エメラルドの大魔法使いと失われた主人公と最後の物語 前編 作:とましの
とある海辺の王国に数百年振りと言われる最高の幸福が生まれ落ちました。それはこの世界で最高の存在と言われる主人公の役を持った者でした。
物語の主人公は周囲の者を幸せにし、国を治めれば繁栄させると言われています。
その夜、海辺の城では隣国に行った王子一家を招いての晩餐会が開かれていました。老齢の国王は初めて見る孫に目元のしわをすっかり緩ませています。
隣国の王位継承者である孫ははつらつとした性格で物事をはっきりと告げる子でした。しかも文武に秀で、五歳という年齢ながら帝王学や馬術を学んでいると言います。そのため大人たちは、優秀なその子が隣国の王となれば両国ともに安泰だと考えていました。
そんな大人たちの思案と談笑の隙間で、幼い王子はとある噂を耳にします。
貿易と海の恵みで栄えるこの国に、五年前、最高の幸福が生まれました。海の国にふさわしく、奇跡の中で生まれたその子は人魚姫の主人公でした。けれど心の弱いその子は周囲の期待という名の重圧感に押し潰され声が出なくなってしまいます。
脆弱な主人公では国を繁栄させる以前に王など勤まらない。そう考えた大人たちは落胆と不満を抱えてしまいます。
そしてそんな時に隣国から王の孫がやってきました。大人たちは強い王子へ羨望を向けると同時に、その強さのひとかけらでもあの子にあればとささやきます。
そのささやきを耳にした王子はひとり晩餐会を抜け出しました。さざ波の音に包まれた城内を探し歩きテラスへ出ると、その下に小さな影を見つけます。そばの石段を降りると砂浜へ出られ、そこに噂の人物がいるのです。
丸く大きな月に照らされたその下で、人魚姫はその役にふさわしく海辺にいました。けれど波打ち際に座るその姿は小さく寂しげです。
その姿を眺める王子は幼いながらも頭を巡らせました。
母国に跡取りとなる男子は王の甥である自分しかいません。そのため母国で王位を継承するのは確実です。となれば父の母国であってもこの国に介入することはできません。
それでも自分以外で存在する唯一の主人公に何かしてやりたいと思いました。
「母上、ゆびわをくれ」
会場へ戻った王子は、隣国の大臣と談笑していた母へ手を差し出します。そんな王子の目の前で母は笑顔のまま自分の薬指を指差しました。
「このエメラルドの指輪?」
「そうそれ」
「これはあなたの将来のお嫁さんにあげるものよ?」
「わかってるから早く」
王家に伝わるその指輪は、高価なだけで特別な価値などないただの指輪です。しかしそれでも長い間家の女性に伝えられ、母も祖母から指輪を受け継いでいました。
母は指輪をはずして王子へ渡してくれます。その上で大事に扱うようにと言う母に背を向けて、王子は再び会場を抜け出しました。
テラスへ戻った王子は石段を降りて砂浜に出ます。すると誰もいない海辺に今もまだ子供がひとり座り込んでいました。
「おまえ人魚姫なんだろ」
近づきながら声をかければ相手の背中が怯えたようにはねます。丸い月に照らされた波打ち際で、その子は不安に満ちた顔を向けてきました。
そんな子供の弱々しい姿に王子は眉をひそめます。
「主人公のくせによわいから、王にふさわしくないってみんないってたぞ」
座り込んだまま動かない相手に王子は強い口調を向けます。すると怯えているようにしか見えないその子の大きな瞳に涙がにじみました。
話しかけただけで泣いてしまう。そんな相手に王子は頭をかきなながらしゃがみます。
「おまえは王にならないんだろ。ならおれの国にこい。おれはおまえとおんなじだからケッコンしておまえをまもってやる」
この国が人魚姫を必要としないなら、自分がもらい受ければ良い。王子がそんな簡単な考えの元で言葉を向ければ相手はきょとんとした顔を見せました。涙に濡れた瞳をしばたかせながら、ゆっくりと首をかしげます。
そんな子供に王子は気の強そうな笑みをこぼしました。
「おれはいばら姫だからおまえとおなじなんだよ。しららないのか」
王子が問いかけると相手は黒く艶やかな髪を揺らしながら首を振ります。そんな弱く何も知らない子供に、王子はしかたねーなぁとつぶやきました。
そうして砂の上に座り込むと、人魚姫の手をつかんで大きな指輪をはめます。
「この世界で主人公は一番つよくてすげーんだよ。だからまわりのオトナたちはいろいろ言うけど気にするな。おれがぜんぶからおまえをまもってやる」
大人の指にはめるその指輪は、五歳でしかないその子には合いません。そのため王子は指輪をはめたまま相手の手を包むようにそっと握らせました。
「このゆびわはダイジだからな。ケッコンできるくらいオトナになったら、これもっておれの国にこい。それかオトナじゃなくても、なきたくなったらおれのところにこい。おれはおまえをこんなとこでひとりにしないから」
約束な、と最後に言葉を付け足した王子は人魚姫の目元をハンカチでぬぐいます。
目元をふかれた子供は長いまつげを揺らしながら王子を見つめました。けれど本当に声が出ないらしい人魚姫は口を動かすだけで何も発しません。
そして幼い王子は、そんな相手が何を言おうとしているのか理解できませんでした。何もわからない王子の目の前で、人魚姫は自分の首にさげていた首飾りをはずします。
晩餐会に出る予定ではないらしい人魚姫は寝間着姿で砂浜にいました。そしてその首元から引き抜かれた首飾りは、そのまま王子に押し付けられます。
「これ、おまえの宝物か?」
今回の晩餐会で、王子の母は父から贈られたという真珠がたくさんついた首飾りをしていました。それと比べれば、真珠ひとつしかついていない首飾りはとても地味な印象を与えます。
「おれ海賊王がのこした剣とかのがいいけど、まあいいや」
人魚姫の瞳が小さな不安に揺れるのを前にしながら王子は笑いました。
「おまえの名前とおんなじ物だもんな」
そんな王子の一言に人魚姫の瞳が大きく開かれます。その驚いた様子を見た王子は心外とばかりに眉をひそめました。
「おれがおまえの名前しらないわけないだろ。おまえはこの国の宝だから、この国の名産とおなじ名前をもらったってきいたからな。よぞらの真珠がおちて人魚姫って宝物になったんだろ。なのにオトナたちはおまえをひとりぼっちにしてる」
だから、と言葉を続けながら王子は人魚姫の手を持ち上げ口づけます。
「だれもダイジにしないなら真珠はおれがもらう。おれならおまえをひとりぼっちにも、なかしたりもしない。ゼッタイしあわせにしてやる」
五歳ながら聡明で知られる王子は、自分の持ちうる言葉と知識のすべてを向けていました。そしてその努力が報われたように、人魚姫の顔がはじめてほころびます。その柔らかで愛らしい笑顔を見た瞬間、王子は大きな満足感を手にしていました。
それははるか昔、大人たちの知らない静かな海辺で交わされた小さな約束でした。
その後に脆弱な人魚姫は城を離れて南東の諸島を中心とした海で育てられます。人魚姫は海の上で幼い頃に出会った王子を思いました。たくさんの人がいるあの城で、ただひとり優しさを向けてくれた王子様。
夜の海で交わした幼い約束は、海に出たため守られることはありませんでした。けれどいつか陸へあがることがあれば、その時は会いに行きたいと思っています。
けれど人魚姫は知りませんでした。いばら姫である王子様が、大人になる直前にこの世界から消えてしまったという事を。