八重樫流抜刀術――〝水月・漣〟
伏せた三人の頭上に回転しながら剣を振るう雫。全方位に対応したその斬撃は、確かにソレに激突した。
しかし――まるで鉱石を切りつけたような、硬い感触。キンッと金属音が鳴り、雫の腕は弾き返されそうになる。
(まず……い……ッ)
このままでは彼女の攻撃は防がれ、ハジメ達に襲いかかるナニカを止められない。
雫は咄嗟にもう片方の手で鞘を振るい、ナニカに向けて叩きつけた。
返ってくるのは重い手応え。聳え立つ岩のようであるが、ここで引くわけにはいかない。
彼女は歯を食いしばり、力を込めて思いっきり剣と鞘を押し込んだ。
「やあああ――――ぁぁぁぁあっ!!」
裂帛の気合とともに両腕を振り切る。
空中に在ったため不安定だったナニカは、弾丸のように壁に吹き飛んだ。
「皆、大丈夫!?」
じんじんと痺れる手を、しかしなんとか奮い立たせて剣を構えながら、雫は三人に向けて問う。
「大丈夫! だけど、あれは!?」
顔を上げながら応答するハジメ。ナニカが飛んで行った方向に視線をやると、雫の一撃を受けながらも無傷で健在なソレの姿が確認できた。
体調五メートル程の巨大な魔物。四本の長い足に巨大なハサミを持ち、八本の足をわしゃわしゃと動かしている。更に、二本ある尻尾の先端には鋭利な針がついていた。
何か知識にあるもので例えるとするならば、それはサソリだ。毒を持つ地上の危険生物。
彼らは一目見ただけで察した。これまで遭遇してきた中で最も強い力を持つ魔物だと。
「私の攻撃が通らなかった。もっと力を溜めていれば別だったかもしれないけれど、相当防御力が高いのは確かね」
冷や汗が垂れるのを自覚しながら、雫は三人に情報を伝えた。
雫の剣は、本来彼女が扱う武器である刀とは少々異なってはいるが、れっきとしたアーティファクトだ。その能力はそこらのものとは比べものにならない。
その剣を、咄嗟だったとはいえ、人類最高峰のステータスをした彼女が振るったのに歯が立たないというのは、想像を絶する脅威である。
それを聞いたハジメは、即座にドンナーを懐から取り出し発砲した。纏雷を用いて放たれた銃弾は、深層の魔物であろうとも大抵一撃で沈めるほどの破壊力を有する。
ドパンッという音を響かせながら最大威力の弾丸がサソリモドキの頭部に炸裂した。
しかし、結果は――
必殺の一撃を食らったはずの魔物は微動だにせず、沈黙したまま佇んでいる。
「――――ッ!?」
その光景を見た一同は息を呑んだ。
五十階層まで、例えどんな敵であろうと撃ち抜いてきたレールガンが通じなかったのだ。自らの攻撃を防がれた雫は半ば覚悟していたものの、それでも抑えきれないほどの衝撃がある。
そんな中で、ユエだけは一人、別の理由で驚愕していた。
ハジメの使用したドンナー。彼女が見たこともない武器は、閃光のような攻撃を生み出した。
そして魔法の気配がない。若干、右手に電撃を帯びてはいたが、それだって魔方陣や詠唱を使用しているわけではなかった。
つまり、ハジメが魔力を直接操作する術を持っているということに、ユエは気がついたのだ。
自分と
そんな場合ではないと分かっていながら、彼女はサソリモドキよりもハジメを意識せずにはいられなかった。
各々が愕然としていると、悠々とサソリモドキは尻尾の針のうち片方を雫に向けた。そして、尻尾の先が一瞬妙に肥大化し――次の瞬間凄まじい速度で針が打ち出される。
雫は咄嗟に躱そうとしたが、針が途中で破裂し、散弾のような状態になった。
「っ! 〝聖絶〟!」
ギリギリのタイミングで香織が障壁を展開。
針は聖絶に次々に突き刺さるが、突破まではいかず。防ぎきることができた。
障壁を砕こうとサソリモドキは再度針を放つが、香織の魔法を破ることはかなわない。
業を煮やしたのか、魔物は八本の足を猛然と動かし、聖絶に向かって突進した。四本の大バサミが突如伸張し、大砲のように迫ってくる。
ズドンと重い音がして、一瞬の膠着の後、ついにハサミは障壁を破壊した。
それを予見していたかのように、その場を離れる一同。ハジメはユエを背負って、香織と共に後退した。
雫は〝縮地〟を使い前進、剣を大上段に振りかぶる。
「〝絶断〟! はぁぁぁぁああああっ!!」
魔法で切れ味をあげ、勢いのままに唐竹割り。
先ほどとは違い、今度は確かにサソリモドキの皮膚を切り裂くことができた。しかし、頭部は硬く、少し食い込んだくらいでそれ以上刃が進まない。
鞘を上から叩きつけ、強引に斬ろうとしたのだが――
サソリモドキが、針を飛ばすのに使っていた方とは別の尻尾の照準を雫に合わせているのを、彼女は視界の端で捉えた。
脳裏に閃く嫌な予感。雫は前に重心の傾いた体を強引に動かし、後方に退避する。
次の瞬間、一瞬肥大化した尻尾の針から、紫色の液体が勢いよく噴射された。
液体は既に誰もいなくなった空間を通過し、下に落ちると、ジュワーと音を立てて瞬く間に床を溶かしていく。どうやら溶解液のようだ。
躱されたことを目視したサソリモドキは今度はもう片方の尻尾を使い、雫に向けて無数の針を発射しようとする。
「みんな、目を閉じてっ!」
突如部屋に響くハジメの声。脊髄反射で全員が目を瞑ると、ハジメはサソリモドキの目の前に何かを放り投げた。
ハサミを使って放物線を描いて飛んできたものを叩き落とそうとするサソリモドキ。しかし、それを実行に移す前に、眼前で強烈な閃光が。
「キィシャァァアア!!」
〝閃光手榴弾〟をモロに食らったサソリモドキは、悲鳴を上げ、思わず後ろに下がってしまう。
その隙をついて雫の避難が完了したのを確認した後、ハジメはもう一つ手榴弾を投げつけた。
コロコロと転がっていき、直径八センチ程の手榴弾がカッと爆ぜる。その手榴弾は爆発と同時に中から燃える黒い泥を撒き散らし、サソリモドキに付着した。
〝焼夷手榴弾〟は確かに効いたようで、サソリモドキは付着した炎を剥がそうと大暴れし、のたうち回る。
「〝縛煌鎖〟!」
香織がすかさず無数の光の鎖でサソリモドキを拘束した。
サソリモドキは身動きが取れなくなり、もがくことすらもできなくなった。絶叫しながらただ耐えるしかない魔物のもとに、いくつかの物体が投げ込まれていく。
三つの焼夷手榴弾である。
ほぼ同時にハジメが放ったそれらの手榴弾は、サソリモドキに炸裂した。
やったか!? ――思わずそう叫びたくなるのを、ハジメは必死に堪える。もし言ってしまうと絶対にサソリモドキは強くなって生還してしまうという、謎の確信があったからだ。
だが、そんな努力も無意味で。手榴弾の炎が消えると、ところどころが焦げたサソリモドキが、しかし命に関わりのある程の傷は負わずに存在していた。
あまりの耐久力。信じられない光景に、一同は絶句する。
「キィィィィィイイ!!」
手傷を負わされたことに起こったのか、サソリモドキは絶叫した。気圧されそうになるも、再び嫌な予感を感じ取った雫は、神経をとがらせ周囲を観察する。
そして、自分たちの周りの地面が不自然に波打ったことに気がついた。
「南雲く――――っ」
駄目だ。間に合わない。
直感的に悟った雫は、〝震脚〟を使って踏み込みの力を利用し、三人を突き飛ばす。
そして自らも縮地でその場から離れようとするも……。
「……っ!」
完全には避けきれず、地面から生えてきた棘に右足を貫かれてしまった。激痛が走り、堪えきれずに息を漏らす。
その場に倒れこむことは意地で阻止したものの、膝をつき動けなくなってしまった。
「雫ちゃんっ!」
香織は慌てて回復魔法を行使し、雫の足を治療する。
詠唱を可能な限り省略した〝焦天〟は完全に効果を発揮することは叶わなかったものの、動かせる程度には治癒された。
「固有、魔法……っ!」
恨めしげにハジメが呟く。
今の攻撃はサソリモドキの固有魔法によるものだ。その性質は錬成と近しく、地面を操るというもの。もっとも、ハジメのそれとは違い、充分な攻撃力を持っているようだが。
(光輝がいてくれたら……っ)
雫は為す術のない状況に歯噛みする。
根本的に火力が足りていない。雫の斬撃もハジメの近代兵器も、サソリモドキは耐え切ってしまった。
更に威力の高い攻撃もないことはないが、隙の大きいそれらの動作を素直にサソリモドキがさせてくれるとは思えない。
この場に残っているのがスピードファイターの自分でなく、破壊力のある攻撃手段をいくつも持つ光輝であれば、或いは既に討伐することができていたのかもしれない。
そう考えた雫は、直後自嘲する。どうやら自分は知らず知らずのうちに光輝に頼りきっていてしまったらしい。彼がいなくなった時のことを想定していなかったのだ。
自らの甘さを悔いながら、思考を巡らす。
そもそもこの魔物は一体何なのだろうか。
オルクス深層にいる魔物はどれも強敵だ。気の休まる相手などいたことはない。けれど、これまで遭遇してきたどれよりも、サソリモドキは強いのだ。それも圧倒的に。
雫はユエの封印部屋にやってきてから、常に〝気配感知〟を全開にしていた。しかしあの一瞬、サソリモドキが落下してくるまでその存在を捕捉することすらできなかった。
それはつまり、ユエが解放された後に出てきたということになる。ユエを外に出さないようにするための最後の仕掛けであるというのは、まず間違いないのだろうが……。
それにしても妙な点がある。
サソリモドキは、部屋に入る前に戦ったサイクロプスよりも遥かに強い。比較対象にならないくらいに。だが、よく考えてみると、それはおかしくないだろうか。
そもそも、ユエを解放されたくないのであれば、最初からサソリモドキを門番として起用しておけばよかったのだ。
圧倒的な強さを誇る魔物。たとえ扉の先が気になったとしても、これほどの存在が門番として居たならば、普通の探索者は引き返すはずだ。
それなのに、わざわざ解放後に出現するよう設定した。それも、解放された瞬間ではなく、ある程度の時間を置いた後。気が緩んだタイミングでの襲撃だ。
そこから感じられるのは……殺意? ユエに接触されるのを防ぐよりも、ユエを解放しようとする者を絶対に殺すことを重視している?
それは違う。それはおかしい。雫は己の思考を否定する。
そもそもユエを封印したのは彼女の叔父。彼はユエを守るために彼女を封じ込めたはず。
それなのに、それを救わんとする者を、そこまで全力で陥れようとするだろうか。
サソリモドキを使って彼が測ろうとしているのは、ユエを解放しようとする者の覚悟。絶対的な力を持つ魔物が相手でも、見捨てずに戦うかどうか。
そうか。そうだ。サソリモドキは見たところ熱に弱い。単純な物理攻撃よりも焼夷手榴弾の方が効果があった。だが、摂氏三千度の炎でも足りなかった。
であれば、必要なのはそれ以上の炎、〝最上級魔法〟だ。
それも、サソリモドキに攻められている時でも容易に発動できるくらいの腕がなければいけない。それは最早、魔力の直接操作が可能な者を指しているのと同義だ。
そんな芸当ができるのは、ほぼ間違いなくこの世界でユエただ一人。
しかし、ユエは封印されていたことにより弱っていて、とても魔法を使えるような状態ではない。そこから回復するためには……彼女は吸血鬼。ならば〝吸血〟をすればいい。
ユエが吸血をするような相手。言い換えれば、彼女がそんな行為を及ぶくらいには信頼している存在。
ユエが信頼できる者が解放しにやってきたならば、信じて託す。ユエが猜疑心を抱くような相手であれば……、エヒトルジュエに狙われており、神に逆らえるほどの強者の庇護がなければ外に出てはいけないユエ諸共、ここで始末する。
そういうことなのだろう。
ふぅ、と溜息をついてから、雫は口を開いた。
「ユエ、あれを倒す手段はある?」
「……! …………」
雫の問いを聞き、ユエは小さく反応する。
そして彼女は雫、香織、そしてハジメを順番に見つめた。ガラス玉のような赤色の瞳は少しだけ動揺するように揺れる。
数瞬の逡巡を経てから、彼女は目を閉じて。
もう一度目を開けてハジメを見て。
頷いた。
「ハジメ……信じて」
そう言ってユエはいきなりハジメに抱きついた。そして、なんの躊躇いもなく彼の首に手を回す。
「っ!? ユ……エ……?」
困惑したような声を漏らすハジメ。状況が状況なだけに動揺を隠せない彼に構わず、ユエはそのまま首筋に――キスをした。
「ッ!?」
否。キスではなく、噛み付いたのだ。
チクリとした痛みを感じ、更には体から力が抜けていくような違和感を覚えるハジメ。彼は咄嗟に振りほどこうとしたが、ユエが吸血鬼だということを思い出し、吸血されているのだと理解する。
〝信じて〟
――ああ、もちろん、信じるよ。
血を吸われるという行為に恐怖、嫌悪しても逃げないでくれ。そう訴えた彼女に、当然のごとくハジメは応える。
切羽詰まっているとはいえ、あまりに言葉足らずな彼女に苦笑しつつも、しがみつくユエの体を抱きしめて支える。
一瞬ビクンと震えるユエだが、どことなく嬉しそうな雰囲気を醸し出しながら、更にぎゅっと抱きついて首筋に顔を埋めた。
どうやらセクハラにはならなかったらしいと安心するハジメ。横にいる香織が発している威圧感というか殺気のようなものには気がつかないふりをしながら。
「キィシャァアアア!!」
サソリモドキの方向が轟き、再び地面が波打った。仕留めるため、もう一度固有魔法を発動したらしい。
地面から棘のようなものが生成されかかるが……。
「――この分野で負けるつもりはないよ」
地面に右手を置き、錬成を行うハジメ。自信を表すように口元にはいつもの苦笑いとは違う不敵な笑みが浮かんでいる。
見事に地面が波打つのをやめ、周囲の地形の支配権はハジメに移った。
「キィィイイイ!!」
固有魔法は効かないと悟ったのか、今度は無数の針と溶解液を飛ばしてくるサソリモドキ。なにやら自身にとって都合の悪いことが行われていると察しているのか、今までよりも威力は高い。
しかしそれは――
「〝聖絶〟」
香織の生み出した障壁によって、完全に防がれる。
攻撃手段が通じず焦ったのか、サソリモドキは叫びながら突進をしてきた。どうにかしてユエの吸血を妨げたいらしい。
四つのハサミをハジメとユエに向けて飛ばしてくる。
「……っ! ……ッ!?」
急造故の弊害か、それとも
――だがそれは、前にもあった展開だ。であれば彼女が対策していないはずがない。
「はぁぁぁぁ――――ぁぁああ!!」
一つ目のハサミは切り上げる形の抜刀術で。
二つ目のハサミは空中回し蹴りで。
三つ目のハサミは鞘による横薙ぎで。
四つ目のハサミは勢いを利用して斬り伏せる。
八重樫流刀術――〝登龍・改〟
滝を登る龍は水流に真っ二つにし、最後には天から地を見下す。
雫は完璧な流れで四連撃を繰り出し、ハサミを全て叩き落とした。彼女はゆったりと地面に着地し、残心する。
「……ごちそうさま」
サソリモドキの攻勢が止むと、ユエはそう言っておもむろに立ち上がった。どういうわけか先程までのやつれた感じは微塵もなく、艶々と張りのある白磁のような肌へと回復している。
表情はどこか熱に浮かされたように情熱的な雰囲気を醸し出していた。
そして、彼女は唇についた血を妖艶に舐め取り、手のひらを前に向ける。
同時に――
その華奢な肉体からは想像もできないくらいの莫大な魔力が噴き上がり、黄金の魔力光が暗闇を薙ぎ払った。
「〝蒼天〟」