『 ソフィーのアトリエ 』
ここは、北海道の片田舎。
辺りが自然に囲まれており、地元の人か、この場所に目的があって訪れた者かのどちらかでしか辿り着けないような場所に位置するそれは、ひっそりと構えられた、淡く木の温もりが感じられる店の看板である。
初めて訪れた者は、ここがどんな店なのか一目見ただけでは分からない。いや、ここが店だと気付かないで素通りする者も少なくないそこは。
しかし、一度入れば、どんな人物でもずっと通い続けたくなってしまうようなお店である。
さて。どのような店なのか。
丁度、この場所に訪れた一人の客である“彼”を中心に覗いてみよう。
◇◇◇
―薙切仙左衛門
見た目は完全に武闘派ヤクザの爺である。
一体、この場所に辿り着くまでに何をしていたのだろうか。白髪とも銀髪ともとれる、まだまだ現役の髪の毛の上には黄色く色づくイチョウの葉が一枚、寂しく揺れている。
そしてやはり特徴的なのは、その服装だろう。季節はすでに秋を迎えているというのに、着物一枚の一張羅という姿は、もはや人間を超えた何かであると言われても不思議ではない。
そんな“彼”が店のドアに手をかけ、扉を開けたと同時に目にしたものは、山積みにされた本たちと、その本に埋もれている木製のテーブルに椅子である。
そんな、店としては異様な見た目に臆することなく、“彼”は一言だけ言い放つ。
「店主は居らんのか」
その、店内の静けさと声の質で響いたのか、驚くほどに響き渡ったその声は、この店の店主の耳を刺激したようで、奥の扉から、少し慌てたような声で、はーい、少しだけ待ってて下さい!と、少女の可愛らしい声が返ってくる。
“彼”は、何処で待てば良いのか、再び大きな声を出して聞くと、扉の奥から再び同じ声で、埋もれてるテーブルの奥にカウンターがありますので、そこで席に座って待っていて下さい!と返ってきたのを確認すると、ここ、『ソフィーのアトリエ』の中を見渡した。
そんな中で、本に埋もれるテーブル以上に一際目立つものが、彼の目に飛び込んできた。
それは、大きな釜―――錬金術を嗜む人ならば知っているであろう。そう、あの、どう考えてもどんな所にだって売っていなさそうな、巨大な錬金用の釜である―――だ。
しかし、“彼”が、これが錬金釜だと思い至るのは到底無話だろう。
もし、聞かされたとしても、信じるのは到底不可能であろう。
何故なら。そう。
ここは、真理の解明を信仰する、科学至上主義を掲げた時代。言い換えれば、我々が住む、完全なリアルの世界。
ただ、全世界が少しだけ料理に熱中している、どこにでもある、神様のいない世界なのだから。
そんな世界の住人である“彼”は、店主に言われたとおり、本に埋もれているテーブルを迂回して、店の奥側に位置するカウンターの席に座ると、時間を図っていたかのように、カウンターの奥の扉から15歳程の店主が顔を覗かせた。
店主が“彼”を認識すると、“彼”の目の前―――普通の店であれば、厨房があるだろうその場所に、店主はいそいそと移動してきた。
そんな店主に、“彼”はこの場所ならではの、至極当然の質問をする。
すなわち、「ここは、料理店で間違いないだろうか」だ。どうやら“彼”は、この店が料理店であることを知って来たらしい。
そんな至極当然の質問に、店主である彼女は、実にあっけらかんと、「そうですよ」と答える。
そして同時に、“彼”のことを知らなかった場合、当たり前のように質問が返ってくる。これまた、“彼”相手だからこその質問ではあるが、きっと店主は、顔を少し青くしながら、怯えた声で質問するだろう。
すなわち、「ぼ、暴力団はご遠慮頂いているので、お引き取り下さいぃ…」
であろう。
しかし、この店主はどうだろう。
怯えるどころか楽しそうに。それはもう、まさにこの年頃の娘のような元気さで、こんな質問を返す。
「メニューを出すまでの時間で値段が変わりますので、どの程度お時間が頂けるか聞きたいのですが」
と。
“彼”は、あいわかった、と相づちを打ち、自慢の顎髭を撫でて考えること五秒間。
口をゆっくり開くと、“彼”は言った。
――お主が出せる最高の品を頂こう
そう言い放つ彼は、店主の質問に答えていないにも関わらず、もはや一周回って堂々としている。
しかし、そんな“彼”を見て、店主は笑顔で言い放つ。
「それでしたら、一週間ほど前に連絡をくれると作れますが…如何にします?一週間待ち続けますか?」
“彼”を知っている者からすれば、この店主の言葉に冷や汗がリットル単位で出てくる程のものだが、“彼”を知らない者で、かつ腕に覚えのある者ならば、そう答えられるのは当たり前である。
しかし、簡単に“彼”も引き下がる訳にはいかない。
わざわざ休日を使い、北海道の片田舎に来て店主の本気を見られないで終わるのは、労力にも、プライドにも見合わないものであろう。“彼”がどんな用で此処に訪れたのか、その真意は分からないが、少なくともそれ以上に、店主の実力を見てみたいというオーラが全身から漂ってくる。
そんな“彼”と店主が睨み合うこと数秒。
店主の、根っからのお人好しな性格が起因したのか、はたまた“彼”の睨みがただの恐怖でしかなかったのか。どちらかは分からないが、先に折れたのは店主で、彼女は仕方なく、といった感じで、「では一時間ほどお待ちください」と言い、“彼”の前に、どこから用意したのであろうか。いつの間にやらコップが出現し、なおかつ水がやはりいつの間にか入っていたソレを置くと、カウンターの奥の扉に、いそいそと入っていく。
その様子を見届けた“彼”は、渡された水を取り敢えず一口、と、無防備に、なんの心構えもなく、ソレを口に含んだ。いや、含んでしまった。
“彼”はその瞬間、体中の細胞一つ一つが皆総立ちし、一瞬にして快楽の頂点を突き破る感覚を覚えた。
なんなんだ、この水は!
こんなに美味い水、飲んだことがねぇ!
まるで爺だとはとても思えない“彼”らしくもない、ただ美味いという感想。普段ならば、料理コメンテーターも涙目のような感想を言いまくるのだが、今回は違ったようだ。
たかが水。されど水。
ここまで“彼”の舌を、喉を、胃を、脳を、そして、体全身を震え上がらせる程に美味しい水は―――いや、美味しい飲食類は、この世には存在しないと言ってもいいだろう。
その理由は、店主である彼女自身のもつ過去のせいなのだが…いまここでは言及しないでおこう。
こうして、至高の一品であるただの水を飲んだ“彼”は、その額にいつの間にかついていた大量の汗を拭こうと、着物の裾で拭おうとすると、無意識の内にしていたのだろうか。服がビリビリに破けてしまっているのを確認すると、“彼”は慣れた手つきで鞄の中を漁り、予備に持っていた着物を着るのだった。
“彼”は、この水の作り方や、これから出てくるであろう料理に想いを馳せつつ、鞄のポケットに念のために入れておいた“封筒”が役に立ったと、一人ニヤリと口角を上げた。
◇◇◇
“彼”が水と死闘を繰り広げて一時間。
不意に“彼”の鼻が、料理の匂いを捉えた。
――これは……甘い匂い…デザートか?
そう感じたのも束の間。
扉が急に開き、店主がお盆に何か皿を乗せて持ってくるのを見て、“彼”は否応なしにその料理に期待が膨らむのを感じた。
今はまだ閉じられている料理の皿。
しかし、その隙間から漏れる至高を思わせる甘い匂いと、皿から感じる途轍もない絶対的なオーラ。
この二つが“彼”のこれまでの料理人生の中で、空恐ろしいほどに最も輝いて見えたのだ。
それこそ、先の水然り、である。
“彼”は、これは想定以上だと、口から漏れそうになる唾液をその言葉と共に飲み込むと、恐る恐る、店主にその料理の名を聞いた。
「店主、その料理の名はなんと?」
店主は、手に持っていたお皿を“彼”の目の前に置き、皿を開けると同時に質問に答える。
「これは、エリクパイといいます。昔、パイ好きのお友達に作り方を教えてもらったんですよ?」
しかし、“彼”は店主の言葉の全てを聞き取ることができなかった。
――目の前にあるのは、なんなんだ。
“彼”の目の前にある料理――エリクパイ。
その見た目は、かぼちゃを用意し、上側の芯の部分をくり抜いて、そこに大きい緑色のアポロを刺したような見た目だ。
しかし、勿論、そのかぼちゃはかぼちゃではなく、緑色のアポロもアポロではない。
さらに言えば、かぼちゃはかぼちゃのようにゴツゴツしている訳でもザラザラしている訳でもなく、アポロもギザギザではなく、緑色の鮮やかに光るゼリーである。
決して、色と見ただけではパイには見えないが、パイといえばパイなのだ。決して、謎野菜などでは無いのである。
そんな見た目ではあるものの、それから溢れ出るオーラが食欲を悪魔のように誘う。
“彼”も、その悪魔に負けてしまった一人のようで、では、一口。と言って、早速用意された料理に用意されたフォークで手を付ける。
最初にパイを一口分切り取ろうとフォークを入れると、まず驚かされることは、切り取った所から黄色いハニーシロップが漏れ出してくる所だ。
未だにパイやゼリーの正体は掴めないものの、ここに来て見た目から分かりやすい物があったのには安堵が隠せないが、先程の水のこともある。
“彼”は体に一度喝を入れ、次こそは呆然とせずに料理を味わってみせると心に決めると、一口分に切ったパイに漏れ落ちたハニーシロップを絡めてそのまま一思いに食べた――――
そして、気がつくと目の前の皿から料理がなくなっていた。
――なに?料理が無くなった…。そんな筈は無い。何処だ、どこにあ……る…?
“彼”の思考は一瞬停止しかけたものの、その心の中の叫びは、まさに彼の心の奥…胃からその答えは返ってくる。
一度息を吐けば、感じる至高の甘い匂い。
匂いを嗅げば思い出す、舌で感じた至福の味わい。
味を確かめれば思い出す、この料理の完成された食感の黄金比。
脳が。胃が。体が。心が。
その全てが、料理を食べたことで踊り狂う。
あゝ、必殺料理とは、正しくこのことを言うのだろうか。
“彼”は、至高の水を飲み込み、一万円札と例の封筒をカウンターに置いて、店を後にした。
◇◇◇
この話は、後に世界中の人々から『料理の錬金術士』と呼ばれるようになる、この店の店主―― Sophie Neuenmuller(ソフィー・ノイエンミュラー )が、遠月茶寮料理學園の92期生として入学する前の、ちょっとした前日譚である。
多分続かない←
今回出てきた料理
・おいしい水
その名の通り、只のおいしい水。しかし、この水は錬金術士として大成したソフィーによって採取され、品質、特性共に最高の一品となったもの。正しくこれは、一つの至高の料理というべきものである。違うか。違うね。
・エリクパイ
ロロナのアトリエで登場。
エリキシル剤×2、小麦粉×2、水×1でぐるぐるーっとすると出来る。
効果として、おいしく回復・超が発現する。
死神に鎌で攻撃されても、獣にぐわっと噛みつかれても、これを食べれば一瞬で体力が回復する。
因みに、特性等は食戟のソーマに合わせて、全て美味しさに還元される模様。
破壊力大とか、半分クリティカルとか、三重苦とかどうなるんかね。