謹呈の世 銀嶺の今   作:c.m.

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Attack 11(状況に)ながされて天鏡島であります

「しっかり遊び、たっぷり寝て英気を養ったところで、ようやく本島行であります」

 

 これで暫くは安全でありますなー。と飛行艇の操縦桿を握りつつジーヤは呑気な声を上げているが、女性陣らとは異なり、安田の目元には僅かだが疲弊と焦燥の色が見えた。

 

「ねぇ。ホント大丈夫なの、君?」

「はい。問題ありません」

 

 征綺華には、とてもそうには見えなかったが、着くまでの間一寝入りするようなら、膝を貸してやればいいかとポジティブに考えながら隣に座ろうと、

 

「待て。私と銀香様で座る」

「君達だと、余計落ち着かなくなるんじゃない?」

 

 僅かに顔を顰めつつ、芹沢の提案を切る。昨夜ホテルに戻り、床に就いてから安田はこの調子なのだ。原因が誰にあるかなど、考えずとも分かるだろう。

 

「……いえ。私は大丈夫です」

「だからそうは見え……って、あれ? もしかして、本当に?」

 

 芹沢らの好意を無下にしたくないというのもあるだろうが、安田の表情には彼女らを気遣っての無理は見られず、むしろ嬉々とした様子が伺えた。

 

「正直に申しますと、この先の事で、少々」

「そういえば、安田少年は本島に行ったことがあるのでしたな」

 

 天鏡島の本島は厳格に立ち入りを禁じられている筈ではなかったかと、皆物問いたげな眼差しを送り、それを予見してか、直接疑問を口にするより先にジーヤが応えた。

 

「八年前、お嬢様とマイシスターを助けてくれた安田少年に、ジーヤが出来る限りお願いを聞いて上げると言ったのであります」

 

 無論、可愛らしい子供の願いとは言え、天鏡島は綾之峰の管理する土地である。こればかりは難しいと当時のジーヤも難色を示し、駄目元で本島の巫女に尋ねたところ……

 

「先代巫女姫様と、現巫女姫たる歌凛子様の双方が是非安田少年にお会いしたいと言ってくれた為、ご両親の許可を経て安田少年とジーヤの二人で本島に行ったのであります」

 

 所謂デートという奴でありますな、とジーヤは嘯くが、皆その冗談には反応しなかった。

 

「成程ねぇ。要するに、楽しみだから寝られなかったと」

「お恥ずかしながら」

 

 遠足か修学旅行前の子供かと銀香は思わずにいられなかったが、これもまた新しい発見と見るべきだろう。昨夜の告白そのものが尾を引いていないというのは、気が軽くなる反面複雑なものだが。

 

「……それにしては、とびきり喜んでいるという表情でもなさそうでありますが?」

 

 ジーヤは無視をされて悲しいであります、と態とらしくハンカチを目元に当てるが、途端安田の表情は暗くなり……

 

「一人、苦手な方が居りまして……」

 

 

     ◇

 

 

「後で合流致しますので、暫く飛行艇で過ごさせて頂けませんか?」

 

 そんな安田の切なる要望は聞き入れられなかった。ジーヤ曰く。

 

「燃料も電力も有限であります。というか、安田少年が何でそこまで頑なに行きたがらないのか興味があるからキリキリ歩けであります」

 

 と。嗜虐心全開のスマイルで引き摺り出され、そんな様子に一同は目を丸くしていた。

 

「あいつ、この島で何があったんだろう?」

 

 とは銀香の言であった。とはいえ、その苦手なものに関してはすぐに分かる事になる。

 

「皆様、よくお出で下さいました」

 

 風に乗る声。一体いつからそこにいたのか、黒髪の巫女が佇み出迎えてくれた。

 黒子のように垂らされた白布の覆面から表情は伺い知れないが、その声音は穏やかで心からの慈愛に満ち───

 

「───ところで」

 

 先程までの声音が、まるで空耳であったかのような冷たい音が周囲を満たす。

 

「……お久しぶりです、巫女殿」

「ええ。本当に久しぶりですこと。ですが」

 

 今は巫女大将とお呼びなさいと、この島の実質的な二番手であり、当主補佐を勤める巫女が忠告した。

 

「はい。巫女大将殿」

 

 おかしいと一同は眉を顰める。安田が慇懃であるのは今に始まったことではないが、それにも増して表情が固い。

 なんというか、萎縮しているようにしか見えない。あの万里華の前ですら泰然自若であった鉄面皮が、よもやここまで身を竦ませようとは。

 

「結構」

 

 と。おそらくは笑みを湛えながら放った廻し蹴りが、安田を桟橋から叩き落とした。

 

「「安田───────!?」」

「では皆様、お食事の用意が出来ておりますので、こちらに」

 

 唐突な暴力に目を見開く銀香と芹沢さえ意に介さず。ばかりか初めから安田の存在などなかったかのように、巫女大将は一同を先導した。

 浮かぶ安田。漂う安田。流されかける安田。

 そんな安田を助けようとしてくれる少女らの気持ちは嬉しかったが、どうせまた蹴り落とされるぐらいなら、先に行って貰った方が手間もない。

 よって、ドザエモンの如く浮かびながらも、良いから行ってくれと安田は手を振った。

 

 

     ◇

 

 

「お久しぶりです。父様」

「歌凛子か。息災で何よりだ」

 

 年の頃は十一、二程か。愛らしい笑みを浮かべた黒髪の少女が、桟橋から手を差し伸べてくる。仰向けで海に浮かぶという兎に角残念な姿での再会であったが、どのような形であろうと、再会とは喜ばしいものだ。

 

「巫女大将が、ご無礼を働いたようで」

「いや……あれは私が悪かった」

 

 片手を桟橋にかけ、もう片方の手で歌凜子の手を取ってよじ登る。苦手意識など持たず、誠意を持って向き合えたなら、少なくともここまでは……

 

「……されたな。確実に」

「それはまぁ、そうでしょうとも」

 

 くすくすと。決して人前では見せぬ人懐っこい笑みを湛えながら、歌凛子は手を引く。

 裏表のない感情の発露と、慕う思いは自然と安田の頬を綻ばせた。

 

「参りましょう、皆を待たせては悪いですから」

 

 

     ◆

 

 

 さて。件の巫女大将は、何故安田登郎に豪快な蹴りを叩き込んだか。

 何故見た目には安田より明らかに幼い歌凜子が、安田を父と慕うか。それについて説明する為、時を八年前まで遡る。

 

「着いたでありますよ、安田少年」

 

 今よりやや肌が若……これは失言であった為、取り消させて頂く。

 今も変わらぬ美貌を保つジーヤが、安田を本島に送ったのは、芹沢と英里華が離島から別荘に戻ってから翌日の事。

 先代と当代巫女姫双方の歓待によるものとは先に記載した通りであるが、ジーヤ当人には見当が付かなかった。

 

“安田少年の事が『視え』なかったのか。それとも『視えた』からこそ興味を抱いたか”

 

 どちらとも取れる可能性はあるが、当代の巫女姫のみならず、先代までも興味を示すというのは異常だろう。

 

「ようこそお出で下さいました。そちらが件の少年でございますね」

「お初にお目にかかります。安田登郎と申します」

「これはご丁寧に───」

 

 ───ですが。初めてではないでしょう? と。

 

 出迎えに来た巫女は、安田にのみ聞こえるよう囁いた。

 

「ではジーヤ殿。これより先は、私が御連れ致します。とはいえ、ジーヤ殿も手持無沙汰では何でしょう。席を取らせますので、しばし御寛ぎを」

「……? 安田少年。どうかしたでありますか」

 

 先程と違う、微かな緊張を感じ取ったのだろう。僅かに答えに窮した矢先、思わぬ方向から助け船が出た。

 

「このぐらいの齢でしたら、大人には緊張するものでは?」

「ジーヤには一切気後れしなかったでありますが」

 

 どういう事でありますか? とジーヤは半目で安田を睨むが、既に安田は先程感じた緊張の色は見えず、嘘のように平静を保っていた。

 

「その……ミス・マクミランは、母と懇意にしているようなので、安心できる女性として見ていたと言いますか」

 

 要は、母や姉のように気を遣わずいられる程信頼できる女性として見ていたという事だろう。そういう事ならばと、ジーヤがこれ以上踏み込まなかったのは、この時の安田の年齢も考慮してだ。

 

“巫女殿の言う通り、安田少年はしっかりしていても八歳でありますからなぁ”

 

 子供らしい好奇心から島に来ても、流石に見知らぬ大人を前にしては緊張ぐらいするだろう。

 

「ジーヤは暫く離れますが、大丈夫でありますか?」

「私が責任を持ってご案内致します」

 

 安田に対し気遣って言った筈だが、巫女は強引に遮ると、安田の手を引いてしまう。

 

“……まさかと思うでありますが、巫女殿は青い果実を抓もうなどと考えてないでありますよね?”

 

 だとすれば、安田の態度が硬化した事も含め、危惧せねばならないが……

 

“流石に巫女姫様達が黙ってないでしょうし、大丈夫だと信じる事にするであります”

 

「少年。何かあったら一番年の近そうな巫女さんに泣きつくでありますよ」

 

 小さく耳打ちしつつ、何食わぬ顔で安田を見送る。少々、この島に彼を連れて来てしまった事を後悔しながら。

 

 

     ◆

 

 

「……お久しぶりです、と言い直すべきでしょうか?」

 

 無論それは、この巫女の言葉を信じるなら、というのが前に来る。確かに一度耳にした声ではあると思うし、他に心当たりはないが、確証はない上、黒瀬であった頃から幾分も年月が流れてしまった。返答がなかった為、続けざまに問う。

 

「……随分と。お若いようですが」

「これは秘事ですが、星読みの巫女は、その力を託さぬ限り老いぬのです」

 

 ジーヤと分かれてより、巫女からは不穏な空気が伝わる。しかし安田……否、黒瀬当人との面識こそあれど、先代の巫女姫との関わり以外では、この巫女と接点はない筈だ。

 無論、先代の巫女姫に忠誠を誓うこの巫女にとって、種馬としての分を弁えず、先代の巫女姫に夫として接した以上、黒瀬は許されざる無礼者なのだろうが。

 

「私が黒瀬と、何時からお気付きに?」

「……まず、言いたい事があります」

 

 くるりと振り返る。覆面の下で、花咲くような笑みを巫女は作り───

 

「───この顔に、見覚えが御有りでは?」

 

 見える様、ずらされた覆面。

 二十前半ほどの、その見目麗しい相貌を見た途端、先程までの安田の表情が脆く崩れた。全身に夥しいほどの汗をかき、顔からは一気に血の気が引く。

 

「……実に、お美しいと」

「世辞は結構」

 

 大丈夫だ。全ては忘れられた過去にして消えた歴史。この巫女との接点は、先代巫女姫との僅かな時間だけだと言い聞かせたが、巫女は追い打ちをかけるように安田へと間合いを詰めた。

 

「この顔に。見覚えは?」

 

 ずい、と。更に顔を近づける。知っているだろう。分かっているだろうと。滝の如く汗が滴る安田に囁き。

 

「一晩中抱いておきながら、それほどの物でもなかったなどとよくも抜かしおったな糞たわけがぁ……っ!!」

 

 豪快に。未来の安田と寸分違わぬ位置に回し蹴りを叩きこむ。

 吹き飛ぶ安田。転がる安田。石庭の白石が無残な姿を晒すが、それさえ知った事かとばかりに巫女は安田に追撃を入れた。

 

「何か、申し開きは?」

「……何故、今の世の貴女がそれを……」

 

 は! と巫女は鼻で笑う。

 

「確かに私も『忘れて』おりましたとも。ええ、何せ全て『無かった』ことになったのですからね」

 

 ならば、一体何故綾之峰が統べる以前の世において、黒瀬が家庭を持つ前に春を買った一人目となる筈だった巫女に、その記憶があるのか?

 陛下がその玉体と歴史の全てを捧げた事で今の綾之峰があり、異なる歴史の中でそれぞれが別の人生を送った筈。つまり、この歴史と言うべき今の世において、黒瀬とこの巫女には肉体的な関係など一切ない筈だ。

 

「貴方と……いえ、黒瀬正継が不敬にも、先代巫女姫様に種馬としての分を弁えず言の葉を交えた事をお忘れか?」

 

 そう。確かに安田は皆が異なる歴史を生きているという事に瞠目し、妻もまた星読みの巫女姫となっていた事に気付かぬまま、過去の通り妻と接した事で、この巫女が引き剥がそうと……。

 

「腕を掴んだ折、『忘れなかった』貴方の記憶を『視』ました」

「……妻以外は、『未来視』が精々の物と思っていました」

 

 安田の予想は正しい。確かにこの島の巫女らは皆未来視の力こそ宿しているが、それ以外に関しては巫女姫以外、然したる能力はないのだ。

 

「私は少々特殊でして。『先』でなく『人』を視る事に長けているのです」

 

 だからこそ、常に巫女姫の傍に侍っているのだというし、理屈は安田にも分かる。人を見る事が出来るという事は、他者の悪意や好意を知る事が出来るという事だ。

 

「説明はこの程度で良いでしょう」

 

 丁度良いお白州の如き石庭ですが……と。ぐりぐりと頭を踏みつけながら巫女は笑うが、安田とて言いたい事ぐらいある。

 

“……相場より高値で買った割、こちらよりすぐに達してへばるのが早かったし、声も生娘のそれより大きく騒がれては、萎える一方だったのだがなぁ”

 

 無論、高値であった分一夜中は使えた事もあり、静かになれば溜まった欲を吐き出す程度には良いだろうと明け方までしたが、当人は激しすぎるだの休ませて欲しいだのと懇願するばかりで、まるで強姦魔のように言われたとあって、そう思うのも無理ないだろう。

 結論を言うならば。

 

“マグロ過ぎて詰まら、”

 

 ゴシャァッ!! と頭が石榴の如く割れるのではと危惧するほど豪快に踵が落ちた。人を視る事に長けた巫女に対し、余りに心中が無防備すぎたのと、開き直った安田の二重の落ち度と言う他ない。

 

「貴様が猿の如く盛っていただけだ……! 断じて、断っじて私が大したものでなかったマグロなどと言われる筋合いはないッ!!」

 

 既に虫の息にも関わらず追撃をかます巫女に、ぴくぴくと痙攣しながら安田は理不尽だと思わざるを得ない。そもそも、出世頭なのを良い事に粉を掛けて来たのは、この女の方ではなかったか?

 

「……まぁ、良い。これ以上しては死にかねん。私としても勤めがある故、今日のところは許してやる」

 

 死に体となった安田の首根っこを掴みながら、ズルズルと引き摺って行った。

 

 

     ◆ 

 

 

 とはいえ、流石に首根っこを掴んだままでは無体に過ぎると感じてか。或いは自らの暴力が露見する事を恐れてか。衣服の汚れを落とし、表面上は礼節を保った態度で奥の間へと安田を通した。

 

「お久しぶりです。それにしても、随分とこっ酷くされたようで」

 

 くすくすと、老いた女性が口元に手を当てる。その挙措、その笑い方を、誰より安田は知っていた。誰よりもその仕草を、愛おしいと思っていた。

 

「───(りん)

「はい。貴方も私も、随分変わりましたが」

 

 既に通した巫女はこの場にない。あの時と違い、ここからは水入らずで過ごさせてくれるという事だろう。……バレた事を察して逃げた可能性もあるが。

 

「そうだな……妻と睦言を交わすには、少々無様な姿だ」

 

 家庭を持つ前に買った女に蹴られて来たなど汚点以外の何物でもないが、それでも妻は笑って流してくれた。

 

「構いませんよ。あの巫女も、これで少しは溜飲が下がった事でしょう」

 

 無論、私もと告げられ、やはり口では許しても怒っていたのだなぁと安田は粛々と頭を下げる。八歳という外見を除けば、見事なまでのダメ亭主であった。

 

「……長い間、待たせてしまった」

「大丈夫です。貴方の事は、ずっと『視て』いましたから」

 

 だから、決して心細くはなかったと凛は、先代巫女姫にして、黒瀬正継の妻たる女性は笑う。

 

「それに、歌凛子もすくすくと育ってくれましたからね……これ、父上にお逢いするのを待ち望んでいたでしょうに」

 

 見れば、奥から様子を伺うよう十代前半……凡そ十二かそこいらの少女が、こちらを覗き見ていた。

 

「本当に……、父様なので?」

「『視た』ままを信じなさい、歌凛子」

 

 それが全てですと告げると共に、粛々と歌凛子は安田の元へ参った。

 背は、当然ながら安田の方が低い。妻が老いている事もあり、祖母と孫従姉弟が初めて引き合わされているようですらあった。

 

「父、様?」

「───歌凛子」

 

 大きくなったなと、まるで弟が姉にじゃれつくような形になってしまったが、それでも安田は構わなかった。

 

「もう会えぬと……私は、今のお前に何一つしてやれなかった」

 

 幼いながら、己のように無骨で、決して口数の多くない父に懐いてくれた愛娘を抱きながら、安田は我が身の不徳を謝した。

 

「今のお前が……生まれる前に死んでしまった」

 

 座敷で馬となり、娘を背に乗せた記憶も。正月に凧を上げた記憶も。二人で一つの筆を執って書を教授した記憶も。それらは全て、潰えた歴史の中での事に過ぎない。

 今の、綾之峰の世においての黒瀬は、巫女姫が子を生す為の種馬として選ばれたに過ぎず、娘を腕に抱く事もないまま、異国の地で呆気なく死んでしまった。

 

「───いいえ。歌凛子は、知っております」

 

 夜な夜な帰りの遅い父を待とうとして、祖母に明日会えると寝かしつけられては、父が帰って来たのを狸寝入りしながら待った事も。帰った父が、こっそり襖を開けて髪を撫でてくれた事も。

 腕に抱かれてあやし付けられたり、肩に乗って縁日ではしゃいだ事も。

 

「歌凛子は、父様をずっと覚えております。母様から、力を引き継いだその時から」

 

 だから、決して歌凛子は父の居ない事を不遇とは思わなかった。思い出の中の父は優しく温かで、そんな父に、いつの日か会えると知っていたから。

 

「こうして───再会出来ると知っていたのですから」

 

 

     ◆

 

 

「歌凛子。父様と貴女に、大事なお話があります」

「はい」

 

 涙を湛えながら、互いに抱き合った腕を解いて向き直る。粛々と膝を付く娘を見て、貞淑に育ってくれた事を喜びながら、安田も同じく腰を下ろした。

 

「これより、私は全ての力を歌凛子に注ぎます。それは、私が星読みの巫女で無くなるという事。そして───」

 

 ───今日を以て、綾之峰 凛は死に至るということ。

 

「待て……待て!!」

 

 ようやく会えた。ようやく親子が揃ったのだ。まだ出来ていない事は多い。夫婦として、家族として決して多くを与えられなかった黒瀬正継にとって、今という奇跡を何故手放さなければならない理由がある!?

 

「継がせねば老いぬのだろう? なら、」

「それは誤りです。巫女は、確かに力を他の者に託せば、人と同じ生を全うできます」

 

 だが、そうではない。巫女が不老足り得るのは、力そのものが理由なのではないのだ。

 

「老いぬのは、初代巫女姫が泉の女神に対価を払ったからです。異性と交わらず、愛を育まず、肉親以外の誰とも心を通わす事のないまま、力を振るい続ける事を定められたからこそ、巫女は不老足り得るのです」

 

 歌凛子を宿した時点で、既に老いる事は定められていた。現に妻は今の世で契りを交わした頃より順当に老いているが、それさえ誤魔化しがあったのだという。

 

「本来なら、当の昔に癌で潰えた身です。生き永らえているのは、私自身が与える力を抑え込んでいたからと、泉の女神に対価を払ったからです」

「あれに……手を出したのか」

 

 確かに女神は詐欺師ではない。対価を支払えば、その分だけ望む物を与えてくれる……そうまでしなくてはならなかったのは、そうしなければ、今日に辿り着けなかったからか。

 

「はい。私が払ったのは、今日という日を……この再会を以て、命数を終える事。そして───」

 

 ───黒瀬正継と安田登郎とに、来世の愛を誓わせない事。

 

「きっと、貴方は私の死を認めないでしょう。私が死しても、私を探し続けた事でしょう」

 

 だから、泉の女神はそれを対価にした。安田登郎に綾之峰 凛を愛させない。一度の世で満たされた愛を、決して次に持ち越すなと。

 

「もし……」

 

 それを、安田登郎が認めなければ?

 

「過去は捻じ曲がるでしょう」

 

 綾之峰 凛との再会は果たせず、ここに来ると共に冷たい墓標が安田を出迎える。今という時間に喜びはなく、別離の悲しみが胸を引き裂いたに違いない。

 

「───それでも」

 

 愛しては、探してはいけないのか? 忘れない存在となった安田ならば、それは決して苦にならない。何千何百と輪廻の輪を潜ろうと、妻と再会するその日を夢に見れば───

 

「いけません。私は、貴方だけでなく歌凜子も愛しています」

 

 今日という日を除いて三人が揃う日は、二度とない。娘が父と。妻が夫と会う奇跡があるとしても、この三人が揃う事は決して……。

 

「『視た』のだな……」

「はい。私にも歌凜子にも、そのような未来は視えませんでした」

 

 ならば、仕方ない。

 

「私は、お前と歌凜子以外二度と、」

「私は、別の私として誰かを愛する事になるのです。貴方だけを、私が知らぬ間に縛る事は出来ません」

 

 だから、それ以上は口にしなくていいのだと笑う。

 

「お気持ちだけ、受け取らせて頂きます。貴方は安田登郎として、別の誰かを愛して下さい」

 

 それを以て、綾之峰 凛は先立てる。新しい世界、新しい人生を迷いなく渡ることが出来るから。

 

「ですから、今だけを。今の私を愛して下さいますか?」

「勿論だ。歌凜子、お前も来なさい」

 

 老い朽ちる間際の妻を、手放したくないと幼子の夫が、年上の愛娘と共に優しく腕に抱く。ちぐはぐで、どう見た所で可笑しな光景に違いない。

 けれど、この親子にとって、これは何にも代えがたい奇跡の時間だ。未来永劫、二度と手には出来ない、そんな小さな奇跡なのだ。

 

「……最期に、謝らせて下さい。貴方が命を落としたのは、私が視たままを伝えてしまったからなのです」

 

 綾之峰 凛が黒瀬正継と直接相見える前。綾之峰に影を落とす因子に為り得ると、深く視ないまま当時の当主に伝えてしまった。

 もし、それを伝えるより早く深く視ていたなら。凛が真実を告げなければ、きっと黒瀬は……

 

「良いのだ。歌凜子にも、凛にもこうして逢えた。だから、そんな顔をするな」

 

 どうか笑ってくれ。泣き顔のまま消えてくれるな。お前が笑ってくれることが、何よりの幸福なのだから。

 

「ありがとう、貴方」

「母様……後は、父様の事は歌凜子が……」

「はい、全て託します。この人、お堅いようでつい遊んでしまうと思いますから」

 

 そんな風に笑って。綾之峰 凛は息を引き取った。

 幸せな、二度と得られない奇跡を噛み締めて。

 

 新しい人生を、これから歩むのだ。

 

 

 

 

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