥を食べた後のせいか、唇がろうそくの光をよく反射していつもより赤く見えた。
「やっぱりなんかオスカーおかしいよね?」
「何が」
「なんか違うかも、ほら、キーパーは自分がキャッチできる範囲が分かるけど、オスカーは何か決まって無さそう。前はどれだけ近付いても誰でもキャッチできそうだったのに」
「なんだそれ」
キャッチされそうなのはオスカーの方だった。さっきスクランブルエッグをエストが変身したバジリスク大の蛇が食べている図を思い浮かべていたが、明らかに今スクランブルエッグになりそうなのはオスカーの方だった。
「キャッチってなんだ」
「ほら去年の惚れ薬の時に抱き着かれても全然どうもしてなかったでしょ?」
「まあトンクスだし、正気でも無かっただろ」
正気で無いのはオスカーの方だった。二年生や三年生のころにこれくらいの距離感ならどうもしないはずだったのに、もう今は色んな事がオスカーは気になるのだった。これまでのオスカーなら、さっきのアンブリッジ先生の話を真剣に聞いていたかもしれないのに、オスカーが気になるのはエストとの距離や、唇の色や、エストの紅い眼が自分のどこを見ているかなのだ。そしてどう見られているかの意味も、三年生の時に喧嘩した時とは随分意味が違っているとオスカーは思った。
「うーん。でもね、モリー叔母さんとアーサー叔父さんもお互いに一杯秘密があるんだよ?」
「なんだ秘密って」
「叔父さんは納屋と鳥小屋に一杯色んなモノ隠してるの。叔母さんにバレない様に」
「なんかちょっと見せて貰ったことあるな。グルグル回して声を届ける機械なんだとか言って、ずっと数字の着いたウィジャ盤みたいなのを回してた」
オスカーはなんとかウィーズリーおじさんの記憶を捻りだした。ダイアゴン横丁でのクラーナとの距離が長く感じるくらいやたらとエストはオスカーに近付いてきていた。
「そうでしょ? 他にも一杯隠してるの。魔法省で押収した変なのが一杯なんだよ? それにフレッドとジョージはもしかすると一番アーサー叔父さんに似てるかもしれないの。あの二人も一杯隠れ穴に色んなモノを隠してるから」
「ウィーズリーおじさんやフレッドとジョージならわかるけど、チャーリーのお母さんにそんな隠し事とかあるのか?」
ウィーズリー夫妻に隠し事があると言うのがオスカーには結構意外だった。夫の方は趣味みたいなモノなので仕方無いかもしれなかったが、いつも家族の事ばかり考えていそうなモリーに隠し事などあるのかと考えた。オスカーはもしほとんど距離の無いエストや色んなテーブルにいる誰かの一人と一緒に住むことになったら、隠し事など出来そうに無いと思うのだ。
「ほら、オスカーがトンクスから冗談で貰った本があるでしょ?」
「冗談??」
オスカーは少しの間エストが何を言っているのか分からなかった。ちょっとの間が開いた後で、例の書き込んだらトンクスの持っている羊皮紙に文字が届く本だと分かった。最初は冗談で貰ったと思っていたが、本当はかなり真面目なプレゼントだったので、オスカーは冗談と言われてもピンとこなかったのだ。
「ああ、あのロックハートって人の本か?」
「もしかして、あの本ってただの本じゃなかったの? なんか読んだら読んだ人がロックハートさんと同じ歯を出した笑みしかできなくなる呪いがかかってたとか?」
「いや、ただの本だった」
「オスカー、ほんと? オスカーがただのって言う時はなんか怪しいけど……」
もう、本当にどれくらいエストや周りのみんなが鋭いのかオスカーには分からなかった。オスカーはドラゴンの卵もいったいどれくらい持つのか本当に自信が無くなってきた。
「さっきのスピーチみたいに中身の無い本だと思うけどな。女性はこういうときどう考えてるみたいなことが書いてあって、周りのみんなには当てはまりそうに無かったし」
「そうなんだ…… でね、モリー叔母さんはそのロックハートさんのファンなの。前に何回かフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店でサインまで貰いに行ってるの。アーサー叔父さんには秘密なんだって」
「あの人、顔はいいよな。爽やかで。本はお勧め出来ないと思うけど」
オスカーからすればエストにも今すぐフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店にサインを貰いに行って欲しい気もした。しかし、オスカーは分かっていた。自分はエストとこんな風に喋っていたいのだ。なのに、近付きすぎると耐え難くなると言うのはオスカーには意味が分からなかった。自分の事なのに。
「あの、先輩。久しぶりです」
「ジェマ、元気にしてたの?」
「私は元気なんです。それより、もう晩御飯終わったみたいなので、新入生が手持ち無沙汰になってると思って」
「ジェマの言う通りだな」
いつの間にかダンブルドア先生が号令をしたらしく、生徒たちは列を成して大広間から出つつあった。あのトンクスでさえ、ハッフルパフの新入生をもう一人の監督生と一緒に引率しているのだ。オスカーはスプラウト先生が号泣しているのではないかと思って、思わず何回か教職員のテーブルを見てしまったが、何かマクゴナガル先生、フリットウィック先生とアンブリッジ先生の方を見て喋っているようで、オスカーの期待した光景は無かった。
「行かないと不味いかも。ジェマありがとうね?」
「今年も何か分からないところがあったら聞かせて下さい」
「談話室にいる時に捕まえてくれればいい。エスト、行こう」
オスカーは新入生を見て、ホグワーツに来た時の自分はこんなに小さかったのだろうかと思った。また四年しか経っていないはずなのに、自分や自分の周りのみんなより、新入生は随分小さくて幼く見えた。考える時にクラーナは頭から除外した。エストが新入生に喋る前にオスカーの耳元で囁いた。オスカーはやっぱり耳元でエストの息を感じるのも、髪からオレンジのような香りがするのもダメだった。
「ね? 新入生はホグワーツが楽しみで楽しみで仕方なかったはずなの。オスカーもそうだったでしょ?」
「俺は周りのみんなとはそこは少し違ったかもな」
「そうなの? でも、ほら期待は裏切っちゃダメかも。寮の紹介とかしながら行けばいいかなって」
「分かった。そこはエストが……」
「オスカーがやって。私が先に行った方がいいでしょ? ピーブズとか鎧さんとかはオスカーが先頭より、私が先の方が通してくれるから」
てっきりエストがそういう事はやってくれると思っていたので、オスカーは困ってしまった。エストはロンやパーシーの相手をウィーズリー家でしてきただけあって、年下とのコミュニケーションは上手かったのだ。オスカーと言えば、レアとジェマの相手くらいしかしたことが無かった。
エストはスリザリンのテーブルのちょっと先まで行って、オスカーに新入生に喋ってと口パクしていた。オスカーは諦めて新入生の方を向いた。
「ホグワーツとスリザリンへようこそ。俺は監督生のオスカー・ドロホフ。あっちでこっちを見てる俺がさっき喋ってた女の子も、同じ監督生のエストレヤ・プルウェット。ああ、監督生って何か分からないか。五年生以上の各寮に男女二人ずついて、教師の手伝いをしたりしてる。一応、自分の寮の学生からは点数を引いたりも出来るけど、まあそんなことはほとんど無いから教師に相談し辛いことなんかを言ってくれればいい」
新入生みんなの視線がオスカーに集まっていた。色んな目をしているとオスカーは思った。食べた後で眠そうな目、期待で一杯の目、少し怯えている目、何か憧れのような目、オスカーは自分が最初に来た時はここにあるどの目とも違った目をしていた自信があった。
「じゃあ、もう寮に行こう。みんな立ってくれるか?」
素直にみんな立ってくれてオスカーは安心した。これで立たなかったら浮遊呪文で浮かすくらいしかオスカーにはやりようが無かったからだ。
「エストが先導するから、それに俺たちはついていく。ホグワーツは廊下や階段が動いたり、隠し道が沢山あったりする。だから迷子にならない様に俺は最後尾を歩くから、みんなエストについて行ってくれ」
ぞろぞろとエストに先導された小柄なローブの集団は動き始めた。地下に向かうのはハッフルパフとスリザリンだけなので、広間から出た時点で結構城の中は空いていた。
しばらく進んで他の寮生が見えなくなると、エストは魔法の光をいくつも出して集団の足元を照らし、オスカーと一年生たちの方を向いて言った。
「足元気を付けてね? 階段だと、いきなり足場が抜けたりするときもあるの。あと、オスカーお兄さんがみんな寮に着くまで退屈だろうからスリザリン寮のお話をしてくれるって」
エストがそう言えば新入生たちはオスカーの方を振り向いた。
「分かった。なんか喋るから前を向いて歩いてくれ。えーっと、じゃあ談話室からだな。今から行く場所だけど、地下牢の奥の隠された扉の中にあって、合言葉を言えば入れる。合言葉は二週間に一回変わって、変わるときは談話室の掲示板に書いてあるからチェックしてくれ」
またエストが振り向いて、『まだまだなの』とでも言いたげな顔をしていた。オスカーは監督生を務める自信が段々無くなってきた。
「スリザリンの色はもうみんなテーブルで分かってるよな? エメラルドグリーンに銀色、談話室も寮の中もネクタイもそうだから、みんな一か月もすれば自分の色だって思うようになる。それとスリザリンの象徴は蛇だ。色んな意味があるけど、基本的には動物界で一番賢い生き物だって言われている。ああ、それとここの階段だけど、いつもは逆回りなんだ。エストがいない時は反対周りに回るからみんな気を付けてくれ」
仕掛け階段を踏み外しそうになる新入生をワンドレス・マジックで拾い上げながら、オスカーは喋り続けるというのは結構しんどいと思った。みんなが見ていない隙をついて、オスカーは無言で拡声呪文を喉にかけた。
「あっちで騒いでるのはピーブズだ。あの上の方でレイブンクロー生に糞爆弾を投げつけてる奴だけど、あいつが言うことを聞くのはダンブルドア先生と血みどろ男爵とエストだけだから気を付けてくれ」
そう言うと新入生の何人かが笑った。さっきの階段に引き続いて冗談だと思ったのだろう。オスカーは残念ながら冗談では無いと言うのはやめた。なぜならエストの視線を強く感じた気がしたからだ。
「血みどろ男爵って言うのはさっきの夕食の最初の方に、俺とエストの傍に座ってたゴーストだ。ゴーストが座れるかどうかは微妙だけどな。スリザリンの寮憑きのゴーストで、あんな見た目してるけど結構いい人だ。たまに余計なことをポロっというけど。何で血みどろになったのかとか、レイブンクローの灰色のレディとの関係とかは聞かない方がいい。まあ、みんな離れて座ってたし、そんな話を聞く度胸はあんまりないよな。俺も初めは聞けなかったからな」
地下牢の階に降りる階段を下りながら、オスカーは懐かしい涼しさを感じていた。地下牢は夏でも涼しかったし、オスカーはそれを懐かしいと思えるくらいには、スリザリン寮を家だと思っていた。
「そうだな、スリザリンに入る人は家が代々魔法使いの家系の人が多いだろうから、色々スリザリンについて聞いてると思うけど、中身は結構違ったりする。純血じゃ無かったり、おじいさんがマーリン勲章を持っていないなら口を利かないとか、闇の魔術をみんな極めてるとかな。確かに俺もエストも純血だけど、半純血の人も結構いる。だいたいダンブルドア先生は半純血だからな。あとおじいさんがマーリン勲章を持ってなくても大丈夫だ。闇の魔術は…… 俺もそんなには使った事が無いし、ほとんどのスリザリン生も使った事が無い」
地下牢のある階を進みながら、オスカーは流石に喋ることが無くなってきたと思い始めた。そんなに自分の寮について喋ることをオスカーは持ち合わせていなかった。去年、エストと一緒にジェマに喋っていたことをなんとか思い出そうとしていた。
「あとはスリザリン生の特徴とかだよな。創設者のスリザリンが寮生に求めたのは、ダンブルドア先生いわく四つある。機智に富む才智、色んな事にこれまでの経験を活かして対応できること。断固たる決意、決めたことは絶対にやりきること。やや規則を無視する傾向、何かをやるためにはちょっとくらいルールを無視すること。それに周りを守る心らしい。最後のはまあ、スリザリンにいたら分かると思う。俺たち監督生も寮生の手伝いをするけど、他の寮とは違って、うちの寮はみんな寮のメンバーを助けるからな」
「誰がかわいいちびっこちゃんたちを連れて歩いているのかと思ったら。オスカー、あなただったのね」
「マートル? なんでこんなとこに?」
あと少しで談話室というところで、上からマートルが現れた。なにやらオスカーの胸にある監督生のバッジを見てマートルはニヤニヤ笑った。
「あら? 私の本名を言ってくれないのね」
「マートル、監督生になったから談話室にみんなを連れて行かないと」
「私、前学期会った後、あなたが名前を聞いてくれたから、いつ私がいるところに来てくれるかと思って期待してたわ。名前を聞いてくれたなんていつ以来か思い出せなかったもの」
新入生たちは困惑してオスカーの方を見ていた。エストが前の方からマートルと喋っているオスカーを見てやってくるのが分かった。
「でも、監督生になったならいつでも私から会いに行けるわ。監督生のバスルーム……」
「マートル、ゴーストでも監督生のバスルームは立ち入り禁止でしょ。それにマートルは女の子なの」
「あら? スリザリンのお姫様のお出まし? 他のゴーストたちはあんたの事が好きだって言うけど、私は違う」
「私もマートルのことあんまり好きじゃないかも」
マートルはどうも明確にエストの事が嫌いらしかった。さっきまでニコニコ顔だったというのに、トンクスの悪戯を片付けるフィルチのような顔に変わっていたのだ。オスカーは城のゴーストならだいたいエストの言う事を聞いてくれるので、珍しいケースだと思った。
「あんたの雰囲気は私の時の監督生に似てるわ。一杯自分より下の奴を引き連れてる。先生はあんたみたいなやつが大好きだし、男もあんたみたいなやつが大好きだけど、私はあんたみたいなやつは大嫌い。自分に自信があって、自分が大好きだもの」
「エストはマートルみたいなトイレでジメジメしてる女の子は嫌いかも」
「そういう誰にでも好かれて当然って態度が嫌い。今年戻って来た、あのスリザリンの可哀そうな女の子の方がよっぽど好きだったわ。いっつもトイレで泣いていたもの。自分は好かれない、認めて貰えないってね。監督生にもしてもらえなかったって」
これはちょっと不味いとオスカーは思った。エストがグツグツと煮込まれた大鍋になりかねなかったからだ。いくらゴーストのマートルとは言え、エストが怒ればいつものトイレに二度と入れなくするくらいの事は出来そうなのだ。
「トイレにいると色んな女の子の声を聞けるのよ。あの男の子には絶対振り返って貰えないって。あんたのオスカー……」
「マートル、今は監督生のお仕事中なの」
エストが杖を一振りすると、マートルはまるで音のしない凄まじい暴風が吹いたかのように吹き飛んでいって地下牢の壁に吸い込まれていく、吸い込まれる前にマートルはかなり間抜けな声をあげていて、新入生からは歓声が上がった。オスカーはどうも雲行きが怪しい気がした。今回は明らかにマートルの方が喧嘩を売ってきた上、生身では無かったのでエストの対応には分があったと思っていた。ゴーストが嫌がらせをしようと思えば、談話室でもベッドルームでもどこまでもついて行くことが出来るのだ。しかし、もしオスカーの目の前で生身の女の子とエストが喧嘩をしたらどうすればいいのか、オスカーには分からなかった。
「じゃあ、みんなも私とオスカーと談話室に入ろう? あ、さっきオスカーから紹介があったと思うけど…… あったよね? オスカー?」
「やったよ」
「じゃあ、改めまして、エストレヤ・プルウェットです。五年生で監督生だから、なんかあったら他の監督生か私やオスカーに言ってくれればいいよ。さっきのゴーストをどうやったら吹っ飛ばせるかも、教えて欲しかったら教えちゃうから」
さっきの実演は結構効果があったらしく、新入生たちはエストの方をオスカーを見る目より憧れの目で見ている気がした。ここで新入生の手がなぜか上がった。
「どうしたの?」
「あの…… ホグワーツ特急の屋根が壊れた時みたいなことはよくありますか?」
新入生の声は上擦っていて、かなり緊張している様だった。よく見るとその新入生はさっきの大広間でオスカーから目線を外した新入生で、どうもホグワーツ特急で屋根が吹っ飛んだコンパートメントにいた新入生の一人のようだった。
「あんな命が危なくなるようなことはホグワーツでもほとんど無いの。ね? オスカー」
「うーん…… 微妙なとこだな」
オスカーはここで嘘つきになる意味も無かったので、正直に言った。これまでの四年間を考えればあのレベルでの危険なら何度もあった気がしたからだ。
「オスカー!! そんなのオスカーだけでしょ。みんな、オスカーはすぐ危ないとこに行くから、参考にしちゃだめな…… ダメだよ。そういう事しようとしてたら、すぐ私に言ってね?」
「エスト、とりあえず談話室に入ろう」
「そうだね。じゃあ合言葉を言うからみんな覚えといてね?」
また、スリザリンの談話室に入る。四年間同じメンバーのベッドルームに戻る。新入生の時と同じ様にエストと一緒にオスカーは戻ってきた。最初とは違って、連れられてでは無くて、今度は誰かを連れてきたのだ。
「マーリン」
エストに続いて新入生が談話室に入り、オスカーも最後の一人が入ったのを確認してから入った。緑のランプに照らされた黒い湖がガラス越しに見える。ガラスの傍に二つの肘掛椅子が見える。オスカーはこの肘掛椅子を見ると本当にホグワーツに戻って来たと思うのだ。あそこはホグワーツで一番オスカーが安心する場所だった。
「ね? 合言葉になってるみたいに、マーリンもスリザリン出身なんだよ? ちょっとワクワクしてくるでしょ? ここは伝説の魔法使いが私やみんなみたいに勉強して、遊んで、友達や寮の仲間と一緒に暮らしてた場所なの。それじゃあ明日からもう授業が始まるけど、みんな寮のみんなに分からないところは聞いてみてね? それで、困ってた寮の人がいたら助けてあげてね? 同じ寮の人なら誰でも一緒だよ。じゃあ、おやすみなさい。寝る場所は…… あっちが女子寮であっちが男子寮、男の子は女子寮には行けないよ。あと、トランクがちゃんと届いているかも確認してね。私はオスカーとそこにしばらくいるから、もし何かあったら聞きに来てね」
新入生たちは口々におやすみなさいと言いながら寮へと歩いて行った。もう友達になったのか、数人で喋りながら談話室の備品を指さしたり、オスカーとエストの方を何度か振り返ったりしながら全員寮へと消えて行った。
「最初の夜はオスカーすぐ寝ちゃったよね?」
「寝てたな。あの日は色々あって疲れてた。あんな一杯の人見たこと無かったし、エストとかクラーナみたいな同じ年の子供とほとんど喋ったこと無かったからな」
本当は周りにどう思われているか不安だったし、誰かと仲良くなることが、特に女の子と仲良くなることが不安だったとはオスカーには言えなかった。
「エス…… 私、ここに一人でしばらくいたの。お父さんや叔父さんや叔母さんがずっと喋ってたとこに。マーリンとかすごい魔法使いが勉強した場所に来たんだなって。そういうこと考えてたら寝られなくて」
「俺が滅茶苦茶早く起きたのに、ここにいたのはここで寝てたからなのか?」
「それはそうなの。起きたらいつの間にか毛布かけられてたから、屋敷しもべ妖精さんかな?」
「多分そうだろうな」
エストと喋りながら肘掛椅子に座ると、椅子が随分小さくなったとオスカーは感じた。体は一年生の時とはずっと違うモノになっていた。それはエストもオスカーも一緒だった。体もそうだが、それよりずっと心も変わっているはずだった。それはみんな一緒のはずだった。
だから、オスカーはみんなとの関係も随分変わっていると思った。多分、これからもそれは変わっていくはずだった。
「ねえ。やっぱりあんなに話したら頭が冴えちゃった。もうちょっと喋っててもいいよね?」
「エストに毛布が必要になる前までならな。男子は女子寮には入れないからな」
「じゃあ、オスカーのベッドでいいかも」
「アクシオでエストのベッドごと呼び出してここで寝て貰う」
「何それ。多分、女の子のベッドを呼び出したらホグワーツの伝説になるの」
どれくらいまで前と一緒でいられるのか、そもそも一年前の自分とさえ違う事があるのに、一緒でなどいられるのかオスカーには分からなかった。
それでも、オスカーは談話室での時間くらい、変らなくてもいいかもしれないと思っていた。