謹呈の世 銀嶺の今   作:c.m.

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Attack 19 結局どっちが好きなのでありますか?

 遠い昔。誰にも知られぬ過去の話を語ろう。

 ある寂れた村に、一人の少女がいた。

 頬は痩け、肋は浮かび、肌は罅割れた少女は、しかし北風と共に積もる新雪の如き髪から、雪女だの化生だのと蔑まれながら生き続けていた。

 少女を生した両親は、既に村の総意で葬られている。にも拘らず少女が生きているのは、やはりその髪から化生と見られ、殺せば祟られると思われたからだ。

 

 ───寒い、冷たい、苦しい。

 

 嗚呼、なんて……地獄。誰も来ない。誰も触れない。少女自身は薄暗い小屋に閉じ込められ、生きるには厳しい食事で糊口を凌ぎ続ける日々が、十年近く続いていた。

 

 ───出たい。触れ合いたい。 

 

 いっそ、積もる雪のような願いは溶けてしまえば良かった。水に流され、風に消え、ただ眠るように終われたなら良かったのに。

 

 ───助けて下さい。ここには居たくない。苦しいのは、もう嫌なの。

 

 胸を打つ嘆きと叫び。しかし誰も、それには気づかない。

 だから、少女は狂った。ガンガンと、腐った壁に頭を打ち付けながら、血が溢れるのも構わず繰り返した。

 傷ついて、傷ついて、傷ついて。胸の痛みに比べれば、体の痛みなどどうでも良いというように。そして───

 

 ───嗚呼、やっと。

 

 抜け出せたのだと。全身をカチカチに凍えさせて、雪に埋もれる足が凍傷にかかる事さえ、少女には開放の喜びだった。

 宛てもなく歩く。空腹に腹が痛むが、気にはならない。

 この一時の自由が得られるのならば、得られ続けるのならば、たとえ死んだとしても後悔は───

 

『居たぞ!』

 

 誰かが、そう叫んだ。見つけろ、いっそ殺せ。古い村の慣習(めいしん)は、叫喚と共に一人の少女を急き立てた。

 無我夢中で逃げ続けた。転んだ拍子に足の爪が剥がれ、裏が血だらけになっても構わず逃げて、逃げて、逃げて。

 

 そして少女は───崖から落ちた。

 

 ───痛い。痛い。痛い。

 

 腕も、足も、あらぬ方向に曲がっていた。それでも、少女は這って進んだ。

 ずるずると、ずるずると進み続けて、やっとそこに着いたのだ。

 

 ───水だ。

 

 雪では乾きを癒せない。泉の湧水は冷た過ぎず、喉を甘く潤してくれる。

 助かったと───そう思いたかった。けれど、だけど。胸に空いた穴が痛い。

 

 ───死ぬの、かな?

 

 誰にも知られず。誰にも見られず。唯、一人で……?

 

 ───嫌だ。

 

 いやだ、いやだ、イヤだ、イヤだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!

 

 ───お願い。忘れられたくない……

 

 どうか、誰か自分を覚えて欲しい。愛されなくても、触れ合えなくても、覚えてくれるぐらい良いじゃないか。一体どうして、自分が知られないまま死ななくてはならないのか。何も、何一つだって、良い事も悪い事も出来なかったじゃないか!?

 

 ───たすけて、だれか。

 

『その願い、叶えて欲しいか?』

 

 ふと、顔を上げた。羽衣を揺らし、宙に浮くその姿は、まるでおとぎ話の仙女のよう。

 

『触れ合えず、愛されず───しかし誰にも知れ渡る名が欲しいか?』

 

 仙女は問い、持ちかける。もし、それをお前が受け入れるなら───

 

『───その願い。この綾之峰山の女神が叶えて進ぜよう』

 

 これは遠い昔の話。最早当人達の中にしか残されていない、小さな記憶の欠片のお話。

 

 

     ◇

 

 

「それこそが、大刀自様の対価……我らと同じ不老の身にありながら、常に幸福を享受出来ぬ綾之峰の姫の運命です」

 

『鏡』と己の身体を繋げ、『鏡』の呪詛を己の苦痛として一人請け負い、霧散させて行く事こそ、綾之峰先々代当主が『鏡』を賜った際の対価だと歌凛子は言う。

 

「誰とも触れ合えず、愛し合えず、唯一人苦しむことで……」

「待てよ。大刀自は私と英里華の曾祖母だぞ?」

 

 子を生し、育んだからこそ自分たちは生きているし、ここに居られる。触れ合えず、愛し合えない等というのは有り得ない。

 

「有り得るのじゃよ、銀香姫。要は其方らと同じよ」

 

 一人の人間を二人に分かつ。その片割れ、同一人物に子を産ませれば良い。

 

「とはいえ、子を生す事が役目というだけじゃ。銀香姫のように人生を謳歌出来る存在ではない」

 

 鏡写しの存在は、飽くまで孵卵器のようなもの。そこに銀香のような意識はなく、子を生すと同時に霧と消えた。

 

「今生、二度と子を生せぬ身体となる事を対価としての」

 

 血を分けず。愛を与えられず。写し身に産ませた子は、それに気づかぬまま当人の手を離れて教育係に育てられた。だからこそ子を宿し、触れ合い愛し合えば自然に老いる巫女と違い、大刀自は不老を維持できている。

 

「もし、好きな奴が触れようとしたらどうなるんだ?」

「触れられんよ。誰しもが、本能から触れようとはしなくなる。仮にじゃが……、好意から無理にでも触れようとすれば呪いは移る」

 

 移した呪いは、あくまで宿した者を傷つけ苦しめる為の物に過ぎない。呪いを己に敵対する者に移してしまえるなら、そもそも対価としての意味がない。

 愛されれば傷つけ、また自らの心も傷つける。触れようと近づけば呪詛が移り、時を置かず全身を蝕む猛毒だ。

 或いは事故。或いは病魔。或いは通り魔……栄華を約束し続けた正の力は反転し、愛した者を殺すだろう。

 

「大刀自様は、不老の身に宿した呪詛に耐え続ける事で『鏡』を保たせておる」

 

 いずれ、『未来視』を用いずとも綾之峰と日ノ本の永遠が約束されるまで耐え続ければ良い。どれ程永き時を苦痛が蝕むとしても、生き続ける限りはいずれ払える。払い切ってみせると誓ったからこそ、女神は『鏡』を与えた。

 一体何が大刀自をそこまでさせのか。何故、そうまでしなければならなかったかは、今の世に生きる者には計れない。そう、今の世に()()生きる者には。

 

 

     ◇

 

 

「話は分かったであります……巷の伝奇小説じみた内容ではありましたが」

 

 泉の女神の事はジーヤや征綺華も聞き及んでいたが、やはり荒唐無稽な絵物語だと、そう思いたい気持ちを押し殺していたのは巫女大将や歌凜子の言葉が、真に迫る物だったからだろう。ただ、芹沢や銀香はともかくとして、それ以外の人間にはまだ判らない事は多い。

 何故、巫女姫である歌凜子が安田を父と呼び慕うか。安田の語った陛下とは誰なのか。一度として世界全土を覆う大戦すら起きていないというのに、第二次世界大戦という単語が出てきたのは?

 それらに対し、安田は全てを話すと切り出した。最早ここに来て隠す意味はない。一個人が抱えたまま世を去るには事態が動き過ぎていたし、何より芹沢らも既に知っている事だ。

 

「少々長くなります……」

 

 そう切り出して安田が語るうち、ジーヤのみならず征綺華や英里華も一様に、呆けたように口を開けた。時折細かい部分に説明を求められたものの、そこは時間がある内に語ると言って聞かせ、重要な点のみを伝える。

 特に、巫女大将との馴初めなどは全力で省いて逃げ切った。事実を知っている芹沢らと、巫女大将当人は冷め冷めとした視線をその都度送っていたが。

 

「……安田少年の前世という奴も含め、俄かに信じ難い話で有りますが」

 

 これも、事実なのだろう。確かに齢十六に見合わぬ洒脱な風格を備えていたし、振り返ればそれらしい部分があったのも確かだ。

 

「だろうな。私や芹沢も、初めて聞いた時はジーヤみたいな感じだったし」

「出来れば、こうした状況になる前に、お二人には直接お話しすべきでした」

 

 不実であった事を許して欲しいと頭を下げたが、銀香と芹沢にしてみれば真実を知るのが早すぎた事もあり、責めようとは思わなかった。

 

「良いって。それより、これからどうするかが先だろ?」

 

 銀香の言う事は尤もである。『鏡』に穴が開き、亀裂が走った以上いずれ厄災は振り撒かれる。『鏡』のある天鏡島に何時までも留まる訳には行かない。

 

「ですが、銀香様。『鏡』の厄災は恩恵を受けていた日本国以上に、綾之峰の人間に降りかかるのでは?」

 

 敢えて考えぬようする事は出来たが、それでは意味などないと悟っていた為だろう。芹沢の疑念に、一同は目を伏せた。

 

「バヤリー嬢の言う通りじゃ。国から逃げた所で、助かる人間は限られる」

 

 それは、眼を使用していた巫女らも同じ事。確かに彼女らは籠の鳥であったとはいえ、役目を終えれば下野した上での安泰した生活が待っている。綾之峰の禄を泉の女神の力で食んでいた以上、厄災からは逃れられない。

 

「この場で逃げられるのは父様と、真っ当に働いておった芹沢姉妹ぐらいか……その姉妹とて、綾之峰に忠を抱いている以上どこまで持つかは判らんが」

 

 とはいえ、日本国民である以上、遅かれ早かれ厄災を待つしかない。例え何処に逃げた所で、負債は必ず取り立てに来る。

 

「なら、行くしかない」

 

 何処へ? と。安田の言葉に一同は問う真似をしない。『鏡』を物理的に修復する術がない以上、取り得る選択は限られている。

 

「父様───、たとえ我ら全ての命を泉の女神に差し出したとて、対価にはなりません」

 

 何故なら自分の命より国が亡ぶ事の方が、遙かに重いと差し出す側が判っているから。天秤は均等でなければならず、自分の命が軽いと理解していながら差し出したとて、それは対価として成立しない。

 

「……何より、奥屋敷から連絡がありました。綾之峰征麻呂が大刀自に反旗を翻し、謁見の間にて銃を突き付けていると」

 

 何を考えての事かは判らないが、大刀自が命を落とせば本当に全てが終わってしまう。今、こうして天鏡島で会話を続けられるのは、大刀自が強引に呪詛を抑え込んでいるからだ。

 

「そうか、それなら───」

 

 ───すぐ助けに行くべきだと。当然のように安田は提案した。

 

「大刀自様を……? あの方は、父様を死地に送ったのですよ!?」

 

 父だけが苦しんだ訳ではない。母も、娘である歌凜子も、黒瀬正継を慕った人間全てが、その別れに苦しんだというのに?

 

「過ぎた事だ。何より、『鏡』の崩壊を抑えるには、生きて貰わなくてはならない」

 

 打算交じりのものでしかないと善意を否定したが、それが嘘なのは誰の目にも明らかだった。他人を助ける事を、安田登郎は迷わない。

 たとえそれが、仇と呼ぶべき相手だったとしても。内心では、娘が憎いと思っている相手だったとしても。

 

「お止めしても、無駄なのでしょうね」

「ああ」

 

 誰にも愛されないのなら───、一人くらい、味方になる者が居ても良い筈だ。

 

 

     ◇

 

 

「安田少年。もしかして、前世ではそんな感じで女の子を口説き落としてたでありますか?」

「いえ。妻とは見合いで、婚姻から愛し始めた関係ですが?」

 

 つまり、これが安田登郎の素という訳だ。

 

「にょほほ。どうじゃ銀香姫、父様は実に其方好みの()の子じゃろ?」

「……いやさ。確かにカッコイイとは思うよ、そりゃ」

 

 どのような相手にも物怖じせず、艱難辛苦を突き進める行動力を持った、良く言えば熱血漢、悪く言えば軽率な蛮勇を持った男。安田登郎は、確かにそういう男ではあった。

 

「けどさぁ……それに救われるのは、自分だけで良いって思っちゃうんだよなー」

「同意します。誰彼構わぬというのなら、それは唯の節操無しです」

 

 ぼそぼそと芹沢と話し合う。ただ、もしここで尻込みして逃げるような男だとしたなら、銀香も芹沢も安田を捨てていたに違いない。

 男だというのなら、それを魅せてこそ女は焦がれるものなのだから。

 

「だが、一つだけ私と銀香様に誓え───絶対に死ぬな。死ぬ事だけは選ぶな」

「はい───約束します。芹沢さん」

 

 淀みなく返された答えに、芹沢は内心胸を撫で下ろした。既に歌凜子が否定しているとはいえ、いざとなれば命を対価に女神に交渉しかねないという疑念があったが。

 

“約束だけは、破らない男だからな”

 

 惚れた弱みか信頼か。それとも見込んだ男は間違いないという己の目への自讃か。

 いずれにしたところで、惚気以外の何物でもない。

 

「父様モテモテじゃのう」

 

 実の娘としては少々面白くない光景である為、脇腹を軽く抓ってやる。

 

「歌凜子、機嫌を直してくれ」

「こればかりは無理です」

 

 やれやれと肩を竦める。出来ればこうした穏やかな空気に浸り続けていたい所だが、時間というものは残酷なものだ。

 

「では、奥屋敷に参るという事で宜しいのですね?」

 

 巫女大将の問いに、一同は強く頷いた。

 

 

     ◇

 

 

「父様。是非、これをお召しに」

 

 恭しく差し出された革張りのトランクと刀袋。最早二度と目にする事はないと思っていた品々に、思わず目を丸くした。

 

「どうやって、これを?」

「母様の形見を対価に。出来るなら、思い出の品としてお渡ししたかったのですが」

「いや、嬉しく思う」

 

 母譲りの出来た娘だと頭を撫でて、錠前を外す。

 これは今の世にない筈の物。置き去られた歴史の中で、知り得ぬ真実と共に闇に葬られて行く筈だった軍衣に袖を通して気付く。

 

“サイズが合っている”

 

 首も肩も、オーダーメイドであった以上、どうしたところで合わぬ部分は有る筈だろうに。

 

「これも女神に?」

「はい。次にお会いする時の身体に合わせて頂くよう、お頼み申しました」

 

 気を回してくれた事に感謝しつつ、母のように着替えを手伝ってくれる娘に、少々戸惑いながらもされるが儘でいる事にした。

 

「母様にも、いつもそうして遠慮しておいででしたね」

 

 こうする事が好きだったのですよと笑う娘に、確かにもう少しぐらいは甘えても良かったと、今にしてみれば思う。

 

「ああ、後悔している」

 

 だが、それを引き摺るばかりでも居られない。今を生きる以上、前を向いて行くべきだと他ならぬ亡き妻から諭されたのだから。

 刀袋から軍刀を取り出す。重みのみならず、鞘の長さが記憶と違った事に気付き、怪訝な面持ちで鯉口を切る。金色の(はばき)が顔を覗かせ、そこから伸びる刀身を目で追った。

 

「これは───」

「お気に召して頂けましたか?」

 

 クスクスと笑う娘に、父は唯々頭を垂れる。

 吉岡一文字助光。黒ノ瀬の家宝たる一振りが、主の腰に収まった。

 

 

     ◇

 

 

「馬子にも衣装とは言いますが、安田少年は着慣れた感じでありますね」

 

 何より、似合っているでありますというジーヤの賞賛に、安田は面映く感じながら頬を掻く。料亭どころかバーやダンスホールにも行かぬ為、同僚からは遊びを知らぬ男と見られていたが、昔は柄になく洒落者を気取っており、軍衣にもそれが如何なく出ていた。

 襟の高いカーキ色の昭五式に、トップの高いチェコ式の制帽。刀帯は本来騎兵が装着すべき轡鎖(グルメット)と、五十近くにもなって青年将校(わかもの)の真似事なんぞしていたのだ。

 

“おかげで、若手とは話が弾んだがな”

 

 気恥ずかしくも懐かしいが、今は肉体だけは本当に若いのだ。久々に袖を通した事もあり、安田自身、内心では浮かれているのやもしれない。

 

「後は、告白するだけですな」

 

 元よりそのつもりだと、安田は二人が控える場に足を向けようとして。

 

「安田少年! どっちを選ぶにしても幸せになって、相手も幸せにするのでありますよ!」

 

 その激励に、制帽を脇に携えたまま頭を下げた。

 

 

     ◇

 

 

 居並ぶ二人の少女は、安田を見て会話に花を咲かせた。

 

 似合っている。ありがとうございます。

 何所で買うんだ? 将校は仕立てて貰うのです。

 

 銀に輝く侍従武官飾緒を手に取って弄んだり、桜葉のついた近衛の制帽を被って敬礼してみせたり。

 そんな二人を、初めて軍服という物を知った時の歌凜子のようだと笑いながら、私らは娘かと臍を曲げられては宥めたりした。

 三人で笑って、楽しんで、嗚呼けれど───それはもう、ここで終わらせなくては駄目だろう。もう、待たせる事をしては行けない。この優しい時間に、甘え続けてはいられない。

 

 お二人に、大事なお話があります。

 

 その言葉が、何を意味するのか悟ったのだろう。

 居住まいを正し、真剣な眼差しで見据えた二人に、安田は目を逸らさず想いを伝える。

 

 私は────をお慕いしています。

 

 名を、短く告げる。呼ばれなかった少女は僅かに目を伏せながら、それでも涙は見せなかった。

 

 お幸せにと。笑いながら、短く告げて見せた背は凛として美しく、歩く姿は颯爽としたもので……それを見送った二人は、もう二度と先程のような関係ではいられないのだと、知ってしまった。

 だけど、それを二人は後悔しない。

 恋とは一途で、直向きで、純粋だからこそ二番目などないし欲しくない。

 結ばれ、睦言を交わすとき、他の誰かを想うのは不純だから。

 いずれ生まれる子に、父は母を、母は父を愛したからこそ、掛け替えのないお前が生まれたのだと胸を張って伝えたいから。

 

 誰かを愛するという事は、心に決めるとは、こういうこと。

 去った相手に謝意を示し、地に足をつけて生きるのだ。

 温くて甘い、楽しい時間(ラブコメディ)に別れを告げて───

 

 ───選んだ道を、選んだ相手と歩いて行こう。

 

 それが、前に進むということなんだから。

 

 

 

 




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