(Living In The) Perfect World 作:忍者小僧
俺と彼女の出会いはロクでもなかった。
ある日の放課後、俺が学校の校庭のベンチでぼんやりしていると、唐突に女の子がタペストリーのような物を広げだした。
「おいおい、何やってんだよ」
俺がびっくりして尋ねると、女の子が言った。
「今から儀式をやるの。丁度いいわ。手伝いなさい」
「儀式?」
「そうよ。悪魔を呼び出すの」
「なんだよそりゃ」
俺はあきれ顔になった。
クラスには、占いだとか、タロットカードだとか、そんなんにはまってる女子はちらほらいる。
けれども、おまじないレベルだ。
こんな本格的なタペストリーを広げているのは見たことがない。
「どこで買ったんだ、これ。本物の綴れ織りじゃん」
「トルコ製よ」
「答えになってねぇ」
「デパートのセールでママに買ってもらったの」
「意外に普通だな」
そんな会話をしている間にも、せっせと準備は進む。
校庭の片隅にタペストリーを広げ、四つ隅に蝋燭を立てようとしている。
「ほら。そっち押さえて」
「へいへい」
かったるい声を出しつつ、手伝うことに。
理由は単純だ。
変なヤツだが、可愛かったからだ、顔が。
「ここ。ちゃんと押さえながら置かないと、倒れちゃうの」
「あ、あぁ……」
言われるままにタペストリーの端を手で伸ばして平らにすると、女の子がそこに蝋燭を固定した。
長い黒髪が、さらっと風に揺れて、俺の鼻孔をくすぐる。
俺はドキドキした。
「そ、それで。これをどうするんだ」
「準備ができたから、呪文の詠唱を始めるわ」
「呪文?」
「そうよ! これは、天から舞い降りてきた、私だけに赦されたスペル」
力強く言い放ち、独特のポーズを決める。
「漆黒の闇を切り裂きし堕天使よ、汝の力を解放したまえ。いでよ、リトルデーモン!」
堕天使なのかリトルデーモンなのかどっちだよ。
心の中で突っ込みを入れていると、女の子がポケットからライターを取り出した。
「聖なる炎!」
掛け声とともに着火。
手慣れた動作で、蝋燭に火をつけていく。
「お、怒られねーのか? 火を使っちゃダメだろ」
「大丈夫よ」
平然と蠟燭に点火すると、もう一度ポーズを決める。
「風よ、吹け!」
ごぉぉぉぉぉぉぉ!!
その時、本当に風が吹いた。
え、まじで?
俺は驚いて女の子を見つめる。
ヤツは、ドヤ顔でサムズアップ。
だが、直後、その表情は悲惨なものになった。
「あ、あぁぁぁ、風で蠟燭が!」
「大惨事じゃねーか!」
慌てて倒れた蝋燭を立てようとする。
が、熱い。
触れねぇ。
「あ、ヤバい。タペストリーから焦げ臭いにおいが!」
焦げてるじゃねーか!
「こらぁ! お前ら、そこで何をやってる!」
あたふたする俺たちの背中に、野太い声が投げかけられた。
振り向くと生活指導の谷口先生だった。
※
「火を使って遊ぶなと言っているだろ!」
生活指導室に呼び出された俺と女の子は、起立の状態で谷口に怒鳴られた。
「遊んでるんじゃないもん。ちゃんとした儀式だもん」
言わなくていい反論を女の子がするが。
「あぁん!?」
「ひぃっ!」
睨まれるとすぐに黙った。
弱いな、おい。
「とにかく。火は、取り扱いを一歩間違えば、命を失うことすらありうるんだ。以後、絶対に気をつけろ。子供の遊びに使っていいものじゃない」
「はい」
俺は頭を下げた。
こういうときは慇懃な態度を見せておくに限る。
しかし、女の子はまだふくれっ面をしている。
俺は彼女の頭を叩いて、無理やりお辞儀させた。
生活指導室を出て行く時、谷口先生が言った。
「儀式だか何だか知らんが。夢を見ておくのもたいがいにしておけよ。もう中学生だぞ。現実の社会をちゃんと見ろ」
※
「なによっ! あの言い草!」
廊下で女の子が叫ぶ。
俺はため息をついた。
「しょうがないだろ。実際、火を使ったら危ないんだから。ムカつくけど谷口が言ってることは正しいよ」
「そうじゃなくって!」
「なんだよ」
「遊びだとか、夢を見てるだとか。そこがムカつくの」
「あっそ」
俺はカバンの中を手探る。
「ま、俺はこれが見つかんなくてよかったよ。取り上げられたらえらいことだった」
アイポッドを取り出した。
「あ。学校に持って着たらダメなヤツ」
「あぁ」
「校則違反だ」
「お前に言われたくはないな」
「なに聞いてたの?」
「んー? これ」
止まっていたところから再生する。
古い洋楽のヒット曲。
兄貴からもらったのだ。
「あ。そうだ。この曲のタイトル、お前にぴったりじゃん」
「《悪魔を憐れむ歌》?」
「だってお前、堕天使を探してるんだろ?」
「私が堕天使なの!」
「知らんがな、そんな設定」
「設定言うな!」
ともあれ、ちょっと興味を覚えたみたいだ。
「私も聴いていい?」
「いいよ」
俺たちは、一つのアイポッドのイヤホンを分けて、放課後の廊下で音楽を聴く。
さっきと同じ、心地よい風が吹いた。
ひどく心地が良い瞬間だった。
「ふぅん」
曲が終わると、女の子がイヤホンを返してきた。
「どうだった?」
「よくわからないわ。洋楽のロックなんてふだん聞かないもの」
「今度、他のも聴かせてあげようか?」
「たとえば?」
「うーん。J・ガイルス・バンドの《堕ちた天使》とか? まんまなタイトルだし」
「なにそれ! 聴きたい!」
「今度貸してやるよ」
そう言って別れてから、名前を聞くのを忘れていたことに気がついた。
「しまった! 俺は馬鹿かよ」
俺は頭を掻いた。
しかし、彼女の名前は翌日、簡単に判明した。
結構有名人だったからだ。
「あぁ、儀式してるヤツね。津島善子だろ。通称ヨハネちゃん」
クラスの情報通に問いかけると、すぐに答えが返ってきた。
津島善子か。
結構普通な名前だな。
「ってか。ヨハネってなんだよ」
「なんか、自分でそう名乗ってんだよ。ヤバイよな。ヨハネって呼ばなきゃ怒るらしいぜ」
「マジで」
「俺の彼女が同じクラスだから。そう言ってた」
「え。お前、彼女いたの」
「去年からな」
俺は妙な負けた感を抱きつつ、言った。
「その津島さんって何組?」
「B組」
「へぇ」
「何だよ、お前、気になってんのか?」
「あぁ、いや……その」
「やめとけって。顔は可愛いけど、残念枠だ」
ひどい言い草に少し腹を立てながら、席に戻った。
するとちょうど授業開始のチャイムが鳴った。
また退屈な時間が始まる。
俺はノートを広げ、歴史の授業の板書をしながら、ぼんやりと昨日のことを考えていた。
荒唐無稽なバカバカしい儀式。
あんなことしたって無意味だ。
俺たちみたいな一般人が、堕天使になんかなれるわけがない。
だが、妙に楽しかった。
放課後になると、昨日と同じベンチに向かった。
もしかしたら、津島さんがまたやってくるかもしれないと思ったからだ。
だが、しばらくぼんやりとしていたが、彼女は現れなかった。
そりゃそうか。
昨日怒られたところだもんな。
同じことをやるわけがない。
俺は頭を掻いて、ベンチから立ち上がった。
無駄な時間をすごしてしまった。
帰ろうと思い、校庭を歩いていると、なにやら騒がしい一角が目に留まった。
校庭の隅の池の辺りだ。
なんだ?と思って目を凝らすと。
津島さんがいた。
昨日のタペストリーを抱えて、ずぶ濡れで教師ともめている。
……前言撤回だ。
津島さんは一度怒られた程度で懲りる人じゃないらしい。
俺は池のほうに向けて走り出した。
「なにやってんの」
「あっ。昨日の男の子」
俺がたどり着くと、津島さんの表情がぱぁっと明るくなった。
「友達か?」
こわもての教師が問いかけてくる。
「あ、えっと。まぁ」
俺は曖昧に答える。
すると一瞬、津島さんの表情が翳ったような気がした。
俺は勇気を出して言い直した。
「いえ、その。友達です」
教師がため息をついた。
「だったら、お前からも注意してやってくれ。唐突にこの敷物みたいなのを池に浮かべようとしたんだ」
「池に?」
俺が津島さんを見ると、彼女は力いっぱい頷いた。
「昨日は火の儀式で失敗したから、今日は水の儀式にチャレンジしたの」
悪びれもせずにそう言い放つ。
「それでずぶ濡れなわけ? 水に浮かべただけでどうしてそうなるんだよ」
「上に乗ろうと思ったからよ」
「おい」
水に浮かべたタペストリーに乗るって、忍者でも無理だろ。
「それで池に落ちたってわけか」
「まぁ、その。そういうことね……」
呆れ顔の俺と教師に、津島さんはドヤ顔でポーズを決める。
「でも、前は2秒も持たなかったのに、今日は3秒ほど沈まなかったわ。わが魔力は増幅している!」
※
そのあと、昨日と同じように生活指導室に連れて行かれ、またこってりと絞られた。
デジャヴ感のある雰囲気で、放課後の廊下を二人とぼとぼと歩く。
「ねぇ」
「なんだよ」
「どうして今日も一緒に怒られてくれたの?」
「どうしてって?」
「だって。昨日はともかく、今日はあなた、関係ないのに」
「まぁ、成り行きだよ」
俺は笑った。
「ちょっと、津島さんを応援したくなってね」
「あ。私の名前知ってるんだ」
「まぁね」
「もともと知ってたの?」
「いや。今日クラスメイトに訊いた。そいつの彼女が君と同じクラスなんだってさ」
「ふぅん……」
と、津島さんの表情が浮かないものに変わった。
「どうしたの」
「別に。ただのその。いろいろ聞いたのかなって」
「ヨハネとか?」
「笑うな!」
「笑ってないよ」
「絶対うそ」
「うそじゃない」
俺は津島さんをじっと見つめる。
「な、何?」
「いや。むしろ良いと思ったから」
「へ?」
津島さんが、間抜けなほどきょとんとした表情をした。
「俺もさ。なんとなく思うんだ。こう、自分以外の何者かになりたいとかさ、俺って本当はもっとすごいんじゃないかとか。だから、善子じゃなくてヨハネって、まぁその、わかるよ」
「お、おぉぉ……」
すごい目をキラキラさせた津島さんが、俺の手を取った。
「きょ、今日からあなたのことをわが第一の眷属とするわ! ええっと……」
俺は苦笑した。
そういえば、まだ名前さえ教えていなかった。
「祐二。笠井祐二だよ」
「なるほど。では。あなたには……そうね。地獄の番犬ケルベロスという真名を与えましょう!」
「どういう文脈でそんなあだ名になるんだよ! 普通に祐二って呼んでくれ」
「えぇ~?」
「頼むよ。女の子に下の名前で呼ばれるのとか、夢なんだ」
「しょ、しょうがないわね……えっと、その……ゆ、ゆ……」
津島さんが真っ赤になって「ゆ」を連発する。
なんかその様子が可愛い。
「ゆ、ゆ、ゆ、ユグドラシル!」
「違う!」
思わず突っ込みを入れる。
「ユークリッド係数!」
「それも違う!」
「ユージン・オーマンディ!」
「それ指揮者!」
結局その日、祐二君と呼んでもらえるまで30分かかってしまった。
※
以来、都合がつけば儀式に付き合うようになった。
クラスメイトにはときどき笑われたりからかわれたりするようになったが、特に気にならなかった。
もともと、そんなにたいして友達が多いほうでもない。
いまさら失うものがあるとは思えなかった。
そんなことよりも、津島さんと仲良くなれたことのほうが嬉しい。
今のこの、俺と津島さんの世界。
それが、完全な世界だと思えた。
あ、ちなみに、≪堕ちた天使≫の音源は結局、貸さなかった。
兄貴に聞いてみたら「やめとけ。あれはエッチな歌だぞ」と言われたからだ。
「例の曲、聴きたいんだけど」
という津島さんに、兄貴の言葉そのままに
「ごめん。エッチな歌だった」
と答えたら、顔を真っ赤にしてそれ以上ねだってこなかった。
可愛いやつめ。
ある日。
俺は前から津島さんに提案したかったことがあったので、それを言ってみた。
「あのさ。外で儀式してたら、すぐ先生とかに怒られちゃうでしょ」
「そうなのよね。なんとかならないものかしら。かといって家の中で一人でやってもつまらないし」
津島さんが、ため息をつく。
「そこでさ、ちょっとしたアイデアがあるんだけど」
「アイデア?」
「そう。パソコンを使って、動画配信したらどうかな?」
「動画配信?」
「兄貴の友達がさ。なんかそういうのやってて。こう、固定カメラ置いてさ、その前で儀式とかするんだよ。それだったら部屋の中でもできるし。いろんな人に見てもらえるから、予言とかを信者に伝えるような気分を味わえると思うよ」
「予言……信者……」
津島さんの表情が、見る見るうちに夢見る笑顔へと変わっていく。
きっと、自分が民衆に託言を告げる預言者になった像を想像しているのだろう。
「面白そう! やりましょう!」
がばっと体を乗り出して、津島さんが俺の手を握った。
「あ、あぁ」
暖かい。
津島さん、手の体温高いな。
俺はかなりドキドキした。
照れ隠しのように目をそらして、問いかける。
「そ、そのためには、まず環境を整えなきゃね。家にパソコンある?」
「親のお古のノートパソコンがあるわ」
「じゃ、大丈夫だね。それって、内蔵カメラついてるタイプかな?」
「えっと……ついてなかったかも」
「それじゃ、ウェブカメラだけ買いにいこっか」
「ええ!」
その日は休日だった。
俺たちは、沼津の繁華街の電気屋さんへ。
もしかして高かったらどうしようと思ったけれど、意外に安いウェブカメラは2000円ぐらいで売っていた。
これなら小遣いでも買える。
まぁ、今月は漫画とか買うの我慢するか。
「これなら大丈夫だね。言いだしっぺだし、俺もちょっと出資するよ……って、どっち向いてるのさ!」
津島さんは、在庫処分品のカートに並べられたへんてこなストラップに見入っていた。
「これ……素敵ね」
「どこがだよ」
それはやたらと顔色の悪い犬のストラップ。
「こう、呪われてそうな表情してるじゃない」
「まぁ、確かにね」
「決めたわ。これも一緒に買う!」
ウェブカメラと一緒に、気持ちの悪いストラップを店主に差し出す。
店主がストラップを見て、「やっと売れたかぁ」という表情をした。
なんで仕入れたんだよ。
店を出ると、津島さんが俺にストラップを手渡してきた。
「え。なに?」
「プレゼント」
「なんで?」
「だってあなたに、私の眷属になった証を何も与えていなかったもの」
俺は苦笑いしながらストラップを受け取った。
でもまぁ、嬉しかった。
気持ち悪いストラップでも、女の子からもらえるとこんなに嬉しいものだとは。
俺はどこかうきうきした気分で、意気揚々と歩く。
やがて、津島さんの家にたどり着いた。
「上がって?」
「え!? いいの?」
「そりゃそうでしょ。だって、教えてくれなきゃ、動画配信なんて上手くできないもの」
「あ、そっか。それじゃ、その。おじゃまします」
俺はかなり緊張しながら、彼女の家の敷居をまたいだ。
女の子の家に遊びに行くなんて、小学校の低学年以来だ。
「あら。お友達?」
「うひゃっ!」
即効でお母さんと遭遇。
俺は飛び上がった。
「ちょっと。驚きすぎ」
「あ、いや、その。ごめん」
津島さんにジト目で見られて、俺はあわてて頭を下げる。
「こ。こんにちわ」
「はい。こんにちわ」
お母さんも頭を下げた。
なんとも微妙な空気だ。
津島さんのお母さんは、スタイルがよくて綺麗な人だった。
津島さんも大人になったらこんな風になるんだろうか。
そう考えると少しドキッとした。
「えっと。仲良くしてあげてね」
お母さんが、俺にそう言った。
「あ、はい」
「もう。行くわよ」
津島さんが、催促するように俺に言った。
もう階段を半分上っている。
俺はあわてて後を追った。
※
「ノートパソコンをこのぐらいの位置において……」
自室で、動画配信の準備をする津島さんを横目で追いながら、俺はお母さんのことを考えていた。
さっきのあの、微妙な表情。
そこには、唐突にやってきた俺に対してではなく、津島さんに対する感情も混じっていたような気がした。
母親からしたら、魔術だ、堕天使だ、と言っている娘に対して、もしかしたら複雑な感情があるのかもしれない。
確かに……心配になる気持ちは……わかる。
『何者でもないぼくら』であることに、必死であがなおうとしてるところが、津島さんの魅力なんだけど。
俺は、そこに惹かれているんだけど。
だけど、もしかして、それを続けていることで、津島さんが不幸になっているとしたら?
俺は、津島さんに声をかけようとした。
けれども、なんと言っていいのか、わからなくなった。
「あの……」
「なぁに? 祐二くん」
ウェブカメラをノートパソコンに取り付けようとしている津島さんが振り向いた。
「あっ」
そのポーズだと、ちょうど突き出したお尻のスカートが、めくれ上がりそうになっていた。
み、見えそうだ。
俺は、頬を赤くして言った。
「そ、その。スカートが……」
「えっ!!」
津島さんがあわててお尻を抑える。
「み、見えた? 見えちゃったの?」
「見えてない、見えてないよ」
「ほんと? ほんとにほんとね?」
「本当だよ」
そのまま、俺が本当に言いたかったことはうやむやになってしまった。
※
その日、初めてのウェブ配信に挑戦したが、結果は散々だった。
特段何をするか決めずに始めてしまったせいだろう。
「え、えと、その」
カメラのスイッチを入れると、戸惑ったような雰囲気の津島さんが、しどろもどろ、つぶやく。
「あ、その。わ、私は……えと、だ、堕天使……ヨハネ、です」
「もっといつも通り、大胆不敵に!」
「っていわれても、無理~!」
そんなことを繰り返して、3度目ぐらいには、ようやくいつもの津島さんらしく、大見得を切ることができた。
「私は、魔に魅入られし天使。漆黒の堕天使、ヨハネ! さぁ一緒に堕天しましょ!」
しかし。
「えっと、このあと、なにをすればいいの?」
またもや、失敗である。
あわててカメラのスイッチを切る。
俺はため息をついて、言った。
「ごめん。何やるか決めとかなきゃダメだったね。コンテンツの構成をしなきゃ」
「そ、そうね」
「なんか、やりたいことある?」
「そうね……儀式の再現とか、占いとか?」
「あ、いいね。占いとか、本格的な雰囲気のをやると、人気出るかも」
「それじゃ、用意しましょ!」
津島さんが立ち上がった。
用意?
「鳥の羽が必要ね。拾いに行くわよ!」
落ちてるのを拾うんかい!
そんなこんなで試行錯誤を繰り返す。
一月ほど経つころには、ようやく多少アクセス数が増えてきた。
配信中のコメントとかもポツポツと増え始めている。
しかし、そのコメントの内容は……。
≪ヨハネたんペロペロ≫
≪今日も可愛い≫
≪厨二少女キター≫
なんか、想定してるのとは違うような。
「ふっふっふっ。とうとう大衆がこの堕天使ヨハネを認めだしたようね」
まぁ、津島さんが喜んでいるからいいか。
あ、そうだ。
「ねぇ」
「なぁに? 祐二くん」
「ツィッターも連動してやってみない?」
「ツィッター?」
「そう。日々の情報発信だよ。似たような趣味の人とつながりができるかもしれないし。ツィッター、やったことある?」
「ううん。ないわ」
「それじゃ、教えてあげるよ」
俺はドヤ顔になっていたのだと思う。
津島さんにいろいろと教えられることが嬉しかったのだ。
※
それからしばらく経って。
俺は唐突に、生活指導室に呼び出された。
最近は外で儀式とかしていないのに、いったいなんだろう。
そう思いながら、ドアを開ける。
するとそこには、谷口先生と。
津島さんの母親がいた。
「こんにちわ」
「えと……こんちわ」
俺が曖昧に頭を下げると、谷口先生が怒鳴りだした。
「こら! 大人に対してどういう態度だ!」
「先生、そんなに怒らないであげてください」
津島さんのお母さんが先生をたしなめる。
「それよりも、今日はちょっと、娘のことで話があるの」
「話……ですか」
いやな予感がした。
俺の頭の中で、初めて会ったときの、お母さんの表情が思い浮かんだ。
あの、どことなく翳った微妙な表情。
「ええ。話というのは、あなたが、うちの娘と最近、部屋でやっていることについてです」
やっぱり。
そうくると思った。
俺は舌打ちしそうになったが、必死でそれをこらえる。
「話し声が下の部屋まで漏れていました。儀式がどうとか、悪魔だとか、堕天使だとか……。学校でも、そういうことをたびたび言っているようですし」
後を受けるように、谷口先生が口を開く。
「最近は校内でおかしなことをしないようになったと思って安心していたんだがな。場所を変えただけか。がっかりしたよ」
俺は、返す言葉が出てこなかった。
先生が続けた。
「先生もな、若い頃はサブカルチャーに夢中になった。ジャズ喫茶に通いつめたし、マガジンだって読んでた。だから、子供の趣味を全否定するつもりはない。だがな、呪いだの悪魔だのといっているのは、少し違うだろ。気味が悪いし、宗教的だ。何か、変なものに影響を受けているんじゃないのか?」
変なものって何だよ。
どこからどこまでが健全なサブカルで、どこからが健全じゃないサブカルなんだよ。
俺は唇をかんだ。
「いいか。行き過ぎたサブカルはな、カルトになるんだ。そのうち、おかしな事件に巻き込まれたらどうなる? お前たちは子供だ。世間知らずなんだ」
まただ。
以前と同じ単語。
世間知らず。
「ね。教えて。部屋で何をやっているの? おかしなことにハマってない?」
「別に……。何も」
「何もってことはないだろう?」
谷口先生が、諭すように問いかけた。
「変なことをしてるわけじゃ、ないです」
俺は、淡々とつぶやいた。
「ただその。動画配信を、しているだけで」
「動画配信?」
「ええ。クラスにも、やってる奴たまにいます。面白いことして、録画とか中継とかして。ネットに流すんです。別に犯罪じゃないし、宗教的なことでもありません。津島さんは、ただ、その。天使とか、悪魔とか。そういう、かっこいい単語が好きなだけで」
俺の言葉に、谷口先生の表情が変わった。
彼は、ゆっくりと言った。
「かっこいい単語、か。少し安心したよ」
「え?」
「いや。少し、お前のことを誤解していた。本気でそういうのにハマっているのかと思ったんだ。かっこいい単語に酔っているだけだという自覚があるのなら、それでいい。思ったより、大人なようだ」
酔っているだけ……。
「なぁ。その、動画配信とかいうのは、お前が教えたんだな?」
「えぇ、まぁ……」
「そうか」
谷口先生は、目を閉じて頷いた。
そして、津島さんのお母さんのほうを向いて、言った。
「とりあえず、彼には、私のほうが釘を刺します。娘さんについては、後でじっくりとしたカウンセリングをしましょう」
カウンセリング?
妙な単語に驚いていると、谷口先生が俺に言った。
「頼む。しばらくでいい。津島善子とは、距離をとってくれ」
「え、いや、そんな……」
「どうか、お願いします……」
津島さんのお母さんが、深々と頭を下げた。
ぽたり、と、水滴が落ちた。
涙だった。
清潔そうなストッキングに、こぼれた涙が染みを作った。
俺は、どうすればいいのかわからなかった。
曖昧な表情をして、そして。
最終的に、頷いてしまった。
※
生活指導室を出ると、もう外は薄暗くなっていた。
宵闇と夕闇がほのかに混じる薄明の時間。
マジック・アワーだ。
いかにも津島さんが好みそうな時間帯だ。
そんなことを考えていたら、校門のそばにいた人影が手を上げたので驚いた。
「我が眷属よ、待ちわびた!」
「びっくりした……」
俺は胸をなでおろした。
人影は津島さんだった。
「ふふふ。堕天使ヨハネは神出鬼没なの」
「待っててくれたんだね」
「うん。まぁね。急に呼び出されてたからびっくりしたわ。どうしたの? 何か怒られるなら、私も一緒だと思ったのに。もしかして、祐二くん、一人でなんかやらかしたのかしら?」
にひひ、と、悪戯っぽく津島さんが笑う。
まだ、何も知らないんだな。
さっきまで、君の母親に会っていたんだよ、俺。
俺は、皮肉な、悲しい気持ちになった。
「まぁ、その。なんでもないよ」
俺はそう言って、すたすたと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよぉ」
俺の後ろを、チョコチョコと津島さんがついてくる。
そういえば、こうやって一緒に帰るのが当たり前になっていた。
「不思議な時間帯ね」
津島さんがどこか澄ました声で空を見上げる。
「夕焼け空が闇に飲み込まれていって、だんだん暗くなってくる。だけど、完全な闇というわけでもない。どこか蒼みがかったこの黒。魔法のひとつでも使えそう」
俺は、胸が震えそうになった。
ついさっき、俺が空を見て感じたことと同じだったからだ。
こんなにも、俺と津島さんの波動は、ぴったりと重なっている。
俺は泣きそうになった。
俺は、つぶやいた。
「マジック・アワーだよ」
「なに、それ」
「こういう時間帯を、そう呼ぶときがあるんだ」
「マジック……魔法……くふふ、ぴったりね」
いかにも嬉しそうに、津島さんがつぶやく。
俺は。
ぴたっと、足を止めた。
「どうしたの?」
津島さんが問いかける。
「もう、魔法の時間は終わりだ」
「へ?」
「終わり。マジック・アワーって、すごく短いんだ。それが終わっちゃったよ」
俺は、うつむいた。
もう涙がこぼれそうだったからだ。
それを隠したかった。
「明日から、もう一緒に帰らない。ごめん」
そう言って、駆け出した。
※
背中に投げかけられる津島さんの声を無視して、家に帰った。
薄明の時間は終わり、深い夜が訪れていた。
俺はベッドに寝転び、自分の行為を反芻した。
そして歯軋りした。
俺の選択は正しかったのか?
わからなかった。
ただ、津島さんの顔を見たとき、俺の脳裏に、彼女のお母さんの姿が浮かんだ。
お母さんのストッキングを濡らした、涙が浮かんだ。
その染みに含まれた、深い悲しみを想ってしまったのだ。
俺は、引き裂かれそうだった。
俺は、津島さんのことを大切に思っている。
たぶん彼女のことが好きだ。
でも、このままで良いとも思えない。
このまま、津島さんが大人になったら、彼女自身が困ってしまうような気がする。
谷口先生の言っていることは、腹が立つが、もっともな部分もある。
いくら見下されようが、俺たちが、世間知らずな子供であることも事実だ。
それに、津島さんのお母さん。
いろいろな誤解があるにせよ、娘のことを想っている、心配していることは事実なんだ。
あの涙が、それを証明している。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
俺は大声を張り上げた。
そんな大声を上げることは初めてだった。
もしかしたら、下の階で家族が驚いているかもしれない。
だが知ったことではなかった。
行き場のない怒りが、俺の体をぶっ壊しそうだった。
いや、壊れてしまった。
俺と津島さんの、小さな完璧な世界は。
あっけなく壊れてしまったのだ。
俺は窓を開けた。
冷たい風が、部屋の中に吹いた。
さて、いかがでしたでしょうか。
少しシビアな雰囲気で善子のことを考えてみたいと思って書いたら、ほろ苦い展開になってしまいました。
一応、もう少し続きは考えてはいるので、もしかしたら続きか、あるいは善子視点で何か書くかもしれません。