キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
黄河にある山奥を、一台のバイクが走っていた。
バイクに乗っているのは一人の少女。
初心者用装備である枯葉色のコートを着ており、それが運転による風によってはためいていた。
森の中を進んでいるところで、運転手が口を開く。
「このあたりはね、掲示板を見てると<マスター>の間でたまに話題になる」
『え? どして?』
「この山にはどうも<UBM>がいるみたいなんだけれど……誰もその姿を見たことがない」
『何それ。どうしているってわかるのさ』
バイク……エンブリオであるヘルメスの疑問はもっともである。運転手のキノは、掲示板で知った話をヘルメスへと話す。
「見えない、でも一方的に攻撃されたんだって。どうやら黄河のクランランキング1位のところが集まって討伐に来たけれど、それでも失敗したんだとか」
『うっわー……。隠蔽対策とかはしてた、よね?』
「もちろん。それでも見つからないんだから<マスター>のエンブリオでなければ<UBM>しかありえない、って話らしい。でも広域殲滅型の<マスター>が辺り一帯を攻撃しても、相手からの攻撃は止まらなかったんだって」
結局、そのクランは撤退し、その話がネットにあげられたのをキノが読んだ、ということだ。
「運営のミス」「管理AI仕事しろ」という意見から「神話級かそれ以上だったり?」「あるいは条件特化型では」などと意見が散見され、未だに真相が分かってはいない。
ただ、全体的にどうしようもない、という意見が多い。
「だから、この辺は街から離れているというのもあって、ほとんど人がいないらしい。せいぜいが村を作ってるティアンくらいしかいないって」
『で、そんなところにわざわざ行くと。物好きだねーキノも』
「だからこそ、さ。別に<UBM>に挑むつもりじゃないけど、こういう場所に行ってみるのも、旅の醍醐味だと思うんだ」
人があまりいない山奥の村。
旅に憧れた少女は、まだ見ぬ場所を想像し期待に目を輝かせていた。
どんな場所なのだろう、どんな出会いがあるのだろう。
それこそが、キノの胸を高まらせてならないのだから。
『そ。もしかしたら、一生忘れられない思い出になるかもしれないね』
「ああ。そうだといいね」
日が暮れてきたし早めに着くといいんだけどな、とキノはヘルメスのスピードを上げた。
夜になって、キノはようやく目的の村にたどり着いた。
山奥だからもっと暗いかと思っていたのだが、何やら今日は明かりが数多くつけられ、賑やかであった。
どうしたんだろうと思いヘルメスから降りる。
手でヘルメスを押しながら村に入ると、村人の一人がキノに気づいて駆け寄ってきた。
「こんな遅くに……誰だ?」
「ボクはキノといいます。旅人の<マスター>です」
キノが自らを<マスター>と名乗ったとたん。
彼女に気づいてそちらを見ていた村人達が驚いた顔をして互いの顔を見合わせた。
いや、驚いたというだけではない。とまどい、期待、不安……様々な感情があったようにキノは思えた。
「<マスター>……。それってあれか、エンブリオを持っていて、たまに異世界に体が飛ばされる、っていう」
「はい。そうですけど……」
もしかしたら<マスター>お断りの場所なのだろうか、とキノは考える。
実のところ、大きな街ではないが、こうした小さな集落だと<マスター>を歓迎しない場所もある、ということをキノは経験している。
ティアンと違って死なず、特異な力を持つマスターを恐れる人々もいるのだ。
「あの、<マスター>が受け入れられない、ということでしたら……」
「どうしたの?」
その時、困ったような村人の後ろから、二人の人物がやってきた。
一人は年をとった男性。杖をつき、特徴的な首飾りをしている。この人物が村長にあたる人物かもしれない、とキノは考えた。
もう一人は小学生くらいの少女。
紫の髪を肩くらいまで伸ばしており、他の村人とは違ってやや豪華な服装をしていた。
「そ、村長! 実はその、旅人だ、という<マスター>が……」
「なんと……<マスター>か……!」
村長もまた、驚いた顔をしてキノの方を見る。
キノとしてはどうしたらいいかわからないので立ったまま様子を見ていたが、少女の方が村長へと口を開いた。
「村長さん、私、旅人さんもお祭りに参加して欲しい! ね、いいでしょ? 村長さん……」
「……そうじゃな。今日の主役はおまえさんじゃ。主役のわがままは可能な限り聞かんとな……」
頷いた村長は、他の人と先に行っていなさい、と少女へ言う。
村人達に連れられて少女がいなくなった後、一人残った村長はキノに話しかけた。
「ようこそ、旅人さん」
「はじめまして、キノといいます。あの、ボクはお邪魔でしたでしょうか……」
「いやいや。ちょっとまあ、戸惑っただけじゃ。それにあの子が参加して欲しいと言った以上、貴方がよければぜひ今夜の祭りにも参加して欲しい」
村長の話によると、今日は村で祭りがあるという。
先ほどの少女は祭りの中心人物であり、それで衣装を着ていたのだそうだ。村人達が戸惑ったのも、祭りの日に<マスター>が来るというのははじめてのことだったからだ。
「なら、お言葉に甘えようかと思います」
「そうかそうか。まあ、祭り自体毎年あるわけでもないし、<マスター>が現れてきたのはここ最近の話じゃからな。ぜひ楽しんでおくれ。ただし」
ここで、村長はキノにある条件を出した。
キノとしては特に問題ない条件であったため、これを受け入れ村の奥へと進んでいった。
村の中心では、かがり火が焚かれる中、木で作られた壇の上に先ほど見た少女が座っていた。
その周りで村人達が、並べられた料理を食べたり踊ったりしている。
「あっ! 旅人さん!」
キノの姿を見つけた少女は、嬉しそうに声を上げるとキノを手招きで呼ぶ。
近くには両親らしき男女がおり、共に料理を食べていた。
「この方は……?」
「旅人さんだよ! 旅人の、えっと」
『名前かな?』
「あ、ボクはキノといいます」
「キノさん! 私は
嬉しそうに自己紹介する紫苑。
旅人さんも参加してほしいってお願いしたの、と紫苑が言うと両親は納得したように頷いた。
「なるほど、紫苑が呼んだのかい。それなら私たちも歓迎しないとね」
「紫苑ちゃんが言ったから、ですか?」
「今日のお祭りは紫苑が主役なんだ。だから、村の皆は紫苑のわがままはできる範囲で叶えてあげないといけない。もちろん、無理に聞く必要はないけどね」
『へー。わがままをいってもいいお祭りなんだ』
「そうだよ! だから、キノさんも私のわがままを聞くんだよ!」
困ったな、とキノは苦笑いする。
もちろん、それがお祭りのルールだというのだからキノも従う。無理なお願い、わがままを聞く必要はないと言われているし、紫苑の方もそれを分かった上でやってくれそうなものを選んでいるのだから。
「じゃあね、えっと……私たちと一緒にご飯を食べて! そして、旅の話をたくさん聞かせて欲しいの!」
「旅人さんの話、私も是非聞きたいわ」
『良かったねキノ。芸をしてみせてとか無茶ぶりじゃなくて』
「ははは、仕方ありませんね。それじゃあ、いくつか印象に残った話を……」
黄河のこの村に来るまでに、キノはドライフ、アルター、レジェンダリア、天地、グランバロアとすでに5カ国を訪れている。
その中から子供に聞かせても問題なさそうな、印象に残った話を語っていった。
ドライフで出会った大きな怪獣と小さな怪獣の話。
アルターで大量の狼に襲われて逃げ回った話。
レジェンダリアで、知り合いのうっかりミスで二人とも爆発に巻き込まれた話。
天地で師匠にボロボロになるまで鍛えられた話。
グランバロアに行ったときに経験した不思議な話。
それらのお話を、面白おかしく語ってあげた。
それらはたいそう紫苑のお気に召したらしく、ご褒美にあーんしてあげる! と言われキノは断りきれず照れながら口をあけた。
他にも、紫苑の両親に<マスター>の話をしたり、村人達が勧めた料理に舌鼓を打ったり。
紫苑が選ばれたという祭りの巫女の衣装を紫苑が見せびらかしたり、後で祭壇に行くんだよ!と山の方を指さしたり。
とても、楽しい時間だった。
「キノさん。そろそろ……」
「そうですか。もうそんな時間か……」
楽しんでいたところに、村長や紫苑の母親をはじめ何人かの村人がキノを呼びに来る。
村に入るとき、キノが出された条件。それは大きく分ければ二つ。
一つは、お祭りを楽しんだ後、頃合いを見て村長達が呼びに来るので、その後村から出ること。
「旅人さん、もう行っちゃうんだね」
「うん。ありがとう、紫苑のおかげでとても楽しいお祭りだったよ」
キノが笑顔で言う。
実際、紫苑に話をしているときにのめり込むように聞いてくれ、リアクションをしてくれて。そして紫苑とご飯を食べたり話したり遊んだことが、キノにとってとても楽しい思い出となっていた。
寂しそうにする紫苑の横で、途中から席を外していた紫苑の母親が封筒を差し出した。
「これは、戻ってきたときに読んでください」
「あのね、紫苑も書いたんだよ!」
いつの間に、とキノは驚いたが
『紫苑ちゃんが書いたのはあのときじゃない? ほら、キノが大きな鳥肉を勧められてむしゃむしゃ食べてたとき』
「え? あー」
そういえばそんなときもあった。
封筒を受け取ってアイテムボックスにしまうと、お世話になりました、とキノは村人達に礼をした。
「キノさん!」
出発しようとすると、紫苑が駆け寄ってきてキノの袖をぎゅっと握った。
「私のことを、忘れないでね!」
「うん。忘れないよ」
しゃがむとキノは涙ぐむ紫苑の頭を優しくなでた。
ほんと? と言う紫苑にほんとだよ、と繰り返す。
おずおずと袖を放した紫苑に微笑むと、キノはヘルメスに跨がり、《走行》のスキルを発動させようとエンジンをかける。
最後に振り返ると、紫苑はポロポロと涙を流しながら小さく手を振っていた。
「私のことを、忘れないでね……」
キノの背に向けられたその声が、妙に印象に残った。
「ただいま、ヘルメス」
『おかえり、キノ』
ログインしたときの定例になった挨拶を交わす。
今キノ達がいるのは、村から少し離れた空き地。
キノに告げられたもう一つの条件。それは、村から出た後に村から離れてログアウトすること、だった。
正確には、村から出た後に別の世界に離れていて欲しい、と言われた。ティアンにとって、<マスター>のログアウトやデスペナルティは体を別の世界へ飛ばされるものだとされている。
リアルとデンドロでは時間の流れが違うので、すでに1日以上がデンドロでは経過していた。
『ねえねえ。渡された封筒、何が入ってるの?』
ヘルメスに言われ、戻ってきたときに、つまり再ログインしたときに読んでほしいと紫苑の母親に渡されていた封筒を開ける。
どうやら手紙が入っているらしい。
『読んでよ』
「わかった。えーっと……ん?」
その出だしを見て、キノは首をかしげた。
『キノさんへ
最初に、あなたに尋ねなければならないことがあります。
あなたは、「紫苑」のことを覚えていますか?
覚えていないのなら……この手紙を読むのをやめ、手紙を処分してください。
覚えていないのならば、もう関係のないことです。
もし、覚えていてくださっているのなら……続きを、読んでください。』
『えっと、一応聞くけど、覚えているよね?』
「そりゃあ覚えてるさ」
『じゃあ続きをお願い』
わかった、と言ってキノは続きを目で追った。
そして……どんどん顔が青ざめていく。
手紙を持った手は震え、崩れ落ちそうになる衝動を覚える。
「なんだ……なんなんだよ、これ……っ!」
『紫苑のことを覚えていてくださって、ありがとうございます。
しかし……あなたにとってショックでしょうが、全てをお伝えしなくてはなりません。
この手紙をあなたが読んでいる頃には……もう、この世から紫苑という存在は、いなくなっているでしょう。
あの子は、もういないのです。』
紫苑に何があったのか。
手紙には何が書かれていたのか。
次回に続きます。