軍務に定時上がりとは実質存在しないものだが、時々、夕方を知らせる柱時計の音ともに積まれていた書類を全て処理してしまう日もある。
そのような日は街へ出て日用品の買い物でもしようかと考えながら軍衣を脱いだ。多忙が続くとシャツやジャケットをリネンに出すことを失念してしまうため、恋人であるターニャ・デグレチャフには『見た目に反して』と軽い呆れ顔を浮かべながら言われてしまう。
私生活がズボラであることはある程度自覚しているが、実は、私はどうやら何かやらかしてしまったらしく、先日からターニャが一切口を聞いてくれない。
私と同じく多忙なターニャだ。ただでさえ会う機会も普通の恋人同士や軍人同士の恋人らと比べれば少ない。
それなのに、次に休暇が合う日に街へ出て一緒に冬服を拵えようと、あまつさえタイツを履いてもらおうと考えていたのに、自室どころか執務室にさえ顔を出してくれないのだ。
腕時計で時間を確認し、ターニャの執務室へ足を運んでみることにした。ドアをノックし返事を待たずして部屋へ入ると、副官の淹れてくれた珈琲に舌鼓を打っていたらしいターニャが私を視界に入れた途端に表情を歪ませた。副官は一礼をし部屋を出て行く。
「ターニャ、そろそろ機嫌を直してほしいのだが」
「……」
「お願いだ、いったい私が何をしたというんだ」
もうひとつ、気になっていることを上げるならば、廊下ですれ違う士官らの視線が明らかに異様であること。私とターニャの仲が少しずつ周知されていることは分かっているが、ターニャが口を聞いてくれなくなった日と同じくして本部の同期や下士官の私への対応が余所余所しいのだ。
本当に、いったい、なにが起こっているのか分からない。
ターニャに触れられないぶん、煙草の本数も増えてしまっている。
どうしたらいいのだ。
「酒の席です、貴方は覚えていらっしゃらないので仕方ありませんよ、しかしながら、何をどう言われても、ゼートゥーア閣下からのお願いであろうとも、わたしは絶対に薄手のタイツなど履きませんから」
閣下からのお願いとは、と考えていたところで、数日前のゼートゥーアとルーデルドルフ両准将閣下の酒の席に呼ばれた際、しこたま飲まされたことを思い出す。
あの時の記憶は一部が飛んでおり、その後、閣下へ会った際 、すまないな、と意図の掴めない謝罪をもらったのだ。まさか、まさか。
「私は、閣下に、君がタイツを履いてくれないことを言ったのか…?」
「本当に貴方は、見た目に反して残念すぎます…それに、わたしが過去に何本ストッキングを駄目にしたか分かっているでしょう!?」
そのまま溜め込んでいた怒りを吐き出すように事の経緯を話し始めたターニャによると、軍大学の図書館でゼートゥーア閣下に私との仲は順調かと問われ、そのままタイツの話になったと。図書館の閲覧用のデスクで、ターニャと閣下だけではなく、他の士官や学生がいる中で。それがあの異様な視線の正体か。なるほど、大問題だ。いや、それよりも。
「一般的には30デニール未満のものをストッキング、それ以上のものをタイツと呼ぶ。しかし糸の構造が違うからストッキングのように直ぐに破けたりはしないためサポート力もある」
ターニャが数少ない私服用にしているストッキングは履くたびに直ぐ駄目にしていることは知っている。だからこそ、タイツなのだ。
季節もそろそろ秋も深まり冬へと向かっている。黒いタイツで防寒しているものの、屈めば膝や太ももが布地から薄めに見えるのがとても良いと私は考えている。
「力説しないでください悲しくなりますから…一体、そんなこと何処でお調べになったのですか…」
「もちろん、ゼートゥーア閣下の受け売りだが?」
「結局は、あの人が一番の原因ではないですか!?」
それから数日後、陸軍内に知れ渡ってしまった私のタイツ案件により、薄手のタイツの魅力に気づいた同士官や彼女が大隊長として率いる203大隊の男性メンバーらが、恋人の切なる願いに応えてやらないのかと彼女を説得してくれたらしい。
ターニャは一日限定で薄手のタイツに私服のワンピースを着てくれたが、その代償として半年間、寝台どころか部屋にすら入れてもらえなかった。