キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
ノーフェイスのエンブリオの名は、【模倣人形 ドッペルゲンガー】。
通常状態の姿は顔のない木でできた等身大の人形。この人形がスキルによって対象の姿に変化したり表記上だけステータスを偽る。これがドッペルゲンガーの基本的な能力。
対象とそっくりそのままなもう一人の分身となる、それがノーフェイスのエンブリオ。
そのエンブリオが第0形態から孵化してノーフェイスの前に現れた時……
その感情をはっきりと理解するより先に、彼女は自身のエンブリオを前にして人生において初めてと言っていいほどに笑い転げた。
彼女の胸に渦巻いたのは納得、愉快、滑稽……
そして――失望だった。
ドッペルゲンガーの必殺スキル、《僕は君で君は僕》。
このスキルはドッペルゲンガーというモチーフに実に沿ったものだった。ドッペルゲンガーとはそもそも”自己像幻視”と呼ばれる現象であり、簡単に言えば「もう一人の自分」である。
この必殺スキルも基本的には同じ。<マスター>であるノーフェイスをそのままドッペルゲンガーに投影するスキルである。対象にできるのはノーフェイスのみ。
ただし、ここで投影されるのは姿だけではない。
ジョブ、スキル、ステータス……全てがノーフェイスと同一になる、だけではなく。ノーフェイスにもドッペルゲンガーが持つ姿変化やステータス偽造のスキルが投影される。
つまり、この必殺スキルはノーフェイスとドッペルゲンガーが持つ全てを共有化するスキルといえる。
そして、ドッペルゲンガーのカテゴリーはTYPE:ルール・ガーディアン。
そう、独立行動が可能なガーディアンの要素を含んでいる。今回ノーフェイス本体がセイカの姿をして潜り込んでいた時……ドッペルゲンガーは最初からヒィエの姿に変化していた。ノーフェイスの意思とは独立して、場合によっては”自身がヒィエだと思い込んで”、《真偽判定》をも潜り抜ける。
ノーフェイスがセイカの姿から別の姿に変わり、あらかじめ回収していた死体と入れ替わった後も、ドッペルゲンガーは独立してヒィエの姿をしたまま紛れ込んでいた。
これが今回の事件の裏側であった。
なお、ドッペルゲンガーとノーフェイスはスキルによって意識を交代することも可能。
当初ドッペルゲンガーの体はドッペルゲンガーが操作していたのだが、キノがヒィエに変化していたことを見抜いた時点でノーフェイスはドッペルゲンガーと意識を交代し、偽りの体を操っていた。
キノが先ほど撃ち抜いたのはヒィエの変化を解いたノーフェイス……つまり、ドッペルゲンガーの体。
ノーフェイスが操作していたと言えども、ノーフェイス自身が殺されたわけではない。これまでノーフェイスが殺されたにもかかわらず監獄に行っていない理由はここにある。
これまで倒されたのは「ノーフェイスの意識をもったドッペルゲンガーの体」。【猫神】トム・キャットが本体を倒されると分身へと意識が移るように、ドッペルゲンガーが倒されてもノーフェイスの意識は本体へと戻っていた。今回も同じ。
そしてもう一つ、この必殺スキルの大きな特徴は…‥エンブリオが破壊されても、必殺スキルによってノーフェイスへとコピーされたドッペルゲンガーのスキルはログアウトするかデスペナルティになるまで残る半永続性にある。
だから今も……ノーフェイスは、変化した別の姿でキノ達を眺めていた。
(魅了にかかっていないとは痛恨のミスだった……。確認を怠るべきではなかった、油断したね)
キノは現在襲い掛かってくるANZと戦っている。
術者であるノーフェイスは厳密には死亡していないのだから、かけた状態異常も解除されることはない。そもそも、状態異常とは術者が死んでも残るものがほとんどだ。
とはいえ、自由に動けるAGI型のキノと魅了で全力を出せるわけではないANZとではすぐ決着がつくだろうと考えた。
(あ、撃たれた)
そして思った通り、ANZはキノによってデスペナルティとなる。
残るはめしうまだが彼は【翠風術師】。魔法職であるが、遠距離攻撃が可能という点ではキノも同じ。広範囲攻撃がなければ速度重視のキノに懐に入られては終わりであり、そもそもキノは特典武具により広範囲攻撃はほぼ効かないと言っていい。相性が明らかに悪かった。
(…………)
失敗だった。
自分の目論見はこんなものではなかった。まだ自分はノーフェイスとしてキノと言葉をほとんど交わせていない。
無駄な喋りに偏りすぎたということだろう。
頭の中に、かつで読んだDIN発行の記事を思い出す。それはDINが様々な<マスター>をピックアップし、インタビューを行うコーナーの記事だった。
世界中を旅する<マスター>としてインタビューを受けていたのがキノ。
(……知りたい。なんとしても、知りたいっ……!)
インタビュー記事を読んだあの時、ノーフェイスの心は決まった。
即座に元々用意を進めていた計画の実行を決断し、その際にキノを巻き込むことを決めた。
今回の一連の事件は、
全ては、記事に書かれたあの内容について彼女の言葉を聞くために。
ノーフェイスがデンドロを始めてでも知りたかった「答え」に近づくために。
心をかき乱されたかのようなあの時の衝動が、今のノーフェイスを突き動かしていた。
心の内ですら貫いていたロールプレイが崩れつつあるほどに。
(どうしたものかな……【翠風術師】を使うことも考えていたんだけど、あれじゃダメだ。いつも通り、自分のジョブを使うしかないかな……)
ノーフェイスのメインジョブは《催眠術》を使って見せた【高位催眠術師】……ではない。
かといって超級職をとっているわけでもない。
ノーフェイスのメインジョブはもう一つの上級職である【
ステータス補正はさほどない。メインジョブにしていなければ固有のジョブスキルはまず使えない。ただ、《変声》といった演技に関するスキルを有するほか、役者系統の特徴的なスキルである《役作り》を持つ。
このスキルはサブジョブ、または一定範囲内の人間範疇生物が就いているジョブを一つ対象として発動する。
その効果は「対象のジョブスキルを使うことができる」、というもの。
つまり理論上、《役作り》を使うと条件次第だがどのジョブのスキルでも使用することができる。
ただし、制限はある。例えば、スキルレベルが5になってようやく下級職のジョブスキルを100%の効果で使える。上級職のジョブスキルを使うにはジョブスキルを6以上に、つまりは役者系統上級職の【大役者】に就く必要があった。
またジョブのステータス補正までもがコピーできるわけではないので、他人のジョブを対象とすると相手ほどの効果を見込めないことも多い。
先ほど、ドッペルゲンガーの体でキノと戦った時に風属性の魔法が使えたのも、《役作り》スキルによって【翠風術師】のジョブスキルを使ったからだ。
(忍び寄って【呪術師】のスキルで動きを止めるしかない、ね。幸い、今は戦いに気を取られているだろうから不可能ではない。範囲攻撃が効かないというのなら、それを使わなければいいだけのこと)
ゆっくりとノーフェイスは下りていく。
近付きすぎないように、そして相手の視界に入ることも極力避けながらキノとの距離を詰めていく。
動きを止めて、キノの戦闘能力を封じたら……めしうまを始末して、一対一で問う。
(《役作り》、【呪術師】……!)
距離をある程度詰めたところで、ノーフェイスはスキルを発動。
さらに、【拘束】の状態異常になるスキルを発動させようとして……
「やっと近くまで来ましたね」
「え?」
銃声がパンパンと複数鳴る。
”鳥”に化けていたノーフェイスは全身を撃たれ、【出血】などの状態異常を受け倒れる。
戦えないほどのダメージを受けたことで、姿も本来のものに戻っていた。ドッペルゲンガーの体の時もつけた仮面の他、シルクハットに燕尾服といった「小説に出てくる怪人のイメージ」の服装をした人物がキノの前で倒れていた。
ノーフェイスは大きく息を吐く。
何が起こったのかはわからないが、自分が完全にキノに敗れたことはよくわかった。自分を待つのはデスペナルティだということも、それが「監獄」に行くことを意味するとも分かっていた。
だからこそ、ここで聞く必要があった。今ここが最後のチャンスだから。
「……ひとつ、聞いていいかなぁ……」
「あなたが鳥に扮していると気づいた理由ですか? それは」
「違う、そんなのどうだっていい」
手に持ったのは、キノのインタビューが載ったあの記事。
それを見せると、ノーフェイスは尋ねた。
自分のこれまでを思い返しながら。
「星秋院の人間として」「星秋院ならこれくらい当然」などの言葉と共に様々な習い事や教育を受けた。わがままなど一切許されず、幼稚園の頃にはもう、自分の気持ちを押し殺すということを理解し、実践していた。
その結果、霞は名家のお嬢様として親の望んだとおりに育った。暮らしは裕福だったので人によっては羨まれる生活だったということは彼女自身理解している。
だが、その暮らしに大きくヒビが入ったのはいつのことだったか。
ある日、「自分の夢」について作文を書くという課題が学校で出たとき、ふと彼女は思った。
思ってしまった。
自分の夢とは何か。
いや、そもそも……
(自分とは誰のことだ? 私は誰だ?)
これまで周りから望まれた「星秋院霞」であろうとは努力した。
何を思おうとも笑顔の仮面を付け、求められるままに「星秋院霞」を演じてきた。
では……そう演じてきた「私」は誰だ?
求められてきた偶像を除いたとき……「これは自分の意思だ」というものを、彼女は自分の中から見つけることができなかった。
自分の気持ちを押し殺し続けたせいで、自己というものが認識できなくなっていた。
その次は、周りの言葉が恐ろしくきこえてきた。
誰もが「星秋院霞」に話しかける。
しかし、それを自己ではなく演じてきた偶像と認識するようになっていた彼女は、自分に話しかけられていることすら認識できなくなっていった。
アイデンティティの認識障害から、ついには霞は衝動的に錯乱した結果階段で足を踏み外して転落し、入院する事態にまで発展した。
意識を失って目覚めた後、最初に口にしたのが「私は、誰……?」だったことから「記憶喪失か」と騒ぎは余計に大きくなった。
だが、彼女にとってはちょうど良かった。
慣れ親しんだ演技で今度は「記憶を失った娘」を演じ続けた。
自分が誰か分からないと思っていた彼女にとっては全く苦ではなく、周りも完全に記憶喪失だと勘違いしてしまっていた。
自分とは誰か。自分とは何か。
それを求めた彼女は病院で知り合った関西弁の女性(院長の娘と聞いていた)から勧められ、デンドロを始めた。
「あなただけのオンリーワンを提供します」という言葉に心惹かれ、自分だけの可能性というエンブリオの孵化を心待ちにしていた。
そして生まれたのが……【模倣人形 ドッペルゲンガー】。
彼女は自分のエンブリオを前に
「は、はは」
自分が正真正銘人形のようなものだと突きつけられたかのようなそのエンブリオを前に。
誰でもないもう一人の自分というそのモチーフを前に。
「あはははははハハはははははハハははははハハハハ!」
ただただ笑い転げた。
愉快と納得、そして失望を抱えて。
(違う、そうじゃない。私が知りたかったものはそんなことじゃない!)
だが、彼女のパーソナリティから生まれたエンブリオとしてはあまりに納得できてしまった。
彼女が求めていたのは、紛れもなく
エンブリオを作り直すことはできない。それはチュートリアルの時点で聞かされている。
ならばここからどうしたものかと考えた彼女は……チュートリアルで言われたことから、一つの結論に至った。
「何をしてもいい」、というのなら……リアルではできなかったことをしよう。
これまで名家の裏で見てきた人々の感情。陰口、悪意……それらは誰もが抱えている。
それを少し後押ししたらどうなるのかという疑問のもと、ノーフェイスはこれがエンブリオをうまく活かせそうだと判断し、人の中に潜り込むためのジョブを模索し始める。
彼女が選んだ選択。それは「現実でできないのなら、この世界で犯罪を犯す」こと。
現実では一番できないことを、彼女は選択した。その先に「自分」を見つける何かがあることを願って。
そして、彼女はレベルを上げ殺人教唆を繰り返し、指名手配までされた頃。
彼女はその記事を読んだのだ。
「その記事には、書いてあった。君が自分を『籠の中だったが外へはばたいた鳥』に例えていたことが」
傷ついた体で、ノーフェイスは何度も何度も繰り返し読んだその言葉を口にした。
籠の中……それはまさに、求められたものを演じてきただけの自分と同じだ。
だが、目の前の彼女はそこから抜け出すことができたのだと直感した。
だからこそ、ノーフェイスはどうしても知りたかった。聞きたかった。
『あなたはどうして旅をしているのですか?』
『以前、リアルでは両親が厳しくて旅行になどは連れて行ってもらえませんでした。だから、ボクはどうしても見たことのない場所に行く旅に憧れていたんです。デンドロを始めたのも、このデンドロの世界で旅をするためでしたからね。今のボクは、籠の中にいたが外へはばたいた鳥、のようなものだと思うんです』
あのインタビュー記事で、キノは「星秋院霞」に似た背景を持っていたことが察せられた。
しかし、彼女は自分とは明らかに違っていた。
彼女は「旅に憧れる」という明確な「自分」を持っていた。そして、自分の手でそれを成し遂げた。
「教えて欲しい……」
それがとても、羨ましかった……。
「どうすれば、私は、あなたのように夢を持った「自分」を見つけることができるのですか……?」
その言葉に、キノは何も表情を変えなかった。
ただ、静かにノーフェイスを見つめていた。
「わた……いや。僕は、君になりたかった」
一人称や口調が本来の、リアルでのものに戻っていることに気づき、ノーフェイスは口調をロールプレイのそれに戻す。
そんなノーフェイスを前にして、キノは考え込んだ末にゆっくりと口を開いた。
「あなたはボクにはなれませんし……なる必要もありません。ボクはただ、子供のころに抱いた憧れをずっと抱え込んでいただけです」
それでは、もう自分に夢を持つことはできないのだろうか。
子供の頃から自分の思いを押し殺してきたノーフェイスは、もう自分には無理なのだろうかと思い悩む。
だが、
「でも、夢を持ちたいというのなら」
その言葉に、ゆっくりと顔をあげた。
「まずは自分に正直になってはどうですか? 自分の気持ちにふたをするのではなく、日々の中で何かに興味を持った時に、それと正面から向き合ってはどうでしょう。選択する権利はいつだってあなたにあります。それが最初の一歩だとボクは思います」
自分の心の中を見抜かれたようなその言葉は、すとんと彼女の胸に落ちた。
「まぁ、今のあなたみたいに犯罪をやりたいとかいうのは、おすすめできませんけど」
続く彼女の言葉にはさすがに苦笑した。
現実ではできないからと自分探しのために始めたことだ。さすがに現実で犯罪を犯すつもりはさらさらない。
それくらいの分別は彼女にもあった。
だからまずは、現実でもう一度「星秋院霞」に戻ろう。
そして、自分の気持ちを少しだけでも、”星秋院霞”として持って生きていこう。
「……ありがとう」
ノーフェイスは《瞬間装着》を発動し、一つのアクセサリーを外した。
それはずっとつけていた仮面。
ヒィエの姿の時も本来の姿でもずっとつけていた仮面を、ノーフェイスは外して見せた。
「…………」
キノはその顔に絶句する。
ニヤリと笑うその顔は、
(まずはこれが最初。最後はノーフェイスという悪人らしく、ふてぶてしく退場させてもらいましょう。これくらい不気味な方がそれっぽいと思ったんですけど、別にかまいませんよね?)
まだ必殺スキルの効果で自分に残っているドッペルゲンガーのスキルを使ったノーフェイスは最後のいたずらとばかりに、仮面をつけているうちに顔だけをキノのものへと変化させていた。
見せられた顔に、キノは、驚きを顔に出した後、無表情になって銃口をノーフェイスの額に向けた。
ノーフェイスは最後に、キノへとほほ笑む。
「バイバイキノさん。また遊ぼうね」
一発の銃声が鳴り、ノーフェイスはデスペナルティとなった。
数日後・カルディナのある都市。
女性は通信用のアイテムを起動させた。
『エルホーです。ノーフェイスは死亡、監獄に行ったようです』
『そうか……戦闘力が高いわけじゃなかったがその演技力や潜入能力は惜しかった。指名手配という条件の一つはクリアしていたし、<超級>に進化したら即スカウトするつもりだったんだが……残念だ』
『ですが、最後に彼女は「何か」を得たようですよ? キノさんのおかげで』
『キノ、か。あいつも面白い奴だったからな……。ノーフェイスといいキノといい、協力者としてまずは声くらいはかけておくべきだったな』
『ご主人様はうっかりですからね!』
『黙っとけマキナ。とにかく、報告ご苦労だった。また連絡する』
『では失礼します、ラスカルさん』
今回登場の<マスター>
年齢:17
メインジョブ:【大役者】(役者系統上級職)
エンブリオ:【模倣人形 ドッペルゲンガー】
キャラ紹介:
アイデンティティーを認識できず、自分について悩み続けたお嬢様。
名家の出身であり、リアルではおしとやかな少女。小説で読んだ怪人を元にして「ノーフェイス」という悪人のロールプレイをしていた。序盤では内心でゲラゲラ笑ったりもしていたが、全てロールプレイ。完全に役になりきっていた。
その理由は自分探しのために「デンドロが自由なら、現実ではできないから犯罪を犯そう」と思ったため。ちょっとお嬢様の思考が飛びぬけてしまってそうなった。
「自分のやりたいことがわからないからデンドロで犯罪者になった」という点では、【犯罪王】と似たところがある。なお、今回キノに敗北して監獄に行ったため【犯罪王】と出会う可能性は極めて高い。
本人は気づいていないが、演技の才能は相当なもの。上に書いたように、内心ですら完全に役になりきることが可能。もし彼女が女優を志せば、オーディション通過や新人賞受賞は決して夢ではない。
<余談>
キノに敗北した後、記憶喪失のふりをやめる。
記憶が戻ったという知らせを聞いて見舞いに来た友人からは大層喜ばれるが、その際に友人もまたデンドロをしていることが判明。
所属を聞かれたので現在は監獄にいると伝えたところ「監獄!? あなたが!?」と大層驚かれた模様。リアルの霞を知っていれば無理もない。
次回予定「歌う話」