和哉は何も知らない。
梨子のことも。
3年生たちの過去も。
彼はそれでも今できることに取り組む。
魅力的なPVを作る。
それにはどうすればいいのか。俺たちはいつものごとく、千歌の家に集まっている。
俺はみんなの一番後ろを着いて歩く。
必然的に部屋に入るのが一番最後になるのだが、俺の目の前を歩く梨子がしきりにキョロキョロしている。
「・・・梨子」
「な、何?」
「しいたけ探してるの?」
「あ、当たり前よ!しいたけちゃんと今度出会いでもしたら・・・。今度こそ・・・」
梨子は怯えながら頭を抱える。
・・・何が彼女をそうまでさせるのだろうか。
いっそのこと、俺は聞いてみることにした。
「なんでそんなに犬が苦手なの?」
「・・・和哉くんが引っ越してすぐに、お散歩してる犬を撫でてたら、何かカンに障ったんだと思うんだけど、手を噛まれて・・・。それでしばらくピアノも弾けずに、コンクールにも出れなくて・・・」
「ああ、それで・・・」
「犬は私の敵よ!」
鬼気迫る顔の梨子を見て、余程嫌いなんだなぁ・・・、と俺は苦笑いを浮かべる。
千歌の部屋の前に着くと、梨子は襖を少しだけ開け、しいたけがいないか覗いている。
そうしていると俺も中に入れないんだけど・・・。
「しいたけいないよ。ね、千歌ちゃん!」
曜が梨子に教える。同意を求めるように千歌にも声をかけていた。千歌は声を出して返事をしていないが、中から聞こえるみんなの声を聞く限り、本当のようだ。
「それよりPVよ。どうするの?」
善子の言葉にみんな、重い声をだす。
「確かに。何も思いついていないずら」
襖の近くに座っている花丸ちゃんが梨子の顔を見て、何か案は無いのかと聞いている。
「それはそうだけど・・・」
梨子も何も浮かんでいないようだった。
「あら、いらっしゃーい」
後ろから声がしたので、振り返ると、そこには急須と人数分の茶飲みをお盆に乗せた志満さんがいた。
「あ、お邪魔してます」
「和哉くんもいらっしゃい。こんなところで何してるの?」
「梨子がしいむぐっ」
「いえ!何でもないです!わざわざありがとうございます!」
今の状況を説明しようとしたら、梨子に口を手で塞がれてしまった。
別にいいじゃないか、そのくらい言ったって・・・、と心の中でボヤく。
「みんなで相談?」
「はい」
梨子に引きづられるように部屋に入ると、梨子は手を離し、千歌のベッドに腰掛ける。何故か千歌の勉強机に陣取って、肘をついている善子の近くに俺は座る。ベッドの布団には千歌が潜り込んでいる。
なんで、潜ってるんだ?体調は悪くなさそうだったし。
「みんな明日は早いんだから、あまり遅くなっちゃだめよ?」
「はーい」
志満さんはそう言うと、部屋を出て行った。
「なんで善子はそこなの?」
「いいじゃない、別に。ヨハネは特別な存在なんだから。気にすることなんてないの」
「・・・善子がそれでいいなら、いいけどね」
Aqoursに馴染んでいるからこんなふてぶてしくできるのかな?
まあ何にせよ、いい事なのか?
「明日、朝早いの?」
梨子が志満さんに言われたことをみんなに聞く。
「さあ?何かあったかな?」
曜が答えたが、知らないようだ。
「うん。確かに明日は何かあったような・・・」
俺は腕を組み、首を傾げる。
「海開きだよ」
「そうそう!海開き!って千歌!?」
答えたのは襖から顔を出して笑っている千歌だ。みんなも驚いている。
だったら、なんで布団が盛り上がって・・・。あっ・・・(察し)。
「じゃあ・・・」
梨子もその事に気づいたようで、顔を強ばらせている。
梨子の後ろでゆっくりと布団が膨らみ、めくれていく。
「わん!」
梨子はゆっくりと後ろを振り返る。
もちろん、後ろにいたのはしいたけだ。
「「梨子ちゃん!?」」
「梨子!?」
「リリー!?」
しいたけを目の当たりにした梨子は気を失って倒れてしまった。
気を失ったのをいいことに、しいたけは梨子の顔をペロペロ舐める。
・・・梨子にこのことは教えないでおこう。
「コラ!しいたけ!お家に戻りなさい!」
千歌の命令にしいたけはのそのそとした足取りで部屋を後にした。
「うわー。どうしよう、千歌ちゃん」
曜が気を失った梨子の顔を拭きながら、千歌を見る。
「まさか、梨子ちゃんがここまでダメだったとは・・・。でも、寝てても可愛いね、梨子ちゃん!」
「「いや、それは今関係ないから」」
俺と曜が同時にツッコミをいれる。
能天気な千歌は置いて置くとして。俺は梨子の傍に行き、ゆっくりと梨子をおんぶする。
「和哉くん?」
曜が突然の俺の行動に驚く。
他のみんなもそうだ。
花丸ちゃん・・・、そんなゴミを見るような目で見ないでよ・・・。
千歌、殺意を剥き出さないで・・・。
「待った。みんな勘違いしてるよ。俺は梨子を家に送ってくるだけだから」
「本当に?」
千歌がドスの効いた低い声を出す。
アイドルがそんな声とそんな顔をしてはいけないと俺、思う。
「本当だよ。善子、梨子のカバン持って着いて来て」
「ヨハネ!・・・はぁ、仕方ないわね。このヨハネをこき使うなんて」
口では文句言いながらだが、善子は梨子のカバンを持つ。
「じゃあ、行ってくるよ。すぐに戻ってくるから」
俺は梨子をおんぶしながら、善子を引き連れ、十千万の裏の梨子の家に向かう。
ピンポーン、とインターホンが鳴る。
すぐに、扉が開き、梨子のお母さんが出てきた。
「はーい。って貴方は?・・・梨子!?」
梨子のお母さんは梨子を見て驚く。俺におぶさって寝ている梨子を見れば当然の反応だろう。
「あー、と。お久しぶりです、おばさん」
「え?貴方、もしかして、和哉くん?」
「あ、覚えててくれたんですね。ご無沙汰してます」
とりあえず、俺が誰なのか分かってもらえて安心する。
「本当に久しぶりね!梨子がよく話してくれてるから。まさか、本当にここで会えるなんて」
何やら涙ぐむおばさん。
おばさんは酷い?仕方ないじゃないか。小さい頃そう呼んでたんだから。
「と、とにかく!梨子を寝せたいんで、上がってもいいですか?」
「え、ええ!もちろん!あら?そちらの子は?」
善子を見つけたおばさん。
見つかった!?と謎の反応をする善子は挙動不審に辺りをキョロキョロする。
「こいつは津島善子で梨子と俺の部活の後輩です」
「初めまして!つ、ちゅしま善子でしゅ!」
・・・噛んだ。みるみる善子の顔は赤く染まっていく。
「フフッ。そうなのね。初めまして、善子ちゃん。とても美人さんね。まずは、梨子の部屋まで案内するわ」
「助かります」
お礼を言って、家の中に入る。
笑われたのと、噛んだ恥ずかしさで、善子は俯いたまま小さくなっていた。
「う、うーん・・・」
「あ、リリー。起きたのね」
どうやら、梨子が起きたようだ。善子が気づき、声をかける。
「えぇ?ここは?」
「起きた?」
首だけ梨子の方へ向き、声をかける。梨子は眠たそうに目をこすっている。
「なんで私、寝て・・・。って、うわぁ!?和哉くん!?」
まあ、起きてすぐ、俺におんぶされてるって驚くよね・・・。
「わ、わわっ!なんでおんぶして・・・」
「しいたけ見て気失ったんだよ」
「本当に?」
「本当」
梨子は顔を赤くし、手で顔を隠してしまった。
「梨子、起きたら和哉くんから降りなさい。迷惑でしょ」
「お母さん!?ということはここ、私の家!?」
「そうよ。心配して和哉くんと善子ちゃんが送ってくれたんだから」
「え?よっちゃんも?」
「私もいたわよ!」
善子の声を聞いて驚く梨子。
どうやら、本気で善子のことに気づいてなかったようだ。
「体は大丈夫?」
なんとも無いはずだが、一応、念のために梨子本人に尋ねる。
「うん。平気。わざわざごめんね」
「気にしないでいいよ」
軽く梨子の頭をポンポン、と叩く。
・・・今のは馴れ馴れし過ぎたかもしれない。
「3人とも、お茶入れたから飲んで行って」
「すみません、わざわざ」
いいのよ、と言って笑うおばさん。
リビングの机にみんなで座り、入れてもらった紅茶を飲む。
「梨子から話を聞いた時はそんな偶然あるわけない、と思ってたんだけどね」
おばさんはしみじみと言う。
「ああ、リリーと先輩は幼馴染だったわね。あ、美味しい」
紅茶を飲んで笑顔の善子を見て、おばさんは笑う。
ていうか、ああ、って・・・。この間帰りのバスでその話したのに、もう忘れたのか?この自称堕天使は。
「和哉くんが転校した後の梨子ってずっと泣いてて。和哉くんと同じ学校に行きたいって、毎日ごねてたのよ」
「ちょっと、やめてよ!恥ずかしい・・・」
顔を赤らめて強く言う梨子。
梨子の反応を見る限り、本当のようだ。
やべっ。俺の顔まで赤くなってるんじゃ・・・。めちゃくちゃ熱いんだけど。
「ピアノで失敗して、落ち込んでるところにお父さんの転勤が決まったから。大丈夫なのかしら?なんて思ってたの。この子、友達作るの下手だから」
ピアノで、失敗?梨子が?
気になるが、今聞くのはやめておいた方がいいだろう。
「だから!やめてってば!」
「でも、こっちに来て明るくなって。いいお友達にも恵まれて。何より、和哉くんがいてくれたから」
涙混じりに話すおばさん。
本当に梨子のことを心配していたんだろう。
「もう!やめやめ!ほら、話し合い終わってないんだから、千歌ちゃんの家に戻るわよ!ほら、よっちゃん!」
「え?待って!紅茶まだ飲んでる!リリー!」
梨子は善子の手を掴み、早足に出ていった。
「すぐ戻るからね!」
「私の紅茶ー!」
バタン!と扉の閉まる音と共に2人の声も聞こえなくなった。
残されたのは俺とおばさんだけだ。
・・・聞くなら今しかない。
「・・・あの」
「何?」
「梨子がピアノで失敗したって・・・」
おばさんは驚いたような顔をした。
「そう・・・。梨子は何も話さなかったのね。ごめんね、梨子が言ってないのなら、私からも言えないわ」
「そう、ですよね」
「もし、あの子が話してくれたら、力になってあげて」
「・・・はい」
「私もプレッシャーを掛けすぎて、酷なことをしちゃったから」
俺はその言葉を最後に何も聞けなくなった。
正直、梨子がピアノで失敗するなんて思ってもいなかった。やっぱり、俺と梨子の5年の空白は想像以上に大きかったようだ。
「そろそろ俺も戻ります。久しぶりに会えて、楽しかったです」
「フフッ、こんなおばさんに?嬉しいわ」
「あ、いや。そういう事じゃなくて・・・」
少しお茶目なおばさん。母さんとはまた違ったからかい方だ。
「ごめんね、意地悪しちゃった。私も和哉くんに会えてよかったわ。こっちに来てあの子、本当によく笑うようになったの。貴方たちのお陰よ」
「そんなことは・・・」
「本当のことよ。だから・・・。梨子のこと、お願いします」
頭を下げるおばさん。
「ちょっ、やめてくださいよ」
「私じゃ何もできないから。ほら、早く行かないと。みんな待ってるんでしょ?」
「あ、はい!では、また」
「うん。またね」
桜内家を後にして、俺は再び十千万に向かう。
梨子の過去。
俺は梨子のことを何も分かっていなかった。
その日の夜。
俺は1人パソコンに向かっていた。
「・・・これって・・・」
パソコンのモニターに流れる映像はピアノコンクールの様子。
演奏者は桜内梨子。
・・・しかし、梨子はピアノを弾き始めない。とうとう梨子はピアノを弾くことはなく、鍵盤の蓋を閉じ、一礼してステージを後にした。
「・・・これが梨子の過去?」
苦しそうな表情。
消えてしまいそうな姿。
今のピアノの話になると少し暗い顔をする梨子。
それを見た俺は・・・。
「俺は、梨子にまた心の底から楽しんでピアノを弾いて欲しい。笑って欲しい。その為だったら・・・」
机の横に置いたスクールバックに付いている梨のキーホルダーを見つめる。
「昔のことなんて気にしている場合じゃない。俺が梨子の支えになる」
梨子の過去を知り、和哉は決意する。
彼女を笑顔にさせるために。