謹呈の世 銀嶺の今   作:c.m.

3 / 24
Attack 03 物語が動いたのであります

 安田登郎とは何者か。

 それを語るには時期尚早故、学園内外での彼の生活を先に述べておく。が、さりとてこの生活自体に面白みはないだろう。

 普通科の授業を時間割に従い恙無くこなし、教室移動に要する時間も含めた小休止を自習と、問われれば応える程度の同学年生の会話に当てる。昼休みは栄養と効率のみを計算し自炊した弁当を手早く平らげ、残る昼休みの時間と放課後に叫びの泉に顔を出しては帰宅する。

 中学卒業までは顔の広い母の伝手で古武道と柔道を嗜み、部活動に精も出したが、高校では部活動に入らず帰宅部の身であった。

 

 これは何も、彼が怠惰に耽っているのではない。まず一般生徒としての大義名分を挙げるなら、今年まで女子高であった綾之峰学園では、琴や花道が主流であること。

 グラウンド以外の部活動として使用する場を、男女別にするに当たって、未だ整理する目処が立っていないという問題がある。

 普通科男子は文武両道を是とする者らの集まりであり、これは学園側の手抜かり以外何物でもないが、そこは綾之峰の計らいで、目処が付くまで市の道場や運動施設を無償で提供している。

 ならばそちらに足を運べば済むのではないかと思われるだろうが、しかし安田個人としては、そうも行かぬ事情があった。

 

歌凜子(かりんこ)からは、高校では部に入るなと言われたからな……”

 

 一体何故そのような事を頼み込んだかは皆目見当がつかぬが、しかし安田登郎にとって、歌凛子なる女性は特別であった。

 故、放課後叫びの泉に赴いた後は自宅に戻り、早々に半長靴を履いて隙間なく石の詰まった背嚢を背負い、四キロ近いバーベルを手に走り込むという準備運動の後、木刀での素振りやら型やらを一通り終えるというのが日課となっていた。

 連休であれば、時間を利用した登山やロッククライミングもこれに加わる。残る時間は家事等、生活に必要な面と睡眠を除き、読書と勉学に費やされる。

 実家通いの学生が家事をするのかと思われるだろうが、両親は転勤族であり、七つほど年の離れた姉も大学院生として別居しているため、家には誰もいないのだから家事に勤しむのは当然であった。

 

 

     ◇

 

 

 生活面に文を割いた為、ここで話題を変えよう。

 何が言いたいのかといえば、要するに安田登郎なる男は、常に時間と行動の割り振りを定めて動くため、そこに変化があるとすれば、体調不良を除けば外的要因に因る物だという事だ。

 かくして、その外的要因が入り込んだ結果、その後の人生と物語を左右する一大事件に遭遇するのだが、その事件の中心人物に視点を向ける。

 

 綾之峰英里華。

 

 この物語において安田登郎より先に登場し、物語を動かす契機となる人物として語った綾之峰の、否、この世界における日本国の姫君である。

 安田登郎と同じく彼女の生活も、彩に満ちているとは言い難い。

 睡眠時間以外に隙間なく割り当てられた習い事と勉学、そしてお家の公務に忙殺される英里華にとって、この学園での生活と旧華族たる学友らとの語らいこそが、数少ない憩いの時間となっていた。

 

「…………」

 

 溜息など零さない。語らずとも心中が伝わる間柄だけに、芹沢は奥歯を噛んだ。

 どれほど仲睦まじく、絆を結んでいようと、一人になりたい時間ぐらいある。

 何とか出来ればと思う。しかし、学園の敷地内が如何に安全とは言え、近習たるお役目柄、供にしない訳にも行かぬ。

 

“せめて、心の猛りを誰に聞かれることなく叫べればな……”

 

 その様な場などあるものかと学園に入るまでは諦めていたが、今は確かにある事を知っている。しかしだ……

 

“少々有名に過ぎる。学園の子女らしか知らぬ場とは言え、男共が噂を耳にしている可能性も捨てきれん”

 

 子女らの叫びが聞きたいと、隠れ潜む獣を危惧せざるを得ないのが、二の足を踏む理由の一つ。何より綾之峰の姫が、鬱積を溜め込んでいるなど、醜聞以外の何物でもないのだ。

 

“いっそ封鎖させて、その後でお連れするか”

 

 叫びの泉までの道筋は険しいという程ではないが、安全面を鑑みれば子女が怪我をする可能性はある。無論それは、雨の後は泥濘で足が滑る程度でしかないが。

 

“……駄目だな。封鎖などすれば、他の子女達の捌け口を奪う事になる”

 

 日々の生活に不満があるのは、何も英里華だけではないのだ。そんな真似をすれば心を病むか、家を出るなどという最悪の事態になりかねない。

 

“だが、泥濘というのは妙案か”

 

 場所を知るは今のところ子女のみ。仮に知った者が居たとして、水溜りさえ避けようとする清らかな子女が、泥に足を取られる道を進む筈もない事は男共とて承知の筈。

 

「お嬢様、折り入ってお話が」

 

 運が良いとほくそ笑む。思い立ったその日の夜は、予報通りの通り雨だった。

 

 

     ◇

 

 

「ほ、本当に宜しいので?」

「はい。私はここで控えておりますので」

 

 明らかに弾んだ声に、芹沢は頬を緩ませる。ジャージと長靴という令嬢らしからぬ衣装で進む英里華は、どのような礼装より美しく思えた。

 

“足跡も無し。まず誰も近づくまい”

 

 それが大失態であったと気付くのは、全てが後の祭りとなってからだった。

 

 

     ◇

 

 

 結論から言えば、芹沢は二点の間違いを犯した。

 一つは学園の子女らの秘密を知らずとも、その場に辿り着ける人物がいたこと。

 もう一つは、その人物は決して楽な道筋を通らなかったという事だろう。特別科の棟から泉に向かうのと普通科の棟から向かうのでは、道が違うというのもある。

 無論、そちらのルートも考えないではなかったが、通り雨の勢いが殊の外強く、朽木が横倒しになっていたため、無理に来る男がいるとは思わなかったのだ。

 

 かくして、事件は起こる。

 そして間の悪いことに、声高に叫ぶ側が、一足先にその場に踏み入れてしまった。

 

「こんな人生ぇぇっ、もう嫌だ─────────────!!」

 

 天を裂き、地が割れんばかりの大絶叫。如何に人気がないとは言え、ここまで声を大にして叫んだ令嬢は英里華が初であろう。

 しかし、堰が切られた以上、溢れる濁流は止めようがない。

 

「嫌だ嫌だ、もお嫌だッ!! 何が嫁ぐことを定められた身だ!? 何が男子禁制だ共学にするなら分けるな──────!!!!」

 

 無論、その声がこの場に辿り着いたもう一人の人物に聞こえなかった筈もない。故に出直すかと踵を返すが、更なる言葉に耳を疑う。

 

「もう嫌だ、普通の女の子になりたい……ッ! どういうことだ歌凛子、あのロリババア! 学園に通えば王子様が来てくれる!?

 待てど暮らせど来ないじゃないですか第一本当に安田登郎ってあの安田登郎ですか!? 好みに掠りもしない黴臭い骨董品じゃないですか歳ですか!? 星読みの巫女姫が聞いて呆れますッ!!」

 

 当人の与り知らぬ場で──実際は背後に居るが──ボロッカスな評価であった。

 なお、芹沢にも耳に届いており、どういうことだと疑う反面、笑いが止まらなかった。安田当人が聞けば、さぞ愉快な百面相をしてくれるやもと期待した。

 しかし、その当人は真後ろで聞いていた。愉快な百面相はしなかったが。

 

「私の王子だというのなら、声を聞いて駆けつけてみろ───────!!!!」

「あー……いや、その。申し訳ない」

 

「え…………………………………………………………………………………………」

 

 ぎぎぎ、と。錆びた機械のように首が動く。顔と名前、そして芹沢からの情報でしか知らぬが、確かにそこにいたのは、件の安田登郎当人であった。

 

 ゆらり。と、幽鬼の如く英里華は体を揺らして振り返り。

 

「芹沢────────────────────────────!!!!」

 

 先程の叫びと同等の声量で、従者の名を声高に叫んだ。

 

「ふ、ふふ……申し訳御座いません。しかし、やむを得ぬのです!! かくなる上は、貴方には……」

「口外は致しませぬ故、気をお沈め下さい。何よりそこは足場が悪い。一先ず此方へ、」

 

 という至極最もな善意も虚しく、頭に血の上った英里華は耳を貸す暇もなく足を滑らせ、後頭部から泉へダイブした。

 

「見たことかッ」

 

 引き摺り上げるべく、泉に足を向ける。

 その顔は、この学園に来た者らも、彼を生んだ両親や、姉さえ見たことの無いほど鬼気迫るもので……

 

「それには及ばぬ」

 

 その、二度と聞く事はないと思っていた声に、彼は耳を疑った。

 

 

     ◇

 

 

 仙女と。泉より現れた美女を例えるならば、それ以上の表現はないだろう。

 或いは、織姫を思い浮かべるのが早いかも知れない。唐代の衣装に身を包み、羽衣を揺らす様などは、天の川にて彦星を待つ見目麗しき美女そのものだ。

 

「お久しいですな、女神殿」

「うむ。とはいえ、その声はここに赴いた際、幾度か耳にしていたがの」

 

 声は届いていたのかと安田は得心したが、それはいま指して重要なことではない。

 

「泉に身を投げた少女が居られますが、女神殿の供物ではありませぬ故、お返し願えますか?」

「無論、分かっておる。そこで問おう───」

 

「英里華様……! ご無事で、」

 

 慌ただしく。泥に塗れるのも構わず、主の為におっとり刀で駆けつけた芹沢と共に、安田は問われる。

 

「金の彼女と、銀の彼女───貴方が落としたのは、どっち?」

 

 女神の傍らには、金と銀の髪を持った、二人の綾之峰英里華が居た。

 

 

     ◇

 

 

「いえ、どちらも恋仲では御座いませんが?」

 

 至極あっさりと。未だ一人の少女が二人に別れたという事実に、口をパクパクと開いて見上げた芹沢を他所に、安田登郎は物怖じさえせず応えた。

 

「おお、何と正直な少年よ!」

「え、英里華様!!」

 

 芹沢は金の英里華を。安田は銀の英里華を地に投げ出される前に受け止めた。

 無論、重いなどと当人が意識を失っていようと口にはしない。

 

「正直な貴方には褒美として、両方の彼女を差し上げましょう」

「女神殿、」

「それじゃ頑張って! じゃ!」

「お待ちを女神殿───────────────────────!!!?」

 

 おそらく。人生で初めて、安田登郎は間抜け極まる叫び声を上げたのだった。

 

 

     ◇

 

 

「……一先ず、脈に異常はない。呼吸も安定している」

 

 そちらは? と安田は芹沢に声をかけるが、先の非常識極まる光景に思考が追いつかなかったのだろう。

 問われてから即座に金髪の英里華を確認し、問題ないと応えた。

 

「……あの女神とやらを、知っていたのか?」

「少々、因縁深い間柄でして」

 

 詳しく問いたいところであったが、詰問より先にすべき事は多い。

 

「……ん」

「……! 意識が戻られましたか!」

 

 芹沢の声に、はい。と金髪の英里華は自らの足で立ち上がる。

 

「ご加減は?」

「問題ありません。どころか、妙に心が晴れやかなのです」

 

 胸をなで下ろす芹沢であったが、問題は未だに残っている。具体的には……

 

「ど、どういう事だよ、これ……」

 

 安田の腕に抱かれた、銀髪の英里華もまた目を覚ます。しかしその顔は困惑の色に染まっており、流れるような銀の髪を、一房手に取ってもう一人の英里華と見比べていた。

 

「どういう事だよ! 第一、なんで私を抱えてんだよ安田!」

「……失礼」

 

 助けられておきながら、あんまりな発言であった。

 何より、金髪の方と打って変わり、銀髪の英里華は泉で叫んだ時の粗暴さを終始発揮しているような状態である。これが安田でなく他の男ならば、萎縮するか嫌な顔をしただろう。

 

「分かりゃ良いんだけどよ……しっかし、何で私が二人に?」

「その、お二人のどちらが本物の英里華様なので?」

 

「私です」

「私だよ」

 

 同時に告げられ、芹沢は頭を抱える。言動から察すれば間違いなく金髪の方なのだが、しかし確証がない以上そうも行かない。

 

「やれやれ……随分と騒々しい」

 

 見るに見かねてか。それとも説明の不十分さを自覚してか。再度現れた女神は、どちらの言も正しいのだと割って入った。先程までのふざけ切った調子ではなく、ここからは素で対応するようである。

 

「妾はな、そこな少女の願いを叶えたまでよ」

 

 忘れたとは言わせない。確かに綾之峰英里華は願った。

 こんな人生は嫌だと、誰かに代わって欲しいと、喉が裂ける程に叫んだのだ。

 

「とはいえ、お主の人生を歩めるはお主らのいずれか一人。代わりの務まる者など、地の果てを探したところで何処にも居らぬ」

 

 故に増やした。自分たちの世界に語られる『ジキル博士とハイド氏』なる物がある。

 善人のジキル博士と悪人ハイド氏。違って見える両者の人格は硬貨の裏表。見え方が異なるだけで同じものに過ぎず、二人の英里華もまたそれと同じだのだと。

 

「主らの体は我が秘法を用い、鏡の如き水面に映し出された、互いの似姿を取り出したものよ」

 

 多少の差異は、所詮コインの裏表。どちらも本物の綾之峰英里華であり、そこに真贋も優劣も存在しない。だが、そこに待ったをかけた者がいた。

 

「なれば、対価には何を?」

 

 望み請われれば授けられる。そんな都合の良いものは存在し得ない。それを、安田登郎はこの場の誰より理解し、経験していた。

 

「知れた事よ。代わりは二方の内一方。もう一方は縛られた余生を過ごさねばならぬ」

 

 一方の人生の対価こそ、この願いの代償。

 市井の人間としての幸福は、金と銀の何れかしか掴めない。

 

「不満か、()の子よ。かつて見届けた時との違いに」

 

 あの、身を引き裂かんばかりの結末を味わった者として。この対価を安いと取るか?

 

「いいえ」

 

 女神は決して詐欺師でも、商売人でもない。

 失ったもの。手放したものへの対価は等しいのだと。少なくとも、安田はそう受け入れている。

 

「そう。妾は叶えるだけの存在。対価もまた、硬貨の裏表であり両替よ」

 

 それを弁え続ける限り、何も言うことはないと。今度こそ女神は、静かに消えていった。

 

 

     ◇

 

 

「それで、これから如何なされるので?」

 

「その、いきなり二人に増やされても困るといいますか……」

「ああ、女神も言うだけ言って消えちまうし……」

 

 安田の問いに、二人の英里華は困惑したように顔を見合わせる。だが、いつまでもこのままという訳にも行かない。今は六月。暦の上では夏とは言え、放課後から時間が経っている以上、じきに日も落ちてしまう。

 

「一先ず、お二方ともお屋敷に戻られては?」

 

 どちらも本物である以上、芹沢の発言は正しくはある。しかしだ。

 

「説明は如何様に?」

「大刀自様の判を仰ぐ。……ああ、大刀自様というのは、綾之峰の先々代当主でな。英里華様の曾祖母に当たられる」

 

 大刀自。それは皇后陛下ならび妃に次ぐ地位を指すが、この日本国において既に皇后陛下が居られぬ以上、その呼称には違和感を覚えるべきだが、安田は追求しなかった。

 

“あのご当主か。確かに他界したと報じられてはいなかったが……よもやこのような形で関わるとはな”

 

 因果なものだと息を吐く。だが、安田にとっては過去が過去なだけに芹沢には言っておかねばならない。

 

「差し出がましい事を承知で具申させて頂きますが、如何に先々代当主と言えど、他人任せは如何なものかと。万一を考えれば、何れかが幽閉されるやも知れません」

「……分かっている」

 

 考えないようにしていたのだろうが、政略において邪魔であれば消すか、或いは利用するなどというのは当然のことだ。安田自身、身を以て体験した以上、考え過ぎという事は決してない。

 

「……大丈夫なのか?」

「ご安心を。万一の事態に備え、姉にも協力を要請します」

 

 頼むぜ、と銀髪の英里華が芹沢に手を合わす。

 

「……何かあれば連絡を。私にも原因がある以上、助力は惜しみません」

 

 確かに泉に落ちた要因は安田にもあるし、泉の事も気がかりだ。

 だが、だからといって一介の学生に出来る事など限られるだろう。サラサラと達筆な字で書かれた住所等の用紙を、使うことはないだろうがと芹沢は受け取った。

 

 

     ◆

 

 

「……泉の女神が動いたか」

 

 緞子の奥より、重い声が響き渡る。それは、現時点での日本国における絶対的支配者であると同時、最も崇敬される存在からのモノだった。

 

「星読みの巫女姫の予言通り。なれば、ここからも予言通り動くべきか?」

「歌凜子様の眼は、歴代随一に御座いますれば」

 

 控えの巫女が深々と頭を下げる。が、それを鼻白みながら、次の段階を考える。

 安田登郎……果たして巫女姫が『視た』と言う通り、綾之峰家繁栄を約束する、一介の学徒か。

 

“はたまた、黒瀬正継(まさつぐ)の同類か……そうであるならば”

 

「綾之峰を差し置いてでも、あの巫女姫は肩入れしかねぬからなぁ」

 

 

 




 欠片程度は見えたラブコメの波動が暗躍で消えた模様。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。