キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
「お久しぶりですね、キノさん」
「お久しぶりです、カルチェラタン伯爵夫人。またお茶会に招待していただき、ありがとうございます」
大きな屋敷のバルコニーにキノはいた。
やわらかな日差しと花の香りが包むこのバルコニーで、用意された椅子の一つに座って正面にいる人物……カルチェラタン伯爵夫人と話す。
庭園の方からは、子供たちの声と演奏された音楽が聞こえてくる。
曲の中にはキノもよく知っている曲があり、あの人らしいチョイスだな、とほほが緩んでいた。
「ここに来る前に、少し周辺をまわりました。あの事件からまだ日が浅いのに、復興が進んでいましたね」
「ええ。近くに遺跡が見つかった関係でもともと<マスター>の数が増えていて。彼らの助けがあって、復興が進んでいます」
先日、このカルチェラタン領ではドライフの<超級>である【魔将軍】ローガン・ゴッドハルトの悪魔による襲撃事件が起こっていた。
しかし、ローガンはある<マスター>によって討たれ、遺跡から出てきたという巨大な兵器も破壊され、事件は収束したのだそうだ。
「……貴方としては複雑なのかしら? ドライフの<マスター>が事件を起こしたと聞いて」
「ええ。ボクは……元々はドライフの<マスター>、でしたからね」
『とは言っても、今はもう無所属じゃない。気にすることないと思うけどなぁ』
キノが夫人のお茶会に招待されたのは、これが二度目となる。
前回のキノはドライフから出たばかりの駆け出し旅人。
当時はまだアルター王国とドライフ皇国の間で戦争なぞ起こっておらず、キノがお茶会の中「どこから来たのか」と問われてなんのためらいもなくドライフと答えることができた。
一口紅茶を飲むと、キノは紅茶に映った自分の顔をじっと見つめる。
そんなキノに対して、夫人はキノの全身を見て、以前とは服装がだいぶ変わったことを指摘した。
「それにしても、昔とは随分格好が変わっていらっしゃるのね。コートも気に入っているから当面変えたくない、と言っていたと思うのだけれど」
「そう、ですね。前着ていたコートは<UBM>との戦いで燃えてしまって……。今着ているものは特典武具です」
「まあ! <UBM>の特典武具を……!」
夫人が驚くのも無理はない。
本来、<UBM>というのは遭遇するのも稀な上に、その強さから倒すのは簡単ではない。まして、特典武具を得られるのは討伐MVPになった一人だけだ。
「ひょっとして、他にも特典武具を持っているのかしら?」
「えぇ。コートの他だと、ブーツとこの銃です」
キノとしても、自分が特典武具を3つも持っているのは珍しいレベルだと理解はしている。
二体は他の<マスター>やティアンと共に複数で戦ったが、一体はソロで戦った。
この一体は、他の二つの特典武具や自分のジョブやエンブリオ、スキル、それらが相手の<UBM>に対してうまく噛み合ったからこそ倒せたのだと思っている。
一人で挑んだのは無謀と言えば無謀だったが……その時のキノにとっては、そんなこと思えもしなかった。
「キノさんは、とてもたくさんの修羅場をくぐってこられたのね。ふふふ、あの時の初々しい旅人さんが立派になったものね」
『無茶もその分多かったけどね』
「ヘルメス、余計なこと言わなくてもいいよ……」
微笑む夫人は、つい昨日のことのように思い出していた。
キノが以前に、この地を訪れた時のことを。
それは、ある晴れた日のことだった。
<マスター>の旅人がこの街に来た、という話をメイドから聞き、話をしたいと思って呼んだのがことの始まりだった。
「はじめまして。キノと申します」
「はじめまして。わざわざ来てくれてありがとう。ぜひ貴方と一度お話してみたかったのよ」
案内された旅人は初心者用装備のコートに加え、全体的にランクとしては下の方の装備を着た少女だった。
一部の使用人は少年と見間違えていたようだが、カルチェラタン伯爵夫人はしっかり彼女の性別を見抜いていた。
「旅人ということは、アルター王国は初めてかしら?」
「はい。そもそもボクは旅人としてはまだまだ駆け出しで。ここが初めての外国です」
「ということは、ご出身は」
「ええ、ドライフ皇国から来ました」
はにかむように笑うキノ。
紅茶を一口口にすると、夫人はキノがどうして旅人になったのかを尋ねた。
当時<マスター>は増えていたものの、国外に出て、さらに旅をするという話は聞いたことがなかった。ほとんどの<マスター>は最初に現れた国において活動する者ばかりと聞いていたのだ。
「旅に出る理由、ですか?」
「ええ。貴方のような<マスター>が、しかも見たところ熟練者とも言えないような貴方が、どうして旅人になったのかとても興味があるわ」
夫人はとある理由から、旅人と接する機会が何度かある。
しかしキノはそんな彼らとは違い、まだ発展途上であるにも関わらず旅に飛び出したように見えた。
上級職を目指し、より自分の強さを求める<マスター>がほとんどだっただけに、キノが<マスター>の中でも特異に見えたのだ。
「簡単な話です。ボクは……旅をするために、この世界に来たからです」
「…………」
<マスター>は来訪者とも形容されることがある。
ティアンにとって<マスター>は、エンブリオに選ばれた代償に、時に別の世界へ身を飛ばされる存在。
故に別の世界から来た存在ともとることができる。
そんな彼らであるが、キノはこの世界で旅をする、それこそが目的だったのだという。
「まだ見ぬ世界、まだ知らない場所……。ボクはそんな世界を巡る旅人になりたかった。たくさんの場所を訪れて、たくさんの人と出会いたかった。それだけですよ」
「そう。キノさんは、今まさにその夢の第一歩を踏み出したばかりなのね」
「はい。だからボクとしても、こうしてお話しする機会を設けてくださったことを嬉しく思います」
笑顔で紅茶を飲むキノ。
まだ年若い彼女が自分の抱いた夢を叶えようとするその姿が夫人にはとても尊く、そしてとても羨ましく思えた。
……自分の息子がもし生きていたら。もしここにいれば、どんな夢を語ったのだろうと思えてしまって。
「ねえ、キノさん。これから旅を続けるなら、お願いしたいことがあるの」
「はい、何でしょう?」
夫人は領地を訪れた旅人に会って話をしては、一つのことをお願いしていた。
それは自分の息子について。
かつて、カルチェラタン伯爵とその息子、エミリオはドライフ皇国へ行く途中、神話級<UBM>である【エデルバルサ】に襲撃された。
伯爵……つまり、夫人の夫は死体が見つかったが、エミリオの死体は見つかっていない。
だから、夫人は一つの希望を抱いているのだ。
もしかしたら、エミリオは生きているのかもしれない、と。
それ故に、夫人は旅人に尋ねるのだ。
「私の息子は……昔、夫と共にエデルバルサという<UBM>に襲われたの。夫の死体は見つかったけれども、息子の死体は見つかっていない。だからね、もしかしたら……もしかしたら、誰かが助けてくれたのかもしれないと。まだ生きているのかもしれないと思っているの」
「…………」
「私と同じ目をした青年を、あなたは知らないかしら……?」
青と緑のオッドアイで、じっとキノを見つめる。
キノもまた、真正面から夫人の瞳を見つめ……そして、静かに首を横に振った。
「いいえ。ボクは知りません」
「そう……。あなたがこれから旅を続けるのなら、いつか出会うことがあるかもしれない。あるいは情報を得ることがあるかもしれない。その時は……教えてもらえるかしら」
「わかりました、約束します」
その後は、またたわいのない話に移る。
せっかくだから門出祝いに新しいコートをあげようかと夫人は提案したが、キノは「このコートは自分が憧れた旅人のものとそっくりだから着続けているのだ」と断ったため、代わりにAGI増加のアクセサリーをあげた。
本来ならそこまではしないのだが……側にいない息子と重ねてしまったのかもしれないと夫人は思っている。
お茶会が終わった後、今日はありがとうございました、と頭を下げて退出したキノ。
外に出た彼女がヘルメスに乗って遠ざかっていく姿を、夫人はバルコニーから静かに見つめていた。
懐かしいあの時を思い出して夫人は目の前の、あの時とは違う成長した旅人に視線を向ける。
どこか幼い印象もあったのだが、今のキノからは修羅場をくぐってきた貫禄のようなものが感じられた。
そして、当時を思い出したことで、つい最近の出来事もまた思い出す。
「そういえばキノさん。以前、息子の話をしたと思うのだけど……」
「! そうでした、ボクも、そのことについて」
「エミリオに、会ったわ」
夫人の言葉に、キノは驚いて言葉を失う。
穏やかな表情を浮かべた夫人は、先日悪魔襲撃の事件の中で、息子と出会ったときのことを話す。
「顔は、理由があるようで見せてくれなかったけれど…‥それでも、あの子はエミリオだってわかったの。不思議なものね、何年も会っていなかったのに」
「…………そう、ですか」
「キノさんも、あの子の手がかりをつかんでくれていたのね。ありがとう。あの子は妻と娘がいる、と言っていたのだけれど……あなたの知っている情報とは重なっているかしら?」
キノがエミリオについての情報を得たきっかけは「エデルバルサ」という<UBM>の名前だった。
VRチャットで知人であるフランクリンと話をしていた時に、もののついでと聞いてみたところフランクリンが妙だな、と答えたのだ。
『エデルバルサ? ……おかしいねぇ。その名前の特典武具を持ってる人物ならつい最近知り合ったけど』
『そうなんですか!?』
『でも年齢が合わない。そんな昔に出現した<UBM>の特典武具を得るには若すぎる。当時は子供、いや、赤ん坊くらいなんじゃ……』
『赤ん坊……いや、まさか。確か夫人の息子さんは当時赤ん坊だったと、言って……』
『へぇ? なるほどなるほど……ティアンは死んだら討伐MVPにはなれない……もし相打ち同然だったのなら、唯一の生き残りがMVPに選ばれる可能性も……』
フランクリンからその特典武具を持った人物のことを聞き、他にも情報を集めて……そして、彼こそが夫人の息子であるエミリオ・カルチェラタンではないかと考えた。
今回お茶会に招待されたとき、その人物の立場からどう伝えるかキノは迷っていたのだが……。
「はい。ボクが聞いたところでは、確かにその男性には妻と娘さんがいる、と」
「そう。……キノさんが言いづらそうにしているということは、やはりエミリオは難しい立場にいるのね」
でもいいの、と夫人は紅茶を口にする。
息子が生きていることが分かった。ならそれでいいのだ。
いつか必ず、また来ると約束してくれた。ならば…‥無理にその正体を知ることはない。
『よかったの、キノ?』
「どうしたんだい、ヘルメス」
お茶会からの帰り道、ヘルメスは不思議そうにキノへと尋ねた。
『息子さんについて詳しく教えてあげればよかったじゃない。今どんな名前なのかとか、どこにいるのか、とか。言わないでくれ、って伯爵夫人は言わなかったでしょ?』
「でもね、教えてくれ、とも言わなかったよ。本当に知りたいならボクに聞くはずさ」
本当なら知りたかっただろう。今息子がどうしているのか知りたくてたまらなかっただろう。
でも、エミリオ自身が名を明かせない、顔も見せることができない、と夫人に言ったのだ。
そして、夫人は彼の意思を尊重した。
「それが彼女の思いだよ。息子さんをとても大事に思っているんだ。だったら……そこにボクたちが余計なことをすることはない。そう思ったんだ」
ご指摘を受け、第6話にてキノが雫についてある人物に似ているね、と言及する描写を追加しました。
刀と犬については、ちゃんと理由があるので…‥。
さて、次回は中編となります。2話か3話になるかはわかりませんが……
次の11話だけで完結する話ではなく、12話(あるいは13話も)と連番になる予定です。
次回予定「わがままな話」