キタカミベイベー 作:SPAM
一方、そのころの大井はしばらくぶりの休暇日ということで惰眠を貪っていた。既に午後を回っている、というのにである。借宿でなんと図々しいことだと思われるのは必然だったろうが、彼女は鳴り物入りの新人だ。そのことが半端なやっかみの視線を遠ざけた。遠巻きにさせただけだと言えばそれまでだったが、彼女はこの上ないほど出世株の一人だった。寧ろ株としては既に育ちきっている感すらある有様だ。
「……あぁ……北上さぁん……」
しかしそんな彼女だが、寝ても覚めても頭の中が北上で一杯である。寝言へ漏れ出すあたり、彼女はもう手遅れと言ってもいい北上中毒者だった。あいにく、それを咎める人間は部屋の中には居なかった。大井が出張り過ぎて出来た暇の分だけ出撃に出ている。彼女もまた呉からの研修組の一人だった。
何しろ大井は本当に根こそぎやってしまっていた。しばらくは出撃の意味がないということで、大井の研修が始まると仕方なしに休みが降って湧いてきたのである。そして彼女のほうは仕上がったので休みに入り、対してもう一人の研修生はこれから休んだ分を取り返すためのシゴキに遭うこととなった。
「ああ……北上さんが一杯……どれが本物かな……」
どうやら夢の中で無数の北上に囲まれているらしい。それでどれが自分の北上かを探しているといったところだ。夢はしばらく続きそうな趣だった。なにしろそれだけ多くの北上に囲まれているらしい。
午後になっても延々眠り続けていた彼女だが、休息を得る権利は十分あったし、それに彼女自身そういう気分だった。なにしろ練度50へと至り、一山越えたのである。寧ろ一般的な艦娘からすればそれは大した一山だと言わざるを得ないが。ただし彼女は北上のためならばいくらでもストイックになれたから、それでも一山と言ってのけられるのだろうが。
「いや……ちがう……私の北上さんじゃない……ッは!」
背を丸めて布団に包まっていた彼女は、突如目を見開く。夢から覚めた。彼女の北上は現実の方にしか居ない。それに気がついたということだろう。そして、
「はーあー……呉に帰りたいなぁ……」
今の彼女は、その権利があった。訓練の内容は終えた。いやむしろ越えた。とっくに一線級の活躍も見せた。しかし、
「大井!起きてる!?」
乱暴なノック、それと焦りの滲んだ声。これは、
「……夕張さん?」
呼びかけに応えながら、大井は布団を剥いで素早く身を起こす。声の主、彼女の名前をなんとか覚えた大井は名を呼ぶことが出来た。そしてその応えを入室の許可と捉えた夕張は、ドアを乱暴に開け放ち、
「休みにごめん!でもちょっと司令部まで来て!」
大きく右手を振るモーションで大井を手招く。それに眠い目を擦りながら、
「……あの、休みなら司令部に行かなくても……ああ、司令部に行くくらい大変なことが……大変なことが?」
「寝ぼけてんじゃないわよ、大変なのよ!」
あーもう、と毒づく夕張を余所に、大井はまだまだ血圧が上がりきらない。血の巡りが本調子ではないのか、起こした体がゆらりと不安定に揺れている。船を漕いでいるようだ。
それに短気を起こした夕張は大井の寝床に駆け寄って引きずり出そうとする。
「早く着替えて!40秒!」
「ふぁーい……」
夕張の手を解くと、とりあえず先輩の言うことは聞こう、とそんな適当極まりないことを考え、寝間着を乱雑に脱ぎ捨てて制服に着替えていく。それを見守っている夕張の足先は忙しなく跳ねてまるでタップダンスのようだ。
しかし、ゆったりとした動きに反して、大井は確かに40秒程度で着替えを終わらせた。髪の繕いなどはともかく。
「着替えました……」
「よし、じゃ行くよ!」
「……え、うわあ」
靴を履いて爪先で床を叩いていたら、夕張は大井の手首を掴んで走り出した。いよいよこれは大変だ、とそろそろ目が覚めてきた大井は、夕張に問い掛ける。
「あの、これって何が起きてるんです……」
「とにかく大変なのよ!……ちょっと今言うとあなた話聞くどころじゃなくなるから後で!」
「えー?」
寮の入口のドアも乱暴に蹴り開けた夕張は、高くなってきた太陽の眩しさも構わずに司令部へと進んでいく。大井はやはり引っ張られていくばかりだった。
●
かくして、司令部の執務室の前に立つ。
佐世保の提督が詰めている鎮守府の中心に、2人は馳せ参じた。
一度深呼吸をして夕張が息を整えると、ドアを4度ノック。震える右手を汗が伝っていく。
「し、失礼します!」
「……ああ、うん。入ってくれ」
入室を促されて、夕張は勢い良くドアを開き、踏み込む。大井を伴って。
そして提督が就く立派なデスクの前に並んで立ち、ビシリと敬礼。
「夕張、大井、参りました!」
「ふぁ……おはようございます……」
夕張の敬礼とは比べるべくもないルーズな敬礼の大井。それを左目で見ていた夕張だが、それをこの場で咎める勇気は彼女にはなかった。上官の前でこれ以上の無作法をするのは余計に良くないと思ったのだ。
一方、そんなものを向けられた提督は至って平静だ。気にしている様子はない。寧ろ、少しそわそわしている。両肩が不規則に浮き上がっている。加えて両手は指をほぐしているように見えて、その実手遊びの真っ最中だ。彼は明確に浮かれていた。咳払いすると、
「……さて、呼んだのは他でもない。まずは夕張。先程も言ったが、よくやった。よくぞここまで大井を鍛え上げてくれた。上層部の連中もさぞやお喜びだろうと思う」
「は、恐縮です!」
先程賛辞の言葉を述べたが、今繰り返すのは大井も相手取っているからだ。加えて、これはある種の形式と言うべき意味があった。だから次に、
「大井。よく夕張の訓練をやり遂げた。賞賛に値する」
「へ……あ、いえ!北上さんのためですからぁ!」
訓練の目的を思い出した大井は眠気の漂っていた表情を消し去り、爛々とした笑顔になる。そして、提督は、
「それで、だ。こっちの方が前線に近いというのもあるし、お前には是非このまま正式に佐世保に転属してもらいたいんだが」
「へ?」
「待遇に関しては最高と言ってもらえるよう努力しよう。当然報酬も弾むし……ん?」
「……へ?」
「ああ、こうなると思ってたのよ……」
大井が、固まった。隣の夕張はこうなることを既に予期していたらしく、既に諦めの境地にある。両手で耳をふさいでこれから起きることに備えている。
提督はそれに”何が始まる?”といったところか、口を半開きにして呆然としているだけだ。
そして、
「なんですかそれはぁーーーーーー!」
「ぬおっ!?」
いきなり大声で怒りを表明すると、大井は瞬きほどの間に提督に近寄り、そして胸倉を掴み、
「呉に早く帰りたくて頑張ったんですよ!?それをなんですかそれはぁーーーー!」
「うお、お、落ち着け!おち、落ち着け大井!」
「……って、手が出たらダメでしょ!」
分速200回転程度で提督をぐわんぐわん揺する大井、されるがままの提督、そして実力行使には出ないと踏んで油断していた夕張。
夕張は大井を背中側から制しようと飛びつくも、
「言わなかったあなたも悪いんですぅ――――――――!」
「ぬあっ!?」
すぐさま身を翻してタックルを躱し、そして夕張の制服の襟を掴み、さらに豪快に揺すり始める。
「もー全員グルでやったんでしょー!?私を北上さんから引き離すためにぃ――――――――!」
「ご、ご、ご、ご、誤解だ、あ気分悪くなってきたうおぅ!」
「私もちょっと気分がむぐッ!」
あまりに高速な揺さぶりを受け、2人が吐き気を催してきたところ、ノックが4度鳴る。
他の来訪者だ。それを大井は耳ざとく聞きとがめ、
「……次に入ってくる人もグルなんですねぇ――――――――!?」
「お、ちょ、ま、誤解だ誤解……うぇッ」
「ダメです提督もうこの子見境ない、おえッ」
提督を椅子に叩きつけ、夕張は解放してその場に置き去りにし、大井は続いてドアからやってくる彼女の敵へと向かっていった。
そして入ってきたのは、
「提督?……お茶をお持ちしましたけれど―――――――」
左手に盆を持った鳳翔だ。濃く湯気の立った湯呑みが3つ載っている。提督、それと今回招かれた2人のために用意したものだった。
提督はこの話が短く済むとは思っていなかった。色よい返事が貰えれば段取りの話になり、そうでなければ熱烈に説得する気でいたのだ。ただし、大井がこのような蛮行に走るとは思っていなかったのである。
その意図を汲み取り、そしてそのどちらかで話が進むと思い込んでいた鳳翔は先の大井の絶叫を聞いていながら多少の心構えしか持っていなかった。だから当然反応は、
「へっ?」
こんなものである。呆けている鳳翔に向けて提督は机に這いつくばりながら叫ぶ。
「あ、鳳翔!避けろ!いいから!」
「あの、その、これは――――――――」
戸惑いを隠せない鳳翔は立ちすくむばかりで、そしてそこに大井が、
「あなたも敵ぃ―――――――!」
「……なるほど」
無辜の人間にまで襲いかからんとする大井を認めると、そこで鳳翔は状況を大まかに把握し、さっと目つきを変えて、
「――――――――大人しくしなさい」
「あぶっ!?」
湯呑みの載せたままの盆を、神速で持ち上げ大井の顎に叩きつけて迎撃。
そして、跳ね跳んだ3つの湯呑みは何故か狙いすましたかのように中身を大井の頭上へぶち撒け、
「あ゛づぅい!?」
当然、茶とは即ち湯である。そのあまりの熱さ、加えて先のお盆アタックによる脳震盪で大井は崩れ落ち、床上で転がりもんどり打つ。
それを見下ろしつつ、大井に打ち付けた盆を左の小脇に抱えると鳳翔は困った顔をして、
「ああ勿体無い……せっかく丁寧に淹れたのですけれど……」
「その割に全く躊躇無かったですね!?」
一瞬の反撃に目を奪われていた夕張はその言葉で正気を取り戻すと、提督の側で項垂れながら抗議、しかし鳳翔は妙に達観した表情で、
「後悔は後からするものです。それが小さくなるように日々努力しているだけで、結局は毎日後悔しているのですから。今日はこうして小さい後悔を取れたことに感謝して……そうして人は生きるのですよ」
「いいこと言ってますけどやったことは過激派ですよね!?ね、提督!?ね!?」
「いやぁ……シビれるなぁ……」
「……提督?」
振り向いて椅子に座る提督の方を見ると、やけにツヤツヤした、というか陶酔した顔色。先程まで吐き気に唸っていたとは思えない。それになんだか嫌な予感がするなぁ、と夕張が思っていると提督は直球で、
「あのなぁ、俺なあ、鳳翔に初めてビンタされたときちょっと顎の方から抉るようにやられたんだよなぁ、背が低いからなぁ。可愛いよなぁ。うん。それでなぁ頭が顎からクイってなって、クラってなっちゃって、ちょっと気持ちよくてな、うん、そこで更に惚れた……」
「照れてしまいますから……あの、お茶を淹れ直して来ます……」
「あのお二方なんでそこでエクストリーム入った惚気になるんですか!?」
鳳翔は床に転がる大井を放置して執務室を去り、それを夕張はわけがわからないとばかりに提督に詰め寄る。しかし、彼は鷹揚な雰囲気で右手を振り、
「こまけぇことはいいんだよ!……さて、呉と交渉に入ろうかなぁー」
「なんでここまで来て諦め悪いんですか!?無理ですよ!さっき私言いましたからね!?無理だって!」
「いや、これで大井がこっちに来れる条件はわかったじゃないか。―――――つまり北上ごと引き抜けばいいだろうが」
何を当然のことを、とばかりに開き直って言う提督。夕張は一瞬絶句すると、こぼれたように、
「……提督、呉がブチ切れますよソレ」
「うん、だろうなぁ。でもまぁ言うだけならタダだしちょっと電話してみようかなぁ」
「なんでそんなに思い切りはいいんですか!?」
そう言って夕張が制しようとしたときには、彼は呉鎮守府への短縮番号を執務机の電話に入力済みだった。そして回線が繋がった音がすると受話器を取って、
「もしもぉーし」
「え、嘘、始めちゃってる!?ちょっと待ってぇーーーー!」