キタカミベイベー 作:SPAM
食堂は暖房が心地よく、艦娘達が溜まり場としてよく選んでいた。今は食事の時間ということもあって当然人の集まりは多いのだが、飯が終わったからといってすぐに居なくなることはない。休憩時間いっぱいをそこで過ごして、そして九州とは言え寒い外界へと仕事に出る。非番の輩は更に居残って駄弁りに夢中になる。
そんな立派な食堂の一角、窓際のちょっと特別視されている場所。そこに一組の男女、そして向かい合う一人の女性。こちらは夕張だ。いつもの制服の上に赤い色の薄いダウンジャケットを羽織っていて、外から伝わってくる寒さに備えているといった塩梅だ。その姿勢はピンと伸ばされているものの、少し俯いている。そこに、
「で、どうだね。大井の様子は」
黒の豪奢な軍服を着た男性が、食堂のテーブルを挟んで向かい合う彼女に問い掛けた。
軍服の肩章は少将の階級を表す彩りであり、彼はその階級に見合った地位をこの場で持っていた。
彼こそ、佐世保鎮守府の提督である。件のオプティミストな提督だ。
「はい……提督」
夕張の声は、傍目から見ると浮かない感じだ。
提督は、そこに一抹の不安を感じた。何かマズイことでも起きているのだろうか、と。
大井の教練開始から1週間が経ったということで、提督としてはそろそろ指導者・夕張の意見も聞きたい頃だった。毎日目を輝かせて、しかしボロボロの風体で報告に上がってくる大井の様子を見ていると、激しい教練が行われていることは窺い知れたことだった。そこに特に不安要素を感じることは無かった。しかし、この夕張の様子だ。何かがおかしい。夕張の表情は何やら固い。どういうことだと内心で提督は動揺していた。
大井・夕張のバディに期待されているのは、主力・あるいは主力候補となるだけの実力の養成である。それが難航しているというのだろうか。提督は思わず左隣に目を遣る。
そこに座ってお茶を啜っていたのは、薄い朱色の着物、黒の袴を穿いた可憐な女性だった。長い黒髪は高い位置で後ろに纏めており、他人を萎縮させない程度に清潔感を感じさせている。
彼女が提督の視線に気付き、微笑みを返した。
「提督、ご安心下さい。まだ1週間しか経っていないんですから」
「うん……そうだな、鳳翔。俺らしくなかったな……」
「あなたはそれが取り柄なんですから、しっかり」
「お前にはかなわんよ……舌も心もメロメロだからな……ではお茶を失礼して」
そこで落ち着かされた提督は、手元の湯呑みを持ち上げ、ぐいと中身を飲み干す。
「う熱ッ!」
「あらあら、淹れたてですよ……もう、慌てん坊さんなんですから、あなたは」
「はぁ、はぁ……すまん、おまえ……」
「ほら、落ち着いて息を吸って……」
長年連れ添った夫婦のようなやり取りだが、彼と彼女は出会ってそこまで月日が経っていない。1年未満どころか半年すら経っていない。それでここまで相性が良いのだから、これは運命的と言って良い組み合わせだった。遠目にそれを見つめる艦娘らは、またやってる、と微笑ましい表情だ。一方、夕張はその前で縮こまったままで、それも見ていた彼女らは、やりづらそうだなー、などと他人事である。
息を整えた提督は鳳翔に、すまん、と軽く頭を下げて謝罪し、彼女と目を合わせる。それに頷いて、
「まずは夕張さんのお話を聞こうじゃありませんか。それからですよ」
「……ああ、そうだな。―――――それでだ、夕張」
提督は再び夕張の方に向かい合う。どうやら夕張は机の下で手を遊ばせているようで、話をし難そうだ。だが、聞かねばならない、と果敢に提督は、
「大井の練度はいくつになった?」
「…………じゅうです」
声が小さい。聞き取れなかった提督は尚も続け、
「……すまん、聞こえなかった。……もう少し大きな声で頼む。どうせ食事時だ。誰も聞いちゃおらん」
「あなた、私は10と聞こえました。……これなら十二分な成果じゃありませんか」
「おまえ……うん、そうだな、10か……ふむ」
改艤装装備の条件には達している。さすがは夕張と言ったところか、と提督は伸びてきた顎髭を右手で擦りながら、満足げに溜息を吐いた。なので夕張を褒め称えるべく、彼は言葉を続けた。
「10なら既に目標達成だ。1週間でそうなら、加えて驚異的と言っていい。最高の仕事ぶりだ、よくやった。……それはともかく、確かに10なんだな?」
少し気遣いを見せつつ、やはり答えを要請する。何か口がモゴモゴして聞き取りづらかったのもあり、確かな数字ではない。10というのも、そう聞こえた、という鳳翔の一意見に過ぎない。
そして、夕張はようやく顔の強張りを取って、
「あの……50です……」
「ほう、50か――――――――んっ?」
「えっ」
提督、そして鳳翔の唖然とした顔を目の前にして、夕張は表情が固かった理由を明らかにした。
「ぷっ、く、ふふふ……あっはははははは!」
笑った。
馬鹿笑いだ。
つまり今までは笑いを堪えていたというわけである。
「あっはははははははは!なんですかあの子、意味わかんないんですけど!あはははははは!」
背もたれに肩を回し、随分とリラックスした様子に変わった夕張。その姿はバラエティ番組の笑い所で素直に大笑いする視聴者と変わらない。
その様に堪忍袋の緒が切れたのか、提督は椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、
「そりゃこっちの台詞だ!まるで意味がわからんぞ?!どういうことだ!何をやった夕張!その……数値詐称だったらもう少し控えめにやれ!流石にサバの読みすぎだ!」
「あなた、落ち着いて……」
「止めるな鳳翔……ええいこれが落ち着けるか!」
驚きと憤慨が混じった声色で夕張を問い詰め始める。その左袖を摘んで制しようとした鳳翔だが、特に効果は出ていない。そんな叱責一歩手前の状況でも夕張は馬鹿笑いを止めようとしない。加えて机を右の平手でバンバン叩きだす有様で、
「やだ提督、詐称なら笑える話じゃありませんよ、もー!」
「はぁ~!?」
「えぇ……?」
夕張のこの様子を見る限り、彼女自身に自覚がない嘘をついているか、それとも事実なのかである。
……提督は夕張に関して一定の信頼を置いていた。彼女の功績あってのものだ。そもそも、だからこそ大井に関する呉や上層部の要求に速やかに応えるために彼女を教導者として担当させたのだ。彼女がホラ吹きであったならそうはしない。そして、教え子の成長を見誤るような眼力をしていないことも重々承知のことだった。……つまり、提督は夕張の言を信じることにしたのである。
どうやら信じがたいことに大井は本当に練度50に達したらしい。
しかし、解せない。
前々から訓練内容は内々で取り決めてあった。それは練度10を最悪でも越えられるように作ったものであって、全て上首尾に運んだとしても50に達するほどのものではなかった。何故なら、そういう風には作っていない。
だから、提督の疑念は大井の練度が50に達したという事実ではなく、50へ達するに至る訓練内容とは何か、というところへと向かった。
だから彼はこう問い掛ける。
「何をやった?……ああ、いや、分かる。分かってるとも。――――――――お前が報告していない戦闘があったということは簡ッ単に推し量れる」
「……あ」
夕張がたちまち表情をこわばらせる。……普通、問いかけとしては十分予想されて然るべきものだ。
つまり、彼女自身これほどまでに浮かれていたということだ。上首尾な結果に皆で大笑いしてハイ、サヨナラとでも行けるつもりだったんだろう。そのつもりだったんだろうな、と提督は一度鼻を鳴らし、溜息の代わりとした。更には腕を組み、背もたれに背筋を押し付けて軽いストレッチだ。座ったままでの軽い背伸びを終わらせて落ち着くと、彼は続けて問い掛ける。
「まぁ参考までに聞いておこうか……どこに行って、何をやってきた?」
「えっと……そのぉ……EEZ(排他的経済水域)のギリギリを攻めつつ2人ではぐれ深海棲艦を撃滅、というか……」
「やりすぎだ」
「あー、あとソナーに反応があって爆雷落としたら、”本物の潜水艦”が浮かんで来たっけ……アレ、敵国の潜水艦でしたし、いいですよね?」
「本当にやりすぎだな!お前達はスツーカ大佐か!?んン!?……まぁ、いや、その、確かに国益に寄与することではあるんだがな……というか来てるんだな、潜水艦……うん……当然か……戦時下だしな……」
あーうー唸っている提督の左腕に、軽く鳳翔の腕が絡む。そして軽く揺すりながら、
「あなた、お茶をもう一杯淹れましょうか?ぬるめで」
「うん、頼む……」
提督が請うと、鳳翔は席を立って新しくお茶を用意しに行った。
……このカカア(予定)には頭が上がらないのが提督だった。
それはともかく、自身のオプティミズムも程々にしなければ、と自戒したくなっていた。だが、そんなことはどうでもいい。深海棲艦との戦争だけではなく、”人間同士の戦争”も目下続行中なのだから。
しかし、これはやりすぎだ。全くその通りだった。夕張もそれは承知の上だったろう。
彼女の言う”スペシャルコース”と言うのは、つまるところ超実践主義的な訓練だった。いや、それは最早普通の実戦と言ってもいい。それを1週間フルに使って、ストイックというか執拗に出撃を繰り返して行っていたということだろう。彼女達は軽巡洋艦だ。入渠時に消費する資源も軽微なものだ。無論塵が積もればなんとやら、で決して馬鹿にしていい量ではないのだが。
それはさておき。
……提督の内心では、この不始末というか、未報告の戦闘についてどうけじめを付けさせるかという考えを走らせている。だが、罰を与えようにも功が勝ちすぎていて、どうにもやりにくい。資源消費の記録を当たらせれば申請や予定と帳尻が合わないことはすぐに明らかとなるし、それを理由に咎めるのは簡単だった。浪費するな、と。ただし、これを浪費と断ずるには夕張の挙げた成果は大きすぎた。
なにせ練度50である。歴戦の艦娘と肩を並べられる程の練度である。最強の新兵の誕生は、夕張の施した訓練の賜物だった。それに、どれほど資源を消費したかに関わらず、わずか1週間で化物を作り上げたというのは掛け値なしの大功績である。つまり、資源量に糸目をつけなければ、夕張は1週間という短い期間で怪物を量産できるということだ。これに気付いた提督は目を見開き、そしてニヤリと細めた。他人が見れば悪巧みの前触れだが、彼をよく知る者に言わせれば、これは単純に”いいことがあったんだろう”で済む。
彼は、ついに口を開いた。
「もう一度聞く。何をやった?いや、聞き方がちょっと違うな……。練度50に至らせる腕前には感服させられた。次の新人もこの調子でやってもらいたいんだが……どうだ?」
彼の楽観主義は、物事を悪く捉えないこと、即ち”良かったところ”を探すことに長けていた。だから資源の過剰な使用も許容範囲と考えることが出来たし、それで生まれた結果に色眼鏡をつけることは無かった。それに、時間という資源をコレ以上無いくらいに節約したのだ。浪費の見返りにしては大いなる実りだ。
このように彼は楽観主義者であり、またそれとコンフリクトしない範囲での合理主義者だった。
よって返す言葉には夕張のやる気を感じたいところだったが、彼女を見ると胡乱な顔で、
「あー……いや、ちょっとそれは……」
「ん?」
「私自身訳の分からない手応えだったんですよ、その……だからもう一度やれって言われても……」
答えを曖昧に留めようとする。……いよいよ本当にワケが分からない。いやしかし待て、と提督は考えた。
彼女は過剰な訓練を大井に施した。それによって期待したものはなんだったのか?本当に夕張はそれで練度50を目指すつもりだったのか?いや、それはないだろう。彼女はこの事態に笑うことしかできなかったのだ。おそらくだが”いけるとこまで”という、基準を撤廃したものに違いない。そして”どうなってるの”は彼女こそ言いたい言葉だった。そうだ、夕張は大井にそんな要求はしていない。ならば、誰がこの結果を必要としたのか?
つまり、この事態の根本的原因は、夕張の独断による訓練の過剰化ではなく、
「……お前、本当は……逆に乗せられた側なんだな」
夕張はため息のあと苦笑いを沈んだ表情に変えて、
「……はい、まぁ、仰る通りで……」
「そうだったか……」
そう、大井がこの結果を望んだのだ。その結果、こんな奇跡が起きた。それで正解だ。ようやく合点がいく。
しかし、それでも実用を諦めたわけではない。夕張がこの手応えを覚えて、新しい訓練方法を見つけ出すことも可能かもしれない。なので提督は、
「理由は?」
それを問いかけた。すると夕張はすぐに笑顔を取り繕う。苦味の走ったそれだったが、彼女の快活さはよく読み取れるものだった。
「あの、呉の北上とすぐにでも組みたいか、って聞いたら上手いこと食い付いたので……」
なるほど、と提督は軽く頷いた。よくある話だ。”大井”と”北上”のことだ。特に、”大井”が”北上”に入れ込む例は全く稀でも何でもない。しかし、ここまでくると異常だった。何せ、北上と組むためなら命すら惜しまない所業をやってのけたのだから。
夕張への労り、哀れみを込めて溜息一つ。提督は、
「それでお前は訓練のカリキュラムを無視”させられ”、書類にない謎の戦果を挙げ”させられ”、戦争中とは言え水域侵犯の危険を背負わ”され”たわけか」
「まぁ、端的に言うとそうなりますね……」
「……これで大井が沈んでいたら呉に申し訳が立たんだろうが。そこらへんの手綱捌きも期待していたんだがなぁ」
「それについては、弁明のしようもありません……」
再び淀んだ表情になった夕張に、少し意地悪な言い方をしたな、と反省する提督。そして、居心地の悪さを感じたからか、自分の居場所たる隣の伴侶にの席に視線を遣る。
ただし、そこにはまだ鳳翔の姿はない。しかし彼女ならばこう言ってフォローするだろう。彼の楽観主義を肯定する彼女ならば、
「まぁ、結果オーライということでいいか。……本当に、そういうことに出来て良かったな」
「本当に、全くで……」
そういうフォローが来るだろうな、と少し落ち込みながら言う言葉は、夕張の苦笑いを深めさせた。
それはともかく、少しナーバスになりすぎていたか?と思った提督だが、このくらい落ち込めば反省した内に入るだろうと思い直し、彼は思考を明るいものに変えようとすぐに考え直した。楽観主義過ぎるのを戒めようと思っていたのにこれである。筋金入りのオプティミストだ。そこに合理主義を取り込めたのはよくやったほうだろう。……このように沈んでも浮き上がるのが早いのが彼の美点であり、また殊勝さを欠いているとも見られる欠点だった。
ともかく、呉と上層部の要求は果たされた。それで良しとしよう。問題は、
「ちょっと、このまま帰すのは惜しいなぁ……」
そんな、ノホホンとした彼に似合った悩みだった。