エメラルドの大魔法使いと失われた主人公と最後の物語 前編   作:とましの

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6話

 雪雲が去った頃には満月も沈み、東の空から陽がのぼっていた。城へ戻った第二王子は大きな尾を力なく垂らしながら血と土に汚れた顔で苦笑いを浮かべる。

「……というわけで、完全に力不足だったようだ」

 夜を徹して待ち続けた第一王子は第二王子の報告に顔をしかめ立ち上がった。

「南の魔女は?」

「傷の手当てを受けておるよ。だが彼は完全に被害者なのだから今はゆっくりと…」

「完全に被害者なのは僕の臣下と国民と採掘場だよ」

 第二王子の忠告に反論した第一王子は憤然と駆け出した。広間を飛び出すとまだ薄暗い回廊を駆け抜け軍の医務室へ向かう。

 軍の施設に入ると廊下にたたずむ近衛副隊長を見つけた。窓もなく暗い廊下に立つ彼は第一王子に呼ばれても視線を向けることをしない。

「こんなところで何をしてるんだい。扉の向こうに近衛隊長がいるの?」

「……そう、ですけど…悪魔のような輩がそばにいるのはどうかと思ったので…」

「悪魔のような? 誰かが君にそんなことを言ったのかい?」

「はい」

 意気消沈しているのか、近衛副隊長は暗い廊下で覇気のない声を漏らす。

「あの魔女が来なかったら、僕は森のすべてを氷漬けにしていたかもしれません。もしかしたら前に水鏡で見たように世界を壊していたかもしれない。でもあの人はそんなことはしないし、僕より賢くて皆さんのお役に立てると思います。僕よりずっと……」

 己を責める気持ちのまま言葉を漏らす近衛副隊長に第一王子は吐息を漏らした。

「長政」

 相手の名前を呼べば、近衛副隊長───長政は第一王子に初めて目を向けた。

「僕は君が幼い頃から知ってる。君は誰よりも優しく、人の尽くすことに美徳を感じているような子だった。だから季節外れの花を咲かせたり魚を池へ放流したり、不必要に魔法を使ってしまったこともあった。だけど僕たちは誰も君を疑ったことはないよ」

「でも」

「今は素直に聞けないと思うけど、それだけ覚えておきなよ。僕たちは誰も君を悪魔だなんて思わない」

 そう告げながらハンカチを取り出した第一王子はそれを長政へ差し出す。

「君も僕の近衛なんだからね」

「殿下……」

 ハンカチを受け取った長政はポロポロと涙をこぼし始めた。どれほど強大な力を持っていても長政はまだ十五歳でしかない。そのため今のように落ち込むあまり何もできなくなってしまうこともあるのだろう。

 そう思っても第一王子はそれ以上彼を慰める暇も言葉も持ち合わせていなかった。

「長政、南の魔女はどこだい?」

「…あ、はい。えっとあちらにいます。比較的軽傷なのと、自分で治せるみたいで……東の国の方が一緒にいます」

 長政の説明も早々に歩き出した第一王子は彼が指し示した部屋へ入る。

 静かなその部屋では東の国から来ていた政務官による尋問が行われていた。政務官は第一王子に挨拶をした時と同様の笑顔で南の魔女に話しかけている。

「なるほどな、この国に北の王の力とエメラルドの原石を求めてきたが手に入らなかったと。北の王の事はわからんが、原石は街の宝石商では扱わないのかもしれんな」

「それ以前に今は荒れ地の向こうの帝国がエメラルドを大量に買い求めているそうです。貴族の買い占めによる品薄と価格高騰は貿易商にとっては苦慮の種ですね」

 東の国の政務官である透の言葉に南の魔女は落ち着いた様子で返す。しかしふたりは第一王子に気づくとそれぞれ立ち上がった。

 そして透が笑顔で第一王子に席を勧めるが、第一王子はそれを断る。

「いやはやうちの国の者が騒がせてしまった済まなかった」

「その魔女が東の国から来たことは知ってるよ。だけど、僕の近衛隊長を惑わせて弟の妃たちにも好意を抱かせた結果がこれか」

 吐き捨てるように冷淡に、怒りの感情を押し込めて言い放つ。そんな第一王子の気持ちに気づいているのか南の魔女は微苦笑をこぼした。

「そう。いつでも僕は人を惑わせて人に疎まれるんだ。人によっては少し言葉を交わしただけで僕の魔法に惑わされてしまうからね。だけど南の魔女としての義務は果たしたいから、もう少し生きることを許してもらえると嬉しいよ」

 そう微笑んだ南の魔女は右手に巻かれた包帯を袖口に隠した。

「あの悪魔をもう一度封じることができたら、消えるつもりだから」

「君が消えたら近衛隊長はどうなるんだい。君を求めてここを去るなんてことにはならないよね?」

 遠回しに死ぬことを言っている南の魔女に第一王子は率直な疑念を向けた。すると南の魔女は大丈夫だと笑う。

「僕の母がそうだったように、死ねば魅了の魔法は消えるよ。死んでしまえば過去の人間として捨てられて忘れられる」

「そう、それなら……」

「それは困ります」

 大丈夫だと言おうとした第一王子の背後から戸惑ったような声が飛んだ。第一王子が振り向くと東の国から来ている兵士がタオルを手に立っている。

「困ります。彩兎さんがいなくなるなんて……」

「怜ちゃんは彼に魅了されているんだよ」

 困惑した様子の兵士に透が優しい言葉をかける。しかし兵士───怜は首を横に振って否定を示した。

「たとえ魅了されていたとしても構いません。孤児の俺にとって、街で俺の無事を心配してくれるのは彩兎さんだけなんです。だからいなくなるなんて言わないでください」

 懇願するように告げた怜はそのまま頭を下げる。しかし第一王子はそんな怜に同情することも哀れむこともしなかった。

「君の考えはここではどうでもいいことだよ。南の魔女は役目を全うして消えてもらう。そうしなければ近衛隊長は元に戻らないし、この城は混乱したままだ」

「それでも嫌です」

 頭を下げたままの怜はそれでも引き下がる事なく拒絶の言葉を口にする。そんな怜を見下ろしたまま第一王子はため息を漏らした。

「異国の兵士でしかない君の願いを聞く余地はないと言ってるんだよ」

「あの殿下……」

 開かれたままの入り口から会話が漏れていたのか、廊下にいた長政がやってきた。憔悴した様子の近衛副隊長は少し悩んだ様子ながらも怜を見る。

「少しいいですか」

「もしかして長政はこの兵士の肩を持つつもり?」

「いえ、あの」

 入り口に立ったまま視線をさ迷わせた長政は困った顔で廊下を見る。そのためそばに誰かがいるのかと第一王子は眉をひそめた。

「何をこそこそしてるんだい」

 顔をしかめて問いかけると入り口の向こうから末弟が顔を出した。

「すみません。話が聞こえてしまったので」

「どうして軍の施設に来たのかは聞かないけど、異論があるのなら聞くよ」

「ではまず、慶次と北の魔女は魅了されていないと報告しておきます」

 第四王子である真琴の報告に第一王子だけでなく怜も驚いた顔を見せる。そして南の魔女本人は、そんなことはありえないと首を振った。

「今まで僕に魅了されなかった人なんていなかったし、彼らは現に僕を信頼していたよ」

「真実の愛はあらゆる魔法に打ち勝つ力を持つと言われている。そしてふたりは既に真実の愛を手にしているから魅了されなかったのかもしれない」

「だとしたらなぜ彼らは僕なんかを信頼していたのかな」

「実はふたりは、こっちの長政の帰国にあわせて何かしようと考えていたんだ。そこでとても美味しいお茶を入れられる人が現れる。だったら美味しいお茶とお菓子で長政をねぎらってやろうと計画した。それだけの話なんだ。それに慶次は元々素直でまっすぐな人だから他人を疑うことをしない」

「だけど北の魔女は人を疑うタイプだよね。そのように僕は聞いたよ」

「初対面の人を相手にした時は、確かにそうなってしまう。だけどあなたと初めて会った時、北の魔女はひとりではなかったはずだ」

 真琴の言葉が信じられず否定しようとした南の魔女は再び返され眉をひそめた。

「あの時あの魔女は、僕が近衛隊長に声をかけたところに現れたね」

「近衛隊長がいなければ近づくことはなかった。その後も近衛隊長が海図を眺めたりと楽しげにしていなければそのまま終わっていた。だけど近衛隊長がおかしくなってしまったから、すべては自分のせいだと北の魔女は考えてしまっている」

 だから昼間も採掘場近くまでふたりを追っていった。そう告げる真琴に南の魔女は罪悪感に満ちた顔で視線を落とした。

「それは違うよ。すべては僕があの悪魔に狙われているせいで……」

「周囲の人間の不幸はすべて自分のせい。そう考えるのは魔女になる条件か何かか?」

 南の魔女の言葉を遮るように、真琴は珍しく強い口調で言い放った。あまりの言葉に南の魔女は反論も忘れて口を閉ざす。

「ランプの悪魔とやらは既に国内にいるんだろう。そしてその悪魔が近衛隊長を傷つけた。だとしたらあなたがどうしようと皆黙っていない。そして近衛隊長の弟はもっと黙ってないからな」

「……ねえ、慶次は今どこにいるの?」

 真琴の発言に不安を抱いた第一王子が問いかける。すると真琴は苦笑いをこぼしながら書庫だと答えた。

「書記官のところでいろいろ考えると言っていました」

「三成も大変だね。魔女だの悪魔だの、仕事と関係無い事で相談されて」

「その前にあの広い書庫から海図を探し出す作業に二日かけたと聞きました」

「海図なんてどうするの?」

「そこまではわかりませんが、おかしくなる前の近衛隊長に頼まれたそうです」

「……ふうん」

 つい先程、真琴の口から近衛隊長が南の魔女のところで海図を見ていた旨を聞いている。だとしたらその時になぜか海図が欲しくなったのだろう。

 相変わらず何を考えているのかわからない男だ。そう思いながらも第一王子の表情が和らぐ。そうして室内の空気が変わったところで真琴は再び南の魔女へ目を向けた。

「とりあえずあなたをここには置いておけないから、移動することになるけど良いか?」

「確かにそうだね。僕のようなのは隔離したほうがいいから」

「いや、城には大勢の客を宿泊させる場所がないんだ。だから使者の方々も公爵の邸宅を使ってもらうことになっていたんだが」

「でも僕は牢屋に入れるんだよね?」

「牢は宿泊施設ではないから居心地も悪いし、今の季節は冷えるから勧めない。それより動くのもつらいだろうが、これから公爵の屋敷へ送ろうと思う。ふたりも疲れているだろうがもう少し頑張ってくれると助かる」

 今度は自分が送るからと、真琴は笑顔で怜と透を見やった。その上で怜の肩をポンとたたく。

「もうひとりの使者はどこにいるんだ?」

「近衛隊長さんのところにいます。その…あの方は……」

「魚住さんは隊長さんの事が心配で離れがたく思っているのだよ」

 言いにくそうな怜に代わり、透がにこやかな顔で言う。

「森からの移動の合間も疲れているだろうに隊長さんを運ぶ役目を譲らなかったからな。今頃も心配なあまり手など握ってやっているのだろう。そんな魚住さんに移動をうながすのは、俺としては心苦しい事だがな」

 透の優しい意見を聞いた真琴はふとその目を兄へ向ける。

「近衛隊長が負傷したことが兵士たちに知られれば騒ぎになります」

「そうだね。……長政、近衛隊長の事を頼めるかい?」

 真琴の意見を酌んだように第一王子が視線を移した。しかし長政はいつものような柔らかな笑顔を見せない。

 そして第一王子はやはりそんな長政を救えるだけの言葉を持ち合わせていなかった。

 

 

 

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