エロエロンナ物語 -港湾都市編-   作:ないしのかみ

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リオンを纏めました。やや、加筆してあります。
改めて見るとかなりの長編ですね(約53,500字)。当初、何故、自分はこいつを前中後の三部作で書けると思ってたんだろう。

白の宰相が最初に登場する作品です。
この『リオン』に…出す予定無かったのに(笑)。

多少、加筆しました。2018/6/8日。


風紗館のリオン

風紗館のリオン

 

 港湾都市エロエロンナ。

 グラン王国、エロエロンナ伯爵家の領地である。

 西方有数の大河、ポワン河の河口に位置しており、交易都市としても工房都市としても知られている。

 

「こりゃ、まぁ……」

 

 異種族が多い。亜人はともかく、忌み嫌われる魔族まで平然と闊歩している。

 混沌の街、と渾名を付けられているのも宜なるかな、な光景である。

 

「買い物篭下げたダークエルフが歩いてやがる」

「あれ、ラミアか。初めて見た」

「サッキュバスが、いかがわしい店の呼び込みしてるぞ」

 

 肌も露わな淫魔風のきわどい格好でチラシを配りながら、「サービスしますよぉ」と朗らかに笑う美女達。娼館の宣伝部隊だ。

 客船が到着する度に、こうして船客を店舗へ誘う為の呼び込みである。

 

「取り締まらなくて良いのかよ」

「あれ、公娼だ。つまり、立派な地方公務員」

 

 そう。領主公認の娼婦なのである。サッキュバスを野放しにしておくより、役所で一括して管理する方が安全と判断しているのだろう。

 逆に言えば、サッキュバスの私娼は禁止されている。

 淫魔としても生活の場も提供されるし、日々の糧(この場合は精液)も安定供給されるから文句はない。真面目に働けば、歩合であるが給料だって出る。

 闇に隠れ、正体を隠しながら獲物を狙う背徳的なイメージは何処にも無く、開けっぴろげにお客を誘っている。

 かと思えば、大きな身体を揺らして多数の脚をかちゃかちゃ鳴らして移動する、異形の女達が楽しそうに会話しながら通り過ぎる。

 

「アラクネー(蜘蛛女)だ」

「残念。鋏を持ってるだろ。ありゃ、ヤシクネー(椰子蟹女)だな。

 しかも、あっちは警備隊員みたいだぜ」

 

 なるほど、良く見ると軍服っぽい服装で、背にはフォーク(二股短槍)を背負っている。

 前椀部の大きな鋏が凶悪そうなので要らないようにも思えるが、犯罪者を取り押さえる道具として活用しているらしい。正式には東方の武器で『さすまた』と称するのであるが、西方では余り知名度は無い。

 

「で、他人の睦言を聞かなきゃならない理由は、何?」

 

 話題となっているヤシクネー達の一団で、大きな体躯でワイルドそうな女がうんざりした顔をして問う。

 

「ああ、これからが本題なんだって」

 

 問われた方、こちらはやや小型だが、下半身のヤシガニ体が大きいのでヒト族に比べればかなり横幅が大きい。名をケイと言うが、問うた方のエクシーは本当の名前を知らない。

 

「リオンがね、困ってるんだって」

「リオン? 確かお前の恋人だろ。お前が相談に乗って解決しろよ」

「そうも行かないから困ってるんじゃん」

 

 ケイはエクシーにふくれっ面を見せた。

 警備隊の仕事も忙しいのに余計な相談事は御免だとばかりに、エクシーは足早になる。それに負けず、脚の動きを早めて追随するケイ。

 石畳に殻に覆われた硬質の脚が、二人分、かっかっかっと乾いた音を立てる。

 

「リオンってあれだろ。『風紗館』(ふうしゃかん)で娼婦してるサッキュバス」

「うん。でも、もうすぐ年季が明けるから、娼婦は廃業するんだ。

 でリオンの常連客が、それについて文句言っててね」

「痴情のもつれかよ」

 

 良くある話である。引退する娼婦につきまとうストーカー行為か何かか。

 

「で、その常連客。ブルースって人なんだけど、あたしを認めてくれないんだ。

 リオンの恋人は俺だけだって言って、攻撃的だから怖いの」

「のしちめえよ。並みの男なんかはお前、こてんぱんにやっつけられるだろ?」

 

 ケイだって伊達に警備隊に籍を置いてはいない。腕っ節はそこそこ有る。

 しかし、彼女は「暴力的だよ」と顔を伏せる。「それ姉妹とか、親とかに散々やられてるから、あたしの好みじゃ無い」と続ける。

 そんな家庭環境で育ったせいか、エクシー流の取りあえず殴る方式は好かないらしい。

 

「リオンの方はどう思ってるんだよ?」

「それはね……。あっ、到着」

 

 角を曲がると、埠頭の直ぐ脇に警備隊の詰め所がある。木造二階建ての素っ気ない建物だ。

 二人は入口前の仲間に敬礼すると、中で控えている小隊長に警邏報告を済ませる。

 

「喧嘩一件。それ以外は異常なしです」

「ご苦労。ゆっくり休んでくれ」

 

 妖精族(エルフ)の小隊長の労いの言葉を受けつつ、ヤシクネー二人は休憩室に引っ込んだ。

 室内に入ってややあってから、再びケイは口を開く。

 

「……リオンはブルースも好きらしいよ」

「ほぉ」

「女としてね。でも、あたしを男として好きなの」

 

 サッキュバスは両性具有種、いわゆるふたなりである。男性から糧である精を搾り取り、下半身を変化させて女性へ精を注ぎ込む習性を持っている。

 故に恋愛対象は男女問わずなのである。しかし、その特質を認められない者も多い。

 

「恋人としてお前を認めたくない……か。単性である普通の種族は特にその傾向が強いのかもな」

「そうなの。でも、あたしはブルースがリオンの恋人だとしてもシェア出来るよ」

「共有の恋人って考えよりも、美しい淫魔を独占したいとの気持ちの方が先に出ちまうんだろうな。まぁ、独占欲の問題だから、あたしにゃどうにも出来ないね」

 

 エクシーはこれで話を打ち切りたかった。

 だって『気に入らなけりゃ、腕っぷしで解決しな』以外にアドバイスが無いからだ。それ以上は頭が回らない。と言うか、難しい事は考えたくないからである。

 警備隊に入ったのだって、姉妹達は商会に入ったり、工場で働いたりしているが、腕っぷしが取り柄のエクシーがなれる職業にぴったりだったからである。

 冒険者(クエスター)と言う道や、海兵(マリーン)も考えたが、どっちも結構、ややこしい感じがして辞退したのだ。

 迷宮探検に必要な地図作成や、航海に必須の三角測量とかやりたくいないのである。

 もっとも、警備隊にだって、報告書作成というややこしい仕事が待っているのが後に判明したが、何とかこれはこなしている。

 

「そんなー」

「まず、リオンと話してみるのが先決じゃ無いのかい?」

 

 取りあえず、至極まっとうな事を話して黙らせる。

 

「じゃ、じゃあ、エクシーも付いてきてくれる?」

「は?」

 

 そんなの自分で何とかしろよ。と思うが、ケイの「でもでも、だって」攻撃にうんざりして、一時間後に了承してしまう。

 面倒臭かったが、仕方が無い。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 華やかな歓楽街の一角に『風紗館』はあった。

 位置的には裏通りに面するが、まごう事なき一等地である。出窓の多い、凝った三階建ての大きな建物はピンク色の桃石をふんだんに使っており、窓と言う窓には高級建材のガラスも惜しげもなく填まっている。

 

「いつも思うけど、宮殿みたいだな」

「実際、中原の離宮がモデルらしいよ」

 

 時間は夕方。午後6時を回る頃である。エクシーとケイはリオンの職場である娼館へとやって来ていた。娼館自体は昼間から開いているが、やはり本格的な商売は夕刻からだ。

 時刻的にそろそろ本格営業を開始する時間帯であった。

 

「見回り、お疲れ様です」

 

 娼館のガードマンが挨拶してくる。エクシーは苦笑して「あ、いや、今回は非番なんだ」と説明する。制服を着替えるべきだったなと後悔するが、仕方が無い。

 ここは公娼宿であるので、警備隊の巡回経路に含まれている。だから、ある意味、ここの従業員達とも顔馴染みであった。

 まぁ、ケイはそのせいでリオンと親しくなったような物である。

 

「あら、リオンに用?」

「うん。館長さん」

 

 正面カウンターで優雅に一服する娼館長に答えるケイ。

 東方風の着物を着た色っぽい女性だが、公娼館だけあって彼女も実はエクシーらと同業。つまり、お役人である。

 館長は長い煙管をコンと叩いて、灰皿へ落とすと「今は紫紺の間だわね」と位置を告げてくれる。「ありがとう」と返事をして階段を昇るケイ。

 

「リオン」

 

 紫紺の間は二階にある一室だ。高級そうな調度品に囲まれており、本当に宮殿みたいな作りになっている。エクシーはいつも思うのだが、ここに通える奴はお大尽じゃ無いと務まらないだろう。

 

「ケイ……。今日もブルースが来るのに」

 

 リオンは天蓋付きの寝台に腰掛けている。

 長い黒髪と同じく漆黒の瞳がエキゾチックである。ほとんど裸に近いボンテージ風の装いをしており、押さえていても淫魔らしい色気が醸し出されている。

 

「まだ時間あるでしょ。今日こそはあたし達の関係を分かって貰いたいと思って……」

「説明はしたのよ」

 

 ケイの発言を遮るリオン。

 

「でも理解出来ないんだって。

 俺と付き合う事を拒絶しないのに、何故、二股をかけるのかって。しかも女を」

 

 要はブルースという男は、リオンの愛を独占したいのだ。

 だから、ケイと恋人関係として付き合ってるのが我慢出来ないのだ。

 

「要は馬鹿なんだよ。サッキュバスの特性も理解しねえ奴だし」

「あ、こっちはあたしの同僚の……」

「エクシーさんですね。ケイからお話はかねがね伺ってますわ」

 

 リオンは寝台の上で姿勢を正すと、三つ指を突いてお辞儀する。

 それを見てエクシーは、おやと意外な顔をした。

 

「東方の出身かい?」

「……ええ、判りますか」

「アカドー師匠。あたしの武術の師が東方出の侍でね。さっきのを見て思い出したのさ。

 ここ出身の淫魔じゃ無いのは珍しいな」

 

 公娼館に勤めるサッキュバスの大半は、この港町に生まれた地元民である。身元確認が困難な、他の土地から来た淫魔は珍しいのである。

 

「数年前に流れてきました。この土地はサッキュバスも領民になれると聞きまして……」

「法に従ってればね。でも、誓いは立てるのは珍しいと思ったんだけど」

 

 大多数の土地ではサッキュバスには人権が認められていない。

 人間を襲う、危険な魔族として恐れられ、見つけ次第殺しても罪にはならず、反対に報奨金すら出るケースが多いのだ。

 しかし、この街では過去でのいきさつからサッキュバスを保護する政策が採られている。

 但し、領民となるには条件があり、法に従う事が義務づけられた上、忠誠の証として誓いを立てなければならない。

 誓いと称しているが、要は【呪い】(ギアス)である。サッキュバスの吸精能力を押さえる為に呪詛をかけて抑制するのだ。これは血統に対してであり、子々孫々まで受け継がれる強力な呪いなのだ。

 

「外から来た同族は忌み嫌いますね」

「だろ」

「でも、私は受け入れましたよ。元々、吸精しすぎて相手を枯死させるのは流儀に反しますから」

 

 サッキュバスは男性を魅了し、その精を糧にする淫魔である。

 本気で吸精してしまえば生命力を全て搾り尽くして、相手をカラカラのミイラにして塵にしてしまえるとも噂される程だ。

 誓いにはそれを抑制するリミッターを組み込んであり、ある一定量を超えると吸精能力が停止する様に仕込まれている。対人危害を加えられない仕様に調整してあるからこそ、ここの街ではサッキュバスの領民化が認められているのである。

 無論、それは元来のサッキュバスにとっては屈辱的である。だから、外から来たサッキュバスは飼い慣らされた淫魔として、この街のサッキュバスに反感を持つ者も多い。

 

「反感は無かったのかい?」

「全くないとは言えません。でも、平穏に暮らせる魅力には敵いませんでしたね」

 

 リオンはそう答えて目を伏せる。

 何か事情があるんだろうとエクシーは察し、話題を変える。

 

「リオンって名は東方っぽくないね」

「そうですか? 東方文字ではこう書きますよ」

 

 手元に在ったメモに、彼女はさらさらと『理音』と描いて見せた。エクシーはそれを理解する事は出来なかったが、東方文字である事は確認できる。

 

「師匠の書いた文字に似てるな。

 ああ、御免。そのブルースとかの奴の話題だったね。」

「うん、ブルースはね……」

 

 そこに口出しするのは、今まで黙っていたケイだ。

 彼の名はブルース・ワット。ヒト族。何をやっているのかは知らないが、そこそこの小金持ちらしく、若いのに、この公娼館へ通い詰める事が出来る男だ。

 ケイの話では、何かの商売人っぽいとの話ではあったが、職業上、商人の事にも詳しいエクシーには聞き覚えが無い。イケメンらしい。

 

「密輸でもやってるとか。御免、冗談だよ」

 

 実は港湾都市だけあって、その手の話は多いのだ。

 無論、エクシーら警備隊他も取り締まりはしているが後が絶たず、手が回らなくなっているというのが実情だ。

 最近、活発になった西大陸関連の事件が特に多い。

 

「悪い人じゃありません。でも、恋愛に対して古いというか、偏見があって」

「だから、文句あんなら一発殴ってしまえよ」

「また、エクシーは暴力的なんだから!」

 

 三者三様の反応である。

 これ以上は、問題のブルースとやらがお出ましになってからだなと、エクシーは考える。

 頬に出来た古傷をさすりながら、エクシーは当事者の登場を待った。しかし、事前予約を入れてあるとの話だった筈の、ブルース・ワットは時間になっても現れず、時間は刻々と過ぎていった。

 

「そろそろ帰るよ。お茶、ご馳走様」

 

 エクシーは重い腰を上げた。部屋にある置き時計が正確なら時間は午後9時を過ぎている。

 これ以上は付き合いきれないし、暇を持て余したケイとリオンが寝台の上で、接吻しながら互いの口に舌を入れて舐め回してる。

 恋人同士の恋愛行為なのだろうけど、居心地が悪い。エクシーは一足先に帰る事にした。

 

「あんまり励むなよ」

 

 既に寝台に押し倒され、後背位からリオンに攻められている同僚に声を掛けて扉を閉める。

 喘ぎ声が「あんっ、あんっ」と木霊する中、うんざりした顔で紫紺の間を後にするヤシクネー。「明日も早いのにお盛んな事で」と呟きながら、帰路へ付く。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「ブルースが意識不明の重体?」

 

 翌日の早朝。いつもの様に詰め所へ出勤したエクシーに、小隊長が告げた内容だ。

 息も絶え絶えの所を通りがかりの者が偶然、発見したらしい。

 

「ケイは?」

「ああ、そう言えば。まだ出勤してなかったわね。

 ん、何か知ってるの、エクシー?」

 

 小隊長の眼光がきらりと光る。

 

「出来れば、教えて欲しいわね?」

 

 エクシーは一通り小隊長に話した。

 

「ふむ。そんな事が……。あ、待て、今から調書を作成する」

 

 小隊長は眼鏡を掛けると調書に書き込み始めるが、エクシーはそれが伊達である事を知っている。彼女は年齢の割に童顔なので、これは箔を付ける為であるらしい。

 妖精族(エルフ)には良くある悩みである。普通の妖精族は大抵の種族よりも遙かに長く生きるので、肉体的成長と共に精神的な成長も遅いのが普通である。

 だが、妖精族の集落育ちでは無く、他種族の暮らす市井で育つエルフの子供は、他の種族に合わせて成長する事を余儀なくされるので、肉体面はともかく、どうしても精神面の成長が早くなる。

 見掛けが幼女であろうが、同世代の友達が二十歳を超えていたのなら、その話題はどうしても大人の会話にならざる得ないからである。

 

「何をにやにやしてる?」

「いえ、何でもありません」

 

 現に目の前の上司は、ヒトで言うならようやく成人したばかりのローティーンに見える。しかし、その見た目とは裏腹に、彼女は三十路のベテラン警備官なのである。

 鬼と恐れられると説明しても、関係者以外だったら一笑に付されるに違いない。

 この伊達眼鏡は年齢を侮られぬ様に、精一杯大人の雰囲気を出す為のせめてもの抵抗なのであるが、この街の女領主に感化されてるのかも知れないなとも思う。

 

「そのケイがリオンの恋人だったと、間違いないか?」

 

 エロエロンナ女伯爵は眼鏡キャラで有名で、切れ者で知的な感じを纏っているからだ。と言ってもエクシーは役人でも下っ端。何かの行事で遠くから拝見した事があるだけなのだが。

 

「はっ」

「弱ったな。これでケイも容疑者リストに入ってしまったぞ」

 

 小隊長の呟きに、今度はエクシーが「えっ」と疑問の声を出す。

 彼女はペンをくるくる回しながら、「襲われたブルースな、サッキュバスのリオンに搾精されたと証言してるんだよ」と伝えてくれた。

 

「小隊長。リオンを拘束しました」

 

 そこへ同僚のウィンが報告に入ってきた。既に容疑者に対して手を回していたのであろう、ちらりと入口の方を見ると、警備隊員に両脇を拘束され、引き立てられた淫魔の姿が確認できた。

 

「私は何もやってません!」

 

 詰め所に入って開口一番。リオンが訴える。

 小隊長は事務的にリオンの方を一瞥すると、「それは取り調べた後の話だ」と素っ気なく返す。その上で「エクシー、リオンさんを取調室に」と事務的に告げると、再び調書の作成を続けた。

 

「リオン。ケイの行方を知らないか?」

 

 取調室に連行し、興奮気味のサッキュバスをどうにか落ち着かせて席に座らせた後、エクシーはリオンに消息を尋ねる。

 

「昨晩、別れたままです」

 

 性行為後、ブルースが入る予定だった予約がキャンセルされたから「そのまま泊まって行けば」と勧めたのだが、ケイはそれを断って家路に付いたらしい。

 

「別れた時間は?」

「日付変更前の……。11時頃かと思います」

 

 そこへ小隊長が入ってきた。エクシーともう一人の同僚ソルは慌てて敬礼をする。小隊長は「ご苦労」と皆を労うと、取調室のデスク正面に回ると腰掛けて、改めてリオンに「小隊長のシュシュである。ここの責任者をしている」と自己紹介をする。

 

「確か、エクシーは彼女らと9時頃まで一緒だったのだな」

 

 デスクの上に調書を広げながら質問する小隊長。伊達眼鏡もしっかりと装備済みである。

 

「はっ、それから私は席を外しました」

「ブルース・ワットが襲われた時間が、その空白の三時間に該当するんだよ。

 ああ、勿論、ケー100の居所も現在捜査中だ」

「ケー100?」

 

 何だそれは?

 

「ケイさんの本名です。自分からは名乗りませんけど」

 

 これに答えたのが意外な事にリオンであった。

 ケイの母親は酷い放任主義で、子供を産んだら生みっぱなし、名前も自分の名であるケーに番号を振るだけのとんでもない親であったと説明する。

 

「百番目に生まれた子供だから、ケー100かよ」

 

 ヤシクネーは多産である。一生に三桁の子供を産むのも珍しくは無いが、大人までに生き延びるのは半分程度と死亡率は高い。中には産みっぱなしで放置する親も居て、この無責任な親たちが死亡率を高めているとも言える。

 これを含めて放置児童や孤児の問題は多いのだが、残念ながら、それを救済する社会保障はまだまだ整えられていないのが現実である。

 

「だから、姉妹達に暴力的に育てられたと嘆いていましたからね。

 産まれてから直ぐ、何でも実力で奪わないと食べる事も出来なかった。姉妹達の食料を腕ずくで奪って食べなければ、餓死してしまうからって」

「ケイは良く、身の上話をあんたに話したな」

 

 リオンは悲しそうに微笑むと目を伏せた。エクシーはケイとはコンビを組んできたが、その手の過去を余り語らぬ存在であったから、余計に驚いたと言っても良い。

 ただ、過去の事があって、暴力に訴えるのは反対との意見だけはいつも言っていた気がする。

 

「ケイの話は脇に置いて……。さて、事情聴取に移ろうか」

 

 ぱんと小隊長が手を叩いた。これから取り調べが始まる。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 怨恨のもつれか?

 まず、小隊長が問い質したのはそれである。

 ブルースなる男に対して、その存在が邪魔になったから、野外で待ち構えて強姦。

 サッキュバスの【魅了】で言いなりにし、強制搾精して死ぬ寸前まで生命力を搾り取ったのかと尋ねたのである。

 

「やってません」

 

 当然否定する。

 自分は誓いを立てたサッキュバスであり、死ぬ寸前まで精を搾り取る事は不可能だと。その前にリミッターが働くからである。

 

「でもリミッターってのは、無視する事が可能なんだろう?」

「凄まじい苦痛が身体を襲いますから無理です」

 

 まずは搾精するなと言う警告としてだるさが身体を襲い、それを無視して行為を続けると突然、凄まじい頭痛と共に体中に痛みが走る。一分間も連続したら気が狂ってしまいそうになるから、搾精行為は続けられないと述べるリオン。

 リミッターの説明として配付された資料と同じである。

 

「まぁ、魔法であるし、解除するのは可能だけどな」

 

 とエクシーは述べるが、言葉とは裏腹にそれが不可能に近いのは承知している。

 この【ギアス】はかなり高度な神聖魔法なのである。高司祭級の聖職者でもなかなか手が出ず、それを解除するのも難物であるからだ。

 そして、この魔法を理由無く解く聖職者は普通はおらず、邪教の高位聖職者でも連れてこない限り、これを解除するのはほぼ不可能と言う結論に達してしまう訳だ。

 

「それに私はブルースの事を愛してます。女として」

「だが、被害者はお前に襲われたとの証言をしている。そして、もう一人の恋人であるケイはまだ行方不明だ。私が何を言おうとしているのかは判るな?」

 

 じろりと小隊長はリオンを睨んだ。

 ケイがリオンをそそのかして殺人未遂、もしくは脅迫をしたのではないかとの疑いである。

 

「ブルースの方が虚言を述べている可能性もありますよ」

 

 たまらずエクシーが助け船を出す。シュシュ小隊長は「無論、その可能性も否定できない」と肯定するが、「しかし、貴様の意見は聞いておらん」とぴしゃりと告げる。

 

「しかし……」

「ブルースは治療中だ。今は尋問に耐えられる身体ではない。

 だから回復を待ってから質疑に入る事になる」

 

 教会で聖句魔法を施せばいいのであるが、当然ながら、魔法はタダで恵んでくれる程、教会も甘くはないし、高価な治療費を払える予算は警備隊にはないのである。

 

「一方に肩入れして尋問する事は出来んのは判っているな。エクシー巡査官」

「はっ」

「非情に見えるだろうが、これも任務だ。個人的な感情移入はあってはならん。

 貴様は暫く席を外せ」

 

 それは命令だった。エクシーは警備隊の一員である。逆らう事は出来なかった。

 小隊長の命に従って尋問室を退出する。

 尋問時間は一時間近くに及んだが、エクシーは悶々としながら待つ事しか出来ない。

 

「煙草が吸いたいな……」

 

 余りの苛つきに禁煙の誓いを破りそうになる。精神を落ち着かせたい。

 やがて、尋問室の扉が開いて関係者が出てくる。左右をがっちりと固められているリオンは疲労の色が濃く、どことなく顔色は悪い。

 それに寄り添いたいが、「エクシー・ドラフト」とフルネームで中から呼ばれてしまう。未練っぽくリオンの方を振り返り、後ろ髪を引かれながらも入室する。

 

「リオンは犯人では……」

「解っている。私も個人的にはリオンが犯人の可能性は低いと思っている。

 しかし、だ。その第一印象だけで疑わないのは果たして正しいのか。捜査の基本は、まずは疑いのありそうな者は、徹底的に洗えだからな」

 

 小隊長は続けて「追加報告だが、ケイの目撃談があったよ。歓楽街からさして離れていない、ウルッカの下町地区だ」と述べる。

 

「ケイの下宿先がウルッカです」

「多分、帰宅途中だったんだろうな。時間は11時頃だ。但し、時間は正確な物とは言えん」

 

 ウルッカは貧民街に近く、治安は正直、余り高いとは言えない。そこで誰かと喧嘩している姿が目撃されていたのだ。

 そして、その住民が時計を所持しているのは奇跡に近いだろう。証言がそうであろうが、30分程度の誤差は見ておかなければなるまい。

 

「だが警備隊の制服を着たヤシクネーを襲うのは、余程の愚か者か、無謀者の類いだ。

 単なる物取りの仕業とは考えずらい」

「誰かとは、誰なのでしょうか?」

 

 相手を問うエクシーに、シュシュはしかめっ面をして「東方風の男だそうだが、詳しくは確認してはいない」と答える。

 実を言えばケイ本人だとも確認していない。「酔っ払いがヤシクネーと一戦交える男を見掛けた程度の情報なのだ」と続ける。

 

 一応、目撃情報としては、その対戦相手がヒト型をしており、人馬族(セントール)の様な半獣型では無いとの事だけである。服装も異国風と言うだけで、一見、東方風に見えたと言った具合で確定情報ですら無い。

 君子危うきに近寄らず的な処世術で、面倒事から深く関わるのを避けるのは下町の住人であれば、当たり前の話であるからだ。

 

「先の搾精事件との関連は?」

「あるかも知れん。ブルースが襲われたのも、実はこのウルッカの近くの路地だ」

 

             ◆       ◆       ◆

 

「大丈夫です。誤解はいつか解けると信じてますから」

 

 エクシーは独房に監禁されているリオンに面会する事が許された。

 リオンを心配して訪れた娼館の仲間も一緒である。

 

「これ着替えね。あと、必要な物があったら承るよ」

「今の所は大丈夫。それよりケイの消息にが知りたいの」

 

 差し入れを持って来た若いサッキュバスの少女は、残念そうに首を横に振る。この時間にここを訪れられるのだから、まだ、固定客が付いていない見習いだろう。

 リオンは「そう……」と呟いて沈黙する。

 

「何か解ったら教えるよ。娼館長も心配してるんだから、じゃあ、あたしはこれで」

 

 少女が出て行った後、リオンは「着替えて良いですか?」と断りを入れる。エクシーはそれを拒絶する理由はないので許可する。

 最初に調査されるから、差し入れの中に不審物は無かろうとの判断である。

 

「東方風だね」

「はい、故郷の服です。最近は東西貿易も盛んになって入手しやすくなりました」

 

 淫魔が常に煽情的なボンテージスタイルをしていると考えるのは間違いである。

 あれは魔界。過去に開いた何処かにある並行世界に住んでいた頃の伝統服で、誇りを持って着こなしているサッキュバスも多いのだが、大抵の淫魔は普段はその土地に合わせた衣装を身に纏うのが普通である。

 

 如何にも『あたし、サッキュバスです』と主張する服装では、犯罪淫魔だって男性を襲う際に目立って仕方ないからだ。

 まぁ、正体を現した時に淫魔スタイルになるのが定番であるが、これは「あたしサッキュバスなの。これから貴方を襲います」的な、相手に自分の正体を伝える儀礼的な習慣であるらしい。

 

 だから、サッキュバスの公娼達も営業中は露出度の高いあの格好だが、営業時間外はごく普通の姿をしている事が多い。制服みたいな物である。無論、先程の少女もサッキュバスルックでは無かった。

 

「ふうん。あたしの知ってるキモノとは違うなぁ」

「ええ、ちょっと特殊なんですよ」

 

 エクシーの師匠は東方から来た侍である。

 侍とは東方の戦士階級だが、色々と戒律やら伝統が一杯あって、実はエクシーにも良く分からない。ただ、名誉を思いっきり重視する。

 故に師匠ともその奥方が纏っているキモノなる服装には馴染みがあるが、リオンの身に付けて行くそれは、どうも雰囲気が違うのが気になった。

 羽織る枚数が異様に多くないか?

 

「ブルースですが、今の私では面会できません。

 ご足労をおかけしますが、私の代わりに話を聞いてきて下さいませんか」

「許可が出たらね。あたしも勝手に動き回る事は許されないんだよ。でも、努力する」

「それとケイの消息。教えて貰えませんか?」

 

 守秘義務があるので駄目。を理由にエクシーはそれを拒絶する。

 どの道、娼館仲間が情報収集をしてすぐに伝わるんだろうなとは思うが、今の時点では軽々しく話すのはアウトだろう。

 

「辛いかも知れないけど、頑張りなよ。

 あたしはリオンが無実だと信じてるし、その証拠を掴んで釈放させるつもりだからね」

 

 獄舎を出ると小隊長の呼び出しがあった。

 そのまま執務室へと向かう。

 

「リオンに関して上から干渉があった」

 

 開口一番、シュシュが難しい顔をして書類を差し出した。

 リオンに関する調書の内、経歴に付いてである。ほとんどが墨で塗り潰されている。

 

「これは……。上からの干渉って事は、警備本部からですか?」

「いや、もっと上だ。恐らく、領主殿からの差し金だろう」

 

 小隊長はそう結論づけていた。

 領主。この付近一帯を収める、エロエロンナ女伯爵だ。エクシーもそうだが、シュシュ小隊長にとっても雲の上の人である。

 

「ここだけの話だぞ。海軍諜報部の奴が来てな。リオンに関する身辺調査を中止しろと言ってきた」

「理由は?」

「軍の諜報部が馬鹿正直に答えると思うか?」

 

 愚問であった。機密を盾に何も答えようとはすまい。

 警備隊とてこの街所属の、女伯爵麾下の治安組織ではあるが、軍が相手では旗色は悪い。

 小隊長の言葉によれば、調書を取り上げた上で、べったりと墨塗りにして返してくれたそうである。

 

「だが、私も妖精族だ。自らの手で書き込んだ情報は忘れておらんよ」

「教えて貰えるのですか?」

「特別だぞ。それと口外するなよ」

 

 同時にエクシーは小隊長から、『搾精事件、特別捜査担当官』に任命される。

 通常の仕事は一時解除。この事件専任として捜査して構わないとのお墨付きである。但し、期間は一週間(エルダ時間で六日間)だけである。

 彼女の権限では、これが最長であるらしい。

 

「たのもー」

 

 それから引き継ぎの雑務をこなし、午後になって一旦、自宅へと帰還する。

 エクシーの自宅はケイと同じウルッカにあった。

 貴族様に言わせれば治安は悪いが、庶民の目から見た限りはごく普通で、スリや窃盗などの軽犯罪はあるけれども、気を付けていれば致傷事件は滅多に起きないレベルであって、猛烈な危険地帯という訳でも無い。

 途中、気が変わって、師匠の道場へと寄り道をする。

 

「留守かな?」

 

 道場と言っても良くあるバラックである。如何にも『東方武術を教える道場じゃ』スタイルの立派な東方建築では無く、サイズはでかいが外観は貧相この上ない。

 アカドー師匠曰く、「あんなの飾りだ」そうで、建物だけ立派なえせ道場が蔓延しているのに憤慨しているそうであるが、こんな外見だから弟子が増えなくて、貧乏なんじゃないかともエクシーは思っている。

 

「師匠。エクシーだぞー」

 

 反応は無い。小隊長に教えられたリオンの経歴とかから、知りたい知識を訊こうと思っていたのに、拍子抜けである。

 流石に無駄足かと諦めて、引き返そうと踵を返した時、ふと視線を感じた。おまけに耳を澄ませれば、微かに「くすくす」と笑う声も聞こえる。

 エクシーは、そちらへゆっくりと視線を移した。

 

「あらぁ、結構、感覚が鋭いのねぇ」

 

 道場の庭には大木が生えているのだが、その樹上に妖艶な姿をした女が座っていた。

 最近見慣れた、胸と腰回りだけを僅かな布地で覆うだけの典型的なサッキュバスルック。尻からはハートマークを逆さにした形の尻尾が揺れている。

 水色の髪に薄紫の瞳が冷たい印象を醸し出す。しかし、エクシーには見覚えは無い。だから明らかに、この街の公娼ではなさそうだ。

 

「サッキュバスか。外国人だな」

「ご名答。あんたがエクシーね。さっきは自己紹介ありがとう」

 

 言いつつ、水色髪の淫魔は樹上から飛び降りる。

 エクシーは身構えた。見た目からは武器らしい物は持ってはいなさそうだが、サッキュバスは魔族であり、どんな魔法を繰り出してくるのか判らない。

 

「昨日は間違えちゃって大変だったわ。てっきり、貴女が理音の相手かと思ってたからね」

 

 着地したサッキュバスが「人違いと判ったから、一応、殺さなかったわよ」と告げて、片手を上げると、大木の影から厳つい体型をした大男が姿を現した。

 大男。その手の先にある物は…。

 

「ケイ!」

 

 ボロボロになったヤシクネーだった。こっぴどくやられているらしく、脚が折れたり、腕が変な方向に曲がっている。

 

「理音に言っておけ。これ以上逃げ隠れすれば、周囲の者達がもっと酷い目に遭うとな!」

 

 吼えつつも、片手でケイを放り投げる大男。東方風の格好をしたむさ苦しい奴だ。無精髭を伸ばし、全体的に薄汚れており、美しい淫魔と並ぶと対照的な姿である。

 だがエクシーは目を見開いた。ヤシクネーの体重は重いのに、それを片腕だけで投げるとはとんでもない馬鹿力であったからだ。

 

「何だと」

「あたしの名はパンシャーヌ。名無しじゃ呼びにくいでしょ?

 おっと、お止め、イナヅマ!」

 

 ケイに駆け寄るエクシーを見下ろしながら、小馬鹿にした口調で自己紹介をする淫魔。だが、 背中の太刀を抜き、無言でエクシーに斬りかかろうとする大男を止める。

 

「しかし……こやつは」

「こいつにはメッセンジャーになって貰う必要があるのさ。理音をその気にさせる為のね。

 ではエクシー。次は理音を連れて来てくれると嬉しいわね」

 

 彼らは言いたい事だけ言い捨てるとその場を去る。名乗ったが、どうせ偽名だろうとエクシーは考えを巡らす。奴らが引き返してこないのを警戒しつつ、ケイを抱き起こす。

 今は追跡より、傷付いているケイの容体の方が優先だ。

 

「ケイ。しっかりしろ。ケイ!」

「ううっ……」

 

 反応はあった。しかし。それが命に関わる重体であろう事は一目瞭然であった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 近所の医者に駆け込んで、更に懐具合は厳しくなるが教会にも出向いてケイを診せる。

 薬と【癒やし】の聖句の効果で、何とか容体が安定したのは夜半過ぎであった。

 

「お布施はツケでいいわよ」

 

 近所の教会主であるレオナ司祭の言葉が心にしみる。

 しかし、ツケで良いとされた反面、魔法の方は大分おなざりであった。生命に関わる様な重大な損傷は治してくれたのだが、腕や脚の様な、細かい所は放置されている。

 レオナ曰く、「診てあげたのだから、文句言うべからず」なのだそうだが、完璧に治療してしまうと前例を残す事になり、不満が高まるからとの話である。

 

 要するに他の患者が「ケイさんは完璧に治してくれたのに!」と、同じだけの治療を無料で提供する様に要求しかねないからだ。

 素人考えで『魔法なんか魔力を消費するだけでタダなんだから、けちけちせずに使ってよ』って言うのは間違いである。

 聖職者の【癒やし】は無闇に使える類いの技ではない。そして、それを発動するのには聖職者に相応の負担を強いるのである。無限に使える訳ではないのだ。

 

 だから、それを制限するのが代償として教会に納めるお布施である。世間の貨幣価値から見て、かなり高額に設定されているのはそのためである。

 治癒魔法が無償なのが当たり前だと思われては困るし、世知辛いが教会とて人間が生活するには収入が必要だからだ。

 霞を喰って生きて行く訳には行かない。

 

「御免ね……」

 

 警備隊詰め所。寝台の上で目を覚ましたケイが呟く。

 隣で書類を整理していたエクシーは「気にするな」と答えてから、机を離れて寝台へと寄る。

 机があっても椅子が片付けられているのは、彼女が下半身甲殻類で座れないヤシクネー故だ。脚を折り畳んでお腹を床に着けば、椅子がなくても高さは丁度良い塩梅になる。

 

「何があったんだ?」

 

 とにかく、襲われるまでの経緯を訊きたかった。ケイは身を起こしかけるが、脚が折れているので激痛が走り、小さな悲鳴を上げてしまう。

 同時にしゅるるる、と腹部の糸つぼから真っ白い糸が射出され、寝台にべたっと張り付いてしまった。痛みから思わず糸を吐いてしまった様だ。

 

「ご、御免。糸吐いちゃった」

「下の世話もしたんだ。今更だよ」

 

 冗談めかして言うエクシー。実際、酷く下半身を殴られたのだろう。助け出した時はヤシガニ体の身体は汚物で汚れていた。

 

「……ばか」

 

 ケイは恥ずかしさで顔を赤らめる。

 

「悪い、悪い。かなり重傷なんだから身を起こさなくても良いよ」

「……手紙が来たの。リオンの所に」

 

 身をよじって上半身を横たえると、おもむろにケイは語り始めた。

 紫紺の間を出る時、ドアに挟んであったそうだ。

 

「内容は?」

「東方文字で書かれているけど、ついでに書かれた文は共通語でエクシーを呼び出す物だった」

「あたしを?」

 

 ケイは頷いて「だから、それを知らせようとウルッカへ行ったら……」と呟く。

 突然、大男が現れて襲いかかられたのだと言う。

 

「向こうは、あたしをエクシーだと思い込んでたみたい」

「人違いかよ」

 

 とんだ災難である。

 

「でも、ケイ相手にこれだけの手酷くやれる相手か」

 

 警備隊員であるケイとて素人ではない。暴力を嫌ってはいるが、いざと言う時にはかなりの戦闘力を発揮するのをエクシーは知っている。

 

「最初は互角だったよ。向こうは大きな刀で、こっちは素手で鋏だったけどね。

 でも、奴は変な東方剣法を操るの」

「どんな剣法だ? 師匠に訊いてみるから詳しく」

 

 訊いてみると剣先から電光を飛ばす物らしい。

 技を出す瞬間に『なんとか斬り』とか叫んでいたらしいが、それって『斬り』じゃないだろうと、エクシーは内心突っ込む。

 これは真剣に、アカドー師匠に相談した方が良さそうだと判断する。

 とにかく、ケイはその電撃で焼かれ、体勢を失った所を突かれて、めちゃめちゃに斬られてしまったらしい。

 

「上半身だけは守ったよ。

 こっちは外骨格に包まれてないから、一撃でも重いの食らうとアウトだし」

「賢明だな」

 

 下半身は硬い殻に覆われている。奴の太刀は重さでぶった斬る実戦タイプであったらしく、斬られても致命傷にはならなかったが、代わりに鈍器の様に殴られまくる結果を生んだ。

 ケイの身体の殻は割れ、幾本もの脚が叩き折られた。受け身を取った鋏も欠けている。余りの苦痛に、無意識のまま排泄してしまったのも仕方がないだろう。

 

 で、いよいよトドメを刺そうとした時、「さらばだ。エクシー」とか言うんで「残念ながら別人だ」と言ったら驚いて剣を引いたそうだ。

 

「まぁ、本命はリオンだったらしいんだけどね。あ、制服のポッケにその手紙が入ってるよ」

「こら、そう言う情報は先に言うもんだ」

 

 ケイの内ポケットをまさぐり、エクシーは手紙を確保する。

 巻物になっている東方風の様式である。

 成る程、こちらでは余り見掛けない和紙に、ミミズののたくった様な東方文字が書き記されており、『エクシー殿。アカドー道場でお待ち申す。聞き入れない場合は、無関係の住人の命を保障出来かねる』と、共通語で脅迫文が末尾に書き添えられている。

 

「どうしよう。変な風に曲がった脚を切除しようか迷ってる」

「でも、痛いし、生えてくる時は猛烈に痒いぞ」

「そこなんだよねぇ……。

 聖句の【再生】が使える様に、労災扱いにして隊からお金出ないかな」

 

 今のまま放って置いたら、変な風に曲がった脚が固着して奇形になる可能性があった。

 幸いヤシクネーの脚は失われても再生する。だから思い切って駄目になった脚を何本か切り離し、新しく再生させるのも手の一つである。

 しかし、再生速度は遅いし、再生中は猛烈な痒みを伴う。これを避ける為、聖句魔法の【再生】で高速治癒する裏技があったが、そのお布施はケイが出せる金額ではない。

 

「小隊長に掛け合ってみるよ。任務中の事故なら労災扱いで何とかなりそうだし」

 

 エクシーは「制服着たままで良かったな」と告げて部屋を出る。

 制服を着た警備隊員が襲われたと言うならば、非番でも任務中であったと強弁できるからである。敵は警備隊と言う、公的権力に逆らう相手と見做せるからだ。

 

「良かろう。手続きは私の方から行っておく」

 

 シュシュ・トリアン小隊長は、その上告をあっさりと受け入れた。

 鬼と呼ばれる小隊長だが、こんな時には迅速に対処してくれる面倒見の良い上官だ。

 

「有能な部下が使い物にならないのも困るからな」

「ありがとうございます」

 

 実際、これは本音だろう。

 一本程度ならともかく、数本も脚を失ったヤシクネーは歩けないし、治るまで全くの戦力外になる。その間に払う給料を天秤に掛ければ、一時的に金は掛かるが聖句を投入して治した方が、結局は安上がりになるとの計算だ。

 治るまで一時解雇してしまうと言う選択肢もあるが、このエルフな小隊長はそこまで非道ではないし、それだけに有能だ。

 

「東方文字の件、貴様に任せる」

「はっ」

 

 言外に『特別捜査官に任命したのだから、その程度はやって貰わねば困る』との意味があると理解する。

 警備隊としては解読用に、例えば、東方文字の専門家を招いて処理するとかの仕事はせず、エクシーの責任で、誰かを探して解読して来いと言う話だろう。

 

「貴様も狙われているとしたら、護衛を回すか?」

 

 鼻からずれた伊達眼鏡をかけ直し、真剣な表情で小隊長が問う。

 ありがたい申し出である。しかし、エクシーは「それには及びません」と断る。大人数で歩きたくないし、本気であの大男が攻めてきたら、並みの護衛の一人や二人、居ようが居まいが大した違いはないだろうと考えたからだ

 

「一人の方が身軽ですので」

「違いない。が、やられるなよ」

 

 シュシュは苦笑する。多人数ならいざ知らず、現状で護衛として割けるのはせいぜい二人だ。それを理解しての断りなのだろう。

 小隊長の部下はせいぜい三十余名。非番の者を計算に入れると、普段はその半分程度しか常時活動していないのである。

 分署の実働人数なんて、いつもぎりぎりなのだ。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「うっ、ううう」

 

 暗がりの中、男が呻いていた。

 その隣には、下着とほぼ変わらない煽情的な服を着た淫魔が寄り添っており、男へ気怠げに甘い息を吹きかけながら、身を整えていた。

 

「素敵よ。理音の中に一杯注いでくれて、ありがとう」

 

 骨と皮になるまで生命力を搾り取り、鼻歌交じりでブラのホックを留めたサッキュバスは、糧の提供者である男性に礼を述べた。

 長い黒髪をばさりと翻し、男を目立つ所をずるずると引きずると放り出す。

 

「運が良ければ、誰かが見つけてくれる筈よ。じゃあね」

 

 靴音高く歩き出す。これが伝説のロイヤル種であったなら、背中から黒い羽根を出して優雅に空中散歩と洒落込むのだろうが、彼女は単なるコモン種なので翼は無い。

 やや離れた所で外套を羽織る。そして【魅了】の技を解いた。

 魔力によって形成していた髪の色と顔立ちが変化する。リオンに化けていたパンシャーヌはため息をついた。

 

「殺す訳には行かないのよねぇ。面倒だわ」

 

 目的は理音の悪評を高める事である。この為、目標に定めた搾精者は必ず生かしておかねばならない。しかし、動けない程まで精を搾り取る必要もあるので、その加減がなかなか難しい。

 生かさず、殺さず。重体になっても助かる程度の生命力を残す必要もある。その場で生きていたとしても、放置しておくと直ぐ死んでしまったら意味はないからだ。

 犠牲者に「理音というサッキュバスに強姦された」と証言して貰わねば困るからだ。

 

「地道にやるしかないか」

 

 これを続ければ、理音はその内、官憲に拘束されるだろう。そして追放刑になる筈だ。その時がチャンスである。拘束するなり、殺害するなりを実行に移す。

 それが彼女の目論見である。

 しかし、パンシャーヌは知らない。最初に襲った相手がブルース・ワットであり、即座にリオンの仕業と断定され、既にリオンは警備隊に拘束され、その保護下にある事を。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 エクシーは再び、アカドー師匠の道場にやって来た。

 今回は人が居るらしく、ぱしんぱしんと鳴る剣戟の音が聞こえる。開け放した引き戸式の扉をくぐると、熱心に指導する師匠の姿を認める。

 

「師匠」

「おう、エクシーか」

 

 ヒト族の老人である。赤堂鈴介(あかどう・すずのすけ)よりも、今は西方風にスズノースケ・アカドーと呼ばれる事が多い。

 皇国では何やら偉い流派の一員だったらしいが、十数年前に就いた官職に嫌気を差して道場を畳み、新天地であるに西を目指した変わり者である。

 各地を色々放浪してたらしく、エロエロンナに居を構えたのは数年前。エクシーは成り行きでその一番弟子になっている。

 

「今回来たのは仕事の関係なんだ。昨日は留守してたから……」

「昨日か。うむ、砂漠で瞑想してたのじゃ」

 

 留守の理由を答える師匠。

 砂漠ってポワン河の東岸へ行ったのだろうか。市壁に囲まれた外は魔物やら野獣やらも出るので、余りお勧めできない場所なのだが。

 時々、この老人は突飛な行動に出る。瞑想もそうだが、水垢離と称して水路でひたすら水を浴び続けたり、焚き火の上を素足で歩いたりする。東方の思想なんだろうなとは思うが、エクシーにはどうも解らない。

 

「ま、いいや。師匠に見て欲しい物があるんだ」

 

 エクシーは懐からケイに預かった手紙を出す。

 師匠の目が「む」と細められた。道場の床に座ると正座の姿勢で、巻物を慎重に広げる。

 

「ぬぅ、燦然理音姫(さんぜんりおんひめ)か。あの噂は本当であったか」

「さんぜんりおん? それがリオンの本名か」

 

 と言いかけてエクシーは気付いた。姫。サッキュバスなのに姫?

 師匠は難しい顔をして文章を読み終わると、くるくると巻いてそれを手前に置いた。

 

「エクシーよ。理音姫の事。何処まで知っておる?」

「東方。多分、皇国の出。何らかの理由で故郷を捨てざる得なくなり、西方へと流れてきた。

 ここらは師匠と似ているね。十数年前にエロエロンナに移住。公娼としての資格を取って領民化」

 

 それを聞いたアカドーは「苦労なさったのだな」とぽつりと呟くと、改めてエクシーの方を向く。涙が一筋流れていた。

 

「どうしたんだい。師匠」

「燦然家は皇族にも連なる高貴な家柄じゃ。それ故、理音姫の存在を抹殺したいのであろう」

「さっきから、姫、姫って、リオンはサッキュバスだろ」

 

 途端に「世の理を知らぬ、馬鹿な未熟者め!」と叱責が飛ぶ。

 呆気に取られていると、師匠は「そも、淫魔はどうやって誕生するかを知っているなら述べよ」と続ける。

 

「えーと……。股間を男性化した後、女性に精を注ぎ込んで孕ませるんだろ?」

「それは臣民種の生殖方法じゃ。かつての淫魔は王族種から産み出された」

 

 師匠は説明する。王族種は尻尾から他種族の女性を吸収し、胎内にて身体を作り替えて淫魔の臣民種として産み落とすのだと。

 

「淫魔の王族種。こちらの言葉でロイヤルサッキュバスが、何故恐れられたのか。

 それがこの同化再出産じゃ。

 恐ろしい事に産み落とされる淫魔は、生前の性格と記憶を持ったまま、それも淫魔としての資質を備えた形で産まれる。まぁ、姿形は元の形を保ったまま、かなり美形になるらしいがの。それは異性を引きつける目的の為に最適化されるのじゃろう」

 

 容姿が劣った為、末摘花と馬鹿にされた姫が同化吸収され、淫魔と化した際に面影を残しているが、とてつもない美人になったとの話を引き合いに出す。

 ちなみにこの末摘花は淫魔化した後、かつて自分をあざ笑い、馬鹿にした男共を次々と毒牙に掛け、塵になるまで搾精しては殺す復讐を果たしたそうである。

 

「こえーな。生前の恨みを忘れてなかった訳だ」

「うむ。理音姫はの、末摘花同様、王族種に同化吸収され、産み落とされた姫君なのじゃよ」

「王族種って、ロイヤルサッキュバスって絶滅したんじゃ!」

 

 古代王国時代の女傑、テラ・アキツシマのサッキュバス討伐は余りにも有名だ。

 だが、アカドーは「確かに王族種はテラの働きで壊滅した。だが、それは壊滅であって全滅ではない。今でも僅かながら、王族種の淫魔は生息している」と否定する。

 現に十数年前、皇国では一人のロイヤルサッキュバスが暗躍し、皇国貴族界を恐怖に陥れたと言う。貴族の養女として育った姫が実は王族種の淫魔であり、敵対する貴族を次々と葬り去っていったのである。

 

「初雪……いや、その淫魔の考えも分からなくもないのじゃがな。

 まぁ、そのターゲットの一つとなったのが燦然家であり、理音姫はそいつに吸収され、淫魔として新たな生を与えられて再出産されたのじゃろう」

 

             ◆       ◆       ◆

 

「戦麗舞(せれぶ)、戦麗舞っ!」

 

 辿り着いたアジト、と言っても崩れかけた倉庫だが、にイナヅマこと豪雷之進(ごう・らいのしん)の声が響く。また例の欲求か、とパンシャーヌこと魅尼戦麗舞(みに・せれぶ)は、うんざりした顔で東方からの剣豪を見据える。

 

「偽名を使えって言ってんだろ。イナヅマ」

「ここには我らしか居らん!」

「馬鹿、壁に耳あり、障子に目ありって諺を知らないのかい」

 

 ここらは街の方でも外れの倉庫街だ。近所にハルピュイアを飼う不気味な男の館があるとかで、付近には住民は皆無。それだけに身を隠すには絶好の場所であった。

 

「まぁいい。拙者はいつになったらエクシーを倒せるのだ!」

 

 パンシャーヌは『何がいいだ。良くねぇ』と内心突っ込みを入れつつ、「理音を確保するか抹殺するかが、我らに与えられた任務」との言う原則を繰り返した。

 単細胞な雷之進ことイナヅマは「ぐぅぅぅぅ」と唸ると、貧乏揺すりを始める。

 こいつ、エクシーの事を知った途端に豹変したのが失敗だった。それまでは寡黙な用心棒としてなかなか使える奴だと評価していたのに……。

 

「エクシーはあくまでついでだよ」

 

 理音の恋人だってヤシクネーが存在していると知り、情報収集した結果が、エクシー・ドラフトなる警備隊員だと掴んだが、それが間違った情報だったのだ。

 しかし、用心棒であるイナヅマはその情報に歓喜した。それは彼の流派に於ける仇敵がエクシーの流派であったからだ。こんな所で怨恨を晴らせるとは!

 そして先走り、別人を襲ってしまったので、警備隊に目を付けられてしまっているだろう。

 

「我が師匠は赤堂の真空流に敗れた。だが、その弟子である拙者が、赤堂の一番弟子であるエクシーを打ち倒す事で、我が稲妻流の汚名をそそぐ事が出来るのだ」

「向こうはそう思ってないと思うけどねぇ」

 

 と言うが、聞いてはいないだろう。遙か皇国の、しかも何十年も昔の出来事なんぞ、エクシーは知っていない方が高いと彼女は思う。

 大体、当の赤堂が稲妻流の事を歯牙にも掛けていない可能性だってあろう。問われても「ああ、そんな流派が昔あったな」くらいの扱いなのではないか?

 

「貧乏くじを引いたかと思うたが、はるばる西方まで来て本当に良かったと思うぞ」

「そうかい。まぁ、今夜から辻斬りを張り切ってくれないかい」

「そう言えば、貴様の方の工作はどうなっている?」

 

 それに対し、彼女は「順調だよ」との答えを返す。男を理音の姿で誘い、【魅了】でめろめろにして吸精するのは、比較的容易い。

 

「ふん。直接、公娼館に殴り込む方が簡単だったのではないか?」

「馬鹿だね。あそこは単なる売春宿じゃない。ある意味要塞だよ。あたしの式神が三分と持たなかったなんて、初めてだよ」

 

 例の手紙を届ける為に放った式神。東方魔法である陰陽道に基づいて使役されるゴーレムは、『風紗館』に侵入後、僅か数分で叩き落とされた。

 客を装って入り込んでも、意図を見抜かれたら五体満足では帰還できまいとパンシャーヌは思う。 とにかく、あの公娼館は得体の知れぬ不気味さを秘めている。敢えて言うなら、盗賊ギルドの本部に潜入するに匹敵する程の危険さを感じるのだった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「姿形は確かにリオンだったよ」

 

 殺風景な病室。その中でエクシーは事情聴取していた。

 相手はブルース・ワット。やつれているが元気を取り戻していた。

 

「でも、違う。リオンはあんなにお下劣じゃない」

「ほう?」

 

 付き合いが長いから判ると彼は言う。

 色気で相手をたぶらかし、積極的に求めて精を絞るのはリオンではないと、行為を重ねてきたからこそ判ると彼は断言した。

 

「『出して。ああん、もっともっと出して』、とか言う娘じゃないんだ」

「う…うん」

「あんな色情狂が、リオンの訳ない!」

 

 と断言する色男。

 エクシーはやはりと思って筆を止める。少なくともブルースからの証言ではリオンは犯人扱いされていない。

 

「と、するとあからさまな偽者か」

「うん。絶頂に達した時でも『構いません。思いの丈を全部受け止めますから』と、真摯になって受け入れてくれる慎み深い女性(ひと)なんだ」

 

 それの何処が慎み深いのか、エクシーにはさっぱり解らなかったが、命令形で搾精をコントロールする淫魔が多い中、リオンは相手に合わせて受け身の姿勢で行為を行っているらしい。

 

「ご協力感謝する」

 

 これ以上、話していると、エッチに関する単なる睦言を述べるだけになりそうだと判断して、エクシーは尋問を打ち切って病室を離れる。

 廊下に出ると、急患が運ばれて来たらしく慌ただしい。

 

「リオンの無実が晴れたよ」

 

 唐突に後ろから声を掛けられる。

 

「小隊長」

「先程の急患な、サッキュバスに襲われたと言う」

 

 小柄なエルフは「誰にやられたと思う?」と問いかけてくる。

 

「……まさか、リオンですか?」

「正解だ。しかし、リオンは我々の管理下にある。つまり、アリバイは確定している」

「では」

「明らかに偽者だ」

 

 敵の淫魔とその連れが、ケイをエクシーと間違えたとかの報告から、敵の情報収集能力を推し量っていたが、どうやら敵の諜報能力はお世辞にも高くない。

 はっきり言って杜撰なレベルだ。

 

「恐らく【魅了】の生体魔法を応用して、周囲にリオンの姿を幻覚で見せているんだろうな。

 さて、この二人組は明らかに我が領内の敵だ」

「……では治安維持の為、実力で排除しても?」

「構わん」

 

 小隊長は長い銀の髪をばさりと翻し、伊達眼鏡をくいっと直しながら不敵に笑った。

 

「しかし、出来れば身柄を確保しろ。

 何の目的でこの暴挙に至ったのかの動機は突き止めたい。だが、身に余る様だったら……」

 

 背の低い妖精族の少女は「殺せ」ときっぱりと言った。

 子供の様な見掛けによらず、任務では冷酷で沈着冷静なのが『鬼の小隊長』と呼ばれる由縁なのである。

 

「はっ」

「何故、我々警備隊が女ばかりで構成されている事を、東方の奴らに思い知らせてやれ」

「了解しました」

「だが無茶するなよ。ソル・ブレインとウィン・スペクターを指揮下に付ける。

 見つけ次第、狩れ」

 

 無理をして部下が命を落とすよりは、敵を抹殺した方がましである。シュシュ・トリアンはそう言う考えの持ち主であった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「知っている顔かい?」

 

 拘束を解かれたリオンは馬車で護送されて『風紗館』に戻る途中である。護衛を担当するのは新たにエクシーに預けられた分隊であった。

 馬車内の彼女へ、エクシーは本署で作成したばかりの人相書きを見せる。

 木版の多色刷りで、パンシャーヌとイナヅマが描かれており、エクシーが見る分には出来は上々だ。今頃、街中に張られている筈である。

 

「……済みません。刺客だとは思うのですが」

 

 しかし、予想に反してリオンは首を横に振って項垂れる。

 見覚えのある顔ではないらしい。

 

「個人的な事に踏み込むけど、あんたの身の上の事情を尋ねても構わないかな?」

「私の……ですか?」

「狙われる事情があるんだろう」

 

 暫く沈黙。鉄をはめた車輪が、石畳の上で立てる音だけが響く。

 エクシーは身体をもじもじさせて姿勢を変える。人間向きに作ってある馬車だから、ヤシクネーの身体を置くには椅子を数人分占拠しないとならないし、尖った脚で内装を傷つける訳にも行かないので、神経を使うのである。

 

 思わず『買ったばかりの脚カバー履いてくりゃ良かった』と思うが後の祭り。ゴム製の新しいカバーはお気に入りなのだが、耐久性が布製に負けるのが難点だった。

 そして身体の固定の為に不作法だが、お尻から出す糸もちょっと使う。馬車が急停車した時の為の保険である。無論、後でちゃんと拭い去らねば大目玉だ。

 

「私は皇国の姫でした。いえ、元、姫であったと言い換えましょう」

「燦然理音姫……だっけ?」

「どうしてそれを!」

 

 目を見開き、驚くリオンにエクシーは「うちの師匠から聞いた」と素っ気なく答える。

 リオンは東方の和服。正確には裳唐衣(もからぎぬ)装束と言うのだが、の袖で顔を覆った。そして「エクシーさんの師匠とは?」と蚊の鳴く様な声で問う。

 

「赤堂鈴介(あかどうすずのすけ)」

「赤堂殿……。我が家の剣術指南でした。ああ、それで」

 

 敢えて名を東方風に発音すると、リオンは納得した様に呟いた。それから語り始めた話は、概ね、師匠から聞いた話と同じであったが、やはり本人だけあって、それ以外の情報も含んでいた。

 故郷でロイヤルサッキュバスに襲われて、同化吸収された事。

 産み落とされた後、東方に居られなくなって出奔した話。

 魔族が産まれた事は恥として、生家である燦然家から、度々刺客を差し向けられている事。

 

「両親は王族種の淫魔に殺されました。もっとも因果報応なのですが…」

「ん?」

「その王族種の淫魔を養女にしていた家を、冤罪で一家皆殺しにしたからです」

 

 罪をでっち上げ、反逆者として討伐して屋敷を焼き、軍勢で一族郎党を惨殺したのである。

 王族種の淫魔はただ一人生き残り、養父母や家臣の仇を誓った。そして家を罠に掛けた敵対者に対して復讐を開始する。その中で犠牲になった一人が燦然理音であった。

 吸収後、再び産み落とす事によって「お前も追われ続けるがいい」と、淫魔と化した理音を放置したのである。

 

「私は困惑しました。殿方の精がなければ生きられない身体となり、

 どんなに我慢しても、本能から精を渇望する化け物になってしまったからです。

 あんなに恥ずかしかったのに、気が付くと殿方の上で腰を振り、股間に顔を埋めて精をむさぼっている。…でも、恐ろしくて自分で死ぬ勇気もなかった。

 こんな淫魔になってしまっても、それでも生きていたかった」

 

 リオンはそこまで言うと、顔を突っ伏して咽び泣いた。

 刺客から逃げ回り、故郷を遙かに離れて西へ西へと進む内、このエロエロンナの街に辿り着いたのであると言う。

 この街がサッキュバスも領民として認める制度を聞き及び、そして忠誠を誓って十年余り。義務である公娼としての年期もそろそろ終わりに近づき、新しい生活を夢見ていた矢先に現れたのが、パンシャーヌらであった。

 

「彼らは恐らく、私を抹殺する為の刺客です。でも……恐らく組織的な物ではありません」

 

 リオンは説明する。今までの刺客もそうだったが、どうも組織だって支援を受けた者が行動している様子は見られず、少人数の単発的な物であったと。

 

「だから、『風紗館』にまでは手を出せないか」

 

 エクシーは思う。この街で公娼館はれっきとしたお役所。

 しかも、これは一部にしか知られていないが海軍諜報局の管理下にあるのだ。淫魔の娼婦達は実を言えば予備軍人なのである。

 寝床で口の軽くなる、外国人の男共から情報を聞き出す役目を考えついたのかが誰かは知らないが、それは絶大な効果があるらしい。

 そんな場所だから、当然、敵国のスパイも忍び込んでくる。しかし、それを鉄壁の防御ではねのけ続けているのが今の公娼館なのである。生半可な事では手が出せない場所なのだ。

 

「リオンに関して海軍から横やりが入ったんだけど、あれは何かあったのかい?」

「恐らく、皇族に関してのせいですね」

 

 リオンは自嘲気味に微笑むと、重ねられた衣を手元に引いて整える。

 

「こんなサッキュバスでも、私は現天帝陛下の姪なんですよ。

 故郷から離れた地に居るというのに、まだ、未練がましく。この様な貴族の装いを続けてるのも、その血筋のせいかもしれません」

「一歩間違うと外交問題か……。そりゃ、海軍が神経をとがらす訳だな。おっと!」

 

 がたん、と馬車が停止する。

 目的地に着いた模様だ。『風紗館』の領域内に入ると言う事は、これ以上の会話はタブーになる。下手に言葉尻を捉えられ、海軍に目を付けられると後々面倒だ。

 リオンが天帝の姪、との情報だけでも機密なんだろうから。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 やりにくくなった。

 夕食の買い物に出たパンシャーヌは、人相書きが張られているのに驚愕した。

 サッキュバスである自分には、嗜好品以外の食事は必要なく、その糧も連日の搾精で充分に足りているが、イナヅマはそうはいかない。

 

「ちっ、力(りき)を入れれば、姿を変えられる自分と違ってイナヅマは目立ちすぎる」

 

 この分では出歩いた途端、警備隊やら陸戦隊が包囲して来るだろう。

 だが、任務を放棄する訳には行かなかった。

 リオン抹殺。それは燦然家から押しつけられた【ギアス】だからである。そうでなければ、誰がこんな西方まで来る物か。

 パンシャーヌは買い物を手早く済ませると、アジトへと取って返す。

 

「作戦中止だ」

 

 アジトへ入った後、開口一番そう告げる。

 

「どうした。辻斬りをして、これ以上の犠牲を出したくなかったら大人しく投降しろと脅迫する作戦だったな。無関係な民に対して責任感を感じる、甘ちゃんの理音なら必ず出てくる。

 そう太鼓判を押したのは貴様だぞ。戦麗舞」

 

 水色髪の淫魔は串焼きの入った袋をイナヅマに放り投げ、外套を脱いで普段の煽情的なサキュバスルックを露わにする。

 

「事情が変わったんだよ」

 

 イナヅマは不敵に笑って、調達してきた串焼きを口に放り込んだ。

 元々、行き当たりばったりな杜撰な計画であった。

 本国からの支援は宛てに出来ず、殆ど『上手く行ったら吉』程度の気休めに近い計画で、理音抹殺の刺客達は十数年前にバラ撒かれた。

 

 刺客に選ばれたのは、元々この事件には縁もゆかりもない無関係の者達が、無作為に充当された。戦麗舞も皇国で気ままに暮らしていた魔族であって、いきなり捕らえられるまで理音の事などまるで知らない一淫魔に過ぎなかった。

 理音が顔を知らぬ方が、抹殺する確率が高くなる。そんな身勝手な理屈で強制的に刺客に仕立てられ、一度も会った事も無い姫の為に(知識として顔や他のデータは、強制的に覚えさせられた)追跡を余儀なくされる。

 

 それから時間は流れ、既に何組もの刺客が消息を絶っている。

 もしかすると、それらのうちの何組かは、今の自分達の様に理音に遭遇出来たのかも知れないし、運悪く命を落としたのかも知れない。

 だが、理音が健在なのは掛けられた【ギアス】のせいで判る。もし死亡していたのなら、条件が解かれて、自分を縛るこの忌々しい枷から脱する事が出来るからだ。

 

「貴様を解雇する」

「ほぅ?」

 

 雇用主にイナヅマこと、豪雷之進は意外な目を向けた。

 

「もうあたしとは関係ないから、早くこの街から去るのよ。

 このままだと、お前もあたしの一味として巻沿いを喰って囚われるぞ」

「お主はどうなる?」

「最後まで足掻くさ。いずれにせよ、呪文の呪縛が強すぎるからね。

 潜伏して機会を待つ。だが、いつまで保つかな……」

 

 この【ギアス】は理音の抹殺を強制する物だ。理音を確認した今、その強制力は強く働いている。そして裏切りを防ぐ為、理音と和解し、手を出さずになぁなぁの関係で済ませる事が出来ない仕様になっている。

 理音を発見しても一週間程度までなら何ともないが、それを過ぎると強制が働いて激痛が走る。使命を果たせとの脅迫だ。

 

 エロエロンナの公娼達が立てた誓いと同様の物だが、こちらは更にエグく、最終的には命を落とす様に調整されている。

 無論、燦然家を裏切れば、即座に死ぬ。

 

「ふん。水臭い。拙者の事は気にするな、最後まで付き合ってやる」

「もう無関係の話なのだぞ。雷之進」

 

 だが彼は大口を開けて豪快に笑うと、「女子(おなご)を見捨てたとあっては、稲妻流の恥」と答え、「捕縛される。構わぬよ。このまま俺はエクシーか、赤堂を斬れれば満足だ」と続けた。

 

「戦麗舞の理不尽な身の上も知ってしまったからな。馬鹿が一人くらい付き合っても良かろう?」

「済まないね……」

「気にするな。どの道、お主に会っていなかったら、あの夜、砂漠で骨になっておったわ」

 

 砂漠で行き倒れになっていた出会いを思い出す。生命力が尽きようとしていた彼を、魅尼戦麗舞は気まぐれで助けたのだ。最初は精を搾り取って殺す気であったのだが、用心棒として雇い、ここまで珍道中を続けてきた。

 

「あたしがやれる礼は、これしかない」

 

 雷之進の身体にしなだれかかり、するりと布地の少ない、サッキュバスルックを脱ぐ戦麗舞。

 相手の方もそれを受け止め、胸や腰を揉みしだく。

 

「決戦もあるんだ。精を搾り取りすぎるなよ」

「分かってる」

「最初の夜を思い出すな。お主と出会った夜の事を」

「……うん」

 

 やがて床に伏せた二人の影が重なり、激しい息づかいと嬌声が廃屋の中に流れていった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ケイがエクシーの分隊へ合流したのは午後だった。

 まだ警備の為、エクシーらは風紗館に留まっている。開いている一室を借り、いつでもリオンの危機に駆け付けられる様に警戒は怠らないが、この風紗館内では過剰な警備と言えなくもない。

 どうせ、海軍諜報部が網を張っているのだ。

 合流したケイは元気そうで、魔法によって脚は完全に治っていた。

 

「脚を切除した時は、物凄く痛かったけどね」

 

 その脚は記念品として引き取った。

 昔の魔族は、この脚をばりばりと食べたのだろうけど、実際、見た目はカニ肉が詰まってて、美味しそうだとケイは笑って語る。

 

「食べたのかい?」

「共食いは流石にしないよ。腐る前に肉を削ぎ落として飾ろうかなと思ってる」

「悪趣味だぞ。それ」

 

 エクシーは断言すると地図を広げた。

 これでエクシー分隊は、本人を含めて四人。それなりの戦力にはなって来ていたが、依然人手不足なのは否めない。

 人相書きの効果で目撃情報は色々寄せられている。

 そのほとんどがイナヅマの情報なのは、やはりあの体格と目立つ風体のせいだろう。パンシャーヌの方が美人なのに目撃例が少ないのは、サッキュバスの持つ【魅了】の力で姿を変えている為だと予想出来た。

 

「それでも少なからず、パンシャーヌの目撃例もあるね」

「サッキュバスの【魅了】は異性には効かないからな。女性からの情報だろう」

「うーん、あたしには効きそうだ」

 

 ケイが自虐する。基本、サッキュバスの持つ生体魔法は男性をたぶらかす為で、女性には無力なのであるが、女性でも同性愛者であったら効く事が確認されている。

 リオンに恋をしているケイならば、効く可能性も否めないのである。

 

「ケイはリオン一筋だろう。なら効かないよ」

 

 エクシーは否定する。はらぱらと調書をめくりながら、目撃情報を鉛筆で地図に書き込んで行く。これならば書き込んでも後から消す事が可能なのである。これがペンにインクであったら、こうは行かない。

 鉛筆は高級品だが、地図を新しくするよりは安価だ。

 

「やはり、倉庫街だな」

「予想が当たったね」

 

 エクシーは身を隠すなら倉庫街だろうと目処を付けていたが、倉庫街は広大で何処から手を付けて良いのやら、手に余る状態であったのだ。

 しかし、目撃情報で範囲が絞れた。再開発地区、いわゆる廃倉庫街の辺りに潜んでいる様だ。

 

「昔、怪物が現れて暴れ回った跡、だったな」

 

 大海魔と呼ばれる魔物クラーケンが出現し、この港を襲った事件は遙か昔に遡る。

 その正体は隣国のマーダー帝国による差し金とも、邪教を信じる秘密結社の陰謀とも言われているが、詳しい事は発表されていない。

 

 ただ、当時のエロエロンナ女伯(しかし、当時は伯爵ではなかった)と現宰相のラートリィ女史。そして王国海軍の懸命な働きによって退治され、港湾都市壊滅と言う最悪な事態は避けられたものの、損害も大きく、その代償として犠牲になった地区が廃倉庫街である。

 

 建物の被害も大きいが、それよりも猛毒の墨が吐き散らされた為、土壌が汚染されてしまったのが最大の損害であった。

 以後、そこは立ち入り禁止地区に指定され、今になっても解除されていない。

 

「こんな所に潜伏するのは自殺行為なんだけどねぇ」

「え、毒性はもう殆ど無いんでしょ?」

「物理的な毒はね。厄介な事にあの墨は魔毒だったんだよ」

 

 それは魔的な呪いを帯びた毒である。土地に残り、徐々であるが人々に悪影響を与えて行く。

 最初の呪いは浴びた者を、問答無用に魔族や魔物へと変化させる物であった。その後、その呪いを払う為に、定期的に【浄化】の聖句を掛けているが、その因子は完全に除去したとは言えないレベルに留まっている。

 

「長く留まると突然変異を起こしたり、次世代の子供が奇形と化したりするんだ。

 もっとも、あたし達みたいな魔族は耐性があって影響薄いんだけどね」

「へぇ、じゃ、貧民街の魔族に解放すれば良いのにさ」

「駄目なんだ。昔、あたしもあそこに住んだ事があるんだけどね」

 

 その影響故か、不死怪物(アンデッド)も生まれ易く、一時期、影響が少ないとして魔族のみに居住が許可された時期もあったが、現在ではそれも禁止されている。

 

「魚屋で買った鮮魚がゾンビと化して、台所で暴れ回ってるとか、洒落にもならない現象が多発したから……、あ、畜生。思い出しちゃったじゃないか」

 

 それはエクシーの「おかーさん。夕食が空飛んでるよぉ」として、ご馳走が駄目になった子供の頃の悲しい記憶である。

 空を飛び回るこの十数匹の殺戮魚(キラーフィッシュ)を仕留める為に、一家総出で糸を吐きまくったのが修羅場であった。

 

 結局、魔族が移民した時期も僅か半年余りで、エクシー達は規制により移住を余儀なくされる。

 都市で一般的な、豚や鶏と言った家畜の飼育も危険だったからだ。

 いつの間にか、そいつらがオーク(豚鬼)やコカトリス(魔鶏)と化すのは流石に見過ごせないのである。今でも野生動物の魔物化は継続しており、あそこ担当の警備隊第四分署はてんてこ舞いらしい。

 

「さて、乗り込むとして、当面の問題は縄張り争いだな」

「第四分署とうち(第三分署)、何故か仲悪いからね」

「うちの小隊長を、向こうのナイルナ小隊長が嫌ってるだけなんだけどな。

 こちらが捜査の為に乗り込むのを許してくれるかな?」

 

 そこまで話した時、部屋の外が騒がしくなった。

 誰かが廊下を駆けている。人数はかなり多く、ばたばたと複数の足音が響いていた。

 

「分隊長っ!」

 

 ドアを突然開けて、部下のソルが飛び込んできた。はぁはぁと息を乱している。

 

「何事だ?」

 

 敬礼を忘れて居るぞとかは問わない。エクシー自身もかなりズボラだからだし、この特別捜査官の肩書きが取れれば、臨時分隊長から元の平に格下げだ。

 一時の地位から上司面して、同僚から恨みを買う様な事は御免である。

 

「さ、宰相閣下がお見えになりました」

 

             ◆       ◆       ◆

 

 パンシャーヌこと、魅尼戦麗舞。

 イナヅマこと、豪雷之進。

 この二人は最後の襲撃計画を画策していた。

 

「あの娼館は危険だ」

「だが、虎穴に入りずんば、虎児を得ずとの諺もある」

 

 アジトの天井に掲げられた、安物のカンテラが「じ、じ」と芯の燃える不快な音を立てる。安いギャラガ油を使っているので燃焼時の匂いは最悪だ。

 【幻光】の魔法を使っても良いのだが、今は少しでも魔力の消耗は押さえたい。

 イナヅマは腕を組んで、風紗館へ直接殴り込む自説を主張した。

 

「しかし」

「危険なのは承知の上だ。しかも、お主には時間が無いのだろう?」

 

 陽動としてイナヅマが囮になり、こちらへ敵を引きつけている間にパンシャーヌが理音へ迫る作戦である。

 単純極まりないが、こちらはたった二人しかいないのである。無論、工作として陰陽術で複数の式神を放ち、館のあちこちに混乱を起こす予定であった。

 

「それはそうだが……、勝算は低そうだな」

「当たり前だ。博打と言っても良い」

 

 今までの偵察で判明している風紗館の館内図を指し示す。

 不明な点も多いが、理音が居そうな部屋の見当は大体付いている。一階はサロンや厨房、ロビー等の公的な部屋であり、娼婦が仕事するのは二階、または三階の娼妓部屋だ。

 

「全部で部屋は二十八室あるぞ?」

 

 高層に位置するのは、未会計でやり逃げを計る不埒な客の逃亡を阻止する為とも言われる、娼妓部屋の数を指摘するサッキュバス。

 

「だが、警備するに向き、不向きな部屋と言う物はある。

 理音は警戒している筈だから、大通りに面した部屋は使われまい」

 

 侍はロの字型になっている建物の内側を指摘した。

 

「居るとしたら中庭に面した部屋だろう。これだけで対象を半分に減らせる」

「なるほど」

「後は貴様自慢の式神の仕事だ。打ち落とされると言っても、暫くは保つのであろう?」

「ああ」

 

 もし一分程度で打ち落とされても、その間に理音の位置を把握さえすれば。

 サッキュバスは紙で出来た人型に呪句を書き入れている。決戦に際して大量生産中であるが、その為に大量の魔力を消費してしまっていた。

 その補充に精が欲しいのだが、先程、イナヅマから得たばかりだ。無理は出来ない。

 誰か適当な男を引っかけて、そいつから抜き取る事も考えたが、この時期に軽挙妄動は出来ない。

 

「当然、機会は一度だけだぞ。二度目は無い」

 

 そう言い含められているからだ。

 更に雷之進は〝夜討ち朝駆け〟を提案した。

 夜明け前、一番人が寝静まっている時間を選び、そこを襲う。

 

「娼婦の仕事は夜半にも及ぶが、仕事仕舞いは大体二時頃で、朝方は大抵眠ってる筈だ」

 

 夜警以外に見回りも少なかろうというのも、大きな理由の一つだ。

 都市という物は、城壁や城門と言った外から来る脅威には衛兵を並べて備えているが、案外、内部の警備は貧弱なのである。

 普通はせいぜい民兵による自警団がある程度で、このエロエロンナの様に、公的で本格的な警備隊を持つ街は少数派だ。

 

「明日の朝。それが勝負の時となるか……」

「拙者がエクシーと戦えるのか、それは神のみぞ知るがな」

 

 雷之進は口を歪めた。自分がエクシーと、あの赤堂の一番弟子と戦えるのかは分からない。

 いや、その可能性は明らかに低いだろうとは自覚している。娼館で待ち構えているのは警備隊では無く、娼館に雇われた私兵であろうからだ。

 幸か不幸か、彼らはこの案件が領主の、公安組織の管轄下に移っているのを知らなかった。未だ、民間の娼館相手の出来事だと思い込んでいたのだ。

 

「もう寝ろ。明日は早いぞ」

「抱くか?」

 

 パンシャーヌは意外な顔をした。この不器用な男にしては珍しい冗談だったからだ。

 嫌な予感がする。それは単なる勘なのだが……。

 

「馬鹿を言ってるんじゃないの」

 

 それを打ち消す様に彼女は吼えた。彼女はイナヅマを寝台代わりの干し草の中に叩き込むと、その隣に横になって、安物のカンテラを吹き消した。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 エロエロンナ伯爵領の宰相、ミキ・ラートリィ。

 全てを見通してしまう様なグリーンがかったブルーの瞳。腰以上に伸びた真っ直ぐで長い金髪。小顔で整った半妖精族らしい美しい容姿。それでいて白で統一された衣装にはスリットが入り、ちらちら覗くおみ足が健康的な色気を醸し出す。

 

 領主の片腕と目され、単に政務能力のみならず、荒事でも凄まじい実力を持つと噂される女傑である。あのクラーケン事件の時、領主と共に怪物を退治したメンバーの一人であった。

 職業柄、エクシーは良く知った相手だが、勿論、こんな近くで、しかも直接面会するのは初めてである。

 

「宰相閣下。エクシーであります」

「貴女が特別捜査官ね。ご苦労様」

 

 分隊の総勢四人を整列させたエクシーは敬礼する。

 宰相はにっこりと微笑むと頷き、鈴を鳴らした様な声で彼女を労うと、その後ろにいるリオンへと目を向ける。

 

「お久しぶりです。宰相閣下」

 

 リオンが腰を曲げて東方式の礼を取る。

 お辞儀とか言う奴だ。師匠の道場で毎回、始めと終わりに取らされる礼儀である。

 会話から察するに、どうやら宰相とリオンは知り合いの様だが……。

 

「お久しぶりね。今度の騒動、貴女はどう見ますか?」

「……。私見ですが」

「構いません」

 

 鋭い眼光で射貫く様な視線。宰相はリオンに続きを促した。

 リオンは皇国からの刺客と、今回の相手に皇国側からの政治的な動きが無い事を告げた。

 

「だから、今までのパターンと同じ物だと思われます」

「前に現れた刺客は、確か十年前でしたね。同じパターンと言う事は、やはり【ギアス】によって呪縛されている相手ですか?」

「確証は持てませんが、相手が少人数な事と支援を受けている様子も見えないので、恐らくそうであろうと思われます」

 

 宰相はふぅと嘆息した。

 白い長手袋に包まれた手を組んで、目を閉じると長考に沈む。

 その姿を見て『うわぁ、いつも思うけど、美術品の彫像みたいだね』とエクシーが心中で呟く。本当に生きた人間なのか。長命で姿の変わらぬ半妖精と言えど、この整いすぎた姿はこの世の物とも思えないと、エクシーはいつも思う。

 まして宰相の姿は、エクシーが子供の頃から一切変化が無いのである。

 

「今度の刺客は、貴女と同じサッキュバスでしたね?」

「はい」

「優秀そうな人材ならば、我が街に勧誘するのもありでしょうか?」

 

 リオンは目をしばたかかせる。

 

「私と同じ様に?」

「はい。人材はあった方が良いが、エ…女伯のお考えです」

 

 優秀な人材なら敵であってもスカウトする。

 領主の女伯は常々、そう唱えていた。倫理的、道義的に許されぬ者を除けば、敵は討つよりも取り込んで役立てた方が良い。

 伯爵領とか名乗っていても、その人的資源はたかが知れているのだから、使える人材は確保せよが、その基本方針である。

 自分の所領の実力を知っているからこその政策だった。

 

「特別捜査官。今後の作戦予定を」

 

 宰相はエクシーを呼んだ。

 

「敵が潜伏しているらしい、再開発地区に網を張る予定です」

「予定、ですか?」

「まだ担当の第四分署との折衝が…」

「私の名を出して構いません。今夜の内に包囲網を完成させなさい。

 手続きが必要なら、直接、私が交渉に赴きます」

 

 それは願っても叶ったりな事である。しかも宰相自らの命令なら、幾らナイルナ小隊長がうちの分署を嫌っていても、命令を拒否する事は出来まい。

 エクシーは「はっ」と敬礼を返した。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 倉庫街を担当する警備隊第四分署は、他の分署に比較すると裏方である。

 中央の官庁街を担当する第一。住宅街を担当する第二。そして華やかな港湾地区担当の第三。それに比べて苦労は多く、活動も地味である。

 

「と言う訳で、共同戦線を張りたい」

 

 ナイルナ小隊長は不満であった。目の前でそう述べるシュシュが憎い。

 自分の忌み嫌う、あの生意気な妖精族のシュシュが自分の管轄下に乗り込んできた。

 同期であったシュシュの活動が順調に評価されているのに比べて、自分の功績は正当に評価されないとのコンプレックスもあり、両者の間は冷え切っていた。

 あちらが妖精族で自分が魔族である為か、そんな事をついつい考えてしまうからだ。

 

 他分署の警備隊員だって、エクシーやケイみたいな魔族は多いが、廃倉庫を管轄に収める為、第四分署所属の隊員は全て、魔毒の影響を受ける事が少ない魔族なのである。

 当然、ナイルナも力強き魔族であるスキュラなのだ。

 普段であったら、第三の連中が乗り込んでくる事なんぞ、絶対に許可しなかった筈だ。まして、今は真夜中、迷惑千万だってのを思い至らないのか!

 だが、シュシュ・トリアンの隣にいる人物を見ては拒否は出来なかった。

 

「分かりました。宰相閣下」

 

 そう答えるしかないではないか。相手はラートリィ宰相なのである。

 シュシュでは無く、そう宰相に返事したのは精一杯の抵抗だ。

 忌々しい。しかし、ナイルナとてこの街の官僚の一員である。宰相の命令は絶対であるのは理解しているし、彼女が語った包囲網の形成は正しい戦略であるのも分かる。

 

「ナイルナ・トトメス」

「はっ」

「苦労を掛けますね。私は縁の下の力持ち的な、貴女の小隊の功績を評価していますよ。

 私の古い友人にもスキュラが居ます。貴女と違って戦闘力は皆無でしたけど、ここぞと言う時には勇気があって、皆の為に一生懸命でした。

 貴女もそうである、と信じていますよ」

 

 宰相の意外な言にナイルナは何も言えず、慌てて敬礼を返すだけであった。

 実務は小隊長二人に任せて執務室を退出した宰相は、第四分署の控え室に入る。

 

「宰相閣下」

「その呼び名は肩が凝りそうだわね。エクシー捜査官」

 

 彼女は肩が凝ったと見えて、首を左右に傾げながらこきこきと肩を鳴らした。

 

「では、何とお呼びしたら」

「ミキでいいわよ」

「では私もエクシーと呼んで……って、ご冗談を!」

 

 流石に宰相を呼び捨てにする度胸は、エクシーには無い。

 ラートリィは悪戯っぽい笑みを浮かべて、部屋の中に居る面々を確認する。

 エクシー、ケイ、自分の護衛達。そしてサッキュバスルックに身を包んだリオン。

 

「来ましたね……。でも、本当に良いのですか?」

 

 問うた先はリオン。問われたサッキュバスは頷いた。

 事件には自分の責任もあるので、この事件の顛末を見届けたいとの希望であった。

 警備隊の面々、風紗館の関係者らは当然反対した。

 のこのこ最前線に出て行けば、討たれてしまう可能性も高いからである。安全な後方に留まり、事が終わるまでじっと身を隠してくれた方が良いのは言うまでもない。

 

「例え討たれたとしても、その時はその時です。私と言う存在その物が、彼らに不幸をもたらしたのであれば、その責任も取る必要があると思います。

 まして、私の為に討たれるのであれば、その死を目に焼き付けておく必要があるでしょう。己の罪を心に刻み込む為に」

 

 その意を汲んで、宰相はリオンの出向を許可したのだった。

 先の頷きは、その意志が不変であると言う事である。

 

「さぁ、行きましょう」

 

 リオンの宣言に、その場の一同は一斉に頷いたのであった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 第四分署の協力もあって包囲網は速やかに形成された。

 閉鎖地区に通じる道が封鎖され、大通り以外には監視用の簡易結界が張られる。結界と言っても大した物では無く、引っかかると暫く眩しく発光するだけなのだが、総勢三十人に満たない手勢ではこれが精一杯であった。

 

「犬やら、鳩や烏が引っかかっても光るんだよな」

 

 エクシーはぼやく。幸い夜だから、鳥類は対象外になるだろうが、夜行性の猫なんかが引っかかる可能性は高いと見るべきであろう。

 

「昆虫類が対象外なのは有り難いけどね」

「まぁ、そうなるね」

 

 ケイの言葉に同意する。

 ある一定以下のサイズは対象外に設定されている。小型の鳥やらネズミに昆虫とかだ。一々反応していたら、やっていられないからである。

 

「どうか?」

 

 制服のスカートから無数の足、触手をうねらしながら滑る様に現れたのはナイルナ小隊長。そしてラートリィ宰相。エクシーとケイは敬礼する。

 

「異常ありません」

「ここが本命の一つだ。朝になるまでは監視は怠るな」

 

 ナイルナはそう命令すると、懐から地図を取り出して確認する。

 今はとにかく包囲だけに留めているが、夜が明けたら他分署の魔族隊員を動員して徹底的なローラー作戦を展開し、しらみ潰しに閉鎖地区を掃討して行く予定なのだ。

 

「援軍の予定は順調ですか?」

 

 エクシーが尋ねる。

 

「各分署も、突然の命令で調整に手間取ってるからな。

 恐らく昼までには整えられるが、もしかすると朝方の投入は無理かも知れん」

 

 そうなのである。「閉鎖地区を捜査するので魔族の署員を応援に差し出してくれ」と命令されても、「はい、そうですか」とすんなり対応出来る訳ではない。

 警備隊だって署員の半分は非番だし、朝昼晩とずっと勤めているのではなく、機械ではないのだからローテーションを組んで休憩している。突然、命令を受けても、普段の業務に支障なく人員を出せるのかと言えば、これが難しい。

 まして、魔族の隊員と指定があるのだから、よりややこしい。

 魔族のみで構成される第四分署を別にすれば、各分署に所属する魔族隊員の数は十人以下しかおらず、今頃は非番の魔族隊員を叩き起こして、呼集をかけている真っ最中に違いない。

 

「今夜、敵が動かない事を期待したい所ですね」

「全くだ。あ、宰相、ここから先は汚染地域ですので、近づいてはなりません」

 

 ラートリィ宰相に注意を促すスキュラを横目に見つつ、エクシーは担当の道へ視線を戻す。

 エクシー達が陣取るこの道は、外に通じる通りの一つであり、外へ繋がる最短ルートであった。普通なら真っ直ぐここを使って出入りする筈なのである。

 もっともストレートすぎて、『普通、追われてる犯罪者が、この道にのこのこ現れる訳は無いだろ』とエクシーは推測していた。

 宰相やリオンがここに配置されたのもこの為で、現場に最も近いが、ここが一番リスクの少ない場所だからである。

 

「では、私は次の地区へ行く。エクシー・ドラフト。宰相達の護衛、任せたぞ」

 

 ナイルナの台詞からも判るが、エクシーらに任された任務は道の閉鎖よりも、宰相達の護衛に重きが置かれているのは明かだった。

 つまり、ゲストのお偉いさんが勝手な行動せぬ様にお守りしろである。

 閉鎖地区は影響度が低くなっているとは言うものの、未だ魔毒の影響が残る危険地帯。魔族では無い者達が入り込むのはデンジャラスなのである。

 

 本当は宰相やリオンみたいな部外者は、現場に出て欲しくないと警備隊の全員は口に出さずとも思っている。

 どこかの安全地帯に本部でも設置して、その中でぬくぬく報告を待っていてくれた方が助かるのだが、最前線で見守りたいとの意向は無視出来ない。

 だから、ここに回されたのは妥協の産物なんだろうとエクシーは思う。

 

「イナヅマとの直接対決は避けられそうだ」

「え、残念がってるの。エクシー?」

 

 ケイの疑問に彼女は「ああ」と返事をする。

 師匠から聞いた稲妻流の話に、武芸者として心が躍らなかったのかと問われれば、否と答える事しか出来なかったからだ。

 

 稲妻流。自分の真空流と並び立つ魔剣を操る東方剣法。もっとも、東方での評価は両方共に微妙で、邪道とか罵られる事が多い。

 師匠曰く、魔剣法の極意は『勝利こそ全て』なのだそうだ。実戦に於いて負ける事は全てを失い、護るべき者も護れなくなる。だから勝て、どんな事をしても勝利をもぎ取れ。との考えで組み立てられた剣法なのだという。

 

「だから、奴の剣は強いと思う」

「確かに強かったよ。あたしが手も足も出なかったもん」

「そう言えば、ケイは直接戦ったんだっけな。どう思う、あたしの力が通用するかな?」

 

 ケイは首を傾げ、「うーん、得物を持ってるなら互角かな?」との感想を述べる。

 剣技その物は、エクシーと同等であるらしい。しかし、奴の繰り出す『なんとか斬り』が問題なのだと続けて述べる。

 

「あれ、リーチ長いからね」

「まぁ、それに関しての対抗策は考えてる。あんまり使いたくなかったんだけどな」

 

 剣法じゃ無いだろ式の秘術だ。一応、師匠から教わってはいるのだが、卑怯臭いので封印してきた技である。

 しかし、今回、もしイナヅマと対決する事態に陥ったのなら、使わざる得ないなとも彼女は感じていた。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 夜明け前に起床し、支度を整える。

 まだ陽は昇っておらず、カンテラの光の中で腹ごしらえをする。

 

「どうも西方の食事はぼそぼそしているし、腹に貯まらぬな」

 

 黒パンを咀嚼する雷之進が呟く。米の飯が食いたいが、この隠れ家ではそれは叶わない話であった。米その物が西方では余り流通せず、仮にあったとしてもここで煮炊きして、目印になるだろう煙を上げる訳には行かないからである。

 

「この港町だったら、それなりに米を出す食堂があるよ」

「ほお」

 

 パンシャーヌの言葉は正しい。この街は東西交流の最前線だ。東からの物産はそれなりに流通しており、値段を考えなければ入手するのも不可能では無いからである。

 事実、陰陽道に欠かせぬ和紙を彼女は手に入れていた。元の値段を知る戦麗舞にとって、それはえらい高価であったが、入手不可よりはよっぽどマシである。

 何故か、呪符を作る際、西方の紙では上手く作用せず、東方製の和紙でないと駄目なのである。これが製法の問題なのか、材質の問題なのかの原因は不明だ。

 

「さて、準備は出来た」

「あたしもね」

 

 両者は頷きあう。出陣であった。

 ふっと明かりを吹き消すと、アジトである廃屋を後にする。

 もう、ここには戻らないだろうとの予感がする。

 目的地までは歩いて二十分。互いに無言であった。だが、その旅は唐突に終わる。

 

「パンシャーヌ、イナヅマ、御用だ!」

 

 まだ夜が明けきらぬが、辺りはうっすらと明るくなった薄暮の中、強烈な光が一条、彼らを照らしたのである。

 龕灯(がんどう)であった。そして、それを持つ人物には見覚えがある。

 

「エクシーか!」

 

 宿敵、真空流を使う赤堂の一番弟子。下半身が蟹の魔族。

 彼は隣に居る相棒に「戦麗舞、逃げよっ!」と鋭く警告した。だが、サッキュバスは「理音っ」と叫んで駆け出していた。

 

「予定が狂ったが、俺としては好都合だ」

 

 雷之進は間合いを計りながら、背中の太刀をすらりと抜く。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 誰かが近づいてくるのを確認しようと、ライトを向ける。

 このライトは東方からもたらされた龕灯と呼ばれる提灯である。常に蝋燭が上を向く様に設定され、全体が筒に覆われており、一方方向にのみ光が集中する仕組みになっている。

 専門的にはジンバル構造と称するメカなのであるが、エクシーら現場の警備官はそんな事を知る由はない。改良点は筒の先端にレンズが填まっている事で、光を拡散させず、より遠くへと集中させる工夫が成されている。

 

 近年、硝子工業が盛んなエロエロンナらしい改良だ。

 光の魔法が灯された代物なら、なお便利なのだが、残念ながらそんな予算は警備隊には無い。

 

「パンシャーヌ、イナヅマ、御用だ!」

 

 その姿を見たエクシーは思わず叫んでいた。と同時に『何で、こんな所に来る』と心の中で舌打ちをしていた。『のこのこ、普通に歩いて現れるんじゃねぇ』と呆れる。

 全く、こっちが検問を張っているとは思わなかったのか、とにかく、想定外であった。

 

「ケイ!」

「分かった!」

 

 阿吽の呼吸だ。エクシーの伝えたい事を瞬時に理解したヤシクネーは、さすまたを構えつつ後ろへと下がる。VIP達の護衛だ。

 本来、ここには現れないだろうと想定していたので、リオンや宰相なんかが、彼女らの後ろで控えているのである。

 その読み通り、パンシャーヌがそちら目掛けて動いてくる。

 

「阻止しろ、ウィン!」

 

 エクシー分隊の一人、ウィン・スペクターはセイレーンだ。彼女は腕を翼に変形させると、羽ばたいてパンシャーヌへ飛びかかる。

 足に生えた鋭い猛禽類の爪が彼女の武器である。

 

「ちっ、鳥目の癖に!」

 

 悪態を付く戦麗舞。しかし、セイレーンが鳥目だというのは俗説に過ぎない。

 パンシャーヌは突進して来るウィンを躱すと、懐から何枚もの呪符を取り出し、一航過して一旦、上空へ抜けて反転しようとする彼女へ投げつける。

 印を組んで短く何かを唱えると、呪符はセイレーンへ絡み付いて拘束具となる。

 

「あああっ、ウィン!」

 

 ケイの悲鳴と共に羽ばたけず、揚力を失った鳥形魔族は無様に墜落した。

 これでパンシャーヌの前に立ち塞がれるのはケイのみとなった。

 エクシー分隊は本来は四人だが、その内の一人、ソル・ブレインは魔族ではないので今回の封鎖に動員出来なかったのである。

 

「まさか、こんな所で勝負出来るとはな…」

 

 一方、雷之進とエクシーの戦いも開始されている。

 既に辺りは明るくなりかけており、照明無しでも互いの姿は充分確認出来る。エクシーはさすまたを構え、イナヅマの挙動を見逃すまいと神経を集中する。

 

「行くぞ。秘技『電光斬り』っ!」

 

 ぶんっと太刀が振り下ろされる。同時に剣先から紫電が飛んだ。ケイを苦しめた稲妻流の魔剣法である。同時にエクシーもさすまたを回して対抗する。

 

「真空流秘技、『旋風斬』っ!」

 

 ぐるんと回した軌跡から小型のつむじ風が発生し、一直線に雷之進の方へと進む。電光とつむじ風は途中で激突し、対消滅する。

 エクシー自身は『これ卑怯だろ』と思う。

 

「少なくとも剣法じゃないよなぁ」

 

 しかし、師匠は「馬鹿者。戦いに必要なのは手段ではなく、結果じゃ」と主張した。正攻法で堂々と戦っても、負けたら終わりなのだ。

 師匠曰く、「戦場で敵が弓を射かけてきたら、おぬしは相手を卑怯者と罵るか?」であった。これがバリスタやカタパルトでも同じ事。有利に戦える手段が有るのであれば、戦場ではそれを使うのは常識だからだ。

 こっちがナイフしか所持してないのに、向こうが刀剣を持って斬りかかってくる。それも卑怯では無い。試合じゃあるまいし、同条件で相手してくれる敵が何処に居るのだ?

 

 そう、向こうが卑怯だからでは無い。戦場ではやられた方が迂闊なのだ。

 真空流は道場剣法では無く、戦場での戦いを念頭に置いた実戦剣法である。だから、どんな手段を使っても敵に勝て、が教えであった。

 

『稲妻流も思想的には、うちと同じであるらしいね』

 

 太刀を下段に下げたままのイナヅマは、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

 

「流石だ。だが、しかし……、これを防げるかな?」

 

 言うが早いが、イナヅマは「『電光斬り』」を矢継ぎ早に唱えて来た。

 

「ちょっ……」

「『電光斬り』っ」「『電光斬り』っ」「『電光斬り』っ」

 

 ぶんぶん振り回される太刀。無論、切っ先からひっきりなしに紫電が飛んで来る。

 相殺しようにも、相手の技の方が連射性に優れているので対応出来ない。旋風斬は得物を回す動作が必要なので、単純なイナヅマの技に手数が完全に負けている。

 

「参ったね、近づけないや」

 

 幸い、電撃の方向性は直線なので、エクシーは何とか躱し続けていた。事前にケイの体験談を聞いていた為に、対応策を用意していたのも大きい。

 そしてヤシガニの多脚はこう言う時、横移動に優れているので助かっている。

 

「ふはははっ、逃げ回るばかりか、エクシー」

「スタミナ切れを狙ってるんだよ」

 

 魔剣法の基本は魔力である。

 大抵は剣を触媒として、自身の魔力を変換して技を繰り出す。その為、本人の持つ魔力が枯渇すれば、それは打ち止めになってしまう。

 エクシーはそれに賭けた。あんなに連発してるのだから、その内、魔力切れが起こる筈だと。そこからが反撃の狼煙を上げる時になると。

 しかし……。

 

「あいつ、底なしなのか?」

 

 途切れる気配が無い。エクシーの額にじわりと汗が滲む。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 戦麗舞は千載一遇のチャンスを得ていた。

 目標である理音が、何故か知らないが、自分の前に姿を現しているのである。

 しかも、護衛はただ一人。先程やっつけたセイレーンは戦線復帰出来ないだろうから、目の前のヤシクネーを倒せば、後はやりたい放題だ。

 もう一人、近くに白いドレスを着た半妖精の女が居るが、その見掛けから戦闘要員ではあるまい。と彼女は判断する。

 

「理音、覚悟して貰うよっ!」

 

 呪符の残りを出して十数体の紙兵へと変じさせる。手札を全て使い切って後が無いが、今が勝負時であり、ここで出し惜しみすると後悔するとの考えからである。

 これで一気に畳み掛ける。戦麗舞は理音へ向けて駆け出した。

 ぺらぺらな紙の兵士は手に槍を持ち、無言でケイへと躍りかかっていく。

 

「うわっ、それ反則だよぅ」

 

 さすまたで槍を弾くケイ。紙兵の一部はケイを無視して、その後ろに居る理音に迫る。

 理音はじっと迫るサッキュバスを見詰めていたが、無言で後ろへ手を回し、腰に挟んでいたであろう得物を取り出した。

 

 輪を中心に拳大の穀物(鉄球)が三個、鎖によって繋がれている。理音は穀物の一つを握り、ひゅんひゅんと回転させた。

 そして右へ、左へリズミカルな舞を彷彿させる動きで、理音は迫り来る紙兵にその武器を叩き付ける。紙兵は槍でそれを防ごうとするがたわんだ鎖が湾曲し、その穀物が軌道を変えて直撃するだけであった。

 

「なっ!」

 

 戦麗舞はたちまち数体の紙兵を撃破する理音に絶句する。理音は戦闘力が皆無のお姫様だった筈だ。何も出来ぬ、貴族のか弱いお嬢様では無かったのか?

 

「私だって、いつまでもただの小娘ではありませんよ」

 

 その武器、未塵(みじん)と呼ばれる得物を回しつつ、燦然理音姫は静かに呟いた。

 故郷を離れて既に十数年。その間、辛い事、苦しい事、楽しい事や嬉しい事、初めて知る事と様々な体験を経たのである。

 

 武器を扱う事もその一つであり、隠し持てて、非力な彼女にも威力が高い未塵を気に入って、その使い手となっていた。これを覚えた時に盗賊に身をやつした過去もあるのだが、それは今は関係ないので語るまい。

 純粋無垢なお姫様であり、何も出来ない役立たずは、これらを通じて成長していたのだ。

 

「昔とは違う、か。確かに誤算だったよ。敵を殺傷せよ、【氷塊】っ」

 

 彼女は水属性の呪句を唱える。この偽名の元となった。母である淫魔パンシャーヌから教わった西方魔導だ。

 術者の前に鋭い氷塊が形成され、それが高速で理音目掛けて飛ぶ。未塵が振り回され、幾つかの氷塊が叩き落とされるが、完全に防ぐ事は出来ず、飛び散った破片が理音の頬をかすめ、更に腹に突き刺さる。

 理音は「くうっ」と苦痛の言葉を吐く。突き刺さった氷塊が衣装を切り裂き、ぱらりとブラが外れて垂れ下がるのを、片手で押さえながら膝を着く。

 

「あんたに恨みは無いんだけど、死んで貰うよ」

「させるかぁっ」

 

 その声と同時に投げられた物をパンシャーヌは慌てて避けた。石畳に金属音を立てながら跳ね返るさすまた。そして、ケイとか言うヤシクネーが突進して来る。

 無謀だ。まだ周囲に紙兵が群がっており、突き出された槍がケイの身体にぐさぐさと刺さる。だが、突進は止まらず、パンシャーヌは凄まじい勢いの体当たりを受ける。

 ヤシクネーの体重は人間より遙かに重い。その重量差に負け、淫魔はまるで毬の様に弾き飛ばされてしまう。

 

「そいつを拘束して」

 

 ケイが吼えた。弾き飛ばされた淫魔はかなりのダメージが入ったみたいであり、まだ立ち上がれないない様子だが、気を抜く訳にはいかなかった。

 本来は自分が向かうべきだが、今は紙兵にまとわりつかれて身動きが取れない。武器を失ったケイは自前の鋏をおっ立てて、回りの紙兵共を斬り刻んでいた。

 

「分かりました」

 

 それに応えて動いたのは、ずっと後方で事態の推移を見守っていた宰相だった。

 

「汝、動くべからず。【拘束】(ホールド)」

 

 歌う様な美声で、宰相の口が聖句を紡ぐ。

 魔法によってパンシャーヌが身体の自由を奪われてしまうのを確認すると、ミキ・ラートリィは続いて【魔法弾】(マジックミサイル)の聖句を唱える。

 十数発の魔力矢が宰相の頭上に出現し、それぞれが紙兵へと誘導されて次々と命中した。

 

「こんな所かしらね。皆、無事ですか?」

「……あの」

「相変わらずですね」

 

 あれだけ苦戦していた敵の全てを撃破され、もしかして自分達の力など要らなかったのではないか、と言う顔をするケイに向けて、宰相はにっこりと微笑んだ。

 

「あら、皆さんを信頼してるからこそ、手出しを避けたのですよ。

 女伯同様、とっくに現役引退してますし……ね」

 

             ◆       ◆       ◆

 

 戦麗舞との戦いが一段落付いたが、雷之進のエクシーとの戦いは未だ未決着であった。

 とにかく手数が多い。電撃が無茶苦茶な頻度で飛んで来る。

 こいつ『本当に人間か?』と、エクシーが訝る程である。

 

「くそっ」

 

 左右に躱し続けるが、流石に脚ががくがくだ。

 紫電を避けるのも難しくなってきた。

 

「そろそろ終わりだな。赤堂の弟子っ!」

 

 近づけないのがもどかしい。相手の懐にさえ入ってしまえば一太刀を浴びせられるのだが、突っ込んで行く途中で電撃に焼かれるのがオチだろう。

 どうする?

 

「『どんな手を使っても勝て』が師匠の口癖だったな」

 

 陽が昇ってきた。既に十五分以上、戦い続けて居ると言う事か。

 相手が放って来た攻撃は百発を超える。普通は魔力が枯渇して、バテバテになってもおかしくないのに、未だスタミナ切れの気配は無い。

 次の紫電の顔をかすめた時、エクシーは禁じ手を解除する事に決めた。

 

「卑怯っぽいが、相手も卑怯臭いからな」

 

 自分はヤシクネーなのだ。だから、その利点を最大に利用させて貰う。

 お腹を相手へ向ける。

 ヤシクネーの腹部は普通、胸部の下に折り畳まれている。腹部には甲殻がないので柔らかく、それを敵に攻撃されない為に折り畳んで保護しているのだ。

 ここは子供を育てる為の子袋の出入り口と共に、魔糸を吐く糸つぼの射出口がある。つまり、折り畳んだ状態では前方を向いている。

 エクシーは腹に力を入れると、勢い良く魔糸を射出した。

 

「うおっ?」

 

 いきなり撃たれたのだからびっくり仰天だろう。

 細く、しなやかな魔糸がこれでもかと言わんばかりに降り注いだ。少し汚い黄色っぽい色合いなのは、最近、余り糸を吐いてなかったせいだろう。

 

 糸つぼに糸の元となる粘液を貯め込みすぎると健康に悪い。定期的に紡績腺で作られる糸を吐いてすっきりする必要がある。

 最近は本業が忙しくて行く暇が無いが、魔糸を紡ぐ紡績工場で糸を提供すれば小遣い稼ぎにもなるので、糸粘液が溜まったヤシクネーは大抵、そこで糸を吐いている。

 

 本業の糸吐きに比較すれば買い叩かれる値段であるが、糸の精度も悪い(一定の太さじゃなく、長さが劣る低質品)から仕方ない。しかし、それでも小銀貨何枚か相当にはなるので、貧乏な頃には助かった覚えがある。

 

 ちなみに普通のヤシガニは糸を吐かない。これはアラクネーと同じ様に、魔族として備わった特殊能力である。同様に糸の性質も粘着力のあるなしを選べるのだ。

 無論、今のエクシーが吐いた魔糸はべたべたとする粘着性の高い物である。

 だが、この攻撃は目眩ましである。アラクネーと違って操糸精度が劣るので、糸でぐるぐる巻きにして、相手を捕獲するのには使えないのだ。

 絡ませて相手を怯ませた隙に、逃走するのが本来の使い方である。

 

「ぬっ、エクシー、何処へ行った!」

 

 イナヅマが怒声を上げる。

 何とか糸を振り払った時、彼女の姿は忽然と消えていたからである。

 だが、次の瞬間、彼は太刀を取り落としていた。

 投擲されたさすまたが、得物を奪い、遙か彼方へすっ飛んでいったのである。

 

「貴様っ!」

 

 イナヅマの目が見開かれた。

 エクシーが倉庫の壁に貼り付いていた。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 エクシー視点で見ればこれは賭けであった。

 一瞬でも隙を作らせれば、そしてあの得物を奪ってしまえば勝機はある。

 

 魔剣法は文字通り、武器を媒体に発動する魔法の一種だ。

 自分の使う『旋風斬』程度の低級な技なら、普通の武器を使っても使用可能だが、恐らく雷之進の使う技は魔剣が必要。

 相手を旋風に巻き込んで転がす程度の自分の技と違い、あんな高威力なのだから間違いない。

 ならば、魔剣さえ封じてしまえば『電光斬り』や、多分、まだ繰り出してない奥義なんかの使用を封じられる筈だからだ。

 

『だけど、口で言うのは易しだよ』

 

 糸を吹きかけた直後、彼女は全身に力を込めた。

 ぐんっと六本の脚が縮んで伸びる。かかっ、と石畳を蹴って跳躍した。

 同時にお尻から粘着性の魔糸を吐き出す。糸はしゅるしゅると伸びて行き、向かいの倉庫の壁に張り付いた。

 慣性のベクトルが変わり、張り付いた糸の方へ身体が引っ張られる。このままだと壁に取り付く前に地面に激突しかねないので、エクシーは素早く糸を巻き取ってゆく。

 

『よしっ、好位置っ!』

 

 壁に見事張り付いたエクシーは無言で快哉を叫ぶ。

 同時に「んしょ」とばかりに折り畳んでいた腹部を伸ばし、頭と尻の位置を逆転させると、手に持ったさすまたの狙いを定める。

 本来、さすまたは投擲武器では無い。しかし、エクシーら警備隊員は普段からこの武器を投擲する訓練を怠らなかった。本職の投擲槍(ジャベリン)には劣るが、十メートル程度の短距離ならば、当てる自信がある。

 

 幸い、位置は雷之進の真後ろ。やるなら今しか無い。

 投げる。

 肩にでも当たれば武器を取り落とすだろう、と大雑把な感じで投擲したのだが、その一撃は見事ら太刀に命中し、その武器を弾き飛ばしたのだ。

 

「蜘蛛の真似事か。猪口才な」

「雷撃さえ無ければ!」

 

 慌てて獲物を拾う動きを見せる前に、再びエクシーから魔糸が発射され、続いて六本の脚が壁を蹴る。射出された糸の巻き取りも行っている。

 放たれた魔糸は、向かい側の壁にぴんと糸を張り、続いてヤシクネーの巨体がブランコの要領で宙を舞う。

 そのまま、体当たりだ。

 体当たりと同時に糸を切り、組んず解れずの体勢で絡み合った。

 

「あたしの……勝ちだ!」

 

 ヤシクネーの巨体がのし掛かっている。

 だが、勝ったと思った次の一瞬、エクシーは投げ飛ばされてしまう。

 

「油断したな」

 

 イナヅマが繰り出したのは東方の無手武術だ。体格差をものともせず、巴投げの要領でヤシクネーを投げ飛ばした彼が立ち上がる。

 投げ飛ばされた方のエクシーも、空中で体勢を立て直して着地。

 

 幸か不幸か、その投げ飛ばされた着地点に奴の太刀が転がっていた。武器を失ってしまった彼女は、呪いはあるまいと判断してそいつを拾う。

 イナヅマも太刀の回収を諦めたのか、腰の刀を抜いた。

 

『もし、あれが太刀と同じく魔法武器であるなら、あたしの負けだね』

 

 魔剣は貴重品である。余程の資産家でも、おいそれとは買えないアーティファクトだが、奴程の使い手ならば予備の魔剣を持っている可能性は低くはない。

 奇襲は警戒されているから、手の内を見せてしまった手前、既に使えないだろう。

 

「だが、まだ負けた訳じゃ無い」

 

 突っ込む。警戒しながら馬鹿正直に一直線に突進する。奴の『電光斬り』を食らうのは覚悟の上だ。それは力押しの勝負しか無いとの判断だ。

 六本の脚がガチャガチャと乾いた音を立てる。ヤシガニは見掛けに反して素早いが、ヤシクネーたるエクシーだって、移動速度に関しては負けちゃいない。

 無論、紫電の一発程度なら耐えられるとの計算もある。そして、接近戦なら互角に戦える筈だとの自負も。

 

 斬撃がエクシーを襲う。

 太刀を使って躱すが、相手の手数が多い。加えてエクシーは東方の刀には不慣れである。本来、彼女の得物は長柄武器なのだ。

 何とか上半身への攻撃は防ぐが、下半身のヤシガニ体に攻撃が入り始め、頑丈な殻が傷付いて行く。但し、本来の雷之進の持ち味である力任せの叩き技をするのには刀は軽すぎる為、ケイを相手にした様な、殻をかち割る程の威力は発揮出来ていない。

 勝機は見えた。

 

 エクシーは最後の切り札を繰り出す。

 本来、ヤシクネーは十本の脚を持っている。内、六本は移動肢。二本は退化して鰓室(こいしつ)に収まって外からは見えない。そして残りの二本はエクシーが普段は使わない鋏である。

 その握力は成人ならば1tを超え、太い鉄棒すら曲げてしまう。

 ヤシクネー本来の生体武器であり、最大の攻撃手段である。だが魔物相手ならともかく、普段は人間相手ではオーバーキルになるので封印しているのだが、エクシーはこれを解禁した。

 まず、鍔迫り合いになる様に刀を誘導し、相手の動きを止めた時に左の鋏が刀をがっちりと掴んだ。

 

「ぬうっ?」

「仕留めた」

 

 そのまま力を込めると、エクシーの鋏は刀身をかち割った。

 柔な西方の剣と違い、ぐにゃりとは曲がらずに硬質な音を立てて折れたが、鋏の方も半分、刀身が食い込んで酷い惨状だ。武器としては当分は使えないただろう。

 邪魔な武器が無くなったので、そのまま強引に巨体を寄せてのし掛かる。今度は投げ飛ばされぬ様に、地面へ向けて固定用の魔糸を吐いた。

 

 そして、組み伏せた雷之進の首にエクシーの巨大な右鋏が突き付けられていた。

 当然、その鋏を閉じたら首と胴体が泣き別れになる。

 

「拙者の負けだ……。さぁ、首代を挙げるがいい」

 

 覚悟した様に雷之進はそう述べて目を瞑った。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「どうやら、あっちも片付いたみたいですね」

 

 気絶したウィンを聖句魔法で癒やしつつ、ラートリィ宰相は述べた。

 ケイはパンシャーヌを引っ立てており、その側にはリオンが警戒しながら監視の目を光らせる。

 

「う、あ、ら、らい、らい……」

 

 パンシャーヌこと戦麗舞は、雷之進に何か言いたげであったが、拘束魔法の影響のせいでろれつが回らない。眼前の光景を見ている他なかった。

 

「殺しはしない」

「情けか」

 

 エクシーは首を振った。

 

「違う。あたしは市衛(シティガード)だ。狂戦士(バーサーカー)じゃない。

 あたしの目的はあんたとの勝負に勝つ事だった。あんたの命を奪う事じゃ無い」

 

 続いて、「誰が好んで人殺しなんかしたいもんか」と呟く。

 彼女の本音である。

 

「甘いぞ。赤堂の弟子」

「東方の侍とは考えが違うんだろうさ。ケイ!」

 

 エクシーはケイとウィンが近くに居るのに気付き、彼女らの名を呼んで雷之進を縛る様に伝えた。

 拘束が完了すると、ようやく鋏を首から外す。

 

「仇を討てなんだか……」

「あんたが弟分を殺されて、師匠を恨んでるのも解るけどね。

 あれは尋常な勝負じゃ無かったんだろ。逆恨みもいい所で、師匠一人に門下生十数人が襲ってきたって聞いたぞ」

 

 御前試合に負けた稲妻流の門下生達が行った闇討ちだと聞いていた。

 多勢に無勢。

 その為、師匠は真空流の最終奥義『赤堂、真空四つの字斬り』を使わざる得ず、人死にが出る結果に終わったとも、エクシーは聞いている。

 四つの大カマイタチが周囲を薙ぎ払い、壊滅させるらしいのだが、実はエクシーもこの最終奥義とやらは直に見た事は無いし、自分も使わない。

 

「それは解っている。だが、それでも激怒は……、弟は……」

「それと今回の件は別だ。罪はあがなって貰うよ」

 

 押し黙る雷之進。そこへ宰相らが現れる。

 だいぶ魔法の効果が薄れたのか、戦麗舞が侍に近寄って様子を見る。

 

「ご苦労様」

 

 労いの言葉を掛けてくる宰相に、エクシーは敬礼で答える。

 

「宰相閣下、取り調べは本部で行います。済みませんがご同行願いませんか?」

「構いません」

 

 異変が起きたのはその直後だった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「らいのしん!」

 

 まだ、口の麻痺が解けておらず、ろれつの回らぬ口調だったが、パンシャーヌの叫びは悲痛な物であるのは判る。

 

「ぐぉぉぉっ、戦麗舞っ、俺から離れろっ!」

 

 身体を丸めて叫ぶ侍。

 目で見うる形で気(オーラ)が放出され、その身体がめきめきと変形して行く。

 

「こっ、こいつは?」

「汚染地域の影響ですね。オーガ(大鬼)、でしょうか?

 以前、同じ様になった者を見た記憶があります」

 

 周囲がざわめく中で、一人、ラートリィ宰相だけが冷静に、いや、冷徹に事実を述べた。

 

「オーガ?」

「魔化するのです。多分、このままでは理性も失ってしまうでしょう」

 

 エクシーの問いを受けて、白の宰相は答えを返した。

 こうなると人間用の縄なんかの拘束は意味を成さない。ぶちぶとちとオーガは容易くそれを引きちぎり、咆哮を上げてぎろりと周囲を見回す。

 元より大男だったので身長はそれ程増えていないが、数倍にサイズの増えた体躯にははち切れた着物の残骸がぶる下がり、頭には二本の短い角がある。

 オーラの放出こそ止まったが、その姿は異形へと変化していた。

 

「雷之進っ!」

 

 ようやく口調が戻ったパンシャーヌの問いかけにも答えない。ただ「勝負ダ。赤堂ノ」と機械的に繰り返すだけである。

 

「エクシー分隊長、如何に対処しますか?」

「防戦一方だ。あたしらに対処出来りゃ、それに越した事は無いけど。くそっ、奴の魔力が桁外れだったカラクリは、これか!」

 

 戸惑うウィンに宰相の護衛を命じて下がらせつつ、エクシーは元侍と対峙した。

 思えば、並みの人間を超える底無しの魔力を使っていたのも、これが原因だったに相違ない。勝負が始まる前から、魔化の兆候が見えていたのだろう。

 

「あんな汚染地域で、寝泊まりなんかするからだ」

 

 剣を向けつつ、相手を口汚く罵るエクシー。

 その言葉を捕らえたのか、イナヅマがエクシーを見付けてにやっと笑う。

 

 因縁の対決、第二ラウンドが開始されようとしていた。

 

 

            ◆       ◆       ◆

 

 魔化。

 それは通常の生物が、特殊な高濃度の魔毒に汚染される事である。

 こうした魔力汚染の末に身体が異常進化を遂げ、異形の生物となったのが魔族や魔物であると言われている。

 

 同じ魔化でも徐々に変異する進化型は、長い時間をかけてゆっくりと変異する。

 魔族や魔物として種族が固定化されるのに少なくとも数世代は必要とする。徐々に進化収斂を繰り返し、汚染源である魔力の影響が及ばない土地でも生きて行ける様になる。

 元の生物の特徴を伸ばしたり、更に別の特徴を得て行くのだ。

 

 エクシーの種族であるヤシクネーが良い例だ。

 ヤシクネーは単なるヤシガニが巨大化して、女性の上半身を持っただけではない。胎生生物としてや、糸を吐ける蜘蛛の特徴も得ている。

 更に近年では低温下では呆気なく死滅するの彼女らが、降雪程度では死なない耐寒性まで身に付けつつある(でも、寒さに弱いのは直ってない)。これも魔化による進化の結果なのである。

 

 これに対して魔毒による突然変異型は変化が急である。

 退魔抵抗の低い者が侵され、一気に変化するだけに身体に負担が掛かりやすく、強大な力を得やすい反面、寿命は短くなる傾向にある。種族として固定化される事は少ない。

 イナヅマの場合、真にこれである。

 但し、それたけに汚染源との関連は密接で、その場所から遠くに離れる事は出来ないとされている。つまり、ここから遠くへ離れれば死ぬ。

 

 更に魔毒による変化はアンデット化も含まれるが、これはもう死霊魔術の領域で、生物学的見地からは論ずる事は出来ない。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「勝負ダ」

 

 言語中枢もどうにかなってしまったのだろう。

 イナヅマは機械的な声で呟きながら、身構えている。

 

「無手の相手に得物付きで立ち向かうのも、何だよね」

 

 対するエクシーも刀、イナヅマから奪い取った魔剣だ。を向けている。

 しかし、敵が素手だと言っても、丸太の様に太い腕に鋭く伸びたかぎ爪の様な指が付いた手。下手な武器よりも強そうな感じではあり、こっちも素手でとはやり合いたくは無かった。

 前肢である鋏脚なら対抗可能だけど、それではオーバーキルになってしまう。

 

『いや、案外、この鋏でも耐えられるかも知れない』

 

 エクシーの大きな鋏脚でもイナヅマの腕は千切れない可能性はあるが、そんなのやってみるまでは判らないから、自重しようと思う。

 後悔先に立たず。

 もしも、見込みが外れてちょん切ってしまった場合、「あ、御免」では取り返しが付かないからだ。まずは敵の強さを確かめる必要がある。

 だから、エクシーは先手必勝とばかりに斬り掛かった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「凄いですね。分隊長の剣を受け止めてますよ」

 

 宰相に何とか傷を癒やして貰ったウィンが、驚きの目でその光景を見詰めている。

 魔剣すら受け止める腕なんか常識の範囲外だ。

 宰相は頷いて「それだけ魔化が激しいのでしょう」と告げる。

 

「しかし、形勢は不利ですね」

「えっ、分隊長が押している様に見えますけど」

「スタミナの問題です。エクシーは連戦。そしてその疲労は回復していないと見ます」

 

 確かに、散々、防戦に回って一気に勝負を付けたが、エクシーは連戦だ。

 時間にしてほんの五分、少しの休憩を挟んだだけである。

 

 冷静に見えるが、宰相の美しい眉間にしわが寄っていた。敵はそれだけ強大なのだと言外に告げている。もし、手が負えない様であれば、彼女は自分で動くつもりであった。

 

「雷之進……」

 

 戦っている光景を見詰める者はもう一人。パンシャーヌこと戦麗舞である。

 両手はリオンに拘束されてはいる物の、口の方はどうやら麻痺から回復している様子である。

 

「どうにかならないの?」

「……あれだけ変異してしまったら、元へは戻せません」

 

 パンシャーヌの問いに、残酷だが宰相は真実を述べた。

 変異前の状態なら【浄化】魔法によって何とか出来たのかも知れないが、ここまで魔毒の影響が広がってしまったのなら、宰相でも手の施し様は無い。

 

「エクシーが勝てるかどうか。それすらも分かりませんしね」

 

 白の宰相は愛用の魔導ロッド(魔法短杖)を握りしめた。ミスリル製の魔法発動体であり、尾部の形が羽を模した形になっている逸品である。

 下手をすると、この力を本気で解放せねばならなくなるだろう。

 

「そんな……」

「見逃せば汚染が広がってしまいます。私は宰相として彼を倒すしか道は無いと判断致します」

「あたしはどうなっても構わない。だから…だから、雷之進を助けて!」

 

 泣き叫ぶ淫魔に宰相は困惑する。

 

「宰相閣下」

 

 そこへ声を掛けたのは、もう一人のサッキュバス。破れた衣装を補う様に、裳唐衣の重袿(かさねうちき)を羽織っている。

 リオンが宰相へ、つかつかと近付くと片膝を着く。

 

「何か?」

「私からもお願い出来ませんか。私の封印を一時的に解いて下されば……」

「確かにそれを使えれば、あの男を魂は救えるかも知れません。

 しかし、あれは貴方自身が封印を望んでいた筈ですが……」

 

 ミキ・ラートリィは困惑していた。リオンの申し出は自身が悪用されぬ為に、敢えて封印を申し出た忌むべき能力であったからだ。

 

「構いません。戦麗舞達がああなったのも元々の原因は私のせいです。せめて抹殺では無く、その魂は救ってあげるべきでしょう」

 

 リオンはきっぱりと告げて、最後に「ご面倒ですが、使用後に再封印をお願いします」と付け加える。宰相は苦笑するが、それでも首を縦に振らざる得なかった。

 

「その前に……。まずはパンシャーヌの方ですね」

 

 宰相は戦麗舞に近寄って、その頭に片手を乗せた。

 

「聖なる力。今、呪われた使命より戒めを解かん。【聖・解呪】!」

 

 宰相の呪句が唱えられる。

 同時に戦麗舞の頭の中に響く、【ギアス】の指令が消え去って行く。

 

「え……これは【聖句】の……」

「貴女にかけられていた呪文は消し去りました」

 

 信じられないと言う表情で呆然とする戦麗舞。あの【ギアス】を、高司祭クラスではないと歯が立たないと言われていた呪われた魔法を、ミキ・ラートリィは解呪したのである。

 

「どうなっても構わない。それは本心ですね?」

 

 戦麗舞は壊れた人形の様に、がくがくと何度も首を縦に振った。

 気圧される圧倒的な力。それを目の前にして嘘、偽りは通じないと悟ったからである。

 宰相は満足げに頷くと「これから貴女は、我が領所属の淫魔として働いて貰います」と事務的に告げる。

 

「あ、あたしが?」

「エロエロンナ領の奴隷になる事に等しいかも知れません。

 それでも構わないのであれば、イナヅマを生かしたまま助ける方法はあります」

 

 しかし、白の宰相は最後に「人間としてでは無く、魔族になってしまいますが」とも付け加えて、「どうするかは貴女次第です」と選択を迫った。

 

「雷之進が助かるのなら、あたしはどうなっても良いよ!」

 

 その答えに宰相は頷くと、先程と同様にリオンの封印を解く準備に掛かった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 刀を素手で受け止める。

 数度干戈を交わした上で、エクシーは『魔物だ。これは完璧に魔物の域に達してやがる』と内心焦っていた。

 

「ワハハハ」

 

 変なイントネーションの笑いが木霊する。

 イナヅマは「ソレガ、オ前ノ実力ナノカ」と馬鹿にした調子でエクシーを挑発した。

 ヤシクネーも魔族ではある。しかし、魔族の中でも実力が高いかと言えばそうでもない。元々、魔軍の中でも奴隷であり、食料であった過去を持つ。

 性格が比較的温厚なのも、高い能力を持ちながらも戦いの中で実力を発揮出来ない原因でもある。エクシーみたいに荒事を生業とする職業に就いても、中々、他の魔族の様に残虐になれない。

 

「くそっ、心の中の獣性を呼び覚ませ、だったか!」

 

 以前、対戦した魔族の男が言っていた話だ。

 それは『何もかも忘れ、目の前の戦いだけに集中して暴れ回れ。

 周囲の損害とか、誰かが巻き込まれるとかは考えるな。殺せ、立ちはだかる者全てを殺せ』との内容であった。

 狂戦士(バーサーカー)化の教えであるのだが、幸か不幸か、エクシーはまだこの窮地に達した事は無かった。

 

「隙ガ多イゾ」

 

 あっという間に迫られ、重い一撃が飛んで来る。

 咄嗟に前の鋏脚で防御するが、恐ろしい事にパンチが命中すると同時に甲高い金属音が響いて、甲羅が割れた!

 

「あぐっ」

「美味ソウダ」

 

 割れた鋏脚から赤い血が染み出す。

 イナヅマはそれを見てぺろりと舌を出し、次の瞬間、エクシーの鋏脚にかじりついた。

 

「うわぁぁぁぁ!」

 

 痛い、凄く痛い!

 このままじゃ、とエクシーは判断し、『うわぁぁ、自切!』と心中で思いっきり叫ぶと、覚悟を決めて脚を抜いた。

 ぼろりと噛み付かれた左鋏脚がもげる。切断面は直ちに遮断され、透明な膜が降りて体液の噴出を押さえるが、残された左鋏脚の方からは血が迸っている。

 

「鋏の自切なんて、子供以来だから痛かったじゃないか!」

 

 ヤシクネーの脚は他の甲殻類と同じく、いざと言う時に切り離せるのである。

 無論、切り離した後は再生するが、エクシーはまだ子供の頃、カモメに突かれて鋏を献上して逃げた時以来の体験である。

 あの頃は身体も掌サイズだったから、カモメが怪鳥に、猫がライオン張りの猛獣に見えていたのを思い出して怖気が走る。

 

「美味イ。ソノ身体モ美味いノカ?」

「やらねぇよ。折角、カモメから生き残ってきたんだ。お前に喰われたら、死んでいった姉妹達に顔を会わせられないからな」

 

 そう、カモメに喰われてしまったエクシーの姉妹達。鋏一個で済んだエクシーは幸運だったと言えるだろう。『姉妹の分まで生きてやるんだ』との想いが、彼女を強くしている。

 

『だが、どうする?』

 

 やや離れて様子を窺う。

 ヤシクネーの鋏は本当に美味いらしい。共食いみたいになるから、エクシーは甲殻類を口にした事は無いが、他者に言わせると「タラバガニかオマール海老の味」に近いそうだ(ただ、血液が銅系じゃ無いから血抜きしないと生臭いらしい)。

 

 イナヅマはそれを堪能しているらしく、ばりばりと殻を砕きながら一心不乱に肉を食いまくっている。勝負をかけるのなら、機会はこの時しかあるまい。

 いつものイナヅマであれば隙を見せる事は無い。魔物化した為に、注意が散漫になっているのかも知れない。

 

『始末書覚悟だなぁ』

 

 ここは赤堂流の究極奥義を使うべきだと判断した。

 奴の力を考慮に入れると、もう不殺だの何だの言える段階は過ぎてしまっている。

 ここは相手を殺す事まで考えに入れて、一気に勝負を付けねば、こちらがやられてしまう。

 

 実を言うといつもイメージトレーニングばっかりで、本当に技を放ったのは一回切りである。誰も居ないだろう、東の砂漠で試してみたのであるが、あんまりにも威力が大きすぎて、技を最終段階途中で中止した経緯がある。

 師匠曰く、完成すれば「奥義である真空斬りの四倍の威力がある」らしい。

 こんな街中で放ったらどうなるのだろうと一瞬、考えたが、エクシーは頭をぶるぶると振ってそれを追い出した。どうせ倉庫街は無人地帯だ。巻き込まれるとして動物だろう。

 

 全身の魔力を剣先に集中する。

 ぐぐっと身体から力の塊が引き出される感覚。先程の〝旋風斬〟とは桁違いの魔力が引き出されているのが、自分でも分かる。

 

「アカドー、真空四つの字斬り!」

 

 ぐいんと大きく刀を回すと同時に、魔力媒体である魔剣からイメージによって形成された竜巻が出現する。ぐんぐん大きくなり、空気摩擦によって「きぃぃぃーん」とか「ちゃりん、ちゃりん」と金属質の音すら立て始める。

 エクシーはそれを振りかぶりイナヅマの方へと放つと、跳躍して上から竜巻を斬った。返す刀で下からも更に斬る。

 合計四つになった竜巻が物凄い勢いで、進路上の物を飲み込んでバラバラにして行く。

 

「うわぁ、やっぱり大災害だ」

 

 建物を吹き飛ばし、路上の敷石を剥がし、立木を根元から引っこ抜く。

 当然、この攻撃を向けられたイナヅマだって無事には済まない。カマイタチの様な竜巻に巻き込まれ、最初は耐えていたものの、吸い上げられ、上空をグルグルと舞う。

 暴虐な真空の竜巻が消えたのはそれから十数秒後。

 手にしたエクシーの鋏すら、殻ごと粉砕されてしまう代物である。血飛沫を撒き散らしながら、四肢が折れ、あらゆる所に傷を負いながら、魔物と化した侍が地面に叩き付けられる。

 

「封印だ、封印。こんな技は二度と使っちゃならん」

 

 師匠が究極奥義と言うだけはある。

 これ一発で、軍隊なんか一捻りだとほざいていたのも納得だ。

 

「あ、あれ?」

 

 トドメを刺すべく駆け寄ろうしてが、エクシーは自分の脚が動かないのに困惑する。

 今、息の根を止めないとならないのに、下半身が自分の物で無いみたいに重く、全く自由が効かないのである。

 疲労感が下半身から昇ってくる。

 そしてそれが頭にまで到達した時、ヤシクネーは意識を失った。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「分隊長!」

「エクシーは大丈夫だよ」

 

 ウィンが飛び出そうとするのを、手で制したのはケイ。

 

「奥義の為に魔力を使い果たしたんだ。命には別状はない筈だよ」

 

 但し、恐らく数日は爆睡する羽目に陥るのをケイは知っていた。

 ケイは『エクシーってヤシクネーだから体重100kg越えだったよね』と計算してうんざりするが、自分を助けてくれた時を思い出して、その考えを慌てて追い出す。

 ふと『台車、分署にあったっけ?』と記憶を探るが、荷馬車を借りた方が早いと結論付ける。

 

「じゃ、分隊長の代わりに奴を仕留めなきゃ」

「そだね」

 

 改めて武器を抜く警備隊員達。

 治安維持部隊ゆえに非殺傷武器が主装備だが、日常使用の為に短剣は支給されている。

 〝クリス〟と呼ばれるナイフで、低質ながらも魔力付与がされており、時折現れる通常武器無効の相手にも効く様になっている。

 もしイナヅマがそんな身体だろうが、心臓を一刺しすれば仕留められる筈である。

 

「トドメを刺す必要は有りません。リオンが始末を付けるでしょう」

「宰相閣下」

 

 その言葉と共に前へ出るのはリオン。

 長い着物を脱ぎ、全裸になってイナヅマの元へと歩みを進める。

 

「ウグ…マ、マダ、勝負ハ……」

「付いています。エクシーさんの勝利ですよ」

 

 ダメージの蓄積で身体は動かせないが、何とか口は動かせるらしい。

 敗北を未だ認めようとしないイナヅマへ、リオンは言い含める様に客観的な結果を伝える。

 

「戦麗舞さんのお頼みです。貴方を食べさせて貰います」

 

 酷く冷酷に言い放つと、リオンの裸体に変化が生じた。

 頭からねじくれた角が生え、背中に黒く大きな翼が生えると一気に膨張する。

 

「え、ええっ、ロイヤルサッキュバス(王族種淫魔)?」

 

 ケイが素っ頓狂な声を上げるのも無理は無い。

 大きなコウモリを思わせる収納可能な翼と頭に現出する角は童話とか、お話の世界でしか聞いた事の無い、王族種の淫魔だけが持つ特徴であったからだ。

 

 ロイヤルサッキュバスは古代王国期にほぼ駆逐され、伝説上の存在では無かったのか。

 今の世界のサッキュバスは全て、レッサー種であるコモンばかりでは無かったのか。

 自分の愛している淫魔が、リオンがそれだなんて……と混乱するケイに、リオンは寂しげな笑いを浮かべると、背中の尻尾を前に突き出した。

 

「まさか、自分がこの能力(ちから)を使う羽目になるとは思いませんでした」

 

 逆三角形の鏃型をした尻尾先端がぶわっと膨らむ。

 先端に縦の筋が入り、ぱかっと大きく開口する。その内部にはぬらぬらと襞がひしめいており、どろりと甘ったるい匂いの液体が滴り落ちて地面に染みを作った。

 ケイは知っている。あれは搾精に使う吸引器官だ。滴り落ちた物は愛液。しかし、ただの体液では無く、媚薬にも似た催淫物質の塊である筈だった。

 

「これを見たら、ケイは私を嫌いになってしまうかも知れない……でも」

 

 尻尾がぐんと伸びた。

 先端部分は更に膨らんでスイカ大の大きさまで巨大化すると、倒れて唸っている稲妻の頭にずっぽりと被さり、その頭部を完璧に飲み込んでしまう。

 

「この人の魂を助ける為だから!」

「オガァァァ」

 

 リオンとイナヅマの叫びが交差する。

 完全に喰われ、くぐもった声しか出せない魔物を尻尾はずるずると飲み込んで行く。

 イナヅマは当初、両手で尻尾を外そうと努力していたが、尻尾の吸い上げるスピードは速く、たちまち肩まで飲み込まれ、続いて胴体、そして足の先まで全てを中に収めてしまう。

 艶っぽい声で「あんっ、あんっ」とリオンが喘いでいる。

 獲物が管の中を通る度、快感が迸るのだろう。煽情的な表情で快楽に耐える姿は美しいとケイは思ってしまう。

 

「始まりましたね」

 

 宰相の声。尻尾の中に取り込まれた相手は、縮小魔法の力で管の中を下る度に小さくなって行き、最終的に尻尾の根元を過ぎて、リオンの胎内へと送られて行く。

 胎内に入った瞬間、リオンのお腹が音を立ててぼこっと膨らむ。「はぁ、はぁ」と荒い息をつきながら、リオンは宰相の方を向いた。

 

「収まりました。今から、同化再出産を行います」

「これって……」

 

 事の成り行きに唖然としていたパンシャーヌが口を開く。

 

「雷之進をサッキュバスに生まれ変わらせるのかい?」

「はい。今はそれ以外、この方の魂を救う道はありません」

 

 リオンが説明する。

 

「済みません。忌むべき力なので封印していたのですが…」

「それを選択したのはあたしだ……。

 あの世へ行くよりは、どんな形でも生きていて欲しかったから」

 

 理音自身が、昔、この力で淫魔へと変えられたのである。

 普通の人間からサッキュバスへと変えられた者の苦労は理解していた。だが、その魂は元のまま生かすのにはこれしか無い。しかも、今の戦いでイナヅマは既に生命の灯火が消えかけている。再生するにはこの手しか無いのだ。

 

「吸血鬼(ヴァンパイヤ)が眷属を増やす方法に似ているね。ケイ」

「でもあれは不死怪物(アンデット)になって、さらに上位の吸血鬼の下僕になっちゃうよ。自由意志を持てない単なる奴隷だ。それよりはマシかも……」

 

 警備隊員二人が会話を交わす。

 宰相がリオンへ「産まれてくるのはレッサー種?」と確認を入れる。

 リオンは「恐らく。ただ私みたいに、たまにロイヤル種がが誕生する可能性もあります」と告げた時、急激にお腹が膨張した。

 

「うっ、産まれます!」

 

 リオンが叫ぶ、そして……。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「ふーん」

 

 ケイから経緯を聞いていたエクシーは、現実味の無い話だと思いつつ、病室の傍らでもぐもぐと朝飯を食っていた。

 

「まぁ、エクシーは絶賛爆睡中だったからね」

「そのシーンは見たかったけど、エグそうだな」

 

 本署の付属病院で出される飯はそれなりで、美味くも無ければ不味くも無いが、量が足りない気がする。後で買い食いしようと画策する。

 あの戦いから数日経っていた。

 

 魔力を使い果たしたエクシーは寝込み、ようやく目覚めた時には病室の住人になっていた。

 ケイから「重いから大変だったよ」と聞かされ、近所の家から土砂運搬用に借りた一輪車(いわゆるネコ車)で運ばれた事を知って、間抜けな光景に顔を赤らめたりしたが、一番の悩みは猛烈に腹が空いた事であった。

 

「椰子が食べたい。ココ椰子じゃ無くても構わない。ナツメで我慢するから」

「お医者さんから禁止されてるよ」

「ヤシクネーは椰子の実を食べないと元気が出ないんだよ」

「それガセだよ。美味しいけどね。コプラ」

 

 椰子の実は熱帯産の植物だが、エロエロンナ始め沿岸地方でなら容易に入手出来る。

 昔、南洋から移住してきたヤシクネー達が、椰子の実を食べたくて親の敵みたいに植えた結果である。昔は椰子と言えばナツメ椰子中心だったのが、最近ではココ椰子に栽培面積を逆転されているのもその為だ。

 ちなみにコプラとは椰子の実の胚芽部分。ココナッツミルクやナタデ・ココの材料だ。

 

「ちぇっ、まぁいいや。所で……」

 

 エクシーは声を潜める。「機密になると思うんだけど、イナヅマやパンシャーヌはどうなった?」とその後の行方を尋ねる。

 ケイは首を横に振った。

 

「多分、娼館預かりになるんじゃ無いかな。流石にその先はあたしら当事者にも秘密だね」

 

 言うまでも無いが此処までの会話も守秘義務があって、エクシーやケイは当事者だから知る権利はあるとして許可されているものの、他者には口外無用の情報である。

 うっかり第三者に口を滑らしたとしら、どんな目に遭うかも分からない。

 相手はあの宰相と、海軍諜報部なのだから。

 

「それにしても綺麗だったな。あれが元々、あのむくつけき男だったとは信じられないよ」

「奴の再生体か?」

「うん。完璧な美少女。あ……と、基本性別はふたなりなんだろうけど」

 

 と、そこへドアをノックする音。

 続けて中へ入ってきたのは、シュシュ・トリアン小隊長とリオンであった。

 部屋の二人は居住まいを正して敬礼する。小隊長は「楽にしろ。身体はどうか?」と問うて来た。

 

「猛烈に腹が減ってます。酒も飲みたい気分です」

「正直な奴だな。担当医には伝えておこう、さて……」

 

 小隊長は改めてエクシーの顔を見詰めた。

 

「辞令がある。お前は今回の働きによって、正式に分隊長へと格上げとなった」

「は?」

「宰相閣下からも感謝の意が届いている。『よくやってくれました』とな」

 

 残念ながら、ミキ宰相は直接こちらには窺えないとも告げられたが、来たら来たでびっくり仰天だ。おまけに金一封も出たらしい。階級が上がった事で給料もアップしたから、エクシー本人としては、お大尽になってほくほく顔だ。

 

「だが、あの技。あれは禁止だ」

「ですよね。あんなの外道です。イナヅマ相手じゃ無ければ決して使いませんよ」

「宰相閣下は笑って許してくれたが、普通に考えたら、あの被害は天文学的だぞ。取りあえず罰金は無いが、始末書はきちんと提出する様に」

 

 倉庫全壊二棟。半壊五棟。石畳の被害が50m分。街灯他、公共物損害多数らしい。

 締め切りは明日中と聞いて、少し引きつるのは内緒である。

 

「今回の犯人達の行方を知りたいと思って、本人の希望もあって連れてきた。

 だが、分かってるとは思うが他言無用だぞ」

 

 ぺこりと裳唐衣に身を包んだリオンが頭を下げる。

 

「イナヅマとパンシャーヌの二人は、海軍の管轄になった。言うならば宰相の監視下だな。

 彼らがどんな風にこき使われるのかは、私には想像も付かない」

「恐らく、東方呪術やそっち方面が今後、取り入れられるのだろうと思います」

 

 シュシュの説明にリオンが補足する。そして娼婦としても使われるに違いない。

 エクシーは元男性のイナヅマが、どんな気分になるんだろうかと考えて気の毒になった。

 

「リオンはどうなるの?」

「私は再封印を施されて、もう、王族種の力は使えません」

「じゃ、今まで通りなんだね」

 

 ケイのその言葉に、リオンは顔を伏せた。

 

「その……ケイは私の事に幻滅しなかったの?」

「どうしてよ」

「恐ろしい王族種の淫魔なのよ。私」

 

 秘密が知られてしまったからには、今まで通りの恋人関係は難しい。

 リオンはそう判断している様子であったが、当の恋人はあっけらかんとして「リオンはリオンでしょ。あたしが好きな理音は心の優しくて、思いやりのある淫魔だよ」と断言した。

 

「ケイ!」

「ああっ、リオン」

 

 抱擁する二人。濃厚な接吻まで始めて目のやり所に困る。

 

「あの、小隊長」

「ん?」

「お花摘みに行きたいので手を貸して頂けますか」

「偶然だな。私も尿意を感じていた所だ」

 

 そのままベッドを抜け出して、女二人は廊下へと出た。

 

「お邪魔ですからね」

「ああ……。目の毒だ。あれは」

 

 病室の中では色っぽい声が上がり、本来はエクシーが寝ている筈の寝台で、何やら愛の営みが開始されている様子である。

 

 その一年後、公娼の年期が過ぎたリオンとケイは結婚した。

 皆に祝福され、その式は盛大に盛り上がったと言う。

 

 

〈FIN〉




キャラ名は特撮他のパロディ多し。
タイトルのリオンは、燦然、鯖だ! パンシャーヌは美少女セレブ。
エクシー、ソル、ウィン、そしてブルースは分かるでしょうが、シュシュは有言実行三姉妹。
ナイルナさんは不思議シリーズ。ケイは汽笛ぴぽぴぽ、走れ!から。
豪雷之進と激怒烈震は巨烈兄弟(笑)。
アカドーは無論、日本一の少年剣士。

ちょい悪ノリしすぎたなって反省はありますね。
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