『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第十部「ヴィア・ドロローサ」 作:城元太
ヒトの短い生涯で、激烈な天変地異との遭遇は稀である。また仮にそれに遭遇できても、ヒトの生涯は更に短くなる場合が多い。
不死山の峰を溶岩が流れ落ちるが如く、クリムゾンヘルアーマーに覆われた死竜が雲を棚引き動いている。対流圏高度を飛行するアーカディアから見下ろすバイオデスザウラーの威容は、大地震により変容する「地形」にも見えた。美しい成層火山の山体とほぼ同じ標高のゾイドが移動する光景は、生命の定義を超越した狂気であった。
「ばけものだ」
津時成の形容も虚しく響く。
バイオデスザウラーにとって、空征く巨大海賊戦艦など眼中になく、只管に地平の彼方より接近する天空からの異物排除を続けていた。死竜の周囲には凝集した水蒸気が傘雲となって纏わり付くが、吐き出される閃光が雲海を吹き払い、全身を常に露わにしていた。
「船長、これでは坂東に到着しても手遅れではないのか」
バイオ荷電粒子砲は、凡そ坂東の方向を掠め放たれている。惑星意志の代弁者たる死竜にとって、ヒトの命など無に等しい価値に過ぎない。
坂東まであと僅かであった。嘗て空也と重太丸と共に訪れた、筑波の峰に連なる青々とした草原が、藤原純友の脳裏に浮かんでいた。
「俺は行くと決めた。約束は守る」
込められた意志の強さに抗言する者はない。
純友は拱手したまま、伸びゆく閃光の先を睥睨し続けていた。
ライガー
「これ以上太郎との対決を邪魔立てさせぬ」
将門ライガーが七色に分かれた。
エナジー隼のバスタークローが六本の爪を展開させる。グングニルホーンを加え、計七本の刃となって分身した将門ライガーを迎え撃つ。ジェットファルコンを背負い、重量が増したにも拘わらず、エナジー隼は将門ライガーの速度に勝る俊敏さで、襲い掛かる七色の獅子を的確に捕捉し突き刺した。
幻影が消滅する際、バスタークローの爪一つが甲高い音をたて欠落する。残る幻影が集束すると、刃毀れしたムゲンブレードを背に収める霰石色の獅子の姿に戻った。七つの影には七つの刃。秀郷は将門ライガーの戦法にも万全の構えで臨んでいたのだった。
必殺の技を破られた屈辱とは裏腹に、小次郎の身体は小刻みに震えていた。
「我が生涯最高の仇敵――太郎と藤太――最高のゾイド乗りに、遂に出逢えた」
危険な歓喜が小次郎の身心を侵食し、己の命の遣り取りが掛かっていることさえ見失わせた。
「村雨よ、真の力を開放せよ」
鋼鉄の獅子は主の想いに応え、操作盤に〝叢雨〟の文字を浮き上がらせる。
「叢雨ライガー」
決意を込めた静かな叫びに、霰石色の獅子は、黄金の鬣と太刀を荷電粒子で輝かす究極形態、真・叢雨ライガーへとエヴォルトした。
タキオンとは、常に光を越える速度で移動しているという仮想粒子であり、理論上は通常粒子タージオンとの共存が許されない。相反する粒子が接触すれば、励起する次元波動によって対消滅反応(※「反物質」とは別種)が起こるはずである。エナジーチャージャーで精製させる〝タキオン〟が、果たして光速より早く移動する仮想粒子なのか不明だが、バスタークローの付け根で集束され、三つの爪の間より発射される線条は、光線兵器と呼ぶのも躊躇うほどの代物であった。
空間に突然青白い帯が出現し、消滅する瞬間に激しいプラズマ爆発の残滓を刻む。橙色に輝くエナジーチャージャーに蓄積された仮想粒子を、光速と時空をも越えるかにして撃ち出している。
叢雨ライガーが疾走する。黄金の鬣が荷電粒子の繭を紡ぎ、輝く碧き獅子を覆う。E-シールドを上回る防御力を誇る、スーパーキャビテーションが形成された。バスタークローの付け根より線条が二本迸る。プラズマ爆発の轟音を残し、叢雨ライガーの繭に殺到した。
背後より奇襲した零・鳳凰・炎のストライクレーザークローが打ち込まれる。
「小次郎、覚悟」
貞盛の策略とは裏腹に、光る爪は空を切る。体勢を崩した零に、繭を破って突出した荷電粒子の刃が鳳凰の翼を切断した。地表近くで落下した零・鳳凰は錐揉みの後地表に叩き付けられ横転した。真・叢雨ライガーの操縦席の中、小次郎が唇を噛み締める。
「太郎、最後まで俺との一騎打ちを拒むというのか」
「戦は奇麗ごとでは済まぬ。お前は潔癖過ぎた」
聞こえぬ筈の問いに、貞盛もまた答えていた。横臥する零・鳳凰に意識を奪われ、僅かに叢雨ライガーの疾走が緩む。
「秀郷殿、今だ」
貞盛は自らを囮にしていたのだった。
〝タキオン〟で形成された二本の線条が交差する地点に、叢雨ライガーのスーパーキャビテーション障壁が重なる。荷電粒子とタキオン粒子が激しく反応し爆発する。
導火線を口火が奔るが如く、タキオンの線条をプラズマ爆発が逆走しエナジー隼に至った。バスタークローの残った爪五本すべてが弾き飛ぶ。極小域での対消滅連鎖反応を起こし、エナジー隼は爆発に巻き込まれ擱座した。老獪な秀郷であっても、高度な物理現象まで予測するには至っていなかった。
横転から体勢を戻し、貞盛は零を身構えさせた。
濛々たる硝煙が晴れると、頭部装甲が毟り取られた真・叢雨ライガーと、操縦席内部で顔面血塗れとなった小次郎の生身が晒されていた。露わとなった小次郎の口元の動きが読み取れた。
〝勝負だ、太郎〟
淡緑色に光るムラサメブレードを翳す叢雨ライガーと、片翼を捥がれた零・鳳凰・炎が激突した。
「小次郎さま!」
デッドリーコングの感覚と直結したことにより、視覚中枢に戦場の様子が浮かび上がった。自らの視覚野をゾイドに直結することは、ゾイドの痛覚をも共有する禁じ手である。だが、最早失うものが無くなった桔梗にとって、痛覚の共有など些細なことであった。
叢雨ライガーの頭部装甲が破られ、血塗れの小次郎の姿を捉えた。
時間が無い。
桔梗は信じがたい事に、暴走するデッドリーコングの操縦席を離れ、背負ったレインボージャークに乗り換えた。死を覚悟した者の為せる業であった。
「デッドリーコング、後は頼みます」
暴走する黒い猩々を戦場に残し、棺桶に固定されていた菫色の孔雀が飛び立つ。レインボージャークは一際高い声で啼いた。
「見えた」
レインボージャークを介し、桔梗の視覚野に天空の彼方より飛来する黒い怪竜が映る。手にしたタブレットを握り締める。
「小次郎様、唯今参ります」
零・鳳凰と、半壊した叢雨ライガーの力は拮抗していた。
爪と牙、斬撃と翼が鬩ぎ合い火花を散らす。
延々と続く格闘は、見る者によっては、まるで鋼鉄の獅子同士の
衝撃に機体が激しく揺さぶられ、小次郎の全身から血潮が噴き出す。叢雨ライガーの操縦席は既に血で溢れていた。
「笑っている」
貞盛の瞳には、戦いながらも穏やかな笑みを浮かべる小次郎の顔が見えていた。
〝悔いることは多いが、一つだけ望みが叶った。太郎、お前と戦えたことだ〟
「やめろ小次郎、聞きたくない」
貞盛の心に迷いが生じた刹那、眼前に荷電粒子を纏うムラサメブレードの刃が迫る。咄嗟のストライクレーザークローでは払い除けることも出来ない。
貞盛は知る。
「小次郎、お前は妻子を救うために、自らの命を以て押領使の軍を引き留めたのか。我らが苦戦すれば陸奥への追撃も遅くなる。最初から死ぬ気で」
死を覚悟した人間の強さと脅威は計り知れない。
「これまでか」
貞盛もまた、死を受け入れる覚悟をした。
唐突に赤黒い閃光に包まれ、叢雨ライガーが吹き飛んだ。
無差別に地表を焼き払うバイオ荷電粒子の砲撃が坂東に注がれ、貞盛との対決に集中し、無防備に横腹を晒していた叢雨ライガーは光の奔流に呑まれていた。
残されたのは、零・鳳凰・炎だけであった。
「私を残して、逝ってしまったのか」
呆然と立ち尽くす零の中、貞盛の視界が眩み、込み上げる嗚咽を必死で抑える。
隕石は未だに降り注ぎ、バイオ荷電粒子砲の無差別砲撃は継続していた。
真・叢雨ライガー頭部から、血塗れの塊が放り出されていた。バイオ荷電粒子砲の直撃を受けたにも拘わらず、肉体が残ったのは奇蹟である。しかし塊の腹部からは内臓が垂れ下がり、右半身と両足を失っている。死は必然であった。
「素気ないものだな」
少年時代に野山を駆け巡り、青年となって京に昇り悪戦苦闘した。妻を娶ってからは戦いの連続で、穏やかに日々を過ごした時間は僅かであった。
約束を果たせなかった。必ず生きて帰るという、家族との約束を。
意識が遠退き、虚ろになる視界に、純白の翼を広げた菫色のゾイドが映った。
「レインボージャーク……孝子か……」
小次郎は瞑目した。
飛来した菫色の孔雀が風防を開く。操縦席に立ち上がり、大きく両手を広げる乙女の姿がある。肉塊の落下速度に合わせ降下し、小次郎の身体をそっと受け止めた。
「小次郎様」
桔梗は半分に引き千切られた小次郎の身体を抱きしめる。飛び散った血潮が薄紫の
「良子様、お許しください」
桔梗は唇を重ねた。
『
血糊の混じった唾液の糸を引く唇で、桔梗はタブレットを握り締め叫んだ。
「エンタングルメント」
次の瞬間、レインボージャークの機体ごと、桔梗も、小次郎の千切れ飛んだ身体も、バイオ荷電粒子砲の劫火に焼かれ消滅した。
真・叢雨ライガーの機体だけが、元の村雨ライガーに姿を戻し、大利根の流れの中に落下し沈んでいった。
第十部「ヴィア・ドロローサ」了