謹呈の世 銀嶺の今   作:c.m.

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 芹沢家は確認した限り、両親のどちらが英国人かは明言されていませんでしたが、父が特殊空挺であるということと、第六巻に描かれた回想シーンの衣装で、父親らしき人物のジャケットフロント部分のマガジンポーチが英国製らしき点から、当作品では母を日本人とさせて頂きました。
 おそらく父親はSAS。


Attack 05 説明回という奴であります

 結局、何かが変わったという訳ではない。

 当然と言えば当然だろう。大刀自より次期当主たれと正式に決を下された以上、彼女は市井に下ることを許されず、綾之峰英里華として在り続ける他にない。

 

“それでも、もう一人の私ほどではないのでしょうね”

 

 理不尽だと思う。何かを悪しきを為したという訳でもなく、曲がりなりにも肉親から牢に繋げと言われれば、哀れを誘わずにはいられない。けれど同時に、己が醜いとも思った。

 

“だって、あのとき私は……”

 

 自分でなくて良かったと。そう思ってしまったのだから。

 

 

     ◇

 

 

「おはよー……」

「お早いですね、銀香さん」

 

 お前が意味深な事を言うからだと返したかったが、それ以上に安田の姿に銀香は引いた。それはもう、思わず一歩下がるほどに。

 

「……お前、どこ行くんだよ」

「日課のランニングですが?」

 

 気軽に言うが、どう見ても装備が可笑しい。

 自衛隊の戦闘時における装備は十五~三十キログラム。そこに三・五キロほどの小銃が加わるが、これは確実に三十キロを超えているし、バーベルも重量は四キロ以上ある。

 

「……自衛隊(そっち)の道にでも進みたいのか?」

「そんなところです」

 

 そういえば海外文学の原書に混じって、クラウゼヴィッツやアンリ・ジョミニやらが棚にあったのを思い出す。蔵書はシェイクスピアやゲーテぐらいしか楽しめなかったが、それ以外では、この洒脱な男の意外な一面を見る事も出来た。

 

「あ。話変わるんだけど、安田って結構オシャレさんだったのな」

 

 本以外で気になるものといえば、それぐらいだったので聞いておこうと思ったのだ。流石に学生である為にブランド品など無いし、高額な物も置いていなかったが、銀香の目から見ても中々組み合わせにセンスがある。

 

「ええ、まぁ……その、そろそろ出ても?」

 

 答えに歯切れがない。恥ずかしい部分を知られたと感じているのだろうか? だとすれば、そうした羞恥心は捨ててないようだとニヤリと笑うが、突如としてジーヤが押しかけてきた。

 

「安田少年、誠に関心であります! このご時世、弛みきった若者らにジーヤは危機感を抱いておりましたが、捨てたものではありませんな!」

 

“そういや、ジーヤの父親って空挺部隊所属だったっけ”

 

 ジーヤ自身、軍隊仕込みの猛者なだけに、共通の話題を持てる相手が近くにいたのが喜ばしいのだろう。現代日本において綾之峰家への崇敬という面であればさして珍しくはないが、安田のように軍に興味を抱ける人間というのは思いの外少ないのだ。

 

「ところで安田少年、軍に興味がお有りなら、是非語り合いたい事があるのですが、少々お時間を頂いても? 日本人の安田少年にも馴染み深い、戦前から続く日米関係の話題であります」

 

 構いませんが、と日本人らしく押されるがまま応えてしまったのが運のつきだろう。明らかに弾んだ調子の声と陰を含んだジーヤの言葉に、これは長くなるなと銀香は内心辟易した。

 

「ジーヤは英国人とのハーフでありますが、当時の話は日本人の曾祖母より伺っております! 日本国と米国との関係悪化という外交上のツケを、一身に負わされ南方諸島で散った黒瀬中将と部下らは気の毒ありましたが、何にも増して腹立たしいのは、綾之峰家にそれを告げぬまま全ての責を負わせた政界と軍部に責任があるであります!」

 

 もし綾之峰家がより踏み込めていたならば、決してこうはならなかった筈だとジーヤは憤るが、安田は気圧されたのか苦笑を零すだけだった。

 

「あまつさえ講和規定を無視し、日本の保有していた中国利権を全て占有する飽きたらず、沖縄まで一時的とは言え実効支配!

 軍も完全解体と行かぬまでも自衛隊と改め、三〇年代という帝国主義真っ盛りの時代に直接的侵攻を原則禁止されるなど、ふざけているであります! そもそも、いきなり押しかけて寄越せというのは道理が通らぬであります!」

「ですが」

 

 堰を切ったかのように捲し立てたジーヤに、冷や水を浴びせる様に安田は口を開く。

 

「日本には日露戦争時、国債購入の見返りとして米国への満鉄権益の約束をしていながら戦後反故にし、利権をロシアと分割していたという問題がありました」

 

 日本国が勝ち取った成果を、横から奪ったというジーヤ改め国内多数派の主張は、歴史認識としては現日本において概ね常識であるかのように捉えられている。

 が、安田の言うように、日露戦争での資金援助や終戦の講和という取引は、権益というリターンがあっての物であり、善意からでは有り得ない。

 国家間にある外交とは友情や信頼ではなく、利害の一致によって結ばれるものに過ぎない以上は道理がどうなどという戯言はお門違いだし、日露戦後ロシアと組んで米国も得て然るべき権益の枠から外した事が、そもそも道理に反している。

 

「何より、当時の日本は、表面上意図的に米国との関係を悪化させていた節があります」

「綾之峰家を含む、大規模な国家間陰謀論でありますな」

 

 ジーヤとて、理屈の上では安田の主張に分がある事は、自身で資料を確認しており承知している。

 それでいながら多数派の者らと同じ主張をせざるを得ないのは、曲がりなりにも綾之峰家の禄を食んでおきながら、国家間での陰謀を企てていた首謀者に綾之峰を加えたくない為だろうと安田は踏んだ。

 尤もそれは、現在の日本国に生きる大多数の人間が支持するところであり、むしろ安田の主張こそ異端であるのだが。

 

「あ。それなら私も聞いた事ある」

 

 と。会話に入れず、手持無沙汰であった銀香が手を上げた。

 

「要は、綾之峰は全部知ってたし、米国も始めから日本と組んでたって話だろ? 声高には言えねえけど、当時の綾之峰家当主はあの大刀自だからなー……」

 

 この辺り、市井の人間と違い遠慮なく言えてしまうのは銀香だからだろう。

 何にも増して、先々代当主が必要とあらば人を切り捨てられる人間だと、身を以て知っている事も大きい。

 

「帝国主義全盛の時代において、どれほど現実主義的政策を取っても、防衛上も国益上も軍拡は抑えきれません。ですが、敗戦という形ならば違います」

 

 その為に、世界に対して一芝居打ったのだろうというのが、安田を含めた少数派の主張だ。現に、当時の日本国は米国以外と外交上の失敗はない。

 ロシアでは工作員を導入しロマノフ王朝を存続させ、オーストリアでも皇太子暗殺を防ぐなど、世界に広がる筈だった巨大な火種を事前に揉み消している。

 欧州でこれ程まで精力的に動いておきながら、米国だけは露骨と言って差し支えないほど対立的構図を見せつけていた。

 

「更に言えば、本来幾らでも進出できた筈の大陸には、財閥も民間企業も最低限の出資しかしなかった事も気掛かりです」

「始めから渡してしまうつもりだったからこそ、でありますか……確かに南方諸島に送られた将兵は、黒瀬中将と副官を除いて幼年学校上がりの自称エリート気取りか、フランス軍もかくやという精神論者だったという噂はありますが」

 

 うむむ、とジーヤは唸る。が、唯一の例外が例外なだけに、納得しかねる部分がある。

 

「他はともかくとして、黒瀬中将は日露戦争以降も絢爛たる功績を上げ、大刀自様からも直々に『栄華勲章』を賜った程、綾之峰家に貢献した人物でありますよ?」

 

 綾之峰家に対し、特に功労ある個人が授与対象とされ、年金受給のみならず一代限りの有爵者とすることを認る栄華勲章は、授与基準が綾之峰家に一任される事から特に叙勲の難しい勲章とされている。

 平成の世に入ってさえ、総授与数が両の指を僅かに上回る程度といえば、判り易さが伝わるだろう。

 

「そこだよなぁ。捨石にするんだったら、その時点で星が多くても並の奴か、同格の使えねー奴を捨てりゃ良い筈なんだし」

 

 この手の話にはさほど関心のない銀香とて、黒瀬中将の事は触り程度に知っている。ジーヤの言う通り、綾之峰家にとっても少なからず関わりのある名なのだから。

 

「前渡しとは考えられませんか?」

 

 餞として、くれてやるから死にに行けという事。当時の価値観は現代以上に綾之峰に対して忠義に厚かったのは想像は難くないし、御国を思うのもまた同様だ。尤も、本当に綾之峰への忠義に厚かったかは、当人以外に知る由もないことだが。

 

「そういや、授与理由が明らかにされてねーから、死後剥奪しろって有爵者が騒いでたってのは聞いたな」

「基準が綾之峰家に一任されておりますし、直系のお命を狙われた所を救われた可能性も御座いますがね」

 

 これなら、社会不安を鑑みて明らかにしなかったという理由にはなる。が、銀香にもジーヤの主張が、声の小さいものになっているのを感じ、逆に安田のそれの方が正しいのではないだろうかと思えてきてしまった。

 何というべきか。そんな事はある筈がないというのに、安田の主張はまるで当事者が語っているように錯覚してしまうのだ。

 

「安田少年の……というより、少数派の主張が正しいとして。安田少年は、祖国に土がついた事に不満はないのでありますか?」

「敗戦は確かに屈辱だったでしょう。ですが、南方の小競り合い一つで国家安寧と綾之峰の保全は約束されるのです」

 

 現にこの日本国においては、本土を焼かれた事も、原子爆弾が投下された事もないし、過剰な造船競争を始めとした軍事費に煩わされる事も無くなった。

 大規模な流血が無かったというのなら、この時代のどの先進国も同じだが、それでも異なる歴史を知る安田にしてみれば、結果的に一番得をしたのは他ならぬ日本だろう。

 

「軍自体も、規模の縮小と侵攻に関する制限に留まりましたしね」

 

 当時と軍が大きく異なるのは、名が改められたというぐらいか。軍備の抜本的見直しと整備化に専念出来たという点も鑑みれば、お釣りの来る結果だろう。

 在日米軍は未だ沖縄に残っているし、遺恨も少なからずあるが、現在沖縄の犯罪件数から見ても彼らの行儀の良さは十二分国民の理解を得ており、無理に追い出す程ではない。

 

「三〇年代って言えば、ロシアが一番ぐらついてた時だもんなー。軍隊が小さくなっても、一番やばいところが手を出せないって判ってたら問題ないわな」

 

 中国からの撤退はロシアの南下を防げなくなるという声も当時聞こえたが、この頃のロシアは打倒されないまでも、王朝権力は弱体化の一途を辿っており、日々激化する小国家の独立運動から拡大政策には消極的だった。

 現在において、綾之峰家と懇意にしている立憲君主制小国家群は、この時期における政情不安を狙って独立を果たしたものばかりだ。

 

「結果を見りゃあ、綾之峰は小国とはいえ後々まで王族との婚姻に事欠かない。軍工場の技術者は経済畑行きで、国内のインフラ整備も充実か。こりゃ、ジーヤの支持してる多数派の主張はちょい厳しいな」

「加え、押し付けられたという建前で一部既得権益の廃止も可能になりましたからね」

「……安田少年はともかく。お嬢様は、ジーヤが綾之峰家の禄を食んでいる立場だという事を考慮して欲しいであります」

 

 先にも語ったが、安田の発言が正しいのであれば、全ては綾之峰が描いた筋書きであり、世界を裏から統べる大魔王もかくやという陰謀を企てた事になってしまうのだ。

 平安より昔から続く、神聖なる綾之峰の当主がそのような行為に及んだというのは、心情的に受け容れ難いものである事は、安田とて理解していたが。

 

“話題の振り方の強引さといい、今日のミス・マクミランには何処か分不明な点が多い”

 

「でもよ」

 

 と。ここまで会話を重ねた上で銀香が注視してきた為、安田はジーヤの心胆を推し量る事を止めて向き直った。

 

「それなら何で、安田はそっちの世界に踏み込む気でいるんだよ?」

 

 

     ◇

 

 

「それなら何で、安田はそっちの世界に踏み込む気でいるんだよ?」

 

 綾之峰家への不信。政界どころか身を置こうとする軍も、必要とあらば切り捨ててしまう事を知ってなお、安田は国に奉公すべく己を磨いている。

 

「お前だって、捨石にされるかも知れないのに」

 

 本心から安危を気遣って問う銀香だが、安田にとってみれば軍という場所は第二の我が家のようなものだし、死の危険など承知している。

 

「軍人を志すなら、死は鴻毛より軽い事を覚悟して然るべきです」

“こいつ、頭おかしいんじゃないか”

 

 銀香でなくとも、今の世を生きる人間であれば、誰とて同じように思った筈だ。

 確かに、今の日本には目に見えた危険などない。安田の発言とて強がりか、軍という場所を愛国心という妄想から歪め、死を美徳と勘違いしきって自己犠牲に酔っているとも取れる。

 だが、そうではない。安田は死ぬ事はおろか、使い捨てられる事さえ納得尽くで志している。どれほど身を粉にし尽くしても、最期は異国で散った何処ぞの中将のように。

 

「何時死んでも良いって言うのか……? 親だって居るだろ。お前が居なくなって、泣く奴は絶対居るんだぞ」

 

 本当にそれが分からないのか。勉学や運動が取り柄というだけの、頭の良い馬鹿なんじゃないのか。

 

「覚悟なんかできるもんか! 死ぬって分かったら、絶対後悔するに決まってる!」

「無論、するでしょう」

 

 事も無げに。実際そうなると、まるで経験してきたかのように安田は頷く。

 泣きはせずとも、必ず悔やむ。もがき、苦しみながら、死に際に遺した全てに許しを請いながら消えるだろうと。 

 

「そこまで……」

 

 分かってなお、進む。止まる事も、引き返す事も、違う道を探す事も出来る筈なのに。

 十六という、銀香と同じ年月を生きた、思い出を忘れずにいるというだけの少年が。

 

「がっかりだよ……お前には」

 

 知らないだけだと思っていた。関わりが浅いというだけで、この少年は自分に見せていない良い所が有る筈だと。巫女姫の予言というだけでなく、恋などとは関係なく、同い年の人間として仲良くやって行ければ良いとも思っていた。

 けれど違う。銀香はこの少年と……、安田とは決して相容れない。こんな、自分勝手に死んで、色んな親しい人が泣くのを理解して、自分すらどうでも良いなんて言える奴と、仲良く出来る筈が無い!

 

「ジーヤも何か言ってやれよ! こんなの可笑しいだろ! こんな考え、間違ってるって言ってやれよ!?」

「お嬢様には異常に見えるとでしょうが、安田少年の言いたい事は、ジーヤは判るであります。ジーヤの父も、自分らの一員に加わる上で、死は選抜過程での落第を通告する自然界特有の方法だと常々言っておりましたから」

 

 あまりに違う価値観。あまりに違う認識。

 自身の専属執事として幾年も過ごしたジーヤもまた、安田のそれを肯定する。或いはそれは、綾之峰に忠誠を尽くす人間として感じた、ある種の共感から来る贔屓なのかもしれないが。

 

「……ジーヤ。お前も……」

 

 死ぬべき時には、死ぬことを覚悟しているというのか?

 

「はい。ジーヤはそれを覚悟し、お仕えしております」

 

 全ては綾之峰の為……お家の存続のためか。歴史がそれほどまで大事で、命はそれほどまで軽いのか。握りこんだ手が震える。思わず殴ってやりたいという衝動に駆られて睨めつけてしまう。

 だが、その視線を受けたジーヤは、何処までも優しく笑うだけ。

 

「ジーヤは綾之峰家以上に、銀香様も英里華様も、マイシスターも大好きでありますから」

「は……?」

 

 だから。自分以上に大切な何かがあるから命を賭けられる。それが非業なものであれば、自分の死に嘆きもするだろう。未練を幾つも残すだろう。

 けれどそれが、擲った自分の命が、決して無為のものだとは思わない。

 

「泣かれても、恨まれても、ジーヤは大好きな人達の為なら、そうするであります。必死に足掻いて、死にたくなくても頑張って……勿論、死ななくて済むならそれが一番良いでありますけどね」 

「……当たり前だろ。ジーヤが死んだら、怒る。絶対、許してやらない」

「ははっ。では、ジーヤは益々努力せねばならないでありますな!」

 

 怒りは、既になかった。笑って応えるジーヤは、自分の命を軽んじているのでも、親しい人が泣くのを許容しているのでもない。

 ただ、大切なだけ。愛しくて堪らないから、傷つき、失って欲しくないから、自分が頑張ろうとするだけなのだ。

 

「安田少年も、きっと同じでありましょう?」

 

 でなければ、説明がつかない。

 もし彼が自分に価値を求めておらず、誰でもいいから他人の為にと……ある意味、自分自身の美徳の為だけに死にたいと、死んでも良いと思うなら───

 

「───忘れたくないなんて、願わないであります」

 

 忘れないのは、それが大切だから。見て、知って、その時得た気持ちを永遠に失いたくないから。国の為というだけではない。そこに生きて暮らす大切な人を、彼はしっかりと持っている筈だ。

 

「だから、ジーヤは安田少年の努力を応援するであります。でも、お嬢様が怒ってくれたこ事は忘れないで欲しいであります」

 

 どんなに大切でも、その為に自分が消えれば、自分を同じように大切だと思ってくれる誰かが泣く。泣かせてしまうんだと。既にそれを弁えている安田に、太く大きい釘を刺す。

 

「承知しております」

 

 絶対でありますよ、とジーヤは背を叩いて。

 

「じゃあ、そろそろ行ってくるのであります! 人は努力したらしただけ、長生きする可能性が増えるでありますからな!」

 

 

     ◇

 

 

 重い音を響かせた足音は既に遠く、見送った姿は瞬く間に小さくなっていく。

 

「てっきりお嬢様に良い所を見せたいが為に無理をしているかと思いきや、あれは本当に日課レベルになっているでありますな」

「なあ、ジーヤ。ちょっと良いか?」

 

 感心感心と頷くジーヤに、銀香は問う。

 

「あいつはさ、ジーヤの言う通り大事な奴の為に頑張ってるとして、それは誰なんだろうな?」

 

 自分では、決してないだろう。知己の存在だと安田は語ったが、銀香はどうしてもそれが思い出せない。本当に大切で、劇的な物であったら、銀香は……二人の英里華は覚えていても良い筈だ。

 

「ジーヤには判断が付きかねるであります。安田少年はあれで、女性との出会いが多い身でありますから」

「は?」

 

 本気で、心の底からあり得ないだろという顔でジーヤを見た。

 

「銀香様に英里華様。ジーヤとマイシスターと、あと……」

「うちの身内ばっかりじゃん」

 

 何でそれで思い出せないんだと銀香は頭を抱えたが、ジーヤが言うには。

 

「直接会ったのは一回きりでありますからなー。そういう意味で、お嬢様の疑問は当然であります」

 

 出会いはあっても交流はなしと。成程、それなら納得である。

 

「ん~? ひょっとして、お嬢様もお年頃でありますか? マイシスターと違って、豊かな胸を撫で下ろせた感じでありますか?」

「芹沢が聞いたら怒るぞ、絶対」

 

 一層謎が深まった気はするが、銀香自身、疑惑を向けられたところで素で返せる程度の関係だ。恋愛感情など抱けていない。それが分っているのか、からかい涯に欠けると思ってかは知らぬが、ジーヤは平静な面持ちで応えた。

 

「まぁ、ジーヤ個人としても、安田少年には不可解な点が多いでありますが」

 

 一つだけ、言える事がある。

 

「安田少年は、銀香様や英里華様を裏切ったりしないと思うでありますよ?」

「そんな事───」

 

 ───本当に、分っていたか?

 

「いや……分ってなかったな」

 

 追い出されないかと家に来た時はそう思った。邸に戻る事に内心恐怖し、気軽に話して不安を紛らわせていた。ジーヤや自分と顔見知りだと知って、安堵もしていた。

 

「きっと。安田に怒ったのも嘘の気持ちなんだろうな」

 

 居心地のいい場所を、守りたかっただけ。だから、安田に対して心配した振りを……

 

「いやいや。お嬢様は本当に怒っていたでありますよ? ジーヤは小さい時からお嬢様をよく見ておりますから、嘘と建前ぐらい見分けはつくであります」

「慰めるなよ。出会って一日の男の人生に、そんな深く関わってやるほど綺麗な女じゃないぜ? 私は」

「男女のそれは関係ないであります」

 

 ただ。純粋に心配だっただけ。自分と同じしか生きていない少年に、本当に大切な物を、知って欲しかっただけなのだ。

 

「だから、素直にしていればいいと思うであります。安田少年は、ちゃんと応えてくれますから」

「爺さんみたいな口調でか?」

 

 にしし、と先程までと違い、軽く銀香は笑う。

 

「ありがとな、ジーヤ。安田には、ちゃんと謝っとく。だから、お前もあいつを試したのを謝っとけ」

「おや? バレておりましたか」

 

 ペロリと年甲斐もなく舌を出す。

 

「綾之峰は関わってなかった? そんなのを信じたがるほど、ジーヤの頭は凝り固まってないだろ?」

 

 最初の狂信的なまでの綾之峰家と日本国への信奉発言は、安田が食いつくかを見定めるものでしかなかったし、無理に否定しなかったのもジーヤ自身本気でなかったから。

 仮に彼が同調するようであれば、その時点で見切りを付けていた筈だ。

 

「安田少年は真面目でありますが、蔵書は結構偏りがありましたので。政治的にアレな思想の持ち主と、お嬢様を近づけたくないでありますから」

 

 知己の間柄だろうが、出会ったのはあくまで幼少の頃。信用に値するか否かは、親との付き合いより今の本人そのものを見極めるべきと判断したのだろう。

 この辺り、妹が英里華を出汁に安田を試したところから見ても、似たり寄ったりな姉妹と言わざるを得ない。

 

「もし追い出されたら、その時はその時だ。大刀自が本気じゃない以上、誤魔化しは幾らでも効くだろ?」

「確かにその通りでありますな。まぁ、あの安田少年が少女を路頭に迷わせるとは思えないでありますが」

 

 

     ◇

 

 

 結果として。綾之峰銀香もジーヤ・芹沢・マクミランも安田家の居候になった。曰く。

 

「謝罪なら結構です。迷惑ならはっきりとそう申しますし、肩身が狭い中、家主の顔色を伺うのも、一つ屋根の下生活するのに、私自身に問題がないか確認するのも当然でしょう」

 

 とのこと。実に竹を割った回答なだけに、銀香は安堵よりも気を揉んだのが馬鹿らしく思えてしまった。ただ、居候に当たって、一つだけ約束事をした。

 

「言いたい事があれば、仰って下さい。私も、その方が過ごし易い」

 

 遠慮などしてくれるな。我慢なら、今まで散々してきただろうと。

 多くを述べないまでも、その気遣いは伝わってきた。知らないことは、確かに多い。それでも、不器用でも優しさというのは伝わるものだ。

 

「分かった。じゃあまず、その爺さんみたいな口調、どうにかなんねーの?」

「……これは身に染み付いたものですので」

「ふぅん。じゃあ、私とジーヤが一つ言う事聞いてやるから止めてくれない?」

 

 ジーヤや私といる時だけで良いからさ、と笑うが、女性がそのような事を口走るのは問題である気がする。

 

「……では」

「おおっと安田少年! さらっとジーヤが入っておりましたが、エロティックな要求はお嬢様のみお願いするであります!

 ……どうしてもと言うなら、マイシスターで手を打って欲しいであります」

 

 自らの主人と身内を豪快に売っていくが、生憎とそこまで飢えてもいなければ、口調一つで無理な要求は突きつけられない。

 

「……料理を頼んでも宜しいか?」

 

 台所に立つのは既に慣れたし、黒瀬であった頃にも経験しているが、三人分と言うのは盛りつけも含めれば、思いの外時間を取られてしまう。であれば、せめて朝食だけでも時間を開ければ、その分勉学に費やせると考えたのだが。

 

「えー……」

「安田少年。ジーヤはともかく、お嬢様にその仕打ちはあんまりでありますよ。自分で言うのも何でありますが、ジーヤの食事は量と栄養だけで、味は度外視でありますから」

 

 大ブーイングであった。ではこのままで、と言いかけたものの、やはり言い出した側が引き下がると言うのも気に入らないらしい。

 結果。弁当だけはジーヤと銀香が共同で作る形となった。

 

「愛妻弁当という奴でありますな、安田少年!」

「ハートでも入れて欲しいか?」

 

“……楽しんでいるな”

 

 ハートは若干迷惑であったが、この時は伝えず呑み込んだ。年甲斐もなく、女子の弁当を食いたかった訳ではない。おそらく。

 

 

 




 イベントでアメリカと戦う事になるかと思ったら、開戦直後降伏&国家方針転換とかいうプレチ全開な綾之峰家(hoi並感)
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