エメラルドの大魔法使いと失われた主人公と最後の物語 前編 作:とましの
元々東の国とは国交が途切れていたわけではない。けれど前国王が崩御してからは何の交流もない状態だった。もちろんそれは東の国側で新王の即位や新体制の確立など、外交に手を出す余裕がなかったためだ。しかしそんな状態が両国の戦争という噂を広げる原因となってしまった。
そのため噂を払拭するという意図を持って大々的な国交回復を行うこととなった。
雪が街を染めて数日が経った頃、帰国した近衛副隊長は真っ先に城内の異変に気づいた。門に詰める衛兵の緊張感が薄れ、さらに城内の兵士たちにも活気がない。むしろ沈んだような雰囲気と妙な緊張感というおかしな空気に包まれていた。
「はっはっは、強固で精強な軍事力で名高い国とは思えない士気の低さだな」
ため息を漏らしながら歩く兵士たちのそばを通りながら使者のひとりが笑う。それを聞いた兵士は立ち止まりにらむように振り返った。とたんに使者の中で最年少となる怜がすみませんと謝罪する。
「透さん、滅多なことを言っては駄目ですよ」
「しかしなぁ…俺は隠し立ては嫌いな性分なのだよ」
年下からの忠告も笑い飛ばした透は周囲に目を走らせた。
「寒さのあまり凝り固まったわけではないだろうに、この沈んだような重い空気はなんだろうな」
「そうですね」
そこでそれまで黙っていた近衛副隊長が口を開いた。
「いつもはぴしってしてるんですけど、どうしちゃったんだろう」
近衛副隊長は首をひねりながらも再び歩き出す。そうして城内を進むと二階の回廊にもため息を漏らす兵士の姿があった。
しかしそんな兵士の中の数名が近衛副隊長の存在に気づいて近づいてくる。
「やっと帰国したか」
「この状況を打破できるのはおまえだけだと思うんだ」
兵士たちに取り囲まれた近衛副隊長は慌てふためきあわわと声を漏らす。そして救いを求めるように使者の中でもっとも大柄な人物に目を向けた。
だがそんな彼の耳にありえない情報が飛び込む。
「俺たちの近衛隊長がおかしいんだ」
「ふぇっ?」
兵士の悲痛な叫びに近衛副隊長はきょとんとした顔でまたたきを繰り返した。そして再び大柄な人物を見やり、さらに兵士へ目を戻す。
「おかしいってどんな感じなんですか?」
「今までも厳しい方だったんだが最近の近衛隊長はおかしい。冷たすぎる」
「しかも異国の商人以外とは会話されないんだ」
近衛副隊長の質問に兵士たちが口々に話し始める。その話を総括すれば、確かに近衛隊長がおかしくなっていることはわかった。
今までは厳しい中にも優しさが少なからずあった。直属の部下以外の兵たちの名前を覚え声をかけることもしていたほどだ。しかしここ数日は兵の誰一人として近衛隊長から声をかけられていないらしい。
ただ近衛副隊長は自分を取り囲む兵士たちにひとつ反論する。
「近衛隊長が書記官さん以外を特別扱いなんてありえないですよ」
「それをしてるからおかしいって話なんだよ!」
「しかも最近は昼も書庫に行かないで、執務室で商人とふたりきりらしいからな」
「俺たちの隊長がなんであんなどこの誰かわからないヤツなんかに取られなきゃならないんだよ。おまえと書記官ならわかるけどさ」
兵士たちの私憤を受け止めた近衛副隊長はうなずき了承するとその場を離れた。そして改めて三人の使者に顔を向ける。
「なんだか困ったことになってるみたいです」
「その書記官っての以外を特別扱いしてるとおかしいのか」
「はい、そこは特別なので。でも仕事面で厳しくても、その商人以外と口をきかないっていうのは……うーん」
ふわふわと柔らかい雰囲気の近衛副隊長はその雰囲気のまま考え込む。けれど不意にその目が金色に染まった。
その異変に気づいた大柄な使者は緊張をはらんだ顔で足を止める。すると近衛副隊長だけでなく透と怜も立ち止まった。
「どうした」
「……えっと……」
わずかな戸惑いとともに声を漏らした近衛副隊長は苦笑いとともに瞳の色を戻す。
「ちょっとこれから書庫に行こうと思います」
「書庫に行ってどうするんだ。光秀の元へ行くんじゃないのか」
「いまちょっと水鏡の魔法を使おうとしたんですけど、隊長に届かなかったんですよ。なのでちょっとこの時間にあり得ないですけど、隊長は城の外にいるんだと思います。それなら書庫に行って書記官さんに居場所を聞こうと思いまして」
大柄な使者、魚住の真っ直ぐすぎる態度に近衛副隊長はやんわりと返す。すると透が楽しげに笑った。
「先ほどから副隊長さんは書記官をかなり買っているようだが、その書記官はそんなのにも優秀なのかい? ここで実はその書記官は魔法使いなのだ、とは言わんだろうが」
魔女の子供である近衛副隊長が頼るほどなのだからと、茶化すように言う。すると近衛副隊長は照れたように笑った。
「えっと……魔法使いというわけではないんですけど、何でも知ってて何でもできる人です。僕の母が遺した本をすべて読んでて、僕の先生でもあるんです」
「なるほどな。副隊長さんの親御さん代わりのような方なんだな」
「はい、もうひとりの親みたいな人です」
その人物が親代わりであることが嬉しいらしい近衛副隊長は素直に言葉に返している。その上で書庫へ向かうべく歩き出した。
城の裏手側三階に作られた書庫は広い空間に多くの蔵書が収められている。ここを管理しているのは書記官で、同時に政務の議題製作の場にもなっていた。
旅装を解かずに書庫へやってきた近衛副隊長はマントを脱いで奥へ進む。すると日当たりの良い窓際の机に大量の本を並べた人物がいた。
「ただいま戻りました、三成さん」
「ここに来たという事は、既に異変に気づいているということですね」
手元の本を閉ざした三成は椅子に腰かけたまま挨拶を向けた近衛副隊長を見上げる。いつもと変わらない真面目な顔を前にした近衛副隊長は安心したように微笑んだ。
「具体的にはまだなにも知りません。でも隊長がおかしいっていうのは聞きました」
「そうですか」
何がどうなっているかはわからない。そう笑う近衛副隊長の目の前で三成の視線が移った。眼鏡を押し上げながら立ち上がった三成は魚住を一瞥する。
「東の国の方々ですか?」
「はい、本当は広間か謁見の間にお連れしようと思ってたんですけど」
「この中に海軍か、海に関係する役の方は?」
「へ? 肩書きですか? えっと、いないと思います。透さんは政務官で、怜さんは陸軍の方なので」
突然の問いかけに驚きつつも答えた近衛副隊長はふと首をかしげる。
「もしかしてこの異変は海に関係あるんですか?」
「いえ、まったく関係ありません」
幼さの残る顔をきょとんとさせる近衛副隊長に三成はあっさりと返す。その上で彼は机の隅に置いていた青い本を手にした。
「数日前、東の国近海の海図が欲しいと言われて探したんですが」
「隊長がそんなおねだりをしたんですか」
「もしかしてうちの海軍と軍事訓練をと考えておられたのでしょうか」
三成相手だと深く考えない近衛副隊長のそばで同じく軍人である怜が真面目な憶測を向ける。しかしその意見で三成の表情が緩むことはなかった。
「その予定があったとしても、近衛という役目上、海図を読む必要はありませんね。それでも学ぶ意欲があるとするのなら、それは私的な理由から生じるものでしょう」
三成の話を聞いた透はなるほどとうなりながら笑みをこぼした。
「確かに隊長さんは、魚住さんが海育ちで長らく船に乗っていた事を知っていたな。そうかそうか、魚住さんとの話題作りのためにわざわざ海図をなぁ」
いじらしいことだと微笑む透はその目を魚住へ向けた。
「夜ごと海図を開きながら時を過ごすというのも良い親睦の深め方だよ」
「しかしあの人はそれを忘れているんです。俺にこれを頼んだことも」
つかの間の穏やかさは、三成が本を机に置いた音とともにかき消えた。
「でも、隊長が三成さんの事でなにか忘れるなんて絶対ないですよ。王子様の事で忙しくても戦争の噂があっても、いつも三成さんを最優先にしてたし」
「そこはどうでいいです。俺は記憶の欠落について…」
「でもだって三成さんに冷たい時点で変じゃないですか。いつもお昼はここに来るのに、最近は来てないって聞きましたよ。いつもの隊長なら雪でも嵐でもお昼は三成さんのとこに走っていってるのに。軍の中でももう公認っていうか、みんな知ってることですよ」
「あなたは少し黙りなさい」
冷遇するなんてありえないと言葉を並べる近衛副隊長に三成は厳しい言葉を突き刺した。そうして相手を黙らせた三成は次なる刺客に眉を潜めることになる。
ふたりのやり取りを見ていた透は真剣な表情で腕を組むとなるほどとつぶやいた。
「つまりこの書記官さんは、隊長さんの前の恋人というわけだな。いやはや魚住さんも大変だな。他の兵士たちの様子から見ても、あの隊長さんはかなりモテているようだ」
「くだらない話題に花を咲かせるのなら出ていってくれますか」
恋のライバルが多いと嘆く透に三成は冷淡な視線を突き刺した。そうして透を黙らせた三成は嘆息を漏らすと最初に読んでいた本を手にする。
「二百年前、この国の西側で悪逆の限りを尽くしていた悪魔がいました。そして当時の南の魔女がその悪魔をランプに封じます。しかし南の魔女はその時に力のほとんどを失ってしまったそうです」
突然語り出した三成は語尾とともに本を近衛副隊長へ差し出した。
「もしかして隊長をおかしくさせているのは南の魔女ですか?」
「そうなりますね。しかし彼は、好き好んでそうしているわけではないようです」
「はい?」
「力を抑えることができず、あらゆる人間が好意を抱いてしまうそうです。先代の南の魔女はその結果争いに巻き込まれ命を落としてしまったそうですが」
「もしかして三成さん、その魔女と会ったことがあるとか」
「貿易商よりも書記官の方がランプの悪魔に詳しいのは当然のことですからね。それにあの人は既に南の魔女を守ると決めています」
そう断言した三成はちらりと魚住に目を向けた。
「閉ざされていた氷の扉が周囲の暖かさによって少しずつ開かれようとしていました。しかし南の魔女の力によって無理やり開かれようとしたため、再び閉ざされてしまったようです。記憶の欠落はそのために起きたのでしょう。そんな状態でも、魔女の力はあの人に歪んだ認識を与えてしまったようです」
「商人以外とは口をきかないってのは、そういうことか」
「ええ、あの人は南の魔女を守るべき相手だと認識しています。しかしもし認識に狂いがなかったとしても、あの人は誰も見捨てられない人です。昔から狼王子を救う事も魔女の子を守り育てる事もしてきました。そんな人ですから、捕らえることもその腕をつかむ事も容易ではないと思いますが」
「だろうな。けどそういうヤツだからこそ守ってやりたいんだ。あいつの元恋人に言うのもなんだけどな」
魚住の言葉に一度は表情を緩めかけた三成だが、語尾とともに顔をしかめる。そしてため息を漏らすと眼鏡をついと押し上げた。
「最後の一言は必要なかったですね」
二百年前に南の魔女が封じた悪魔がいたのはこの国の西にある荒れ地だと言われている。となればその悪魔はいずれ自分の居場所に気づいて命を奪いにくるだろう。だからこそその前に対策を練らなければならない。
そう彩兎が気落ちした様子で語ったのは二日前のことだった。それから二日をかけて様々な文献を開かせ調べた結果、魔法の力を強める宝石を見つける。
王都から少し西へ進んだ採掘場を訪れた近衛隊長は白い息を吐き出した。空は晴れているが気温は低く地面に積もった雪も溶ける様子がない。
「エメラルド結晶なんて今はなかなかないって聞くけどな」
「でもこの国はエメラルドの産地として知られてるね。数年前には巨大なエメラルド結晶が見つかったとも聞いたけど」
「そういうモンはすぐに城へ届けられるんだよ。それに今は荒れ地の向こうにある帝国の連中がエメラルドを買いあさってるからな。装飾品として持っていかれてるんだわ」
「そういう流行があるのは仕方ないね」
近衛隊長の話を聞きながら彩兎は土に汚れた緑色の石を拾う。小さなそのかけらは売り物にならないらしく小屋のそばにまとめて置かれていた。
「こういう小さな結晶はどうするのかな」
「細かいもので傷の少ないのは衣類なんかの装飾になるな。磨いたらまとめて仕立て屋に運ばれてドレスになる」
「ひとつの無駄もないみたいで安心したよ」
「けど、目的の結晶があったとして、おまえだけで倒せるか?」
「最悪の場合、白雪とシンデレラを巻き込んで物語をやり直してもらうという手もあるね」
「それは無理だな」
「誰かを巻き込むのは嫌いなんだね」
「まぁな」
そう言いながら近衛隊長は煙草の煙のようにゆっくりと白い息を吐き出す。
「きつい思いもしんどい事も俺にだけ押し付けりゃいいんだよ」
「ねぇ、君は……」
自分の支配下にあるよねと、確認しようとしたその言葉が途切れた。あれから彩兎は毎日のようにこの近衛隊長と口づけを交わして魔法を重ねがけしている。そして近衛隊長も術をかけてからは一度もこちらを疑う事をしていない。
しかしそれでもその言動は今まで支配したどんな人間とも違っていた。
城にいる誰にも目を向けず、王子たちよりも自分を大切にしてくれている。けれど支配する前はあったはずの笑顔は消え失せ、彩兎も見ていない。その異変は彩兎も予想していないものだった。
そうして思い悩む彩兎の元へ採掘場の管理人が木箱を持ってきてくれる。
「隊長さん、こいつはどうだい。ここにある中じゃ色も濃いしそこそこ良いと思うんだけどさ」
そう言いながら木箱の中身を見せてくれた管理人に近衛隊長は礼を告げる。
「悪かったな、忙しいだろうに…」
「へぇー、こういうとこだと意外と大きい結晶があるんだね」
礼を向ける近衛隊長の言葉をかき消す強さで脇から明るい声が飛んだ。近衛隊長が目を向けると金髪の若者が彩兎の肩に手をかけて木箱の中を眺めている。
「誰だテメェ」
「どうもー、西から来た付き人でっす」
軽い印象を与えるその男は愛想の良い笑顔を見せるが名前を言わない。あげく彩兎の肩を抱いたまま少し強引に近衛隊長から離れた。
「ところであんたこれが魔女だって知ってて一緒にいるの? だとしたら凄い度胸だね」
男は依然として明るい口調だが、不意にその瞳が紫色に変わった。
「魔女なんて人間からすれば怖い悪魔みたいなものなのにさ。それともこの性悪な南の魔女に意識を支配されちゃってるとか? だとしたら可哀想だけど」
「隊長さん逃げ…」
「魔女と一緒に死んでくれる?」
蒼白な顔色のまま男に捕らわれている彩兎がはじめて声をあげる。しかしその忠告は男の楽しげな声と爆発とに巻き込まれてかき消えた。